私には猫のような友人がいる。 彼女は本当に気まぐれで、少し我儘なところがある。 でも彼女は猫だから皆に好かれて、皆に可愛がられている。 猫の名前はブリジット、お菓子が大好きで大人なんだけど子供っぽい、そんな感じだ。「にゃー」「何してるのブリジット……」 クヌギの木の下で、私はルームメイト兼親友のブリジットを見つけた。彼女は木の根元に向かって四つん這いになっており、長い夜空のような黒髪と小さなお尻が左右に揺れている。 私に見つかってもブリジットは奇行を中止することは無く、さらに「にゃー」と鳴いた。「? 猫でもいるの?」 ブリジットがこちらに振り向かないことを不審に思って私はブリジットの上から木の根元を覗きこんだ。すると一匹の小さな黒猫がいた。黒猫はブリジットから貰ったのか、砕かれたベビークッキーを食べていた。「今日さ、エルザと一緒に本を読もうと思ったら木の根元に猫がいたの。とても可愛いからクッキーあげちゃった」 ブリジットがそっと猫を抱きあげる。猫は然したる抵抗も見せず、そのままブリジットに抱かれた。「ほら、可愛いでしょう」 にゃー、と猫と少女の声が重なる。それは春が近くなった冬の終わりの日。 私たちが存分に羽を伸ばした滅多にない休日だった。「へー、猫……」 私とブリジットで家庭菜園用の場所を鍬で耕している時、エルザがおっかなびっくりといった風に猫に触っていた。 ブリジットを親と認めたのか、それとも餌をくれる体の良い奴隷と思ったのかは知らないが、小さな黒猫は彼女から離れようとしない。「ねえ、クラエス。この場所の許可って誰がくれたの?」 鍬を杖代わりにしたブリジットが問うてくる。私がジャンさん、と答えると予想でも付いていたのか「ふーん」と短く相槌を打っただけだった。 ブリジットが再び鍬を地面に突き立てる。「ねえねえブリジット、この猫飼うの?」 いつの間にかエルザが猫を抱きかかえていた。ブリジットは作業を続けたまま答える。「うーん、どうだろ。私的には飼いたいけど、同室のクラエスやトリエラ、あとアルフォドさんにも聞いてみないと……」 そう言って、彼女は困ったような顔でこちらを見て来た。どうやら飼っても良いか本人なりに聞いているのだろう。私としては特に問題ないので、取りあえず構わないと告げておく。「なら後はトリエラとアルフォドさんかぁ。何処にいるんだろう?」 ブリジットが鍬を持つ手を止める。見れば私の指示した耕しは終わっていて、エルザに出て来た石を捨ててきてもらう段階まで来ていた。 私は用意していたタオルでブリジットの頬に付いた土を拭ってやると、二人に休憩を促す。「石を捨てるのは午後にして、取りあえず休息を取りましょう。ついでにトリエラとアルフォドさんを探せばいいわ」 私の台詞にブリジットとエルザ、二人の少女の顔が見る見る晴れていく。 手を取り合って喜ぶ二人はまるで姉妹で――、猫のようだった。「猫?」 トリエラは部屋で熊の人形と戯れていた。小人の名前を冠した人形に赤ちゃん言葉で語りかけている彼女を見たブリジットは、ベッドの上でお腹を押さえて痙攣している。猫は彼女の長い髪の毛で遊んでいた。 顔を真っ赤に染めたトリエラはブリジットの頭の上の猫を睨んだ。多分笑い続けているブリジットを睨んでいるんだろうけど、私から見たら猫を睨んでいるようにしか見えない。 因みにエルザは特に何のリアクションも示さず、部屋に置いてあった小説を一人読んでいた。この子は基本的にブリジットとラウーロ以外には懐いていない。「あの猫を飼うの?」 指を差された猫がこちらを見た。思わずトリエラが「にゃー」と口ずさむ。するとブリジットがひと際大きく痙攣し、押さえた口元から笑い声が漏れていた。「ねえクラエス、ちょっとブリジットにお灸を据えてきていいかな」「あら、珍しいわね。トリエラがブリジットに腹を立てるなんて。もしかして最近構って貰えないから妬いているの?」 なっ、とトリエラがあからさまに動揺した。最近ブリジットはエルザと二人でいることが多く、トリエラは何時も寂しそうな視線で二人を追っていたのだ。 私はトリエラをからかうのが楽しくて、さらに追撃を掛けるべくブリジットに声を掛けた。「ねえブリジット、トリエラが構ってほしいそうだからこっちに来て遊んであげなさい」 起き上ったブリジットとトリエラの視線が合う。猫がブリジットの肩口からベッドに飛び降りた。「遊んでほしいの?」「っ、うるさい!」 トリエラが手近にあった縫いぐるみをブリジットの顔に投げつけた。猫が驚いてベッドから離れる。猫の向かった先はエルザの膝の上だ。 どうやら猫の中の優先順位はブリジット、エルザの順らしい。「で、トリエラ。猫は飼っても良いの? 駄目なの?」 縫いぐるみを顔に乗せてベッドから動かないブリジットの代わりに私がトリエラに聞いた。 トリエラはブリジットの方を一瞬見やって、少し思巡した後こう答えた。「まあ、ブリジットが髪を梳かさしてくれるなら」 ブリジットが顔に縫いぐるみを乗せたまま手を振った。どうやらその条件で良いのだろう。トリエラが上機嫌でブラシを持つと、ブリジットのベッドに上って行った。 エルザの膝の上で猫が小さく鳴いた。「ん? 猫かい?」 アルフォドさんはヒルシャーさんと一緒にいた。二人は何かの書類をパソコンに取り込んでいる。「へえいいなあ。猫。昔飼っていたよ」 アルフォドさんがブリジットの抱いた猫の頭を撫でた。猫はアルフォドさんを怖がっているのか、ブリジットの胸元に必死にしがみ付いている。 ヒルシャーさんはそんな猫を見て笑った。「おいおい、本当に飼っていたのか? こんなに怖がられて」 そう言ってヒルシャーさんが猫に手を伸ばす。すると猫がいよいよ怖がって、ブリジットの腕の中からヒルシャーに威嚇した。「ははは、君も変わらないじゃないか。むしろ俺より酷い」 バツが悪そうに目線を反らすヒルシャーさんが面白くて、私とブリジットは自然と笑顔になる。私はアルフォドさんが機嫌を良くしているのを見て、猫を飼う許可を取るなら今の内だと判断した。 ブリジットの背中を後ろから小突く。 彼女は一瞬こちらに振り返った後、アルフォドさんの袖を引っ張った。「あのー、アルフォドさん。お願いがあるんですが……」「ん? なんだい」 ヒルシャーさんをからかっていたアルフォドさんが首をかしげる。この担当官はヒルシャーさんと相性が良い辺り、トリエラと相性が良いブリジットとよく似ていた。「この子、飼っていいですか?」 ブリジットの問いかけにアルフォドさんは「そんなことか」と笑った。 どうやらこの反応を見る限り問題は無いらしい。「ただし、ちゃんと世話をするんだよ」 アルフォドさんの優しい笑みにブリジットは元気よく「はいっ」と答えていた。 私とブリジットがアルフォドさん達の元から離れるとき、アルフォドさんが猫の名前を聞いてきた。 ブリジットがまだ決めていないと答えると、彼は今決めたら? と促してきた。「うーん、そうですねー。何となくですけどヒルダってのはどうでしょう」 アルフォドさんとヒルシャーさん、そして私はブリジットの決めた名前に三者三様で驚いていた。 私はすこぶるノーマルな名前を付けたブリジットに驚いて――お菓子の名前でも付けるのではと思っていた。 アルフォドさんとヒルシャーさんは絶句したまま何も言わない。私からはどうして二人が驚いているのか分からなかった。 私たち三人の反応を見たブリジットは受けが悪いと思ったのか、少し落ち込んだ風に言った。「もしかして駄目ですか?」 私は慌てて良い名前であることをブリジットに告げる。ブリジットはそれで安心したのか猫を抱え上げて喜んだ。「君の名前は今日からヒルダだ」 結局、私たちが帰るその直前までアルフォドさん達は曖昧な笑みを浮かべたまま何も言わなかった。 どうやらヒルダという名前に何か心当たりでもあるらしい。 私は心の何処かでそのことを気に掛けながらも、ヒルダを連れて外へ飛び出していくブリジットの後を追った。 「にゃー」「……どうしたのクラエス?」 眠りの世界から帰って来たブリジットは焦点の定まらない目で私を見上げていた。腹にはヒルダを抱えて、脇にはエルザがしがみ付いて寝ている。「いや、何となくあなた達が猫のようだったから」 土を耕し、石を捨て終えた私たちはクヌギの木の下で昼寝をしていた。 一足先に起きた私は猫のように寝入っている二人を見て、思わず鳴き声を出してしまったのだ。「そう……」 まだ眠たそうにしているブリジットが起き上がって私の横に腰掛ける。私はブリジットの体温を間近で感じながら読みかけていた本を開いた。「ねえ、クラエス」 ブリジットが口を開く。「これが無為に時間を過ごすってこと?」 彼女の問いに私は是と返した。彼女は伸びを一つするとこう言う。「何もしない時間て結構良いものだね」 わかってるじゃない、と返した私が横を見るとブリジットがヒルダの顔を覗き込んで「にゃー」と鳴いていた。 この気まぐれな猫はいつの間にか皆に好かれて、皆に可愛がられている。「幸せ者だね」 私の呟きにブリジットは「にゃー」と笑った。 やっぱりこの少女は猫だ。 そして私の大切な友人だ。 その昔、お父さんか誰かに教えて貰った時間を無為に過ごす喜び、 それをブリジットと共に過ごせることは何よりも大切なことなのかもしれない。