二人の少女が木製の丸机を挟んで向かい合っている。一人は腰まで伸ばした黒い髪に同じ色の瞳を持つブリジット。 もう一人は金髪のツインテールに褐色の肌をしたトリエラだ。 ルームメイトの二人がこうして椅子に腰掛けているのはそれ程珍しいことではない。今までも茶会やお互いの担当官の話をするときはこのような形を通してきた。 だが今日はいつもと違ってる。 二人の前に広がっているのはケーキと紅茶ではなく開封された生理用品。それぞれの顔には苦悶が浮かび、テーブルの木目を凝視している。 トリエラは脂汗を掻きながらも比較的落ち着いており、まだ余裕がある。 問題はブリジットで、思い出したように自らの爪を噛んでは内臓からくる痛みに耐え続けていた。「ブリジット……」「黙ってトリエラ。私に話しかけないで」 本当に痛くて痛くて堪らないから。「そんなに酷いの?」 トリエラが自らの痛みを押して俺に話しかけてくる。俺としてはもう何度も経験して、痛みに慣れていた筈なのだが今回のは過去とは比べ物にならなかった。「あれかぁ、きっと薬が増えたせいだ」 そう、原因として考えられるのは義体専門の医師――ビアンキから渡された薬の種類が3種類ほど増えたからだ。 五共和国派に撃たれてからというもの、俺の状態は余り宜しいとは言えず、毎日の食事プラス常備薬増という何とも笑えない生活が続いている。「先生に相談したら? もしかしたら生理痛の薬をくれるかもしれないよ」 トリエラの提案に俺は首を振る。俺はアルフォドを伝って前にも生理痛の薬を貰うよう頼んでみたのだが、今飲んでいる薬との兼ね合わせが出来ないとかで却下されていたのだ。「薬のせいで味覚も鈍ってるからケーキも美味しくないし、踏んだり蹴ったりだ」 俺のいらいらは収まらない。 トリエラとケーキを食べて肉体の不調を感じた時、俺は悲しみを覚えるよりも怒りを覚えた。 普通に過ごしていても何時か終りが来る体だというのはわかっている。でも、自らの失態で寿命を縮めるということは最も避けなければならない事だったのだ。 俺は自分の間抜けさを盛大に呪い、俺に銃弾をくれた五共和国派を恨む。 トリエラは俺の苛立ちを察したのか何も言わなくなり、部屋の中は険悪といった方が意味合い的には正しい空気で満ちていく。 そんな義体年長組の巣に突然訪問者が現れた。 アルフォドかヒルシャーが見舞いに来たのかと、扉のほうを見やるが当てが外れた。 そこに立っていたのは小さなボブカットの少女。「二人とも、大丈夫?」 義体年少組の一人、ヘンリエッタだ。 「ドービー、グランビー、スニージー、スリービー」 ヘンリエッタが部屋に飾ってある熊の縫いぐるみを指差していく。「それにハッピーとバーシェフル、もうすぐ小人が7人になるね」「こいつらも、もうそんなに揃ったか……」 ヘンリエッタの相手をしているのは比較的余裕のあるトリエラだ。俺は遂に根を上げ、ベッドに潜り込んで二人の会話を聞いている。「いいなあ、私も欲しい」 今さら思いだしたことだが、この展開は原作の一巻の中盤辺りの話だ。 確かこの後トリエラは盛大にヒルシャーの愚痴をぶちまけて、マリオ ボッシ(カッモラ)の護衛に向かうのだ。 トリエラはそこで自分の出生の手掛かりを少しだけ掴むことになる。「貰っても嬉しいことばかりじゃないよ。あの人は私の好みも考えないで同じものばかり贈ってくるから」 熊の縫いぐるみを小突きながら、トリエラがこちらを見た。「その辺りブリジットは羨ましいよ。アルフォドさんはブリジットの好みをしっかりと把握しているじゃないか」 俺は声には出さず、首を振るだけで肯定の意を伝える。トリエラの言うとおりアルフォドが差し入れるのは、服を除いて俺の好きなものばかりだ。「そうだ、私ブリジットに伝言を頼まれていたんだ」 そう言うとヘンリエッタは俺のベッドに近寄りポケットから折りたたまれたメモを取り出した。それは見覚えのあり過ぎる、アルフォドが良く使うメモ用紙だ。「アルフォドさんから? 愛されてるね、お姫様は」 トリエラの軽口を無視して、俺はメモ帳を広げた。アルフォドがこうやってメモ用紙を介し要件を伝えてくるときは大抵彼にとって後ろめたいことが書いてあるので、俺は余り気が進まない。「…………」 メモ帳を一読し、ベッドの脇に放り投げる。ほんと、碌でもない事が書いてあった。「どうしたのブリジット?」 ヘンリエッタの小さな手がメモを拾い上げる。別に読まれても困るものではないので俺は「見ていいよ」と呟く。「ん? これは困ったなぁ。ナターレのパーティーが出来ないじゃないか」 いつの間にかトリエラもメモを覗き込んでおり、好き勝手にコメントを残してくれた。「結局さ、ヒルシャーさんもアルフォドさんも変わらないよ。あの人たちはこちらの都合なんかお構いなしなんだ」 メモに書かれていたその内容―― ごめんブリジット。 ナターレは二人で仕事だ。「で、ブリジットの調子はどうなんだ」 俺はコーヒーをビアンキに手渡しながら、彼女のことを問うた。彼はブリジットの条件付けを任された医師だから誰よりも彼女の状態に詳しい。。「正直思っていた以上に症状が進んだな。記憶の欠落はホテルでの件にとどまっているが、体のほうは味覚が異常をきたした」「……本当かそれは」 俺は彼女の退院当日にしたことを思い出して血の気が引いた。俺は何て馬鹿な事をしたのかと後悔する。俺はあの日彼女にホールのチョコレートケーキをプレゼントしてしまった。「ああ。彼女の話によれば目覚めた日に違和感を感じてそれからはなし崩し的だったそうだ。幸いまだ甘味や辛みは感じられるが微妙な味の変化、口の中の乾き具合は判断しにくいそうだ」「他には何かあるのか?」「今の所は何も聞いていない。まあ彼女のことだから我慢しているものがあるのかもしれないが」 ホテルで暴走したブリジットに用意されたのはさらなる洗脳だった。 彼女はホテルでの件を完全に忘れさせられ、命令に背くことが出来ないよう服従の面からのアプローチを大幅に強化された。当然のことだが肉体への負担は大きい。「彼女は一期生の中でもとりわけ強固な条件付けを受けているから、命令に背くことなど出来ない筈なんだがな。やはり何処か不具合が生じているのか」「なあ、ビアンキ。それは彼女が整形までさせられたことと何か関係があるのか?」 俺は前から疑問に感じていたことを口にした。今いる一期生の後に生産される義体は整形を施される予定だと聞いているが、一期生では普通、素体時の容姿がそのまま反映される筈なのだ。「多分関連性はあると思う。唯でさえ薬漬けで負担の大きい義体化だ。それに加えてあそこまで大幅な整形を施せば後は想像に難くない」 ビアンキは嫌になるよ、と頭を振った。「今日はもう良いのか」 しばらく無言でコーヒーを啜っていたらビアンキが口を開いた。「あと一つだけ聞かせてくれば」 俺はコーヒーの暗い水面を見つめたまま続ける。「ブリジットは偏食家で物を食べさせるのに苦労するんだよ」 俺が彼女に唯一手を焼かされたところだ。 ビアンキは黙って俺を見つめている。「最初のころは命令で無理やり食べさせてやろうかと思ったが、あの子がケーキを美味しそうに食べるのを見て考えが変わった」「あの子は俺たちとは比べ物にならないくらい苦しんでいる。だから好き嫌いぐらい目を瞑って好きなものを沢山食べさせてやりたいんだ」 俺はいつも自分の隣にいる少女のことを思う。「ブリジットはいつまでケーキを食べていられるんだ?」 ビアンキが答えを口にした。俺は裁判官から刑を聞かされる囚人の気分でそれを聞いた。彼が言うには若干の誤差があっても、時期的にはそう変わらないという。「義体の技術は日々進んでいる。上手くいけば彼女を幸せに出来るかもしれない」 ビアンキの励ましは所詮励ましでしかなかった。 それはクリスマス(ナターレ)の日のこと。 俺はアルフォドと一緒に、カンピドリオ広場に来ていた。「今日の仕事はとあるカモッラの暗殺だ。名はロレンツォ。どうやら五共和国派の幹部と接触するため、潜伏先のドイツから入国したらしい」 仕事の内容は久しぶりの暗殺だった。最近公社内でも俺の実力に疑問符が付けられていると感じているので、これは全てを挽回する絶好のチャンスだ。 アルフォドは懐から写真を取り出し、俺に手渡す。「この左端の男だ。昔から五共和国派との関わりが噂されていたが最近やっと尻尾が掴めた」 俺は写真をコートの裏ポケットに仕舞う。 今日のアルフォドと俺は少し年の離れた兄妹という設定で行動しているため、服装はベージュのワンピースに黒のフェルトコートと少し幼めに見えるように選んであった。「作戦決行は本日午後七時。あと一時間ほどだ。本部の連絡では先ほど潜伏先のホテルを出発したそうだから市場の手前で待ち伏せする」 アルフォドが歩きだしたのを見て、俺は彼の後ろについていく。 カンピドリオ広場はクリスマスのためか人通りが多く、アルフォドから少し離れてしまうと逸れてしまいそうだった。「待って、兄さん!」 如何してかわからないが、今日のアルフォドは足取りが速い。義体の俺でも歩幅の差か、意識して歩かないと置いていかれてしまう。 俺はそれが堪らなく寂しくて、思わずアルフォドの腕に飛びついていた。 アルフォドはそれを見て、少し驚いたような顔をした後こう言った。「妹よ。楽しいナターレはのんびりしていると終わってしまう。だから今を楽しみなさい」 俺はアルフォドの言っていることの意味がよくわからなかった。