プリマス-人口4万人を抱えるアルビオン南西部ペンウィズ半島の中心都市にして、古くから大陸との中継港として栄えた交通の要所である。ヨーク大公家領から王家直轄領となったあとも、この地を行きかう人・モノ・金の流れは滞ることはなく、むしろ増していた。とはいっても、人の賑わいは通りや時間によっても異なる。メインストリートから少し外れたノッテ通りは、飲食店街-酒場や料理屋が立ち並んでおり、食事時を除けば人はそれほど多くはない。
そんな中でも、一日中客が絶えない-特に男性客が多い店があった。先代夫人の名前をとって「ジェーンの酒場」と呼ばれるその店は、酒場といいながら、食事に飲み物、はてはちょっとしたパイまで-注文すれば大抵の物は作ってくれる。そしてそれなりに旨い。
だが、この店が男性客に人気があるのはそれだけが理由ではない。
「いらっしゃいませー」
店員の若い女性が「メイド服」を着て対応してくれるのだ。
最初、周囲の店は「馬鹿なことを始めたな」と笑ったが、ごっそり男性客を奪われると、笑ってもいられなくなった。「これはいかん」とある店の亭主が、変装して偵察に行った-彼はすぐにその店の大ファンになった。平民でしかない自分たちに、やさしくしてくれるメイドさん-商売でしのぎを削り、家では嫁に厳しくされ、娘には臭いと嫌われるプリマスの男共は、上はよぼよぼの爺さんから、下は毛の生えていない子供まで、それはもうメロメロになった。
当然ながらほかの店でも真似をするところが出たが、そのことごとくが失敗した。二番煎じということもあるが、その理由を「ジェーンの酒場」の常連に聞くと「なにか違う」から。同じメイド服を着ていても、立ち居振る舞いが全く違うらしい。傍目から見れば同じに見えるのだが、ほかの店は、わざとらしくて白けるが、この店のメイドさんは「本物」なんだそうだ。
当然である。メイドさん(店員)を教育する、この店の主人の妻は、もとは王宮で第2王子付きのメイド長を務めていたという、本物の「メイドさん」なのだ。俄仕込みの服を着ただけのメイドとはわけが違う。
もっとも、当の本人は、もう一度この服を着るのが、嫌で嫌で仕方がなかったという。幼馴染の経営するこの酒場は、嫁いだ当時、閑古鳥が鳴いていた。夫であるハリーの料理の腕は中々のものだが、それだけではお客は呼べない。女の子を雇うにしても、そう美人の子ばかりゴロゴロいるわけじゃない。どうにかして、周囲の店と差別化を図らなければと思い悩み
『酒場でメイド服着たら、お客さんがいっぱい来るよ?』
・・・いやいやいや。何を考えたの私。これは駄目よ。絶対に駄目。これは悪魔のささやきよ。この道に入れば、引き返せなくなるわ・・・
しかし、背に腹はかえられない。実際、これ以上閑古鳥に鳴かれては、次に泣くのは借金で首が回らなくなる自分達-
へスティーは、悪魔と契約を交わした
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「・・・いらっしゃいませ」
「おぉ、へスティーちゃーん!今日も無愛想だね!」
「それはどうも」
「おお!その冷たい目線がたまらんのじゃあ!」
今日は週末ということもあり、特に客が多い。忙しいときには彼女も(嫌々ではあるが)メイド服に着替えて、接客に当たる。不機嫌さを隠そうともしない彼女は、商売人としてはどうかと思うが-それが逆に一部の男性客に受けているというのだから、世の中わからない。
へスティーはため息をついた。
「馬鹿ばっかり」
その馬鹿のおかげで儲けさせてもらっているのだから、なんとも複雑な気分ではある。ともかく彼女は、新しく入ったお客に、注文をとりに行った。角の5番テーブルに、壁を背にして座った二人の男性は、共にマントを羽織り、フードを目元まで深くかぶっているという、見るからに怪しい格好をしている。
しかし、へスティーにひるむ様子はない。
たまにこういった客が来るのだ。外聞をはばかる教会関係者とか、貴族とか-
「ご注文はお決まりですか?」
「おしい!そこは『お帰りなさいご主人様』だろ?」
王子様とか
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(お帰りください、ご主人様)
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「いやー、ひさしぶりだねぇ、へスティー。似合ってるよメイド服」
「・・・何しに来たんですか」
へスティーの握り締めた拳は震え、顔は強張っている。そんな元メイド長の様子に一向に構う様子はなく、元の主であるアルビオン王弟ヘンリーは、屈託なく笑いかける。
「いや、用事があったからついでにね。あ、そうそう。後でタルブのワイン持ってこさせるから。樽なんだけど、どこに置いておけばいいかな?あと今日のお勧め2つね」
「ありがとうございます。裏にまわして置いてください」
きびすを返して、厨房へと歩いていくへスティー。事情を知らない女性店員(無論メイド)は、可哀相に、女将の怒気に怯えている。
「震えるメイドもいいな」
「・・・兄上もお好きですね」
カンバーランド公爵の称号を持つ兄の「平常運転」に、呆れているのは、モード大公ウィリアム。世に言う「アルビオン三兄弟」の二人が、場末の酒場に陣取っているという奇妙な事態。しかし、周囲の男性客はメイドに夢中で、全く気が付いていない。
ヘンリーはともかく、何故ウィリアムまで、こんなところにいるかと言うと、それぞれモーニントン内務卿とシェルバーン財務卿から、プリマス市の「視察」と「監察」を要請されたためである。
現在、宮廷では省庁再編を巡り、内務省と財務省の鞘当てが激しさを増している。枢密院がまとめた省庁再編案では、緩やかな中央集権化政策に伴い、増大する地方自治行政を担当する内務省の権限が強化される一方、財務省はその殆どの権限を委譲・移管、もしくは独立省庁とするように勧告された。
内務省の一人勝ちとも言える再編案に、財務省は、この再編案は内務省が裏で糸を引いているのではないかと疑いの目を向けた。内務省は、内務省で、従来から地方行政や港湾事業で財務省と衝突する場合が多く、強大な権限をバックに押し切る財務省を好ましく思っていなかった。「ざまあみさらせ」と肩で風を切る内務官僚に、「このままじゃすまさん」と、財務官僚は不満を募らせているという。
旧ヨーク大公領ペンヴィズ半島は、内務省にとって、その能力が試される試金石である。ここでしくじれば、中央集権化の主導権を「やはり内務省にはまかせては置けない」と、財務省に奪われる恐れがあったからだ。財務省は財務省で「お手並み拝見」を決め込んでいる。
モーニントン内務卿は、内務省の権限強化案を通し、主導権を確立するために、トリステインから帰国するヘンリーに、プリマスへの訪問を要請した。ヘンリーとプリマスの縁は深い。そもそも、プリマスを含む大陸南西部のペンヴィズ半島南部は、6年前まではヨーク大公家が治めていた。当主であるチャールズ・ハロルド・ヨーク公には一男一女がいたが、公子のリチャードは体が弱く、そのため先代国王エドワード12世と、ヨーク大公は、公女のキャサリンと、第2王子のヘンリーを結婚させ、大公家と領土を相続させようと考えていた。それを当のキャサリンが「大公領は国王陛下から下賜された、いわば借り物です。それを大公家が統治するのが困難になったのであれば、王家に返還するのが道理ではないですか?」と説いて、大公領を王家に返還させた。しかし名目上は、キャサリンと婚姻関係を結び、大公領の相続権を持つことになったヘンリーが相続した形式をとっており、この地に少なからぬ影響力を持っている。
(現在のところ、プリマスの市政は問題なく機能しており、キャサリン公女を妻にもち、名目上とはいえ、この地を領有するヘンリーの信認を得られれば、いかに財務省といえども横槍は入れられまい)というのが、モーニントンを含めた内務省の思惑であった。
売られた喧嘩は買う、王族には王族だと言わんばかりに、シェルバーン財務卿は、財務官僚でもあるモード大公ウィリアムを「プリマス市政の税制度調査」を名目に派遣した。中心都市であるプリマスでの失政は、即内務省の失点に繋がる。たとえ見つからなかったとしても、牽制にはなる。
で、当の本人達はというと。プリマス港に入港した『キング・ジョージ7世』を出迎えたウィリアムは、挨拶も早々に「いいところへ連れて行ってやる」というヘンリーに、首根っこをつかまれ、お忍びでこの店を訪れたというわけである。
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「兄さんを信用した僕が、馬鹿でした」
「そうだ、お前が馬鹿なんだ(ドカッ)ああおお・・・・い、す、スネはだめ・・・」
机の下で、思いっきり左の脛を蹴り上げられて、悶えるヘンリー。
「しかし、この店の料理は悪くないですね」
火加減の難しいパイを、中だけをふっくらと焼き上げているのには驚いた。王宮の料理人でも、こうは上手くいかない。一方、トリステインで王宮料理に舌鼓を打ち、舌が肥えていたヘンリーは、今一物足りないというのを正直に口にする。
「・・・まぁ、トリステインに比べれば、味は落ち(カンッ)ぬおおお・・・・」
厨房から飛んできたお盆が、ヘンリーの側頭部に直撃した。周囲のお客が、やんややんやと喝采を上げる。
「出たな!へスティーちゃんのお仕置き!」
「たいしたもんだ!おでれぇた!」
「僕もお仕置きされた(ドカッ)ありがとうございます!」
ふんっと、鼻を鳴らすへスティー。酒場で店の女の子にそれなりの格好をさせているとあれば、不埒なことをたくらむお客様もいる。そういった「お痛」する駄目な子へのお仕置きをするのも、女将の仕事である。
苦しむ兄を、自業自得といわんばかりに冷たく見下ろすウィリアム
「・・・兄上には、そういう趣味もあるんですね」
「ない!断じてないぞウィリアム!俺は叩かれて喜ぶ変態ではない!」
「そうですねメイド服でにやける変態ですね」
「そう、メイド服でにやける変態・・・って、違う!」
突如漫才を始めた、貴族らしき二人に、料理を持ってきた女性店員(メイド)は苦笑いを浮かべた。
「あ、あはは・・・お、おじさんたち、おもしろ「「おじさんじゃない!お兄さんだ!!」」
大声に驚いた店員が泣き出したことを確認してから、へスティーは、2枚のお盆を同時に投げつけた。
***
「・・・技のキレがましましたね」
「あぁ、2割増しだな」
元々へスティーは、テレジア王妃(現大后)付きのメイドであった。その彼女の、平民ながら媚びない毅然とした立ち振る舞いに感じ入ったテレジアが、やんちゃざかりの二人の息子の教育係として送り込んだのだ。「怪我しなければ、何をしてもいいから」というテレジアの言葉そのままに、ヘスティーはビシバシとお仕置きをした。
小さい頃のヘンリーとウィリアムは、年齢が3歳しか違わないこともあり、よく一緒に遊んだ。メイドのスカートめくりをしたり、使用人に片っ端から膝カックンを仕掛けたり、どのメイドが一番可愛いかを熱く語り合ったりしたものだ。その度に、ちょうど今のように、へスティーに遠慮なくシバかれたものだが、それもいい思い出である。
ウィリアムが側頭部を撫でながら言う。
「まぁ、確かにいいところですね。へスティーもいますし、料理はおいしいですし」
その言葉に、ヘンリーが反応した。
「おい、ちょっとこっちこい」
特に疑問も持たずに、体を寄せたウィリアムの頭を、スパーンと叩いた。
「あ、あて?!な、何するんですか!」
「声を潜めろ、馬鹿」
フードの下から、メイド服に目じりを下げていた馬鹿面ではなく、重々しい顔つきで自分を見てくる兄に、への字に曲げていた唇を引き結ぶウィリアム。
「何をのん気に料理を楽しんでいるんだ。ここに何をしに来たのか忘れたのか?」
(メイド服を見に来たのではないか?)とは、さすがに言えない。
「・・・プリマス市政の監察ですが」
「早い話が、いちゃもんつけに来たのだろう」
ぐっと詰まるウィリアム。負けじと「そういう兄上こそ、内務に色目を使って」と言い返す。しかしヘンリーは、それに気分を害することもなく、小さくため息をついた。
「そんな表向きの話はいい。お前も真面目に仕事をする気がないから、俺の誘いに乗ったんだろう」
「違うか?」と顔を近づける兄に、ぽりぽりと頬を掻く。まったく、身も蓋もない言い方は、昔と全く変わっていない。
今頃、プリマス市のお偉方は、血眼になって自分達を探している事だろう。プリマス市の内務省出向組みと、ウィリアムについてきた財務官僚は、それぞれ自分達の主張に沿った資料を集め、視察コースを回らせようとしていたのに、当の王子が二人ともいなくなったとあれば、計画は根底から狂う。政争に王族が関わって、ろくな結末になったためしがない。ウィリアムは、省の意向に反した行為をしているという後ろめたさもあって、わざとぶっきらぼうに答える。
「つまらない権限争いに付き合いたくはないからですね」
肩をすくめる弟の成長に、目を細めるヘンリー。
「お前も言うようになったね。まぁそれはともかく、実際のところ、財務省はどこまでなら受け入れるつもりだ?」
「・・・それを僕に言わせますか」
「当たり前だ。誰がここの代金を払うと思っているのだ」
懐に手を伸ばし、財布を置いてきたことを思い出した。昔のフランク貴族でもないのに、鳥の羽を使って食べたものを吐き出すわけには行かない。そんなことをすれば、ヘスティーに半殺しの目にあうことは、目に見えている。
周囲から見れば、自分達はどう見えるのか。若い男が二人、酒場の片隅で顔を寄せ合って密談しているのだから、痛くない腹を探られかねない。男色の疑いを持たれた日には、エリザに会わせる顔がない。というか、目の前の馬鹿を殺して、俺も死ぬ。
「宮殿で俺とお前がさしで会えば、何かと憶測を呼ぶからな」
「ですが、ここは・・・」
「不特定多数の人間が来る酒場は、絶好の密談場所だよ。それにここの客は大抵メイドを見に来ているからな。常連と、そうでない者の区別はしやすい」
そう言いながら、机の前を通るメイドを目で追う兄。この馬鹿は、真面目にやる気があるのか、ないのか。
「何とかは死んでも直らないといいますからね」
「何か言ったか?」
「いや、何でも」
***
「・・・面倒だな」
ウィリアムから財務省の内情を聞いたヘンリーは、低い声で呟いた。
良くも悪くも、今まで国家を支えてきたという自負を持つ財務省は、今度の再編案に激怒しているという。商工局と銀行局の独立、通貨局を王政庁の下で独立機関とし、予算編成権も王政庁に移管されれば、財務省には税の徴収権限ぐらいしか残らない。おまけに、これだけの大規模な再編案であるのに、ロッキンガム宰相から財務省には根回しどころか挨拶も無かったことが、ますます感情をこじらせている一因となっていると、ウィリアムは言う。
ヘンリーはうんざりしたように答える。
「あれは枢密院がまとめたんだぞ。大体、枢府にはウィルミントン伯爵(前財務卿)がいるし、今の書記長官はモートン伯爵(元財務次官)、情報が入らなかったわけが無いだろうが」
「それが入らなかったんですよ」と言って、困ったような顔をするウィリアム。訝しげな表情を見せていたヘンリーは「モートン書記長官は『商工族』ですから」という弟の言葉に、「あぁ、なるほど」と頷いた。
商工局は結束の強さから「商工族」と呼ばれる。通貨・財政・産業政策まで幅広く管轄する財務省は、それぞれ部局の縄張り意識が強い。財政を担当する予算局と、産業政策を担当する商工局の対立が知られているが、財政第一主義の風潮が強い財務省の中で、積極的な政府介入による経済政策を主張する商工局は少数派であった。モートン伯爵が財務次官に就任したときは、久しぶりの商工族出身の次官ということで、注目を集めた。しかし、省内の大勢には逆らえず、念願の商工局独立の端緒すら手をつけることが出来ずに、引退に追い込まれたという経緯がある。
「シェルバーン財務卿も、財務省の分割自体にではなく、モートン伯爵のだまし討ちの様なやり方が腹に据えかねておられるようで」
「その辺の根回しをうまくやってくれると思って、枢密院に頼んだのだがな・・・」
ヘンリーは舌打ちをした。先輩後輩の関係は、例え所属する組織が変わろうとも変わらない。大先輩ぞろいの枢密院から言われれば、いかに大規模な再編であろうと、財務省も受け入れざるを得ないだろうという自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
「次官経験者のモートン伯爵の『裏切り』への反感は相当なものです。商工局の独立だけは認めないという意見も・・・」
「ウィルミルトンの爺さんは、何をしているんだ」
八つ当たりだとは知りつつ、前財務卿で枢密院顧問官のウィルミルトン伯爵への苛立ちを口にする。調整型の老伯爵が、何も動かないで手をこまねいているわけがない。彼をもってしても、財務省内の反発を収めることは難しいのだろう。
「財務卿は閣議で反対を示されましたが、良く反対してくれましたというのが、正直なところです。一部でも検討するという現地を与えていては、省内は収まりませんでした」
淡々と語るウィリアムとは対照的に、眉間の皺を深くするヘンリー。シェルバーン自身は、商工局への独立に理解があるとヘンリーは見ていたが、省内の大勢に逆らってまで、賛成することは難しいだろう。
なにより厄介なのは、財務省が横に寝てしまえば、政権運営が行き詰るということ。内務省が威勢良く吼えてみたところで、その権限や能力は未だに財務省に取って代われるようなものではない。そのためには再編案を通し、権限と人員を増やすことが必要だが、そのためには財務省を説得しなければいけないが、だからといって賛成するとも・・・
堂々巡りの思考を続けるヘンリーに、ウィリアムが続けて言う。
「省内では、ロッキンガム宰相は内務省の回し者だという噂まで飛び交う始末で」
相変わらず表情を表に出さずに喋るウィリアム。ハシバミ草を口の中に詰め込まれたような顔をしているヘンリーは、目線を忙しなく動かし、考えをめぐらせている・・・女性店員の動きと、視線の動きがリンクしているような気がするが、そんなわけはないはずだ。そうに違いないんだ。
「何か考えがおありで?」
「うん、やっぱりメイドさんは、ツインテールよりポニーテールの方が・・・あああ・・・」
今度は右の脛を蹴り上げられ、悶えるヘンリー。
「か、軽いジョークじゃないか・・・」
「時と場合を心がけてください」
氷の様な冷たい目で見下ろす弟に、慌てて言い訳を始めるヘンリー。威厳もへったくれもあったものではない。
「いや、あるって、ある。あ・・・いや、ないか?」
「どっちですか?」
「・・・ないとはいえない」
呆れたように息をつくウィリアム。「ないことはない」ということは、何か考えがあるけど、今はいえないということか。それとも財務官僚である自分には言えない内容なのか。ないと言い切ればいいものを、弟である自分に、妙な気遣いをして・・・
自分でもよくわからない苛立ちを覚えながら、ウィリアムは思い出したように最初の話題に戻した。
「視察はどうします?私も仕事で来ていますから、手を抜くわけには行きませんが」
「真面目にやればいい。内務省とて、ここでしくじれば全てがパーだとはわかっているからな。税制度の引継ぎや徴税でへまをするような真似はしないだろう・・・それに」
ヘンリーの顔が自嘲げに歪む。
「そうでないと困る。見られていないとサボるのは、大人でも同じだからな」
「・・・内務省とうち(財務省)を張り合わせると?」
顔を顰めるウィリアム。相互監視をさせられることが、楽しいと感じることができるものは少ないだろう。ヘンリーは、弟の嫌悪感を含んだ視線を受け流して答える。
「チェックのない権力は腐敗するもの・・・だそうだ」
ピクリと片眉を上げるウィリアム。根拠のない話でも、妄想でも、自信満々に断定調で語るこの男が、伝聞で語った。
・・・そういうことか
「兄上も人が悪い」
ここでウイリアムが言う「兄上」は、ヘンリーではない。
アルビオン三兄弟の長にして、国王-ジェームズ1世。
「まぁ、気を悪くしないでくれ・・・というのは、無理だな。そんなものだと割り切っておけ」
「お話は終わりましたか?」
ちょうどその時、隣の席のテーブルの片付けを、店員にまかせたへスティーが、二人のテーブルにやって来た。話が一段楽するのを待っていたのだろう。一口か二口手をつけただけの料理を見て、顔を顰める。
「一つのことに熱中されると、ほかの事が見えなくなるのは相変わらずですね。冷めると不味いから、早く食べてください」
「ヘスティー、あのね、一応、僕は今は大公だし、あんまりその・・・」
じろりと睨みつけられ、黙り込むウィリアム。教育とは、偉大である。
「あ、そうそう、へスティー。ワイン以外にもう一つお土産が」
そう言って、突然椅子の下に置いた鞄をあさりだすヘンリー。何を出すのかと、ウィリアムとヘスティーは、興味を持った。
「え~と、あ、あった、あった・・・じゃっじゃじゃ~ん」
「・・・とりあえず聞きますが、それは一体なんですか」
ヘンリーが机の上にのせたもの。それは、まごう事なき
猫耳カチューシャー
「いやー、ようやくこれが作れるぐらいの余裕が出来てね今度来るときは肉球手袋と、尻尾を・・・あれ?そんなに嬉しかった?いや~、そこまで喜んでくれると・・・・・・・あれ?あの、へスティーさん?・・・あの、ちょっと。どこいくの~?おーい・・・・あ、君、これつけてみない?絶対似合うから・・・」
ウィリアムは、両足で、馬鹿の両脛を蹴り上げた。