本格的な対人戦闘を想定して訓練するために、今日は国軍の施設に来ている。原作でのトリエラヒルシャー組のイベントに便乗した形だ。「ブリジット、ドア越しに掃射だ」 無線越しにアルフォドの指示を受けて、木製のドアを撃ち抜く。M4から発射された弾丸が貫通し、室内に置いてあった人型の的をズタボロにした。「クリア」 残された的も蹴り潰し、仮想の敵の殲滅を報告する。不謹慎だけれども、日本で時たまやっていたFPSのゲームみたいで中々面白かった。「いいスコアだ。ブリジット。M4をその場に置いて表に出てきなさい」 こんな訓練で少しでも強くなれるのなら、毎日でも通いたいものだ。 夕刻時、トリエラと二人で軍用レーションをかき込んでいた。基本偏食の俺だが、こういった普段食べない珍しいものは結構好きだったりする。「よくそんなに食べられるね。普段は何にも食べないくせに」 トリエラが言うとおり、軍用レーションというものは基本不味い。どろどろしたコーンビーフやらパサパサした味気のないクラッカーやら。「でも食べないとお腹空くし、栄養価は高い筈だから」 コーンビーフを丸呑みするように俺が食べたのを見て、トリエラがおえ、と口元を押さえた。まあ端から見ても見苦しい光景だったのは反省しておく。「ところでさ、トリエラはヒルシャーさんと仲直りしたの?」 トリエラの、唯でさえ進んでいなかったフォークの動きが完全に止まる。彼女は暫く言いにくそうに口篭った後、「まだ」と一言だけ声を発した。「どうして? 大体話を聞く分には喧嘩なんかしていないんだから、普段通りに振舞えばいいのに」「それが出来れば苦労しないよ……。私の我侭の所為でヒルシャーさんを怪我させたんだから」 トリエラの言うとおり、彼女の提案した無謀な突入は失敗に終わって両名の負傷という最悪の結果になった。それでも聞くところによればピノッキオにもダメージを与えたのだから、そこまで落ち込まなくてもいいと思う。まあ、そこで思いつめて勝手に沈んでいく辺りがトリエラらしいといえばそうなんだけど。「ブリジットはアルフォドさんと上手くやってるの?」「まあそれなりには」「羨ましいな。私はあなた達みたいに生きてみたいよ」「止めときなよ。良いことよりも悪いことの方が多いんだから」 トリエラが残したクッキーを摘み、口に放り込む。生姜の利いたそれは想像していた味とは随分違っていて、思わず咳き込んでしまった。「ブリジットの体調はどうだ?」 担当官が集まっての定例会議。解散して直ぐにジャンに捕まった俺は彼女の経過について色々と詮索されていた。「薬の量が減ったよ。でも睡眠時間が随分増えているな」「そこまでは想定の範囲内だ。視力や聴力に異常は?」「本人は何も言わないし、それらしい素振りもなかった。前に食事に連れて行ったんだが、味覚もかなり戻っていた。どういう魔法だ?」「何、感覚神経を増強させる薬が投与されただけだ。彼女にはこれからスナイパーとしての仕事もして貰わねばならんから、その辺りの処置は急務だった」 別に寿命が延びたわけじゃないぞ、というジャンの台詞に、俺は何処かでそういった期待を抱いていたことを今更のように知った。 最近の彼女を見ていると、とても中身がボロボロの一期生には見えない。「トリエラが打ち負かされたという殺し屋との戦闘もある。数で押せば負けることはないだろうが、それでも限界があるだろう。ブリジットはこれからGISに派遣して格闘訓練を受けさせる必要があるな」「作戦課の適性判断は?」「Sクラスだそうだ。鍛えれば化けると言っていた。射撃でもスリーエスを貰っているのだから事実上、公社最強の義体になる」「……全く嬉しくないね」「いい加減割り切れろ。お前がそんなようでは結果的に彼女が傷つくぞ」 少し前まで回りに怯えていた彼女がそこまでの評価を受けるようになるとは、最早笑うしかなかった。出来ればあのままひっそりと普通の生活をさせてやりたかっただけに尚更だ。「それとお前、気づいているか? ブリジットの特異性に」 ジャンが徐にそう言った。俺は少し前にビアンキへ相談した内容をそのまま奴に伝える。「目を合わさない、か。意識しなければ殆ど気にならないが、お前たち兄弟のエッタやリコを見ているとよくわかるよ。彼女たちは自然と命令を欲しているから担当官の目をよく見る」「ブリジットも一応合わせているらしいが、それでもかなり少ないらしいな。人格に齟齬が出ているのか……」「俺は逆にそれが正常だと思いたいよ。彼女は人間だ。人間が常日頃から命令を欲しているなんて間違っている。それじゃあ犬と一緒だ」 ジョゼに聞かれたらぶん殴られそうな台詞だが、この兄――ジャンなら問題はないだろう。「公社が欲しているのは人間の少女ではない」「それでも無理やり手を差し伸べたのなら責任は持つべきだ」 ジャンが甘いな、と吐き捨てた。言われなくても百も承知だ。最初は仕事だと割り切るつもりで公社に就職したわけだが、ブリジットを初めて見たときからもう諦めた。「ブリジットのことなら大丈夫だ。我侭だけど、基本賢い子だから心配する必要はないさ」 逃げるようにジャンの元を俺は去る。出来ればこのまま、奴とは暫く顔を合わせたくなかった。「マリオボッシの娘の護衛に私も参加するんですか?」 車中で明かされた任務内容は本来トリエラがこなす筈の物だった。そもそも俺はマリオとの面識が全くない。「いや、トリエラヒルシャー組も同行する。というよりメインはあちらだな。君は娘の家に遊びに来たスクールの友人という設定だ」「? あの二人だけでは駄目なんですか?」 この任務は別に義体が二人掛りでこなさなければならない任務ではない筈だ。大体トリエラの今後に関する重大なイベントが存在するので、出来れば干渉したくない。「まあ復帰したとはいえトリエラは病み上がりだからな。軍施設での成績も余り良くなかった。言い方が悪いが君は保険みたいなものだよ」「アルフォドさんはどうされるんですか?」「俺はジャンたちと一緒に周辺警戒に回されている。何かあったら携帯で連絡してくれ」 どうやらピノッキオ戦のズレが思わぬところに出てしまったようだ。これは少々不味いと思いながらも、俺はアルフォドに従うしかなかった。 ヒルシャー、トリエラ組がマリオの娘――マリア・マキャヴェリ 通称「ミミ」に接触した翌日、俺は何食わぬ顔で彼女の家を訪ねた。連絡は届いていたのか、そのまま入って来いとインターフォン越しにヒルシャーから伝えられる。「えーと、初めまして。トリエラの同僚のブリジットです。よろしくお願いします」 値踏みするようにこちらを見てくるミミの視線に圧倒されながら、俺は当たり障りのない挨拶をした。ただどうしても背中に背負ったギターケースは目立ってしまう。「何それ。仕事道具?」 からかってくるミミの言うとおり、ギターケースの中にはアサルトライフルと複数のマガジンが入っている。もし大規模な襲撃が発生しても篭城できるように、という装備だ。「ごめんね、ブリジット。私が不甲斐ないから」 頭を下げてくるトリエラを慰め、俺は目の付くところにギターケースを置き、ソファーに座り込んだ。準備やら何やらで殆ど寝ていない体にはミミのテンションは辛い。「すまないな。ミミの父親のマリオ――カモッラだが、彼の裁判の証言が終わるまではこの警戒態勢が続く」「大丈夫です。ただ少し疲れたので横になっていいですか? あと、出来ればこのギターケースを紐で私の手首に繋いで貰いたいんですけど」「その必要はないさ。ミミは好奇心で勝手に触ったりしないだろうし、僕が見ておくよ。夕食まで休みなさい」 ヒルシャーに言われて、俺は眠りにつく。 その日の夕食は宅配ピザで、もしかしたら、トリエラとヒルシャーが気を使ってくれたのかもかもしれなかった。 「へー、ブリジットって甘いものが好きなんだ」「ええ、まあ」 それから四日後。大した進展もないまま警護生活はまだ続いていた。俺の日課は窓の隙間から外の様子を伺って、公社の人間の働きぶりを覗き見することだ。因みにトランプゲームやチェスをしてミミを楽しませるのはトリエラの役だ。「ブリジットもさー、トリエラのヒルシャーみたいにパートナーの男性がいるの?」「まあね。あそこでタバコ吸ってる」 俺が指差した先、ミミがブラインド越しに外を見た。公社の女性職員とデートという設定なのか、ジェラートを抱えた女の人と同席している。「うわー、ブリジットはあれ見て妬いたりしないの?」「仕事だから仕方ないでしょう。あの人、昔は体を使って情報を集めてた人だからああいうのが意外と得意なの」「てことは仕事じゃないと妬けるんだ」「まあ怒るかもね」 ミミがにししし、と笑って俺の隣に腰掛ける。どうやら硬い雰囲気のあるトリエラヒルシャー組より結構ずぼらな俺の方が話し易いそうだ。ただこれは余り楽観出来る事ではないけど。「ブリジットってさ、雰囲気は男の子見たいなのに、意外と乙女だよね」「は?」 これには随分と驚かされた。自分では年頃の女の子を精一杯演じているつもりでいたから、男の雰囲気があると言われるのは結構ショックだった。これもトリエラやクラエスらと違って、ミミが生身の女の子だからだろうか。「なんかさー、とても格好良いんだ。ブリジットって。クールというか大人びているというか。その辺、トリエラも認めてたよ」「私が?」「そう。トリエラとヒルシャーは教え子と教師って感じなんだけど、君のあの男の人は年の離れた恋人って感じがする。大人の関係って奴?」「馬鹿ね、私はまだまだ子供よ」 ミミの台詞を笑いながら否定する。ミミはどうしてだ? と首を傾げるが理由なんて直ぐ分かる筈だ。 何故なら窓の向こうの担当官様が、 女性職員の肩を抱いたのを見てしまうだけで、こんなにも嫉妬してしまうのだから。「焼きが回ったな。私も」 きゃーきゃー、と喚くミミを無視して俺はトリエラたちが詰めているリビングに向かった。そこでは彼らが淹れてくれたコーヒーの匂いが満ちていた。 それから二日ほど経って、警護生活に飽きたミミの脱走イベントが起こった。ミミが蹴倒したチェス盤の駒を拾ったトリエラとヒルシャーは見事に手錠で繋がれてしまって、その手際の良さに呆れた俺はミミを捕まえるのが遅れてしまった。「ブリジット、二階の窓を破っていいから追いついてくれ!」 拳銃を懐に収め、俺はミミの出て行った窓ではなく、いつも外を覗いていた窓から飛び出す。下が丁度垣根になっていたので、人にぶつかる心配が無かったからだ。 裁判を妨害したいカモッラに捕まり、車で拉致されそうになっているミミは直ぐ見つかった。原作ではリコたちが止めるのだろうけど、それらしい人影が無いので俺で対処することにする。 ぽん、とミミを車に押し込めていた男の肩を掴みそのまま引き倒す。後の抵抗が怖いので顔面を踏みつけて意識を刈り取った。 けれども油断していた。運転席の男が銃を抜き、発砲したのだ。咄嗟に身を捻って頬を掠めるだけですんだが、ミミに当たる可能性を考慮して、抜かせるべきではなかった。俺は男の胸倉を掴み、拳銃を持っていた手首を握りつぶす。抵抗の無くなった男も路面に寝かせて、銃を付き付けて拘束した。やがてリコとヘンリエッタ、ジャン ジョゼがやって来て、事件はその場で閉幕した。 「ごめんなさい、ブリジット! ほっぺに傷が!」 ミミの剣幕に驚いてそっと触れてみると、傷口は微妙に深いらしく赤い血の線が出来ていた。「大丈夫だよ、直ぐ直る」「でも、跡が残ったら!」 泣きじゃくるミミを宥めて、大丈夫、大丈夫と俺は繰り返した。実際皮膚の張替えで完全に直ってしまうのだから心配はいらない。 俺は腕の中で泣くミミを見て、意外と良い子なんだな、と的外れな感想を抱いていた。 手錠は直ぐに外れた。これもブリジットに負けじとピッキングを練習したからに違いない。「早いな。もう彼女より早いんじゃないか?」「いえ、ブリジットはもっと早いし、施錠もこれでこなしてしまいます」 気がつけばあれ程避けていたヒルシャーと普通に会話していた。不思議とミミに出し抜かれたことも余りショックじゃなくて、むしろヒルシャーとの会話の糸口が出来たことでトリエラは感謝すらしていた。「気にすることはないさ。ここだけの話だが彼女は今公社で最も仕事が出来る義体に指定されている。君はその次だ」「……なら一つ聞いて良いですか?」「?」 自分の手首にも巻かれた手錠を外し、トリエラがヒルシャーに向き直った。「あなたの一番大切な女の子って誰ですか?」 意地悪で突拍子もない質問だと思う。それでもブリジットが昔アルフォドにそう聞いて仲直りした事があると言っていたから、自分も試さずにはいられなかった。「珍しいな。君がそんなことを聞くなんて」 今考えればこれはトリエラがヒルシャーに歩み寄るための呪文みたいなものだが、トリエラはそれを欲していた。彼女もまた、誰の傍にいたかったのだ。「今も昔も、僕の考えは変わらないよ――」