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No.18194の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第二部 完結】[月桂](2014/01/18 21:39)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(二)[月桂](2010/04/20 00:49)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(三)[月桂](2010/04/21 04:46)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(四)[月桂](2010/04/22 00:12)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(五)[月桂](2010/04/25 22:48)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(六)[月桂](2010/05/05 19:02)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/05/04 21:50)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(一)[月桂](2010/05/09 16:50)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(二)[月桂](2010/05/11 22:10)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(三)[月桂](2010/05/16 18:55)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(四)[月桂](2010/08/05 23:55)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(五)[月桂](2010/08/22 11:56)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(六)[月桂](2010/08/23 22:29)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(七)[月桂](2010/09/21 21:43)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(八)[月桂](2010/09/21 21:42)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(九)[月桂](2010/09/22 00:11)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十)[月桂](2010/10/01 00:27)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十一)[月桂](2010/10/01 00:27)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/10/01 00:26)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(一)[月桂](2010/10/17 21:15)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(二)[月桂](2010/10/19 22:32)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(三)[月桂](2010/10/24 14:48)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(四)[月桂](2010/11/12 22:44)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(五)[月桂](2010/11/12 22:44)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/11/19 22:52)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(一)[月桂](2010/11/14 22:44)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(二)[月桂](2010/11/16 20:19)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(三)[月桂](2010/11/17 22:43)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(四)[月桂](2010/11/19 22:54)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(五)[月桂](2010/11/21 23:58)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(六)[月桂](2010/11/22 22:21)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(七)[月桂](2010/11/24 00:20)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(一)[月桂](2010/11/26 23:10)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(二)[月桂](2010/11/28 21:45)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(三)[月桂](2010/12/01 21:56)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(四)[月桂](2010/12/01 21:55)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(五)[月桂](2010/12/03 19:37)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/12/06 23:11)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(一)[月桂](2010/12/06 23:13)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(二)[月桂](2010/12/07 22:20)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(三)[月桂](2010/12/09 21:42)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(四)[月桂](2010/12/17 21:02)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(五)[月桂](2010/12/17 20:53)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(六)[月桂](2010/12/20 00:39)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(七)[月桂](2010/12/28 19:51)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(八)[月桂](2011/01/03 23:09)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 外伝 とある山師の夢買長者[月桂](2011/01/13 17:56)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(一)[月桂](2011/01/13 18:00)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(二)[月桂](2011/01/17 21:36)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(三)[月桂](2011/01/23 15:15)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(四)[月桂](2011/01/30 23:49)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(五)[月桂](2011/02/01 00:24)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(六)[月桂](2011/02/08 20:54)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/02/08 20:53)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(七)[月桂](2011/02/13 01:07)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(八)[月桂](2011/02/17 21:02)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(九)[月桂](2011/03/02 15:45)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十)[月桂](2011/03/02 15:46)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十一)[月桂](2011/03/04 23:46)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/03/02 15:45)
[60] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(一)[月桂](2011/03/03 18:36)
[61] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(二)[月桂](2011/03/04 23:39)
[62] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(三)[月桂](2011/03/06 18:36)
[63] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(四)[月桂](2011/03/14 20:49)
[64] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(五)[月桂](2011/03/16 23:27)
[65] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(六)[月桂](2011/03/18 23:49)
[66] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(七)[月桂](2011/03/21 22:11)
[67] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(八)[月桂](2011/03/25 21:53)
[68] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(九)[月桂](2011/03/27 10:04)
[69] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/05/16 22:03)
[70] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(一)[月桂](2011/06/15 18:56)
[71] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(二)[月桂](2011/07/06 16:51)
[72] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(三)[月桂](2011/07/16 20:42)
[73] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(四)[月桂](2011/08/03 22:53)
[74] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(五)[月桂](2011/08/19 21:53)
[75] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(六)[月桂](2011/08/24 23:48)
[76] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(七)[月桂](2011/08/24 23:51)
[77] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(八)[月桂](2011/08/28 22:23)
[78] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/09/13 22:08)
[79] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(九)[月桂](2011/09/26 00:10)
[80] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十)[月桂](2011/10/02 20:06)
[81] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十一)[月桂](2011/10/22 23:24)
[82] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十二) [月桂](2012/02/02 22:29)
[83] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十三)   [月桂](2012/02/02 22:29)
[84] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十四)   [月桂](2012/02/02 22:28)
[85] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十五)[月桂](2012/02/02 22:28)
[86] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十六)[月桂](2012/02/06 21:41)
[87] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十七)[月桂](2012/02/10 20:57)
[88] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十八)[月桂](2012/02/16 21:31)
[89] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2012/02/21 20:13)
[90] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十九)[月桂](2012/02/22 20:48)
[91] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(一)[月桂](2012/09/12 19:56)
[92] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二)[月桂](2012/09/23 20:01)
[93] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(三)[月桂](2012/09/23 19:47)
[94] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(四)[月桂](2012/10/07 16:25)
[95] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(五)[月桂](2012/10/24 22:59)
[96] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(六)[月桂](2013/08/11 21:30)
[97] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(七)[月桂](2013/08/11 21:31)
[98] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(八)[月桂](2013/08/11 21:35)
[99] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(九)[月桂](2013/09/05 20:51)
[100] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十)[月桂](2013/11/23 00:42)
[101] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十一)[月桂](2013/11/23 00:41)
[102] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十二)[月桂](2013/11/23 00:41)
[103] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十三)[月桂](2013/12/16 23:07)
[104] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十四)[月桂](2013/12/19 21:01)
[105] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十五)[月桂](2013/12/21 21:46)
[106] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十六)[月桂](2013/12/24 23:11)
[107] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十七)[月桂](2013/12/27 20:20)
[108] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十八)[月桂](2014/01/02 23:19)
[109] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十九)[月桂](2014/01/02 23:31)
[110] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二十)[月桂](2014/01/18 21:38)
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[18194] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(五)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:cd1edaa7 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/19 21:53

 伊東家の居城である佐土原城が、新年早々から続いていた島津軍の攻囲から解放された時、当主である伊東義祐には幾つかの選択肢があった。
 その中で最も堅実な選択は城の防備を固めることであったろう。
 島津軍の猛攻によって義祐自慢の佐土原城も少なからぬ損傷を被っている。南の島津が退いたとはいえ、いつ北の大友が襲ってくるとも知れぬ。さらに島津軍の退却の理由が不分明であり、伊東軍を誘い出そうとしている可能性が否定できない以上、あえて危険を冒して追撃に出るよりは、本拠地の防備を固めるべき――伊東家の家中でも、そう考える者は多かった。


 しかし、義祐はその意見に頷くことなく打って出ることを選択する。
 これは義祐が島津軍を甘くみたから――その一面は否定できなかったが、決してそれだけが理由ではなかった。
 今回の戦において、伊東家は終始島津軍に押されっぱなしであった。その上で島津軍の退却を指をくわえて見送るようなまねをすれば、周辺の国々は義祐が最初から最後まで島津家の武威に居竦んだと判断するだろう。否、周辺の国々だけでなく、日向の国人衆や伊東家の将兵でさえそう考えるに違いない。


 日向伊東家第十代当主『三位入道』伊東義祐。
 その威信が失われることは義祐個人の声望の失墜のみならず、伊東家をまとめあげる権威の喪失を意味する。
 そうなれば、たとえ篭城のみによって今回の戦を切り抜けることが出来たとしても、後に家臣団の離反を招くことは火を見るより明らかであった。
 ゆえに、一つでも良い、実際の戦場における勝利を、義祐は必要としたのである。


 無論、義祐は北の大友軍の脅威を忘れたわけではない。
 しかし、現在、大友軍は佐土原城のはるか北、小丸川の線まで進出してきているものの、兵力の不足からか、それ以上の進軍を停止していた。もし大友軍が佐土原城を攻撃しようとするなら、まず小丸川を越えて南下し、さらに佐土原城北方の一ツ瀬川を越えなければならない。
 仮にムジカから大軍が到着したとしても、大友軍が佐土原城に着くまでには相応の時間が必要となる。
 ゆえに島津軍追撃に出た後背を衝かれるような事態にはなるまい、と義祐は判断したのである。



 かくて伊東義祐は佐土原城を出撃し、島津軍への追撃を開始する。
 両軍の兵力差は大きく開いていたが、通常、退却時に追撃に遭えば雑兵の大半は逃げ散るものであり、義祐はさして兵数を気にかけることはなかった。
 事実、退却する島津軍は、義久、義弘の旗印周辺こそ静まっていたものの、それ以外の部隊には動揺があらわであり、すでに千の単位で兵士が脱落したものと思われる――とは物見に出した数人の兵、すべてに共通する報告事項であった。


 逆に伊東軍は恩賞目当ての農民や野武士を加えて数を増している。義祐はそれらの事実を声高に喧伝することで、篭城によって消沈していた将兵の士気を回復させながら、島津軍を執拗に追い続けた。
 その追尾は、島津軍の殿軍を肉眼で捉えても、なお続く。これは島津軍に圧力をかけると同時に、伊東軍にとって有利な決戦の場に島津軍を追い立てるためであった。


 義祐が想定する決戦の場とは、日向南部をはしる大淀川である。
 飫肥城に向かうにせよ、あるいは薩摩に戻るにせよ、島津軍はこの川を越えなければならない。その後背を急襲すれば、いかに勇猛を誇る島津軍とて手も足も出ないであろう。
 そんな義祐の考えどおり、大淀川に達した島津軍は、義久、義弘を先頭としてすぐさま渡河を開始する。その慌しい動きを遠目にのぞんだ義祐は、勝利の確信を笑みへと変えた。
 島津軍の渡河の様子を見れば、これが伊東軍を罠にはめるための偽りの敗走でないことは明らかである。そう考えた義祐は本陣で哄笑する。


「水辺は死地である程度のことは知っているか。だが、だからというてむやみに渡河を強行するなど笑止というもの。半渡に乗じるは兵法の基本なり。容色のみをもって当主となった愚将や、進むことしか知らぬ猪武者に言うたとて詮無きことではあるがな」


 それは、ただ義祐がこれまでの溜飲を下げるために発した言葉ではない。先の篭城戦において、為す術なく防戦一方に追い込まれたのは、あくまでも今日の勝利を得るための布石である、と周囲に知らしめるためのものだった。
 このあたりの呼吸は、九国の戦乱を幾度も潜り抜けてきた義祐ならではといえる。
 これを聞いた周囲の諸将も、さすがは三位入道様、と感嘆の声を洩らす。そこには追従の色が皆無ではなかったが、それでもその大部分を占めるのは義祐の武将としての能力識見に対する賛嘆であった。
 義祐はそのこと感じ取り、満足げに頷くと、手に持った軍配を高々と掲げる。
 そして、それを今まさに渡河している島津軍に向けて振り下ろす――否、振り下ろそうとした、その時。


「申し上げますッ!」
 本陣に駆け込んできた伝令の、悲鳴にも似た声音が義祐の動作を妨げた。
 戦には機というものがある。ほんの一瞬の指示の遅れが勝敗に繋がることもあることを知悉する義祐は、伝令に叱声を浴びせようとするが、それよりもはやく伝令の声が義祐の耳朶を打つ。



 伊東軍の後背より数千の島津軍が急速に接近しているという、それは報告だった。




◆◆◆




 ふう、と島津義弘はにわかに乱れたつ伊東軍の陣営を見て小さく息を吐いた。
「おとなしく佐土原城に立て篭もっていれば、余計な損害を出さずに済んだのになあ。なまじ能があるもんだから、相手の裏をかこうとして要らないことをしちゃうのかな」
 そう言った後、義弘は短く苦笑する。
「まあ、動かなかったら動かなかったで、三位入道殿の威信は地に堕ちちゃうわけだから、打って出ざるを得ないわけだけど。でも、打って出たところで勝算なんか全く無し、と。いやー、我が妹ながら、歳ちゃんはほんっと容赦ないよね」
 右に進んでも、左に進んでも、その場に留まっても、待ち受けるのは破滅のみ。選択の違いは、ただそれが訪れるのが早いか遅いか、その差をもたらすだけ。そんな状況に追い込まれた伊東義祐に同情の念さえ覚えてしまいそうになる義弘であった。


 ところで、もしこの場に雲居がいれば、義弘の砕けた口調に違和感を禁じえなかっただろう。内城にいる間、義弘はいささか堅苦しいまでに丁寧な口調を貫いていたからだ。
 しかし、どちらかといえば、こちらが義弘の素であった。内城でのそれは外向けのものであり、もっと言えば、相手が家臣だろうが領民だろうが他国の臣だろうが、まったくもってかわらない姉義久に、少しでも公私の別をつけてもらうべく努力していたのである。


 ともあれ、今、義弘が指揮している手勢は、伊東軍の追撃を受けている最中、闇夜に紛れて逃亡した――と思われていた兵たちである。彼らは本隊から離れた後、それぞれに指示された地点に集結して百名、二百名の部隊を編成し、期日を揃えて伊東軍の後背で合流したのだ。
 伊東軍はこの動きにまったく気づかなかった。これは、それだけ義弘直属の部隊の動きが見事だったためであったが、それ以前に、伊東軍のかしらだった者たちの頭に、所詮島津は女子供の軍だ、という侮りが拭いがたく残っていたことも理由に挙げられるだろう。


 つい先日まで、その女子供の部隊に本拠地を囲まれていたという事実は、追撃戦の喧騒にまぎれてしまったのか。鬼島津の旗印が敗走の先頭に立っているところを目の当たりにしても、誰一人として違和感を覚えないあたりに、伊東軍の限界を感じ取る者もいたかもしれない。




 義弘率いる部隊が伊東軍の後方に姿を見せた時点で、島津軍の諸隊は渡河を中止し、踵を返して伊東軍を挟撃する態勢に移る。
 ちなみに、義久率いる本隊はそのまま川を渡っている。これは、義久には今回の策が伝えられておらず、本気で伊東軍から逃れるために渡河していたからであった。
『久ねえに細かい戦術を伝えてもあまり意味がありませんし、逆に詳しく知れば兵の動きに不自然な点が出て、敵に気づかれてしまうかもしれません。久ねえには一生懸命逃げてもらってください』
 内城から届けられた歳久の書状の一節を思い起こし、義弘は頬をかきながら、ほんとに歳ちゃんは容赦ないよね、と呟く――ただし、と義弘は続けた。
「忠実にその指示を実行している私が言っていいことじゃないけどね。お姉ちゃんにはあとでしっかり謝るとして、ここは三位入道殿をしっかりと叩き潰しておきましょうかッ」
 姉に対して申し訳なさを感じながらも、義弘はここでは将としての意識を優先させる。
 手に持った槍をりゅうりゅうとしごきながら、眼光鋭く敵陣をにらみすえるその姿には、年に見合わぬ戦将としての覇気が確かに感じられた。


「みな、聞けィッ! 我が父、先代貴久亡き後、我らを蔑み、見下し続けた怨敵はいまや袋の鼠である。彼の将を討ち取り、我ら島津の三州統一の悲願をかなえるは、今この時をおいて他になしと知りなさい!」
 義弘の口から発される雄々しい叱咤に対し、音に聞こえた薩摩隼人たちが猛々しい喊声で応じる。
 義弘の部隊にとどまらず、これまでひたすら伊東軍に背を向けて逃げ続けてきた諸隊からも、同様の雄たけびがわき起こっていた。


 対する伊東軍は、自分たちが罠にはまったことを悟っていたが、素早く展開した島津軍はすでに敵の逃げ道をことごとく塞いでいる――否、ただ一つ、南東の方角だけは包囲が完成していなかった。
 その方角は佐土原城とは正反対の方角であり、かつ少し進めば大淀川と日向灘によって行く手を遮られる死地であった。あえてそちらの方角をあけた島津軍の狙いは、多少なりとも戦に通じた将兵ならば、誰もが理解できるだろう。
 そちらに逃げるくらいなら、後方を塞ぐ義弘の二千の軍勢を突破する方が、まだ生き残る成算は高くなる。義祐をはじめ、伊東家の武将たちはそう考えた。


 しかし、鬼島津に後方を塞がれたという事実に加え、急速に狭められていく包囲の鉄環を前にして、急遽伊東軍に加わった農民や野武士たちは冷静さを保つことが出来なかった。
 彼らは包囲が完成される前に戦場から脱するべく、なだれをうって南東の方角へ殺到する。
 それを見て、満を持して突撃を開始する鬼島津。
 これに対するのは伊東軍の最後尾に位置する部隊であったが、すでに動揺と狼狽は陣全体を覆っている。陣を守る兵士の一人が、島津軍の圧力にたまりかねたように後ろを向くと、たちまち周囲の兵士たちもそれに追随した。


 その流れを押しとどめるべく、部隊の長は馬上で声を嗄らすが、甲冑をまとったその身体に島津軍から射掛けられた矢が次々と突き刺さり、長は右の手で空を掴みつつ、奇妙にゆっくりと鞍上から転がり落ちる。
 そして、長の身体が地面に達するよりも早く、島津軍の先鋒は伊東軍の眼前に迫っていた。


 圧倒的に有利な追撃戦に従事していたはずが、気がつけば周囲を敵軍に取り囲まれている。しかも後方から襲い掛かってくるのは島津義弘――伊東軍にとって憎んでも飽き足らぬ、しかし、同じくらいに脅威を感じざるを得ない敵将である。
 まさか後方から敵軍が襲ってくるとは考えていなかった伊東軍は、主力を前面に押し出し、後方は錬度の低い部隊が無秩序に混在している状態であった。
 この状態で指揮官を失った部隊が、島津軍の猛攻を防ぎとめることが出来るはずもない。




 最後尾の部隊を鎧袖一触、蹴散らした義弘の部隊は、その鋭い矛先を義祐の座す本陣へと向ける。本陣を守る兵は伊東軍の精鋭であったが、前後左右から迫り来る島津軍を前にしては、いかな精鋭部隊といえど為す術がなかった。
 結果、大淀川の戦いは、両家の抗争の歴史からすれば「あっさり」と形容できてしまうくらいに呆気なく、その勝敗が決せられた。
 これは島津軍の策が図にあたったから、というのはもちろんのこと、佐土原城に篭城する以前、義祐が配下の土持氏や、同盟者である肝付家を見捨てたことが、家臣たちの忠誠心にひびを入れていた等の理由も挙げられるだろう。
 勝勢に乗っている間ならばまだしも、窮地におちいった義祐に殉じようとする者は、伊東家の中でもごく一握りしかいなかったのである。



 義祐はかろうじて戦場を離脱するも、その身辺を守る兵は百にも届かず、また北への道は島津軍に遮られていたため、漁舟を奪って日向灘に出た。
 だが、佐土原城に戻ったところで、今の義祐では島津軍に対抗することは出来ず、他家を頼ろうにも、北の大友、南の島津、共に敵対している今、義祐を匿ってくれる勢力は九国の何処にも存在しない。
 困じ果てた挙句、義祐は伊予の河野家を頼ろうとする。しかし、冬の荒天に遮られてそれさえも果たせなかった。
 結局、義祐は半死半生の態で日向中部の海岸に漂着したところを島津軍に捕らえられ、ここに長きに渡って抗争を続けてきた島津、伊東両家の争いは終止符を打たれることとなったのである。




◆◆◆




 この一連の合戦――いわゆる『大淀川の戦い』により、伊東軍は壊滅的な打撃を被った。戦の常道に従うならば、島津軍はすぐさま軍を北に向け、再度佐土原城を攻囲するべきであったろう。伊東軍の主力を撃ち破った今ならば、ほぼ無血で開城させられるであろうことは誰の目にも明らかであった。


 だが、島津軍はすぐに動こうとはしなかった。
 北へ向かって佐土原城を制することはせず、かといって薩摩に兵を退くこともせず、その場に留まり続けたのは、無論、錦江湾の戦いの趨勢を注意深く見守っていたからに他ならない。
 薩摩に残した戦力で南蛮艦隊を首尾よく撃退できたのならば、即座に日向制圧への行動を開始する。逆にわずかでも戦が不利であるようならば、薩摩を守るために退却しなければならない。ことに後者に備えるために、島津軍は一旦は佐土原城の攻囲を解き、南へと下がらざるを得なかったのである。


 結果として伊東軍を撃ち破る形となったが、率直に言ってしまえば、それは島津軍にとってついでのことであった。
 無論、伊東軍を釣り出す意図がなかったわけではないが、仮に伊東軍が佐土原城に立て篭もって防備を固めたとしても、大して気にも留めなかっただろう。すでに佐土原城以南の伊東家の城砦はほぼ破却し終えており、再度の侵攻はきわめて容易であった。


 ともあれ、伊東軍を破った義久、義弘は大淀川の線にとどまり、南からの報せを待った。
 彼女らのもとに南蛮艦隊撃破、敵元帥戦死の報が届けられたのは、それから間もなくのこと。
 南蛮艦隊の脅威が完全に排除されたわけではないにせよ、少なくとも薩摩全土が制圧されるような事態は起こり得ない――歳久から届けられた書状は、要約すれば「もはやこちらに援軍は不要、日向侵攻を再開されたし」という明確な指示であった。
 これを受け、義久と義弘率いる島津軍はその日のうちに北上を開始。瞬く間に佐土原城を重囲下に置く。すでに兵力の大半を失い、なおかつ主不在の城には、降伏以外の選択肢は存在しなかった。

  



 日向伊東家の勢力の消失は、すなわち島津家と大友家が直接に境を接することを意味する。おりしもムジカを発した大友軍二万が佐土原城目指して南下中である、との報告がもたらされた為、島津軍はこれと決戦すべく、軍をさらに北上させて一ッ瀬川を越えた。
 この時、一ッ瀬川を越えた島津軍の数はおおよそ一万三千。
 当初の二万を大きく割っているのは、佐土原城の攻囲、大淀川の合戦等で負傷した兵を後方に残し、さらに伊東軍の残党や伊東家恩顧の民が蜂起することを警戒して要所に兵を配置したためである。


 一方の大友軍は無傷の信徒たちに、日向中部を制圧していた先鋒部隊が加わり、その数は二万を大きく越え、おそらく二万五千に達しているものと思われた。
 大友軍は、島津軍のおよそ二倍。両軍の兵力差を考えれば、島津軍はあえて一ッ瀬川を渡らず、川を挟んで対峙する形に持っていくのも一つの手段であっただろう。
 それでもあえて島津軍が川を渡ったのは、大友軍の動きが予想以上に鈍かったからである。二万もの援軍が派遣されたのなら、島津軍が佐土原城の攻囲を解いた段階で小丸川を越えることは出来たはずだが、大友軍は動かなかった。
 その理由は定かではなかったが、島津軍はこれを好機と見て、前線を一気に小丸川まで押し上げるべく、一ッ瀬川を渡ったのである。


 島津軍の最初の攻略目標は一ッ瀬川、小丸川の間に位置する財部(たからべ)城であった。
 伊東家の持ち城の一つである財部城であったが、義祐が兵力の大半を佐土原城に集結させていた為、城兵はわずかしか残っておらず、島津の大軍の前にたちまち城門を開いて降伏する。
 当初、実質的に島津軍を率いる義弘は、この城を拠点として小丸川南岸に陣を敷き、大友軍と対峙するつもりであった。両軍の兵力差は覆しようがなく、また鉄砲などの武装も南蛮神教の助力を得ている大友軍には及ばないが、地形を利用すればいかようにも渡り合える自信が義弘にはあったのだ。


 だが、島津軍が財部城を陥とし、小丸川に達したにも関わらず、いまだに大友軍が姿を見せないことで、義弘はさらに一歩踏み込んだ決断を下す。
 すなわち、みずから少数の別働隊を率い、小丸川上流に位置する高城を攻略することにしたのである。




 高城は小丸川の北岸に位置する難攻の城であり、これを島津軍の有とすれば、その戦略的効果は計り知れない。
 ひとつ。大友軍は常に後背に注意せざるを得ず、前面の島津軍本隊との戦に全力を傾けることが出来なくなる。
 ひとつ。仮に大友軍が小丸川を越えたとしても、高城を保持していれば、大友軍の兵站を脅かすことはきわめて容易である。大友軍が南に進めば進むほど、高城の存在は無視しえない脅威となっていくだろう。
 いわば、高城の存在は大友軍の首筋に押し付けられた匕首に等しかった。


 もっとも、これは義弘の戦術眼が鋭いからこそ気づけた策、というわけではない。
 義弘ほどの武将でなくとも、高城の重要性を見抜くことは難しいことではなかっただろう。
 実際に大友軍(これは南蛮神教の信徒たちではなく、早くから日向中南部を攻略していた諸隊)はすでに伊東軍から高城を奪取しており、ここに兵力を込めている。
 ただし、その守備兵力はきわめて少ない、というのが義弘の下にもたらされた報告だった。


 実のところ、これは高城に限った話ではなく、小丸川以北の大友軍の城や砦すべてに共通する弱点であった。大友宗麟がムジカの建設を優先させた為、この地の大友軍は長らく兵力不足に悩まされていたのである。相応の兵力が与えられていれば、彼らは少なくとも一ッ瀬川の線までは進出していたに違いない。
 とはいえ、ムジカから援軍が派遣された今、その兵力不足は解消された。大友軍が小丸川を越えなかったのは、島津軍との決戦に備え、高城をはじめとする各地の城砦の防備を固めるためであろう、と義弘は考えていたのだが――


 その予測に反し、高城の兵力に変化はないという。そして、此方に向かってくる大友軍が援軍を派遣した様子も見えない。
 であれば、それに乗じるのは当然のことだった。
 無論、罠ではないか、との疑いは義弘ももっていたが、前線の、それも戦略的にきわめて重要な城の防備を薄くすることで大友軍が得られる利とは何なのかと考えれば、答えは杳として出てこない。
 島津軍を誘いこむために高城を囮とした、というのがもっともありえそうな解答であるが、兵力に優る大友軍がそんな小細工を弄する必要はないし、なによりこの策はしくじった後の始末が大変なのだ。島津軍が高城に入れば、今後の大友軍の動きが大幅に掣肘されるのは前述したとおりである。
 あるいは島津ごときに高城を陥とせるわけがない、という自信のあらわれなのかもしれないが、それならばその自信を正面から打ち砕き、過信であることを知らしめる。



 ――義弘がそうと決断した時点で、あるいはこの戦の勝敗は決していたのかもしれない。
 



◆◆◆




 後の話になるが。
 日向国を南から北――大淀川からムジカに至るまで――へと切り裂いた島津義弘の電撃戦は『二川の合戦』と通称されることになる。
 これは『二川』という川が九国にあったのではなく、伊東軍を撃ち破った『大淀川の戦』と、大友軍を退けた『耳川の戦』をあわせた呼称だった。


 この二川の合戦において、大友軍の動きが鈍かった理由はただ一つ。
 南蛮神教の信徒たちと、大友軍の諸将の間に、作戦における齟齬が生じていたのである。


 この地に侵攻していた大友軍――佐伯惟教(さえき これのり)、斎藤鎮実(さいとう しげざね)をはじめとする諸将は、今回の日向侵攻に全面的に賛成していたわけではなく、むしろ南蛮神教に対しては否定的な感情を持つ者が大半であった。しかし、ひとたび主君の命令を受ければ、これを拒絶することなどできるはずがない。
 ことに惟教などは、他紋衆であるがゆえに、これまでは枢要な戦いに参加することが出来ず、結果として自家の戦力を温存する形となったため、今回の日向遠征に加わることが出来たという経緯があるため、この戦で佐伯家の名を高からしめん、と十分すぎるほどの戦意があった。


 当然、彼らにとって日向の攻略は、ムジカの建設よりも優先する。敵が伊東家だけならばまだしも、すでに島津軍が薩摩統一、ならびに大隅侵攻を開始したという情報は大友軍にも伝わってきており、島津軍がいずれ日向に矛先を向けるのは明白だった。
 それに備える意味でも、一刻も早く日向を陥とさなければならない。城や寺など、そのあとでゆっくり建てれば良い――そんな諸将の考えを、宗麟は真っ向から否定してムジカ建設を優先した。


 それでも宗麟は諸将の意見は等閑にしたわけではなく、五千の兵で日向中南部への侵攻を命じたのだが、いかに伊東家が大友家に遠く及ばない小勢力だといっても、わずか五千では佐土原城に達することさえ出来ない。
 攻勢限界に達した惟教らは、幾度も宗麟に援軍を求めたが、結局一度として聞き入れられることはなかった。


 その諸将のもとにようやく派遣されたのが、二万に及ぶ信徒たちである。
 だが、これは惟教らの要請に応じた援軍ではなく、カブラエルが南蛮艦隊の到着を知って組織した部隊である。日向攻略という目的こそ同じであったが、両者が協調して戦を行うなど、どだい無理な話であった。


 それでも、宗麟は信徒たちに対して、佐伯、斎藤ら諸将の指示を尊重するように伝えていたのだが、数において優る信徒たちは容易にその命令に頷こうとはしなかった。
 惟教らにしてみれば、信徒たちは数だけ多い農民の集まりに過ぎず、信徒たちから見れば、惟教らはろくな戦果も挙げられていない無能者にしか映らない。さらに南蛮神教をめぐる長年の対立が、両者の険悪な感情に拍車をかける。


 諸将が前進を命じれば、信徒は待機を主張する。信徒が攻勢を唱えれば、諸将を慎重論を譲らない。そんな対立沙汰が、この頃の大友軍では毎日のように起こっていた。
 主君である宗麟がいれば。あるいは宗麟の威を巧妙に用いることの出来るカブラエルがいれば、話はまた違っていたかもしれない。
 しかし、両者ともムジカに留まり、この侵攻には参加していないため、大友軍の作戦行動は停滞せざるを得なかった。


 結果、この不協和音に乗じた島津義弘(義弘は大友軍の内情はつゆ知らなかったわけだが)の奇襲により、大友軍は重要拠点である高城を失うに至るのである。



 
 高城陥落の報を受け、大友軍はにわかに色めきたつ。
 ことに信徒たちはただちに全軍を挙げてこれを奪還すべしと主張した。高城の重要性を鑑みれば、これは決して間違った判断ではない。
 だが、戦に慣れた大友軍の諸将はこれに否定的であった。率直に言って、島津義弘が立て篭もる高城を陥落させる力が、自分たちにあるとは考えにくかったのだ。


 高城は北、東、南の三方を絶壁に囲まれた天然の要害であり、ただ一つ平地に通じる西側の防備はきわめて厚くなっている。
 大友軍が伊東家からこれを奪った時は、城を囲んで糧道を断った上で降伏させたのであり、力ずくで陥落させたわけではない。
 奇襲であり、なおかつ城には十分な守備兵力がいなかったことを差し引いても、あの難攻の城をたやすく陥としてのけた島津義弘の武烈に、諸将は戦慄を禁じえなかった。


 当然の帰結として、その義弘が立て篭もる高城を陥とすのは至難であると言わざるを得ない。
 報告によれば、義弘率いる島津軍はおよそ三千あまり。二万五千の大友軍が総力を挙げて攻め寄せれば、城を陥とすことは決して不可能ではないだろうが、小丸川の南には島津軍一万が黙然と控えている。大友軍が高城を衝けば、彼らが川を渡って、大友軍の後背に襲い掛かってくることは火を見るより明らかであった。


 もっとも、たとえそうなったとしても、両軍の戦力を見れば大友軍が敗北することはないだろう。だが、損害が無視できないものになることは確実であった。
 であれば、視点をかえれば良い、と惟教は考える。
 高城は三方が崖で囲まれた難攻の城だが、逆に言えばただ一つだけ平地に通じている西側を塞いでしまえば、猛将たる鬼島津を城に閉じ込めてしまえるということである。
 これには二万も要らない。三千の倍、六千もあれば高城の島津勢は無力化できる。
 しかる後、島津義久率いる一万の軍勢を討つことは難しいことではないだろう。少なくとも、義弘を相手にするよりは楽に戦えることは明白であった。



 だが、日向侵攻から今日まで敗北を知らなかった信徒たちは、すでに敗報にいきり立っており、惟教の案を考慮さえせずに独自に行動を開始する。
 より正確に言えば、いきり立っていたのは個々の信徒以上に宣教師たちの方であったのだが、結果として二万の大軍が高城へ向かったことに違いはない。
 この信徒の行動に惟教は激怒し、自身もすぐさま行動に移った。
 すなわち信徒たちを除く五千の軍勢をまとめあげると、小丸川から後退し、本陣を切原川の北に移したのである。


 切原川は高城の北を流れる川であり、陣の配置だけを見れば惟教は信徒たちの後詰を行ったように映る。
 だが、無論のこと惟教にその意思はない。さすがに同士討ちを演じるほど思慮を失ってはいなかったが、川を挟んだ安全な場所から、信徒らの戦闘を見物するつもりだった。
 信徒たちの行動は、自分たちだけで戦をすると宣言したに等しい。ならばお手並み拝見といこうか――それが惟教の考えであった。
 とはいえ、露骨に戦を回避すれば、戦が終わった後に宗麟やカブラエルから処罰される可能性がある。だからこそ、一見、信徒たちを援護するような場所に陣を敷いたのである。




 この惟教の動きは信徒たちもつかんでいたが、彼らは一向に気にかけない。
『我らには神の加護あり、何条もって異教徒どもに敗れようか』
 そんな声と共に十字旗を掲げ、手に十字架をもって進軍する大友軍の姿は、日向北部を朱に染めた際と何一つ変わることはなかった。
 その結果もまた、何一つ変わることはないであろう。特に宣教師たちはそう信じて疑わなかった。
 どれだけ高城が堅固な防備を誇ろうとも、二万の大軍、それも神の加護を得て聖戦に望む精鋭たちを前にしては三日と保つまい。
 島津軍の本隊が後方を衝こうと川を渡るなら勿怪の幸い、高城を屠ったその足でこれを撃滅すれば良い。しかし、そうなる可能性はごくごく低いだろう。なにしろ島津軍の後背には南蛮艦隊が攻め寄せているのだ。遠からず、連中は兵を退くに違いない……それが宣教師たちの考えであった。




 ――宣教師や信徒はもちろんのこと、惟教ら大友家の諸将にしても、眼前の敵ではなく、別の何かを見ているという点では共通していた。ゆえに、彼らは島津義弘という傑出した闘将によって、木っ端微塵に撃ち砕かれることとなる。





 元々、島津義弘の名は『鬼島津』の異名と共に、島津家随一の猛将として広く知られていた。だが、島津家は先代貴久亡き後、薩摩一国すら保持しえないほどに勢力が縮小してしまったこともあり、たとえば大友家を支える『鬼道雪』などと比すれば、義弘の武名はあくまでも「地方勢力の雄」に留まっていた。
 それゆえ、鬼島津の名を、道雪と並ぶ九国を代表する武烈へと押し上げたのは、大淀川の戦いから耳川の戦いへと続く二川の合戦であったといえる。





 大淀川の戦では、義弘は歳久の策を用いて伊東軍を撃破した。
 しかし、続く耳川の戦では、義弘は特に策を用いようとはしなかった。攻め寄せる大友軍――南蛮神教の信徒たちを、高城の堅固さを利して真っ向から退けたのである。


 島津軍は南蛮艦隊に対抗するため、精鋭と火器の大半を薩摩に集中させており、火力という点では大友軍に遠く及ばない。篭城という利を差し引いても、兵力、火力の差から島津軍の苦戦は免れないものと思われた。
 しかし、この戦において高城に立て篭もった義弘の守城指揮は完璧であった。
 大友軍は二万の大軍とはいえ、西側のみが開けている高城の特殊な地形から、全軍を同時に動かすことは不可能である。一方の島津軍は三千の兵力を縦横に駆使して防戦に努めることが出来た。
 七つの空堀を利用し、時に退いて誘い込み、時に突出して蹴散らし、大友軍を翻弄する義弘の指揮に、南蛮神教の信徒を中心とする大友軍はまったく太刀打ちできなかったのである。


 日向侵攻の初期においても似たような戦況がなかったわけではない。
 だが、その時は戦に慣れた大友正規兵の援護があり、なにより宗麟のもとに大友軍の指揮系統は統一されていた。信徒の数や火力を活かすだけの条件が整っていたゆえに、信徒たちは敗北を知らずにいることが出来たのである。


 今の信徒たちにはそれら兵力を活かす条件が欠けている。もっとも、相手が島津軍でなければ、あるいは率いる将が鬼島津でなければ、数にあかせて攻め寄せるだけでも高城を陥とすことは出来たかもしれない。
 しかし、今、信徒たちの眼前に立ちはだかる高城は、単純な力押しで攻め落とすことの出来たこれまでの城とは、まったく異なる次元の堅固さを示していた。


 大友軍が城を囲むこと三日。
 七度に及ぶ総攻撃は、七度はね返され、大友軍は千を越える死傷者を出していた。
 無論、島津軍にも被害は出ているが、おそらくその数は大友軍の十分の一にも達しないだろう。
 兵力の絶対数が違う以上、この攻撃を繰り返していけば、やがて島津軍も力尽きるだろうが、今の調子では島津軍が力尽きるより早く、大友軍の方が先に崩壊してしまう。
 その考えが胸中にあるために、大友軍の攻勢は勢いを失い、八度目の総攻撃は実行されなかった。


 ――その事実が示す意味は重要だった。
 本来、そういった有利不利を計算する思慮を宗教的狂熱で覆いつくし、ただひたすらに敵を討とうと行動することこそ、十字軍という軍隊の大いなる脅威の源泉である。策略は通じず、交渉には応ぜず、猛り狂って押し寄せる信徒の大軍を前にすれば、多くの者は恐怖を禁じえないだろう。ムジカにいるカブラエルもそれを意図すればこそ、聖戦という大義に加え、虐殺された同胞の仇討ちという名分を掲げ、信徒たちの憤激を煽ったのである。


 だが、ここで大友軍は敵を前にして迷ってしまった。
 それはムジカ建設という中断を経て、彼らが多少なりとも狂熱から冷めてしまった為であったろうか。
 聖戦に従事しているという誇りは失せておらず、また南蛮神教を排斥する島津と戦うことに疑問を持ってはいないのだが、それでも日向侵攻当初から比べれば、信徒たちの勢いは確かに減じていたのである。


 この迷いが、信徒たちをして無謀な二正面作戦へと踏み切らせる。
 すなわち、惟教らが小丸川から去ったために楽々と渡河を果たした義久が戦場に姿を見せるや、信徒たちは五千あまりを高城の押さえに残すと、余の兵力をもって義久と決戦すべく動き出したのである。
 このまま攻め続けても、すぐには城を陥とせない。ならば先に敵の本隊を討とう、というのが大友軍の考えであった。


 島津軍とて七度にわたる総攻撃を受けて疲弊しているはず。まさか城外に突出してくることはないだろう、という楽観を基にした大友軍の作戦は、だが、その日のうちに瓦解する。


 大友軍は島津軍に気づかれないように夜のうちに行動を開始。多くの旗指物を指し連ね、篝火を盛んにして兵力の減少を悟られまいとしたのだが、逆にその動きで義弘は敵主力の動静を鋭敏に察知する。
 そして、まだ夜が明けぬうちから、城門を開いて城外に布陣する大友軍に一斉に攻めかかったのである。島津の逞兵の英気に満ちた顔を見れば、大友軍が期待していた疲弊など欠片もないことは明らかであった。


 ……無論、正確には島津軍とてまったく疲労がなかったわけではない。しかし、そんなものは鬼島津の号令と、勝利の確信を前にすれば容易く耐えることができる。
 逆に、島津軍の武将たちにしてみれば、あまりに都合良く戦況が推移するので、もう幾度目のことか、罠の存在を想起せずにはいられなかったほどであった。
 しかし、すでにこの時、義弘は大友軍内部で深刻な対立が発生していることをほぼ確信するに至っていた。
 ここまでの大友軍の動きの鈍さを考えれば、それ以外に考えられない。であれば、ここは不和に乗じ、勢いに乗ってひたすら突き進み、大友軍の主力を壊滅させるべきであろう。
 突撃の先頭に立ちながら、義弘はそう考えていた。





 その後の戦の経緯は、詳しく記すまでもないだろう。
 それは事実上、島津軍の鋭鋒から逃げ惑う大友軍の描写にしかならないからである。
 切原川の北に陣を移していた佐伯惟教らにしても、まさかここまで短期間に、かつ一方的に信徒たちが敗れるとは考えていなかった。
 だが、彼らがその戸惑いを払えずにいるうちに、島津軍の矛先は惟教らにも向けられた。島津軍にしてみれば、大友家内部の事情など知ったことではない。十字旗を掲げていようと、杏葉紋を掲げていようと、等しく敵である。
 二万の信徒を蹴散らして、なお島津軍の数は一万を越えており、わずか五千の軍勢では勝勢に乗った猛攻を持ちこたえることは出来なかった。そして、退却するだけの時間も与えられなかった。


 ここに、あわせれば二万五千に及ぶ大友家の大軍は、言い訳の余地のない大敗を喫する。
 しかも、なお戦は終わったわけではなかった。
 敗れた大友軍の将兵は、もはや南蛮神教も何も関わりなく、ひとかたまりになってひたすら北――ムジカに向けて敗走を開始する。
 これに対し、島津義弘は姉義久に後方を任せると、自ら先頭に立って追撃を指揮、大友軍の徹底的な掃滅を指示したのである。


 戦に勝利したとはいえ、敗兵がムジカに逃げ戻ってしまえば、再び英気を回復して島津軍の前に立ちはだかってくるだろう。大友軍と島津軍の国力差を考えれば、総力戦になれば島津軍に勝機は薄い。ゆえに、ここで徹底して大友軍を叩き、島津軍の脅威を骨の髄まで刻み込む。それが義弘の目論見であった。


 かくて展開された追撃戦は、もはや戦と呼ぶことさえ躊躇われる一方的なものとなる。ほんの数月前、日向北部で繰り広げられた地獄絵図は、場所をかえて、立場をかえて、大友軍の頭上に降りかかった。
 ことに、この追撃戦をしめくくる形となった耳川における両軍の激突は、島津軍がおよそ百の死傷者を出したのに対し、大友軍は死者だけで二千、負傷者を含めればその数倍に達するという壊滅的な被害を出した。
 島津軍対大友軍の戦いが『小丸川の戦い』でもなく『高城の合戦』でもなく『耳川の戦い』と呼ばれることになったのは、あまりにも凄まじいこの戦果が理由である。


 それは同時に、猛将『鬼島津』の名が九国を越えて遠く京にまで達する契機ともなったのだが、もしも義弘が更なる追撃をかけていれば、大友軍の被害はなおも増したであろう。そして島津軍の中でも、なお追撃を行うべき、との意見が多数を占めていた。
 しかし、義弘はその意見にかぶりを振り、兵を収める。
 義弘が口にした、ムジカを攻めるために一旦態勢を立て直す、という言葉は偽りではなかった。しかし、それが理由のすべてでもなかったのである。


「……こんな光景、お姉ちゃんに見せるわけにはいかないもんね」
 紅く染まった耳川の流れを見つめ、小さく呟く義弘。その横顔には、隠し切れない憔悴の色が見て取れた……





◆◆◆





 日向国 ムジカ沖


 この日、バルトロメウの船長室を訪れたカブラエルは、かすかに震えを帯びた声で耳川の戦いの詳細を小アルブケルケに伝えた。
 その顔色が蒼白であるのはいたしかたないことか。小アルブケルケはそんなことを考えつつ、口を開く。
「……なるほど。ドアルテの件を伏せておいたのが裏目に出たか」
 その言葉に、カブラエルは頷きはしなかった。それは指示をした小アルブケルケを非難することになってしまう。
 しかし、経過を見れば、小アルブケルケの言葉を否定することは出来ない。高城をめぐる攻防において、従軍した宣教師たちは島津軍が間もなく退却することを前提として行動し、結果として大敗を喫したからである。


 もっとも、だからといってドアルテの死を公にしていれば、ドアルテのことを詳しく知らない信徒はともかく、宣教師たちの動揺は防げなかっただろう。
 なにより島津軍の北上によってムジカが危機に晒されている今、もしもの可能性を論じている時間はない。
 ムジカには、今回の戦いに従軍しなかった一万に加え、高千穂から戻った五千の軍勢が控えている。これに逃げてきた兵士を加えれば、なお三万に近い大軍を編成することは可能であろう。だが、それはあくまで数字上の話。耳川で敗れた将兵は、三々五々、ムジカの城門に到着しており、その惨憺たる姿を見て、信徒たちは動揺を禁じえずにいるのである。


 住民の中に、ムジカを離れる動きも出始めている今、カブラエルは一刻も早く手を打たなければならなかった。
 だが、どうすれば良いのかがわからない。もっと正確に言えば、どうすれば良いかはわかっている。迫り来る島津軍を撃退すれば良いのだ。ただ、どうすれば撃退できるのかがわからなかった。


 カブラエルは騎士でも武将でもなく、武器をとって戦った経験がない。これまで南蛮神教のために実際に戦ってきたのは宗麟であり、宗麟麾下の将兵であって、カブラエルではないのだ。
 そして、大友軍はわずかな例外を除いて、ことごとく戦に勝利を収めてきたゆえに、敵軍が本拠地に迫り来る今のような状況を、カブラエルは経験したことがなかった。


 無論、カブラエルとて剣刃の上を歩くにも似た苦難を経て、今日の立場を築きあげた人物、相応の胆力は備えている。この状況に慌てふためくほどの小人ではない。
 ただ、自らが身命を賭して築き上げた聖都が灰となって滅ぶかもしれない事態を前に、冷静を保てるほどに豪胆でもなかった。


 そんなカブラエルを、小アルブケルケは冷徹な眼差しで見据えている。
 やがて、その口から出た言葉はカブラエルの予想だにしないものであった。


 カブラエルは一瞬押し黙り、うめくような声を搾り出す。
「……ゴアに戻る、と仰るのですか、殿下?」
「そうだ。先日のガルシアの書状によれば、島津の側より捕虜解放の申し出があり、これを受諾したものの、ロレンソがいまだ抵抗を諦めずに難儀しているらしい。出来うれば私の直接指揮を仰ぎたいとのことだ。どの道、使節団と例のドールをゴアに連れて行かねばならぬところでもある。そろそろ腰をあげてもよかろう。あまり遅れれば父上の不興をかってしまうしな」
「それは、その通りでありましょうが……」
 そこで、カブラエルは何事かに気づいたように、かすかに声の調子をかえる。
「それでは、殿下、私も共に――」
「不要」
 小アルブケルケは、カブラエルの言葉を皆まで言わせずに切って捨てる。


「このような時に布教長がゴアに戻ると触れれば要らぬ誤解を招く。それは一人貴様のみならず、南蛮神教や南蛮国そのものの評にも関わってこよう。今後、この国を経略する上でも、南蛮人は臆病者であるなどと思われるわけにはいかぬ。カブラエルよ、貴様は聖都に残り、貴様が築き上げたあの都市を守ってみせよ」
「……は、承知いたしました」


 応じるカブラエルの顔を見て、小アルブケルケは口元を歪めるように、小さく嗤った。
「そう悲壮な顔をするな。何も貴様一人でやれと言うつもりはない」
「それは、どのような……?」
「ゴアに戻るのはバルトロメウだけだ。ガルシアと合流した後、艦隊はここに向かわせよう。ロレンソにはガルシアに従うように命ずるし、それでも異議を唱えるようなら、ロレンソもゴアに同行させる」
 まあ、あれが命令に背くはずはないがな、と呟いた後、小アルブケルケはさらに言葉を続けた。
「この時期に捕虜解放などを持ち出すところを見るに、島津とやらもさして戦力に余裕はなかろう。艦隊が姿を見せれば、ムジカに拘泥することなく退却する。カブラエル、貴様はガルシアらが到着するまでの間、この都市を守れ。これならば、貴様にとってもそれほど難しいことではあるまいよ」


「確かに――仰るとおりかと」
 カブラエルは小アルブケルケの言葉に頷いた。
 退却する島津軍を追い打てば勝利は容易いだろうし、たとえ追撃を控えたとしても、窮地を泰然として乗り切ることが出来れば、カブラエルの株は大いに上がる。
 それから態勢を整え、改めてガルシアらの艦隊と連動して南下すれば、日向を制圧することもさして難しくはないだろう。
 まだ、聖都計画が潰えたわけではないのだ。


「承知したならば、早くムジカに戻れ。そして王の傍にいてやるが良い。このような状況だ。いつ何時、不測の事態が起きるかわからないからな」
 そう言った後、小アルブケルケは奇妙に抑揚の利いた口調で囁いた。
「あるいは、万一に備えて王をムジカから逃がしても良いかもしれぬな。予期せぬ事というのは、いつであれ、どこであれ、起こりえることだ……」









 カブラエルが何事かを考えながら退出した後、小アルブケルケは一人の騎士に声をかける。
「トリスタン、ドールはどうしている?」
「相変わらず大人しいものです。逃亡の気配もありません。もちろん、注意を怠りはしませんが」
「そうか……貴様と似た境遇の娘だ。話も合うのではないかと思って貴様に世話を任せたが、少しは我らに理解を示すようになったか?」
「……失礼ながら――」
 何事か言いかけたトリスタンをさえぎるように、小アルブケルケは嗤う。
「ふふ、人質をもって同行を強いた者が、強いられた者に理解を求めるのは醜悪きわまる。言いたいことはそんなところか」
「…………」


 トリスタンは否とも応とも口にしなかったが、その表情を見れば答えは明らかであったろう。
 それを見た小アルブケルケは、机に両肘を乗せ、口元を隠すように掌を合わせて目を閉じる。先刻のカブラエル同様に何事か考え込んでいる様子であったが、隠された口元に浮かぶのが嘲笑であることが、何故かトリスタンにはわかっていた。



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