優喜がなのはのクラスメイトになってからしばらくしたある日。その日の高町家の夕食は、危機的状況から始まった。
「かーさん、大丈夫?」
「ええ。大丈夫。」
高町家の食の守護神が、足をひねって重度の捻挫を起こしてしまったのだ。幸い骨に異常はなく、捻挫そのものは、優喜が軟気孔であらかた直したのだが、さすがに足にダメージがある状態で、料理などという負担のかかる作業をさせるわけにはいかない。
「とりあえず桃子さん、明日は休んだほうがいいと思う。もちろん家事は絶対禁止。」
「やっぱりそうかしら……。」
「とりあえず、今日の晩飯と、明日一日の食事が問題だな。」
士郎がうなりながら言う。士郎の場合、作れなくはないが、レパートリーが派手に偏っているのだ。特に、弁当向けの料理となると、手持ちのレシピでは壊滅だ。翠屋で出すようなメニューは店で出せる程度の味に仕上げるが、それ以外の料理は出来ないも同然で、弁当となると、サンドイッチぐらいしか無理である。
「えっと、私が作るってのは……。」
「「「「却下。」」」」
美由希の提案は、その場にいた人間全員から同時に却下される。美由希の料理は、優喜の強靭な胃袋と鋭い割には悪食な味覚をもってしてなお、食べたら死ぬと言わしめた殺人料理だ。それ自体は毒物ではないのだが、とにかく味付けが独創的過ぎる上に、食材の組み合わせがとことん間違っており、死ぬほどまずいだけでなく、死ぬほど胃にもたれるのだ。言ってしまえば、毒物ではない、というだけである。
ちなみに、高町一家でまともに料理が出来る最後の一人は、本日は恋人の家にお泊りだ。いろいろ想像できることはあるだろうが、そこは突っ込まないのがマナーであろう。ちなみに、その恭也のレパートリーは、士郎と大した差はなく、味は数段落ちる。
「今日は俺が作るとして、朝は……、時間がないから味噌汁と米と卵焼きだけになるけど、かまわないか?」
「うん。」
「しょうがないよ、かーさん怪我してるし。」
士郎の言葉に、なのはと美由希がOKする。ぶっちゃけ、一日ぐらいは食事が貧しくても、文句を言うような人間は高町家にはいない。
「しかし恭也の奴、いいタイミングで忍さんのところにお泊りか。」
「一人分負担が減って良かったと考えるべきか、うちが大変なときに一人だけ彼女さんといちゃいちゃしてって文句を言うべきか……。」
士郎と美由希の、あまりよろしくない感情のにじんだ会話に苦笑しつつ、優喜が手を上げて提案する。
「あの、僕が作るってのは、拙いかな?」
「ああ、そういえば、優喜も料理は出来るんだったか?」
「うん。多分、士郎さんの専門外と比較すれば出来る方、ってレベルだけど。」
「優って、本当にいろいろ出来るよね。」
「私、自分の不器用さに涙が出そうです……。」
自分の芸のなさにため息をつく高町姉妹。その様子に苦笑するしかない優喜。
「出来ないことも結構あるよ。たとえば、音楽関係は結構壊滅だったし、ファッションは顔がこれで男物をあきらめたせいで、自分でも分かるほどセンス絶無だし。」
おおよそ一人で生きていくうえでは、大して問題にならないスキルが壊滅的な優喜。要するに、彼はとことんまで実用本位なのだ。
「で、どんな料理を作るんだ?」
「ゴボウとチンゲンサイと豚肉の細切れがあるから、キンピラゴボウと菜っ葉の煮物にお味噌汁かな。あ、おからもあるから、うの花も作るか。」
冷蔵庫の中身を確認して、ざっとメニューを決める。ゴボウとチンゲンサイは、お使いを頼まれた時に、商店街の八百屋さんでサービスしてもらったものだ。豆腐屋さんで豆腐を買った時に、おからと薄揚げもサービスでもらっている。
高町家に居候になってから日が浅いというのに、優喜は結構商店街で顔が利く。士郎と桃子からプロフィールが流れていることに加え、食材に対しての結構な目利きの技を見せたこともあってか、やたらと商店街の皆様に気に入られてしまったのだ。そのため、優喜かなのはがお使いをすると、大体結構な量おまけしてもらうことになる。
「ほほう。お手並み拝見と行くか。」
「まあ、あんまり期待しないでね。後、うの花は時間がかかるから、結構待ってもらうことになるけど、構わないよね?」
といって、踏み台を用意して、妙に手馴れた様子で調理を始める優喜。包丁の使い方も材料の下ごしらえも、まったく問題なく進めていく。
「慣れてるな。」
「お世話になってた家で、無理言って大分練習させてもらったから。まあ、結局最後まで奥さんにも娘さんにも敵わなかったけど。」
うの花をかき混ぜながら、苦笑気味に答える。ちなみに、うの花は優喜の一番の得意料理だ。理由は簡単。豆腐屋さえあれば材料が安く手に入り、腹もちがよく量も稼ぎやすいからである。使うおからは、もらった量の三分の一程度にとどめる。でないと、高町家ですら、三日は食べられる分量になる。
「そりゃお前、年頃の娘さんの沽券とか主婦の意地とかにかかわる話だから、優喜に負けるわけにはいかんだろう。」
「まあ、ね。」
主婦の意地の方はともかく、年頃の娘の沽券というやつにはかかわりそうな人物が高町家に居るわけだが、そこはあえて誰も触れない。ちなみにその沽券にかかわりそうな美由希は、すでになのはにすら腕前では抜かれている。
「また、キンピラをえらい量作るんだな。」
一時間ほどかけてうの花を作り終え、チンゲンサイと豚肉の細切れをぐつぐつ煮込みながら、きんぴらごぼうの下ごしらえをする優喜に、士郎が突っ込む。
「明日のお弁当にも使うつもりだし。」
手慣れた主婦のような発想に、思わず苦笑する高町夫妻。いくら中身が二十歳とはいえ、見た目が小学生の子供にそこまでやられて、もはや再起不能の美由希。
「ほい、きんぴら完成。あとは味噌汁だね。」
「ようやくか。さすがに腹が減ってきたぞ。」
「ごめんごめん。」
味噌汁を作っている間にキンピラとうの花を器に盛り、煮物を取り分けて行く。
「ご飯出来たよ。」
「ご苦労様。」
テーブルに並んだのは、これでもかというぐらいに和風。肉気が少なく揚げものの類が存在していないという、量が多めであることを横に置いておけば、実にヘルシーなメニューである。ちなみに味噌汁の具はワカメと麩である。
「うう……、実際に見せられるとへこむなあ……。」
地味ではあるが、意外と手間のかかる料理を出されて、本格的にへこむ美由希。ヘルシーメニューのため、主菜がないのが気になるといえば気になるが、分量も使っている食材も多いのでまあ、問題はないだろう。
「ちゃんと味見したから味付けは大丈夫だと思うけど、口に合わなかったらごめんね。」
「余程でない限りは、出されたものに文句を言うやつはこの家にはいないさ。」
士郎の言葉に、目の前の料理に興味津々の様子のまま、桃子が頷く。特におからを炊くのは、かかる手間が尋常ではない事もあって、桃子はうの花を作ったことがない。おからをもらうことはあるが、すべてお菓子の材料に使っていたので、商店街のおからが料理という形でテーブルの上に並ぶのは、実は初めての経験である。
「じゃあ、作ってくれた優喜に感謝しつつ、いただくとしよう。」
「「「「いただきます。」」」」
まずは全員で味わう。しばらくただ黙々と食べる音が続く。全員が一通り箸を付けたあたりで、美由希がさらにへこんだ表情で感想を漏らす。
「うう……、普通においしい……。」
「だなあ。全体的に薄味で物足りない気もするが、好みの問題の範囲だしな。」
「最初ちょっと物足りなかったけど、一鉢食べるんだったら、これぐらいがちょうどいいかもしれないって感じてきたわ。」
総じて反応は好意的。薄味だといいながら、醤油や唐辛子を足すほどではないようなので、許容範囲だったのだろう。ちなみに薄味にしたのは優喜の好み、というより味覚の問題だ。人より鋭い分、薄い味付けでも満足してしまうのだ。無論、濃い味付けがダメ、というわけではない。
「これが、優喜君のおうちの味なの?」
初めて食べる優喜の料理の味に、なのはがふと思いついて聞いてみる。
「ん~と、竜岡家の味とはちょっと違うかな。もううろ覚えで、再現しようにも正しかったかどうかも思い出せないし。」
「じゃあ、お世話になってたおうちの?」
「うん。それが近い。まあ、その味ともやっぱりちょっと違うんだけどね。」
さんざん食べた琴月家の味は、もう少し濃い味付けだ。単に、優喜の好みで、やや薄い味付けにしただけである。
「ということは、優喜君と結婚したら、これが竜岡家の味になるのね。」
「桃子さん、それはいろいろ飛びすぎだと思う。第一、最低限法の上で結婚が許されるまでですら、後十年ぐらいあるんだし、いくらなんでも気が早いんじゃないかな。」
「あら、十年なんてあっという間よ?」
「……まあ、そこは否定しないけど。」
家族が死んでから今までの時間の速さを思い出し、小さく苦笑する優喜。ただ、十年近くたっても、自分だけが生き残ってしまった罪悪感は、根を張ったまま消えていない。十年たったところで、自分の心は家族を失った時のままなのかもしれない。
「今はまだピンと来なくても、もう一度体が大人になるころには、そういう話を意識できるようになるかも知れんぞ。」
「それまで、こっちにいるのかな?」
なんか、もう元の世界に帰れない前提で、そんなことを言い出す士郎。実際のところ、優喜自身も、いずれは師匠が帰る手段を用意してくれるとは思っているが、空間だけでなく時間軸も動いてしまっているため、時差などもふくめ十年ぐらいはかかる覚悟はしている。
「そういえば優、帰る手段を探すのに、何か当てとかあるの?」
「まあ、最悪の場合でも、僕の師匠はこういうケースに強い人だから、時間を気にしなければいずれ迎えには来てくれると思うけど……。」
「優喜君にしては、他力本願だよね?」
「こっちだと知り合いが少ないから、どこから手をつけていいのかが正直分からない。」
そもそも、一番当てになりそうなユーノからして、こういうケースについては資料がないと言い切ったのだ。他の当てとなると、超常現象とお友達の人を探して回るしかない。さしあたって可能性があるのは、神社のキツネの飼い主と、最近知り合いになった、普通の人間と違う気配の割合が高いクラスメイト。
ただし、どちらに対しても、どうアプローチするのかが難しい問題だ。内容が内容だけに、相手も大っぴらにはしていない。ストレートに切り出したら、ただの変な子ども扱いされるか、下手をしたら自身の命の危険も覚悟する羽目になりかねない。
「とりあえず、遺跡がどうとかいう話だったら、忍さんの親戚とか、詳しい人がいるかも。」
「ああ、確かに。月村さんのところは、いろいろ変わった仕事をしている人が多いそうだし。」
手詰まり感が漂っている優喜に、助け船を出す美由紀と士郎。詳しいことは聞いていないが、考古学者をはじめとして、そういう古代の神秘にかかわる仕事をしている人間が結構いるのだとか。
「詳しいことは、恭ちゃんかすずかに聞いてみるといいよ。」
「多分、恭也からも話は行っているだろうしな。」
「明日の放課後は、すずかちゃんのおうちでお茶会だし、その時に忍さんに聞いてみたら?」
変にとんとん拍子で進む話に、かえって警戒心を抱いてしまう優喜。しかも、月村すずかは、優喜がどうこの件についてアプローチするかを悩んでいた相手だ。話がうますぎる。
「お茶会の時に聞く、って言うのは難しいと思う。アリサもいるし、当のすずかにこの話はしてないし。」
場所は月村家だが、要するにすずかの家に遊びに行く、というのが正しいのだ。アリサがいないわけがない。ちなみに、当初は参加の予定だったはやては、直前になって病院の都合でずれた検査入院と重なり、今回は欠席となった。フェイトはあまり気乗りしない様子だったので、無理には誘っていない。
「あ~、そうだよね。普通、こんな話は出来ないよね。」
優喜の台詞に、同意の声を上げる美由紀。正直、並行世界から飛ばされてきた、などという話を初対面の人間にしても、頭がおかしいと思われるか、妄想を話しているようにしか受け取ってもらえないのが普通だ。士郎と桃子にこんな話を正直にした優喜も、それを信じた二人も、美由希の理解の外だ。
「かといって、恭也さんと忍さんだけに話をしたとして、あんまりあれもこれも目の前で蚊帳の外だと、アリサもはやてもすずかもいい気はしないだろうし。」
「いっそ、アリサちゃんたちにも正直に話したら?」
厄介な状況を打破すべく、優喜に提案するなのは。
「それも考えてるんだけど、茶飲み話で話して信じると思う?」
「ん~、アリサちゃんみたいに頭がよくて成熟している子だと、まず信じないでしょうね。」
桃子が、優喜と同じ結論を答える。同じ理由ではやてもアウトだ。すずかは、姉が科学技術方面にマッドな人材ゆえに信じるかもしれないが、多分表面上は中立を保つだろう。
「いずれ話すにしても、状況とかタイミングとか考えないと、ただの与太話で終わるから、ね。」
「そう考えると、優は本当に、最初の時によく正直に話したよね。」
「筋が通った嘘が思い付かなかったんだ。だから、ダメもとで。」
それでうまくいくのだから、人生というのは分からない。まあ、士郎も桃子も、そういう一般常識が通用しない世界の知り合いがそれなりにいるらしく、優喜の話も、最初から嘘だと切って捨てる理由がなかっただけなのだが。
「まあ、アリサ達には、もう少し信頼関係が出来てからちゃんと話すよ。」
なのはに視線で、そっちも人ごとじゃないんだからね、と釘を刺しつつ、食事とともにこの話を終わらせる優喜であった。
「おはよう、アリサちゃん、すずかちゃん。」
「おはよう、なのは、優喜。」
「おはよう。」
「おはよう、アリサ、すずか。」
いつもの通学路、いつもの合流地点。今週の頭から優喜が加わったこと以外は、特に変化の無いいつも通りの朝。
「どうしたの、すずか。ちょっと元気ないけど。」
どうにも、ちょっと表情が暗いすずかを気にして、優喜が声をかける。
「え? あ、うん。なんでもないの。気にしないで。」
「そう? まあ、それならいいけど、悩みごとなら愚痴ぐらいは聞くから。」
「うん、ありがとう。」
小さく微笑んで、いつものすずかを装う。それを見た優喜が、一緒の車で来たアリサに視線を飛ばす。アリサがすずかに見えないように、肩をすくめて首を左右に振る。どうやら、朝からこの調子らしい。
「それでなのは、ジョギングはちゃんと続いてる?」
「うん、ちゃんと続いてるよ。」
「最近、ようやく最後までペースを落とさずに走れるようになってきたから、少し距離を伸ばそうかと思ってるんだ。」
アリサの問いかけに、近況を答える二人。まだまだ兄たちと一緒に走る日は遠い感じだが、それでも遠からず、体力クラス最下位は脱出できそうだ。
「そういえば、優喜は体力測定の時はまだ、学校決まって無かったのよね。」
「うん。まあ、来年までお預けかな。」
優喜の体力測定と聞いて、残像が残るほどのスピードでの反復横とびだとか、一周してスタート地点に戻る握力計だとか、いろいろ漫画的な結果を想像するなのは。今は、まだ加減があやしいと言っているので、冗談抜きでそういう光景をやらかしかねない。少なくとも本気で飛べば、垂直飛びで体育館の天井に手が届くのは確実だ。
「今日は体育だけど、ちゃんと手加減しなさいよ。」
「そこはすずかにも言って。僕はちゃんと加減してるから。」
「最近の体育の時間は、次元が違いすぎてなのははついていけません……。」
という軽口の応酬にも、なぜかすずかはのってこない。どうにもこうにも上の空だ。
「本気でどうしたの、すずか。」
「え? 何でもないよ。ちょっと考え事してただけ。」
明らかにおかしいが、意外とすずかは強情だ。というか、この三人組は方向性こそ違え、皆何がしかの面で強情だ。それぞれが意地を張るポイントが違うために、深刻な対立につながることはないのが救いではあるが。
「学校で、何か嫌なことがあるんでしょ? 私に言ってみなさいよ。」
出会って日が浅いこともあって、下手に踏み込めない優喜に代わり、アリサが突撃を敢行する。友達になって三年目、互いに親友と呼び合える仲になっているのは伊達ではないはずだ。いまさら少々ぶつかったところで、仲直りできなくなるほど自分たちの絆は軟弱なつもりはない。
「その、大したことじゃ、ないんだよ?」
「大したことじゃないんだったら、そんな顔しない!」
「というか、僕たちにとっては大したことじゃなくても、すずかにとっては深刻な問題なんでしょ?」
「うん……。多分そうなんだと思う……。」
優喜の指摘に、うつむいてため息をつくすずか。実際のところ、自分でもどうしてここまで気になるのか分からない。優喜が一緒にいると妙に血が騒ぎ、当人が怒っていないことに腹が立ってしまう。多分あきれられるんだろうなあと思いながら、ここ数日、正確には優喜が転入してからの憂鬱の理由を意を決して話そうとすると。
「よう、男もどき。今日もわざわざ男装してるんだな。」
クラスメイトの一人、聖祥には珍しい悪ガキというタイプの少年が、優喜に絡んでくる。名を大森君という。すずかの気配が変わったのに気がついた優喜は、原因をなんとなく察して苦笑する。確かに、大したことではない。多分すずかは、この少年が優喜のことを悪く言うのが気に食わないのだろう。優喜にとっては、もう十何年言われ続けて、いい加減どうでもよくなっていることだが、第三者から見れば不愉快なのかもしれない。
「その恰好して男だって主張するんだったら、女とつるむようなカッコ悪い真似してんじゃねえよ。」
小馬鹿にしたような表情で、ひたすら優喜に絡む大森君。主張内容はこの年頃の男の子が普通に考えることだ。大概小学校三年四年の男の子など、女の子と仲よくしているということ自体格好悪いと考える。翠屋FCのゴールキーパー・高槻君のような例外もいるにはいるし、女の子に異性として告白するようなませた子もそれほど珍しいわけではないが、大体平均はこの彼のようなタイプの思想である。
そしてもう一つ。平均的な小三男子は、気になる子、好きな子に意地悪をすることが多い。が、当人は好きだから気を引きたい、という心理に気が付いていない。彼もその典型で、大人の目から見れば、すずかの事が気になって気になってしょうがないのがよく分かるのに、当人は自分のそんな感情に、気がついてすらいない。だからこそ、新参者の優喜が、なのはのおまけとはいえすずかの隣にあっさり居座っているのが、とことん気に食わないのだろう。
自我が確立する最後の過程みたいなものだし、長く見ても思春期に入る前に考え方が変わってくる程度の話だ。中学前半ぐらいまでは、似たような行動をする子もいるが、ただ恥ずかしいとか、今まで言ってきたことだから意地を張っている、とかその程度の、誰もがかかる、はしかのようなものだ。
「女の子と一緒にいるのがカッコ悪いって言うんだったら、まずは高槻君にその主張をぶつけたら?」
自分の顔の事はとりあえず横においておき、わざとうんざりした様子を作って他の人間を避雷針にしようとする優喜。内心では、すずかの怒りのボルテージが上がっていっているのを感じて、気が気でない。確かに、すずかの言う通り、本当に大したことではない。このぐらいの事で、すずかが本気で怒る理由が理解できないぐらいだ。
聡明なすずかの事だ。大森君の態度がはしかのようなもので、無視しておけばそのうち絡んでこなくなることぐらい理解しているだろう。理解したうえで、多分本人にも分からない理由で、どうにも我慢できないほど腹が立つのだろう。優喜にしてみれば、転入早々勘弁してほしい話なのは確かだ。
空気を読んでどっか行ってくれ、という優喜の願いもむなしく、ひたすら絡んでくる悪ガキ。これでも先生の前では、優等生の振りを見事に演じているのだが、担任をはじめとした経験豊富な教師の何人かは、彼の本性ぐらいは最初から知っている。成績としつけを重視した、お金のかかる私立校は伊達ではないのだ。
「あんなとことん腑抜た奴にいくら言っても無駄だよ。大体、お前みたいに半端にかっこつけて男のふりしてるやつ見てると、イライラしてくるんだよ。」
「そりゃどうも。」
「まったく、お前みたいなオカマは、女子の制服着て教室の隅で雑巾でも縫ってりゃいいってのに、わざわざなんで男の振りなんかするんだ?」
「優喜、いつまでそんな馬鹿を相手にしてるの?」
いい加減聞くに堪えなくなってきたらしい。アリサが割って入る。見ると、すずかの顔に表情がない。正直、はっきり言って怖い。なのはも彼の言い方には腹が立たなくもないが、それ以上にすずかの怒りのボルテージの上がり方が怖くて、ただおろおろするしかない。
ちなみに、雑巾云々は、転入初日に家庭科の授業で雑巾を縫った時、誰よりも早く優喜が仕上げたことに由来する。あまりに見事な手並みに、先生がため息をついて毛糸玉を渡して、授業が終わるまで好きなものを作れ、と言い放ったほどだ。その授業で、見事な編みぐるみを一個作って、よけいにあきれられたのはここだけの話だ。
「僕に言わないでよ。こっちは絡まれてるだけなんだし。」
「そうだよ、アリサちゃん。叱る相手は優喜君じゃなくて、大森君にしないと。」
苦笑がちに抗議の声を上げる優喜に、すずかが感情を感じさせない静かな声で同調する。普段おとなしい人間が怒ると、周りは生きた心地がしないという典型的な状況に、優喜は心の中で十字を切る。
「なんだよ、ゴリラ女。」
「大森君、顔とかみたいに、生まれつきのもので自分ではどうにもできない事を、そこまで悪く言うのはいけない事だよ?」
「オカマをオカマって言って何が悪いんだよ!」
(僕みたいなケースだと、女性が男性のふりをする事になるから、正確にはオナベなんだけどなあ……。)
すずかに気押されながら大森君が言い放った反論に、心の中でどうでもいい突っ込みをする優喜。一連の流れで、すずかの怒りのポイントが何となく理解出来たのだが、どうにも根深そうで厄介だ。多分、すずかの持つ気配が、普通の人間のそれからかけ離れていることに、深く関わってくるのだろう。
「とりあえず、喧嘩は構わないんだけど、いい加減遅くなるから続きは教室で。」
散々馬鹿にされていたはずの優喜が、何事もなかったかの如く二人をなだめに入る。多分、このまったく相手にしていないという態度が、よけいに大森君の神経を逆なでしているのだろう。
「分かったよ。オカマとゴリラ女のせいで遅刻とか勘弁してほしいから、先行くわ。」
逃げる口実を得て、威勢よく言い放ってそそくさと校舎に消えていく大森君。その後ろ姿を見て、ため息をつくアリサとなのは。
「まったく、見苦しいったらありゃしない。」
「なんで、大森君は優喜君を目の敵にするんだろうね?」
「本当よ。身の程ってものを知っていれば、これがあいつごときが噛みついて無事ですむ相手じゃないことぐらい、すぐに分かるはずなのにね。」
さすがに今朝のは度が過ぎたのか、二人とも苦い顔で大森君を酷評する。なんとなく理由を察していた優喜が、フォローするように考えを告げる。
「多分、すずかの事を一度かばったでしょ? あれがまずかったんだと思う。」
「ああ、あったわね、そんなこと。」
前々から大森君は、事あるごとにすずかにゴリラ女だなんだと絡んでくることがあった。普段は少し放置すれば勝手にどこかへ行くのだが、優喜が転入してきた日は、やけにしつこかったのだ。普段は歯牙にもかけないすずかでも、あまりにしつこいとさすがに堪える。だんだんすずかの顔が暗くなっていくのを見かねた優喜が、仕方なしに割り込んで追っ払った。それが気に食わなかったらしい。
なのはのクラスにはもともと、三つぐらいの大きいグループがあった。その中でも発言力が大きいなのはやアリサのグループと、半端なアウトロー気取りの大森君のグループは、学年が変わってからやや対立気味だった。そこに、新参者の優喜が入ってきたのも、無駄に彼を刺激する結果になった。世話になっている家のつきあいを優先させた優喜を、男のくせに女みたいな顔で、生意気なアリサのグループにしっぽを振ってる軟弱もの、と認識するまでに、そう時間はかからなかったようだ。
「どうにも、自分がなんですずかにちょっかいをかけてるのか、それ自体を理解してないだろうし。」
「やっぱり子供だってことよね……。」
アリサからすれば、そんな子供っぽい嫉妬で優喜に喧嘩を売って、もし優喜の堪忍袋の許容範囲を超えたりしたらと思うと、そっちの方が気が気でない。特に、今回みたいに本人に実害がなくても、周りの人間に大きな被害を出すような状況が続いた日には、大森君の未来はないだろう。
別に、大森君がどうなろうが知ったことではない。が、その結果として自分や優喜に降りかかる問題を、出来るだけ穏便に処理しないといけなくなる可能性を考えると、いくら自業自得とは言え、優喜に始末されるような真似は避けてもらいたい、というのがアリサの本音だ。
「それより優喜君、よくあそこまで言われて、平気でいられるね。」
「僕が言うのも変だけど、子供の言うことにいちいち目くじらを立ててもね。僕しかいない場所だったら、正直実害は全くないし。」
外見的には確かに違和感があるのに、優喜が大森君を子供と評することに、実に違和感がない。そもそも、彼我の実力差も理解できていないところも含めて、本当に大森君は子供だ。まあ実際のところ、小学生なのだから子供なのも当たり前なのだが。
「とりあえずすずか、物で釣るようで悪いんだけど、今はこれで機嫌なおして。」
いまだに機嫌がなおらないすずかをなだめるために、まだ着色が終わっていない木彫りの子猫を取り出して渡す。
「わ、かわいい。」
「あら、いいじゃない、これ。」
「試作品。練習で作ったんだ。アリサのもあるよ。」
と言って、同じく着色していない木彫りの子犬をアリサに渡す。
「へえ、アンタ、こういうのも出来るんだ。」
「本命は、アクセサリ作りなんだけどね。そっちの方は今週にでも道具と材料用意して、また試作してみる予定。」
優喜の説明に、可愛い子猫に気分が落ち着いたらしいすずかが、ふと気になった疑問を口にする。
「なんで木彫りなの?」
「材料が拾えるから。ちなみに今回作ったやつは、廃品回収に出されていたテーブルの脚が材料。アクセサリの方は、金属でやるつもりだから、ちゃんと材料買わないとね。」
「アクセサリなんて、自作できるんだ……。」
「まあ、練習はいるし、大したものは作れないけどね。」
ブランクなどを考えて、控えめに自己申告する優喜。今の体でどの程度のものが作れるか、というのはやってみないと分からない。まあ、大掛かりな機材が必要な作業を裏技でカバーできるので、それほどお金をかけずに試作まで行けそうなのは救いだが。
「そういうわけだから、試作のためのリクエストは受付中。ただし、出来なくても文句は聞かない。」
「あ、だったらこの子と対になるようなブローチかペンダントがあると嬉しいかな。」
「ん、了解。試しに作ってみる。」
リクエストを言ってきたすずかの顔を見て、ようやく嵐が去ってほっとした一同であった。
「優喜、かーさんの足の具合はどうだった?」
「明日は普通に歩けると思うよ。」
時間は飛んで放課後。着替えと桃子の診察も兼ねて一度家に戻り、月村家のメイド・ノエルが運転する車で迎えに来てもらった優喜達。その優喜と顔を合わせた恭也の、第一声が家の事だった。
月村家は郊外の大豪邸で、その気になれば庭を自転車で駆けまわれるほどの敷地を誇る。裏を返せば、それほどの敷地面積だからこそ、海鳴郊外にあるわけだが。もっとも、いくら郊外と言っても、これが個人の持ち家だという事実は、一般庶民のコンプレックスを大いに刺激しそうだ。
その広大な月村邸の庭の片隅、風通しと見晴らしのいい場所に設置されたテーブルが、今日のお茶会の会場だ。恭也と忍は出迎えには顔を出さず、最初からその場で待機していた。テーブルの周りには、おやつがもらえるからか飼い主がいるからか、大小たくさんの猫が好き勝手に遊びながらスタンバイしている。
「そうか、大事なくて本当に良かった。」
「ご飯の方も心配しないで。今日も僕が作るから。」
「そういえば、昨日は見事な和食だったそうだな。今日は何を作るつもりだ?」
「商店街の皆様からの差し入れがいろいろあったから、蒸し鍋にでもしようかな、って思ってる。」
小学生と高校生の、しかも男の会話とは思えない内容で盛り上がる二人。
「そういえば、今日のなのはちゃんのお弁当のおかず、優喜君が作ったんだっけ?」
「うん。昨日の残りものと冷蔵庫の中の端材で、適当にスペースを埋めました。」
ちなみに弁当の中身は残り物のキンピラとうの花に、お弁当の定番・卵焼き、それから適当な材料で汁気がなくなるまで炒めた野菜炒めという、手早く出来ることを主眼に置いた見事なラインナップだった。残り物がなければ、代わりに冷凍食品が入っていたのは言うまでもないだろう。
「こういう言い方はあれだけど、優喜って所帯じみた技ばかり持ってるわよね。」
「あはははは……。」
アリサの評価に、乾いた笑いを上げるしかないなのは。辛うじて味噌汁と卵焼きを作れるだけの彼女としては、味のレベルこそ両親に譲るとはいえ、普通に食べるのに困らない程度を手早く作る優喜は驚異的な存在だ。人生経験の差というやつはかくも大きいのかと、優喜と暮らすようになってから幾度目かの絶望的な気分を味わう。
「まあ、なのはちゃん。料理が優喜君よりできなくても大丈夫だって。この忍さんも、そこのすずかも、まともな料理なんて全く出来ないし。」
「お、お姉ちゃん、それはひどいよ……。」
「すずか、ちゃんと出来る料理って卵焼きぐらいでしょ? 世間一般では、まともな料理は全く出来ないってカテゴリーに入るのよ、それ。」
月村姉妹の何気にあれなやり取りを見て、やや引きつった笑いを浮かべる女性陣。まだ小学生だからしょうがない話ではあるが、彼女たちの料理の腕は五十歩百歩なのだ。
「それにね、なのはちゃん。料理が出来なくても問題ないわよ。優喜君を捕まえておけば、毎日ちゃんとしたものを食べさせてもらえるし。」
「し、忍さん。なのはにだって夢とか憧れとかプライドというものがあるのです! 毎日同い年の男の子にご飯を作ってもらうのは、なけなしの乙女心がズタボロなのです!」
「へえ、優喜君じゃ不満なんだ、なのはちゃん。結構贅沢というか、ハードル高いわね。」
「いえ、あの、優喜君に不満があるわけではないというか、むしろ私が釣り合ってないというか……。」
「だって、すずか。向こうは同居してるから、うかうかしてると何もしないうちに手も足も出なくなるわよ。」
「お姉ちゃん!!」
なんか、大人になったはやてがここにいるような感覚に襲われる優喜。当人を蚊帳の外に置いたままで、ここまで盛り上がれるのは正直すごいとしか言えない。
(忍さん、どうやらこっちを見定めてるみたいだ。はっちゃけてるように見せかけてるけど、僕には全然気を許してない。)
「で、優喜。」
「ん?」
「将来有望な美少女二人に言い寄られてる形だけど、感想は?」
「まず一つ目。勝手に忍さんが盛り上がってるだけで、どっちも本人はそのことについてはっきりとコメントしていない。二つ目、この年での惚れたはれたが長続きするとでも思ってるの?」
「……本当にそういう面では面白みがないわね、アンタは。」
冷静にあわてるそぶりも見せずに切り返してくる優喜に、げんなりした表情でコメントを返すアリサ。その淡白さにテンションが下がったらしい忍が、まじまじと優喜を見つめる。
「優喜君、君の年でそんなに覚めてるのは感心しないな~。」
「忍さん、年に似合わぬ思考と言動って点で言うと、このテーブルの小学生はみんなそうだと思いますよ。」
「ま~、確かにね。アリサちゃんなんて、天才の看板に偽りなしって感じで頭が回るしね~。」
「僕個人としては、常識が通用するアリサよりも、この庭の防衛システムを平気で構築するマッドな忍さんの方が怖いわけですが。」
優喜の言い分に、苦笑を洩らす恭也。防衛システムの構築に(その意思があったわけではないが)何枚も噛んでしまった身の上としては、優喜の肩を持ちたくなる。
「発動したところを見てもないのに、そんなこと断言できるんだ。」
「そらまあ、見えただけでも小型の高出力レーザーと思わしきシステムが十台程度隠してあったし、音の反響具合から、地下になに仕込んでるのか考えたくもない感じだったし。」
「へえ、あれが見えたんだ。目がいいね。」
「視力そのものは1.5。普通ですよ。気がついたのはどちらかというと注意力の方。っと、音で思い出した。後で、忍さんにちょっと相談が。」
音、という言葉から、優喜の相談とやらに、ピンと来るものがあるらしい恭也と忍。一拍遅れてなのは(と一緒に来ているが声を出せないユーノ)が、優喜の言わんとしていることを察する。
「ああ、士郎さんとか恭也から聞いてるわ。確かにここでする話じゃないわよね。」
「また、私たちは蚊帳の外ってわけ?」
「優喜君、なんだか隠し事多いよね。」
「こっちはまあ、話してもいいって言えばいいんだけど、茶飲み話でするような話じゃないんだよね。」
相談内容を察しているメンバーが、苦笑しながら優喜の言い分に頷く。年長者の反応から、優喜の態度が妥当なんだろうと判断するすずか。ただ一人、アリサだけが納得していない。
「私たちには、話しても無駄ってこと?」
「いや、聞くとお茶がまずくなる話だから、こういう場ではどうかなって。」
「気を使ってくれるのは嬉しいけど、お茶会ってのは、悩み事や言えない事を言うための場でもあるのよ。お茶がまずくなってもいいから、ちゃんと話しなさい。」
「はいはい。」
アリサの力強い言い分に、苦笑しながら年長者に目配せをする。同じく苦笑しながら一つうなずく二人を確認し、それならばと、念のために監視の類がないことを確認して話す。
「ぶっちゃけると、はやての家が監視されてるっぽいんだ。で、多分盗聴器とか仕込まれてるから、そこから犯人を逆探知できないかな、って。」
「はあ? 根拠は何よ?」
「はやてが監視されてる根拠は簡単。一緒にいるとたまに、人気がない場所でも、あり得ない方向から視線を感じるから。盗聴器については、はやての家に行ったとき、床下とか天井裏とか、後コンセントの差し込み口とかから、マイクらしき音が聞こえてきたから。」
淡々と、優喜が根拠となると考えている事柄を告げる。気がついた時は正確な場所や数まで分からなかったが、二度ほどお邪魔した時に、全部把握した。
「優喜君の耳って、どうなってるの……?」
「やっぱりそこが突っ込みどころなんだ。」
すずかの突っ込みに、なのはがくすくす笑いながら突っ込む。すずかにまでフェイトと同じようなことを言われて、思わず苦笑する優喜。
「って言うか、打ち上げの時の翠屋での会話とか、全部監視されてたっての!?」
「うん。まあ、聞かれて困るような話はしてなかったし、怪しまれてはやてに何かあっても困るし、第一こっちに何かされると面倒だったから無視してたけどね。」
「なんでそういうことを黙ってるのよ!」
「打ち上げの時は、さすがにあの場では言えないよ。今日まで黙ってたのは、単純に忘れてたから。」
忘れてた、という言葉に、思わず頭を抱えるアリサ。
「何にしても、すぐにどうこうすることじゃないし、はやてとの話は、聞かれても困らない事、恥ずかしくない事だけにしておけば問題ないから、当面は特に気にする必要はないんじゃないかな?」
「あの、優喜君……。」
「ん?」
「フェイトちゃんも、それを知ってるの?」
「知ってるよ。盗聴器に気がついたとき、なのはと一緒にその場にいたし。」
今回も、結局アリサとすずかだけ蚊帳の外だったらしい。優喜が来てから、なのはは自分たちに隠し事が増えた気がする。まあ、今回のは単に、話す機会がなかっただけの事なのだろうとは思うが。
「ちなみに、当のはやては知らないから。不自然になって、監視してる相手にばれたら、それこそ何されるか分からないと思って黙ってる。まあ、監視の視線がなくても、どこかに盗聴器とか仕込んでたらまずいから話せない、ってのもあるけど。」
「まったく、知らないうちに、私たちの周りも物騒になったものね。」
「ごめんね、いろいろ物騒な話を持ち込んで。」
「本当よ、って言いたいところだけど、私たちも優喜に物騒なことで迷惑をかけてるから、おあいこってことにしておくわ。」
冗談めかして、この話を打ち切るアリサ。苦笑しながら、膝の子猫を軽くなでるすずか。もう少し、お茶の美味しくなる話題に切り替えようと頭をひねっていると、不意にお馴染みとなった違和感。なのはに目配せをすると、意図に気がついたらしい。他の皆に分からないように合図を返す。アリサの頭の良さが突出しているため、どうにも子供っぽく見えるなのはだが、やはりこの察しの良さは、そんじょそこらの小学三年生とは比較にならない。
(てすてす、ただいま念話のテスト中。)
(わ、びっくりした。)
(ごめん、驚かせた。で、どうやって抜け出そうか?)
(ん~、ごめん、少し考えさせて。)
(了解。)
なのはが頭をひねっている間に、彼らの望みである、お茶会を自然に中座するきっかけを提供してくれる存在が現れた。
「あっ、こら!!」
何を思ったのか、なのはの足元にいた子猫が、いきなり彼女の体を駆け上がって、髪の毛を束ねていたリボンをくわえて引っ張り始めたのだ。くくり方が緩かったのか、あっという間にリボンを子猫に取られてしまい、なんだか中途半端な髪形になってしまうなのは。
「ちょっと、ダメだよ。」
「ステラ、人のものをとっちゃダメじゃない。」
なのはとすずかが子猫を捕まえようとするが、怒られると思ったのか、それとも遊んでくれると思ったのか、器用に二人の手をすりぬけて、森の方に走り去る子猫。森、そう森だ。月村家には、きちっと管理された大きな森があるのだ。
「いつも思うんだけど、なのはの髪って、束ねてるときとおろしてるときで、量が違う気がするんだ。」
「思っててもそういうことは言わない!!」
何やら危険なことを言い出す優喜に、とりあえず突っ込んでおくアリサ。そんなこんなしているうちに、状況は新たな展開を迎える。
「みぎゃ!!」
なのは達が子猫の方に気を取られていると、足もとで珍妙な叫び声が。見ると、ユーノのしっぽを体の大きな猫が噛んでいたのだ。月齢的には一歳ちょっとという感じなので、まだ遊びたい盛りなのだろう。ゆらゆら揺れているユーノのしっぽが、ちょうどおもちゃとして都合がよかったようだ。
「あっ、ユーノ君!」
「なんか、収拾がつかなくなってきたな。」
大柄な猫に追い回されて、これまた森の方に逃げ込むユーノ。まあ、向こうは本来人間で、魔法も使えるのだし、自力でどうにかするだろう。
「とりあえずなのは、ステラとユーノを追いかけるよ。」
「あ、うん!!」
「手分けして探した方がいいわね。」
「もう、ステラもジュノンも、後でお仕置きしないと……。」
こうして、猫とユーノを探すという口実で、ジュエルシードの発動場所に急ぐ二人であった。
途中で地面に落ちていたなのはのリボンを回収し、ジュエルシードの発動体を確認した時、そこには目を疑う光景が。
「フェイトちゃん……。」
「フェイト……。」
フェイトが、ジュエルシードによって巨大化した子猫にしがみつき、とろけそうな笑顔でもふもふしていたのだ。フェイトの背後に浮かんでいる、半透明の幼い少女が、困ったように、でもどこか嬉しそうな表情でフェイトを見つめている。
「やっと来てくれたのかい……。」
「ごめん、抜け出すのにちょっと手間取って。」
疲れたようにこぼすアルフをよそに、うっとりと顔をうずめるフェイト。子猫の方もまんざらでもないらしく、ごろごろ言いながら、お腹を見せてウェルカム、という感じで転がっている。
「で、あれはどういうこと?」
「どうも何も、見たまんまさ。フェイトが猫好きだったなんて、初めて知ったよ。」
「いいなあ、フェイトちゃん。」
心底うらやましそうにしているなのは。だが、巨大な白ネコをもふもふしている死神風の露出度の高い少女、というのは何気にあれな光景である。
「なんか、こういうとあれだけど、最近のフェイトはちょっと、ポンコツ気味になってきてるよね。」
「使い魔の身としては、その言葉が否定できないのがつらいところだよ。」
「でもまあ、見たところ血色もいいし、会った時に比べると、ずっと健全な状態だからいいんじゃない?」
「だね。」
などと、つい和やかな光景につられて和んでいると。
「優喜、平和な光景を崩すのはもったいないけど、おかしなことになる前に封印を始めた方がいい。」
ユーノが釘をさしてくる。予定通り、きっちり猫を撒いて合流してきたのだが、あまりに平和な光景に、どう突っ込んでいいのか分からなかったのだ。
「そうだね。すずか達を待たせるのも具合が悪い。なのは、封印よろしく。」
「フェイトちゃんでなくていいの?」
「今、使い物にならないし。」
「あ、そ、そうだね。」
放っておいたら永久に猫と戯れていそうなフェイトを見て、思わず苦笑するなのは。最近、以前のような張りつめた空気が薄らいでいるのはいいことだが、ここまで変貌すると、とても同一人物とは思えない。
「フェイトちゃん、悪いけどそろそろ封印するよ。」
「あ、だめ、なのは! もうちょっと、もうちょっとだけ待って!!」
「私個人としてはいくらでも待ちたいというかむしろ、一緒になってもふもふしたいところなんだけど、そのもうちょっとを聞き入れるときりがないと思うので却下なのです。」
「お願いだから、もうちょっとだけ堪能させて!!」
このフェイトの壊れっぷりはなんだろう。もしかしたら、ジュエルシードの魔力で酔っ払っているのかもしれない。案外、これが今回の暴走体の特殊能力なのかもしれない。
「後でアルフに大型の子犬形態にでもなってもらって、気が済むまでもふもふしたら?」
「それも魅力的だけど、犬と猫では手触りが違う!」
だめだこのフェイト、早く何とかしないと。その場の四人の思考が一致する。こうなっては四の五の言ってられない。強制的に封印だ。今回は攻撃的な相手ではないので、魔力ダメージでノックアウトという工程が不要だし、もうさっくりゼロ距離で封印してしまう事にする。フェイトを巻き込まないように慎重にレイジングハートを近付け、容赦なく封印術式を発動させる。
「ああ……。」
心底残念そうに、元のサイズに戻っていく子猫を見つめるフェイト。だが、手のひらに乗る程度の、本来のサイズの子猫は、それはそれで実に可愛い。その子猫が、よちよちフェイトの脚をよじ登ろうとするのだからたまらない。バリアジャケットを解除し、子猫を手のひらに載せるフェイト。
「フェイトちゃん、その子がそんなに気に入った?」
「ん。でも、うちでは飼えないし、それにこの子、飼い主がいるんでしょ?」
「うん。すずかちゃんのおうちの猫。」
「じゃあ、やっぱり飼い主のもとにいるのが一番いいよ。」
手のひらの上をうろうろしている猫を見ながら、少し名残惜しそうにつぶやく。そこに油断があったらしい。フェイトの頭の上に、手のひらの子猫より月齢が上の子猫が、木の上から飛び降りて着地を決める。
「あ、ステラ!!」
なのはが、自分のリボンを奪い去った子猫を見て、あわてて捕まえに走る。だが、敵もさる者。さっきのなのはにやらかしたように、フェイトのリボンをくわえて引っ張って奪い去り、すっと地面に着地。もう一度離脱して森の中に消えようとして、あっさり優喜に捕獲される。
「フェイト、これ。」
「あ、ごめん、ありがとう。」
「とりあえず、向こうに戻ろうか。その子も返さないといけないし、フェイトもおいで。」
「うん。でも……。」
フェイトが少し言いよどむのを、不思議そうな顔で見つめ返す二人。
「ここ、誰かの家なんだよね? 私、不法侵入になると思うんだけど……。」
「それについては、ちゃんと考えてあるから。」
と言って、しっかりだっこしたステラを見せる優喜。
「まあ、言い訳をしなくても、すずかの家だし、文句は言ってこないと思うよ。」
「すずかの家だったんだ……。」
「別名猫天国。」
「優喜君、そんな名前で誰も呼んでないと思うんだけど……。」
優喜のいい加減な発言に、一応突っ込みを入れておくなのは。どうも今回は、いろいろしまらない。
「まあ、さっさと戻ろう。あまり遅いとアリサ達に文句言われる。」
優喜の言葉に異を唱える人間はおらず、とりあえず転移魔法で拠点に戻ったアルフ以外は、速足でお茶会会場に戻るのであった。
「あれ? フェイトちゃん?」
「ステラにリボン取られて、困ってたんだ。」
「フェイトもなんだ……。」
優喜の腕の中で、半ば熟睡しかかっているステラを見て、ため息をつくアリサとすずか。このいたずら好きは、どこまで被害を拡大すればいいのだろうか?
「でまあ、ステラを捕まえたついでに、フェイトも力技で、中に連れ込んでみました。」
「よく、警備システムが反応しなかったね……。」
「そこはそれ、忍さんに借りてた声紋と顔の登録装置をこっそり使って、フェイトも登録してあったし。」
優喜の言葉に、共犯者の忍がいい笑顔でサムズアップしている。なんだかいずれ、優喜の声紋登録だけこっそり削除して、警備システムと勝負させて喜びかねない、そんな予感がする笑顔だ。
「優喜、アンタ本当にこういうことばかり段取りがいいわよね……。」
「なんでも前倒しでやっておくのが、不慮の事態に対する最大の対応、ってね。」
「説得力がありすぎて、妙に腹立たしいわね。」
ため息とともにセリフを吐きだしたアリサだが、次の瞬間、忍にも負けないいい笑顔を浮かべる。
「まあ、とりあえず優喜。」
「な、何かな?」
「はやての事を隠してた罪と、いまだにあれこれ隠し事をしている罪とをまとめて、アンタに罰を与えるわ。」
「お、お手柔らかに……。」
アリサのいい笑顔に、さすがの優喜も顔が引きつるのを止められない。
「で、罰というのは、ね。」
「優喜君に、桃子さんとお姉ちゃんが用意した各種衣装をここで着てもらって、指定したポーズで記念撮影をするの。」
「すずか、一番いいところを横取りしない!!」
「も、もしかして衣装ってのは……。」
優喜が聞き返すと、返事の代わりに出てきたのは数着のゴシック系衣装、及び誰が着るんだ、ってぐらい正統派ゴスロリ衣装(日本発祥)にピンクハウス系衣装。共通点は、すべてフリルやレースがやたらふんだんに使われた、一般的な神経をした男子には、絶対外を歩くときには着られない服ばかり、というところだろう。
「勘弁してよ……。」
「「「「「だめ。」」」」」
「ちょっと待て、即答はともかく、何故になのはとフェイトまでそっちに回る!!」
「「見てみたいから。」」
優喜の突っ込みに対しての返事まで、寸分の狂いなく同期するなのはとフェイト。何というか、将来が心配になるほどの仲の良さだ。
「さ、さすがに女物は勘弁、っつ!!」
せめてもの要望を突き付けようとしたとき、腕の中のステラが暴れ始める。どうにも、このままだっこされているのはやばいと、本能が告げたのかもしれない。爪を立ててもがいたせいで、優喜の手の甲がざっくり切れる。
「だ、大丈夫!?」
「これぐらいは問題ないよ。」
「こら! ってもういないし……。」
「すずか、あの子のしつけ、もうちょっとちゃんとやっといた方がいいわね。」
「うん……。」
さすがに、飼い猫の続けざまの粗相に、かなりしょんぼりするすずか。とりあえず、屋敷に走って行ったノエルが救急箱を持ってきてくれるまでに、テーブルにあるミネラルウォーターで傷口を洗っておこうと優喜の手を取り……。
「ちょ、ちょっとすずか、何やってるのよ!!」
「すずか、それはダメだと思う……。」
優喜の血の匂いをかいだ瞬間、すずかは衝動的に傷口をなめていた。アリサとフェイトの非難の声に我にかえり、それと同時に、ここ二日三日の自分の変調の原因を理解する。
「ご、ごめんなさい……。」
「いやまあ、別にいいんだけどね。まあ、お詫びしてくれるんだったら、着せ替え人形になるのは無しということで……。」
「それとこれとは別問題だよ?」
結局、優喜の自爆気味の話のすり替えにより、この件自体はうやむやになった。消毒を済ませた傷口には、ご丁寧に目立たない色合いの絆創膏がはられ、強制的にドレッサールームに引きずり込まれる。
「……女物の似合い方もすごかったけど、この系統の衣装がここまではまるのも一種の才能ね……。」
「優喜君、かっこいい……。」
桃子が最初に用意したゴシック衣装。優喜が最後に着せられたそれは、桃子の無駄なハイセンスさを見事に証明し、女性陣を一挙にとりこにしていた。
「こんなに嬉しくないほめられ方、初めてだよ……。」
夕暮れをバックにゴシック衣装でポーズを決めさせられ、ぼやく優喜。白と黒を基調にした貴族的なラインの服が、ある種の退廃的な雰囲気をまとい、怪しい魅力を振りまく。何を着ても女の子に間違われる優喜が、唯一男に見える衣装だというのが分かったが、正直嬉しくないことこの上ない。
(優喜、その服だと、私のバリアジャケットとイメージがおそろいになっていい感じだと思う。)
(この服で戦えと申すか……。)
(あ、いいかも。普段からこれは厳しいと思うから、優喜もバリアジャケットを。)
(それいいね、フェイトちゃん。優喜君、すぐにバリアジャケットを着れるように頑張るの!)
(無理。というか、わざわざこんな服で戦闘なんかしたくない……。)
などと、念話で無駄話をしていると……。
「とりあえず、はやてへのお見舞いは優喜のこの服と、猫で溶けてるフェイトの顔の写真で決まりね。」
アリサが何気に鬼のようなことを言い出す。
「アリサ、優喜はともかく、私の写真は恥ずかしいから……。」
「というか、恥はこの場だけにさせて……。」
二人の願いもむなしく、今回の写真はアリサの手によって、写メからA4サイズに拡大したものまではやてに送りつけられてしまう。この時の写真がきっかけで、将来優喜はデバイスとセットで本人的には恥ずかしい戦闘衣装を押し付けられるのであった。