アルビオン王国皇太子のジェームズ・テューダーは謹厳実直が人の姿をとって「真面目」という名前の鎧をかぶっているような人物である。
どれくらいのものかと言うと、いつ結婚してもおかしくない年齢でありながらこれまで浮ついた噂が1度も流れたことがないくらいだ。そのため社交界では「融通が利かない」とも陰口を叩かれるが、侍従長のデヴォンシャー伯爵などの武人肌の貴族からは「それくらいの方が頼もしい」と受けがいい。ともかく彼が、不正を憎み、正義を信じ、民を愛し、王族とは、国家とは何かということをいつも考えているという点に関しては誰も疑いようがない。それに、論理と筋を通せば、話が分からないというわけでもない。性格的に、自他共に厳しいだけなのだ。
そんな皇太子の前で「政治は金だよ兄貴!」とのたもうたヘンリーは、無言で兄の拳骨を食らってもだえていた。
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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(政治は金だよ兄貴!)
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何をするにも、金・金・金・・・金がかかるのだよアルバート君?
「は、はぁ」
アルバート侍従が困ったような顔をしていたので、まぁ気にするなと言っておく。彼の風貌はどこにでもいるおっさんにしか見えないが、こう見えて非常に優秀な文官だ。彼がいなければ、アルビオンの現状調査はもっと手こずったに違いない。その上、従来の慣例に囚われない柔軟な思考も出来るという、得がたい人材なのだ。人は見かけによらないものである。
さて金。「キン」ではなく、「かね」。ようは財源のことだ。常備軍を作るにしても、官僚養成学校を作るにしても、ネコ耳メイドさん制服を作るにしても、金が要るのだ。
「・・・」
へスティー、最後のは冗談だから。お茶目なジョークだから。とりあえず無言で足踏むのやめてくれない?地味に痛いの。
さて、秘めたる野望はさておいてだ。王家の直轄領は少ない。確かに王家はアルビオン全土のうち、約4割の土地を保有する国内最大の土地貴族ではある。だがそれだけでアルビオン全体の政治を行う財源を捻出するのは不可能だ。例えば、国の全土を守らなければならない王立空軍だが、国土の4割からしか税を徴収できないからといって、4割分の艦隊だけしか持たない・・・なんてことは出来るはずがない。そんな事をした日には、王家の権威などあったものではない・・・
あーもう、面倒くせぇ!
いっその事開き直って、明治維新政府みたいに「版籍奉還」と「廃藩置県」を宣言して、貴族から土地巻き上げちゃうか?!逆らうものは反逆者ってことにしてさ!
時計の針が40年ぐらい早送りになります。即「レコン・キスタ」です。ありがとうございます。
明治政府が「版籍奉還」と「廃藩置県」を出来たのは、戊辰戦争を勝ち抜いた藩閥政府の強力な軍隊があったからだよね~。今のアルビオンには、そんなもの存在しませんから。残念。
強硬策を早々にあきらめたヘンリーは、まずは地道に王家直轄領での税収を増やす方法について考えることにした。
税収の基本は、領民から取り立てる年貢である。これは物納で、小麦を作っている農民からは小麦を、羊毛なら羊毛を、ワインならワインを納めさせる。集めた年貢を市場や商会を通じて売り、初めて王家の収入になる。だが物納では税収入が不安定にならざるをえない。その時の市場価格によって、売却益に差が生じるからである。不安定な税収では、予算を安心して組めない。いずれ物納から金納にして、安定した税収を確保したいが、まだそういうことに口出しできる権限が俺にはない。
年貢以外にも税収入はある-関所や河川の交通税、ギルドから定期的に徴収する売上税、特産物を物納させる物成など-将来的にはギルドからではなく、個別の商人から売上税を徴収したい。わけのわからん中抜きや、ギルドぐるみのごまかしがないとはいえないからな。だが現状では実務担当の官僚が足りない。今切り替えれば、抜け穴だらけのザルになること間違いなく、税収減は確実だろう。
手っ取り早いのは増税だが、税を増やされて喜ぶものなどいない。それに王家直轄領だけ増税して、他の貴族領地と差がつくのは好ましくない。嫌われることを恐れてはいけないが、不公平感を与えるのは絶対に避けなければならない。
農業の技術革新で、土地あたりの収穫量を増やすのが手っ取り早いと思うが、土壌改造や農業用水の整備、作物の改良などにしても、俺は専門家じゃなかったから知識があいまいだ。どこかで一度実験するのが望ましい。それに「カクカクシカジカ-こうすれば収穫量が増えるよ」だなんて、土のメイジでもない王子が言い出した所で、誰も信用しないって。「何故ですか?」て聞かれたら、答えようがない。
っていきなり八方塞がりだし!
うぬぬぬぬ!!!考えろ、考えるんだヘンリー!お前はやれば出来る子なんだ!!犬耳メイドさんのため・・・もとい!将来のアルビオンの為、(たぶん俺の娘になる)アンリエッタのため!!
つながれシナプス!走れ電気信号!海馬よ、俺の記憶をアップロードしてくれぇ!
その時、始祖ブリミルがヘンリーに微笑む。海馬が、ホコリだらけの「高校時代の日本の授業」のハードディスクから取り出したしたある単語が、電気信号になり、脳内ニューロンを駆け巡った。
「専売制(せんばいせい)だ!!」
「専売制」とは、江戸時代に日本の藩で財政再建のために行われていた制度である。内容はいたってシンプル。一定の物産を指定(銀・藍・漆など)して、藩が直接買い上げ、上方や江戸で直接売る-それだけだ。これは、農家や商人に対して、品物を「藩以外」に売ること(直接販売)を禁止したことがポイントである。流通経路を藩に一本化することによって、藩の言い値(有形無形の圧力を加え、出来る限り値段を抑える)で商品を買い上げる→藩が江戸や上方で売る。その差額が藩の収入になる・・・というわけだ。
いい事尽くめのようだが、これは藩領内の商人や農家の犠牲の上に成り立つ。ひどい藩では「紙」「蝋燭」「墨」から「米」「醤油」「酒」「味噌」と、ありとあらゆるものを専売制にした。当然、領民はたまったものではない。江戸時代後期の百姓一揆の中には「専売制廃止」を訴えたものもあるくらいだ。簡単に言えば「強制的な国営企業」といったところか。やりすぎるのは民間の活力を削ぐが、きちんとした計画目標を立てることが出来れば、対象商品に関わる産業を育成できるだろう。もっとも、注意しないと、どこかの第三セクターみたいに、ただの金食い虫になるかもしれないが・・・
さて、専売制をするとして・・・何を扱う?まず、小麦(パンの原料)とかブドウ(ワイン)なんかの生活必需品は絶対駄目だろ?なんせ
「ギルドが取り扱っているものは駄目でしょうね」
アルバートの言うとおり。何れギルドとは規制緩和で対立するかもしれないが、わざわざこちらから喧嘩を売ることもない。しかしながらそうすると後には碌な物が残らん。採算の取れそうなものは、みんなギルドが手を付けている。さすが商人、目端が利くな。アルビオンは国土が限られている。しかも土地は肥えているとは言いがたい・・・貧乏が悲しいぜ!
・・・泣き言を言ってる場合じゃない。とにかく、何か見つけなきゃ。何かあるはずだ、何か。ギルドも気がついていない、法の盲点的な、脱法的に儲かる何かが!
おぉ!始祖ブリミルよ!我にアイデアを!我にアイデアを!!
ヘンリーは気がついてないが、すでに始祖は一度彼に微笑んでいる。
「『スマイル0ドエニ』じゃあるまいに、そんなホイホイ笑えるかいな」
というわけで、ヘンリーはアルバートに紹介してもらった官僚達をブレーンに加えることにした。一人より二人、二人より三人。三人寄れば文殊の知恵。馬鹿が三人集まっても馬鹿だが、彼らは専門家だ。ヘンリーがしわの少ない脳みそを絞るよりはよほどいい知恵が出るだろう。さっそくヘンリーは「専売制」構想を説明して、何か対象となる商品がないか考えさせる。さぁ考えろ。俺も考えるから。脳味噌のしわを絞りきるように考えるんだ!
「人」という字は、支えあって出来ているんです!偉い人には、それはわからんのです!
「あー、さよかー」byブリミル
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結論から言うと「ギルドが目を付けていない」儲け話はなかった。そりゃそうだ。あらゆる儲け話の可能性について考えるのが商人という生き物。官僚がいくら束になってもかなうものでははない。だが「ギルドが手を出せない・出さない」儲け話はあった。それは「資本投資の割に、それに似合うリターンが望めない」「政治的リスクが高く、民間資本が2の足を踏む」と、まぁ、見事にめんどくさい物ぞろいだった。
「・・・背に腹は変えられん」
いくつかの候補をまとめた『アルバートレポート』(俺が名づけた)をたたき台に、官僚達と討論を重ね、ギルド商人とも会談を持ち、対象商品の検討を進めた。ギルド商人と話し合ったのは、あとでウダウダけちを付けさせないようにするためでもある。
結果、3つに絞れた。岩塩、木材、羊毛だ。
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「岩塩」
海のない浮遊大陸アルビオンにとって、塩は輸入するしかない。だがアルビオンにも塩はある。それが岩塩だ。だが、岩塩は精製が難しく、採算が取れないとして、どの商会も2の足を踏んできた。また岩塩の産出場所が王国首都ロンディニウムを守る防衛拠点の一つ、スタンス城が置かれた山の麓にあり、とても民間資本がおいそれと手を出せる場所ではなかった。当然ながら王家が採掘するには問題がない。報告によれば技術的課題もクリアできないレベルではないそうだ。だが、トリステインやガリアから輸入する塩に比べると、値段が高くなるのは避けられないという。
話は飛ぶが・・・50年ほど前、美食大国ガリアで食通で知られたある子爵いわく
「アルビオンで1年暮らすことは、私にとって独房で10年暮らすことに等しい」
・・・全くもっておっしゃる通りである。アルビオンの飯は不味い。ヘンリーは転生してから、朝・昼・晩と出される食事が、何かの嫌がらせとしか思えなかった。石のように固いパン、馬の小便のように温いビールetc・・・どうやったらパンにハムをはさむだけの料理が、こんなに不味くなるのか?不味いのはまだ我慢できる。我慢ならんのは、味のない飯だ。味のない野菜シチューって何?野菜のゆで汁のほうが、まだ味があるぞ!!
ゲフン・・・
ともかく、そんなヘンリーの食卓を彩る、唯一の心の支えが塩であった。血圧も脳梗塞も心筋梗塞もクソ食らえ、とにかくかけまくって食べた。というか、かけなきゃ食えたもんじゃない。おかげでヘンリーはこっちの世界に来てから、塩にはちょっとうるさくなった。
アルビオンの岩塩は、トリステインやガリアから輸入する海水を乾燥させた塩と違い、味が豊かだ。ミネラルとかが多いんだろう(あくまでイメージだが)。前述の子爵が、アルビオンで「唯一」ほめているのが、この岩塩だ。昔から食通の間で、アルビオンの岩塩は有名だったという。ブランド化に成功すれば、多少高くても、各国の料理人や貴族がこぞって買い求めるだろう。
「木材」
伐採しやすい開けた地帯にある森林や、良材の取れる山林は、決まってどこかの貴族か、王家の直轄地になっている。金の卵を産むガチョウは、どこも簡単には手放さないものだ。狙うのは、入り組んだ領土境にあって、権利関係がややこしい山や森林。場所が場所だけに、材木を扱う商会や、ギルドも敬遠する。下手に手を出せば領土紛争になりかねないから、貴族も手を出さない。似たような森林が、アルビオン国内に20箇所近くあるという。
そこでヘンリーは、政府と商会・ギルドがそれぞれ出資して、そういった森林や山の木材を専門に取り扱う商会を設立することを考えた。木材販売の利益のうち、一定の割合を貴族に払い、後は出資比率ごとに政府と商会・ギルドが折半する。
貴族の上にあって、領土紛争に関して調停出来る唯一の存在の王家無しには成立し得ない構想だ。それゆえ何が何でも王家の出資比率は、イニシアチブが握れる5割、最低でも4割は確保したいところだ。ギルドや商会に出資を認めるのは、彼らへの配慮と、ついでにノウハウも学んでしまおうという思惑もある。だが実際問題、彼らの協力を得なければ、木材は市場で捌けないのだ。貴族からすれば、領土問題はすぐに解決するものではないし、森林や山は放置すればモンスターや野生動物が住み着きかねない。王家がでしゃばるのは気に食わないが、何もせずにお金が入り、森林を整備してくれるのだから、頭ごなしに断ることはないだろう。
「羊毛」
これは「アルビオン王は、国内最大の地主貴族」という点を生かしたものだ。
数十年前までは毛織物はぜいたく品であったが、保温性に優れるという実用的観点から、最近ではハルケギニア大陸北方やアルビオンなどの寒冷地域を中心に、平民の間でも定着しつつあり、需要は増える一方である。
まず王家の領土内を、羊の放牧を専門にする地域と、それ以外の農業地域に分ける。囲い込み(エンクロージャー)を行うのだ。王家の土地を使うのだから、どこの貴族にも気兼ねが要らない。アルビオンの気候は、雨が少なく寒冷地域。良質な羊毛の質を育てる気候条件がぴったり重なるので、質も保証できる。原料となる羊毛-羊の放牧は、広大な土地を必要とする。大体、羊1頭は1年で500メイル四方の草を食べるという。土地が広ければ広いほど、多くの羊が飼育でき、大量の羊毛が取れる。すると、価格交渉能力が高まるというわけで、毛織物を作るギルドに対して、強気で値段交渉に望めるというわけだ。
「大量に作ると製造コストが安くなる」
言われてもピンと来ないだろうが、実際に価格交渉の場面で嫌というほど思い知らされ、いや、知らしめてやるぜ。数は力だ、戦いは数だよ兄貴!毛織物を製造するギルド商人だって馬鹿ではない。彼らが「大量生産」の基本的概念を理解するのは、そう難しくはないだろう。
毛織物製造業で、大量生産の概念を植え付け、いずれはアルビオンの基幹産業に・・・
何年かかるだろう・・・
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「ふぅ・・・これで全部か」
ヘンリーは最終報告書を読み終えると、疲れたようにため息をついた。いや、実際に疲れていたのだ。ギルドとの調整、関係各所への聞き取り調査と根回し、現地調査etc。だが目の前ではアルバート以下、専売制計画に奔走した官僚達が、自分以上に疲れた顔をしていた。皆、目の下に濃い隈を作っている。ただでさえ忙しい通常業務の合間に、調査・計画立案に当たったのだ。それも「タダ」で。
繰り返す。「タダ」で
彼らは、国内改革の必要性を訴え、なによりそこにかかる「金」の重要性について語るヘンリーの(かなり不純な動機から生み出される)情熱に触れ、巻き込まれていったのだ。彼らの間に不快な色はない。自分達の能力をフルに生かし、達成したというという満足感だけがあった。
「ご苦労だったな」
王子直接のねぎらいの最中ではあるが、彼らの中には立ちながら眠るものもいた。ヘンリーも、アルバートも、誰もとがめなかった。
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(だけど「政治は金だよ」はないよなぁ)
目の前で(何故か)正座させられて、ジェームズ皇太子から説教を受けるヘンリー王子を見ながら、アルバートはあくびをかみ殺していた。