話は少しさかのぼる。
「……プレシアさん?」
『起こしてしまったかしら?』
「いえ。まだ眠ってませんでしたから。」
『そう、それなら良かったわ。今からそちらにリニスに届け物をさせるから、それを持って優喜の部屋に行って欲しいのよ。』
もうじき日付が変わろうかと言う時間に、わざわざ優喜に対して届け物をする。その言葉に怪訝な顔をしてしまうなのは。同時に通信を受けているらしいすずかも、いまいち納得がいっていない様子である。
『多分そろそろだと思うのだけど、フェイトが優喜の部屋に夜這いをかけるから、あなた達にも協力してほしいのよ。』
「夜這いって……。」
『プレシアさん、どういう事ですか!?』
『どういう事も何も、言葉通りよ。あなた達も、フェイトが今悩んでる事ぐらい、知っているでしょう?』
プレシアの言葉に、黙って頷くしかないなのはとすずか。
『これ以外に、あの子の悩みを解決する手段はないわ。』
「でも、何もこの時期に……。」
『この時期だからこそ、あそこまでこじらせたのよ。それが分からないとは言わせないわよ?』
プレシアの言葉に、黙って頷くしかない二人。既成事実を作って優喜をここにつなぎとめる、というわけではないので、なのはの行動基準からすればグレーゾーンではあるがセーフだ。だが、それでもいろいろと釈然としない物はある。
『紫苑の事は、私たちが何とかするわ。だから、今はあの子のフォローをお願いしたいの。』
『フォローって、一体何を?』
『簡単よ。どうせフェイトの事だから、一番大事なものを持っていくのを忘れるでしょうから、それを持っていってほしいの。』
「一番大事なもの?」
『ええ。優喜の状態から言って、それを使わなければ、どんなに気持ちを高めても、行為には至れないわ。』
『あの、それってまさか……。』
プレシアの言葉にピンとくる。恐る恐る確認の言葉をかけると、
『ええ。薬よ。さすがにまだ、薬無しで勃起するほど回復してる訳じゃないのよね。』
「……それを、これからいたそうとしてるところに持ちこめ、と言いますか……。」
『もちろんよ。もっと正確に言うなら、いい機会だから、あなた達も一緒に女にしてもらいなさい。』
「『ちょっ!?』」
『あら? 見てるだけでいいと言うの?』
いきなり生々しい上に下世話な事を言い出すプレシアに、思わず総がかりで突っ込みを入れそうになるなのはとすずか。だが、そんな二人を意に介さず、真剣な面持ちで言葉を続けるプレシア。
『先に言っておくわ。このままだと、あなた達は不戦敗になる可能性が高いわよ。』
「どうして?」
『簡単よ。フェイトだけ一線を越えてしまった場合、あの優喜が他の娘に手を出すと思うの?』
『そ、それは……、確かにそうかも……。』
『ついでに言うと、さすがにそうなった場合に紫苑をどうにかする自信はないわ。だから、そのためにも、あなた達にも一線を越えてもらう必要があるの。』
プレシアの言い分に、どう返事を返せばいいのか分からず、思わず沈黙するなのは。さすがにいくらなんでも、複数の女性と強引に肉体関係を持たせようとする大人がいるとは、正直思いもしなかったのだ。
「……私としては、みんなで一緒に、ってこと自体はそうなるかもと思ってたからいいんですけど……。」
『ほう。いいのか、なのは。』
「居たんだ、ブレイブソウル……。」
『居たんだ、とは御挨拶だな。あの大和撫子に余計な事を吹き込まないようにと、ここに監禁する事を選んだのは君達だぞ?』
「そ、それはそうだけど……。」
この時点で確信する。どんな煽り方をしたかは分からないが、フェイトの暴走は確実にこのファンキーデバイスが煽った結果だ。プレシアもいろいろ言ったのは間違いないが、暴走させるように誘導したのは十中八九こいつの仕業に違いない。なのはと言う前科がある以上、言い訳の余地はない。プレシア達とフェイトとの間に、一体どんな話し合いがあったのかが激しく気になるが、どうせ親子の秘密とかいって教えてくれないのは目に見えているし、多分それを聞いている時間もないだろう。
『それで、何か言いかけたようだが?』
「……まあ、いっか。」
どうにも手のひらで踊らされている感が強いが、割り切って話を続ける事にする。
「私は、みんなで一緒にってことはいいんですけど、フェイトちゃんやすずかちゃんはいいのかな、って。」
『私は、もともと独占とか考えてないし、最悪セフレ扱いされる覚悟も完了してるんだけど……。』
「その覚悟は完了しちゃダメ!!」
十年以上の付き合いになる親友の、フェイトとは違う意味でのあまりにも駄目な発言に、思わず激しく突っ込みを入れてしまうなのは。嫌な予感がして、完全防音結界を張っておいた甲斐があったというものだ。
『とりあえず、フェイトの方は気にしなくていいわ。むしろなのは、あなたが一緒に居た方が、いざという時にヘタレなくてすむでしょうし。』
「フェイトちゃん、実の母親にヘタレ扱いされてるよ……。」
反論できないところがよりひどい。実際、フェイトは自分の事になると、どうにもヘタレな部分が目立つ。そもそも、初対面の頃の人見知りの激しさからして、ヘタレくさいと言えばヘタレくさい話である。
『まあ、そういうわけだからなのは。フェイトと一緒に女にしてもらってくるがいい。』
「なんだろう、結構大事な事のはずなのに、私自身の覚悟とかそういうのと関係なく話が進んでる感じがひしひしとするよ……。」
『なのはちゃん、もうこうなったら、初体験の理想とかはあきらめようよ。』
「すずかちゃん、何気に乗り気だよね……。」
『だって、ずっとじらされてきたんだもの。』
すずかの身も蓋もない台詞に、夜の一族の妙なたくましさを思い知る。もっとも、プレシアやブレイブソウルからすれば、単に状況に流されてハイになっているだけで、多分単品で送り込んだところでヘタレるだけだと分かっているのだが。
『なのは。』
「なんですか?」
『初体験は、所詮単なる通過点よ。』
「いや、それはそうかもしれないけど……。」
『とりあえずなのは、どうやらそろそろフェイトが動くらしい。賽が投げられた以上、グダグダ言っても無駄だ。』
いい加減抵抗するのに疲れてきたところに、ブレイブソウルからとどめの一言が放たれる。どうやら、すでに選択肢はなくなっているようだ。動き始めてしまった以上、少なくとも優喜とフェイトの行為は成立させなければ、後々まで致命的な傷を残してしまう。
「本当に、紫苑さんの事はどうにかしてくれるんですよね?」
『ええ、もちろん。ただ、一つだけ確認するけど。』
「はい?」
『三人が四人になっても、あなたは気にしないわよね?』
「……紫苑さんなら、OKです。」
どうやら、最初からそこ以外に落とし所はなかったらしい。なのはの返事と同時に、リニスが部屋に転移してくる。
『なのはよ、一ついい事を教えておいてやろう。』
「……何?」
『ミッドチルダは、重婚が認められている。』
「……もう黙ってて……。」
言われずとも知っている事を宣言され、ある種の気力が根こそぎ奪われる。何というか、自分達がどんどん駄目な方に突っ走っている感覚がぬぐえないまま、結局自身の欲望と現在の状況に負けて、今までの何とも言い難い関係にとどめを刺しに行くなのはであった。
「……あのさ、フェイト。」
「……何かな?」
「……その格好は、何の真似?」
優喜の言葉に返事を返さず、そっと距離を詰めてくるフェイト。動くたびにマントが肌蹴て、月の光に照らされた一糸まとわぬ白い素肌が見え隠れする。そう見えるようにしているだけで、マントの下にはちゃんと何か着ている、と言う優喜の淡い期待は見事に打ち砕かれた。
「私の、覚悟かな?」
「覚悟って……。」
「あまりいろいろ着てると、脱いでる途中で気持ちが折れそうだから……。」
「いや、そもそも何で脱ぐの……?」
言うまでもない事を思わず突っ込んでしまう優喜。正直、あまりの状況にまるで冷静さを保てない。思考が空回りし、どう対応すればいいのか何も思いつかない。
「あのね、優喜。」
「……何?」
「私の体の事、知ってるよね?」
「……クローンだって言う事なら、今さらだよ。」
優喜の言葉に、泣き笑いのように淡く微笑んで見せるフェイト。月明かりに照らされた、あまりに背徳的な姿でのその表情は、今までになく壮絶な色香を放ち、いまだにまともな性欲を持ち合わせていない優喜の思考すら痺れさせる。
「私、ね。」
「……ん。」
「健康診断とかがあるたびに、ずっと怖かったんだ。」
「えっ?」
「もしかしたら、どこかおかしなところがあるかもしれないって……。」
フェイトの言葉に、何も返事を返せない優喜。その不安はまともな両親から生まれ、今現在健康体の優喜には決して理解できない物だからだ。
「初潮がなかなか来なかったとき、すごく不安だった。今でも時々周期がおかしくなって、自分でもびっくりするほど不安になるんだ。」
「……。」
「でも、一番怖いのは、ね。」
そこで言葉を切り、優喜の顔を覗き込むように近付く。ここにいたってようやく、フェイトの顔が羞恥心で真っ赤に染まっている事に、そして全身が小さく震えている事に気がつく優喜。
「実は行為をできる体じゃなくて、優喜が、私の体を変だ、って言う事なんだ。」
その言葉に反論をするより先に、フェイトが結論を告げる。
「だから、優喜。私の体におかしなところがないか、確かめてほしい。」
その言葉と同時に、羽織っていたマントを床に落とし、正真正銘の生まれたままの姿を優喜に見せつける。優美な曲線を描く肉感的な肢体を月下に晒し、愛しい男に結論を迫る。
「……僕は、他の女の人の体を知らないから、おかしいかどうか分からない。」
「他の人と同じかどうかは、もう、どうでもいいんだ。」
「フェイト……?」
「優喜にとっておかしくないなら、私はそれで安心できるんだ。」
事ここにいたってようやく、自分がとんでもない窮地に立たされた事を自覚する優喜。この場合、口先だけでおかしくないと言ったところで通じるわけもなく、だがおかしくないとどう証明すればいいか分からない。倫理観をつかさどる部分がフェイトの体を直視する事に対し罪悪感を抱かせ、だがここで目をそらすと言う事は彼女の不安を肯定する事につながりかねない。唯一の解決策と思われる行為をするにも、手元に必要なものがないため、優喜の体の事情がそれを許さない。第一、こんな形で行為に及んでいいのかと、この期に及んで流される事を理性が激しく拒絶する。
この時、優喜は生まれて初めて、本当の意味で異性と言うものを意識していた。告白されてなお、相手の本気を肌で理解してなお、異性と言うものを意識出来なかった壊れた本能。それがようやく少しはまともな形で噛み合い始めた瞬間であった。
「あの、フェイト……。」
「何?」
「僕は、何をどうすれば君の体がおかしくないと証明できるか、分からないんだ。それに、君を抱けばいい、と言われても……。」
悩みながらも正直に答えを告げようとすると、いつの間にか部屋の中に入ってきていた他の人物が、横から口をはさんでくる。さすがの優喜も、ホームも同然のこの家で、この状況下で他の人間の存在を気にする余裕はなかったらしい。
「フェイトちゃん、忘れものだよ。」
「なのは? すずか?」
「どうして……?」
「フェイトちゃん、薬を持っていくの、忘れてたでしょ?」
薬、の言葉で全てを悟る。どうやら、プレシアの差し金らしい。だが、それを理解した瞬間、どこかで無駄に入っていた力が抜ける。今まで気がつかなかったが、すずかも一緒のようだ。これなら何も怖くない。普通なら水を差されたと怒るべきところなのだろうが、今のフェイトには心強い援軍だ。
「ゆうくん、フェイトちゃんを、可愛がってあげて。」
「ついででいいから、私達も相手してくれると嬉しいかな。」
そう言って、そっとフェイトを優喜に預ける。
「優喜、お願い……。今回だけでいい……。治療でいいから、責任をとれとか言わないから……。」
背中を押される形になり、真っ赤になりながらも、必死の表情で優喜を押し倒し、すがりついてくるフェイト。羞恥心を不安が上回ったようで、今にも泣きだしそうだ。
「私の体がおかしくないって、証明して……!」
四面楚歌の状況で、止めとも言える言葉を言い放たれ、抵抗をあきらめる優喜であった。
どうにもあまりよろしくない予感とともに、いつもより早く目が覚めた紫苑。十一月の、ずいぶんと昇るのが遅くなった太陽が、ようやく頭を見せたところである。いつもならもう少し遅くまで眠っているのに、なぜか今日は完全に目が冴えている。
「……。」
目は冴えていても、頭はまだ夢現といった風情の紫苑は、体を起こしてからしばらく、そのままの姿勢でボーっとしている。普段を知る人たちが見れば、その様子に驚く事請け合いである。何しろ、本来はこんなに寝起きは悪くなく、起きたらさっくりなにがしかの行動を起こすのが琴月紫苑だ。第一、いつ惚れた男が声をかけてくるかも分からないと言うのに、寝起きの無様な姿を晒すのは主義ではない。
「……顔、洗わなきゃ……。」
本当に珍しい事に十分以上そのままぼんやりした後、ぼけた頭を振り払いながらそうつぶやく。とにもかくにも身だしなみは重要だ。さすがにまだこの時間に起こしに来る事はなかろうが、いつ何時優喜がこの部屋を訪れるか分からない。折角朝早くに起きた事だし、シャワーを借りてさっぱりしよう。多分いつもの習慣なら今頃トレーニング中だろうから、シャワーを終えたぐらいに戻ってくるかもしれない。
そう決めると、着替えの服と新しい下着類を取り出して風呂場へ向かう。頭がまだぼんやりしていたらしく、この時点では紫苑は、向かいの優喜の部屋が、中を覗ける程度に開いている事に気がつかなかった。
「あら?」
シャワーだけのつもりが、朝風呂が用意されていたためつい長湯をしてしまった帰り道。結構な時間になっているのに誰もシャワーを浴びに来なかった事を疑問に思いつつ、自室の前までたどり着いたところで、向かいの優喜の部屋の扉が、結構大きく開いている事に気がついた。
どうやら猫が出入りしているらしい。この屋敷にはたくさん居るので、それ自体は不思議ではない。だが、優喜が部屋の扉を閉め忘れると言うのは珍しい事だ。不思議に思いながらも、部屋の中からこちらを見ている愛らしい子猫の魅力に負けて、つい中を覗き込んだところで動きが止まる。
「えっ……?」
紫苑の視線は、あてがわれた自室と同じ、大人四人が眠れるほど大きな天蓋付きベッドの上に釘づけになっていた。
「どういうこと……?」
ベッドの中では、優喜達四人が蒲団にくるまって、一緒になって眠っていた。その周りには脱ぎ散らかされた寝間着や下着が散乱しており(思わず数を数えたところ、何故か女物は二組しかなかった)、どう無理やり解釈したところで、少なくとも裸で添い寝している事は疑う余地もない。しかも、何気に落ちている女物の下着が、どう見ても勝負下着である。
正直認めたくないが、昨晩この部屋でそう言う行為が行われていた事は間違いないだろう。防音がしっかりしているこの屋敷の部屋は、たとえ一方の部屋の扉が開いていたところで、もう一方がきっちり戸締りをしていれば、ほとんど音が聞こえなくなる。そのため、昨日しっかり部屋の扉を閉めて寝た紫苑のもとには、彼らが盛っている声や音は一切届いていなかったのだ。
「……優君。」
「……え? あ、紫苑か……。」
声をかけると、割とすぐに反応が返ってくる。裸の上半身を起こした彼の表情は、何とも気まずいものだった。
「優君、あのね?」
「うん、見ての通り。」
「そっか……。」
そんなやり取りの最中に、事の元凶であるフェイトが、寝ぼけた感じで目を覚ます。
「ん……、ゆうき……。」
寝ぼけたまま優喜にしがみつき、その豊かな胸をダイレクトに押しあてながら、胸板にほおずりするフェイト。紫苑の凍りつくような視線にも全く気が付いていない。
「フェイト、とりあえず起きようか……。」
裸で愛おしそうにすがりついてくる金髪の美女に対し、容赦なく一撃入れる優喜。その衝撃で意識がはっきりしたらしい。すがりついた姿勢のまま、紫苑の視線に怯えてかたまる。その隣でもぞもぞとすずかが動き、ひんやりとした空気が流れてきたのか、なのはも微妙に眠そうなまま体を起こす。
「それで、昨日お開きになった後、一体何があったのかしら?」
「それは……。」
さすがに優喜にしがみついたままと言うのは不味い、と判断したフェイトがとりあえず即席でバリアジャケットを作り上げ、ランニングシャツとホットパンツと言うラフな格好でごまかす。なのはもそれに習い、すずかは手の届く範囲にあった自分の寝間着をそのまま着る。とにかく言い逃れをするような不細工な真似も、開き直って挑発するような真似もしたくはない。
「全部、私が悪いんだ……。」
「……悪い、とは?」
「私が、自分の不安を解消するために、みんなを巻き込んだんだ。」
「違うよ。フェイトちゃんの不安を知ってて、それをどうにもできなかった私達の責任だよ。」
お互いに相手をかばい合うなのは達を見て、どちらが悪者か分からないと頭の片隅で考えてしまう紫苑。ただ、少なくとも、紫苑に既成事実を見せつけるためにこんな真似をしたわけではなさそうだ。怒りも何もかもとりあえずいったん飲み込み、ため息とともに話を続ける。
「その不安とは、一体どんな話?」
「その件については、プレシアが全部話します。」
「リニスさん?」
「はい。今回の悪巧みの片棒を担いだリニスです。」
そのあたりで、なんとなく全体の流れを察する紫苑。どうやら、フェイトにとって何か重大な問題があり、その解決のために優喜を押し倒すような真似をするように、プレシア達が彼女を誘導したらしい。詳しいところは分からないが、少なくともフェイトに関しては、こういう事をしそうな予兆、という意味では思い当るところはある。
「フェイト、プロジェクトFの事も含めて、全てプレシアが説明します。とりあえずあなた達は、まずはお風呂に入って身だしなみを整えてきなさい。」
「うん。申し訳ないけど、全部お願いするよ……。」
「元々、煽った以上はアフターケアをするつもりでしたので、あなたが気にすることではありません。」
「気にするよ……。」
罪悪感たっぷりのフェイトの様子に、怒りこそ収まらぬものの、どうにも内心の葛藤が大きくなる。そもそも根本的な話、優喜が誰とどういう関係になろうと、紫苑がごちゃごちゃ口をはさむ筋合いはないのだ。そう開き直られてしまえば、本来彼女に取れる対応など、逆切れして突っかかっていく事だけであり、竜岡優喜第一主義者の紫苑にそれができるかと言えば答えは否。せいぜい、このタイミングで事に及んだ不躾さに腹を立てるぐらいしかできないのである。
「紫苑さん、あなたがそういう人で本当に助かりました。」
「……それは嫌みですか?」
紫苑の内心の葛藤を見抜いたかのようなリニスの言葉に、思わず刺々しい口調で突っ込みを入れてしまう。
「いえ。ただ、とりあえず先に言っておきます。まだ、優喜君の事をあきらめる必要はありませんので。」
「……この期に及んでまだそれを言う、と言う事は、それなりにややこしい事情がある、と言う事ですね?」
「はい。浮気上等と言わんばかりに周囲がお膳立てして、無理やりにでも強制せねばならない理由がしっかりあります。詳しい事は全て、プレシアの説明を聞いてください。」
「……分かりました。」
リニス相手に押し問答を続けても意味がない、と言う事だけは分かった。それに、なんとなくだが本当にすべてを把握しているのは、今回煽った連中だけなのではないか、という気もしている。
「その代わり、ちゃんと納得がいく説明をしてください。」
「それは、プレシアに言ってください。」
そこまで言って、さっさと紫苑を連れて時の庭園に転移する。
「……本当に、大丈夫かな……。」
「心配するんだったら、最初からああ言う真似をしないでよ……。」
「無理だよ。ゆうくんだって分かってたでしょ?」
「あのままだったら、フェイトちゃんは絶対壊れてたし、どうしようもなかったと思うよ。」
「……本当に、他に方法はなかったのかな……。」
済んだ事だと言うのに、しかも当事者で状況に流された一人だと言うのに、紫苑同様いまだに釈然としていないらしい優喜。
「優喜君。昨日のこと、嫌だった……?」
その様子に不安になり、思わず泣きそうな顔で問いかけるなのは。
「さすがに、そんな失礼な事は言わないよ。ただ、あんな形で事に及んで、本当に良かったのかなって。」
「ゆうくん、私達が迫ったんだから、私達の事は気にしないで。」
「って言われても、ね。と言うか、そう言われてはいそうですか、で割り切るのって、男として最低じゃないか?」
「優喜の場合、ミッドチルダだったら、訴えれば強制わいせつ罪で勝てるレベルだから、本当に気にしないでいいんだよ?」
「強制わいせつ罪が成立するケースだったんだ……。」
などと、結局感情の整理が追い付かぬまま、とりあえず紫苑が戻ってくるまでにとっとと身づくろいだけは済ませようと、風呂に向かう一同であった。
「クローン、ですか……。」
「そう。あの子は私の罪の象徴。愛娘の死を受け入れられなかった愚かな女が、己の勝手で生みだしてしまった、自然ならざる存在よ。」
「その事をフェイトさんは……。」
「もちろん、知っているわ。あの時、優喜がいなければ、私たち親子はどうなっていたか分からない。私のせいではあるのだけど、あの時のフェイトは壊れそうなほどのショックを受けていたわ。」
九年半前のジュエルシード事件。その顛末を全て包み隠さず話し終え、一つため息をつくプレシア。
「結局のところ、昨日の晩の暴挙は、あなたの存在に当てられたあの子が、クローンである事に対する不安に耐えきれなくなって、予想以上に追い詰められていた事が原因よ。」
「私は、こっちに来ない方が良かったのでしょうか……?」
「そんな事はないわ。フェイトのあの不安は、いずれどこかで暴発していたはずだもの。むしろ、こちらがあなたをダシにしてしまった事を謝らなければいけない。」
そう言って、深々と頭を下げるプレシア。全てを聞いてようやく、三人の中でひときわ優喜に依存しているように見えたフェイトの態度が理解できた紫苑。
「頭をあげてください。」
「でも……。」
「今回の事は多分、起こるべくして起こった事だと思います。それに、残念ながら、私は本来、今回の事についてどうこう言える立場ではありませんし。」
気にしていないわけではないが、文句を言う筋合いではない。そう断じて無理やりプレシアに頭をあげさせる。
「ただ、まだ気になる事はあります。」
「何でも聞いてちょうだい。」
「フェイトさんの事だけなら、別段なのはさんやすずかさんまで巻き込む必要はなかったのではありませんか?」
紫苑が一番腑に落ちないところはそこである。プレシアの立場からすれば、フェイト一人だけで事に及ばせる方が都合がいいはずである。優喜の性格上、一度抱いてしまえば、他の女には目もくれなくなるはずで、今回のやり方ではむしろ不利になるだけだろう。
「それには、別の事情が噛んでいるのよ。」
「別の事情、ですか?」
「ええ。あなたは、優喜が性欲を失っている事を知っているかしら?」
「はい。原因になった事件に、私も関わっていましたから。」
「そう。だったら、治療法についても知っているわよね?」
プレシアの言葉に一つ頷く。そこで全てを察する。
「もしかして……。」
「ええ。フェイト一人では積極性に欠けるし、人数が多い方が上手く行くと踏んだの。因みに、こちらにはその手の不妊治療薬として、強制的に勃起させる薬があるから、最低限の機能さえ生きていれば、行為に及ぶ事に不都合はないわ。」
「そんな便利な薬があるんですか……。」
向こうで手詰まりだった原因を、あっさり解決してしまったミッドチルダの超科学。もし向こうにあったとしたら、まず間違いなく紫苑がフェイトと同じ事をしていただろう。
「でも、どうして人数が多い方がうまく行くと考えたのでしょうか?」
「男と言うのは、そういうものだからよ。」
プレシアのあれで何な断言に、思わず呆れてため息をつく。多分当人達は一切後悔していなかろうが、そんな理由でフェイトに付き合わされたなのはとすずかに、どうにも哀れなものを感じてしまう。
「それに、さすがにフェイトの心の安定のためだけに、なのは達を不戦敗にするのも不本意だったから、少しでもチャンスがつながるようにしたかった、と言うのもあるわ。」
「……。」
「優喜の都合や気持ちをないがしろにしているかもしれないけど、あの子の体の治療を進めるには、強引にでも事を起こすしかなかった。それに、一年半も覚悟を決める時間をあげたのだから、多少の強引さはペナルティと言う事にさせてもらいたいところだし。」
プレシアの言い分は、ある意味においては紫苑が考えていた事だ。結局のところ、どこまで行っても、今回の事は起こるべくして起こったことであり、たまたま引き金を引いたのが紫苑であっただけなのである。
「他にも、そろそろ次の治療段階に踏み込むタイムリミットが近い可能性が高かった、という事情もあるわ。」
「根拠は?」
「近い事例がいくつかあったのよ。その事例を参考にした結果、そろそろ無理やりにでも関係を持たせる必要があり、その際一人よりも複数と関係を持った方がいい、と判断せざるを得なかった。ある意味都合がいい事に、あの子たちは肉体関係を持った上で振られる事も、十分許容するだけの精神力は持っていたし。」
「……プレシアさん。あなたは、どうしてそこまで?」
「受けた恩は、返さなければいけないからよ。私にできる恩返しは、あの子の体を治し、その過程で買うであろう怒りや恨みを全て引き受ける事だけ。それに、あの子は例の奥の手とやらが必要なら、自分の体がどうであれ、迷わず使ってしまう。だから、少しでもその時のリスクを減らすために、手段を選んではいられなかった。」
プレシアの、思いのほかに真摯な考えに、自然と頭を下げる紫苑。
「紫苑?」
「優君のために、そこまで真剣に考えてくださって、ありがとうございます。」
「……自分の娘のために、優喜を利用したのも事実よ?」
「それでも、ありがとうございます。」
そう言って頭をあげると、丁度驚きの表情を引っ込める最中のプレシアの顔が目に入る。
「それで、私からの提案なのだけど……。」
「優君の治療に、協力すればいいんですよね?」
「話が早くて助かるわ。」
「私にとっては、ある意味願ったりです。ただ、優君が……。」
「そこは申し訳ないけど、自分で何とかしてもらえないかしら。フェイト達と優喜の関係についてはよく知っていたから、こちらから横やりを入れてどうにかする事も出来たけど、あなたと優喜の関係はよく分かっていないから、口をはさむのは難しいわ。」
プレシアの言葉に一つ頷くと、考えている事を切り出す。
「それで、一度優君を向こうに連れて帰りたいのですが……。」
「それも、私が反対できるような事ではないわね。向こうに戻った結果、里心がついてしまってもしょうがない事だし。」
「ありがとうございます。」
「礼を言われるようなことではないわ。それに、その話は私だけではなく、なのはの両親にもしておいてちょうだい。」
「分かりました。」
話がまとまったところで、互いに一つため息をつく。そこで、ふと思いついた事を口にする。
「とりあえず、今回の事で、少しぐらいは意趣返しをしてもかまいませんよね?」
「駄目、とは言えないわね……。」
紫苑が初めて見せる悪巧み顔に、苦笑しながら頷いて見せるプレシア。そこまで話して、少々長話が過ぎた事に気がつく。見れば、いい加減優喜達が学校に行く時間になっている。一応長くなりそうだから、食事だけは無理やり先に済まさせておいたのだが、声をかけないと、遅刻寸前まで待ちかねない。
「あの子たちとの話は、学校が終わってからね。」
「そうですね。」
「今日は文化祭の後片付けだけらしいし、昼までには帰って来るでしょう。」
「でしたら、それまでに、先に高町さんに御挨拶をしたいのですが……。」
「だったら、十時半ごろに翠屋ね。さすがにその時間帯は割とすいているから、手を取らせてもどうにかなるはずよ。」
プレシアの提案に紫苑が同意したところで、月村家に連絡を取り、こちらの話はついたから、さっさと学校に行くようにと指示を出す。その後で、手持無沙汰な竜司を呼び出し、話し合った結果を説明する。
「さすがにまだ時間は十分にあるようだし、優喜がこちらで関わっている問題とやらを、全て教えてもらってもいいか?」
「そうね。それが分からないと、私たちがどう協力すればいいのか、見当もつかないし。」
「分かったわ。守秘義務に関わってる問題もあるから、ちょっと確認を取って、話してもいい範囲を確認してからになるし、その絡みで言えない事も出てくるけど、構わないかしら?」
「ええ。無理に、とは言いませんから。」
「だったら、朝食を用意させるから、食べながら待ってて。竜司はもう済ませたのかしら?」
「うむ。飲み物だけ頂けるとありがたい。」
こうして、悪巧みに対する仕返しは、着々と進んで行くのであった。
「優君、明日からしばらく、学校を休んで欲しいの。」
いまいち作業に集中できずに半日過ごし、帰って来てすぐに紫苑から下された判決がそれであった。
「いきなりだけど、理由は一体?」
「簡単よ。今日は、向こうでは八月三日だから、来週末ぐらいからお盆なのよ。」
「……なるほど、そういうことか。」
「ええ。だから、お墓参りのために、一度向こうに帰って欲しい。」
「……分かったよ。士郎さんと相談する。」
予想通りの回答に思わず、少々意地の悪い笑みが浮かぶ。それを見た瞬間に、どうやら優喜達は全てを悟ったようだ。
「いつの間に、翠屋に?」
「十時半ごろに、挨拶に行って来たの。ついでに、事の顛末はすべて説明して来たから。」
「「うう……。」」
どうやら、紫苑が彼女達に与える罰と言うのはそれらしい。やらかした事を考えれば軽い罰だが、正直いろんな意味でかなり痛い。
「それで、どうするの?」
「あまり長くは休みたくないんだけど、ゲートの時差は調整できないの?」
「師匠に頼めば、出来なくはないだろうな。」
「だったら、そうしようか。」
優喜の返事を聞いて、表情が不安で曇るなのは達。それを見た紫苑が、とりあえず今回の罰、その止めを加えるために三人を呼んで、ひそひそ話を始める。
「とりあえず、今回はお墓参りと向こうでの処理が終われば、優君にはちゃんとこっちに来てもらうようにするつもりだけど……。」
「「「だけど?」」」」
「もし、里心がついて向こうに残る、って言いだしたら、私はそのまま受け入れるつもりだし、その時は連絡はしないから。」
紫苑のその言葉に凍りつく。
「後、向こうで私と優君の間に何があっても、一切苦情は受け入れません。いいですね?」
止めを刺し終えて、三人の反応をじっと見つめる紫苑。この時の態度次第では追い打ちも必要かな、などと怖い事を考えているあたり、やはり彼女も女だ。
もっとも、実のところ紫苑は、見た目のイメージほど、性について固い考え方をしているわけではない。明確に振られない限りは、自身が優喜以外の男とそう言う事をするのは真っ平ごめんだが、関係者が全員納得しているのであれば、優喜を含む他の人間が複数人と関係を持つ、と言う事に対しては、実際にはそれほど否定的にはとらえていない。昨日今日会った仲だから難しかったとはいえ、今回の事も事前に相談があれば、意外とあっさり受け入れた可能性の方が高いぐらいである。結局のところ今回の事は、黙って出し抜くような真似をした揚句に、事後処理に失敗して自分に見せつけると言う態度と手癖の悪さに切れただけなのだ。
もっとも、そうでなければ、共有するのなら仲間外れにされるいわれはない、などと言う発言が出てくるはずもないので、そういう意味では意外でも何でもないのだろう。さすがに竜岡優喜のような難儀な男に惚れるだけの事はあり、紫苑も一筋縄ではいかない感性を持つ女ではある。
「……それが、優喜君の選択なら……。」
「……私達には、優喜を責める資格も、あなたに文句を言う権利もないから……。」
「紫苑さん、ゆうくんの事、お願いします……。」
三人の返事に満足そうにうなずくと、普段通りの優しい笑顔を浮かべ、最後の一言を告げる。
「こちらに戻ってきた時は、四人で優君を支えましょう。その時は、よろしくね。」
最後の台詞にあっけに取られているなのは達を放置すると、優喜の傍らに戻る。その自然な立ち回りに妙な敗北感を覚えながら、予定通りミッドチルダでの自分達の仕事を見せる事になるなのは達であった。