私たちって、何のために産まれてきたんだろう。 私たちって、誰に望まれて産まれてきたのだろう。 私たちって、何のために生きるのだろう。 私たちって、誰のために生きていけばいいのだろう。 私たちって、誰の腕の中で死ねるのだろう。 答えはまだわからない。【ブリジットという名の少女】 リコの背後で誰かが動いた。振り返れば胸にナイフを突き立てたジャコモが立っている。リコは咄嗟にブリジットが腰に差していた拳銃を抜いたが、ジャコモはそれを蹴飛ばした。「ジャコモ、ダンテ……!!」 憎悪に塗れた目でリコはジャコモを睨み付けた。ブリジットが文字通り、己の命を賭して討ち取った相手がまだ生きている。その衝撃たるや計り知れないものがあった。 ジャコモは体力が切れ、身動きが取れないリコをブリジットからはぎ取る。「やめろ!」 動かないブリジットを乱暴に担ぎ上げたジャコモへ手を伸ばす。だが彼女の白い手はすんでのところで届かなかった。 リコの手からブリジットが離れていく。「もしもお前の担当官が来たらこう伝えろ。公社の狗」 こちらから見上げるジャコモの影は大きい。己の担当官が全てを駆けて追い続ける男は遠い。「核のもとで会おう、諸君らよ」 ペトラ達と合流したトリエラは、テロリスト達の攻勢が静かになったことへ不信感を覚えた。「ヒルシャーさん、ちょっと静かすぎませんか?」 ペトラとヘンリエッタに機銃座を潰され、それに怖じ気づいたのかこちらへ攻撃を仕掛けてくるテロリストがいない。前へ進むチャンスと言えばチャンスだがあまりにも不自然すぎる。 ヒルシャーは口元に手をやりながら思考を巡らせた。「わからない。だがもしかしたら……」 そう言ってヒルシャーは天井を見上げた。それは原発の制御室などが集まる区画がある場所。「核、か」 マルコーの呟きにヒルシャーは頷く。アレッサンドロが核の存在を確認、もしくは破壊に成功したという知らせは入ってきていない。 だからこそ気になるというのがその場にいた全員の本心だった。それに音信不通となったジャンとリコのチームも心配だ。「どうしますか? このまま全員で上がりますか?」 トリエラが天井を指さしヒルシャーに問う。それに答えたのはヘンリエッタの傍らに立っていたジョゼだった。「いや、ここで二手にわかれよう。課長に命じられた命令もある。僕とマルコーは引き続きジャコモの捜索だ。ヒルシャーとペトラはアレッサンドロが一人で向かった制御室へ急いでくれ」 ジョゼの提案に反対する者はいなかった。 一人で核を確認しに向かったアレッサンドロを案じる者、何処かへ潜んでいるとされるジャコモを追う者、それぞれ違った目的を抱えてるが目指すことは同じだ。「必ず生きてまた会おう。では状況開始だ」 ジョゼの号令に全員が応、と答える。戦いの終焉は近い。そう感じさせるような声色をそれぞれが含んでいた。 目が覚めたのは女の悲鳴の所為だった。「あなた……!!」 縛られながらも誰かがこちらに縋り付いてくる。重いまぶたをゆっくりと開ければ、視界に映ったのはいつぞやの検事の顔。「こんなに傷ついて……」 ブリジットは震える両手で己の体をかき抱いた。腹部には深部に達していないものの数発の銃創。そして打撲と打ち身が全身。極めつけは失われた左足だ。 だが彼女の驚きはそこではない。「生き、てる?」 そう、ブリジット自身がもう終わりかもしれないと悟った以上、彼女が生きていることは奇跡に等しかった。 さらに足から吹き出ていた出血はいつの間にか鳴りを潜めている。「それは安定剤の所為だ」 声は検事とは反対方向。見れば制御室の机の上で己の胸に刺さったナイフを引き抜いているジャコモがいた。粘つく血液を振り払うようにナイフが床に捨てられる。 ブリジットはそんなジャコモを睨み付け、視線だけで台詞の続きを促した。「お前に投与した安定剤は肉体が本当の限界に近づいたとき仮死状態にさせる効果がある。血圧を極端に下げ、それこそ一時的には心配が停止したと錯覚するほどにな。そこから目覚めるかどうかは運次第だが、どうやらお前は賭けに勝ったようだ」 言われて思い出すのはフランカが直前に打ち込んだ注射だ。不安定な義体機能を補うためのものだと思い込んでいたが、まさかそのような効果があるとはブリジット自身も知らずにいた。「だが次はないと思え。いわばお前は死人だ」「なら何故ここに連れてきたの? そのまま見捨てて殺せばいいじゃない」 ブリジットは回らない頭で疑問点を確認していく。それは何故ジャコモが彼女をここに連れてきたのか、ということだ。 一度とは言え、ブリジットは完全にジャコモを負かせてみせた。そして殺そうとも。ならばそんな相手、あのまま捨て置けば良かったのだ。「さあな、自分でもわからん。だが確信はある。お前はまだまだ面白いと」 アシクとロベルタを置き去りにした二人の会話は、まるで積年の友人同士のような雰囲気を持っている。それはとても、数刻前まで本気の殺し合いをしたとは思えないほどに。「お前は信念を持っていない。なのに戦う。今回もクリスティアーノと共に国外へ逃亡すれば良かった」「それは嘘だ。私はアルフォドと共に生きたいから戦う」「ならお前が目覚めた、いや、正気を取り戻したときに無理矢理にでも俺たちから連れ出せば良かったのだ。だがお前はそれをしなかった。それが何故なのか俺にはわかる」 ブリジットの言葉が止まる。 それはブリジットが常々思い続けていたこと。何故自分が戦うのか、何故自分がここまで来たのか。 アルフォドを愛しているだけでは説明出来ない、自分が戦う、もっとも根本的な理由。 それがジャコモの口から語られる。「お前は死に場所を探しているんだ。己の終焉に相応しい、望む限りの死に場所をな」 凍り付いたのはロベルタもアシクも同じだった。だがもっとも衝撃を受けたのはブリジットその人。 彼女は目を見開いたまま呼吸すら止めていた。「わからないか、小娘。お前は生きる為に戦ってきたのではない。死ぬために戦ってきたのだ」 そこで脳裏に浮かぶのはブリジットに望みを託した二人の姿だった。二人は死に際にブリジットの生を願った。今思えばあの二人の言葉は呪いだ。「お前は普通の死では満足できない。理由は知ったことではないが、お前は満足のある死を望んでいる。その為に今も生きているのだ」 ピノッキオとエルザ、二人の生を踏み台に生きていたブリジットは本人が知らないままに呪縛を受けていた。それは生きることを強制するものではない。二人に対して胸を張って誇れる死を望むものだったのだ。 そのことをジャコモに指摘されたブリジットはようやく動きを見せた。 笑い声という音を持って。「……なんだ、そういうことだったのか」 こころの中に引っかかっていた最後のとっかかりが消えたとき、ブリジットは笑顔を見せた。 それはこれから死ぬとは思えない、人間らしい綺麗な笑み。「本当、お前には感謝してばかりだ、ジャコモ。これで心残りがないとは言わないけれど、それでも一つ消えてくれたよ」 ロベルタの肩を借りて、ブリジットは起き上がる。「だが死に場所を、いや、私と同じような生き方をしている人はもう一人いる。私はその人の腕の中で死にたい」 立ち上がることも、銃を握ることも出来ない。だが彼女にはもうそれすら必要ない。 彼女に必要なのは大きな銃では無く小さな幸せ。「それまで戦おう。ジャコモ、アシク。私の死に場所のため、後悔しないように」 ブリジットを連れて行かれたリコは己の無力さに涙した。 折角楽になったはずだったのに、ブリジットはまだ戦場に囚われ続ける。 だがそんな彼女の涙を拾う者がいた。それは胸をアルフォドに撃たれながらも、気力だけでここまでたどり着いたジャンだった。「リコ」 呼ばれてリコはジョゼに縋り付いた。それはジャコモを殺しきれなかった謝罪、そして友人を守り通せなかった懺悔。 だがジャンはリコを叱りはしなかった。ただ彼女の髪をかき抱き、静かに抱きしめる。「安心しろ、リコ。ここからは俺の戦いだ。お前はもう休め」 リコを復讐の道具として見続けていた男の静かな声。それにリコは涙を止めた。「ジャンさん?」「俺はアルフォドに負けた。だからこそ、この様だ」 身につけた防弾チョッキの隙間を縫って穿たれた一つの穴。左胸に空いた小さな穴はジャンの命の残りを教えてくれていた。 リコはいや、と首を振る。最も大切な人が死のうとしている中、何も出来ない自分に殺意すら覚えている。「俺は残りの命をジャコモを殺すために使う。それまで動けないお前を連れて行くことは出来ない。だからお前は生きろ。お前のためだけに生きろ」 リコの願いは届かない。自分を連れて行って欲しいという願いも、自分の為に生きて欲しいという願いも。 何も届かない。「リコ」「嫌です!」 リコの手から再び誰かが離れていく。掴むことの出来ない非力さは何の罰なのか。 背中を向けたジャンが歩みを再開する。「ありがとう」 ジャンが目の前から消えてから、 戦場に響くリコの泣き声が止むことは無かった。