・Seane 5-2・
一緒にお茶でもいかがかしら。
家庭教師を招いての午前の講義―――農耕地拡大事業における効率的な予算配分法を眠たくなるような言い回しで論じていたから、曖昧な部分に考察を加えて論破してやった―――が終了し、交易都市マサランの市長と昼食をかねた懇親会―――八割方、自身が考案した街道整備計画の成果に関する自慢話だったので、用地買収時のトラブルに関して突っ込んだ話を振ってやった――――――を追え、さて、暖炉のあるリビング―――つまり、暖炉の無い別の無いリビングも存在するわけだ、広大な王宮には―――で妹姫との恒例の茶会とでも行こうかと、そんな風に考えていたアマギリに、背後にそっと控えていた侍従がそんな風に言伝を運んできた。
誘い主は、考えるまでも無い。彼の”母”からの物であった。
たまたま廊下で鉢合わせた妹も、同じ言伝を受けたらしい。とても微妙な顔をしていた。
「もう此処にきて四十五日程度にはなるけど、お城での暮らしには慣れたかしら? ……何か、不自由な事は無い?」
畳敷きに障子窓の、純和風の部屋で―――洋装のまま―――手ずから茶を立てて子供たちを持て成しをしていたフローラは、おもむろにそんな事を尋ねてきた。
「急に言われて、取り立てて思いつく事は無いですね」
年代物の茶碗をそっと畳に置いて、アマギリは考え付くままに即答していた。
「お母様に振り回されている現状こそが最大の不自由なんですから、それ以上のものが見つかる訳が無いじゃないですか」
つんと澄ました顔で、アマギリの隣で座布団の上で脚を崩していたマリアが菓子をつまみながら言い添える。
あからさまな嫌味にしかし、母はしたたかに手に頬を添えて微笑むのだった。
「あらあら。……駄目よマリアちゃん。あまりお兄様にご迷惑をおかけしたら」
「あ・な・た・が! 迷惑をかけていると言っているんです、私は!」
「やぁねぇ、マリアちゃんたら。こんなに子供思いの母が、迷惑なんてかけるわけが無いじゃない」
「アマギリさんがこの場に居ると言うそれ自体が、貴女が叩き付けた最大の迷惑でしょうが……っ!」
言い合い、と言うよりは良い様に娘があしらわれているだけで、つまり家族の団欒以外の何物でもないそれを、アマギリは微苦笑を浮かべながら見物していた。君子危うきは、と言う心持だった。
「……はぁ。アマギリさん言っておやりなさいな、このお惚け年増に。貴方が普段どれほど気苦労を強いられているかと言う事を」
我関せずの体で茶を啜っていたアマギリに、マリアが肩で息をしながら話を振ってきた。
横目でマリアの表情を伺ってみれば、そのまんま解りやすく、あの女をとっちめろと書いてあったし、フローラはフローラで、相変わらずの微笑顔で毒を吐くのみで内心がまるで読めない。
そこで僕に話を振るのかと、一瞬喉に茶を詰まらせそうになりながらも、アマギリは何とか場の空気を安定化させそうな言葉をひねり出した。
それは別名、どっちつかず、ええカッコしいとも言うかもしれない。だって仕方が無い。無言のプレッシャーが怖いし。
「城内の皆さんも基本的に良くしてくれていますからね。……強いて言えば、自分の身の回りのことを自分が心配する必要が無いと言う事が、落ち着かないと言えばそうなりますかね」
「……と、言いますと?」
「もう、雪も降り出しそうな季節じゃないですか。この時分は普段なら、必至で越冬準備をしているところでしたからね。保存食料の買出しとか、屋根の補修とか」
それの何が問題なのかと問うマリアに、アマギリは笑って一人暮らしの苦労を語った。
「朝昼夕と、黙っていても食事が目の前に差し出され、何をするでもなく茶を振舞われ、日ごと毎夜に湯につかることも出来、ついでに衣服の心配もする必要が無いっていうのは、今までの暮らしとのギャップがあって流石に、慣れきれないですね。自分のために使う時間が減って、その分の使い道の無い持て余し気味の時間が増えたような気がします」
「着る物食べる物に困った事が無い私には、到底理解しえぬ問題ですね、それは……」
「いやまぁ、貧乏人の僻みみたいなものですからね、これは。人の苦労は人によって違いますから、マリア様のようなお立場の人が深く考える必要があるものでもないですよ」
考え込むような殊勝な態度を取るマリアに、アマギリはいっそ笑って方をすくめて見せた。
「ですが、民の安寧を考えてこその王族でしょう」
そんなアマギリのあっけらかんとした態度に、マリアは思わず反論してしまった。しかし幼少ゆえの潔白さを掲げる妹に、世の不条理を少なからず理解していた兄は、微苦笑を浮かべて首を振った。
「便りが無いのは元気な証拠―――と言うのは違いますか。……何ていいますかね、愚痴や文句って言うのは、余裕のある人しか出来ないものなんですよ。本当にどうしようもない状況に陥っている人間は、そもそも明日の食事の心配をする余裕すら無いですからね」
「……意味が、理解しかねますが」
「最底辺の生活環境だった僕すら、一ヵ月後の雪の降る夜の事を心配する事が出来る程度の余裕があったってことです。明日明後日の食事くらいなら、問題なく確保できたんですよ。底辺暮らしの人間ですら、日々の糧の心配をする必要が無かった……つまりは、何もせずにそれ以上を求めようと言う言葉があった場合、それはただの贅沢以外の何物でも無いってことです。為政者がそこまで面倒を見てやる理由はありません。とりあえず死なない程度に生活できてるんですから、事態の改善を望むと言うのなら、後は本人の努力次第でしょう」
ドライといえば、あまりにも貧困層に対してドライな言葉だったが、他ならぬ貧困層に座していた人間の意見として、受け入れざるを得なかった。
「アマギリちゃんの言っている事は、極論に近いけどね」
居住まいの悪さを味わっていたマリアの耳に、それまで黙って子供たちの話を聞いていたフローラの声が届いた。
「極論」
「そうでしょ? パンだけ配ってそれで義務は果たしていますなんて言葉、表で堂々と口に出来る物じゃないもの。……そんな風に記者の前でもらして御覧なさいな。その翌日には政権が吹き飛ぶわよ」
あっさりと禄でも無い未来を提示してみせる母に、マリアも素直に頷いてしまった。
当然だろう、とマリアは思う。日々の糧を得るためだけに日々を送ると言う生活は、獣のそれと変わらない。
余暇を娯楽に勤しむ程度の遊び心があってこその人の生、と言うものだろう。
「楽しみは立場により手人それぞれ、と言う考えもありますけどね」
「さりとて、為を唱える立場のものが、他者の誠意にばかり任せてしまう訳には往かないでしょう」
マリアの心を読んだかのようなアマギリの言葉に、フローラがさらに意見を被せる。
マリアには把握しきれないところがあったが、どうやらこの二人はスタンスが微妙に異なっているらしい。
アマギリは他者への干渉を最低限に抑えすぎているところがあるし、フローラの意見では他者への干渉が多きに過ぎるようにも思える。
どちらの意見にも一長一短ある気がするし、マリアはその真ん中辺りを通るように舵を取るのが正しいのではないかと思った。未来の女王は堅実な性格をしていた。
それにしても、と菓子を咀嚼しながらマリアは思った。
「人はパンのみにて生きるにあらず―――ってね。余裕のある立場のものがサーカスを見せてやるのも必要でしょう?」
「常に民の事のみを考えて生きよ。統治者こそが民の奴隷なのである―――って奴ですか?」
「あら、いい言葉を知っているのね」
「昔誰かに言われたような気がするんですよね。……最もその人は、統治こそが最大の娯楽であるって付け足してた気がしますけど」
「あら、まぁ。その方とは仲良く出来そうだわ」
互いに笑顔を浮かべながら、傍から見れば微妙に物騒と思えなくも無い言葉を交わす母と兄。
言い争いをしているように見えて、その実状況を楽しんでいるのは明白だった。
「……仲の良い、親子ですこと」
マリアはそっと呟いた。
そしてその後、自身の言葉に失笑してしまう。
親子。
事実を知っていると言うのに。マリアにはアマギリとフローラが実の親子のようにしか見えなかったから。
・Seane 5:End・
※ もう十話が放映ですか、確か。少しは布教に貢献できてれば良いんですが、どんなもんか。
そもそもスカパー見れる人が少ないか……