僕がこの世界に生まれてからもう二十年と七年を過ぎたとき。 あるいは彼女と出会って二年が経過したとき、所謂運命の分かれ道みたいなものに出くわした。 僕が前いた世界、わかりやすく言い換えるならば前世ではこんなことを考えたことなど一度もない。 けれど銃弾が毎日の様に飛び交い、そして兵器に仕立て上げられた少女達が毎日のように傷ついていくこの世界では、僕は物語の主人公のように苦悩し涙する。 そうだ、たとえば、今みたいに。 その世界の空は青かった。 人々の心に渦巻く憂鬱など知ったことではないと言わんばかりの快晴。僕は一人の少女を引き連れて街を歩く。僕の容姿なんてどうでも良いと思うけど、所謂ラフな服装だと想像してもらえれば幸いだ。 からっと乾いた日差しを遮るキャップに白いTシャツ。くたびれたジーンズ。センスがあるかどうかはわからないけれど、道行く人々が気にもとめないことからそれ程奇異な出で立ちには見えないのだろう。 問題は僕が連れている少女のこと。 さらさらとした長い金髪は黒いリボンでポニーテールに纏めていて、白磁のような白い肌は日差しを受けて輝いている。起伏こそは乏しいものの、それでも嘘みたいに整ったスタイルは男の視線を射止めて止まない。 瞳は鳶色で少し猫眼気味。どこをどう見ても美少女としか言いようのない彼女の名はキスカ。「ロッソ様、ロッソ様」 そして桜色の小さな唇から紡がれる声は明るい鈴みたいな声。けれど文言は年頃の少女が発して良い言葉ではない。 僕は道行く人々がまだこちらのやりとりに気がついていないことに安堵しながら、キスカの方を振り向く。「だから様付けは止めてくれと言っているだろう。せめて『さん』とかにしてくれ」「ならば条件付けで設定し直してください。私はそうあなたを呼ぶように『設定』されているのです」「馬鹿野郎。そんなことで今更条件付けのやり直しが利くものか」 そう、キスカは僕の命令ならば何でも聞いてしまうお人形――――義体だった。製品名は『義肢・サイバネティックス正式型MA02-03』 僕がこの世界で生まれ直して、やっとの思いで就職した組織から与えられた備品。人を殺すために作られた殺人サイボーグ、それが彼女だ。「ああ、融通の利かない『設定』だな。全く。一期生を見ろよ、もう少しは人間的だ。けれど君はマイルドな条件付けを受けた二期生。それなのにここまで頑固だとは。たく、どこがマイルドだ」 口から漏れる愚痴を向けるのは彼女を作った技術部の奴ら。たしかに彼女が施された処置は随分とマイルドなものだったのだろう。けれど個体差というか個人差というか、それですら彼女を『条件付け』という鎖で縛り付けるには充分だったらしい。 僕は自分に宛がわれた義体の扱いづらさに常々参っていた。「もういい。わかった。ならこの任務が終わるまでお前は僕に話しかけるな。これは『命令』だ。お前は任務だけに集中しろ」 けれどもコツさえ掴めば彼女のコントロールは簡単だ。こちらから命令だと脅せば人が変わったように言うことを聞くようになる。出会ったばかりの頃はそれなりに抵抗を感じていたが、今となってはそんな感情など邪魔なだけ。割り切りこそ、この世界を上手く生きていく妙手なのだ。「…………」 果たしてそれは彼女に伝わったらしく、首を縦に振るだけでキスカは僕に話しかけようとはしなかった。 一定の効果を得られて満足した僕は彼女を引き連れて再び歩を進める。 このとき、何故彼女が僕に話しかけようとしたのか考えなかったことを、後悔することになるとは思いもしなかった。 僕の雇い主は社会福祉公社という。表向きは児童福祉施設を装っているが、真の姿は政府に飼われた暗殺組織だ。 まるで三文小説みたいなお話だけれども、それが事実であることは常々思い知らされる。「さあ、きびきび吐いたほうが身のためだぞ。僕のパートナーはその辺の容赦が一切ない」 僕の言葉と共にキスカは拳を振り下ろした。耳を塞ぎたくなるような打撃音と共にキスカの来ていた白いワンピースが赤く染まる。彼女に馬乗りにされた哀れな男は声にならない悲鳴を上げた。 ただ僕の命令を聞くだけのお人形は手加減というものを知らない。 いや、殺さない程度は知っているのだけれど。「は、はなすから、や、止めさせてくれ!」 数分前、威勢良く僕に銃を向けてきた男の姿は何処にもない。彼は僕に銃口を捧げた瞬間、飛びかかったキスカに文字通り右腕を握りつぶされていた。 あとはワンマン解体ショーの始まり。キスカが何か行動する度に男は泣き叫び、失禁し、血を流し続けた。出来れば目を背けたかったけれど、少しでも目を離したら再起不能にしかねないのでそれは出来なかった。「おい、キスカ。やめろ。『命令』だ」 お決まりの便利ワードを告げ、キスカの暴走にも似た暴行を止めさせる。 最早四肢の原型を止めていない男は前歯のない汚い口で言葉を紡いだ。「や、奴らはクリスティアーノの隠れ家に向かった。お、俺はその仲介をしただけだ」「俺が聞きたいのはそんなことじゃないよ」 言葉と同時、キスカが男の顔面を鷲づかみにする。ぎり、と万力のような握力で握られた男は眼球を少し飛び出させながら泣きわめいた。「ちゅ、仲介した先はナポリの埠頭だ! 住所は俺の持っている鞄の中にある! それ以上は何も知らない! 本当だ信じてくれ!」 男の懇願をBGMに僕は男から取り上げたセカンドバックをあさった。すると中から癖のある文字で殴り書きにされたメモが出てきた。確かに男の告白は正しいらしい。「キスカ、もう終わりだ」 僕に頭をぽん、と叩かれた彼女は大人しく男の顔面を手放した。漸く解放された安堵からか、男の顔はだらしなくたるんでいる。 男に馬乗りしていたキスカを後ろから抱きかかえ、隣に下ろす。彼女はされるがままちょこんと男の隣に座り込んだ。「有り難う。礼を言うよ。これで課長にどやされることはなさそうだ。そしてこれはそのお礼」 僕が手にしていたのは一丁の拳銃。ベレッタ92Fだ。キスカを抱きかかえた際、彼女が隠し持っていた拳銃を抜き取っていた。キスカもこれには驚いたのか、自分のスカートの中に隠していたホルスターを確認している。僕は素早くスライドを引くと、男の眉間にそれを突きつけた。 男の顔が絶望と哀願に染まる。「だって、君はもうまともに生きられないだろう? だから安心しろ。楽にしてやる」 銃声は一発。床に落ちる薬莢の音が嫌に響く。 呆然とこちらを見ているキスカに銃を返し、僕は男から取り上げたメモにもう一度目を通した。「それじゃあ、ちょっと出張するか。キスカ」 何の気無しにキスカを立たせ、僕はメモをポケットにねじ込む。行き先はナポリ。そこで再び地道な調査作業だ。 そして標的は社会福祉公社を裏切った一組の『兄妹』「待っていろよ。ブリジット。さくっと始末してやるから」荒削りの外伝みたいなもの。多分五話くらい。パラレルワールドなので、本編の分岐ルートみたいなもの。もともとはブリジットの初期案です。次の投稿文にこれを統合します。ようするにこれはプロローグみたいなもの。あしからず。劇場もそのうち投稿します。