「老いた政治家の中には、ついにひとつの意見に固まるものがいる。人生の冬が風見鶏を錆びつかせ、動けなくしたのだ」
ポール=ジャン・トゥーレ
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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(ある風見鶏の生き方)
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アルビオンは、やたらに貴族が多い。人数という意味ではなく「家」という意味でだ。分割相続で一代限りの子爵・男爵家を立てたものは数知れず。また、歴史的に大陸で政争に敗れた王族や貴族を多く受け入れてきた結果である。そうした亡命貴族を祖とする家を指してアルビオンでは「外人貴族」と呼ぶ。アルビオンは、彼らの能力や独自の人脈、そして家柄を利用するために積極的に受け入れた。ガリアに公爵家が10家しか存在しないのに、メイジ人口が10分の1のアルビオンに15家も公爵家が存在し、その内、6家が「外人貴族」の子孫という事実からも、その歪な構造がわかるというものだ。
公爵家は、アルビオン王族が臣籍降下した家か、亡命王族を祖とする家がほとんどである。そのため、両者を家祖としないロッキンガム公爵家は、アルビオンの生え抜き貴族といっていい。東部と中部のヨークシャー地方に広大な領地を持つ、数少ない大土地貴族でもあるこの家は、ブリミル暦2000年代から今に至るまで、代々王家に杖の忠誠を誓い続けてきたが、それ以上に、政治的な無節操さで政界に知れ渡っていた。「ロッキンガムを見れば、王宮の実力者がわかる」というのが、社交界の共通認識になるほど、政策も信条もあったものではなく、それまで敵対していた人物であろうと、文字通り親の敵であろうとも、臆面も無く諂うとされた。そして実際にそうしながら、この家は4000年近く家を存続させてきた。
第230代ロッキンガム公爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースは、そのいかにも人のよさそうな、茫洋とした物腰とは裏腹に、彼も歴代当主と同様、政界風見鶏として知られていた。父の死により襲爵。貴族院議員を務めながら、内務省道路局長・ロマリア特命全権大使・ハノーヴァー大使等を歴任。着実に政界や官界での足場を築いてきた。
風見鶏というのは、風見鶏なりの流儀があると、彼は考えている。政界情勢に敏感なだけでは駄目だ。それでは宮廷スズメと変わらない。ただでさえロッキンガム家は領地を保有する大土地貴族。馬鹿ではいいカモに、切れ者では粛清の対象になりかねない。「敵に回すと厄介だが、警戒するほどではない」という具合に思わせなければならない。
同時に、これから力を持つであろう勢力や人物の見極めも大事である。スラックトン宰相を通じて、カンバーランド公爵ヘンリー王子に、早くからよしみを通じたのも、その一環だ。色物ではないかと心配もしたが、この先物買いは成功だったようで、旧ヨーク大公家領を統括する責任者に抜擢され、プリマス県知事兼プリマス市長として、ペンウィズ半島南部を任されることになった。港湾整備事業や、都市整備事業の陣頭指揮を取りながら、このまま順調に行けば、次の内務次官にはなれるかとソロバンをはじいていたのだが・・・
どうやら、先物買いに『成功し過ぎた』ようだ
「・・・あの、今なんとおっしゃいましたか」
ヘンリー王子に呼び出されて、チャールストン離宮を訪れたロッキンガムは、紅茶カップを持ったまま固まっていた。
何故か、スラックトン宰相のニヤニヤした笑みが頭に浮かんだ。あの妖怪爺は、この場にいたら、唖然とする自分を見て、そんな顔をしていただろうなぁ・・・
その宰相の「お気に入り」だった王弟は、貴重な角砂糖を2個も3個も・・・あ、4個入れやがった・・・も、小さなカップに投入して、スプーンでかき混ぜていた。あんなに入れたら、甘くて飲めたものでは・・・あ、飲んだ。
「聞こえなかったか?君をだね、後任の宰相に推薦したいと、そう言ったんだ。兄上-国王陛下の内諾も得ている。正式な発表はもう少し先になるだろうがね」
そう言ってヘンリー殿下は「あの」紅茶を飲み干した。メイド長(たしか、ミリーとかいったな)も、引いてるぞ。しかし殿下が、極度の甘党だったとは、知らなかった・・・
「・・・聞いてる?」
「・・・飲んでもよろしいですかな」
「そりゃ、その為に出したんだからね。飲んでもらわないと」
そりゃどうも・・・・うん、やはり紅茶は、何もいれずに香りを楽しむに限る・・・
「で、引き受けてくれるよね。『はい』か『謹んでお受けいたします』かで答えてね?」
・・・香りも味も感じなかった。
***
「いやー快く引き受けてくれて嬉しいねぇ」
「拒否権は無いとおっしゃったような気がしますが・・・」
「え?そんな事いったかな?」
平然とのたまうヘンリー王子。これは、あの妖怪爺と仲が良かったというのも頷ける話だ。
宰相という行政の最高責任者になるという内示を聞かされたのにもかかわらず、ロッキンガム公爵はこれ以上ないくらいに渋い顔をしていた。ロッキンガムは「宰相」というポストを聞かされて、嬉しくなかったわけでは無い。男子として生まれ、貴族として最高の地位に上り詰める自分を夢見たこともあった。風見鶏」にも人並みの出世欲はある。
だが彼はそれ以上に、王宮や政界に渦巻く「嫉妬」の恐ろしさを身をもって知っていた。実際に政界に身をおいて、それが自分と「家」の破滅をもたらしかねないという事実をいやというほど見せつけられてきた。ポストが一つ埋まれば、それから弾かれた者は、ポストについたものを恨む。それが実際に検討された候補者だったらともかく、「自称」候補者も混じっている。馬鹿馬鹿しい限りだが、人が皆、他者の出世を手放しに喜ぶ聖人君子でないのは間違いない。
その上、ロッキンガム公爵家はいろいろと筋違いの恨みを買う条件がそろっていた。経営コストばかりかかる広い領地をもっていれば「金持ち」と見られ、名門貴族であるだけに、出世すれば「あそこは公爵だから」と貶され、金のかかるばかりで実のない社交界の付き合いを、少しでも断れば「ケチ」だの「実は家計が火の車」だの。実際のロッキンガム家は、貧乏でも裕福でもない、公爵の格式は維持できるだけの財は持っているが、それ以上でも以下でもなかった。だが、それを言ったところで誰も信用しない。「大貴族」を維持し続けるのも、大変なのだ
一国の経綸の才に、自身が欠けているとは思わない。アルビオンに数ある貧乏貴族とはちがい、学費には困らなかったので、家庭教師ではなくイートン・カレッジにオックスフォード大学という私学校で教育を受けることが出来た。「外交官としても、地方官としても、そこそこ-いや、人並み以上の実績は上げてきたつもりだ。少なくとも、家柄だけの貴族様よりは、上手くやれるという自信も自負もある。「自分ならこうする」という、夢とも政策とも付かぬ想いもあった。だからといって、おいそれと人事を受け入れるわけにも、ましてや喜ぶわけには行かない。
「辞退する」という選択肢はなさそうだが、少なくとも、これだけは知っておきたい。
「私は、何をすればよろしいので?」
それを聞いたヘンリー王子は、じつにムカつく笑みを浮かべられた。
「そうだね・・・一言で言えば『省庁再編』・・・どこ行くの?」
「い、いや、改めて自分の能力を鑑みますと、とても宰相という重責を担えるような能力は無いという考えに至りまして、今回のお話は辞退させていただきたいと・・・殿下、肩の手をどけていただけますか」
向い側に座っていたはずのヘンリーは、いつの間にかロッキンガムの後ろ側に回って、その両肩に手を置いて、逃がさないといわんばかりに押さえつけていた。
「どっちも駄目」
紅茶のお代わりを注いでいるメイドと、眼があった。
同情の目線が、一瞬だけ嬉しかった
***
アルビオンの警察組織をなんとかしようと考えたヘンリーは、その実情に頭を抱えた。
農村部では領主が平民を徴集した兵(諸侯軍)が、時には領主自らが杖を振るい、治安維持の役割を担っている。だが、人口の多い都市では、到底軍だけでは人手が足りない。それに、万引きごときの軽犯罪にまで一々、軍が出動すれば、無用な混乱を招きかねない。そのため役所は、自前の治安組織の他に、町の「顔役」に金を出したりしながら、地域の治安を任せていた。いたのだが、その内情は
「まるで、や○ざだな」
十手持ちの如く、「安い給金では生活できない」と嘯きながら、自分の権限を嵩に来て、威張る・たかる、おまけにサボるの三拍子。とにかく評判が悪い。リヴァプール市などは、マフィア化した治安組織の解体に乗り出すために諸侯軍に出動を要請するなど、本末転倒のことを繰り返していた。
近代警察でも何でもそうだが、組織を作り上げるためには、金とノウハウと人が必要である。
財源のめどはある。確かに万年金欠なのは確かだが、上知令で直轄地が増えたこともあり、無理にでもひねり出そうと思えば、出せない額ではない。シェルバーン財務卿は、一回こっきりでは無く、恒常的に人件費がかかるとあって、渋い顔をしていたが、必要な経費をケチってはいけない。無理にでも押し切るつもりだ。
ノウハウも、当てが無いわけではない。近衛魔法騎士隊だ。「弱兵」の代名詞であったこの騎士隊は、デヴォンシャー伯爵(現侍従長)が王国有数の精鋭に鍛え上げた。国王の意思一つで自由に動かせるとあって、スラックトン前宰相はこの部隊を、領土の境界が定まっていない地域や、領土紛争を抱えている地域の治安活動に当たらせた。国王直轄の兵であるため、領主も文句が出しにくいという、実にあの人らしい「上手い」やり方である。そうした経緯から、治安出動の経験に関しては、アルビオンのいかなる組織よりも蓄積されている。トップ人事にも腹案がある。デヴォンシャーの秘蔵っ子、パリー・ロッキンガム子爵だ。父のロッキンガム公爵と対立して軍に志願した彼は、「風見鶏」の父とは対照的に、実直で無骨。腹芸とは無縁の軍人肌な人物で、治安出動の経験も十分にある。
とはいっても、器だけつくっても、そこに入れる中身がお粗末では意味が無い。寄せ集めの兵に鉄砲を持たせても、張子の虎にもならない。まずは集団行動と治安活動のノウハウを叩き込む警察学校を設立するつもりだ。学校で新人を鍛えさせながら、パリーたちも組織のトップとしての自覚と経験をつませる-教えることは、学ぶことでもある。
問題は「人」だ。
上知令で領地を返還した貴族に仕えていた家令や役人達を、そのまま採用-というわけにはいかない。彼らの殆どは、そのまま地方役人として中央政府に雇用されている。中央にくすぶっている年金貴族-領地と引き換えに、中央での生活と年金を保証された貴族達から、希望者を募って・・・そんな荒事に好き好んでつくものはいない。それに、元々腕っ節に自信のあるものは、パリーのように最初から軍に志願している。
なら平民はどうか?確かに、平民は山ほどいる。身分も給料も保証される公務員になれるとあっては、多少の危険があろうとも、人は集まるだろう。だが、彼らに、没落貴族が加わった強盗団や、傭兵団崩れの犯罪者、そしてオーガ鬼などの亜人と十分に戦えるかというと-よほど厳しく鍛え上げないと、厳しいといわざるを得ない。ぶくぶく太って、戦場の「せ」の字も知らないドットクラスの貴族であっても、杖を持たせれば、訓練をしていない平民よりは(多少は)役に立つ。
なにより、貴族と平民が一緒に治安組織を構成する-現場の人間であるパリーは、そんな事を気にするような性格ではないのは百も承知だが、貴族にとって面白かろうはずが無い。「平民びいき」だという評価は、そのまま貴族層の不満に繋がる。「レコン・キスタ」フラグがあるアルビオン王族としては、それは出来るだけ避けたいところだ。
そして、スラックトン前宰相の秘蔵っ子であるヘンリーが考えたのが「木の葉を隠すには森の中」作戦。大規模な省庁再編というでっかい花火を打ち上げて、平民を治安組織に組み込むという事実を小さく見せようという、一言で言うと
「・・・せこいですな」
せこいって言うな。
「遅かれ早かれ、機構改革は必要なんだ。改革にはパワーがいる。小分けにやっていくより、一度にドカーンと全部片付けた方がいいだろう」
「おっしゃる事はわかりますが・・・」
ロッキンガム公爵は、いかにも人のよさそうな顔に困惑の色を-はっきりいえば(迷惑だ)という表情をしていた。無理難題を押し付けられて困っている、善良な村役人に見えないことも無いが、実際は政界風見鶏として知られる目端の利く男だ。ヘンリー王子の言いたい事も、自分に求めている事も、その意図もすぐに察した。
行政改革にはとてつもないパワーがいる。ブリミル暦4540年、アルビオン王リチャード12世が王家の財政と国家財政を分離させるために財務省の設置を検討したが、その実現のためには6年の月日と、王宮の勢力図が2回塗りかわるという政変を必要とした。リチャード12世を支えた功臣にして、初代財務卿のダービー伯は「改革は戦争よりも難しい。何故なら味方と敵がはっきりしないからだ」と言ったとされる。同時に「周囲の全てが敵になろうとも、自分の信念を貫き通す覚悟がいる」とも。
家の存続を第1において行動してきた「風見鶏」のロッキンガム公爵家とは正反対の概念だ。そもそも敵や味方をはっきりさせては、政界遊泳など出来ない。信念など邪魔なだけ。便所紙ほども役に立たない。
ヘンリー王子が自分の性格を知らないわけがない。むしろこの王弟は、自分(ロッキンガム公爵)の性格を調べつくした上で、自分を推薦したに違いない。
大土地領主の公爵家というだけで、いわれの無い嫉妬を受ける身。しかもそれが宰相となれば、絶対に失敗は許されない。政治的失脚などもってのほか、即お家の没落になりかねない。少なくとも、大きな失政を犯さず、円満に退職する環境を整えなければならない。失政を犯さないためには、何もしないのが一番だが、だからといって、この王弟の-すなわち国王の意思を無視できるわけがない。すざましい抵抗と反発が予想される行政改革を、出来るだけ穏便な形で、反発を買わないように実行するという-相反したことを行わなければならない。何もせずにいれば、それこそ「更迭」の2文字が待っているだけ。
とにかく、これまでのように片手間で仕事をしていては駄目だ。自分の持てる能力と、今まで培ってきた政界遊泳術をフルに活用して、死ぬ気で働かなければ、活路は開けない。
(・・・それが狙いか)
ヘンリー王子は、否が応でもやらざるを得ない立場に追い込んだ上で、馬車馬の如く働かせようというのだ。顔は見えないが、自分の両肩に手を置いて、肩を揉んでいる王弟の顔は想像が付く。どうせむかつく笑みを浮かべているんだろう。肩揉みはねぎらいのつもりか?
(本当に、あの妖怪爺は、とんでもない後継者を育てたものだ)
これからのことを考えると、ロッキンガム公爵は、ため息しか出てこなかった。
アルビオンの風見鶏は、人生の冬ではなく、与えられた「地位」によって、動けなくさせられた。
「う~ん、こってるねー」
「色々ありましてね・・・いてて、あ、そこ、そこですぅ・・・」
ロッキンガム公爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース。アルビオン王国の初代首相となる老人は、肩甲骨のつぼを押されて、あえぎ声を上げていた