「首相、合衆国大統領はなんと?」 イタリア中が五共和国派の決起にさらされ、国軍、軍警察共にフル動員されているなか、首相と呼ばれた男はホットコールの受話器を静かに下げていた。 そして目の前に立つ内閣の人員を厳しい眼差しで見つめる。「NATO軍の介入が決定した。拒否権はない。これからイタリアは冬の時代だ」 それは世界中がイタリアのみでの事態の収束を諦めた結果だった。これ以上イタリアに内戦の火種が燻り続ければ、EU諸国共々崩れると判断されたのだろう。 想定しうる最悪の事態に首相は小さく息を吐いた。「新トリノ原発での戦いは終わったそうだ。だが空港、駅、市庁舎を狙ったテロはまだまだ続いている。もしかしたら年貢の納め時なのは我々かもしれんな」 首相官邸の窓から見えるイタリアの夜は雪が降っていた。 空はひっきりなしに軍用ヘリが飛び、町中では装甲車が睨みをきかせている。決して平和な夜とは言えないが、それでも美しいと断ずるに相応しい夜の景色だった。「終わりが、近いのかもしれんな」「遅いじゃ、ないですか」 瞳を開いたブリジットは開口一番こう言った。 それはいつものように、ただ自然に、これから死ににいくものとは思えないくらいに。「これでも必死だったんだ。でも良かった。君より先に、君が先に死んでいなくて」 死に場所を探し続けていたブリジットは今こうして、アルフォドの腕の中にいる。それがどれほど幸せなことか、周りのトリエラ達は理解していた。 静かな邂逅は続く。「まあ頑張りました。もう思い残すことはないくらいに」 ブリジットの視線の行き先を追えば、そこにはジャコモの亡骸があった。泥臭く、けれど必死に掴み取った勝利の証が存在している。 原作を変えようと、少しでもマシな未来を作ろうとしたブリジットがたどり着いた答えは今ここに結実した。「ジャンさんやジョゼさんには悪いことをしましたね……」 二人の兄弟がジャコモに賭けていた思いを痛いほど知るブリジット。だから彼女は、自身がジャコモに手を下してしまったことについて思うことがないわけではなかった。 後悔ではない、もっと別の何か。「……ジャコモにお前は死に場所を探している、って言われました」 アルフォドの背中に手を回し、ブリジットは顔を彼の胸に埋めた。浅い息を幾つか繰り返し、そして続ける。「私の死に場所はここです。だから見守ってください。私が死ぬところを。ブリジットという名の少女が生きた軌跡を」 アルフォドは黙ってブリジットの体をかき抱いた。銃創に犯され、ボロボロになってしまったブリジットの体を。 こんなにも小さかったのか、こんなにも細かったのか、と脳裏に走る懺悔も今となっては遅いものだった。「……そして生きてください。私の生きた軌跡の向こうを繋いでください。それが、それだけが最期の望みです」 ブリジットの言葉にアルフォドは頷くことが出来ない。もう助けることは出来ない。もう共に道を歩むことも出来ない。目先に現れた分かれ道が怖い。 だから抗いたい。折角手に入れた、腕の中の小さな幸せの象徴を失わないために。「駄目だ、生きろ。ブリジット。それに君が死ぬときが俺の命日だ」 ブリジットがアルフォドの瞳を覗き込む。澄んだ泉のような綺麗な瞳で。そして彼女の瞳は真っ直ぐアルフォドを見つめたまま語る。「それはだめだ」と。「ここまで生きてこれたのが不思議なものなんです。……それに、あなたに追いかけられても嬉しくありません」 ブリジットの声が震えていた。 彼女は目線を逸らすことなく続けた。「ごめんなさい。嘘です。私は死にたくない。まだ死にたくないです。……だって、折角全部終わったのに、こんなのってあんまりじゃないですか。私が何をしたっていうんですか。何で私が死ぬんですか」 全ての戦いが終わったとき、溢れてきたのは今まで気がつかないフリをしていた感情の全てだった。 それはブリジットがこの世界に生まれ落ちたときから抱いていた悲しい心。味方一人いない世界で、一人で生きていかねばならなかった彼女の本音。 憑きものが取れたように、全てを振り払うように生きていた彼女が最期の最期に漏らした本音だった。「なんで私が、義体なんかに、なって、好きでもない、イタリアのために戦って、無理矢理好きにさせられた男を、愛して、戦って、死ななければ、ならないん、だ、」 本音と共に溢れた涙が止まらない。 ブリジットはアルフォドの首に掴み掛かった。「もっと幸せに生きたかった! もっと誰かに愛される人生が良かった! あなたたちが、あなたたちが全部それを壊したんだ! 私はジャコモを、ピノッキオを、ユーリを殺してきたのに! あなたたちは何もくれなかった。自分で手に入れるしか無かった!」 ぎり、と掴み掛かった手に力が入る。周りで呆気にとられていたトリエラとペトラが我に返り、ブリジットを止めようとする。しかしアルフォドはそれを手の動きだけで制した。 彼は何も言わなかった。「嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくないよ! 私、死にたくない! 助けてよ、トリエラ。助けて、ペトラ、……助けて、エルザ。私、君みたいになれなかったよ。ごめんよ、ピーノ。私君みたいに死ねない」 ブリジットの手がアルフォドから離れる。掴み掛かる力すら失ってしまった彼女は無残にも床に崩れ落ちた。己の作った血溜まりの中で手足が震える。「死にたく、ない。死にたく……」 声が、どんどん小さくなっていく。だがそんなブリジットを再びアルフォドが抱き上げた。「ならば、共に死のう。ブリジット。俺は君を一人にしない」 いつの間にかアルフォドの手には拳銃が握られていた。それをブリジットの手の平に掴ませる。彼女ははっ、とした表情でアルフォドを見上げた。 引き金が指に掛かる。「愛している。ブリジット。地獄へは共に行こう。永遠君と共にいよう。だから怖がらないでおくれ。君の涙は必ず拭いてみせる」 ブリジットが引き金を引いた。アルフォドに抱かれながら、唇を深く深く互いに合わせながら引き金を引いた。 結論から言ってしまえば、この弾丸が、ブリジットが生涯最後に撃ち放つ弾丸だった。 最終話 ブリジットという名の少女 【これがブリジットということ】 ――――床を穿った弾丸は火花を散らした。 ブリジットは弾痕の行く末を静かに見つめると、銃を床に捨てた。「私に必要なのは、こんな銃じゃないよ。アルフォド」 アルフォド腕の中にいるブリジットはもう一度唇を重ねた。最期のキスはブリジットとアルフォドの、それぞれの血の味がした。「ごめんなさい。迷いは捨てれそうにないけど、持って行く覚悟は出来た。やっぱりあなたは死んじゃ駄目だ」 笑顔は壮絶なものだった。その場にいた人間が誰一人として言葉を忘れるような、そんな笑み。「だってあなたは、私の幸せそのものだから。――――最期くらい、それくらい守り通してみせる。全部壊してしまった私だけど、これだけは譲れない」「さようなら。私の愛しい人。さようなら、私の大切な友達。私は幸せになります」 ふらり、とブリジットが倒れる。慌てて抱き留めたアルフォドが何を告げても、彼女が言葉を発することは永遠にこなかった。 ブリジットは、ブリジットという名の少女は、義体らしく担当官の腕の中で死に、幸せな少女らしく、愛する人の腕の中で死んだ。 彼女が手に入れたのは、大きな銃ではない。 たった一つの小さな幸せだった。 ここに、ブリジットという名の少女の生きた物語は終わりを告げた。 いつかきた、真っ白な空間でブリジットは一人立ち尽くしている。 彼女は心細い気持ちで歩みを進めた。すると目の前に二人、懐かしい顔を見つけた。「ああ、ピーノ。エルザ、ここにいたんだ。ありがとう。二人に言われたとおり、もう少しだけ生きてみたよ」 歩き出した彼女の足は止まらない。 こちらを見守る二人に向かってただ歩き続ける。「楽しかったよ、今までありがとう」 そこから先、ブリジットが何処へいったのか、知る人はいない。 ブリジットという名の少女 END 第十章あとがき。 ブリジットという名の少女。二年掛けて完結しました。多分エンディングには賛否両論あると思いますが、ブリジットの生きた道はこれで終わりです。 次回作は何も考えていません。強いていうならチラ裏のやきうを本職にするくらいでしょうか。あちらもぶっちゃけWBC編くらいの構想はあるので書こうと思えば一番楽です。 感想欄にて個別に名前を出すことは出来ませんが、二年もの間この作品を見守ってくださった読者の方々、あなた方のお陰でブリジットは完結しました。何度途中でエタろうと思ったか数え切れないくらいです。 感謝のしようがありませんが一言だけお願いします。本当にありがとう。 さて、同じArcadiaにて連載をされている「主」さまがこの作品の三次創作を書かれています。本当に有り難う御座います。楽しく読ませて頂いております。是非ともブリジットを救ってやってください。 最後に、このお話の後日談のようなものを近日中に投稿することだけを報告してあとがきとさせて頂きます。しつこいようですが今まで本当にありがとう御座いました。 またいつか出会える日がくることを心待ちにしております。