視界を灼きつくす稲光にわずかに遅れ、耳朶を打ち据えるような轟音が響き渡る。
大友軍本陣からほど近い陣屋から悲鳴にも似た声があがった。
夜半から大友軍を襲った嵐は、まるで雷神と風神が競って猛り狂っているかのようで、どれほど時が経っても一向に収まる気配を見せない。
軍律の厳しさにおいては九国一とも言える大友軍の将兵である。敵軍の襲撃であればかくも混乱を見せることはなかったであろうが、自然の猛威の前では、さしもの精鋭も、嵐が過ぎ去るのをただ待つことしか出来ないと思われた。
だが。
戦況は漫然と嵐が過ぎ去るのを待っていられるほど安穏としたものではなかった。
立花山城城主である立花鑑載の叛乱、これを討つべく進軍していた大友軍のもとに更なる凶報が舞い込んできたのは、つい先刻のこと。
「な、なんと、高橋殿までが離反したと申すのかッ?!」
大友軍の陣中にあって、驚愕の声をあげる僚将を横目で見やりながら、小野鎮幸は腕組みをして、眉間に皺を寄せた。
主将である鎮幸の代わりに口を開いたのは、副将である由布惟信だった。
「立花殿に続き、高橋殿までが――これも元就公の策ですか。『有情の謀将』の名は伊達ではありませんね」
どこか感心したような惟信の物言いに、鎮幸が苦笑まじりに口を開く。
「あっさりといわんでくれい。高橋殿が離反したということは、岩屋城と宝満城が敵にまわったということだろう」
いずれも堅城で知られる二城だが、今重要なのは休松城からここまで来るために、大友軍がその二城を通過したという事実である。それはつまり――
「見事なまでに退路を断たれたな。我が軍が立花山城に迫りつつあるこの時に、高橋殿が離反したことは偶然ではあるまい」
「よかった、そのくらいはわかりましたか。これが偶然だとか言ったらどうしようかと思っていました」
「……惟信、どうも最近、僚将に対する親愛とか敬意とか、そういったものに欠けておるように見えるのだが、わしの気のせいか?」
「ええ、気のせいです。ともあれ、これで休松城の道雪様との連絡は絶たれ、互いに孤立することになりました。高橋殿の動きが計算づくなのだとしたら、すでに休松城は秋月らの手勢に囲まれていると見るべきでしょう。そして、敵がこの嵐さえ計算に入れているのだとしたら――いえ、おそらくは計算の内なのでしょうね。高橋勢、立花勢、共に嵐をついて出撃しているものと考えるべきです」
その惟信の言葉に周囲からざわめきが起き、諸将は動揺した視線をかわしあった。
この嵐の中、敵勢に挟撃を受けようものなら壊滅は必至である。動揺するな、というのは酷な話であったろう。
「そ、それならば急ぎとって返すべきでは? 我らが主力を率いている今、休松城の兵は少ない。強襲されれば、道雪様とてただではすみませぬぞ」
「この嵐の中、進むことさえ難しいのに、退却などしては、それこそ敵の思う壺であろう。追撃をうければ、戦うことも出来ずに壊滅してしまうわい。そもそも退くといっても、どうやって休松城まで帰るのだ?」
「だからと申して、ここでじっとしているわけにもいくまい。いっそ、急ぎ立花山城を陥とすべきではないか」
「立花山城は筑前の要ともいうべき城。兵力では我が方が勝っているが、しかしあの堅城がそう易々と陥ちるとは思えぬ。城攻めにてこずっている間に、後背を高橋殿の兵に衝かれたらどうする。敗れるとは言わんが、被害は無視できぬものとなるぞ」
「では、どうしろというのだ。このまま手をつかねて漫然と時を過ごせとでも言う気かッ」
戦の方途を巡り、軍議は喧々諤々の騒ぎに包まれていく。
それらの意見に耳を傾けながら、主将である鎮幸、副将である惟信、共に意見を口にすることはない。
彼ら二人をもってしても即断できないほどに、戦況は混沌としているのだと思われた。
が。
不意に鎮幸の口から低い笑い声がもれはじめた。
正確に言えば、最初は「くくく」みたいな笑い声だったのだが、しばらくすると「ふふふ」になり、最終的には「がっはっは」と大笑しはじめたのである。
この主将の奇行に、大友軍の諸将は唖然となった。下手をすれば将兵そろって筑前の地に屍をさらすことになりかねない戦況である。誰がどう見たところで爆笑する場面ではない。
とはいえ、正面から理由を問うのもためらってしまう僚将たちだった。まさかあの小野鎮幸が気が触れたわけでもあるまいが、今の鎮幸に進んで話しかけたいとは誰も思わない。だって怖いもの、と彼らの顔にはでかでかと書いてあったりする。
必然的に、彼らの視線はこの混沌を鎮められる唯一の人物――副将の由布惟信に向けられる。
当の惟信は深々とため息を吐いた後、やおら声を高めて言い放つ。
「衛生兵ッ! 可及的すみやかに小野殿を隔離してくださ――」
「待て待て! 別に気がふれたわけではないぞッ」
「では弓兵隊!」
「誰を射る気だ、惟信ッ?!」
「ならば最後の手段です――鉄砲隊、前へッ!」
「すまぬ、わしが悪かったから落ち着け、いや落ち着いてくだされッ?!」
何やら据わった眼差しの惟信に睨まれた鎮幸は大慌てで言い募る。そこに、つい先刻までの浮かれていた様子はかけらも見て取れない。
すると、惟信は瞬く間に表情を常の冷静なそれに戻すと、鎮幸ではなく、他の僚将たちに軽く肩をすくめてみせた。これでいいですか、とでも言うように。
大友軍本営に時ならぬ万雷の拍手がとどろいたのは言うまでもないことだった。
◆◆
「いやいや、すまんすまん。こう、策を秘めてもったいぶっておるのが、思ったよりも楽しくてな。うむ、軍師の気持ちが理解できたような気がするわ」
鎮幸は頭をかきつつ、そう言って詫びる。
「軍師、というと雲居殿のことでござるか? いや、それより策を秘めているとは……?」
武将の一人が怪訝そうに口を開く。
今の一幕は、期せずして諸将の動揺を取り払う効果を持っていたようで、すでに彼らは高橋家謀反の衝撃からの立ち直りを果たしていた。そして動揺が失せれば、鎮幸の言葉の意味を理解することは難しくない。
「……まさか、わかっておられたのか? 鑑種(あきたね)殿が離反することが?
高橋家当主、高橋鑑種。
その名は大友家にとって小さからざる意味を持つ。
元来、高橋家は立花家と同じく同紋衆に名を連ね、立花家に勝るとも劣らぬ威勢を示す大家である。その祖は、遠く大陸にあり、漢王朝を創建した劉氏の流れをくむという異色の名門であった。
その当主である高橋鑑種は宗麟の信頼あつく、先の秋月家討伐においても抜群の功績をたてたほどの勇将であり、同時に善政をこころがけ、領民たちから慕われる名君でもあった。
高橋家が、筑前において立花家に並ぶ権限を宗麟から与えられているのはゆえなきことではない。
ただ一つ、宗麟が残念に思っていることは、高橋家の領内に南蛮神教の建物がないことである。これは立花家も似たようなものだが、それでも鑑載は度重なる宗麟の命令もあって、すでにいくつかの教会を領内に建設していた――きわめて粗末なものであったにせよ。
だが、高橋家に関しては事情が大きく異なった。そもそも、宗麟は鑑種に教会建設の命令を下していないのだ。あくまでも要請にとどまり――それも鑑種が府内に赴いたおり、おずおずと願う程度のことであり、鑑種は常にこれを謝絶していた。
これに関しては、宗麟も南蛮神教の宣教師たちからも苦言を呈されていたのだが、こと高橋家に関しては宗麟は決して南蛮神教を強制するような命令を下そうとはしなかったのである。
何故、宗麟はそれほどに鑑種をはばかるのか。
それが重臣に対するとおりいっぺんのものでないことは、立花鑑載との差異を見れば明らかである。
そして、その理由を多くの家臣たちは知っていた。
高橋鑑種は、高橋家の生まれではない。鑑種は大友家庶流たる一万田家の子であった。男児に恵まれなかった高橋家が一万田家に請うて養子にもらいうけたのが鑑種なのである。
そして養子に出されたことからもわかるとおり、一万田家には鑑種の他にもう一人の子供がいた。一万田家の嫡子であり、鑑種にとっては兄にあたるその人物の名を、一万田鑑相という……
一万田家が断絶した折、鑑種に累が及ばなかったのは、鑑種が幼少時から一万田家を離れていたという事実があるにせよ、そこに宗麟の強い意志があったからである。
当人が意識しているか否かは知らず、宗麟の行動は贖罪の一つの形だった。そして、そのために大友家中における高橋鑑種の存在は非常に特異なものとなってしまっていたのだが――その事実を指摘することは大友家にとっては禁句に等しかった。
くわえて言えば、鑑種自身は宗麟からの特別扱いを誇るでも嫌うでもなく、淡々と家臣としての務めを果たし続け、その成果は誰にも非の打ち所がないものだったから、これまで特に問題視されることもなかったのである。
その高橋鑑種が毛利の誘いにのって謀反する。
どうして、どうやってそんなことがわかったのか。
その疑問に、鎮幸は短いあごひげを摘みつつ返答する。
「正確に言えば、起こるかもしれん可能性の一つとして注意を受けていた、というところか。まあ、何故だか軍師は確信していたようだがな。何故かまでは聞いておらんし、聞く必要もなかろう。我らには我らの務めがあるのだから」
「それはそうかもしれんが……実際、どう行動する? これが突発的な叛乱ではないというなら、立花殿にしても高橋殿にしても、もてるかぎりの戦力を投入してくるだろう。あのお二人が背いたと知られれば、追随する者は必ず出てこようし、下手をすれば筑前すべてが敵にまわるぞ。たかだか二万程度で打ち払えるものではあるまい?」
僚将の問いに、鎮幸は不敵に笑ってみせる。
「ふっふっふ、ならば今こそ明かそう。我らの秘さ――」
「雨が降ると知っていたなら、それに備えるのは当然のこと。まして嵐が来るとわかっていて、それに備えないはずがないでしょう。わたしたちの部隊はこの地で叛乱軍を待ち受けます」
「待ち受ける、ということはあえて動かぬということですか?」
「はい。とはいえ平野の真っ只中で迎え撃つつもりはありませんよ」
「近くに丸山城がありますが、そこへ篭られるのか?」
「これが千や二千の兵であれば無理やりにでもそうしたでしょうが、私たちは二万に近い大軍です。小城に篭ればかえって動きがとれなくなってしまうでしょう。城の外に配された兵は穏やかではいられないでしょうしね」
「では――」
「はい。少し北に行ったところに、手ごろな山がありますので、そちらへ」
惟信の言葉に、武将は小さく笑った。
「なるほど、妙に斥候を多く出しているなとは思ったのですが、このことあるに備えてでしたか。しかし、これでは我らは敵中に孤立することになりますが?」
惟信は小さく頷く。
「はい。けれど、そう長いことではありません。堅固な陣に篭るは怯え居竦むにあらず、やがて来る攻勢に備えてのことです」
惟信はそう言うと、一つ息をついてから、さらに続けた。
「立花、高橋の軍勢が来るまで、まだ多少の猶予はあるでしょうが、のんびりしてもいられません。ただちに陣替えの準備をはじめてください。嵐の中での移動です、各々十分に注意するように。無論、高橋離反の報は兵にもらしてはなりませんよ」
「承知仕った」
その言葉を皮切りに、諸将は一斉に立ち上がり、それぞれの部隊を掌握するために散っていく。
そんな僚将たちの後姿を見送りながら、惟信はこれからの手立てを頭の中で並べ立て、検討を加えていく。その最中、知らず惟信の口からため息が零れ落ちた。
「……それにしても、立花殿に続き、高橋殿までが背くとは。このままでは遠からず筑前が失われるは必定、なんとかしなければならないですね」
とはいえ、それが簡単に出来れば誰も苦労はしないのだが、と内心で呟きつつ、惟信は何故か隅っこでたそがれている鎮幸の首根っこを引っつかむべく、ゆっくりとその背後に歩を進めるのだった。
◆◆◆
時を数日さかのぼる。
筑前休松城。
先夜の敵襲を追い返し、日が昇る頃にようやく眠りについた俺は、何故だか吉継に頬をつねられて目が覚めた。
「……えーと、なんで俺は頬をつねられてるんだろう?」
「寝顔が可愛かったもので」
「意味がわからないのだが」
あと、この年で寝顔が可愛いといわれても嬉しくないぞ、娘。
「それは残念です。それはともかく、目が覚めたのなら道雪様に会いにいかれたほうがよろしいかと。無論、しっかり身支度を整え、将たる威厳をまとった上で」
「すまない吉継、さっぱり意味がわからないのだけど?」
寝起きのせいだろうか、本当に吉継が言ってることがよくわからんかった。
しかし、寝ぼけ眼の俺に対し、吉継はなにやら恥ずかしげに頬を染めて(めずらしく頭巾をしていなかった)こんなことを言ってきた。
「お願い、お義父様」
「道雪様に会いにいけばいいのだなッ、よし、すぐに行こう、早速行こうッ! ちょうどお話ししておきたいこともあったからなッ」
「……というわけでまかりこした次第ですッ」
「……勢い込んでたずねてくるから、何事かと思えば」
道雪殿は呆れたように首を振った。はからずも鬼道雪を呆れさせるという武勲を、俺はたててしまったらしい。
道雪殿は口元に苦笑を湛えながら、口を開く。
「誾のことを気にかけてくれたのでしょうから、礼を言うべきところではあるのですけど。ふふ、親子仲がよろしいようで、縁を結んだ身としても嬉しく思いますよ、筑前殿」
「そのことに関しては、それがしも心より感謝しております」
それは俺の本心だった。
まあ今の俺と吉継の仲は、言葉の響きは悪いが、家族ごっこのようなものだろうが、それでも家族という響きに焦がれる者同士の連帯感はあるし、今までなかった暖かいものが心の奥の方に感じられるのも事実である。
時を重ねていけば、いつか「ごっこ」が消えてなくなるのだろうか。そんな風に考えながら、俺は道雪殿の言葉に気になる部分を見つけて問いを発した。
だが。
「誾殿がなにか……って、あ、いえ、大体わかりました」
問おうとした途端、大体の事情が察せられたので、俺は苦笑して問いを引っ込める。
そんな俺に、道雪殿は困ったように笑いかけてきた。
「あの子も頑固なところがありますから。そのあたりは生みの母にそっくりなのですけど、菊と違い、誾は表に出さず、内に溜めるばかりなのが親としては心がかりなのです」
「そうですね、まあ俺――ではない、それがしとしては誾殿の御心がわからないでもないので、というか良くわかるので、複雑なところではありますね」
ぶっちゃけ、俺が道雪殿の前から消えれば、誾の憂いの大半は拭われるだろう。それは半ば確信だった。
無論、そういった目先のものではない、もっと深い事情に関しては俺の考えが及ぶところではない。ただ、それはおそらく道雪殿の下で成長していけば、遅かれ早かれ解決するのではないかと思う。
嫌われているため、ろくに話したこともないのだが――というか、話しかけてもすぐに会話が打ち切られてしまうのだが――戸次誾という少年の聡明さは傍目にも明らかである。
周囲には道雪殿や紹運殿をはじめとした『人』はそろっている。だから、あの子にとって必要なのは、おそらく時間だけだろう。克目すれば、いずれは西国一の侍大将として名を轟かせるのではないだろうか。
――と、まあそんなことを言ったら、めずらしく道雪殿が笑み崩れていらっしゃった。やはり母親、息子が褒められるのが嬉しくて仕方ないらしい。
うむ、思わぬところで道雪殿攻略の鍵を握った気がする。だが、内心でこっそりほくそ笑む俺に気づいたのか、道雪殿はこほんと咳払いして表情を整えると、にこやかにこう言ってきた。
「それでは、今度はわたくしから見た吉継殿の為人を申し上げることにいたしましょう」
互いの子を誉めそやし続けた俺と道雪殿が我に返ったのは、それからしばらく後のこと。
この危急に、俺は一体何をやっているんだろうか。俺が頭を抱えていると、道雪殿も似たような心境なのか、やたらと手で髪をもてあそんでいた――ちょっと洗ってみたいなあ、と思ったのは内緒である。
「そ、それはともかく、今後のことです」
いろんな思い(雑念)を断ち切るように、俺はあえて強い調子で声を押し出す。このままだと、またあらぬ方向に話が持っていかれてしまいそうだったからだ。
「吉継には話しましたが、おそらく秋月はまもなく総攻めに出てきます。であれば、おそらく凶報が舞い込んでくるのはまもなくのことです」
「わかりました。思えば、あえて鑑載殿が単身、わたくしを訪れたのも、この布石だったのですね」
「おそらくは。道雪様の目を、自分ひとりに向けておくおつもりだったのでしょう。それがしの考えすぎであれば良かったのですが……」
立花、秋月、毛利、そして高橋。
幸か不幸か、ここまでの情勢は俺の予測と大差なく進んでいる。
ここまでなら、今回の筑前遠征軍で対処できるだろう。問題は――
「肥前の竜造寺が動いた時ですね」
「筑後の蒲池鑑盛殿には一切を知らせてあります。あの御仁の清廉は曇りなきもの、信じてしかるべきでしょう」
「はい。ですが、聞けば竜造寺は当主である隆信自身が剛勇の将であり、配下には四天王なる屈強の武将たちが控えているとか。くわえて鍋島直茂なる鬼面の切れ者が軍配を任されているとも聞き及びます。蒲池様お一人だけでは、あるいは後手を踏む可能性もありましょう」
その俺の言葉に、道雪殿はかすかに目を細めた。
「そこまで言われるからには、何か策があるのですね?」
「策、というほどのものではありませんが、小野様、由布様と連絡がとれましたら――」
それはすなわち、宝満城と岩屋城を陥としたら、ということである。
「それがしを肥前につかわしていただけませんか?」
◆◆◆
筑前国岩屋城。
高橋鑑種によってつくられた険阻な山城は、夜半、筑前を襲った野分の真っ只中にあった。
雨はあたかも滝のごとく降り注ぎ、風は周囲の山々の木々をへし折りつつ荒れ狂う。この時期の嵐はさしてめずらしいものではなかったが、それでもこれほどの規模のものは滅多にないといってよい。
雷光が煌くや、ほとんど間をおかずに轟音が響き渡る。岩屋城は、今や嵐の中心に位置しているようであった。
稲光によって、一瞬の間だけ垣間見える岩屋城。
その姿を、山中から遠望する者たちがいた。一人二人ではない。十人、二十人でもない。百人、二百人ですらなかった。
その数、実に七百人。
彼らの軍装は岩屋城を支配する高橋家のものである。旗指物も同様だった。
彼らと他の高橋勢の違いをあげるとするならば、主力部隊が大友軍の後背を衝くべく岩屋城を出て北へと向かったのに対し、彼らは南から城への道を進みつつあるということだった。
そして木々の間から、岩屋城の城門を指呼の間に望んだとき、それまでひたすら無言で進み続けていた部隊が、はかったようにぴたりと進軍をやめた。
「尾山、萩尾」
七百人の部隊を統べる人物が、配下の二人に呼びかける。
「はッ」
「手はずどおりに行く。私と尾山が正門、萩尾は搦め手だ」
「御意」
その言葉を聞くや、萩尾と呼ばれた人物は即座に部隊を率いて姿を消した。
この嵐の中、命令を伝えることさえ困難であろうに、部隊の動きは整然と乱れなく動き、ただその一事だけでこの部隊の錬度を知ることが出来るだろう。
「では、我らも参りましょうか。しかし……」
尾山と呼ばれた将は顔中を雨と泥で汚しながら、呟くように何かを口にしようとしたが、思い返したように首を左右に振るにとどめた。
無駄口を叩くまいとしたのか、それとも一度口を開きながら、何を言うべきかわからなくなってしまったのか。本人にすら、それはわからなかった。
そんな尾山の迷いを察したように、指揮官が声をかける。その声は先の命令する声より、ほんのわずかだけ柔らかかったかもしれない。
「今は戦に集中しろ。我らの部隊に、大友の未来が懸かっているのだから」
「は、申し訳ありません」
そう言って、尾山はみずからの主君に視線を向ける。
この風雨の中にあって、なお毅然と立つその姿。凛とした双眸に映るのはただ岩屋城のみか。それとも、その先にある何かを見据えているのだろうか。
そんなことをかんがえながら、尾山中務は、主である吉弘紹運の攻撃の下知を待つのだった。