初めて殺した男は俺に怯えていた。 必死にこちらに来るなと叫び続け、撃ち抜かれた足を引き摺っては俺から逃げ続けた。 俺はそんな男をつけ回すのが楽しくて仕方なくて、男を逃がし嬲り続けた。 終わりが訪れたのは男を袋路地に落ちつめた時だったように思う。血を流しすぎて、最早立つことも出来ず、放って置いても死んでしまいそうな男は何かに向かって泣き叫び続けた。「※※※※※※※!!」 男が何を叫んでいたのかはわからない。だがその叫びは酷く不快で、俺の中に渦巻いていた殺意を昂ぶらせるのは容易なことだった。「※※※※!」 今度はこちらを向いて何かを叫ぶ。俺はもう我慢がならず、男に銃を向けた。するとどうだろう、男も何時の間にか拳銃を構えていて俺を狙っていた。 発砲音が重なる。 僅かな静寂の後、薬莢がコンクリートで弾ける音を聞いて、俺は男と自分の様子に気がついた。 男は胸を撃たれて既に事切れている。彼から流れ出る赤い血が生臭い香りとなって鼻腔に到達する。「っ!」 俺は腹に手を当てて膝から崩れた。腹を押さえた手を顔の前まで持ってくれば、男と同じように熱い血が溢れ出ている。痛みというより違和感が内臓を侵し、吐しゃ物を地面にぶちまけた。 最近、この頃の夢を見る。 そして、夢はまだ続く。 腹を撃たれた。 俺はホテルの廊下で四つん這いになり、爛れ落ちる自分の血を眺めていた。 そして眉間に銃を突きつけられる。「なんだ、そんな顔もできるのか」 俺を撃ったのはリコだった。彼女は有りっ丈の憎悪を、銃口と共にこちらに向けている。「どうして彼を撃ったの?」 原作では決して他人には向けない怒りという感情を表すリコを見て、俺はこの世界の改変に成功したことを知った。それは何とも痛快で、何時ぞやのときみたいな吐き気を押しのけて俺を笑わせた。「答えてよ、ブリジット! どうして彼を撃ったの!?」 激高したリコが引き金に掛けた指に力を込めた。俺は内心のどこかでもう助からないかもしれないと悟る。だから、せめて頭部を撃たれる前にこう告げようとした。「君を救いたかったから」 結局のところ、俺の返答を聞く前にリコはアルフォドに吹っ飛ばされた。 リコはジャンにぶん殴られて、鎮静剤を打たれるまで終始暴れ続けた。 その様子を見て、初めて自分がやったことが間違いであったことに気がつく。 俺はアルフォドに抱きかかえられて、下へ連れて行かれるまで、血に塗れた自分の両手を見ていた。「ブリジット! ブリジット! 起きなさい、ブリジット!」 誰かが俺を揺さぶる。どうやら同室のトリエラかクラエスが俺を起こそうとしているのだろう。口調からして恐らくクラエスだ。「ブリジット!」 俺はクラエスの細い腕を掴んで、目覚めの意を示す。彼女は俺を揺さぶるのを止めて、お湯で濡らしたタオルを俺の顔に被せた。 これで顔を拭けという意味らしい。「……おはよう、クラエス」「おはよう、ブリジット……と言いたい所だけどもう昼前よ。それにあなた、相当酷い顔をしてる」「?」 クラエスに言われて俺は枕もとの手鏡で自分の顔を見た。すると目は真っ赤に腫れ、目尻と頬は涙で筋が出来ていた。「また泣いていたの?」 クラエスが俺のベッドに腰掛ける。彼女に頭を撫でられて俺は首を縦に振った。「最近、夢を良く見る。初めて人を殺したときの夢と、もう一つは――、思い出せない」 クラエスは何も言わなかった。ただ彼女は俺の頭を撫で続ける。俺はそれがとても心地よくて、暫く彼女に身を任せていた。 食堂でトリエラが口を開く。「今日もエルザとデートなのかい? 私のブリジットくん」「あらあら嫉妬される殿方は私の好みじゃありませんわよ。トリエラさん」「痴話喧嘩は他所でして頂戴。トリエラにブリジット」 三人で昼食を取るのは久しぶりだった。主に俺が仕事やら寝坊やらで彼女たちの生活時間から離れていたので、三人そろう事が中々無かったのだ。 トリエラはトマトスープのパスタ。クラエスはクリームソースのパスタ。俺は大量のシチリア風ピザを食べている。「でも本当に好きだね、ブリジットは。シチリア風のピザ」「もちもちして美味しいからね。ローマ風のピザは硬くて嫌い」 出会ったばかりのころは、トリエラとクラエスの二人は俺の偏食を治そうと躍起になっていた。如何にトマトスープが素晴らしいか、カジキマグロのステーキが尊いかを二人して延々と語られたのだが、元日本人の俺としてはイタリア料理がどうしても口に合わず、結局シチリア風のピザと大多数の菓子類が主食になってしまった。「ま、いまさらブリジットの好き嫌いを語るのは不毛なことなので、最近のエルザとブリジットの蜜月関係について聞いてみようか」 トリエラが顔のにやけを隠そうともせずに俺に迫る。 絶対ヒルシャーと出来た頃には痛い目にあわせてやる、と内心毒づきながらも俺は出来るだけ平静に答えた。「蜜月も何も今はチームを組んでるだけ。格闘訓練やら射撃訓練も一緒だけど、それほど仲は良くないよ。私は目の敵にされているから」 そう、エルザと組んで早一週間。 彼女が俺に向けてくる感情が、決して親愛でないことなどとうの昔に気がついていた。 それは嫉妬なのか単純に嫌われているのかは分からない。ただ彼女が俺に敵意を見せていることだけは漠然と理解している。 そして嫌われる理由も。「なに? あの子の前でアルフォドさんといちゃついたりしてるの? そりゃあ嫌われるかもね」 トリエラのからかいに俺は反論できなかった。何故ならそれは半分以上は事実で、俺自身が後ろめたく感じている部分だからだ。 合同訓練の後アルフォドが声を掛けてくる。それだけでエルザの視線は俺を射抜くような色をもち、俺が褒められでもしたら、こちらが寒気を覚えるような殺気を放つ。 正直そろそろ気力の限界だった。いつ彼女がラウーロに――、もしかしたら俺に暴走した憤りをぶつけて来るのか分からず、ストレスだけが蓄積する。 最近夢見が悪いのも、眠りが長いのも恐らく無関係では無い筈だ。「でもあの子も可哀想よ。あれだけ担当官のことを好いているのに何の反応も返して貰えない。奇跡的に何か反応を貰ってもそれは罵倒と暴力だけ。あなた達なら耐えられる?」 クラエスの一言に俺とトリエラは食事の手を止めた。俺もトリエラもウンザリするくらい担当官に世話をして貰っている。もしそれに慣れきってしまって、エルザに同情しているだけならそれは大罪だ。「ねえ、クラエス。どうしてエルザはラウーロさんに優しくしてもらえないと思う?」 トリエラがそう聞くのを俺は黙って聞いていた。トリエラの疑問は俺が以前から感じていたことでもあり、今でも解決に至っていないモノだ。 クラエスはコーヒーを口に含み、暫く思巡した後こう答えた。「それは私たちが義体だからよ。確かにヒルシャーさんやアルフォドさんは私たちに優しくしてくれる。それは何故? おそらくあの二人はあなた達のことを一人の女の子―-人間として扱っているからよ。人はね、人にはとても優しくなれる生き物なの。でもそれが唯の人形ならそうはいかないわ。人形には人形の接し方があるから。人と人形は違うの」「つまりエルザは人間らしくないからラウーロさんに優しくしてもらえないということ?」「それは分からないけれど、もし彼女があなたやブリジットのように振舞うようになったら少しは好転するかもね」 クラエスがそう言うのを聞いて、俺は少しだけ今後の活路が見えた気がした。 エルザが人間らしくなる。 口で言うのは簡単だが、それは非常に困難なことだろう。 彼女に掛けられた条件付けは硬い。だが条件付けを上手いことかわす、若しくは利用することによって彼女を人間らしくすることが出来るのではないか。 考え出せば止まらなかった。急いで残りのピザを放り込むと俺は席を立つ。 トリエラとクラエスが何か口を開くが、俺は構わずに食堂から飛び出した。 今日は午後から格闘訓練がある。もちろんエルザとマンツーマンの訓練だ。 これから自分が何をしようとしているのか、まだよく認識していない。でも何もせずにこのまま指を咥えて見ているよりも遥かにマシな筈で、 エルザが救えるような気がしたから、俺は走り続けた。 今日はケーキの匂いじゃなくて、トマトケチャップの匂いがした。 それでも彼女の匂いは基本的に甘く、油断をすれば直ぐに気を許してしまいそうになる良い匂いだった。 だから彼女が繰り出した徒手空拳は的確に私の額を捉えてくる。「つっ!」 寸でのところで自分の腕を割り込ませてブリジットの腕の軌道を逸らす。それでも彼女は焦りの色一つ見せず、今度は回し蹴りを放ってきた。 しなやかな質量を持った一撃が私を吹き飛ばす。 ここ最近の訓練で思い知ったことだが、私はブリジットに全ての面で負けている。速度は彼女の蹴りや突きをかわすのが精一杯で、反撃をすることなど出来ない――つまり圧倒的に押し負けている。 筋力も、体格の違いが相まって到底適うものではない。 その証拠に回し蹴りの後に繰り出された膝蹴りを私はモロに喰らってしまった。 世界が暗転して、背中に衝撃を感じる。口の中に土と血の味が広がって、私は敗北を噛み締めた。 ブリジットが私を見下ろす。 私はそんな彼女を見て、自分の中に渦巻く嫉妬と憎悪の念が急速に膨れ上がっていくのを感じた。 どうしようもなく胸が焦がれて、どうしようもなく情けなくなって、私はブリジットに掴みかかろうとする。 けれどその気勢を見事にそいで見せたのはブリジット本人だった。「ごめんね」 その一言に握り締めた拳が弛緩する。掴みかかろうとした彼女がとても怖くなって、私は動くことが出来なかった。 倒れこんだ私の隣に彼女が腰掛ける。ブリジットの白い手が私の頭を撫でた。 反射的に瞳を閉じたが、彼女は黙って頭を撫で続ける。 そして私はそのまま、訓練再会の合図が鳴らされるまで彼女に撫でられ続けた。 次の日は射撃訓練だった。二人並んでアサルトライフルのバーストの練習をしている。 ここでもブリジットは完璧で、全ての的を手際よく倒し続けていた。一方の私はミスショットばかりでいつまで経っても規定の枚数を打ち抜くことが出来ない。 そのうち当てなければならないという焦りと、ブリジットに負けたくないという悔しさからか的にかする事も無くなった。 そんな時、ふと救いの手を差し伸べたのはまたブリジットだ。「ほら、ゆっくり落ち着いて。当てようとするんじゃなくて当たると思えばいいんだよ」 バーストで硬直していた私を後ろから抱きかかえ、彼女はアサルトライフルにロックを掛ける。すると彼女は私の手に自らの手を添えて、再びロックを外した。「いくよ」 私が引き金を絞る。跳ね上がろうとする銃口を彼女が私の左手を掴んで押さえ込んだ。ブリジットの補正を受けたライフル弾は寸分違わず的に吸い込まれていく。 直ぐにマガジンが空になり、射撃が止まる。彼女は起用に私を抱きかかえたままマガジンキャッチを外すと、新しいマガジンをセットした。「ほら、今度は一人でやってごらん。当てるんじゃなくて勝手に当たるの」 ブリジットがそっと離れて、ケーキの匂いが鼻をかすめた。私は以外に冷静な自分に驚きながらも狙いを付けて引き金を引いた。 断続的な発射音と共に的が吹き飛ぶ。 後ろでブリジットが歓声を上げた。彼女は手を叩いて喜ぶと、射撃を終えた私の頭を撫でた。 私の頭はブリジットのせいでくしゃくしゃになる。でも私は彼女を振り払う気にはなれず、そのまま成すがままにされていた。 二人で共同の任務に当たることになったのは、それから少し経った頃だった。 与えられた仕事はそれ程難しくない。 左寄り過激派グループの殲滅戦だ。私の技量もブリジットと組むことによって以前より向上していたし、何より私を鍛え上げたブリジット本人と任務に当たるのだ。 失敗するほうが難しい。 私はアジトに突入するときも何処か気楽に構えている節があった。 だが、その慢心が自分の首を絞めることになるとは、この時は露ほども考えていなかった。 ブリジットがスタングレネードを投げ込んだ。私とブリジットは僅かな時間差を設けて、窓から突入する。 耳を劈く破砕音と同時に、ブリジットの持ったMP5――サブマシンガンが唸りを上げた。「がっ!」 スタングレネードの光と音よって目と耳を潰されたテロリスト共は、ブリジットの放った弾丸を受けて崩れ落ちていく。私は微妙に息の残っているテロリストに銃弾を叩き込んでとどめを刺していた。 部屋に突入してまず目に入ったのは三人の男の死体と幾つかの書類、そして不自然に浮き上がったカーペットだ。 ブリジットが不自然に浮き上がったカーペットを引き剥がした。そこには慌てて閉めた為か微妙に隙間の空いた地下室の扉があった。 どうやら私たちの突入は少し前に感付かれていたらしい。 ブリジットがアルフォドに連絡を一つ取ると地下室の扉を開けて階段を下った。私は背後を警戒しながら彼女の後を追っていった。 ふと、ブリジットが足を止める。彼女はサブマシンガンを肩に背負うと、腰に備え付けたホルスターから拳銃を抜いた。 彼女が口の動きだけで、待ち伏せがいることを伝えてくる。 私が了解の意を示すと、彼女は階段を一気に飛び降りた。すると下から怒号といくつかの銃声が響き、暫くすると何も聞こえなくなって不気味な静寂が訪れた。 自分も降りるべきかと考えた頃、ブリジットがゆらりと階段を上って来る。 右手に男の死体を引き摺って。 私は思わず息を飲んだが、彼女が無事に帰ってきたことに安心して銃を下ろした。そしてそのままブリジットを見下ろしていると彼女がおもむろに口を開く。「ねえ、殲滅すべき対象は何人だった?」 私は数十分前のブリーフィングの様子を思い浮かべる。ジャンさんから聞かされた対象は左派過激グループの五人組だった。だから私はそのまま五人とブリジットに伝える。「え?」 今度息を飲んだのはブリジットだ。彼女は血塗れの顔を強張らせると右手の死体を凝視した。「一人足りない!」 ブリジットが叫び声を上げたのと、背後に気配を感じたのは同時だ。私は咄嗟に振り向いて発砲するが、背後の気配の方が早かった。 胸に何かが当たり、私はブリジットの元へ吹き飛ばされる。私を抱きとめたブリジットは階段の上に向かって三発ほど銃を放った。「エルザ!」 床に転がされて、胸元をブリジットが引き裂いた。 彼女の両手が真っ赤に染まって、自分の受けた傷の深さを知る。「しっかりして!」 彼女の叫びが喧しくて仕方が無いのに、私の意識はどんどん虚ろになっていく。 ブリジットが襟元のピンマイクに何かを叫んだ。「アルフォドさん! エルザが撃たれました! 早く車を!」 義体の身体がそうさせるのか、それとも致命傷過ぎてどうしようもないのか、私の身体からは体温が失われいよいよ意識を保つのが困難になってきた。 ブリジットに無理やり負ぶわれ、そのままどこかに運ばれていく。 私が意識を手放す瞬間に感じたのは、彼女特有の甘いケーキの香り。 いつもなら絶対ラウーロさんのことを思い浮かべるのに、その日だけは何故かブリジットのことをずっと考えていた。