「来たか。すまんな、居酒屋なんぞに呼び出して。」
「それはいいけど、竜司君。優君の話って何?」
「とりあえず、飯を食いながらにしよう。」
優喜が遺跡の崩落事故にあったという連絡を受けてから四日後。琴月紫苑は、優喜の親友で同門の大男・穂神竜司に呼び出されていた。この穂神竜司、とにかくでかい。身長215センチで体重も100キロオーバー、意外と細身ではあるが筋肉質な体の上に、美形といえば美形だが、この体格ならこういう顔だろう、という男くさい厳つい顔がのっている。町であったら絶対に喧嘩を売る気が起こらないタイプだ。
ちなみにこの竜司も優喜と同じく、中学に上がる前に両親をなくしている。優喜の同門は、大体似たような境遇の子供ばかりが集まっている。話によると単純に、師匠が目に付いた子供を集めたら、そういう人間ばかりだったとのことだ。
少なくとも、この男と居酒屋はともかく、大和撫子そのものの紫苑との組み合わせは、かなり異様ではある。少なくとも、どういう関係なのかは、一般人には分からない。
「ご飯なのに、居酒屋?」
「多分、飲まんとやってられん話も出てくるからな。心配しなくても、うちの会長から割引券と飲み放題のただ券ももらってきている。」
「その手のチケットって、大体同時には使えないんだけど、大丈夫なの?」
「うちの会長はここのオーナーだ。同時に使えるのかと聞いたら、ちゃんと使えるといっていたから、大丈夫だろう。」
竜司の言う会長とは、彼がこの春正式に就職した大手酒造系飲料メーカーの会長で、どういうわけかこの大男をいたく気に入っている人物だ。バイトのころに小汚い爺としてひょっこりと顔を出してきては、休憩時間や手待ちの時間に話しかけてきた人物だ。
「とりあえず、コースと飲み放題を頼んでおいた。足りなかったらすまん。」
「あ、私はそんなに食べないから。」
少なくとも、平均的な成人女性の紫苑は、居酒屋の宴会コースなんて大概全部は食べきれない。まあ、目の前の大男は優喜と同じで、普段は非常に燃費がいいが、その気になれば際限なく食べる人種だ。ついでに言うと、食べるものを残す、という思考回路も持ち合わせていない連中でもある。
「確か、ビールは苦手といっていたな。」
「うん。アルコールはほとんど飲まないし、苦みが強いお酒にはまだなじめなくて。あ、でもワインとか日本酒なら、それなりには飲めるわ。」
「うむ。ならば日本酒二つだな。乾杯するような話でもないから、普通に飲むか。」
「そうね。」
出された酒と前菜に手をつけ、しばらくは静かに食事を楽しむ。紫苑はこういう場では浮くほど、一つ一つの仕草が上品だ。豪傑風の竜司も、意外と酒を楽しむような飲み方をしている。やがて、最初の一杯目を飲み終えたあたりで、竜司が口を開く。
「とりあえず、いい知らせと悪い知らせだ。」
「どんな……?」
「いい知らせのほうは、優喜の生存が確認された。悪い知らせのほうは正確な居場所が分からない。」
「それって、どういう……?」
竜司の矛盾する物言いに、怪訝な顔をする紫苑。生きていると分かっているのであれば、居場所も普通に分かるはずではないのか?
「そうだな、一昔前の、GPSも何も使えない携帯で、電波が断続的にしか届かない場所から、短文のメールが届いている状況だと思ってくれ。」
「え?」
「メールが届いているから、生存は確認されている。が、届く電波が微弱すぎて、位置を特定しきれない、という感じらしい。正確にはもうちょっとややこしいが、現象としてはそんなものだ。」
紫苑の顔に、理解の色が浮かんだのを見て、話を続ける竜司。
「これは師匠の話だが、優喜はどうやら、今この世界にはいないらしい。」
「え? それって、前に竜司君が飛ばされたみたいに……?」
「ああ。あの時は完全な異世界だったが、今回はいわゆる並行世界らしい。」
「あの、その違いがよく分からないんだけど……。」
紫苑の台詞に、どう説明するべきかと頭を掻く竜司。竜司自身、人に説明できるほど詳しくはないのだ。
「そうだな、異世界に関しては説明が難しいが、いうなれば地球とほかの惑星、程度の関係と考えてくれ。」
「えっと、要するに、根本的に違う環境、違う進化を遂げてる、って言う考え方でいいの?」
「まあ、そうだな。もっとも、地球上の生物が生存不能な環境というのは、意外と少ないらしいがな。俺も一箇所しか知らんのでなんとも言えん。」
「じゃあ、優君が飛ばされた、平行世界っていうのは?」
「こっちは簡単だ。基本的に俺達と同じ世界だが、辿ってきた歴史が違う。」
竜司の説明によると、あの時もしもこうだったらという可能性で分岐した、ほかの歴史をたどった世界のことだそうだ。広い意味では異世界の一種である。大きなところでは、第二次世界大戦で日本が勝利した、小さなところでは、優喜や竜司が孤児にならなかった、そういう可能性の世界だ。
「問題なのは、どうやら時間軸も動いているらしい、ということだ。」
「時間軸? ……未来に飛ばされた、とか?」
「まだ分からん。もっとも、気配からすれば、何年か過去に飛ばされた可能性が濃厚だとは言っていた。あと、それに伴って優喜の身に、何らかの変化が出ているかもしれない、とのことだ。」
「え?」
「なんにしても、今はいろいろ問題があって、憶測込みでもそれ以上は分からないようだ。」
結局、優喜が生きている、という以外には、何も分かっていないも同然の話しかなかったようだ。むしろ問題なのは、優喜の居場所を特定できるまで、どれぐらいかかるか、だろう。
「……分からないものは、しょうがないよね。」
内心のもどかしさをどうにか飲み込んだ紫苑が、目の前の大男にため息と一緒に言う。本当はため息も堪えたかったのだが、まあこれぐらいは大目に見てもらおう。
「すまんな、たいした話が出来なくて。」
「気にしないで。どちらにしても、私だったらどうやっても調べられないことだし……。」
「それは俺も同じことだ。違う世界、となるとな。」
そこで沈黙し、互いに一口、酒をすする。竜司の説明が思いのほか長かったこともあり、コースも半ばまで終わっている。飲んだ酒の量も結構なものだ。とりあえず、自分の中で話を咀嚼するため、しばらくは静かに食事を続ける紫苑であった。
「それで、一番肝心な話だけど……。」
コースがすべて終わったあたりで、ようやく聞くべき事を切り出す。紫苑の側に、この話をする覚悟が出来た、と言える。
「む?」
「優君の居場所の確定って、どれぐらいかかりそうなの?」
「……世界そのものが霊的にも荒れてるらしいからな。どんなに早く見積もっても半年後。時間軸も流されていることを考えると、一年ぐらいは見積もっておいたほうがいいだろうな。」
「……そんなに?」
この状況で、長くなるほうで竜司が嘘をつく必要はない。仮に気休めを言うなら、一ヶ月とかそのぐらいの日数を言うはずだろう。が、竜司の性格から言って、すぐに嘘と分かる気休めは言わない。
「それにな。」
「……?」
「時間軸の移動、という奴が曲者で、な。」
「もしかして、向こうでどれだけ時間が流れてるか、分からない、とか?」
竜司が静かに頷くのを見て、酔いと血の気が一気に引くのを感じる。一年、という時間も大概辛いが、向こうで優喜が何年も一人で過ごしている、というのは輪をかけて辛い。しかも、肉体に何がしかの変化がある、ということは、再び目が見えなくなる可能性もある、ということだ。
「とりあえず、優喜の心配はいらんだろう。生きてさえいれば、どうにか暮らしては行くはずだ。あの夫婦の弟子になる、というのはそういうことだからな。」
「竜司君、何でそんなに気楽なの!?」
まるで心配している様子の無い竜司に、珍しく紫苑が激昂する。目の前の大男につかみかからんばかりの勢いだ。
「気楽というか、な。あいつが簡単にどうにかなることはない、と知っているだけだ。それに……。」
「それに、何……!?」
「そういう心配は、お前の役目だと思っているからな。俺達は、同門の人間として、あいつが無事に暮らしていると信じるだけだ。」
大真面目に語った竜司に、怒りを忘れてまじまじと見てしまう。
「結局、どう転んでも俺達は、師匠が優喜を見つけるまで、何も出来ん。だからせいぜい、自分の思うとおりに、あいつのことを気にかけるだけだ。」
「……そう、ね。」
「どういう結果が出るかは分からんが、飛ばされた時点で死んでいない以上、師匠は必ず優喜を見つけ出す。だが、どういう形で見つかるかは分からん。」
そこで言葉を切ると、コップの酒を飲み干し、最後の一言を力強く言い放つ。
「場合によっては、あいつは帰ってこないかもしれん。一年で、どんな形で見つかってもいいように、心構えと準備だけはしておけ。」
「……うん。」
「それで、どうする? まだ飲むか? 飲むなら気が済むまで付き合うぞ。」
「……もう少し飲んでいこうかな。明日からの覚悟を決めるために。」
「分かった。」
「上品な見た目で、なかなかの酒豪だな。」
「うん、自分でもびっくりだった。でも、竜司君だって、まったく酔ってないでしょう?」
あの後、一人一升は確実に空けてから、居酒屋を後にした。自棄酒のような飲み方だというのに、あのあとも紫苑は上品な仕草を最後まで崩さなかったのだから、たいしたものだ。今も、足とろれつが普段に比べて少々怪しく、顔が上気して確実に酔っているのは伺えるが、それでも正体を失うどころか下品な挙動にすらなっていない。
「そういえば、酒はよく飲むのか?」
「全然。ゼミの飲み会とかコンパとか、無理やり連れてこられた事はあったけど……。」
「その様子だと、その手の連中の目論見はうまくは行かなかったようだな。」
「うん。優君と一緒に、毎回ちゃんと自分の足で帰ってたわ。」
とんだ酒豪もいたもんだ、と苦笑しながら、竜司は最後まで顔や見た目に似合わぬ紳士的な態度で、紫苑をエスコートしたのであった。
あとがきのようなもの
第一話でチラッと出した人たちをほったらかしにするのもあれなので、少し書いて見ました
実は、この大男は、最初主人公にしようかと思ってた人物だったり