肥後国御船城。
その一室で、城主である甲斐親直は困惑をあらわにしていた。
これは実にめずらしいことで、もしこの場に甲斐家の家臣がいれば目を丸くして驚いたであろう。
常に泰然自若として物事にあたる親直は、表情を動かすことは滅多になく、味方からは冷静沈着と称えられ、敵からは鉄面皮と罵られる――そんな人物なのである。
その親直がはっきりと内心を表に出しているのだ。親直を知る者であれば、敵であれ味方であれ、すわ何事か、と身構えざるをえないであろう。
肥後における不敗の名将、甲斐親直。阿蘇家の筆頭重臣として内政、軍事、外交を司って誤ることなく、その能力と忠誠心から、隣国大友家の戸次道雪と並び称されることも少なくなかった。
この二人が並べられる理由は、家の規模こそ違え、主家を隆盛へと導く手腕が評価されていたことに加えてもう一つ、親直と道雪がほぼ同年齢の女性であるという事実も加味されていたかもしれない。
もっとも、親直にとってはそういった他者の評価など知ったことではなかった。
よく見れば道雪に迫るほどの端整な容姿の持ち主なのだが、冷徹なること無比と噂される鋭い面差しを向けられて、なおその容姿を褒め称えようとする剛の者は阿蘇家中には存在しない。
切れ長の目から放たれる視線は、北辺の凍土を撫でる寒風の如く冷たく乾き、前代の御船城主の叛乱を眼光のみで制圧したという伝説の源泉となっている。
その親直の視線は、家中の統制ぶりをそのまま示していた。筆頭重臣として厳格に家中を統べ、それはときに厳酷でさえあった。
阿蘇家においては先代親宣、今代親直の威令は、いずれもすみずみまで行き届いていると言えるが、その性質は大きく異なる。
親宣は闊達で、政敵であっても酒を酌み交わすような為人であった。主君からの信頼も、家中における権力も、他の家臣の追随を許すものではなかったが「和をもって尊しとなす」が口癖であり、実際にその言葉を実践すべく努めていたことを親直は知っている。
争いの耐えない戦乱の世にあって、たとえ相手がどのような者であれ、それを赦し、受け入れ、認めるという和の思想を貫くのは難しい。それでも、親宣は出来うる限り強権を用いることなく家中を統べようと努力し、そんな親宣を信頼する者は上下を問わず阿蘇家中に多かったのである。
しかし、父の後を継いだ親直に、父と同じ道を歩もうとはしなかった。
単純に父と親直では為人が違うという理由もあったが、より大きな理由としては、親直が家督を継いだ当時、甲斐家のみならず阿蘇家全体が凄まじい混乱の渦中に叩き込まれており、父のような実績を持っていなかった親直がその状況を鎮めるためには、甲斐家の権力をもって不穏な動きをする者たちを排除していく他なかった、という事実が挙げられる。
親直が甲斐家を継いで、もう十年近く経つ。
しかし、親直はいまだに当時の家中の狂騒ぶりを克明に思い出すことが出来た――などというと、いかにも他人事のようだが、実のところ親直自身も、あの乱の最中に平静を保つことは出来なかったのである。
隣国大友家で起きた『二階崩れの変』に端を発する大混乱は、それほどに阿蘇の地を激しく揺り動かした。
それでも阿蘇家の大黒柱であった父に後事を託された身として、親直は文字通り東奔西走し、大友家と渡り合い、家中の不穏分子を退け、他国に付け入る隙を見せず、阿蘇家の存続を確かなものとすることに成功する。
これによって親直の器量は家中に知れ渡り、父が去った後の新たな阿蘇家の柱石として認められるに至るのである。
◆◆
親直は甲斐家の当主であることを自身の第一義としている。
幼少時は他人にうらやまれていた見事な黒髪を、首の後ろで無造作に切り落としているのは『女性』であるよりも『武士』であらんとする意思の表れでもあった。
無意識のうちにその髪に手を伸ばしながら、親直はぽつりと呟く。
「……まさか、父上が動かれるとは。それほどの事態、ということなのか」
豊後にいる父の親宣は、これまで親直に対して使者を差し向けることはもちろん、文の一つも出そうとはしなかった。実に十年近くにわたって、そうしてきたのである。
親直は、それが大友家への配慮であることを承知していたので、不満を抱いていたわけではない。自分が父の立場であってもそうするだろう、と考えていたので尚更である。
その父が、直接ではないにしろ、親直に接触してきたとなれば無関心ではいられなかった。
それはつまり、かつての大乱に匹敵するほどの事態が現在の大友家で起きているということだからである。
知らず、親直の口からほんのかすかなため息がこぼれた。
「……人にとってはわずかな身じろぎでも、蟻にとっては天地が鳴動するに等しい。小国の悲哀と言えばそれまでだが……」
実のところ。
甲斐親直にとって、日向の伊東義祐や肥後の他の国人衆の存在はなんら脅威とするに足りない。
親直にとって、真の脅威とは東の隣国、豊後の大友宗麟を指す。
無論、親直はことさら大友家を敵視しているわけではない。それどころか、父と同じく阿蘇家と大友家の友好を重んじ、これを保つことこそ阿蘇家を保つための本道であると考えてさえいる。
では、何故親直が大友家に対する警戒を絶やさないのか。絶やせないのか。
それは、年々、南蛮神教に傾倒の度を深めていく大友宗麟の動向に危惧を覚えていたからであり、さらに言えば、その宗麟に討伐軍を向けられるに足る『理由』が阿蘇家にはあったからである。
その『理由』は、遠く大友宗麟の家督相続時にまで遡る。
二階崩れの変――その首謀者とされる宗麟のかつての傅役 入田親誠。
その岳父(妻の父)の名を阿蘇惟豊という。
そう、宗麟にとって不倶戴天の敵ともいうべき人物は、まさしく阿蘇家の一族だったのだ。
無論、二階崩れの変に阿蘇家はかかわっていない。親宣も親直も、乱の発生を聞いて驚きを隠せなかったほどである。
しかし、そんなことは関係がなかった。いくら阿蘇家が関わりを否定しようとも、大友家が関係ありと断定してしまえば、釈明の余地もなく阿蘇家は踏み潰されるだろう。
この頃、大友家はいまだ九国探題に任じられてはいなかったが、それでもその勢力はすでに豊後、豊前、筑前、筑後にまで及んでいた。家督相続の混乱を差し引いたとしても、肥後の一地方を領有しているだけの阿蘇家とは、国力において雲泥の差があったのである。
そして、事態はさらに阿蘇家にとって悪しき方向へと進んでいく。
府内から逃げ延びた入田親誠が、当然のように阿蘇家を頼ってきたのだ。
これにより、阿蘇家は隣国の御家騒動の渦中に巻き込まれることになってしまった。それどころか、阿蘇家こそが親誠の後ろで糸を引いていた――そう思われても、何の不思議もない状況になってしまったのである。
当然のように、阿蘇家中は大混乱に陥った。
大多数の家臣はもちろんのこと、主君である惟豊も動揺を隠せない。一部の家臣たちは、すでに大友家との修好は不可能と唱え、いっそ積極的にこの乱に介入すべき、と唱えはじめていたのである。
この危急時にあって、甲斐親宣の判断は迅速を極めた。そしてそれ以上に苛烈であった。
親宣はまず肥後に逃れてきた入田親誠を通じて、菊池義武を招く。
少々ややこしいのだが、菊池義武は元の名を大友重治といい、先代の大友当主義鑑の弟であった。重治は肥後の名門菊池家に入って義武を名乗り、その家督を継ぐ。これは兄の命令で肥後に大友家の勢力を広める策略の一環であったのだが、義武は兄と袂を分かち、みずからの才覚で菊池家を統べようとしたのである。
しかし結果としてその試みは失敗。義武は肥後の片隅でかろうじて命脈を保っている状況だった。
その義武にとって、二階崩れの変は勢力回復の絶好の好機となりうる。入田親誠は義武をそう説いたのである。
義武は親誠の考えに理があることを認めたが、すぐに腰をあげようとはしなかった。
というのも、義武が治める菊池家の先代当主武経は、かつて阿蘇家の主権を惟豊と争った惟長のことだったからである。
つまり義武は、現在の大友家とは敵対しており、その意味で入田親誠と立場を同じくしている。その一方で、阿蘇家と菊池家は犬猿の仲であり、たやすく手を組むことはできなかったのだ。
義武は大いに悩んだのだが、この好機を見過ごしたところで、今以上の機会がめぐってくる保証はない、という親誠の言葉がためらいを押し流した。確かに、ここで義鎮(宗麟)が家督を継いで地歩を固めてしまえば、義鎮より年長の義武が大友家に返り咲く機会は永く来ないであろう。
ここで狐疑逡巡してしまえば、二度と豊後の地を踏めなくなる。親誠から二階崩れの変の詳細を聞き取り、大友家中の混乱ぶりをまざまざと感じ取ったこともあって、義武はついに阿蘇家と手を組み、豊後に侵攻する決断を下すのである。
親誠の説得のほとんどが、甲斐親宣の頭脳から出ていたことを義武は知る由もなかった。
事態は一刻を争う、という親宣の言葉に急かされるように、義武と親誠は阿蘇に戻り――待ち構えていた親宣によって、手勢ともども捕縛されてしまう。
義武はもちろん、親誠も驚愕してわめき声をあげたが、親宣は問答無用とばかりに二人の首を斬り、その首級をもってみずから豊後へと出向いたのである。
叛乱の首謀者の首級。
そして宗麟にとって政敵とも言える叔父の首級。
ことに後者は、阿蘇家が、菊池家と手を結び、豊後を侵略する意思がないことをはっきりと示していた。
この二つの首級をもって、親宣は大友家の君臣の眼前で、阿蘇家が今回の乱にいささかの関わりもないと言明する。
それだけではなく、親宣はさらにその場で剃髪してみせ、周囲の者たちを驚かせた。
そして驚く大友家の君臣の前でいっそ堂々と宣言したのである。
「阿蘇家には、大友家にたいする一片の敵意もございませぬ。されど、阿蘇家の一族の端に連なる者が貴国に多大なる迷惑をかけたは事実。その罪を謝すため、本日ただいま、それがしは出家して甲斐家当主の座を辞し、この国に身柄を預ける所存にござる」
阿蘇家に叛意のない証として、みずからが人質となる。親宣はそう言ったのである。
ただの家臣ではない。阿蘇家にその人ありと知られた甲斐親宣が身柄を預けるというのだ。しかも大友家にとって更なる御家騒動の種になったであろう人物の首級を添えた上で。
これには大友家の家臣たちも、互いに顔を見合わせ、口を閉ざすしかなかったのである。
その後、いくらかの問題は発生したが、親宣の行動と、肥後の親直の奔走によって阿蘇家はなんとか存続することが出来た。
親宣は当初、大友館に軟禁されていたのだが、ほどなく角隈石宗預かりとなって、軟禁状態から解放される。無論、自由に歩き回ることは許されなかったが、親宣の行動に感嘆した石宗は、親宣を賓客として屋敷に迎え入れ、出来るかぎりの便宜をはかったのである。
数年が経ち、大友家がある程度の落ち着きを取り戻した頃、石宗や道雪らは宗麟に進言して、親宣を阿蘇家へ戻そうと考えた。
すでに阿蘇家に叛意がなかったことは判然としている。これ以上、阿蘇家の重臣を留めておくことは、九国中に大友家の狭量さを知らしめることになりかねなかったからだ。
だが、これは親宣自身の口から拒絶された。
大友家が落ち着きを取り戻したように、阿蘇家もまた親直を中心とした新たな秩序が形成されていることだろう。そこに親宣が戻れば、定まった人心が再び乱れてしまう。親宣が人質として角隈屋敷にいることが、大友家の体面を傷つけるというのであれば、どこぞの寺にでも預けてくれまいか――親宣はそういって石宗に頭を下げたのである。
無論、石宗はこれを額面どおりに受け取ったわけではない。
親宣ほどの人物だ。南蛮神教が恐ろしい勢いで豊後に浸透していることに気づいていないはずがない。
南蛮神教という未知の要素を加えた大友家は、今後どのように動くか、まったく予断を許さない状況にあった。この時期、親宣が肥後に戻れば、不安定な大友家を刺激することになりかねない。それを親宣は恐れたのであろう。石宗はそう推測した。
その石宗の考えは間違ってはいなかった。
石宗や道雪が此方を謀るとは考えにくいが、要らぬ騒動の種をまく必要はない、というのが親宣の考えだったのである。
そして、それ以上に、親宣は南蛮神教の動きを警戒していた。異教を廃絶するという名目で彼らが動くとすれば、肥後も高千穂も標的になる可能性がある。娘や阿蘇家への気遣いは嘘ではなかったにせよ、親宣が豊後に残ろうとした理由の一つは、間違いなく南蛮神教にあったのである。
結果として、親宣は豊後に残った。
石宗からの知らせで、親宣が一寺を任されたことは知らされたものの、前述したように当の本人からは何の便りもない。大友家や南蛮神教の動向を伝えることはおろか、親直が使者として大友家に赴いた折も会おうとさえしなかった。
それが親宣なりの、大友家――というより石宗に対する誠意であったのだろう。親直はそう考え、父に会うことなく肥後へと戻ったのである。
その親宣が、はじめて動いた。
その事実は、親直が表情を動かすに足る一大事といえる。
もっとも――
「……動いたとは言っても、私あての書を認めただけ。それも中身はなし、か」
親直の名を記した墨痕淋漓とした筆跡は、親直の記憶にあるものと寸分たがわない。甲斐家に残っている親宣のものとも一致する。
肝心の内容が空白ということは、要するに使者に話を聞け、ということか。
「……雲居、雲居家、か。大友の家臣にその名はなかったと思うが……雲居筑前。何者かの偽名か?」
親直は推測してみたものの、ここでどれだけ頭をひねったところで答えがわかるはずもない。
今の親宣は、肥後の情勢をほとんど知るまい。ゆえに親宣が関わる使者だからといって、その言うことを鵜呑みにするわけにはいかないが……
「内容はどうあれ、話を聞かぬわけにはいくまい」
そう呟くと、親直は外に控えていた従者に、使者を案内するように告げた。
従者がかしこまって下がっていく。その足音に耳朶をくすぐらせつつ、親直は表情を改める。
常のごとく勁烈なその眼差しは、あたかも戦を前にしたかの如くであり、かつての大乱を彷彿とさせる事態が間近に迫っていることを、はや確信しているかのようであった。
◆◆◆
日向国高千穂山中。
高千穂北部を制圧した大友軍は、東部の要衝中崎城へと兵を進めている最中であった。
大軍が通行できるような道がないこと、また敵軍の奇襲を警戒するためもあって、大友軍の行軍速度は遅々として上がらなかったが、大友陣営に焦りの色は見られなかった。
これは捕らえた敵兵から三田井家の情報を聞き出し、現在、中崎城を中心とする高千穂の東部地方が孤立していることを知ったからである。
中崎城の守将である甲斐宗摂は、三田井家に仕える家臣の中でも屈指の実力を有し、主家を支えんとする忠誠心の厚い人物であった。この点、甲斐家の一族というのは、親宣や親直に限らず、皆が忠義を重んじる為人であるらしい。諸国の大名が聞いたら、涎を流して欲する人材の宝庫であろう。
それはさておき、そんな宗摂であるが、現在、主家の三田井家との確執が表面化しており、大友軍が中崎城へと進軍しつつある今も、三田井家から援軍を送ろうとする気配は皆無であった。
君臣の仲がおかしくなったのは、つい先年のこと。
この地方では鬼八という名の荒神の祟りを鎮める儀式が毎年行われているのだが、その供物というのが一人の乙女であった――つまりは人身御供である。
甲斐宗摂がこの儀式を取りやめさせ、乙女の代わりに一頭の猪をもって代わりとするように取り計らったのが昨年のこと。なんでも宗摂の娘が生贄に選ばれたからであるとのことだが、そのあたりは判然としない。
しかし、理由はどうあれ、生贄の儀式に娘を奪われた者たち、あるいは奪われることを恐れていた人々にとって、宗摂の決定は英断以外の何物でもない。彼らはおおいに宗摂に感謝し、名君と褒め称えた。
しかし、高千穂地方を統べる三田井家は宗摂の決定を認めず、それどころか深甚な怒りを抱いた。なんといっても「天孫降臨の地」を統べる家である。伝統、格式、慣習を重んじるのは当然すぎるほど当然のことであり、それを自分の一存で勝手に変更した宗摂に対し、寛容を示せるわけがなかった。
折悪しく、というべきであろう。今年、高千穂は天候が不順であり、早霜の害によって作物に少なからぬ被害が発生したという。餓死者が出るほどではなかったが、それに近い状況に陥った地域もあったそうだ。
異なる時代の人々であれば、不幸な偶然で片付けることも出来たかもしれないが、この地の人々にとって――ことに三田井家にとってはすべてが必然としか思えなかったであろう。
事実、彼らは宗摂に対し、ただちに生贄の儀式を執り行うように強硬に求めたのである。しかし、宗摂はこれを断固として拒否。
これまでは確かにあったはずの君臣の絆は、今や高千穂全土を探しても見つけることは困難になりつつあった。
大友軍が侵攻してきたのは、そんな時である。
まるではかったようなタイミングであり、宗麟が聞けば神の思し召しだ、とでも言ったかもしれない。
俺としても都合が良いと思ったことは否定しない。思うところがないではないが、だからといって引き返すことなど無論出来ぬ。
「問題があるとすれば……」
宗摂が民に慕われているのであれば、中崎城を攻めるに際して激しい抵抗を受ける可能性がある、ということか。
くわえて、宗摂と三田井家との繋がりが断たれていたのであれば、仮に肥後の親直が動いてくれたとしても、東部まで話が届いていない可能性もある。
まあ、寒気の厳しい高千穂山中を、いつ敵に襲われるかと警戒しながら進んでいる南蛮宗徒たちの顔は、豊後を出た時のそれとは比較にならないほど弱々しい。これをおさえることは、少なくとも高千穂に踏み入った頃よりは容易だろう。
俺はそんなことを考えながら歩き続けた。そして、大友軍は、明後日には中崎城を視認できる地点までたどり着いた。
敵の城が近づいたということは、その分、敵襲の可能性も増すということである。
もっとも、宗摂は中崎城に兵を集めており、篭城の構えを見せている。さらに幾人もの斥候を出しているから、不意に襲われる可能性はかなり低いのだが。
早ければ明日にも戦になるとあって。大友軍は翌日に備え、かなり早い段階で夜営の準備をはじめた。当然、敵の夜襲に対する備えも怠っておらず、煌々と焚かれる篝火は山一つを明々と照らし出すほどである。
それらの差配を終えた俺が、さて自分も休むかと思った時。
とある人物から声をかけられた。
◆◆
「ここまで来れば、まあ大丈夫でしょう」
丸目長恵はそう言うと、くるりと振り返って俺に向き直った。
大友軍が夜営している場所から歩くこと数分。友軍との距離は、俺たちの声が届くほど近くはないが、何か異常が起こった場合、それを察せないほど離れてもいない……そんな距離だった。
ところで、何が「大丈夫」なのだろう。俺は首を傾げる。
長恵に求められるままについて来たものの、肝心の用件をまだ訊いていなかったりするのだ。
戦を近くに控え、夜も更けた山の中、自軍から離れる長恵の目的は何なのか。
それは俺ならずとも気になるところだろう。当然、俺も気になった。しかし、それを訊ねても長恵は、内緒です、と唇に人差し指をあてて教えてくれなかったのである。
その長恵がそう言うからには、ようやく用件を教えてくれる気になったのだろう。
そう考えた俺は、それをそのまま口に出した。
「ふむ、何が大丈夫なのかはよくわからんが、ともあれ、用件をお伺いしよう」
一瞬、まだはぐらかされるか、と思ったが、予想に反して、長恵は俺を師兄と呼んだ後、あっさりとこう言った。
「立ち合ってくださいませ。真剣で」
数秒――ことによったら数十秒の沈黙の後、俺はゆっくりと口を開く。
「何故、と訊いても良いか?」
そう言いながら、俺が乱暴に頭を掻いたのは、これが長恵の冗談だとわかったから――ではない。その表情から、この申し出が限りなく本気であることを察したからである。
何故、俺と立ち合いたいのか。何故、今この時なのか。
そんな俺の問いに対し、長恵はゆっくりと言葉を紡いでいく。
周囲は寒気厳しい高千穂の山々、あたりは清澄な空気に満たされ、空からは望月の光が降り注ぐ。その月明かりに照らされた長恵の姿は、どこか幽玄という言葉を俺に思い起こさせた。
「今宵は満月……師兄とお会いしてから、はや月が一巡りしました」
「……ああ、そう言えばそうだな」
俺は改めて空を振り仰ぐ。太陽の光を受けて煌々と輝くその星は、欠けることなき姿を漆黒の夜空に浮かび上がらせている。
「なにか不満があった……いや」
俺は長恵に問いを向けようとしたが、すぐにかぶりを振ってそれを止める。
不満があるどころか、むしろ不満だらけかもしれない。そう思ったのだ。
この一月の行動に悔いはないが、それはあくまで俺の自己評価でしかない。
他者の――長恵の目から見て、俺の姿がどう映ったかは知る由もない。長恵が、もはや俺に付き従う価値なし、と判断したとしても、それに文句をつけるつもりはなかった。
だが。
長恵は俺のこぼした声を耳にして、きょとんとした表情を見せる。
「いえ、不満なんてとんでもないです。むしろ、師兄には感謝してもし足りないと思ってますよ?」
「そ、それはどうも……? あ、や、そこまで感謝されるようなことはしてないと思うんだが」
吉継の護衛とか、先日の狙撃とか、むしろ長恵に頼りっぱなしのこちらが感謝しなくてはならないほどだ。
しかし、そんな俺の言葉に、長恵は首を左右に振る。
「好きに使って下さいと言ったのは私なのに、それに対して感謝を求めたりしませんよ。ましてその程度の功を、師兄や姫様のお傍にいたこの一月と引き比べるつもりなど毛頭ありません」
そう言って微笑む長恵は、思わず見とれてしまうほど魅力的ではあったのだが、しかしそうなると、なんで真剣で立ち合え、という話になるのだろうか。
俺がそう問うと、長恵は特に構えるでもなく、こう返答した。
「師兄の本気を見てみたくなったから――では、理由になりませんか?」
「……本気と言われてもな。一応言っておくが、実力を隠したりはしてないぞ」
そんな余裕あるわきゃないのである。
「それはわかってますよ。見せてもらいたいのは、あくまで『本気』であって、秘めた実力、なんてものじゃありません」
「今ひとつ違いがわからないが……まあそれは措くとしても、何で戦の真っ最中に?」
府内にいた頃ならば、いくらでも機会はあったはず、と考えた俺はそう問いかける。
……いや、長恵のことだから、多分、今日が満月だから、とかそういう理由なんだろうなあ、とは思っているが。
「それはもちろん、今日が満月だからです」
さも当然のように言う長恵。さいですか。
「それに、ですね」
「む?」
「府内で立ち合えば、どうしても人目に触れてしまいますから。その点、高千穂の山の中なら、見ているのは草木と動物、それにあちらの――」
そう言って、長恵は天空を指差してみせる。
「お月様だけです」
なるほど、確かに剣聖丸目長恵が雲居家にいる、などと知られるわけにはいかない。たとえ長恵の顔を知らない者でも、多少なりと剣術に心得があれば、その剣筋から長恵の腕前が尋常ではないことに気づいてしまうだろう。
その意味で、府内で剣を振るうのを避けたいという長恵の言い分はもっともであった――と、俺はそう考えたのだが。
「いえ、確かにそれもありますが、私がこの場所を選んだのは師兄のことを考えたからですよ」
「俺のこと?」
「はい。だって師兄は、姫様や他の方々の前では、本気は出せないでしょう?」
さも当たり前のようにそう口にする長恵に対し、俺は咄嗟に何と返すべきか判断に迷ったが、念のためにもう一度さっきの言葉を繰り返すことにした。
「繰り返すが、別に実力を隠したりはしていないぞ。俺の剣筋を見たところで、何がわかるわけでもないと思うけど……」
「そういうことを言いたいんじゃないんですけど、んー、何といえば良いかな……?」
すると長恵は何やら考え込んだ末、口で説明するのを諦めたようだった。
困ったように笑って言う。
「私は、師兄の氏素性を探るつもりはありません。ただ、雲居の果てにある『あなた』の本気を見てみたい。それだけです。不躾な願いだとはわかっていますが……」
「ふむ……よくわからんが、まあ長恵がそう言うなら――」
じゃあ、やるとしますか。
俺がそう言うと、今度は長恵が口を噤んだ。驚いたように目を丸くしている。
「よろしいんですか?」
「ここまで連れ出しておいて、何を今さら。断らせるつもりなんてないだろうに」
「あは、まあそれはそのとおりなんですけど。最終的には先の狙撃のご褒美という手段まで考えていたのに、それが無駄になって残念です」
「多分そんなことだろうと思ったので、さっさと承諾したのですよ、剣聖殿」
俺はそう言って肩をすくめた。
それに、ここまで無償で協力してくれた長恵が、はじめて願いを口にしたのである。断る、という選択肢ははじめから俺の頭にはなかった――まあ、出来ればもっと穏やかな願いの方が良かった、と思わなかったといえば嘘になるのだけれども。
俺は腰の刀を抜き放ちながら、そんなことを考えていた。