「不機嫌そう? 優喜が?」
「うん。だから、フォルク、何か知らない?」
「……まあ、心当たりがないではないけど……。」
「本当に!?」
中学二年も二学期に入ったある休日。久々に学校の休みと管理局の休みが重なったその日、八神家に遊びに来ていたフェイトが、そんな事を言ってきた。聖祥は中等部から男女別で、女子部には男子部の情報がいまいち入ってこない。そんな状況で惚れた男の様子がおかしいため、二人して気が気でないのだ。
因みに、珍しくヴォルケンリッターも、全員休みがそろった。正確には、今は情勢が安定しているから、たまっている代休を出来るだけ消化してくれ、と言われて、なのは達が来る日に合わせたのだ。なお、優喜は何ぞ用事が出来たとかで、新人たちの指導と様子見も兼ねて今日は本局へ。アリサとすずかは何やら晩に出席するパーティのための下準備で、本日の集まりには参加できていない。
「その前に、本当に不機嫌なのか? たまに学校で話すけど、別段普通だぞ?」
「ぱっと見て分かるほどじゃないんだ。」
優喜の感情および表情のコントロールは、桃子と結婚するまで裏側の世界にいた士郎や、時空管理局で長きにわたって裏側の世界とやり合ってきた年寄り二人をして舌を巻くレベルだ。嬉しいとか楽しいと言った正の感情はともかく、不機嫌だのイライラしているだのと言った負の感情は、余程付き合いの深い人間がかなりしっかり観察して、ようやく分かるレベルである。しかも、その場で大体受け流して後に引きずらないようにするため、家に帰ってまで引っ張っていると言うのは、かなり珍しい状況だろう。
「なのはもそう思うのか?」
「うん。」
フォルクの質問に、迷うそぶりも見せずに頷くなのは。
「そっか。二人がそう言うんだったら、そうなんだろうなあ。」
「まず間違いないと思うよ。」
これで他人のことをよく見ているなのはとフェイトの言葉だ。間違いないと見ていいだろう。
「それで、心当たりって?」
「多分ピンとこないと思うんだが、どうやらあいつ、新任の先生と折り合いが悪いらしい。」
「「えっ?」」
フォルクの予想外にも程がある発言に、本気できょとんとしてしまうなのはとフェイト。
「その先生って、悪い人なの?」
「善人か悪人かで言えば、間違いなく善人だろうな。」
フォルクの言葉に、ますます分からなくなるなのはとフェイト。善人なのに優喜と折り合いが悪い、と言うのがどうしてもピンとこない。
「おかしなことを言っているとか、優喜の事を馬鹿にして、って言うのはないか。馬鹿にされたぐらいで不機嫌になるんだったら、強引に女装させられて怒らないわけがないし……。」
「とりあえず、基本的にその先生、間違ったことは一切言ってない。言ってる事ややってる事だけを繋げれば、全部『正しい』んだ。」
「……ごめん。私、フォルク君の言いたい事が分からないよ。」
「俺も、どう説明していいか分からない。実際のところ、あの先生がどこかおかしいって思ってるのなんて、知ってる範囲だと俺と優喜と高槻と、後は生徒会長ぐらいか? 何しろ、言ってる事は常に『正しい』し、男なんて単純だから、美人の女の先生に、優しい顔と声で『正しい』事を言われて、相手の事を思いやっているって態度を取られたら、違和感なんて感じないからな。」
説明されればされるほど、訳が分からなくなってくるなのはとフェイト。ただ、口調や文脈から、フォルクが「正しい」という言葉を、いい意味で使っているわけではないと言う事だけは分かった。
「フォル君が言うてるんって、一番難儀なタイプの『善人』ってやつの事やろ?」
「まあ、そんなところかな?」
「それは難儀な話やね。あの手の『善人』は、基本的にそこだけ見たら百パーセント正しいから異議を唱えにくいし、偽善者と違って百パーセント善意で本気で相手の事を思いやって行動しとるし、自分の中の真実と違う事は全部切って捨てるし。」
はやての言葉を聞いてもなお、何が問題なのか理解できていない様子のなのはとフェイト。フィーも良く分かっていないらしい。そのすれてない彼女達の様子に、ある意味ホッとしてしまう八神家一同。
「主はやて、それは外野がどう頑張っても、解決できない問題ではありませんか?」
「そうやね。なのはちゃんとフェイトちゃんには悪いけど、動けば動くほど逆効果や。中等部の先生は、高等部は担当せえへん。あと一年半やから、出来るだけ優喜君が溜めこまへんように、気晴らしとかに付き合うぐらいしかないで。」
「……それでいいのかな?」
「納得できへんやろうけど、その手のタイプには、外野が何か言うんは逆効果になる事が多いねん。特に、優喜君みたいに天涯孤独で、血縁的には全く赤の他人の家で育てられとって、学校では基本的に孤立してるタイプって言うのは、一般的に家庭でええ扱いを受けてない事が多いから、本人とか周りがいくら必要十分に面倒見てもらってるって主張しても、『善人』は大概聞き入れへんし。」
多分、それを分かっているから、優喜は誰にも相談しないのだろう。特別捜査官として、結構難儀な連中との対決も多かったため、断片的な情報でも事情が手に取るように分かってしまうはやてとフォルク。
「……ちょっと待って。」
「ん? どうしたん、フェイトちゃん?」
「優喜、学校で孤立してるの?」
「ああ、なのはちゃんもフェイトちゃんも知らへんのか。優喜君、基本的に学校で話しする相手って、フォル君か高槻君ぐらいやで。」
「どうして!?」
「何でって言われてもなあ。私ら、特になのはちゃんとフェイトちゃんとすずかちゃんも大きい原因の一つやしなあ。」
自分達にも原因がある、と言われて、かなりショックを受けたらしい。完全に表情が凍りつくなのはとフェイト。
「中学も二年生にもなると、男子の大部分もいっちょまえに彼女とか欲しがるわけや。そんなところに、美少女を五人も周りに侍らせとる奴がおったら、そら良くは思われへんで。」
「しかも、ユーキの場合、オメーらが勘違いしようのない種類のアプローチをかけてても、一向に反応がかわんねーしよ。」
「聖祥でもトップクラスの美少女が三人もアプローチかけてるのにスルーなんて、女顔のくせに何様だ、ってなるわけだ。」
「……そんな事言われても……。」
「……優喜君はそこら辺は治療中だし、その事が無くても、必ずしも私たちの気持ちにこたえる義務があるわけでもないし……。」
「内側におる私らはそういう事情も分かっとるけど、外野にそれを理解せえ、言うんは無理やで。」
はやての言葉に、かなり釈然としない様子のなのはとフェイト。そんな二人に、どう声をかけていいかが分からない八神家一同。何しろ、ほとんど解決の手段が無い問題だ。しかも、他にも大量に理由があり、その大半が、努力でどうにかなる問題ではない。
正直、クラスメイトが一方的に悪いわけではないのだ。実際のところ、積極的に周囲に溶け込む気のない優喜も悪いのである。困ってるクラスメイトをさりげなく手伝ったり助けたりはしているらしいが、そこから友人関係に発展させようとする意思がまったくない、とは高槻君の言葉だ。
「まあ、言うたら優喜君は異物やねん。今まではなのはちゃんらとおったから目立たんかったけど、やっぱり単独やと、すごい異質さが目立つで。」
「フォルクはどうにかできないの?」
「無理。そもそも学年が違うから、手の出しようがない。」
「……結局、また私たちは何もできないのかな……。」
学校と言う閉鎖空間で起こる問題。その難しさに打ちのめされ、微妙に涙声になりながらつぶやくフェイト。その言葉に対して、意外な人物が反応した。
「……そんなことない。」
「……えっ?」
「……なのはもフェイトもいなかったら、いくら優喜でもまともなままではいられないはず……。」
「……そうなのかな?」
「……うん。優喜だって、誰とも関わらずに生きていけるほど強くはないから……。」
リィンフォースの、どこかたどたどしい言葉に顔をあげると、頭を優しく抱き寄せられる。
「……なのは、フェイト。もう少し、自信を持っていい。二人は、優喜がここにいる理由だから……。」
「……本当に?」
「……どういう位置付けかまでは分からないけど、優喜にとって、なのはもフェイトも、決して軽い存在じゃないから……。」
たどたどしくも、一生懸命なのはとフェイトを励ますリィンフォース。修理中に何度も軟気功を受けているうちに、彼が誰をどの程度大事にしているのかをなんとなく察してしまった彼女。なのは達が優喜の事について自信なさげにしているたびに、どうにかしてこの事を伝えたいと願っていた。今回、その思いをかなえる機会が来たので、柄にもなく頑張って前に出ているのだ。
「……そもそも、優喜が私を治したのも、管理局の事情に首を突っ込んでるのも、究極的には、なのはとフェイトと主はやてのためだし……。」
「せやな。優喜君の性格からしたら、本音を言うたら管理局なんかどうでもええやろうし。」
そもそも、軽い存在だったら、二人が密輸組織相手にレイプされかかった事で、あそこまで本気で怒ることなど無かっただろう。後にも先にも、優喜が本気で怒ったところなど、あの時以外はない。もっとも、もし今すずかがハンターに命を狙われて、わざわざなぶるようなやり方で痛めつけられたとしたら、同じように激怒して徹底的に報復するのも間違いないが。
「まあ、そんなわけだから、あいつが見て分かるほどいらいらし始めたら、その時は二人の出番だ。」
「……うん、分かった。」
「その時は、いっぱい頑張るよ。」
「話もまとまったし、そろそろセッション始めよか。」
そう言って、用意してあったマスタースクリーンなどを準備していくはやて。今日はクトゥルフの呼び声の予定だ。SAN値と言う単語を生み出した、狂うまでの過程を楽しむゲームである。因みに、ゲームマスターの語りの力量が問われるゲームの一つでもあるが、はやてはこの辺が実にうまく、また意外な事にリィンフォースのぽつぽつとした喋り方が、妙な臨場感を盛り上げて、たどたどしい割にかなり怖いと評判だったりする。
「今度こそ、最後まで正気を保って見せます!」
「なまじ正気を保ったままって言うのも、結構怖いんだけどなあ……。」
シャマルの意気込みに、ぽそっと突っ込みを入れるなのは。今日は比較的大人数のセッションだが、そこをさばくのもマスターの腕である。
「ああ! フィーのSAN値がゼロになったのです!!」
「これで最後、ってまた一点足りない!?」
「やはり、それでこそシャマルだ。」
「うるさいわよ、シグナム! あなただって眷属になってるくせに!」
などとにぎやかにゲームが進み、セッションが終わってみると、圧倒的なダイス目を見せたなのはと、残り一点から驚異の粘りを見せたフェイト以外は、全員見事に発狂したり眷属になったりして終わったのであった。
「優喜君。」
「ごめん、待たせた。」
「そんなに待ってないよ。」
八神家でのセッションの三日後。管理局に新しい設備で作ったスケープドール試作品を届けるとのことで、仕事のあるなのは達と待ち合わせして、学校から直行する事にしたのだ。言うまでもなく、試作品はこっそり持ちこんであるブレイブソウルの格納スペースの中だ。
「ほな、さっさと行こか。ここ、すごい居心地悪いし。」
「そうだね。なんだか、ものすごく視線が集まってるよ。」
フェイトの言葉に苦笑するはやて。裏でひそかに流れている聖祥の美少女ランキング、その堂々の一位である彼女が男子部で出待ちなどをしていれば、注目を集めて当然である。因みに余談ながら、二位はすずかが僅差でアリサを抑え、なのはははやてをそこそこ引き離して四位である。もっとも、借金返済との兼ね合いもあり、美容周りを普通の女子中学生程度にしか気を使っていないはやてと、最高級のエステだのなんだのを公費でやっている上、惚れた男を振り向かせるために一生懸命ななのはとでは、素材が同等レベルなら勝負にもならないのも仕方がない。
なお、特に美容周りに気を使っていない優喜が、「美少女ランキング番外編」ですずかと同率二位だった事は、ランキングの存在を知っているアリサとはやてを地味にへこませていたりするのはここだけの話だ。
「あれ?」
「どうしたの、なのは?」
「優喜君、ボタン取れかかってるよ。」
「ん? ああ、これか。昼休みに先生の手伝いをした時に、ちょっと引っ掛けたんだ。」
良く見ると、カッターシャツが少し汚れている。どうやら、探し物か何かをしたらしい。優喜が普通の人間なら、場合によっては喧嘩か何かを疑うところだが、初等部からの持ちあがりも結構いる以上、彼に暴力を振るうような無謀な人間はいないだろう。
「とりあえず、着替えは持ってきてるから、向こうで直そう。」
「ん~、それまでにとれちゃいそうだから、ここで直すよ。」
そう言って、裁縫道具を鞄から取り出すなのは。意外かもしれないが、メンバーの中で一番家庭的なのは、実はなのはである。フェイトもはやてもすずかも、裁縫が苦手なわけではないが、さすがに着ている服を脱がさずに繕いものをするほどの腕はない。掃除もいろいろな小技に詳しく、一番手際よく片付けていたりする。ここらへん、油断すると整理整頓がおろそかになりがちなフェイトとは、上手い具合に棲み分けができていたりする。
とはいえ、なのはは自分の部屋は綺麗に整理整頓をするが、少々乱れていたり片付けが出来ていなかったりするぐらいでは、わざわざ小言を言ったりしない性格なので、掃除が好きな人間にありがちな、潔癖症的な言動で他人と軋轢を起こす事はない。
「なのはちゃん、ここでやるんはまずいって。」
「どうして?」
「前に言うたこと、忘れたん?」
「……あっ。」
割と普段からやっている事だったため、よく知らない人間が見たらどう思うのか、という視点がすっかり抜けていた。
「まあ、そういうわけやから、向こうで直そうか。」
「だね。とりあえず、ボタンは今外して、ポケットにでも入れておくよ。」
なのはから糸きりバサミを借りて、取れかけたボタンを外す。引きちぎったりしたら生地が傷むので、とりあえず丁寧に済ませる。幸い、引っ掛けたのはボタンだけらしく、布地は大してダメージを受けていないようだ。
「じゃあ、行こうか。いい加減、俺もこの視線は辛くなってきた。」
見ようによっては、自分一人が美少女を侍らせているように見えなくもないフォルクが、割とげんなりしながらそう漏らす。その言葉に、思わず吹き出しながら頷く一同。その時
「竜岡君、御時間よろしいですか?」
一人の女性教諭が声をかけてくる。まだ若い、上で見積もっても三十路には届いていない教師だ。にじみ出る雰囲気が修行僧だとか聖職者とか、そう言った人種のそれを思わせる。よく言えば清廉潔白、悪く言えば融通が利かない、と言うタイプの雰囲気だ。
その姿を見たフォルクが微妙に身構え、優喜の雰囲気に、慣れたものにだけ分かる程度の不機嫌さがにじみ出る。どうにも、優喜にしては珍しく、相当彼女を嫌っているらしい。
「構いませんが、待ち合わせがあるので、手短にお願いします」
「すぐに終わります。が、その前に。」
視線をなのは達に向ける。
「あなたたちは女子部の生徒でしょう? 寄り道せずに、早く帰りなさい。」
「この後の竜岡君の待ち合わせ、私らも関係があるので、下校中に打ち合わせをする予定やったんです。」
「寄り道は寄り道です。そんなことは、帰ってからやりなさい。」
雰囲気から察していたとおり、やはり融通と言うものはあまりきかないタイプのようだ。確かに寄り道と言われれば寄り道だが、女子部と男子部の校舎の入り口は、五分も離れていない。普通は、そこまで杓子定規に考えるようなことではないだろう。
(……前に言ってたこと、よく分かったよ……。)
(多分、これは序の口やで。)
話が進まないと踏んで、帰る振りをしながら少し距離をとり、念話でそんなことをゴチョゴチョやっていると、優喜たちのほうで話が進む。
「貴方の辞書がひどく傷んでいたのが気になったので、こちらで新しい辞書を用意しておきました。これを使ってください。」
そんな発言とともに、教師が手に持った英語の辞書を差し出す。
「お気づかいは感謝しますが、僕は今使っている辞書が使いやすいので、新しい辞書は必要ありません。」
出来るだけ言葉にとげがにじまないように苦労しながら、可能な限りやんわりと断ろうとする。優喜の辞書は、彼自身が選んで調達したものだ。傷んでいるのは、初等部の頃から使い込んでいるからにすぎない。だが、目の前の教師は、違う風に取ったようだ。
「遠慮する必要はありませんよ。」
その言葉に、思わずカチンと来るなのはとフェイト。言葉だけならおかしなところはないが、教師の表情は聞き分けの無い子供を見ているような、見当違いの慈愛に満ちたそれである。明らかに、優喜の言葉を聞いていない、もしくは信用していないのが分かる。
(やっぱりああいうタイプかあ……。)
疲れたように、念話でそう漏らすはやて。この教師は間違いなく善人だ。間違いなく優喜のことを深く思いやって行動している。ただしそこには、自分の行為が大きなお世話かも、と言う思考は無い。場合によっては自身の言動が相手を侮辱していることになる、という認識も、そのことに対する配慮も欠けている。
彼女の行動は、今回に限っては著しく見当違いで、しかもある意味、優喜の養い親である高町夫妻を侮辱していることになる。そもそも、拾って養っている孤児を、聖祥のような学費のかかる学校に通わせているのだ。辞書の一つや二つ、わざわざ古くて傷んだものを渡すわけが無い。しかも、優喜のそれは、使い込まれているためくたびれてきてはいるが、傷んでいるとまではいえないものだ。そんな、少し観察して考えれば分かるようなことを、赤の他人に養われている天涯孤独の身の上、と言う思い込みで無視して行動している。
なのは達の年代だと、年相応の観察力では気が付かないところだろう。何しろ、倫理道徳的に、間違った行動ではない。しかも、格好をつけた偽善ではなく、百%善意と思いやりによる行動だ。あくまで相手の感情に対する配慮が見当違いである、と言うだけで、責められるような行いではないのである。それがまた、厄介なところだ。
ただこれだけのやり取りで、なのはもフェイトもそこまで感じ取ってしまったらしい。特にフェイトは、常日頃から支援している子供達のために、何をすべきか悩んでいる身の上だ。それゆえに、こういう一方的な善意には、下手をすれば優喜以上に神経を逆撫でされているのかもしれない。
(あれはないよ……。)
遠巻きにやり取りを観察していたなのはが、悲しそうにそう漏らす。確かに彼のような境遇の人間は、養ってもらっている相手と上手くいっていないケースが多い。そうでなくとも、思春期で大人と衝突することが多い時期だ。なのは自身、妙にいらいらして士郎や桃子、プレシアなどと無意味に衝突した事も結構ある。だが、全員が全員、その類型パターンにはまるわけではないのも事実だ。
(悪い人ではないんだろうけど、まともな意思疎通はあきらめた方がよさそうなタイプなんだよな。)
(あの先生から見れば私達、養ってやってるって態度で優喜君をいじめてるように見えるのかな?)
(さあ、そこまでは分からへん。ただ、もし女子部の先生やったら、うちの環境はいろいろ言われるんは間違いあらへん。)
ひそひそと念話で話をしているうちに、向こうの話も終わったようだ。最後まで聞き分けのない子供が無理して突っ張っているのをたしなめる、という態度を崩さぬまま、意地を張る子供を見守るのも務め、と言う感じで、彼女は辞書を押し付けるのをあきらめた。
「お疲れさん。」
「本当に疲れるよ……。」
「地獄への道は善意で出来てる、言うのは誰の言葉やったかなあ。ほんまに上手い表現やと思うで。」
しみじみつぶやいたはやての言葉に、思わず同意するように頷くなのはとフェイト。正直、あの先生が女子部にいなくて良かった、とすら思ってしまう。もしいたら、はやてに対する態度が我慢できなくなって、無駄に相手と衝突する羽目になっていただろう。
「優喜君、どうするの?」
「どうもしない、と言うかどうにもできないよ。向こうは間違った事は何も言ってないんだから、第三者から見ればこっちが悪者にしかならない。それに、折り合いが悪いから先生を変えてくれ、なんていいだしたら、士郎さん達がただのモンスターペアレントにされるだけだ。」
「そうだよな。そういう相手とも上手くやっていく方法ってのも、学校で学ばなきゃいけない、って言われて終わりだろうな。」
「そういう事。」
優喜とフォルクの言葉に、いまいち釈然としない物を感じるなのはとフェイト。とはいえ、図らずも優喜が不機嫌を引きずる原因については、心底納得できた。あの調子で、実質的に士郎や桃子を非難するような事を言われ続ければ、いかな優喜といえどもイライラするだろう。しかも、庇えば同情されて、却って二人を悪く言う羽目になると来ればなおさらだ。
「とりあえず、あと一年半の我慢だし、あれは石ころか何かだと思っておく事にするよ。」
「優喜君も、大概ひどいなあ……。」
「そうとでも思わないと、やってられないよ。」
人間、自分の事を悪く言われるのは結構我慢できても、恩人を悪く言われるのは案外耐えられない物だ。特に、優喜のようなタイプならなおさらだろう。
「さて、余計な時間を食ったし、さっさと向こうに行こうか。」
優喜の言葉に頷くと、とりあえずさっさと気分を入れ替えて転移に入るなのは達であった。
そうこうしているうちに体育祭も過ぎ、文化祭の時期に入ったある日の事。
「優喜君のところは、どんな事をやるの?」
「うちは展示発表かな?」
「私たちは合唱になったよ。なのはのところは劇だっけ?」
「うん。アリサちゃんとはやてちゃんのクラスは展示発表で、すずかちゃんは映像展示って言ってた。」
聖祥は、中等部は学芸会の発展系とも言える、保護者なども呼んでの展示や舞台発表を行い、高等部からは模擬店が主体の一般的な文化祭を行う。中等部までは部活での展示などもやらないため、どちらかと言うと地味で真面目な、アカデミックな内容になっている。体育祭と並んで、男子部と女子部が自由に行き来できる数少ない機会だ。
「そういえば、もし中等部から男女が分かれてなかったら、また優喜君がヒロインをやってたのかな?」
「思い出させないでよ、そういう黒歴史は……。」
「凄かったよね。なのはとかすずかとか、ヒロイン出来そうな子はいっぱいいたのに、満場一致で優喜が選ばれたし。」
「あの時は、終わってからものすごくへこんだよ。誰一人、僕が男だと思いもしなかったのが特に。」
優喜の言葉に苦笑するなのはとフェイト。やけに真に迫ったヒロインの演技に、当時すでに恋心を自覚していたフェイトやすずかですら、優喜が本当に男かどうかを疑ったものである。来客が全員女だと思ったのも無理からぬことだろう。
ちょっと前に指摘されるまで、本人は全く気が付いていなかった事だが、優喜の場合、時折細かい仕草がひどく女らしいのも、性別を間違えさせる原因だ。そのため、髪もかなり短く切り、目立たないなりにのど仏も出ていて、身長がそろそろ百七十センチを超えそうだと言うのに、いまだに初対面で男と思われる確率が一割を切る。元の体の頃からそうだったために、もはや当人は完全にあきらめているとはいえ、へこむものはへこむらしい。
一度指摘されて気をつけていた事もあったようだが、そもそもどういう仕草が女性的に見えているのか、と言う事が分かっていないため、まったく意味が無かったりする。因みに、女性的な仕草の原因は、かつての同居人である紫苑とその母親である。下品にうつる所作と言うものを徹底的に矯正された結果、上品だがどことなく女性的で妙になまめかしい仕草、というものがやけに板についてしまったのだ。さすがにいろいろまずいと思って修正しようとはしたらしいのだが、そこはあくまで教えたのが女性である。完璧な修正はついぞ出来なかった。
「それはそれとして、二人とも、仕事の方は大丈夫なの?」
「毎年の事だから、ちゃんと上手く調整はしてくれてるよ。」
「それに、私達以外にも、習い事とかで途中で抜ける子は結構いるし、そんなに顰蹙を買ってる訳じゃない。」
「そっか。」
なんだかんだと言って、三人とも結構忙しい。なのは達は自分達の新曲やライブコンサートの練習と、その合間をぬってのテレビ出演や緊急出動、そこに進級と同時に配属された広報部の新人の教育が加わっているのだ。優喜は優喜で、二人を手伝って新人教育をし、そろそろ本格採用になりつつあるスケープドールの量産を行い、さらにはオーダーメイド品や一般販売の分のアクセサリを毎日大量に作ると言う、遊ぶ時間がなかなか作れない生活を送っている。
スケープドール作りの方は専用の設備を作った事もあり、すずかやファリンなどが手伝ってはくれているのだが、アクセサリ関係はまだまだ大量生産に踏み切るかどうかは検討段階だ。なのは達も空き時間を見つけては、ちょっとした作業を手伝ってはいるが、それでも予想より売れているという、喜ぶべきか否か分からない状況に追われているのは変わらない。最近では三人の手助けのために、すずかとファリンは習い事や用事のない日は高町家に入り浸っている。
「あっ……。」
「どうしたの?」
「スケープドール用の塩が足りないから、ちょっと買ってくる。」
「ん、行ってらっしゃい。」
スケープドールの生地を作る際に、浄化のために使う塩。いつも十キロ単位で用意してあったのだが、最近は消費が激しく、予想より減っていたのだ。
因みに、現在のスケープドールの作り方は、特定の材料を配合した生地をこね、専用の付与窯でパン生地の発酵のごとくエンチャントして熟成させ、熟成が終わったものを人型に成型して、これまたパン焼き窯のような付与設備で最終付与を行うと言う工程を踏んでいる。どちらも小学生当時の優喜の技量では作れなかった設備で、店を持つのを機に思い切って頑張って付与したものだ。
なお、塩以外の原料はすべて時の庭園の農作物でまかなう事が出来るため、現在は材料コストは非常に安い。また、こねる工程と人型に成型する工程は特別な処理をしているわけではないので、基本的に機械や簡単な型抜きを使ってやっている。どうしても量が足りない時は、人の手で一生懸命材料をこねまわす羽目になるのだが。
「ついでだから、これも買って行くかな?」
スーパーみくにや。目当ての塩を二キロほどかごに入れた後、なんとなく目に入ったスナック菓子を一パック手に取る。普段はめったにこの手の物を口にしない優喜だが、たまに無性に食べたくなる事があるのだ。塩を二キロ程度しか買わない理由は簡単で、大した値段ではないとはいえ、ミッドチルダで売りさばくものの材料を、あまり日本で調達したくないからである。言うまでもなく、コスト以外にもいろいろと細かい理由はあるが、ここでは詳細は省く。
「ん?」
支払いを済ませてさあ帰るか、と言う段になって、無駄に性能のいい優喜の耳は、拾わなくてもいい声を拾ってしまう。裏路地の方で、男が数人と女が一人、何やらもめているらしい。声の感じから言って、男は声変わりが終わったころあいで、女の方は自分達と同年代か、一つほど下だろう。
「ちょっと、離してください!」
「ぶつかってきておいて、こっちが悪いってか!?」
どうにも判断しかねる状況だ。ガラが悪い、と言うほどではない男子学生が四人と、予想通り優喜達より一つ下ぐらいの、それなりに可愛い女の子が揉めている。これが、あからさまにどちらかの方がガラが悪ければ分かりやすいのだが、どちらも普通のカテゴリーでくくれる雰囲気である。
「ちょっといいかな?」
「なんだよ!?」
「なんですか!?」
「状況が良く分からないけど、とりあえずどっちもちょっと落ち着こう。声が通りまで響いてるよ。」
突如割り込んできた優喜に水を差された形になり、とりあえず双方鎮静化する。こういう場合、部外者が割り込んでくると余計にヒートアップして話がこじれるか、水を差されて素に戻るかのどちらかになりがちだが、今回は素に戻ったらしい。声をかけてきたのが長身でアルトボイスの、クールなかっこいい美少女だったからかもしれない。
「で、何があってもめてたの?」
「ん? ああ。こいつがいきなりぶつかってきて……。」
どうやら、みくにやに寄り道をしていた男子一同は、ぶつかられた拍子に買い食いしていたパンを落とし、しかも思いっきり踏みつぶされたらしい。店の前でもめるのは悪いと思い、裏路地に移動して弁償しろしないをやっているうちに、お互いにヒートアップしてしまったようだ。
「駄目にされたのは一人だけ?」
「ああ。俺の分だけ。」
「パンを落とす程ってことは、結構な勢いでぶつかったみたいだけど、君はどうしてそんなに急いでたの?」
「変質者に追いかけられてたんです。最近、変な手紙とか写真とか送りつけられてて、ずっと変な視線を感じてて、自意識過剰かなって思って振り向いたらそいつがいて、もしかしてって思って走ったら追いかけてきて……。」
「変質者、ねえ。」
先ほどからこちらをうかがっている視線があるが、それの事だろうか。そう思ってこっそり相手にばれないように位置を変え、少女に聞いてみる。
「変質者って、あれ?」
「はい。」
「確かに変質者っぽいね。」
「あれに追いかけられてたんだったら、逃げるわな……。」
優喜が示した先には、小太りのおかしな雰囲気を振りまいている男が。顔立ちや格好はこれと言っておかしなところはないのだが、とにかく近づきたくない種類の気味の悪い雰囲気を醸し出している。さすがにそれだけで通報するのは無理だが、生理的に受け入れないという暴言を吐いても、ほとんどの人が納得するタイプだ。
「でも、それとパンを弁償するしないとは別問題だよ?」
「分かってます! 後で弁償するつもりだったんですよ! 本当です!!」
「声が大きいって。」
「あ、ごめんなさい。」
「まあ、こっちはそれでいいとして、そっちの四人。」
理由を知って、つるしあげた事に少々バツの悪さを覚えているらしい彼らに、苦笑しながら声をかける。
「言わなくても分かってるっぽいけど、さすがに全員で囲むのはよろしくないよ。」
「悪い……。」
「まあ、ここは喧嘩両成敗ってことで、パン代だけ処理したら、お互い水に流そう、ね?」
優喜の言葉に、双方素直に頷く。その場でお金のやり取りを済ませた後、パンを駄目にされた男子が恐る恐る聞いてくる。
「それで、あれどうするんだ? ストーカーって、一応犯罪だよな?」
「まあ、あれに関しては考えてるから。」
そう言って士郎に電話をかけ、続いて知り合いの警官、リスティ・槙原にも連絡を取る。
「とりあえず、動かぬ証拠ってやつを押さえなきゃいけないから、悪いけどもう少し囮になってくれないかな?」
「……大丈夫なんですか?」
「そこは信じてもらうしかないよ。知り合いの警察関係者には連絡を取ったし、ざっと打ち合わせはしたからさ。」
「……分かりました。」
「そっちも、この後特に用事とかないんだったら、手伝ってみない? 危ない事は僕とか警察の人が全部担当するから。」
優喜の言葉に仲間内で相談し、了解の返事を返す男子達。この後、全員で変質者を釣り上げて追いつめ、動かぬ証拠を押さえて警察に突き出す事に成功し、すっかり意気投合するのであった。
「帰ってくるのが遅いと思ったら、優喜ってばそんな危ない事してたんだよ?」
「危ない事って言うのは今更のような気がするんだけど、気のせいかしら?」
「そうやなあ。なのはちゃんもフェイトちゃんも優喜君も、アベレージ二百メートルの大物狩りとかやっとるわけやし、今更変質者ぐらいではなあ。」
「私たちが怒ってるのは、そこじゃないよ。優喜君、私達に何の連絡もくれなかったんだよ?」
なのはとフェイトの怒りのポイントを理解したはやてとアリサが、思わず苦笑を洩らす。すずかも同じ理由でちょっぴり不機嫌なようだ。
「と言う事らしいけど、優喜君、何ぞ言い訳とかあるん?」
「言い訳って言うか、向こうならともかく、こっちでなのはとフェイトを変質者狩りに誘ってどうするのさ。」
「そらまあ、そうやろうなあ。」
「普通、当事者でもない女の子を、そんな事には誘わないわね。」
「おねーちゃんは参加してたんだよ?」
「美由希さんは例外でええやん。」
間違っても普通に分類できない女性の名前に、ついつい噴き出しながら反論するはやて。
「美由希さんが例外だったら、私だって変質者ぐらいは大丈夫なのに。」
「すずかちゃん、それは何ぼ何でも無茶やで。」
「そうそう。なのは達でも駄目なんだから、すずかはもっとまずいじゃない。」
とまあ、昨日の今日でいろいろ不機嫌な三人をなだめつつ、えっちらおっちら登校する一同。こういうとき、フォルクは口をはさまない。口をはさんでも無駄だからだ。
そろそろ男子部と女子部で分かれる頃合いになった時、優喜にとっては見覚えのある、他の人間にとっては見知らぬ女子生徒が現れる。名札の色からすると、どうやら一年生らしい。
「竜岡先輩! 昨日はありがとうございました!」
「どういたしまして。無事に解決して良かったよ。」
このやり取りで、彼女が何者かを理解する一同。なのは達には及ばないものの、笑顔が魅力的な、それなりに可愛らしい少女だ。自分達が言いだす筋合いではないとはいえ、さすがにそれなり以上の危機感を覚えるなのは達三人。もしかして修羅場か、と微妙に期待するアリサとはやて。
「それで、竜岡先輩にお願いがあるんですが、いいですか?」
「なんか、嫌な予感しかしないけど、何?」
「あの、先輩の事、お姉さまって呼んでいいですか!?」
後輩の爆弾発言に、なのは達はおろか、微妙に遠巻きに見ていたギャラリーにまで衝撃が走る。
「え? ちょっと、待って? 僕が男だってこと、知ってるよね?」
「はい!ですが、優喜お姉さまはお姉さまです! お姉さまに性別は関係ありません!!」
「いやちょっと待て! その理屈はおかしい!!」
珍しく押され気味の優喜に、どう声をかけていいか分からず、とりあえず我関せずを決め込むフォルク。あまりの衝撃に完全に凍りつくなのは達三人に、笑いをこらえるのに必死のはやてとアリサ。
「優喜君……。」
「優喜……。」
「ゆうくん……。」
「「「百合っぽいのは駄目だと思うんだ!」」」
「僕が悪いの!?」
どんどんグダグダになっていく状況に、いい加減笑いをこらえきれなくなったアリサが噴き出す。そこにとどめをさすように、笑いのにじんだ声ではやてが余計な事を言う。因みに、百合と言う単語を彼女達に教えたのは、言うまでもなくはやてだ。
「な、なあ、アリサちゃん。」
「な、なによ?」
「なんか、ものすごく説得力のない言葉を聞いた気がするんやけど、どう思う? 主になのはちゃんとフェイトちゃん。」
「たまに女同士で夜のプロレスごっこをキャッキャうふふやってるって噂が真実なら、全く説得力はないわよね。」
「「そこ! たまに人を生贄にするくせに、事実無根のうわさを広げない!!」」
当事者を置き去りにして内輪もめを始めたなのは達を放置し、すずかが恐る恐る声をかける。因みに生贄にすると言うのは、すずかが発情期をこじらせたとき、彼女の性欲がおさまるまで、なのはとフェイトを人身御供にする事を指す。その状態のすずかはタチとネコ両方をこなす上に結構なテクニシャンなので、アリサとはやては、どうせ上手く行ったら一生一緒に過ごすのだからと二人を生贄にして、自分が汚される事を回避しているのである。
「えっと、お姉さまって、恋人とかじゃなくていいの?」
「はい! 私にとって優喜お姉さまは、恋人とかよりもっと崇高な存在です!」
「ですって、優喜。」
「なんだろう、このわき上がる後悔は……。」
「あきらめて頑張りや、お姉さま。」
この後教室で、無謀な事をしたという理由で例の教師に絞られた揚句、自分が言ったわけではないのに「お姉さま」呼ばわりについてこんこんと説教を受けると言う理不尽な目にあわされる優喜。その上お姉さまという称号は瞬く間に学校中に広まり、竜岡優喜の憂鬱は一年半で済まなくなるのであった。