やあやあ皆さん、こんにちは。初めての人は始めまして。夜の人はこんばんは。朝の人はおはようござ(以下略)アルビオンのプリンスことヘンリーです。長年の課題だった治安機関の創設と陸軍の強化策が、省庁再編と一緒に片付ける事が出来たので一安心です。反乱が起きてもフルボッコにしてやります。いやー、今なら何でも出来そうな気がします。空も飛べるはずです。
内閣制度に移行してから早4ヶ月。細かい事を上げればきりはないけど、ロッキンガム首相以下の閣僚と官僚の皆さんが頑張っているお陰で、とりあえずは上手くいってるようです。陸軍庁から省に格上げされた陸軍軍人の皆さんの張り切りようは大変なものだそうで。実際のところ予算はほとんど増やしてないんだけど、名前だけでこれぐらい喜んでくれるなら安いものです。いざというときはよろしくお願いしますよ?警察学校長のパリーは貴族からの突き上げで苦労しているみたいだけど。うん、まぁ、頑張れ。
これでカザリン義姉さんが早く子供を生んでくれれば万々歳。何も言う事は無いんだけど、今のところその気配はない。原作どおりならウェールズが生まれるはずだから、あんまり周囲がプレッシャーかけるのは逆効果になりかねない。それにこういうことは最後は神様次第だからね。精のつくもの食べて、ハッスルハッスル!そうそう、アンドリュー製造時に飲んだ韻龍のヒゲっていう粉末薬がまだあるんだけど、兄貴いる?・・・あれ、あのー、なんでそんな怖い顔・・・あのー、なんで杖を出すの?
「・・・昨日、カザリンがやたらにアレだったのは、貴様が原因か」
い、いや、義姉さんに渡したのはただのビタミン剤みたいなもので、そんな効果はないはずなんだけど・・・え、あのそれ軍杖なんだけど。洒落にならないんだけどぉ・・・
「・・・言いたい事があるなら言ってみろ」
「昨日はお楽しみだったってことでOK?」
ぎゃー
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(ヘンリーも鳴かずば撃たれまい 前編)
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ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスは、アルビオン王国財務大臣ウィリアム・ぺティ・シェルバーン伯爵の叔父である。スタンリー・スラックトン前政権下で陸軍長官や内務卿を歴任した彼は、現在貴族院議員として外交委員長の席にあった。当初は商工委員長が想定されていたが、甥が財務大臣の職にあるということを理由に当人が固辞したのだ。このあたりの政界遊泳術の巧みさは、さすがにスラックトン侯爵の下で閣僚を歴任しただけの事はある。その彼をしても、部屋に入ってきた王弟の容姿に思わず腰を引いた。
「へ、ヘンリー殿下、いかがなさいましたか?」
「いやぁ、色々あってね・・・鏡を見ても自分の顔は治しづらいものだね。勉強になったよ、うん。勉強になった」
水ぶくれした顔で自分に言い聞かせるように何度も頷くヘンリー。これは深入りしないほうがいいと察したランズダウン侯爵は何食わぬ顔で椅子を勧めた。貴族院外交委員会はユル、マン、イング、ダエグの曜日と一日置に開催される。いくつかの委員会を掛け持ちする議員もいるためにとられた措置だが、虚無の曜日である今日はどの委員会も休みだ。閑散としたウエストミンスター宮殿の外交委員長室を訪れるものなどいない。その日を狙ってお忍びで合いたいと申し入れを受けた時は驚いたが、意外と人目を気にする常識家だという甥の評価はあながち間違いではないのかと納得もした。
「外交委員長として忙しいだろうに、時間を作ってもらって悪かったな」
「恐れ多いお言葉。しかしここ最近は委員会も閑古鳥が鳴いておりますゆえ、そうしたお気遣いは無用です」
「そういってもらうと助かるよ」と口にしたヘンリーは「去年は忙しかっただろうね」と続けた。
「ええ。昨年前半はトリステインとガリアの仲介交渉が本格化した時期でしたから。毎日のように各国の大使や職員が外務省とここ(外交委員長室)を行き来していたものです。ヘンリー殿下にも全権大使として御尽力いただきました。遅ればせながら感謝申し上げます」
「お飾りの私に礼を言ってもらっても困るよ。それはパーマストン子爵以下の外交当局者にこそ向けられるべき言葉だ」
そういって顔の前で手を振るヘンリー。謙遜ではなく実際にそう思っているから言うのだという顔つきである。甥はこれにやられたのだろうとあたりをつけながら、ランズダウン侯爵は親指の腹で口髭を撫でた。
「なにせ両国とも頑固でプライドが高いから。パーマストン卿(外務大臣)も大変だっただろうね」
「あのお方のよいところは、愚痴や不平不満を人に漏らさない所。『密なるを以って成る』はなかなかできるものではありません」
こちらはヘンリーと違い、素直に人に対する評価を口にする性格ではないランズダウン侯爵だが、その言葉に世辞は含まれていなかった。ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー卿、スタンリー・スラックトン侯爵、そしてロッキンガム公爵と三つの政権で20年もの長きにわたり外務大臣を歴任したこの子爵の手腕を疑うものは外交当局者の中には存在しない。スラックトン前政権下で閣僚として肩を並べたランズダウン侯爵もその評価に異論はなかった。
「通常、閣僚というものは宰相が入れ替わると交代するものですが、彼だけは20年以上あの地位にとどまり続けました。外交の継続性といえば聞こえはいいですが、なかなか食えない男ですよ。まぁ、それだけうまくやっているということでしょうが」
「たしか子爵は政治任用の」
「ええ『貴族外交官』ですよ。子爵家とはいえ彼の家は裕福ですから」
大陸諸国の貴族がそれぞれ国境を跨いで縁戚関係を結ぶのが珍しくないのに比べ、地理的制約のあるアルビオンではよほどの名門貴族でもない限り国外の貴族との婚姻は難しい。同様の理由で大陸の大学や魔法学院に留学することが出来るのは財産的に余裕のある貴族に限られていた。机を並べて学問に励んだ間柄はそうそう切れるものではない。留学先で他国の貴族と交流し、個人的関係を深めることは個人のみならずアルビオンにとっては何よりもの財産である。そして何より語学の問題がない。こうした留学経験の持ち主や名門貴族の多くが政治任用として外交官に指名されていたが、職業外交官は彼らを揶揄して『貴族外交官』と呼んでいた。
「職業外交官には貧乏貴族出身が多いですからね。必死の思いで語学試験や外交官試験をクリアして見れば、そこには家の財力で悠々と暮らしてきたボンボンが、自分たちが死に物狂いで覚えた語学を苦労なく使いこなし、個人的な縁戚関係や繋がりをもって勝手な外交をしている-貧乏人の逆恨みといえばそれまでですがね」
「同じ貴族でもか・・・いや、同じ貴族ゆえの問題だなそれは」
そうつぶやいた王子の顔には、自分がそうした職業外交官の怨嗟の的になっているという自覚は感じられず、ランズダウン侯爵は微かに眉を顰めた。ラグドリアン講和会議のアルビオン全権団代表にパーマストン外務卿(当時)ではなく、王弟のカンバーランド公爵ヘンリーが擁された事に、職業外交官の多くはそのプライドをいたく傷つけられた。彼らは王弟という肩書きの重要性と利用価値について外交官としては理解していたが、外務省本流のガリア派や反主流派のみならず多くの外交官は「それならば(たとえ貴族外交官であろうとも)パーマストン子爵のほうがよかった」と噂した。そうした声はランズダウン侯爵も聞き及んでいる。しかしわざわざ本人の耳に入れるような事案でもなく、それを話して不興を蒙ってはたまらないと侯爵は自分の中で片づけてしまった。
「確かに貴族外交官とやらには、訓練を受けていないが故に任地惚れを起すなどして適格を欠くものがいるだろう。しかし任地惚れは職業外交官も同じ事。それにあるものは使わないともったいないじゃないか。せっかく外国語に堪能で個人的な関係を諸国に持つ貴族がいるんだ。一から外交官を育てるよりは安くつくだろ?」
「理屈では確かにそうですが・・・その」
言いよどんだランズダウン侯爵に、ヘンリーは察しをつけた。
「語学コンプレックスか」
王族のたしなみとしてヘンリーはガリア語とタニア語を含めて一応三ヶ国語を使える(ガリア語≒タニア語であり、アルビオン語でも大陸の人間と日常会話は可能なので、そう威張れたものではない)。しかし英語の授業で七転八倒の苦しみを味わった元日本人のヘンリーにはそれが痛いほどよくわかる。「英語は話せて当たり前」が自論の海外事業部の松原部長がフランス語と中国語を使えることを何かにつけていちいち自慢していたのがどれだけ癇に障ったことか。
「難儀なことだね、本当に。考えれば考えるほどパーマストン子爵はたいしたものだよ・・・できるなら後数年、せめて後継者を立ててから引退してくれると助かるんだが」
「69歳の老人をこれ以上慰留することはさすがに難しいでしょう。実際に体調が優れないとお聞きしております」
そう言ってからランズダウン侯爵はこちらを探るような視線をヘンリーに送った。ヘンリーはそれに気がつくと不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
「言っておくが、私は知らないぞ。兄上からは何も聞かされてもいない」
「まだ何も言ってはおりませんが」
「君の甥っ子-というには年を食いすぎているが、シェルバーン伯爵の時はあらかじめ内定したのを伝えるように兄上から頼まれたのだ。兄上から人事の相談を受けたということは断じてない。根も葉もない噂だ」
憮然とした表情で、私とて迷惑しているのだというヘンリー。この様子では同じ質問を相当繰り返されたのだろう。たとえ本人にその気がなくとも、そのように思われても仕方がない行動をとっているのは事実である。
「しかしロッキンガム公爵などは殿下の推薦により宰相の印綬を得たともっぱらの評判ですが?」
さすがにこのような露骨な質問はぶつけられた事はなかったのか、ヘンリーは意外そうな顔をして見せた後、一呼吸の間を空けた。よく舌の動く腰の軽い御仁であるとは甥の評価だが、頭の思考と舌が直結しているというわけでもないようだ。迂闊だが軽率ではない。
「あれも君の甥の時と同じだ。内示を聞かせたのは確かだが、だからと言って誰それがいいと直接兄上に推薦した事はない」
実際、ヘンリーはスラックトン侯爵の後任については唐突にジェームズ1世から知らされた。次期政権の重要課題が行政の整理(省庁再編)である事にヘンリーとジェームズ1世の間で共通認識はあった。それを踏まえてヘンリーは次期宰相に内務卿(現内務大臣)のモーニントン伯爵か、目の前にいるランズダウン侯爵を予想していた。モーニントン伯爵は父親が元宰相(スラックトンの前任者)のウェリントン公爵であることを含め、当人の内務官僚としての実績や政官への人脈という点で、現在貴族院議員で議会内に一定の影響力を持つランズダウン侯爵は内務卿や陸軍長官を歴任した実務経験などから、ベストではなくともベターではないかと考えたからだ。
それを閣僚経験のないロッキンガム公爵を突然宰相(現首相)に抜擢する事にヘンリーは無論、誰もが一抹の不安を覚えた。旧ヨーク大公領の責任者として実績を上げてはいたが閣僚経験のないロッキンガム公爵。何よりも風見鶏で上手くいくのか?そうした不安は、激しい抵抗が予想された省庁再編を多少危うげではあるが乗り切ったのをみると、若き王への信頼に変わった。人事が難しいのはファンタジーの世界でも同じ事。逆にそれが出来れば権力者としては十分であり、それが出来なければ-言葉は厳しいが失格である。父親であるエドワード12世が兄だけに伝えた「帝王学」がいかなるものかヘンリーには知るすべもないが、その中では勿論人事についても触れられているのだろう。
「人事は権力の肝だ。兄上はそれを人に分け与えるような事はしない」
「そうですか、なるほど」
ランズダウン侯爵はヘンリーの話に相槌を打ちながら聞き流していた。王子が表向き何を話すかは想像できる。公爵が興味があったのはそれを語る王子の表情や態度だ。こうして接してみれば妙な野心を持つような人物ではないことはわかるが、王族である彼と直接会話できる人間は限られている。下に行けばいくほど、実像からかけ離れた虚像が一人歩きするものだ。案外、職業外交官達もそうした虚像でこの王子を嫌っているのかもしれない。
「まあ、今日ここに来たのはそれに全く関係がないわけではないんだが」
「ほう、それはそれは」
目を細めるランズダウン侯爵。次の外相人事絡みで、これという差し迫った外交懸案もない中で問題になる事といえば大体想像はつく。
「ゲルマニア脅威論ですな」
「そう、それなんだよ」
そう言って身を乗り出すヘンリー。独立間もない新興国ゲルマニアを対象にした軍事外交戦略を立てるべきであるという考え方は、従来の大陸問題へは不干渉であるべきだというアルビオン外交からみれば異質なものであった。中心となって唱えているのはデヴォンシャー侍従長(現陸軍大臣)のサヴォイア王国使節団に参加してゲルマニアを視察した空軍将校や外務官僚である。当初はゲルマニア王国の動きを注視するべきであるという程度のものであったが、先日のツェルプストー侯爵家とホーエンツオレルン家との婚姻により、ロンディニウムではより緊迫感と緊張感を持って語られるようになった。
すなわち「同盟国トリステインとゲルマニア王国が戦争になった場合、アルビオンはどうするべきか」と言うことだ。ゲルマニアがトリステイン領に先制攻撃を仕掛けた場合は迷うことはない。白の国は全力を挙げて水の国を全面的に支援する。問題はむしろ水の国が双頭の鷲(ホーエンツオレルン家の紋章)に戦争を仕掛けた場合であり、その可能性が極めて高いことだ。東方領(旧ザルツブルグ公国領のトリステイン側の呼称)の奪還という、錆付いたとはいえ大義名分はトリステインにある。それに2000年以上前に実効支配権を失った東ザルツブルグ(ヴィンドボナ近郊)ならともかく、西ザルツブルグにおけるトリステインの影響は侮れない。しかしそれもツェルプストー侯爵家がゲルマニアに味方するというのなら話は変わる。西ザルツブルグの白百合への未練は、双頭の鷲への忠誠心へと塗り替えられるだろう。ならば完全に影響力を失う前に-こうトリスタニアが考えても何の不思議もなかった。いまだガリアとの死闘の傷が癒えない中、トリステインが軽々に軍事行動を起こすとも思えないが、ラ・ヴァリエール公爵家とツェルプストー侯爵家の小競り合いが両国の全面衝突にならないとも限らない。王立空軍参謀本部では、真剣にゲルマニア領空封鎖のシミュレーションを始めているという。それだけ差し迫った緊急性の事案として空軍は考えているということだ。
その『ゲルマニア脅威論』の生みの親が王弟ヘンリーであることに間違いはない。なぜなら昨年初頭の段階から御前会議の場で公然とゲルマニアを警戒すべしと意見を吐いていたぐらいだ。そのためこの王弟は一般的にアルビオン国内では対ゲルマニア強硬派と受け止められている。そのヘンリーがランズダウン侯爵の前で額をおさえ、困惑したような表情で口を開いた。
「確かに警戒するべきであるとは言ったさ。実際、あの双頭の鷲の行動は警戒するべきだとは思う。これからの旧東フランク地域のキープレイヤーとなるのは間違いないのだ」
ゲオルグ1世がツェルプストー侯爵家と婚姻関係を結ぶという離れ業をして見せたからこそ、多少の説得力を持って語られるようになったものの、それ以前からこの王弟はゲルマニアを警戒すべしと唱えていた。その根拠なき自信は一体どこからくるのか-ランズダウン侯爵が知るはずがなかった。
「しかしな、セヴァーン子爵の追い落としのために使われては・・・」
苦しげにつぶやくヘンリー。大陸への不干渉政策を掲げる外務省本流(ガリア派)の盟主であるセヴァーン外務次官を好ましく思わないものは、陸軍・空軍のみならず外務省内にも存在した。大陸不干渉政策への反対論者(親トリステイン派)のみならず、ガリア派を失脚させてその後釜に座ろうという外務省反主流派に、勢いのあるものに味方するという日和見主義者まで加わったからこそ『ゲルマニア脅威論者』はロンディニウムで一気に広まったのだ。
意地の悪い質問だと自覚しながら、ランズダウン侯爵はあえて咎める様な口調でヘンリーに言う。
「殿下にとってセヴァーン次官の失脚は望むところではないのですか?あの御仁がいる限り、殿下がご執心なさるゲルマニア対策は進みません。それに元々ゲルマニア脅威論は殿下が言い出されたことではありませんか」
何を困る事があるのですという外交委員長の言葉に「侯爵のそういうところは甥っ子そっくりだね」と精一杯の皮肉で答えたヘンリー。全く、世の中ままにならないものだ。だからこそ生きている実感があるというものだが。
「セヴァーン子爵はいけ好かないが、だからと言って失脚を喜ぶほど私は器は小さくない」
「・・・と思う」と小さく後に付けた王弟に呆れたような視線を送るランズダウン侯爵。その目つきや仕草に至るまで、財務大臣そっくりである。
「あの男の能力は失うのは惜しい。それに戦争と売春は素人ほど恐ろしいという言葉もあるからね」
「ほお、面白いですね。売春と戦争を同列に並べるとは。誰の言葉です?古のザクセン『豪胆王』オットー1世ですかな」
「東方で平民から皇帝に成り上がった軍人政治家の言葉だそうだ。私はいわゆる素人だ。素人は時にプロの思いつかないような大胆な行動をとることがある。それは既成概念に囚われないという事だが、同時に過去と経験に無知だからこそ出来ることだ。失敗したときは取り返しがつかない」
「まるでご自分が国王陛下の様な事をおっしゃいますな」
その言葉にヘンリーは再び顔を顰めた。冗談でも口にしていい事ではない。王弟の態度にランズダウン侯爵は「そうした野心はないのか」と内心で呟く。結婚6年目になる国王ジェームズ1世と皇太子妃カザリンの間に子はない。年齢的(ジェームズ1世は36歳、カザリン皇太子妃は26歳)には不可能ではないが、消して夫婦仲の悪くない二人であるため、むしろそうした可能性に思いをめぐらせる者は多い。そうなると自然と注目されるのは王弟であるカンバーランド公爵なわけなのだが、むしろこの態度は王位を現実のものとして考えているが故の態度なのか、それとも甥が言うように、政争に巻き込まれる事を本気で嫌がっているのか。それはそれで矛盾した話だが。
「・・・私はそこまで自分を過信してはいない。素人ゆえにプロとしての意見がないとどうなるかわからん。素人の私と貴族外交官の大臣がセットでは体制的に危うい」
「あえて批判的な者を推すというのですか」
「どいつもこいつも、私に聞く事はそれしかないのか・・・人事の事は兄上の専決事項だ。聞かれれば『あの者はこういうものです』と宮廷内での評価や評判を答えはするがな」
ヘンリーの言葉を侯爵は「大臣の一人や二人はどうとにでもなる」という風に受け取った。苛立たしげにひざを貧乏ゆすりする王子を余り挑発するのも得策ではないため、さすがに口に出す事はしなかったが。その態度を額面どおり受け取るのであれば、王子にはそうした政治的野心はないようだ。とりあえず自分の想像を打ち切り、黙って頷く事でヘンリーに続きを促した。
「ゲルマニアは確かに怖いが、今の浮ついた脅威論はそれ以上に困るのだ」
自業自得といってしまえばそれまでだがなと、首筋を叩くヘンリー。ヘンリーが当初想定していたのは外向当局者と軍部の間で「ゲルマニアがトリステインと事を構えようとするなら、アルビオンはトリステインに加担する」という意識の統一である。例え本気でなくとも「やるぞ」という意思を示す事によって多少はゲルマニアの行動を制約する事が出来るだろうという考えからであった。しかし「ゲルマニア警戒論」は、その意図を離れて政争の具と化していた。
「まさか外務省内の権力闘争に利用されるとは・・・自分の言葉の重さをもっとわきまえるべきだったよ」
今となっては遅きに失したが、考えれば考えるほど「ゲルマニア脅威論」はガリア派に対する格好の攻撃材料になりうる。交易国家であるアルビオンは大陸諸国の問題にかかわるべきではないという「栄光ある孤独」を掲げ、トリステインとの同盟関係の深化に慎重なガリア派。それに対するには、同盟関係の必要性と強化を掲げるのが一番都合がよく、その為にはゲルマニアが脅威であればあるほど都合がいい。そして現実以上に誇張された情報は、実際のゲルマニアに対する冷静な目を失わせる。
「今更言ってもせん無き事でございましょう。それに幾ら慎重に発言したところで、片言節句を捕らえて利用するものはいるものです・・・ところで」
「そうそう、前置きが長くなったが君に頼みたい事は」
ヘンリーがそれを口にする前に、ランズダウン侯爵が先に切り出した。
「私は殿下の部下ではありません。たとえ殿下に頭を下げられようとも議会に干渉するような頼みごとは聞き入れかねます」
***
「・・・で、おめおめ尻尾を巻いて逃げ帰ってきたというの。このヌケ作は」
「ぬ、ぬけ作・・・」
「田吾作でも孫作でもいいけど、尻尾を巻いて帰ってきたことに間違いはないんでしょうが」
ハヴィランド宮殿内のチャールストン離宮。その一室で布を縫っているのか、自分の手を縫っているのかわからない危うい手つきで刺繍をしながらヘンリーの話を聞いていたキャサリンは、夫の愚痴を一刀両断に切り捨てた。大体、挨拶もなしにいきなり部屋にやってきて愚痴りだす神経がわからない。私はあんたのカウンセラーじゃないのよ。
「まったく、いつからそんなに神経が細くなったのかしらね。昔は殺しても死なないような男だった貴方が。実際、死んでも死ななかったのだけど」
「・・・面目ない」
悲壮感を漂わせる夫の姿にため息をつく。いつまでも苛めていても仕方がない。明日からまたしっかり働いてもらわないと困るのだ。働かなくとも衣食住に困ることはないだろうけど、さすがにそれでは気が引ける。
「それで、ランズダウン侯は何て言ったの?」
「・・・そんな程度の低い議論をするつもりはないそうだ。体よくあしらわれたと言うか」
「相手にされなかったかのどちらかね」
うぐっと胸を押さえる仕草をするヘンリー。妻は妻でそんな夫のふざけた態度に「まったくこの馬鹿は」と頭を抱えたくなる思いだ。
「貴方ねぇ・・・」
「悪い、ジョークだ。だから杖を出すな、しまってください」
「洒落にならない洒落はお洒落じゃないのよ」
「お、上手い!ミリー、座布団もってこい」
「は、はい」
(ザブトンって何?)
頭の上に盛大にハテナマークを浮かべながらミリーが退出したのを横目で確認してから、キャサリンがその刺繍もどきを脇の小机に置いた。
「貴方に一度聞いてみたかったのだけど」
妻の雰囲気と態度の変化を敏感に感じ取ったヘンリーは、その間抜け面を引き締める。黙っていれば腐っても王族。それなりの風格というもの感じられる。その内面とのあまりのギャップに苦笑しながら、キャサリンは夫の複雑怪奇な性格や思考回路に再び頭を悩ませる。
脇が甘いのは確かだ。亡きスラックトン侯爵に言われるでもなく、キャサリン自身が感じていることでもある。もともと底抜けの楽天家で極楽トンボな性格だったが、王族という環境で二度目の教育を受けたことがそれを悪化させた。裏表がないといえば聞こえはいいが、相手の感情に無頓着で無用な敵意を集めやすい。中央と緊張関係にあったヨーク大公家の公女として色眼鏡で見られ続けてきたキャサリンには、この馬鹿が王宮内でどう見られているのかを本人以上に感じていた。この夫の難しいところは、まったく組織の中で働く人間の感情に無頓着でもないところだ。何せ自分自身がその中でひとつの歯車として働いていたのだから。それがどうしたことか、自分の今の立場とて嫉妬や組織の論理とは無縁ではないということが欠念している。国内の政争に超然とした立場にあるべき王族としてはそれでいいのだが、今のヘンリーはたとえ本人がそうしたいと思ったところで、そうさせてもらえる環境ではない。なまじっか歯車の感情に通じているだけに性質が悪い。キャサリンが口すっぱくその点について言って聞かせなければ、当の昔に危うい立場に陥っていた『かも』しれない。
(かもしれないのよね)
失脚していた「だろう」といえないのがヘンリーのヘンリーたる所以であり、キャサリンが最も頭を悩ませている点だ。「角を矯めて牛を殺す」欠点を何とかしようとして長所まで失っては意味がない。まあ、そうした欠点も含めて好きなんだけ・・・違う違う。それにどれだけ無茶をやっても最後は帳尻を合わせるのがこの夫の不思議なところだ。脇が甘いくせに根が小心者だから、無茶といってもそれほど桁外れのことはしないからだといえばそれまでだが、その底抜けのポジティブ思考がいい結果を引き寄せているのかもしれない。
よく言うじゃない。「笑う門には福来る」って。
(・・・なんか違うような気もするけど、まあいいか)
考えながら歩くというか、走った後に考える所もあるのがヘンリーという人間。ならば彼に落ち着いて考えさせる時間と機会を作ることが、自分の役目であるとキャサリンは考えている。そして今、ヘンリーに必要なのは「ゲルマニア脅威論」について整理することであろう。今から言う自分の言葉に彼がどう反応するかは手に取るように予想出来るが、それでも言わなければならない。まったく、手のかかる夫だ。
「どうしてゲルマニアが旧東フランクを統一してはいけないの?」