新居
皇帝劉協は、心の内は不明だがその後はのんびりと風景を眺めながら車に揺られていた。
時々董卓とあまり政治には関係ない昔話や、料理の話などをしていた。
日に1~2度、伝令係の一刀が、様子を確認している。
政治的な話は業についてから、ということを伝え、劉協もそれを了承している。
そのうちに、袁紹軍はいよいよ業に到着する。
劉協も董卓も始めてみる業の街である。
「立派な街ですね」
董卓が感想を述べる。
「そうですね。
都洛陽より余程活気があります。
店は人と商品に溢れ、人々の表情も笑顔で満ちています。
袁家の徳がこの街にも引き継がれてきたのでしょう」
業の街を通り、城に到着する。
城は元は袁紹のものではなかったが、華麗好きの袁紹がなかなか立派に改装している。
洛陽の王宮に比べれば見劣りするが、それでも諸侯の中では立派な部類だろう。
調度品は袁家代々のものが引き継がれてきてはいるが、それでも洛陽の王宮が圧勝である。
漢の皇帝代々に渡り、周辺国やローマなどから送られてきた宝物、漢の持てる技術の粋を集めた工芸品で埋め尽くされていた洛陽の王宮に匹敵するというのは、やはり袁家の力をもってしても無理だった。
それでも、華麗を目指す袁紹によって、少しは洛陽の雰囲気が感じられるようにはなってきていたのだが。
洛陽にあった宝物は、今は大部分は灰となってしまったことだろう。
王宮から諸侯に略奪された宝物は、灰にならなかっただけよかったのかもしれない。
尚、馬鹿には見えない衣や、蓋があって底がない茶碗は、もちろん存在していない。
「え~っと、ここが陛下のお部屋だそうです。
洛陽に比べれば貧相だと思いますが、これでも袁紹様が精一杯華麗にしたそうですので、ご容赦ください」
伝令係の一刀が劉協を部屋に案内する。
袁紹の傍の部屋を改装して、袁紹の部屋並みに豪華にしたらしい。
陛下を保護すると決定した時点で改装を始めたのが、もう終わっていたのだ。
風呂も装備済み。
水が漏れなければよいのだが。
一刀は入り口を開ける。
「貧相などということは全くありません。
充分に立派な部屋です」
「そう言っていただけると幸いです。
それから、董卓さんの部屋は陛下の隣にしました。
何かあったらすみませんが陛下の面倒を見てください。
部屋は、あの侍女待遇なので普通の部屋ですが、これで我慢してください」
「いえ、生きて献様や詠ちゃんと一緒にいられるだけで充分です」
「それはよかったです。
当面、陛下の侍女として振舞ってください。
陛下の侍女はあと何人くらい必要ですか?
料理人は専門にいますから、身の回りのお世話とか部屋の掃除のための侍女になると思うのですが……」
「月がいれば充分です。
それで不都合があるようでしたら、またお願いします」
随分と質素な皇帝である。
「わかりました。
そのように袁紹に伝えます。
それでは、私はこれで戻りますが、何かありましたらいつでも連絡ください。
できるだけ早く対処しますから」
「お願いします」
と、仕事を終えて戻ろうとする一刀を引き止めるものがいる。
「待て」
皇甫嵩である。
「は、はい!」
一刀、声がひっくり返っている。
「私の部屋はどこだ?」
「皇甫嵩様のお部屋ですか?
さあ、聞いていないのでわかりません。
斗詩さんに聞いてきます」
実は顔良は城の管理の長だったりしていた。
だから、一番最初に一刀の案内も顔良がしたのだった。
「陛下の傍の部屋にするよう、伝えておけ」
「わかりました」
「危ない輩が近づかないよう、見張る必要があるからな」
「そこでどうして俺を睨みつけるんですか!」
「お前が危ないからだ」
「陽、一刀は朕の命を狙っているというのですか?」
劉協が少し怯えたように皇甫嵩に尋ねる。
「いえ、そうではありません。
それどころか逆に命が増えてしまうことさえあるのです。
そのくらい、危ないのです」
「俺だって命は惜しいからそんな無謀なことはしねーよ!」
さすがにむっとした一刀、皇甫嵩相手にため口で話し始めている。
「意味がよくわかりませんが……」
「献様はわからずともよろしいのです。
とにかく、この者には無闇に近づかぬよう。
よろしいですね?」
「え、ええ……」
「大丈夫です、陛下。俺はあくまで陛下と袁紹や参謀との連絡を行うだけですから!
決して危ないことはありません!
だいたい、皇甫嵩様は俺が何をすると思っているんですか!」
「………………と、とにかく、この者には無闇に近づかぬよう。
よろしいですね?」
一刀のカウンターは強烈だった。
皇甫嵩も答えを誤魔化すしかなかった。
「ええ」
と、答えながら劉協はくすりと笑う。
久しぶりに心からおかしくて笑った劉協であった。
「どうなさいました?」
「そんなに慌てた陽を始めて見ました」
傍目には全く表情の変化が読み取れないのだが、人の顔色を気にすることがその日の命を支えることに繋がる劉協には、僅かな変化でもわかったのだろう。
「別に慌ててなどおりません」
「そうですね」
あまり、同意している雰囲気がない劉協であった。
影で、ちょっと董卓が赤くなっていたりした。
その日の夕食は皇帝の食事の様式に則り、食堂に大量の食事を並べ、皇帝一人が食事をするというスタイルをとった。
袁紹は大体いつも自室で顔良や文醜と楽しそうに食べている。
食堂を使うのは、一刀を始め、その他の将軍、参謀達。
それらの食事を皇帝の食事のときに一度に並べている。
皇帝の食事が終わったら、その他のものが残ったものを食べる。
皇帝はどれを食べてもよいが、さすがに全員分の食事を平らげることはありえないので、一刀達も普通に食事をすることが可能だ。
皇帝が食べた後なので、温かい食べ物が冷めてしまうのが問題ではある。
皇帝の食事に付き合うのは、侍女の董卓と警備の皇甫嵩の二人。
付き合うといっても董卓は給仕に専念し、皇甫嵩は立って警備をするだけなので、食事は劉協一人ですることになる。
寂しい食事風景だ。
「月が給仕をしてくれるのですね?」
「はい。侍女としてここにおりますから」
「月が食事のときにいると楽しい感じがします」
「献様が喜んでくださると、私もうれしいです」
「月や陽は何時食事をとるのですか?」
「献様が食事を終えた後にとります」
「皆と一緒にとるのですか?」
「はい」
「その方が楽しいのでしょうか?」
「私は大勢いたほうが楽しいと思います」
「朕もそのように食事をしたいと考えます」
が、それに皇甫嵩が異を唱える。
「なりません、献様」
「何故ですか?」
「皇帝ともあろうものが下賎な者と共に食事をとるなど、あってはならないことです」
「それでは、陽は朕がいつも孤独でいなくてはならないというのですか?」
「……警備の問題もありますし」
「袁紹の配下が信じられないと言うのですか?」
「そうではありませんが……」
「お願いです。もう、宦官に囲まれ、怯えながら生きていく状態から解放してください。
朕も楽しく時間を過ごしたいのです」
「……わかりました」
皇甫嵩、苦渋の決断である。
そんなことをしては皇帝の権威が下がる一方ではないかと考えている。
が、劉協はそんなものは皇甫嵩が考えるほどには重きを置いていないのかもしれない。
こうして、その日から劉協は袁紹の部下達と一緒に食事をとることになった。
さすがに皇帝との会食である。
田豊など全員が緊張している。
そんな雰囲気の中食事が進む。
最初のうちは緊張していた部下達であるが、一刀と皇甫嵩の漫才を聞いているうちに、次第に打ち解けてきた。
正確には、別に二人は漫才をしているわけではなく、それどころか皇甫嵩の話はいつもシビアでまじめなのに、一刀と話していると何故か漫才に聞こえてくるのだ。
劉協も年相応の少女のように普通に笑うようになってきた。
こうなると、袁紹も食事に同席しないとまずい雰囲気になる。
翌日からは、袁紹も食事に同席し、毎日が宴会のような楽しい食事になっていった。
袁紹も、次第に皇帝の前でもいつもの調子(時々ヒステリック、時々高笑い)で話すようになってしまっていた。
皇甫嵩は袁紹相手にも漫才を披露することとなった(このときはボケ役=袁紹)。
確かに皇帝の権威は下がったようにも見えるが、劉協は嬉しそうだった。
劉協が落ち着いたところで、業を都とすること、袁紹を相国とすることを提案し、了承された。
その旨が漢全土に布告された。
また、董卓討伐に参加した諸侯には、皇帝から官位が授けられた。
同時に、州の規模に応じて、袁紹からビールという副賞が振舞われた。
洛陽が焼け落ちてしまった今、業を都とすることは何も疑問がないし、陛下を保護している袁紹が相国になることもそれほど違和感がないが、諸侯は今のところそれに対して明確な反応は返していない。
尚、皇甫嵩はかつての大将軍の地位は返上し、劉協の護衛に徹するといい始めた。
袁紹が引き止めたが、皇甫嵩の決心は固かった。
袁紹が一刀にも説得を依頼したが、一刀の予想通り全く逆効果であった。