これは死んだかも。調査中の門のような遺跡が光り、屋根が崩れたのを見た竜岡優喜は、妙に冷静に落ちてくる瓦礫を見ながら考えた。逃げ場のない状況で天井が丸々砕けずに落ちる。優喜は特殊な人材なので、落ちてくる瓦礫を砕く手段ぐらいはあるが、遺跡の光に気を取られているうちに、タイミングを完全に逸した。
(教授は無事なんだろうか……。)
呼び出されて外へ出た、今回の発掘班のリーダーの安否を気遣う。被害が出るのは避けられない。ならばせめて、自分だけにとどまってほしいものだ。
(とりあえず、悪あがきだけはするか。)
手遅れを自覚しつつ、瓦礫を砕く手段を講じる。妙にスローモーションに引き延ばされた時間の中、何らかの動作をしようとした優喜を、門からあふれ出た光が呑み込んでいった。
竜岡優喜は、今年二十歳になったばかりの、首都圏の某国立大学教育学部三年に所属する大学生だ。日本人男性の平均よりは高い身長と細身の体をもつ女顔の青年で、優しく喜ぶという名が、そのまま体を表すような外見と性格の人物である。一度は女装させてみたい男No1という、普通なら暴れそうな称号を苦笑しながら受け入れる、そんな青年である。
が、外見や性格とは裏腹に、彼は特殊な経歴から特殊な技能を学び、その関係で見た目よりはるかに鍛え上げられた体をしていたりする。
ちなみに彼は天涯孤独の身の上だ。中学に上がる前に、交通事故で家族全員が亡くなり、悪いことに両親も孤児同士だったため親戚の類も一人もおらず、父の親友である琴月氏に引き取られて育てられた。
と、これだけなら、彼が特殊な人材、という話にはつながらないのだが、その頃の彼は、事故の後遺症で全く目が見えず、それを補うために、とある人物にいくつか特異な技能を教えてもらっていた。琴月家に引き取られる前の話である。
「それで優君、今年も夏休みは伊良部教授についていくの?」
彼がお世話になっている家の娘、琴月紫苑が、掲示板を見ながら質問する。外国人がイメージする大和撫子、その外見を見事に体現したような女性で、中身も学内の誰よりもそれに近いのだが、さすがに完璧に、というわけにはいかない。というか、完璧な大和撫子など、今のご時世、かえって敬遠される。
「うん。旅費もバイト代も出るし、僕の特技も生かせるしね。」
伊良部教授とは、彼の通う大学の考古学の教授で、毎年夏休みに、海外のとある遺跡に発掘調査に行っている。そして、その都度学生を結構なバイト料を支払って雇い、ついでにいろいろと面白い話をしてくれる。そのため、いささかハードではあるが、体力と知的好奇心のある学生には、人気のアルバイトだったりする。
「お金が足りないなら、お父さんに言えば……。」
「おじさんたちにこれ以上よくしてもらう訳にはいかないよ。」
親友の息子とはいえ、優喜は赤の他人だ。生活費と高校までの学費を全部出してもらっているだけでも申し訳ないのに、小遣い銭まで、というのは、たとえ向こうがそれを望んでも自身の誇りが許さない。いくら琴月の家が旧家で、お金の面ではまったく困っていないといっても、それとこれとは別問題だ。
ちなみに大学の学費に関しては、優喜の意地もあって、奨学金を受けて全額自己負担で何とかやっている。そのため、単位取得も必死であり、空き時間は奨学金の穴埋めのためのバイトと勉学がびっしり詰まっている。たぶん、大学一遊んでいない学生ではなかろうか、とは彼の普段を知る人間すべての言葉だ。
「結局、今年も海とかにはいけないね。」
「紫苑だったら、誘えばだれでも一緒に行ってくれるんじゃない?」
「私は優君と行きたいの。」
大学に入ってから、毎年恒例の会話である。普通に考えれば意図するところは一目瞭然のセリフだが、優喜は決してその言葉を受け取ろうとはしない。十年一緒に過ごしてきたとはいえ、いや、だからこそか、優喜はそれ以上、紫苑をそばには近づけない。
「まあ、とりあえず申し込んでくるから、先に帰ってて。」
「……うん。」
たぶん、申し込んだ後、直でバイト先に行くのだろう。いろいろな未練を断ち切って、素直にうなずく紫苑。この二カ月後、発掘調査中の遺跡で冒頭の事故が起き、同時にマグニチュード7クラスの地震の発生が重なり、行方不明一、重傷者十五人の惨事となって、「古代遺跡、悲しき大発見」という見出しで報道され、関係者を大いに悲しませるのだが、ここでは割愛する。
死んだと思ったのに目が覚めた。それが、意識が戻った時の優喜の、最初の感想だった。まあ、感心していても仕方がない、と、自分の体をチェック。ところどころ違和感はあるが、少なくとも欠損している部位はない。体を起こすと、視点の高さがずいぶん低い。手足をみると、上で見積もっても中学には上がっていないと分かるそれが目に入る。
(……あの遺跡のせいか。)
荷物はほとんどなくしているが、ウェストポーチに入れてあった鏡と携帯電話、それから財布は無事だ。鏡は、遺跡の調査の時に何かと重宝するので、発掘隊にいる間は、とりあえず一個は持ち歩いているものだ。発掘中に外していたメガネもなくしたが、元々「見えすぎる」ようになってしまった眼をごまかすための、度が入っていない伊達メガネなので問題ない。
携帯電話が圏外になっているのを確認し、鏡で自分の顔を確認。認めたくはないが、やはり子供に戻っている。計ってみないと分からないが、身長が150センチを超えていることはないだろう。まあ、股間につくものはちゃんとついているので、性別まで変わっている、という最悪の事態は避けられたようだ。
(よかった。いくら女顔でも、本当に女になるのはさすがに悲しいし。)
気を取り直してあたりを見渡し、自分の知らない景色が広がっていることを確認。どこだかは分からないが、人の手がある程度入った森の中だ。気候は温帯のそれ。太陽の角度と木々の状態、それに優喜の体内時計から時間を推測。まだ午前十時にはなっていないだろう。腹具合からすると、丸一日は気絶していたはずだ。
(とりあえず、周囲に危険生物の気配は無し。)
鳥や虫の声ぐらいは聞こえるが、少なくとも、人間を襲うような生き物は近くにいない。見える範囲に、人が何人か並んで通れるような道がある。車が通るような舗装はされていないので、ハイキングコースなのかもしれない。
(一度、麓まで降りてみるか。)
幸い、調査隊にありがちないかにもな服装はしていなかったので、人がいても目立ちはしないだろう。ただ、場所が先進国で、今が平日だったら、場合によっては補導されるかもしれない。それが不安要素ではある。
(言葉が通じればいいんだけど……。)
まあ、方針は決まった。あとは行動あるのみだ。優喜は、外見に合わぬ健脚で、ずんずんと道を下って行った。
(日本だったとは……。)
温帯の気候、整備された道、という部分で可能性の一つとしては考えていたが、どこからどう見ても日本以外の何物でもない、となると思わず脱力もしたくなる。商店街の電光掲示板の日付や、公園で誰かが読んでいた新聞の年月日など、自分の記憶のものとずれているが、体が小学生になっている以上、それぐらいは誤差だ。
(とっとと誰かに連絡を取って、迎えに来てもらうか。)
携帯電話を取り出し、電話をかけようとすると、表示は圏外。周りで何人も、普通に電話やメールをしているというのに、なぜか彼の携帯は圏外。
(は?)
念のためにかけてみる。圏外のメッセージ。もしかして壊れたか、と思ったが、残念ながら他の機能は普通に生きている。と、なると、いろいろ確認が必要そうだ。
(図書館、かな?)
意を決して動こうとしたところで……。
「なによあんた達!!」
かすかに、気の強そうな女の子の声が聞こえる。声の大きさからいって、少なくとも目視の範囲内にはいないであろう。その証拠に、周りの人間は誰も気が付いていない。なんか、面倒事に巻き込まれそうな予感と、犯罪が絡んでいるのであれば無視できないという正義漢との板挟みのまま、声の聞こえた方に急ぐ優喜。
「離しなさいって言ってるでしょう!!」
目に入った光景は、どこからどう見ても犯罪そのものだった。年齢が二桁に届くかどうか、というぐらいの少女二人を、数人の黒服が取り囲んでいる。一方は明らかに外国人で、気の強そうな顔をしている。さっきから周りを威嚇しているのは、彼女のようだ。もう一人は、外見上は日本人だが、気配がやや特殊。とりあえずはおとなしそうな印象だが、実際どつきあいになったら、叫んでいる女の子よりこっちの方がかなり強そうだ。
さっきの場所から距離はそれほどでもない、というのに、いやに人気が少ない。普通の人が目視できるかどうかギリギリ、と言うあたりからまた、それなりに人が増え始めるあたりといい、人がいるあたりからは巧妙に死角になるようにしているところといい、明らかに計画的犯行だ。
察するに、どうやら囮なり何なりを使って二人を油断させて逃げられない距離に誘い込み、一気呵成に捕縛、誰にも気がつかれないように誘拐する、というところか。年の割には賢そうな二人を引っ掛けるあたり、サクラも相当巧妙に配置したのだろうが……。
「まったく、営利誘拐か人身売買かは知らないけど、小学生相手にそこまでやる?」
見てしまった以上、しょうがない。こういう荒事に嫌に巻き込まれやすい自分の運命を嘆きつつ、さっさといろいろと蹴りをつけようと覚悟を決め、優喜は状況に割り込んだ。
「正義の味方気取りか、お嬢ちゃん。」
割り込んできたのが、どう見ても小学生の女の子だったからか、男たちは優喜を、威嚇して追っ払おうとしたらしい。まあ、実際問題、普通なら当然といえば当然の判断だろう。
「まあ、どうとでも取って。ちなみに僕は男だから。女の子に見えるのはもう、諦めてるけど、一応ね。」
面倒くさそうに吐き捨てると、無造作に手近な一人に近寄り、リーチが変わっていることに注意して一撃。鈍い音とともに、白目をむいて崩れ落ちる男。
「あ、ミスった。」
狙った技からすると、打撃が深く入りすぎた。どうも、リーチを短く見積もりすぎたらしい。次の一人に、今度は半歩控え目に技を入れる。今度は狙った場所から数センチずれ、どついた相手を派手に吹っ飛ばしてしまう。
「ああ、もう! リーチが変わりすぎてやりにくい!!」
繊細な技を狙うのはあきらめて、もう普通にぶちのめすことにする。非常識な光景にあっけにとられているうちに、残り全員の意識を刈り取る。
「さて、次が来る前にとっとと逃げるよ!!」
体つきから、このメンバーの中では運動神経や体力面で劣っていそうな外国人の少女を担ぎあげ、小学生の体格とは思えない恐ろしいスピードで撤退する優喜。それにぴったりついてくるもう一人の少女。傍から見たら異様な光景だろう。
結局、二人が迎えの車に乗り込んだあたりで追いつかれ、しょうがなしに足止めをした後、とっとと姿をくらませるしかなかった優喜であった。
閉館間際まで図書館で粘って、ここ数年の出来事について、自分の知っている歴史と明確な違いを発見するに至り、どうやら自分は並行世界に飛ばされたのだ、という結論に確信を抱く。こうなってくると、手持ちのお金が使えるかどうか、その部分がいきなり怪しくなる。
(自販機で買ったジュースぐらいは、大目に見てもらうか……。)
とりあえず、自販機で使える以上、硬貨はほぼ同じものらしい。百円玉と十円玉が何枚か混ざったぐらいなら、早々気がつかないだろう。とはいえ、硬貨はあと何枚も持っていない。そして、現代日本となると、小学生が働いてお金を得る、というのは不可能に近い。しかも、並行世界となると、戸籍もない。
(食料、どうするかなあ……)
また山に戻って、兎なり何なりを捕まえるか、食べられる草を集めて、あく抜きだけをして食べるか。幸い、ポケットに十徳ナイフがある。火を熾すあてはあるから、火事にだけ注意すれば飢え死には避けられるだろう。
などと食糧調達を考えながら、人気のない夕暮れの道を山に向かって歩いていると、この日最後の異変に見舞われる。
人間よりでかいカラスが、いきなり襲撃をかけてきたのだ。くちばしの先は、夕日を反射して輝くベルトのバックル。どうやら、光りものを集める習性に火が付いているらしい。
「危ないなあ、もう!!」
さすがに、そんなでかいカラスの存在を見落とすわけもなく、恐ろしい攻撃力でダイブしてきたカラスを回避。カウンターであごを蹴り上げる。
「このカラス、食べられるかな?」
いい加減、丸一日食事をしていない。さすがに化け物じみた体力を持つ優喜といえど、一日中補給なしで歩き回り、暴漢を撃退し、さらに鬼ごっこまでやらかしている。意識を失う前もあれやこれや何も食べずにやっていたし、いい加減カロリーがやばい。
「仕留めてから考えるか。」
優喜が考えていることを察したか、いきなりカラスの攻撃が激しくなる。目には怯えの色。モードが収集から自己防衛に変わったようだ。
「ええい、こら、抵抗するな!!」
相手のスピードと自身のリーチの変化のせいで、普段なら出あった瞬間にたたき落としているような相手に苦戦する。一度、本格的にこの体で慣らしをしなければいけない、と心に決めつつ、カウンターで大技を充てるべく、技の溜めに入る。このとき優喜は、普段ならやらかさないミスをしていた。認識可能な範囲まで誰か来ていた事に、まったく気が付かなかったのだ。
(いくらでかいとは言っても、たかが鴉ごときに!)
心の中でぼやきながら、大気に漂うエネルギーを急激に取り込む。全身をエネルギーが駆け巡り、体を満たした力が外に漏れはじめ、赤いオーラとなって体の表面を覆う。オーラが分厚い防壁となり、足元に飛び立つための力が集まる。カラスが飛び掛ってくる。極限までひきつけ、優喜が技を解き放つ。
「ていや!!」
抜群のタイミングで技の動作に入った直後、横からものすごい衝撃が襲いかかってくる。奇跡的なタイミング、奇跡的な角度で優喜に直撃した、巨岩の一つや二つは砕こうかというそれは、優喜と目の前のカラスをまとめて粉砕し、なけなしのカロリーを削り取っていく。
「なのは! 思いっきり彼を巻き込んでる!!」
「え!? うそ!!」
普段なら、その程度の衝撃で技を崩されることも、意識を刈り取られることもなかったのだが、さすがにいろいろタイミングが悪かった。ガス欠寸前、慣れない体、技の発動時点で最も脆弱な角度。そもそも、感知能力に優れる優喜が、砲撃が飛んでくるまで気が付かなかったこと自体が、体の変化による彼の不調が、どれほど深刻なのかを示しているといっていいだろう。
薄れゆく意識の中で最後に見たのは、肩にフェレットを乗せ、奇妙な杖を構えて妙なエネルギーの残滓を振りまく、白い服の少女だった。
目が覚めると、純和風の天井が目に入った。外はすっかり日が暮れて、真っ暗になっている。優喜の体内時計では、そろそろ九時は回っていそうだ。
「あ、目が覚めた?」
「えっと?」
「ああ、いきなりだから分からないわよね。」
急に声をかけられ、前後の状況がつかめない状況で視線を横に向けると、年かさに見積もって二十代後半程度の女性が、視界に飛び込んでくる。
「なのは、ああ、私の娘ね、が、あなたが倒れてるところを見つけて、ね。ほっとくわけにもいかないから、うちに連れてきたの。」
なのは、という名前がかすかに引っ掛かる。そう、よく考えてみれば、さっき優喜を撃墜した少女は、フェレットになのはと呼ばれていた。
「えっと、そのなのはさんが、僕を運んできたんですか?」
まあ、自分を撃墜したのだから、それぐらいはしてもらってもばちは当たるまい、とは思ったが、さすがの優喜も、普通の小学生の少女が自分を抱えて歩くのは無理だ、ということぐらいは判断できる。同年代、同じ体格体型の子供と比べると、筋肉がたくさん付いている分、優喜の体は重い。
「いいえ、違うわ。あの子に誰かを抱えて運んでくるような体力はないわよ。運んできたのは、息子の恭也よ。」
「恭也さん、ですか。」
いい加減、いろいろこんがらがってきた優喜。とりあえず分かったことは、どうやら自分を撃墜した少女の家族は、ずいぶん親切な人たちらしい、という一点のみ。
「ちょっと待ってくださいね。いろいろ整理したいので。」
「あ、そうね。いきなりいろいろ言われても分からないわよね。」
「と、言うかそもそも、よく考えれば自己紹介からしないといけない気がしてきました。」
「ああ、それもそうね。私は高町桃子。翠屋っていう喫茶店でパティシエをやってるわ。」
ようやく、目の前の女性の名前と職業が分かる。パティシエと聞いて、いろいろ納得する部分がある優喜。道理で、彼女から小麦粉や砂糖を主体とした甘いにおいが漂ってきているわけだ。
「えっと、僕は竜岡優喜。○○大学三年生、だったはずなんですけど、ね……。」
一応、枕元に置いてあった自分のウェストポーチから財布を取り出し、免許証を出して自己紹介をする。
「うーん、嘘をついてるわけではなさそうだけど、大学生にも、この写真ほど年を取っているようにも見えないわね。」
「ですよねえ……。」
さて、どう説明したものか。同じ境遇になったら、自分でなくても説明に困る、そんな自信が優喜にはある。この身に起きたことをそのまま説明したところで、普通なら頭がどうかした、か、空想をそのまま語っている、としか受け取られることはあるまい。ぶっちゃけ、家出少年の無理のある言い訳、と取られても仕方がない。とはいえ、ほかに説明のしようもないのだが。
「えっと、今から話すことは誓って真実なんですが……。」
と、腹をくくって今までの事を順を追って説明する。アルバイトで発掘調査に参加していた遺跡での事故。気がついたら山の中で体が縮んだ状態で気絶しており、麓に降りてきたら見覚えのない土地だったこと。なぜか携帯電話が圏外で、昨日までの自分がいた年月日と違ったこと。いろいろ歩き回っているうちに空腹に負けて、気がつけば意識を失っていたこと。
最後は嘘だが、さすがに助けてもらった相手に、あなたの娘さんと思われる女の子に撃墜されました、とは言えなかった。優喜でなくても、まともな神経ならば言えないだろう。
「……なんだか、漫画みたいな経験をしてるのね……。」
普通、こんな説明信じないよな、と当の優喜が思っていたのに、桃子はあっさり信じたようだ。
「はい……。って、自分で言うのもなんですが、信じたんですか?」
「嘘を言ってるかどうかは、分かるつもりよ。嘘つきな家出少年の線も疑ったんだけど、それにしては状況認識が的確だし、言葉に矛盾もないし、免許証の写真も、同一人物のビフォーアフターだって言われれば、説得力があるし。」
「ですか。」
まあ、一人でも味方ができたのは心強い。あとは、今後どうするか、だが、その前に……。
「おなか、すいたでしょ? ご飯は用意してあるから。」
「えっと、いいんですか?」
「ええ。というか、食べてくれないと困るわ。」
という桃子のありがたい厚意に甘え、案内された食堂で、暖かくて美味しい食事を噛みしめた優喜。これで、明日一日は何とか持ちそうだ。
「それで、これからどうするんだい?」
桃子の夫、高町士郎に問われ、思案顔を浮かべる。食事中に、改めて説明した事情。それをどういうわけか士郎も信じてくれたようだ。さすがに息子の恭也と娘の美由希は胡散臭そうな顔をしていたが、年長者二人が受け入れた以上は無粋な突っ込み入れないつもりのようだ。
「そこが問題なんですよ。日本は小学生が働いて一人で生活できる国じゃないし、そもそも戸籍があるかどうかもあやしいから、警察に補導されるといろいろややこしいですし。」
と言ったのち、財布から所持金を全部とりだす。残高は全部で四万七千六百八十六円なり。運よく二千円札を除くすべての貨幣がそろっている。
「このお金が使えるかどうかもわかりませんし、キャッシュカードはまず無理でしょうし。自分の家に帰る以前に、生活基盤に問題があります。」
「だな。話を聞く限り、現状の確認をして、帰る方法を探して、となると、一年やそこらでけりがつく問題でもあるまい。生活基盤は必須だろう。」
恭也の指摘に、苦笑しながらうなずく優喜。
「まあ、生活基盤の方は、うちにいればいいとして、だ。」
「って、ちょっと待ってください。」
「ん?」
士郎がさらっと言ってのけたセリフに、あわてて突っ込みを入れる優喜。
「いくら見た目が子供と言っても、こんな不審人物を置いておくんですか? 一人増えたら、食費だってばかになりませんよ?」
「なあ、竜岡。」
「なんですか、恭也さん。」
「うちの家族を、甘く見ない方がいい。」
「……ですか。」
なんとなく、納得する。どうもここの家は、目に見える範囲で孤児がいたら、当たり前のように里親になる類の一家らしい。そもそも、察せられる恭也と美由希の戦闘能力なら、孤児が不良化したところで一瞬で沈黙させられるだろう。
「とりあえず、生活基盤はそれで解決するとして、問題は戸籍、だな。」
「戸籍がないと、学校に行けないものね。」
士郎の言葉に、桃子が相槌を打つ。
「あの、高校までの課程はちゃんと終わってるし、別に学校に行く必要は……。」
「竜岡の外見で学校に行かない、というのは非常に目立つ。余計なトラブルを抱えることになりかねない。」
優喜の突っ込みを、恭也がつぶす。思わず、あ~、う~、などとうなる優喜。
「……ま、まあ、そこらへんは戸籍やなんやが解決してから、考えましょう。」
何とかできるのなら、と思わず内心でつぶやく優喜。が、士郎の隠している雰囲気やらなにやらから、どうにかできそうなコネは持っていかねないのが問題だ。
「なんにしても、色々目処が付くまで、ここにいてくれればいい。」
結局、士郎と桃子の勧めを断りきる手段は、今の優喜には残されていなかったのであった。
翌日早朝。結局あの後体力の限界もあって、風呂をもらって速攻寝たため、本日ようやく、体の慣らしの時間が取れたという感じである。洗顔と歯磨きを済ませると、寝間着代わりに貸してもらったジャージとTシャツのまま庭先に出る。
「早いな、竜岡。」
「おはようございます、恭也さん。」
軽く準備運動をしていると、同じように準備運動をしに、士郎と恭也が出てくる。後ろを見ると、美由希も今準備が終わったらしい。
「体は大丈夫なのか?」
「単に貧血で倒れただけなので、ちゃんと食べて一晩寝れば、大丈夫ですよ。」
もっとも、直接的な原因は、彼の妹に撃墜されたことなのだが。
「いくら調子がよさそうだと言っても、倒れていた以上何があるか分からない。あとでちゃんと予定通り、病院で診てもらうんだぞ。」
「無理をしてもロクなことがないのは、ちゃんと理解してるので安心してください。」
優喜の見た目でそれを言われても説得力はないが、言動を見ていると、中身の年齢を考えても相当落ち付いている。まあ、信用しても大丈夫そうだ。
「優喜は、いつもこの時間なのか?」
「大体これぐらいですね。新聞配達のバイトをやってた時は、もっと早かったんですが。」
士郎の質問に、きっちり体をほぐしながら答える。
「そういえば、優って結構鍛えてるよね。何か運動やってるの?」
「まあ、武術を申し訳程度に。こっちに飛ばされる前は、学校の課題とバイトが忙しくて、体の維持が精いっぱいでしたけど。」
ウォーミングアップも終わり、ランニングと型修練のどっちをやろうかと思案しながら、美由希の問いにも答えを返す。ちなみに、美由希は昨日の段階で、優喜の事を優と呼ぶことに決めたらしい。中身はともかく見た目は年下なので、かなり遠慮がない。
「じゃあ、俺たちと一緒に走るか?」
「あ、そうですね。この辺の地理もあまり分からないし。」
士郎の申し出に応じる優喜。正直、願ってもない話だ。正直、一人でランニング、というのは、状況的に激しく誤解を招く。士郎の側も、一人でほっぽり出して、倒れられても困るというのもあるのだろう。
「昨日の今日だから、一応書置きを残してきた。」
いつの間にか家に入っていた恭也が、何気に気のきくことをしてくれていた。
「じゃあ、いくか。」
士郎の号令で、四人は朝の空気の中を走りだした。
「むう、暇だ。」
九歳児どころか普通の人間とは思えぬ体力と技量を見せ、高町家の面々を驚かせた優喜だが、見た目が子供なのはいろいろ面倒だ。平日なので、迂闊に外を出歩くこともできず、体を慣らすための型稽古も、オーバーワーク手前までやった後。恭也たちが帰ってきたら、服および日用品を買い出しに行く予定ではあるが、それまでは大したことはできない。
高町家は喫茶店「翠屋」を経営しており、士郎も桃子も日中は家にはいない。そして、子供たちはみんな学校があり、必然的に、立場の定まらない優喜は一人でお留守番、である。病院での検査も終わり、本日の用事はここでストップだ。一応念のため、激しい運動は禁止されているが、それを守っていると本格的にやることがない。
外に出られない、型稽古も限界までやった。勉強しようにも、自分のレベルに対応しているものは、恭也の入試用の参考書程度。型稽古の前に一時間ほどやって、最初の一冊の三分の一ほどを解いたあたりで、これからの自分にいまいち役に立たないと判明してやめた。全部解いたところで、せいぜい美由希の家庭教師以外に使い道がない。
しょうがないので、流派のもうひとつの鍛錬、練気を行っていたのだが、練り上げすぎてやばいもれ方をしたのでストップ。やはり、どうにも体の許容量も低い。優喜としては、外見以上にこの限界の低さがやばすぎる。自分が本来この年だったころから見れば比較にならないとはいえ、弱いものは弱い。
「参った、本当に参った。」
平日の昼間にやっているテレビ番組なんぞ、ろくなものはない。その事情はこの日本も故郷の日本も同じらしい。この世界のことを色々調べたいが、外へ出るのはNGだし、インターネットを使うにもパソコンを勝手に触るのは気が引けるし、優喜の携帯電話は、記録してあるデータを呼び出す以外の機能は死んでいる。もっとも、調査のために恭也に預けてあるので、そもそもこの場にないのだが。
「む、誰か帰ってきたか。」
やることもなく、世話になるのだから、と、できる範囲で掃除をしていると、外から軽い足音。どうやら末っ子のなのはが帰宅したらしい。まあ、小学生が寄り道せずにまっすぐ帰ってくる、となるとこれぐらいの時間だろう。
「おかえり。」
「ただいま、優喜君。」
玄関まで出迎えると、予想通り栗色の長い髪を両側で束ねた、白い制服姿の小学生の姿が。高町なのは、将来有望な整った顔立ちをした女の子である。ちなみに、昨日優喜を撃墜した張本人である。肩にはフェレットがちょこんと座っている。今朝から、目が会うたびに何か言いたそうにしているが、優喜はあえて気がつかないふりをしている。
「おやつ冷蔵庫だって。」
「は~い。」
着替えに上がったなのはに、一応声をかけておく。とりあえず、使った道具を片し、大きく伸び。
「そういえば、今日はお兄ちゃんたちと、服とか買いに行くんだよね?」
「うん。ほかにも食器とかも買いに行くんだって。」
今の優喜の服装は、こちらに飛ばされてきたときのそれだ。夏物の白い長袖のカッターシャツとジーパン。今の季節にはやや肌寒さを感じさせる。向こうでは夏だったが、こちらはまだ春先なのだからしょうがない。ちなみに長袖なのは、遺跡の調査という作業上、肌の露出はできるだけ減らしておくべきだったからに他ならない。
「あれ?」
「ん?」
「このチラシ、何?」
「ああ、暇だったから、勉強してた。」
いかになのはが理系とはいえ、小学生の身の上には理解できない数式がびっしりと書かれたチラシが何枚か、テーブルの上に無造作に置かれている。
「勉強って、どの教科書で?」
明らかに小学校で習う内容ではないそれについて、なのはが質問を飛ばす。その質問に、テレビ棚の中に置き去りになってあった本を指さして答える優喜。
「恭也さんの参考書。置き去りになってたのを勝手に使わせてもらった。」
一時間ぐらいで飽きたけどね、と、苦笑しながら言う優喜に、反応を決めかねるなのは。
「で、暇だったから勝手に掃除とかしてた。」
そういえば、玄関周りが妙にきれいだった。よく見ると、ほかにもあちらこちらきれいになっている。
「ゲームとかしてたらよかったのに。」
「間違って、セーブデータとか消したらまずいと思って、触らなかったんだ。」
やたらめったら気配り上手な少年だ。なのは的には、こんな同い年がいるのは勘弁してほしい。
「じゃあ、お兄ちゃん達が帰ってくるまで、一緒に遊ぼっか。」
「いいけど、宿題とか大丈夫?」
「今日はそんなにいっぱい出てないから、大丈夫。」
「だったら、分からないところがあったら教えるから、先に片付けちゃおうよ。たぶん、恭也さんたち、もうすぐ帰ってくると思うし。」
それに、こっちの学校の課程がどのへんなのかも知りたいし、という優喜の言葉に、しぶしぶ先に宿題を片付けることになったなのは。なのはは知らないことだが、教育学部に所属しているだけあって、優喜の教え方はとてもうまかった。恭也たちが帰ってくるまでに、なのはは宿題を終えることができたのであった。
「竜岡は、頭がいいんだな。」
「あの~、僕の中身が見た目通りの年じゃないって、忘れてません?」
買い出しを終えたあとの事。チラシの裏にびっしり書かれた数式を見て、思わず冷や汗をかきながらうめく恭也。
「だったら、敬語はいらん。俺とそれほど年が変わらんからな。」
「さすがにそれは不自然だと思うんですが。」
「お前の外見で、そんな丁寧な会話をしてること自体が不自然だ。」
まあ、そうかもしれない、と苦笑する優喜。
「それはそうと優、服のジャージ率が高すぎると思うんだけど?」
「いいじゃないですか、安いし、丈夫だし、動きやすいし、汚しても問題ないし。」
「恭ちゃんみたいに黒一色ってのもどうかと思うけど、その年で年配の教師みたいなセンスってのも問題だと思うよ。あと、敬語禁止。」
「むう。」
優喜としては、確信犯でゴスロリを着せられそうになるぐらいなら、センス絶無でもジャージオンリーの方が、絶対的にマシだ。とはいえ、さすがに箪笥をあけたらジャージがびっしり、とかいうのは自分でもどうかと思うので、どこかに出かける時のために三枚、今着ているカッターシャツのような無難なものも用意はしている。
「そういえば優喜君、学校はどうするの?」
「今いろいろ検討中。詳しくは士郎さんと桃子さんに聞かないと、ね。」
などと話をしていると、夕食のために件の二人が帰ってくる。
「お帰りなさい。」
「おう、ただいま。元気にやってたか?」
「はい。」
「いろいろと、優喜に話すことがあるから、ちょっと道場のほうに行こうか。」
桃子に目配せをして、出迎えに入り口まで来ていた優喜を道場のほうに連れて行く士郎。
「戸籍については、どうにかできそうだ。」
「へ?」
「確認しておきたいんだが、お前さん、両親の名前は達也と美紀、じゃないか?」
「はい。」
「じゃあ、瑞穂って妹がいなかったか?」
「ええ。」
優喜の返答に、やっぱりか、と顔をしかめる士郎。
「ちなみに、この人たちか?」
写真を見せられて、凍りつく優喜。
「数日前に、この近くで車の転落事故があってな。一人だけ死体が上がってないんだ。」
「……こっちの僕も、か。」
「こっちもってことは……。」
「中学に上がる少し前に、事故で家族が全員亡くなってます。ただ、転落事故ではなく追突事故ですけどね。」
自分自身が事故にあったのは年齢的にはもう少し後だし、もう八年は経つ。いい加減吹っ切れたつもりだったのだが、こういう事実を突き付けられると、さすがに動揺が隠しきれない。
「……これ、どうやって調べたんですか?」
「昨日、君が眠った後、知り合いの警官に連絡を取った。それで、君の事を調べてもらった結果がこれだ。」
「……戸籍ってもしかして。」
「ああ。この優喜君のを使わせてもらう。明日、警察に行って、事情を説明することになるがね。」
「何日も警察に届け出を出さないっていうのは、いろいろつつかれるんじゃないですか?」
「そこはそれ、俺に任せておけばいいさ。」
「本人が出てきたら、どうするんですか?」
「生きてることが奇跡、って種類の事故だ。遺留品はいっぱい出てきてるが、肝心の死体が出てこないだけ。これから本人が出てくる可能性は極めて低いし、今後出てきたとして、それこそなんで今になって、という話になる。」
納得するかどうかが悩ましい話だが、自分の経験からいっても出てくることはないだろう。死体が上がった時が問題だが、その時はその時だ。
「向こうでは僕は、琴月さんという方のお世話になっていたんですが、その方とこちらの竜岡家の関係はどうなってるんでしょうか?」
「それはまた、調べておくよ。」
「お願いします。」
少し、暗澹たる気分が抜けないが、ある程度の行動の自由と法的な裏付けは確保できたようだ。
「あと、君が持っていたお金は、こちらのお金との違いがなかった。金額も小さいし、そのまま使っても問題はないだろう。」
「ですか。」
「で、携帯電話の方だが、恭也の方の伝手で調べてもらった。基本的な部品やソフトウェアの仕様・規格は同じだが、通信の規格が全く違う方式だったらしい。明らかに量産品だが、世界のどこを探してもこんな電話はないだろう、とのことだ。免許証の検証結果も合わせて、どうやら、君が別の世界から飛ばされてきた、という話は信憑性が高いと判断せざるを得ないようだ。」
「やっぱり、間違いなく別の世界ですか。」
分かっていたこととはいえ、先の事を考えるとうんざりする話だ。
「でまあ、学校の方だが、これは飯を食いながら話す。」
「はい。」
「優喜、木曜日は聖祥学園の編入試験を受けにいってくれ。」
「えらく早いですね!?」
夕食中に落とされた爆弾に、思わず全力で突っ込みを入れる優喜。戸籍もちゃんとはなっていないというのに、いったいどうやったのだろう?
「理事長に事情を話したら、すぐに段取りしてくれてな。」
昨日保護されて、今週中には戸籍周りも学校がらみもすべて整うと来た。いったいこの人たちは何者なのだろう? とは、優喜でなくても思うところだろう。
「その聖祥って、どんな学校なんですか?」
「なのはも通っている学校でね。大学までの一貫教育をしている、学力としつけ重視の私立校だ。」
「拾った子供を通わせうような学校じゃないし!?」
なのはの様子から、相当な学力とそれ相応の財力を要求されるような、いわゆる名門の学校という印象だ。正直、学費が怖い。
「学費もったいないし、公立じゃだめなんですか?」
「うちだと、なのはが一人になりがちだからな。同じ学校に通えば、時間も合わせやすいと思ってね。」
士郎の言葉は、優喜も気になっていたところだ。士郎と桃子、恭也と美由希が大体ペアで行動するうえ、運動神経の問題もあってか、恭也と美由希が学んでいる剣術を、なのはは一人だけ触っていない。必然的に、行動が単独になりがちだ。
「優喜君、聖祥に来るの?」
「いや、編入試験に受かるかどうか、分かんないし。」
「受からんわけがないと思うぞ、優喜。」
中身の年齢と、先ほどのチラシの裏との二つの理由で、確信をもって言い切る恭也。ちなみに、苗字から名前に呼び方が変わっているのは、敬語禁止との交換条件のようなものだ。
「いや、分かんないよ、恭也さん。意外と小学生の試験問題って、変な知恵が必要だったりとか、下手な高校の試験より難しかったりするし。」
「それを理解している時点で、俺にはお前が落ちる要素が見つからんよ。」
「しかしまた、急な話ですね。早くても来週ぐらいの話になるかと思ってたんですけど。」
恭也の台詞を苦笑しながら流し、士郎に水を向ける。現実問題として、九歳どころか二十歳の人間でも、この急激な変化にそこまで早くなじめるものではない。
「最初はそのつもりだったんだがね。昨日の晩と今朝の様子を見て、別に早くても大丈夫そうだと思ったんだ。」
「優喜君、予想よりずっと落ち着いてるし馴染んでるから、前倒しでそういうのを固めてもいいかなって。」
高町夫妻の指摘通り、優喜は環境になじむのが早い。まあ、これまでも散々、唐突に厄介な環境にたたきこまれる経験を繰り返しており、屋根と食事があるだけましだと冗談抜きで思っているわけだが。
「まあ、優喜君がしっかりした学力を身につけてるとはっきりしてたから、いきなりも大丈夫そうだと思ったのが一番かしら。」
と言って、一応試験範囲を示すドリルを渡してくる。
「来週から、優君も学校ね。」
「まあ、落ちないように頑張ります。」
どうにも、受かることが前提になっている気がする。まあ、いくらなんでも、小学校の編入試験に落ちるのは恥ずかしい。明日は戸籍関係の話が終わったら、必死に一夜漬けをするべし、と心に決める優喜であった。
その日の夜。夕食後に軽く体を動かし、風呂と歯磨きも済ませてさあ寝るべし(深夜の鍛錬は、当面禁止を通達された)というタイミングでのこと。
「……?」
昨日も感じた、誰かが外に出ていく気配。ぶっちゃけ、足音の軽さとリズム、そして駄々漏れの気配から、対象は一人しかいない。
「なのはのやつ、こんな時間にどこに行ってるのやら。」
自分を撃墜したことと併せて、確認をしておく方がいいだろう。優喜は即座に、後をつけることを決める。幸いにも、自分はジャージだ。外見年齢以外に、外に出て困る理由はない。
なのはは予想通り、空を飛んで移動していた。時間的にあまり目立たないが、こんなにほいほい飛び回っていいのだろうか、と優喜などは心配になるが、本人は多分あれでも、十分気を使っているつもりなのだろう。フェレットのユーノも一緒だ。
「さて、どこまで行くのやら。」
隠形を行いつつ、付かず離れずの距離を走って追いかける優喜。飛べなくはないが、さすがに今の自分の能力から、隠形と両立する自信はない。
しばらく、追跡を続けると、急激に妙な力が膨れ上がるのを感じる。
(これが目的か。)
高台にある神社。その鳥居に巨大なクモが巣を張っていた。でかい以外は普通にクモだ。どうもなのはは、この手の何かを退治して回っているらしい。
「さて、お手並み拝見と行くか。」
いきなり割り込んでも、ロクなことはない。また誤射で撃墜されてはたまらないので、ピンチになるまでは手を出さないのが無難だろう。
しばらくは、圧倒的な火力の砲撃で優勢に進めていたなのはだが、攻撃・回避ともにあまりにワンパターンすぎた。いくらでかいと言っても、クモはクモだ。虫というのは、哺乳類とは違う方向で素早い。相手の殻の硬さもあり、だんだん攻撃が通用しなくなってきて、ついには……。
「あ~あ。」
ものの見事にクモの糸に絡めとられてしまうなのは。攻撃されると目をつぶってしまうのは、戦闘をする上で大きなマイナスポイントだ。
(しょうがない、助けるか。)
まずは、糸を切るところからスタートだろう。後は、どの程度助ければいいのか、だが、そこはやりながら相談だ。
優喜は、なのはと巨大クモの間に割り込んだ。
食べられる! 思わずそう観念した瞬間、急に体の束縛が解けた。
「戦闘中に目をつぶるのは、殺してくださいって言ってるようなもんだよ?」
なぜか聞こえてくる、昨日から家族になった少年の声。なのはが恐る恐る目を開くと、自分を抱えたまま、目の前のクモを蹴り飛ばす優喜の姿が。
「ゆ、優喜君?」
「ん。」
なのはを解放し、滑るように間合いを詰める。クモの足をつかむと、豪快に投げ飛ばす。
「とりあえず細かい話は後にして……。」
拳の先から炎の龍を出して、周囲に延焼しないように、クモの糸を焼き払う。
「この体だと、まだ微妙な手加減ができないんだけど……。」
起き上がって、突っ込んできたクモを、もう一度蹴り飛ばして吹き飛ばし、再びひっくり返す。
「仕留めてしまって、いいよね?」
「え……、あ……、うん……。」
なのはの返事を確認し、全身に炎をまとって距離を詰める優喜。全身なのは、技が体当たりから始まるためだ。
「行くよ!」
体当たりでクモを浮かせ、駆け上がるように蹴り続ける。エビやカニが焼けるような、妙に食欲をそそる香ばしいにおいがあたりに漂う。全身の炎を蹴り足一点に集中させ、蜘蛛を大きく跳ね上げるように蹴り上げる。
「止め!!」
赤いエネルギーの塊を数発連続でクモにたたき込み、跡形もなく消し飛ばす。後には正体不明の宝石が一つ。
「……なのは! 封印を!!」
しばしあまりの状況に我を忘れていたフェレットのユーノが、自分の仕事を思い出してなのはに声をかける。
「うん!!」
同じく我に返ったなのはが、杖を構えて封印の術を発動させる。宝石の表面にローマ数字が刻み込まれ、大量にばらまかれていたエネルギーが、嘘のように鎮まる。
「さて、どうやら仕事も終わったらしいし、事情は帰りながら聴かせてもらおうか。さっさと帰らないと、気が付いてないふりしてる士郎さんたちも、さすがに流してくれないし。」
「あ……。」
「うっ……。」
優喜の台詞に、なのはとユーノ顔が引きつる。触れてほしくない話題だったようだ。
「てか、士郎さんたち、気が付いてるの?」
「仮にも古流の、それも銃器相手に切りあいをするための剣術をやってるような人たちが、あんな隠す気まったくなしの駄々漏れの気配での脱走に、気がつかないわけないでしょ?」
ユーノの疑問に、身も蓋もない現実を突き付ける。
「まあ、とりあえず僕がなのはを追いかけたのも、わざと分かるように出てきてるから、とりあえず家に着くまでに事情を説明すること。」
「ご、ごめんなさい!!」
「えっと、それは黙ってたことについて? それとも昨日僕を撃墜したことについて?」
「う~……。」
徹底的に触れてほしくない話題だったようだ。とりあえず、話が進まないので軽く流すことにする優喜。
「まあ、昨日のは、そもそもなのはがいたことに気がつかなかった僕が迂闊だった訳だし。」
「それですませるの?」
ユーノの突っ込みを華麗にスルーし、状況整理をする事にする。
「昨日のカラスもさっきのクモも、あの宝石が原因、でいいのかな?」
「うん。あの宝石、ジュエルシードっていうんだけど、あれの機能が暴走してああなるんだ。」
そのまま、ユーノが事の経緯を説明する。ユーノ・スクライアは事情があってフェレットもどきの姿を取っているが、れっきとした人間である。ミッドチルダと呼ばれる世界の出身で、まだ幼いながらも一端の考古学者として発掘調査に携わっていた。
ロストロギアと呼ばれている、古代の遺跡などから発掘される、まだ生きている工芸品。その一種であるジュエルシードを少し前に発掘したユーノ達。ロストロギアと言っても、大した機能のない安全な物から、世界を滅ぼしかねない危険物までいろいろあるが、ジュエルシードは全力で後者だった。
さすがに、この手の危険物は、いくら発掘者といえどもそのまま保有するのは禁止されている。ユーノ達の一族は、ロストロギアの研究に関しては有名な一族だが、それでもこの規定においては例外ではない。ゆえに、しかるべきところに輸送する事になり、ユーノが責任者として付いていったのだが……。
「何者かに襲撃されて、この世界にばらまいてしまったんだ。」
「ちょっといい?」
「なに?」
「襲撃されて、ばらまいた、ってのはいいとして。一応個人での保有が禁止されるような物騒なものを、勝手に探して回収していいの? その手の組織に連絡入れてないの?」
「あ~、本来はいけないんだけど、ちゃんと連絡は入れてあるよ。さっき見たとおり、ジュエルシードは封印をかけてないと、特級の危険物だからね。少しでも被害を抑えるために、特例で許可をもらったんだ。」
ユーノの言い分に、とりあえず納得する優喜。他にもいろいろ疑問はあるが、なぜなのはがかかわっているのか、を聞いてからでもいいだろう。
「で、僕たちに黙ってる理由は大体分かるとして、だ。なのはが何で回収を手伝ってるの?」
「ジュエルシードの暴走体は、攻撃手段に乏しい僕だと対応できなくてね。追い詰められたところを、たまたま現場にいたなのはに助けてもらって、そのままなし崩しに手伝ってもらうはめになっちゃって……。」
「要するに、幸運にも、なのはが攻撃系の魔法にやたら才能があったから、そのまま砲台代わりになってもらってる、と。」
かわいい顔して物騒だ、などと余計なことを言う優喜。物騒と言われて顔を膨らませるなのは。そんななのはを無視して、話をつづける優喜。
「で、ジュエルシードってのは、さっきの感じだと基本的には単なる高エネルギーの結晶体っぽいんだけど、何をどうしたら、あんな風になるの?」
「あれは、ジュエルシードの願いをかなえる機能が暴走してるんだ。」
「あ~、なんとなくわかった。その機能、願いをかなえる、と言うより、単なる制御機能なんだと思う。だから、どういう結果にするためにどれぐらいのエネルギーをどういう形で利用する、っていうのを枝葉末節まできっちりイメージしてないと、あっさり暴走するんじゃないかな?」
多分、ジュエルシードのその機能は、汎用性を追求しすぎたのだろう。生物のアバウトな願いを無理やりかなえようとして、結局暴走するしかないのではなかろうか。
「優喜、あの程度の時間の観察と今の説明で、よくそこまで推測できるね……。」
「まあ、いろいろあって、感覚器だけは人一倍鋭くてね。それなりにこの種のトラブルにも巻き込まれてるから、大体のところは予想できるよ。」
「……まあ、僕の説明はこんなもん。次は優喜の事を教えてくれないかな? 特にさっきの攻撃方法について。」
「ん。と言っても、あれ自体は大した話じゃない。要するに漫画とかアニメでよくある『気』ってやつを使ってるだけ。ユーノやなのはが使う魔法と違って、ちゃんとした師匠の下で訓練すれば、程度の差はあれ誰でも使えるようになる種類の技能。」
大した話じゃない、と言いながら、十分非常識な話である。しかも、ユーノの見立てでは、優喜が最後に撃った龍の形をしたエネルギー波は、なのはの砲撃にこそ劣るものの、大概の防御魔法を歯牙にもかけない程度には威力があった。あれを連射できる時点で、大したことがない、などというのは通用しない。
「……あれで大したことないって言われても信用できないんだけど。」
「言っとくけど、僕程度はごろごろいるよ。そもそも、今の僕は本来の体じゃないから、いろいろ誤差が大きくて、かなり能力的には落ちてるし。それに、本来の体でも、ぶっちゃけ僕より強い人間を三桁は知ってるし。」
サラっと言われた内容に、絶句するしかないなのはとユーノ。その間にも優喜のぼやきは続く。
「昨日のカラスといい今日のクモといい、あの程度で奥義を使わなきゃいけないとか、情けなくて涙が出るよ。本当なら山籠りでもして鍛えなおしたいところだけど、お世話になってる手前、そういうわけにもいかないし……。」
「……ちょっと待って。」
「ん? どうしたの、なのは?」
「本来の体って何?」
なのはの突っ込みに、ユーノも(フェレットなので分かりにくいが)表情を変える。つまり、優喜も尋常ではない事情を抱えているのだ。
「あ~、そういえば、士郎さんたちに事情説明した時、なのははいなかったんだっけ?」
「うん。優喜君が起きたのって、私がジュエルシードを探しに出た後だったし。」
「まあ、簡単に言うと、遺跡発掘中の事故で並行世界から飛ばされてきたんだ。本来は今年二十歳になった、お酒も飲めれば選挙にも行ける立派な成人男性なんだけど、その事故の時になぜか体が子供になって、ね。」
さらにとんでもないことを、あっさり告げる優喜。道理で自分と同い年の割にはやたらと学力が高かったり、妙な落ち着きがあったりするわけだ。なのはが思わず納得してしまう。
「あの、士郎さんたち、それを納得したの?」
「うん。僕が渡した証拠で一応確認も済んでるし、いろいろ、訳ありの家出少年で済ませるには無理のある部分もあったし。」
「確認が済んでるの!?」
「決め手は携帯電話だったかな。明らかに量産品なのに、同じ部品を使った製品がどこにもなかったのが決定的。」
優喜の台詞に、それをどうやって調べたのかが気になってしょうがないなのはとユーノ。
「まあ、僕の話はこんなもん。ぶっちゃけ、今日明日どうにかなるような問題じゃないから、とりあえず全部横に置いておこう。」
自分の事をさっくり横に置いておく優喜の割り切り方に、複雑な感情を覚えるなのは。それでいいのかと突っ込もうにも、現状他の解決策がないことが分かってしまっているユーノ。
「で、これからもジュエルシードを集めるんだったら、なのはは今のままじゃだめだ。」
「え?」
「戦うってことに対する覚悟も足りないし、訓練もなってない。今までうまくいってたのは、正直相手が雑魚だったからにすぎない。」
「うっ……。」
優喜の言葉はすべて正論だ。今までの相手はすべて、パワーはともかく戦闘能力をランク付けした場合、ユーノに攻撃力があれば問題ないレベルの相手ばかりだった。なのはの火力なら、当たれば一瞬という相手ばかりだったので、このままずっとうまくいくと思い込んでいたのだ。
「ユーノ、あれの封印はできるんだよね?」
「まだダメージが抜けきってないからちょっと心もとないけど、できないわけじゃないよ。」
「だったら、最善の解決策は、僕がユーノと組んで回収すること。」
優喜の言葉に、なのはが明らかに不満そうな顔をする。その反応を予想していた優喜は、事前の案を告げる。
「まあ、ここまで係わって、いきなり後から来た僕に役目を取られたら、なのはも納得できないだろうし。どうしても付け焼刃になってくるけど、僕がなのはを鍛えるよ。」
「え?」
「とりあえず、僕の使う技能系統は教えられないけど、伸ばすべき部分と足りない部分を指摘して強化するぐらいの事は最低限できると思う。」
「でも、優喜は魔法については素人だよね?」
「うん。正直、見てて仕組みも分からないし、そもそも僕が定義してる魔力と、君たちが使ってる魔力は近くて遠い感じだし。」
優喜の言葉に、不安そうな顔をするなのはとユーノ。
「だから、ユーノには、僕が指摘した欠点を補える魔法が存在するかどうか、どう組み立てればいいか、それをなのはにアドバイスしてほしい。それ以外の実戦に絡む部分は、僕がびしばしやるから。」
びしばし、という単語に不安を覚え、思わず顔が引きつるなのは。
「……あの、お手柔らかにお願いします。」
「善処はするよ。」
こうして、高町家滞在二日目にして、優喜は自分から面倒事に首を突っ込んでいくことになったのであった。