「痛むか、ブリジット」 担架に乗せられて、俺は公社の用意したバンに放り込まれていた。アルフォドは俺の付き添いだ。「いいえ。義体は痛みを感じないように作られていますから」 腹の傷口を塞いでいるのは救急セットの医療用ホッチキスだ。弾を素手で引き抜かれたときは内臓をまさぐられる何ともいえない感触を感じたが、その分焼けるような違和感はなくなった。「あちらに帰ったら緊急手術らしい。いくら義体といっても背骨を傷つけられると不味いな」 そう、リコの撃った弾は俺の背骨を見事に砕いていた。脊髄ごと破壊されてしまったので今の俺は下半身不随だ。 俺は自分の両手にこびり付いた血液をマットレスで拭いながらアルフォドに一つ気になることを聞いた。「アルフォドさん、リコはどうなったんですか」 俺に銃口を突きつけていたリコはアルフォドのタックルによって拘束された。あの時のアルフォドの激高具合といったらそれは恐ろしいもので、俺は内心リコを殺してしまうんじゃないか、と心配した。「全ての武装を没収されて護送されている。今頃公社で尋問中だろう」 俺はのんびりと担架に乗せられてバンで移送されているが、よくよく考えればこれは大問題だ。確かに義体によるフレンドリーファイアは過去に何度かあったが、故意に義体が義体を銃撃したのは前代未聞で、本来ならばあってはならない事なのだ。「リコは、どうなるんですか」 俺は自分の迂闊さを呪った。確かにリコが少年を殺すという事実は捻じ曲げることが出来たかもしれない。だがそれによって生じたズレは決して小さいものではなく、自分が取り返しのつかないことをやってしまったと認識させるのに十分過ぎた。「彼女は担当官ともに優秀な義体だから処分されることはないだろうが、より強力な条件付けがされるだろうな。恐らく今日起こったことは全て忘れさせられる」 もう自分に呆れることも出来なかった。 自分のやったことがただの偽善で、より彼女を傷つけることとなった結果を目の前にしているのに腹すら立たない。「私は良かれと思いました」 天井を見上げて俺は言い訳染みたことを言った。いや、言い訳そのものだ。「私は、彼女に彼を殺してほしくなかった」 不意にアルフォドの大きな手のひらが俺の頭に置かれた。彼は何も言わずそのまま俺を撫で続ける。「でもリコが彼を殺したほうが良かったのでしょうか。私が殺したことにリコが怒ったのだとしたら、それはどうしてなのでしょうか」 バンに同乗していた医師が俺に近づいてきた。医師は注射器を何本か手にしており、俺の静脈に次々とそれを打ち込んでいく。「ねえ、アルフォドさん」 注射器の中身はどうやら鎮痛剤と睡眠剤だったらしい。急に瞼が重くなってきて、口が上手く回らなくなる。「義体って何なのでしょうね」 乾いた口で告げた言葉が、彼に届いたのかは終ぞわからない。 俺はまどろみに身を任せて、暗闇の中に落ちていった。 四本目の注射器が打たれたとき、ブリジットはついに昏々とした眠りに落ちた。だらりと垂れ下がった腕を小さく上下する胸の上に置いてやり、俺はブリジットの寝顔を見た。 下腹部辺りに掛けられた毛布が赤黒く変色していることを除けば、彼女は年相応の少女に見える。 だが、それは外見だけで中身は最早人間とは呼べない。 人工筋肉と炭素フレームの骨、痛みを感じないように出来た神経と薬漬けにされた脳。 戦い続けることを義務付けられた少女たち。 俺はブリジットに掛かっている毛布を新しいものに替えると、彼女の傍を離れ窓から外の景色を見た。 夕焼けが痛い位の赤を演出している世界で、公社の医療施設が見えた。side 夢のこと どこか、遠い遠いところに来た気がする。 だけどそこはやけに懐かしく、やけに馴染みのある空間だ。 壁一面に張られたのは美少女のポスター。モニターに移るのは大手掲示板のまとめサイト。 俺は部屋の隅の方に腰掛けると、足元に積まれていた漫画本の山を見る。 上からそれを崩していくとエロ漫画から硬派な戦争漫画までジャンルは様々だ。 不意に漫画本を掴む手が止まる。 俺の視界に飛び込んできたのは一冊の漫画。 GUNSLINGERGIRLと銘打たれたそれはその辺りに転がる漫画本と少し違っていた。 ページをめくる。 残酷な過去を持ち、戦うことでしか生きていけない少女たちの物語がそこにある。 それは昔読んだ内容とそう違わない。ただ一つだけ、一つだけ前に呼んだときと決定的に違う場面があった。 ブリジット――。 俺が見たことのない少女が戦っている。 彼女は普段は甘い物好きで大変な偏食家だ。本は読まず、主にトリエラとリコ、そして担当官のアルフォドという男と仲がいい。 少女は他の義体と違い、自分が戦う意味に悩み自分が存在する意味に悩む。 過去は一切覚えておらず、下手をすればもっともアイデンティティーがあやふやな少女だ。 俺はさらにページをめくる。 そこで俺は息を呑んだ。 何とブリジットは任務中の仲違いでリコに撃たれていたのだ。 俺は義体が義体を撃つという行為がにわかに信じられなくて何度も何度もそのシーンを読み返した。 それでもブリジットがリコに撃たれたことには変わりがなく、不思議に思った俺はリコがどうしてブリジットを撃ったのかを考え始めていた。 リコとブリジット、二人の関係が良好と言えたシーンを先ほどと同じように何度も読む。 すると一つだけわかった事があった。 それはリコがブリジットに抱いていた感情だ。 リコはブリジットを母親みたいだ、と感じていた。彼女は幼いころに両親に見捨てられた経験を持つ。そんな彼女は自分に優しくするブリジットを無条件に信じきっていた。 だからこそ、仕方が無かったとはいえ、友人になれたかもしれない少年を殺されたことが許せなかったのだ。 俺は酷い喉の渇きを感じて、冷蔵庫に向かおうと床から立ち上がった。 足元に広がるゴミを書き分けながら部屋の対岸に向かう。 ふと、視界の端に鏡が映った。 俺は何気ない動作で鏡を見る。そこに映っている自分を見て俺は変に納得した。 眠たげな目でこちらを見つめるのは漫画で追ったブリジットという少女。 これが現実なのか夢なのかはわからない。 ただそこにいる義体の少女は恐らく現実だ。 世界が暗転していく。見慣れた部屋が遠くなり、時間切れが近いことを知らせる。 もう鏡は見えない。ただ見えるのは真綿のように首を絞めてくる暗闇のみ。 景色が変わる。 誰かが悲鳴を上げた。 ただでさえボロボロだった身体が、石畳に打ち付けられて生命活動を続けることが困難になっている。 私は久方ぶりに見た太陽に手を伸ばした。 爪の無い赤黒い手が虚空を掴む。 その手についていた手錠は外れている。 やけに身体の回りが暖かいと思ったら、それは私から流れ出る赤い血だった。 これから死ぬというのに何故だか気分が良い。 私はやっと手に入れた自由を噛み締めて、涙を流した。 「目は覚めたか、ブリジット」 覚醒した意識に飛び込んできたのは聞きなれた声。「ずっと泣いていたぞ。悲しい夢でも見たのか」 カーテンから差し込む光を受けて病室は明るかった。 私は手元の毛布を抱き寄せると、アルフォドに向かってこう言った。 その声は嗚咽交じりで酷いものだった。「何も覚えていません」side 担当官のこと「アルフォド、ブリジットの修理の過程で条件付けを強化するぞ」 ジャンが告げたことの意味を理解したとき、俺は奴に掴みかかっていた。 どうしようもない怒りが俺を支配する。「ふざけるな! 暴走したのはお前のリコだ! ブリジットは関係ない!」 だが奴は俺とは対照的にとても冷め切った口調で言いのける。「ふざけてなどいない。事実、ブリジットはお前の命令に背いて行動した。これを暴走と言わずして何と言う」 俺はジャンから突きつけられた事実に何も返すことが出来ない。確かに彼女は俺の命令を聞かなかった。だが、あの場合は――、「仕方がなかったとでも言うのか? 今回の件で課長は大変ご立腹だ。義体に疑問を持つ作戦一課を黙らせるためにもリコとブリジット、二人の記憶を消して強力な条件付けを施すことは必要不可欠だ」 掴みかかった手が離れる。俺はジャンから一歩身を引くしかなかった。「もし条件付けを強化したら彼女はどうなる」「さあな、もともと二人とも全義体中でももっともレベルの高い条件付けを受けている。いわばこれが始めての臨床試験だ」 ジャンは続ける。「お前は甘すぎる。あれは道具だ。お前はブリジットを踏み台と考えろ。あれの変わりは後からいくらでも来る。今のうちに義体の扱い方を学んでおくんだな」side そして俺とリコのこと 俺は目覚めたその日に退院した。退院祝いは俺のお気に入りのチョコレートケーキだ。「え? 私は任務中に五共和国派に撃たれたのですか」 アルフォドから聞いた話だと、俺は情けないことにテロリストどもに不覚を負い、腹を撃たれて気を失ったらしい。任務自体は成功したから良かったものの、次からこういうことがあれば俺を作戦遂行の本筋から外す事もあるとのこと。それは俺としてもいろいろと不都合なので、暫くは最初のころのように訓練漬けの日々を送ることになりそうだ。俺はクラエスのように臨床試験の材料にはされたくない。「そのケーキは部屋でトリエラと一緒に食べなさい。あと今日は皮膚が定着し切っていないから入浴は控えるように」「ケーキは食べていいんですか?」「幸い内臓はほとんど無事だったからな。体力を取り戻すためにも沢山食わなくてはいけないのだが君は偏食だろう? だからそのケーキを食べて養生しなさい」 アルフォドはそれだけを告げて仕事があるからと何処かへ行ってしまった。 俺は一人残されてケーキの入った箱を眺める。ケーキの重みが心地よい。 早いとこ部屋に帰って、トリエラと一緒に食べたくなった。 廊下でブリジットとすれ違う。彼女は何か紙の箱を大事そうに抱えて私の横を通り過ぎていく。 私は足を止めてブリジットに振り返った。 すると不思議なことにブリジットも私と同じようにこちらを見ている。 私は何かを言わなくてはいけない気がして、口を開いた。「退院おめでとう」「うん、ありがとう。リコ」 会話はそれだけ。ブリジットは直ぐに歩き始めて私から離れていく。「あれ?」 彼女が見えなくなったとき何故か視界が曇る。雨でも降っているのかと思ったが、ここは室内なのでそんなことはありえなかった。「変なの」 目元をごしごし拭って再び歩き始める。 これからジャンさんと一緒に射撃訓練だからこんな有様ではとても外に出ることは出来ない。 私はポケットからチョコレートを取り出して口に放り込んだ。これで少しは気が紛れるかもしれないから。 そう言えば、 このチョコレートは誰から貰ったものなのだろう。 私はそんなことを考えて、一人廊下を歩いていた。「へえ、アルフォドさんがくれたの」 二人の少女が丸机を挟んで座っている。一人は褐色の肌に金色のツインテール。もう一人は夜空のように黒い瞳と同じ色の長い髪の毛。「うん、退院祝いだって」 机に並べられた紅茶とチョコレートのケーキは部屋中に甘い香りを満たしていく。「それじゃあ先にブリジットから食べなよ。それがアルフォドさんに対するマナーだよ」 褐色の肌の少女に進められて黒髪の少女はケーキを口に含んだ。少しの間それを咀嚼し、彼女はこう言う。「あれ? このケーキってこんな味だったけ?」 その疑問にトリエラは何も答えることが出来なかった。