人間同士の男女でも、互いを理解しあうことは難しい。ましてや人ならざるものと、人では。生きる時間も、場所も、考え方も、すべてが違いすぎる。それらの矛盾を「愛」という一言で乗り越えようとすることは、果たして可能なのだろうか?
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』では、嵐の夜に助けた王子に一目ぼれをした人魚は、その美声と引き換えに人間となる。だが、彼女の思いは通じず、何も知らない王子は、隣国の王女(村娘とも)と結婚。人魚は王子の幸せを願い、海の波の泡となった。
一方で、ジャン・ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』に登場する水の精は、まるで趣が違う。
美しい水の精オンディーヌと青年ハンスは恋に落ち、水の精は人間界へとやってきた。ところが、彼女の自由奔放な性格に嫌気をさした青年は、人間の娘ベルタに心変わり。水の精霊は「裏切れば相手に死を」という神と約束に従い、青年に魔法をかけて破滅に追い込む。再び水の精霊に戻った彼女の記憶から-ハンスとの思い出は消えていた。
記憶を消したのは、神の情けだったのか。愛したものを手にかけるという行為を背負い続けることの苦しみは、精霊といえども人間と同じなのかもしれない。だが、それは同時に、楽しかった思い出も含めて、その時、確かに感じたものまでをも、消し去ってしまった。
果たしてそれは、水の精霊が望んだことなのだろうか?
確かなことは、今日も水はそこにあるということだけである。
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(外伝-ラグドリアンの湖畔から)
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いつから「彼女」がそこにいるのか-水の国の記録には、トリステイン初代国王のルイ1世と、彼女が契約を結んだとある。その時点では「彼女」は存在していたということになるが、6000年以上も前の記録が本当かどうかなど、確かめるすべはない-「彼女」以外には
もっとも、そんなことは「彼女」にとっては、何の興味もないことである。覚えていないわけではないが、聞かれても答える気はない。
月が交差した回数を数えるのが、面倒くさいのだ。
とにかく数えるほども馬鹿らしい月日の間、ここに存在していたという事は「彼女」自身もわかっている。そして、自らの存在と、ほぼ等しい時間の間、『アンドバリの指輪』を守り続けたことも。
なぜこれを守り続けなければならないのか、誰からそれを命じられたのか・・・「彼女」は覚えていない。
最初の1千年ほどは、それが「彼女」の心を波立たせた。
(私に命令したのは誰だ?)
この湖のすべての生命と、それによって生かされている周囲の生き物を統べる存在である、この自分に命令できるもの-それがわからないとは
しかし、それも次第に気にならなくなった。あらゆることが移り変わっていくのを見続けた「彼女」にとって、変わらない指輪は、数少ない自分と同じ存在とも言えた。それを守ることに、理由など必要ない。
「彼女」は、変わらない指輪と共に、変わり続ける周囲の世界を、ただ一人で見続けてきた。過去も、今も、これからも。「彼女」が存在し続ける限り、それは変わらないのだろう。
ポチャン
(・・・来たか)
「単なるもの」は、我を「ラグドリアン湖」と呼ぶ。「契約の精霊」や「水の精霊」とも呼ぶが、「単なるもの」になんと呼ばれようと、我は気にしない。
「単なるもの」は、多少岸辺で悪戯をしようと、我は気がつかないと思っているようだが、それは違う。水の一滴にいたるまで、「私」の感覚は通じている。「単なる者」のいう感覚とは、多少趣が違うらしいが-それでも「感じる」ことは出来る。
例えば・・・そう、今なら、あのまがまがしい色をした使い魔が、湖底に鎮座する「私」に向かって、我の体を泳いでいるのがわかる程度に。
(水の精霊様。水の精霊様。ケロロであります。ケロロであります)
(・・・聞こえている)
(はッ!申し訳ありません!!)
湖底の「私」の前で、蛙の使い魔が、直立不動・・・の蛙座りをしている。矛盾しているが、確かにそうなのだから仕方がない。
「あやつ」の使い魔のケロロは、アマガエル・・・らしい。私は不明瞭な答えは好まないが、こればかりは断定が出来ない。確かに、その形はアマガエルだ。どこからどうみても。
だが・・・紫色に、ゴールドの水玉模様の「アマガエル」とはな・・・最初は、「あやつ」が私を笑わせるために色を塗ったのかとも思ったが、違った。代々「あやつ」の家のものは、カエルを使い魔としておるが、どれひとつとして色が同じだったことはない。
・・・何かが決定的に間違っていると思うが、そう思うのは、わが身の見識が足らぬゆえか。
(・・・世界は広いな)
(なんでありますか?)
(なんでもない)
(はッ!)
再び直立不動の・・・蛙座りをするケロロ。しかし、見れば見るほど、毒々しい色だ。正直なところ、こやつに我の体の中を泳がれていると思うと、こう・・・体中をかきむしりたくなる。「あやつ」は、よくこれと接吻出来たものだ。
「あやつ」の家-モンモランシ伯爵家は、我と、水の国の主との「交渉役」を家業としておる。何代か前の「あやつ」の先祖が、言っていたが、つまりは我を湖底から呼ぶためだけに、「あやつ」の家は、この地に縛り付けられているそうだ。「単なるもの」は、我の中に棲む魚とは違って、その足でどこへなりとも歩いていくことが出来るのに、なぜそれをしないのか・・・まったく、度し難きは「人間」か。
(あの、精霊様)
(わかっている。『あやつ』が呼んでいるのだろう)
(はっ!ありがとうございます!)
まったく、精霊使いの荒い奴だ
***
「水の精霊よ。旧き盟約の一員、ロラン・ラ・フェール・ド・モンモラ(何用か)・・・ンシです。私の血に覚えが(あるもなにも、ここ最近は毎日顔を合わせておるだろう)・・・私に分かるやり方と言葉で返事をして・・・ますね。ありがたき幸せ」
まったく、水臭い男だ・・・我が言うのも変な話だが
今の当主-ロラン・ラ・フェール・ド・モンモランシは、ユーグによく似ておる。子孫だから似ていて当然なのだが、それにしてもそっくりじゃ。
ユーグとは、「単なる者」の数え方で言うと、およそ3000年前、水の国の主から、交渉役に指名された、ユーグリッド・ド・モンモランシのこと。
前任者・・・もはや名前も思えだせぬが-は、我よりも、主の機嫌取りに忙しかった。最初の頃こそ、単なる者と自分は違うものだからと考えることも出来たが・・・それがいけなかった。段々と我の所に訪れる回数と間隔が反比例するようになり、最後のやつにいたっては、子供が生まれた時の報告にすらこなかった。
そやつの時代に、水の国の主が代わり、新しき主を連れてやって来たのだが-その頃、このあたりの人間どもが、湖の魚を、自然の理に反し、必要以上に採ることで機嫌が悪かった我は、呼び出しを無視した。あのときの青い顔は見ものだったが・・・あれ以来、そやつの家につらなる者の顔は見ていない。
我ながら、大人気なかったと反省しておる。許せ
いくら呼んでも我が出て行かないことに、水の国の主は痺れを切らし、新しい交渉役を指名した。それがユーグじゃ。
まずユーグは、前の交渉役と同じように、使い魔を我のところに送って来おった。泳ぎ方や水の流れから、おそらくカエルだろうと目星をつけてはいたんじゃが・・・
れいんぼーのカエルを見た時の衝撃、そなたらにわかるか?
一瞬でも動揺したことが、「単なるもの」にしてやられたようで、しばらく返事をしないでやった。意趣返しじゃな。我ながら子供じみたことをしたと思うが・・・若気の至りじゃ、許せ。
そしたら、ユーグの奴、何をしおったと思う?
いきなり、そ・・・その・・・服を脱いでだな。は、は・・・は、腹に、顔を描いて・・・そ、そ・・・ぷッ・・・くくく・・・は、は、腹踊り、を・・・くくくッ!
その前に行ったカエルとの「漫才」はチクリとも面白くなかったから、その落差が激しくてのう・・・それ単体では面白くなかったじゃろうが、その、あれじゃ。ツボにはまるというやつじゃな。
ユーグからすれば、我は顔色一つ変えていないように見えただろうが・・・内心、大爆笑じゃった。笑いをかみ殺すのに、苦労したぞ?
ともかく、それ以来、ユーグの家のものが、我と水の国の主との仲介を務めているというわけじゃが・・・腹踊りをしたものは、後にも先にもあいつだけじゃな・・・
だから、ユーグに似た「こやつ」に、いたずらをしたくなる気持ち、わかるじゃろ?
「水の精霊よ、会場の撤去が完了いたしました」
(そのようじゃな・・・)
全く、嵐の様な日々じゃった。今から月が27回交差する前のこと、あの恥知らずな青髭の軍団が、我の治める地を、土足で踏みにじりよった。「単なるもの」の間では、「がりあ」という集団は、それなりに敬意を払われているようだが、我は、世の理を知らないものは、子供とみなすし、そのように扱う。
・・・時間にさほど頓着しない我が、あれほど人間が時間にこだわる意味が、初めて解ったような気がする。あやつらがいた時間は、月が3回交差した間だけ-それが我には数千年にも感じたぞ。
それでも、我が「怒ら」なかったのは、ロランの顔を立てたからじゃ。
あやつにしてみれば、あの恥知らずの連中は、彼が仕える主の敵。我が「怒った」ほうが、水の国は、もっと楽に戦うことが出来たであろう。
それをロランは「やめてください」と言ったのだ。
それが、水の精霊の力を借りたくないという、つまらない意地や見得の為ならば、または、後始末が大変だという下らない理由ならば、我は気にも留めなかったのだが・・・
あやつ、ぬけぬけと、こう言いおった。
『貴方に、人殺しはさせたくない』
我は呆れた。一体貴様は何様だと。
同属相食むのは、何も人間だけではない。我の体の中でも、体の小さなものは微生物から、大きなものは魚まで、ありとあらゆる生命が、生きるための戦いを繰り返している。人間は多少、その理由が他の生物より多いだけじゃ。
我にとっては、人間も魚も「単なるもの」にすぎない。
その「単なるもの」が、我を貴様らと同等に扱うか
・・・だが、悪くない。この我を「単なるもの」と同じ目線で扱う-その無知で、傲慢で、身の程知らずが心地いい。
だから、ロランの願いを聞き入れた。傍若無人な青髭どもを殺さないでやり、もう一度あの礼儀知らずどもがやってきたときも、受け入れてやった。
思えば、ユーグもそうであった。馬鹿で、おっちょこちょいで、すぐに付け上がる、間抜けな男
(血は争えぬということか)
「は?」
(気にするな、独り言じゃ)
ラグドリアン湖の湖面は、日の光を浴びて輝いている。水面は、風に揺れて、美しい波紋を作り上げていた。
「彼女」はそこにいる。過去も、今も、これからも
変わるものの中に、変わらぬものを持ちたいという-「彼女」自身も気が付いていない願いが叶うのかどうか・・・それは誰にもわからない