親友とも言うべき彼女が盛大に鼻血を噴出して吹っ飛んだのを目にして、私は思わず「やばっ、」と声を上げていた。 ブリジットの決して大きくない体躯が地を跳ね、砂地の上に転がる。むくり、と顔だけこちらに向けた彼女は頬に血と土をこびり付かせていた。私は何ともいえない罪悪感に駆られながら、彼女に手を差し出す。「ゴメン、やりすぎた」 優しい彼女は決して私に怒ったりしない。どちらかというと、私に殺意を向けるのは外野で見守っている三つ編みのチビッ子――エルザだったりした。 それでも痛そうに鼻を押さえているブリジットを見ていると、謝罪の言葉が止まらなかった。「ゴメン。本当、ゴメン」 ブリジットは苦笑しながらいいよ、と手を振る。彼女は教練場の外で様子を見ていたアルフォドさんからタオルを受け取ると、顔にこびり付いた汚れをごしごしを拭っていた。 私もヒルシャーさんからスポーツドリンクを受け取って口にする。「ははは、えらくうちのお姫様を痛めつけてくれたじゃないか」 アルフォドさんが笑いながら近づいてきた。私は彼にも一つ頭を下げて逃げるように教練上へ戻っていった。そこでは鼻に詰め物をしたブリジットが既に待ち構えていて、シャドーボクシングをしてたりする。「今度は負けないよ! トリエラ!」 格闘訓練再開のブザーが鳴り、私たちは再び組み手を始めた。 互いにタンクトップに短パンという出で立ちで、額からは汗が噴出している。 ブリジットが掌低を繰り出したかと思えば、私が肘打ちで対抗する。 射撃では彼女に軍配が上がるものの、格闘では私の方が多分強い。 それは手足のリストが強いからか、経験値が勝るからか。 そうこう考えている間にブリジットの腕を取って締め上げた。彼女が間接を捻って回し蹴りをしてくるけれども、手の甲で頭部への直撃を回避する。「うわっ」 本日何度目かわからない関節技が見事に決まり、ブリジットが降参、と小さく唸った。 これは私が彼女に勝る、たった一つの事。「また負けてしまいました。アルフォドさん」 シャワーを浴びて泥と汗を流し、頬に大きな絆創膏を貼り付けたブリジットがアルフォドと並んで公社の廊下を歩いていた。 アルフォドはそんなブリジットの頭に手を載せると、そっと髪を撫でながらこう言った。「仕方が無いさ。近接戦で彼女に勝る子はここにはいないよ。いるとすれば相当なバケモノだ」 彼の励ましに納得いかないのか、ブリジットがうー、と声を上げた。いつもはもっと大人らしい振る舞いをする彼女だが、最近トリエラに対して負けが込んでいるため若干子供っぽくなっている。「ま、そんな気落ちしても仕方が無いさ。ほら、お友達も迎いに来ているから一緒に菓子でも食べて、気分転換してくるといい」 そうやって指差した先には黒猫のヒルダを抱いたエルザが立っていた。表情こそいつもの無表情だが、ブリジットを見つけてご機嫌なのか体をそわそわと揺らしていた。 ブリジットは一旦アルフォドに別れを告げると、そのままエルザの元へ走り寄って行った。 エルザを膝に乗せ、俺はアルフォドから貰ったキャンデーをころころと舐めていた。勿論エルザも同じものを食べている。彼女は胸元にヒルダを抱えて、特に何をするでもなくじっとしていた。「ねえブリジット」 口を開いたのはエルザだった。彼女は起用にこちらへ向き直ると、口にキャンデーを含んだまま俺の顔を覗き込んできた。「最近いたく格闘訓練をこなしてるけど、何かあったの?」 ぺちぺちと頬の絆創膏が触れるのを感じて、俺はふと最近の出来事に思いを馳せる。すると成るほど、確かに射撃訓練よりか格闘訓練に熱を入れている毎日があった。 でもそれにははっきりとした理由がある。「もしかして、ピオッキオのこと?」 エルザが問うたのはまさに確信だ。俺は曖昧に誤魔化しながらも、トリエラが一週間前に遭遇した無類の殺し屋のことを考える。それは原作で始めに迎える、大きな山場と共にある余りにも強すぎる敵。 恐らく現時点では白兵戦最強。戦闘力も総合でなら俺やトリエラも適わない人間が確かにいる。「ほんと、チートも大概にして欲しいわ」 俺の呟きにエルザが首を傾げるが、そんなことを構っている暇は無かった。そうこうしている間にも原作内の時間が経ち、俺の今後についての振り方がより困難になっていく。 始まりはやはり一週間前のとある事件。 お姫様と木の嘘つき人形が主役のIL TEATRINO 俺は訓練以外何も出来ない歯がゆさを感じながら、同時にトリエラに対する同情の念を強く抱いていた。