私にはあの人しかいないのに、あの人は私を必要としていない。 私はこんなにも愛しているのに、あの人は私を愛していない。 そのことに気が付いたのはこの前の“仕事”の時だった。 いつものように、私はラウーロさんと五共和国派のアジトに向かった。今回は同半としてもう一組のフラッテロもいる。そのフラテッロの義体の女の子は夜空のような漆黒の髪をしていて、とても綺麗だった。 銃撃戦になった時、その女の子は強かった。 私は銃の扱いに自信がある。周りにも上手いと言われて十分そのことを自覚していた。でも、その女の子を見たとき私は自分がまだまだ甘かったと気付かされた。「アルフォドさん! 二階のバスルームでエルザが目標を確保しました!」 私が男の人を拘束している間に、その女の子は一人で廊下からやってくる敵と戦っている。片手でアサルトライフル――M4A1を振り回し、絶え間く銃弾の雨を降らせている。「ブリジット、今トリエラ達が西側から上っている。あと十秒そこを確保しなさい」 女の子が弾切れになったアサルトライフルを捨てた。サイドアームのシグを取り出してスナイピングにスタイルを変える。彼女の撃つ銃弾は一切の無駄が無く、全て哀れな男の人たちに吸い込まれていった。 私は彼女が戦う姿に見惚れた。黒い髪が翻り、血と硝煙の匂いに混ざって甘いケーキの香りがする。 余りにも幻想的で、美しかったから私は足元の拘束した男のことをすっかり忘れていた。 だから、拘束用のワイヤーが緩んでいたことにも気付かない。「エルザ!」 突然彼女が振りかえって叫び声をあげた。見れば足元の男が落ちていたガラス片をナイフ代わりに私を押し倒そうとしている。咄嗟に銃を抜くが、男が余りにも近すぎて狙いが定まらない。「っ!」 私は刺されることを覚悟して、身を強張らせた。だがその私の行為は見事無駄に終わる。振り返った女の子が廊下に何かを投げてこちらに飛んできた。「エルザから離れろっ!」 女の子が投げたのはスタングレネードだと気が付いた時、女の子と拘束していた男は窓ガラスを突き破っていた。 女の子は私に掴みかかっていた男に体当たりして、勢い余って外に飛び出してしまったのだ。「あっ!」 女の子に手を伸ばそうとするが、飛び出していく速度が速すぎて間に合わない。手のひらは虚空を掴み、女の子が視界から消えていく。 私はどうしようも無くなって、彼女の名前を叫んだ。「ブリジット!」「それにしても驚いたよ。壁をよじ登っていたら男とブリジットが落ちてくるんだもん。ほんとびっくりした」 トリエラはそう言って、俺の背中に氷が入った袋を押しあてた。鈍痛が和らいでくのを感じて、俺は息を吐いた。「でも助かった。下にホロが無ければ打撲じゃ済まなかったから」 そう、俺と男は運よく下の店に掲げられていた屋根のホロに落ちたのだ。これがアスファルトの上なら男ともども血の花を咲かせていただろう。「折角クラエスがミラノから帰って来たのに、早速入院したらあの子がうるさいよ」「まったく、クラエスせんせは小言が多いから」 トリエラが声をあげて笑い、俺もそれにつられて笑った。こうして胸を上下させても嫌な感じはしないから、骨に異常は無いようだ。「さて、一応レントゲン取った方が良いけど、ここじゃ冷やすぐらいしか出来ないから冷湿布でも貼っていく?」「いや、気持ち悪いから良い」 脱いでいた服を手早く着こみ、机に置いておいたコートを羽織った。懐のホルスターに収まったシグのせいか、少し重い。「ヒルシャーさんは?」「現場検証と尋問。ジャンさんが来るまではあの人が一番偉いから」 俺たちは設置された医療用テントか出る。 テープで囲まれた五共和国派のアジトは警察関係者でごった返していた。 俺は人ごみを掻きわけてアルフォドを探す。「ねえブリジット。あれ」 アルフォドがいたのかと思い、俺はトリエラの指差した方向を見た。するとそこにいたのはエルザとラウ―ロのフラッテロだった。「怒られてるのかな」 遠目から見ても、彼女が今日の失態を叱られているのが良く分かる。だがその叱り方が問題だ。「エルザかわいそう」 トリエラの台詞に、俺は素直に同意した。執拗な罵倒と怒鳴り声がここまで聞こえてくる。 普段エルザがどれだけラウーロに懐いても決して反応することは無いのに、彼女が何かを仕損じるとああやって出来そこない扱いをするのだ。「私、アルフォドさんを探してくるから」 俺はトリエラにそう告げて、その場を去ることにした。 今日もあの人に怒られてしまった。今日もあの人に愛して貰えなかった。そしてこれからもきっと愛して下さらないのだろう。 私はその事実にとても悲しくなって、警察が囲った現場の中を当てもなく歩いていた。 そして、私は見つけた。「痛むか? ブリジット」 公社の車のボンネットの上にさっきの女の子――ブリジットが腰掛けていた。 彼女は担当官と思われる男の人に背中を向けている。「軽い打撲ですから帰って冷やせば問題ありません」 私は近くに停めてあったパトカーの陰に隠れて二人の様子を盗み見た。「そうか。それならいい。そこはこの前手術したところだからな。異常が出たら同室のトリエラに伝えなさい」 ブリジットが担当官に向きなおる。彼女はさっきの私みたいに、担当官を見上げていた。「申し訳ございません。本当はタックルして床に突き倒そうとしたのですが、思ったより勢いが出て……」 ブリジットの台詞に、担当官は彼女の頭を撫でることで答えた。彼女の黒い髪に担当官の手が埋まる。ブリジットは眼を細めてされるがままだ。「いや、お前は良くやったよ。お陰で誰も負傷しなかった。良い子だ」 私はブリジットの担当官が言ったことを聞いて、思わず息を呑んだ。「なら今日もケーキを買って下さいますか?」「はは、そうだな。この前のナポリ出張で買ったお菓子があるからそれをあげよう」 頭を撫でられているブリジットが笑顔になる。ほんのちょっと前まで戦姫のように銃を振り回していた彼女が笑っている。 その笑顔を見たとき、私は自分の中にまるで茨の棘が生えた気がした。「帰ったら皆と食べなさい」 そして、何よりも私を動揺させたのは、彼女に向けられた担当官の笑顔。 私はあの二人に自分とラウーロさんを重ねてしまった。 私は逃げるようにしてそこを離れる。 ブリジットが一瞬こちらを見たけれど、そんなことは気にしていられない。 何故か涙が全然止まらなくて、 如何しても叫び声を挙げたくて、 とにかく一人になりたかった。