―――**―――
物語は、美しい。
それに触れ、輝く人の瞳は、キラキラと世界を満たしていく。
だから世界は、優しくできている。
それが、大前提だ。
アキラは心の中で、何度も呟く。
“お約束”は、暴いてはいけない。
それは、世界を濁らせてしまう。
祈るように、何度も、何度も。
幼少の頃から、自分は何度も輝いた世界を見てきたではないか。
そして、幼少の頃、自分は見たではないか。
秘密を暴こうとして、壊れた世界を。
目を閉じて、深呼吸して、目を開く。
そうすれば、キラキラと輝いた世界が目の前に広がっている。
何かが起きても、笑って済まされる世界。
そんな優しさが、この世界には溢れている。
自分は、今のままでいい。
だから、気にするな。
きっと、“今はそのときじゃない”。
もし、世界を輝かせたいなのなら、力があればいい。
力があれば、総てを救える。
そのはずなんだ。
――――――
おんりーらぶ!?
――――――
アキラは固く閉ざしていた目を、ゆっくりと開けた。
開けた先、見えたのは土色の鱗。
そうだ。
自分は、イオリ操る召喚獣、ラッキーの背に乗っていたのだった。
「フリオールとファロート。時空を刈り取って魔術以外の外部干渉を選択遮断できる魔術と、速度上昇の魔術……いや、魔法、か。こんな使い方もあったとはね」
「ファロートの方は負荷が大きいからあんまり使いたくなかったんすけど……、ラッキー、大丈夫だったみたいっすね」
「ああ……、まあ、流石に疲弊はしているけどね」
ラッキーの下から、二人の専門的な話が聞こえた。
黒を基盤としたローブを羽織ったイオリに、相変わらずだぼだぼのマントを上から羽織っているマリス。
二人は会話のレベルが合うのか、マリスの口調がどこか弾んでいた。
気づけばいつの間にかラッキーは平原の中に着陸し、搭乗者が降りるのを待つように頭を垂れている。
「……アキラ様?」
「いや、」
僅かに意識が飛んでいた気がする。
アキラは隣で手を差し伸べているサクをぼんやりと見上げ、何とか立ち上がった。
「にーさん、酔ったんすか?」
「……ああ、多分、そんなとこ」
思い出した。
自分たち四人は港町から、ラッキーの背に乗ってこの場所まで飛んできたのだ。
途中、マリスとイオリが何やら話していたのを必死にラッキーに掴まりながら見た気がする。
その直後、マリスが注意を促し、何かを呟いたと思えば、ラッキーは急加速。
それにもかかわらず、まるで密封された空間にいるように世界が高速で動き、その光景にアキラは目を閉ざしのだ。
何かが、恐くて。
ともあれ。
アキラたちは目的の地、目的地に到着したようだ。
「……、」
ラッキーの背から降り、アキラは周囲を見渡す。
そこは、寂しかった。
一方を森林に、残る三方を岩山に囲まれたその平原に、草木はほとんどなく、足もとの土も砂のようにざらつき、大地を覆うっている。
見える森林も、アイルークで見たような青く茂るものではなく、冷風をそのまま通すような寂しさがあった。
そして、広い。
総ての景色が、小さく見える。
寒い。
北の地だから当然なのだろう。
だが、アキラの身体は、それ以外の理由で、僅かに震えた。
「……、フリオール」
「……!」
瞬間。
アキラたちの身体にシルバーの光が吸い込み、溶け込んでいった。
すると、今まで吹き付けていた冷風が遮断される。
これは、ラッキーの背の上でも感じた。
「マリス?」
「寒いっすよね……、ここ」
マリスも羽織ったマントの襟を引き、首をうずめさせた。
さきほどラッキーの背の上で感じたマリスの魔術。
やはりその魔術は、飛翔させるだけでなくかなり凡庸性が高いらしい。
「流石だよな……、マリス。ありがとう」
「? いいっすよ」
小さく零した言葉に、マリスは首をかしげていた。
ああ、自分は、いつも、もっと大げさだった気がする。
アキラはぼんやりと、そんなことを考えてしまった。
マリスが覚えた違和感も、それと同じだろう。
やはり駄目だ。
輝いた世界は、輝いた瞳にしか飛び込んで来ない。
陰りを嫌う自分が、こうであってはいけないのだ。
「……っし、」
「? 今度はどうしたんすか?」
「魔物、いるんだろ? 気合、入れ直しただけ」
明るく楽しく、強くなる。
自分は、それを目指して行こう。
「あれ、……ってかさ、魔物、いなくね?」
せっかく入れ直したアキラの気合は、やはり物寂しい平原に薄れて消えて行った。
だだっ広いリオスト平原。
その中にいる魔物らしい魔物と言えば、正に今自分たちが乗ってきたラッキーだけだ。
「おかしいな……、いつもはいるんだけど……」
「ああ、多分、自分のせいっすね……」
ああそう言えばそうだった。
イオリに半分の眼を向けながら呟くように返したマリスを見て、アキラは彼女の存在がどういうものなのかを思い出す。
最近依頼では離れていて忘れていたが、彼女は魔物に恐れられるほどの存在だったのだ。
「流石だ! マリス!!」
「? にーさん、さっきから何か変っすよ」
「悪い……、今俺、自分見失ってる気がする……」
「?」
自分は一体、どういう存在だったろう。
どんな口調で、彼女という存在に接していただろう。
確たる信念がない者は、一度揺るいでしまえば、こんなにも不自然な言葉しか吐き出せないのだろうか。
やはり、力が、欲しい。
“自分”が揺るがされないほどの、力が。
世界のバグに、揺るがされないほどの、力が。
それこそ、あの銃を必要としないほどの、力が。
それまでは、やはり、世界の優しさに甘えているべきかもしれない。
アキラはそこで、思考を止めた。
今はRPGを進めるように、レベルを上げ、進んで行けばいいのだ。
「……、まあ、ラッキー、とりあえずお疲れ様」
イオリが一応当たりを警戒しながら、ラッキーの額を撫でた。
するとラッキーは小さく呻き、身体をグレーの光と化していく。
そしてその光は、地面に吸い込まれていった。
「具現化、なのか……?」
「ん? いや、違うよ。ラッキーは召喚獣さ……。大地の精霊、とか言えば、分かりやすいかな?」
そういうものなのか。
アキラはとうとう完全に姿を消した巨獣の跡を、呆然と見ていた。
「てか、ラッキーって名前……」
「っ、別にいいだろう? 本城家では代々、ペットにはラッキーってつけているんだから」
イオリは少しだけむくれた表情を作り、颯爽と歩き出した。
向かう先は、どうやら森林の対面にある、岩山らしい。
「てかさ、ここ、どういう場所なんだよ?」
それに続くアキラは、イオリの背中に声を投げかけた。
世界の陰りに、無気力になっている場合ではない。
今は強くなることが必要だ。
そのために、情報は集めなければ。
「そうだな……、ここはよく、魔術師隊演習に来ている場所、といったところかな。あの岩山に、魔物の巣があってね」
イオリの視線を追ってみれば、確かに岩山には蜂の巣のように横穴がいくつか開いていた。
イオリの話では、そこを休憩所として使っているようだ。
いくら駆逐しても訪れたときにはいつの間にか魔物が中で生活を始めてしまうらしい。
演習の始まりはその掃除から。
今からそこに向かうのは必然的に魔物の群れとの戦闘を意味しているが、確かに探している副隊長のカリスがこの場にいるというなら、あの場所以外はあり得ないだろう。
「……、」
淡々としたイオリの説明を受けながらも、アキラは広さゆえにリオスト平原を見渡していた。
やはり、何もない。
寂しさ以外は。
マリスの魔術でも遮断できない寒さが、背筋を撫でる。
寂しさを、無駄な会話一切がない面々が助長させているのだからなおさらだ。
アキラの隣を歩くマリスは、相変わらず半分の眼をぼんやりと前に向け、足音一つ立てずに歩いている。
アキラの態度が妙だったからか僅かに眉を下ろしているが、こちらは、いつも通りだ。
マリスに場が賑わうトークを期待する方が無茶な話だろう。
だが、もう一人。
あるいはマリス以上に無音を保った少女がいた。
「なあ、サク、寒いのか?」
「……、え、いえ、マリーさんのお陰で」
やはり、妙だ。
アキラとの会話もそこそこに、サクは再び、前を行くイオリの背中を見据えた。
いや、睨んでいると言った方がいいかもしれない。
港町を離れるときもそうだったが、彼女の様子もおかしい。
普段、確かに彼女は口数が少ない。
だが、それでも面々を眺め、小さく微笑んでいると思っていた。
それなのに、今は、どうだ。
一度気づいてしまえば、こんなにも、
「元気出してこうぜ、マジで。俺さ、何か会話がないのが耐えられない……」
今思えば、こういうときにこそ、ティアが必要だった気がする。
彼女が残った港町は、魔物の襲撃以上に賑やかなことだろう。
「アキラ、悪いんだけど、もう着いたよ。ここだ」
「……!」
足を止めたイオリを視線で追い越し、アキラは岩山を見上げる。
遠方から見た通り、その岩山には、まるで砲弾を何度も撃ち込んだような穴が、いくつも開いていた。
まるで蜂の巣のようなその岩肌からは、確かに何か出そうな雰囲気さえ漂っている。
「外見はハチの巣だけど……、中はアリの巣だ。いくつか行き止まりのダミーもあるけど、基本的にどこから入っても奥で繋がっている」
流石に演習で何度も来ているだけはある。
「……! なあ、あの馬、」
「ん? ああ、そうだね……。カリスは中にいるようだ」
アキラが見つけたのは、岩山から僅かに離れて打ち立てられた柵に繋がっている、一頭の馬だった。
それこそ誰かがここにいる証明になるその存在に、イオリが返したのは当然のような一言。
彼女はとっくに、その存在に気づいていたのだろうか。
「待った」
イオリが確信を持ってその一歩を踏み出そうとした瞬間、サクがようやく、自発的に口を開いた。
「中に、部屋はいくつもあるのか?」
「? ……ああ。本当に蟻の巣みたいでね。広間がいくつかある」
「それなら、」
サクはちらりと面々を見渡し、最後にやはり、イオリを捉えた。
「二手に分かれよう。奥の部屋を目指すのではなく、“探索”、なのだろう?」
「……、そう、だね」
「……?」
訳知り顔のイオリの表情に、僅かに影が落ちた。
アキラは、イオリと相変わらず目つきを鋭くして彼女を見据えるサクを交互に見やり、ため息を吐く。
その自分の仕草が、世界の陰りを見ようとしているのではないかという恐怖にとりつかれ、小さく首を振った。
「まあ、サクの言う通りだな……。よし、じゃあ、俺は、」
「にーさんは、自分といた方がよさそうっすね」
マリスが一歩踏み出し、アキラに並び立った。
確かに彼女そのものも、彼女の治癒魔術も、相当に心強い。
だが、いつもは一悶着あるチーム分けの、その提案に。
互いを牽制するように視線を交わすイオリとサクからは、一切の反論がなかった。
―――**―――
「いだだっ、いだだだだだっ!!!?」
「な、ん、で、私を呼ばなかったのよ?」
「エレナさん、ストップストップ!!」
これがヒステリックな女はモテないとか言っていた人物の行動か。
エレナはティアの口を掴んだ手にそのまま力を込め続ける。
もっとも、一言二言で済む説明を、朝起きたときのちょっとした出来事から語り出すという暴挙に及んだティアにも非はあったりするのだが。
すでに港町を襲った魔物は全滅し、今は提供されたセーフハウスの一室。
最初にここを訪れたときに通された部屋に、残された面々は腰を下ろしていた。
「で、でも、どうします? 私たち、待機してないでリオスト平原とやらに行った方がいいんじゃないですかっ!?」
「魔物騒ぎの修復で、町中駆け回ってる隊員たちに送ってもらうのなんて頼めるわけないじゃない。とっとと港も修復してもらわなきゃいけないんだし。ねえ?」
「うわわっ!?」
エレナのため息混じりの睨みに、ティアは顔をガードしてソファーからずれた。
そうなることが分かっていて隣に座る辺り、ティアはエレナの懐いているような気もする。
そしてエレナも、あのときの冷ややかな瞳を、とっくにしまっていた。
「……、ふぅ」
エリーは小さく苦笑して、正面の二人から視線をそらし、窓を眺めた。身体は、魔物討伐で疲弊しているが、それ以上の憂鬱が、頭の中で巡る。
窓の外は、曇っていた。
アキラたちがイオリ操る召喚獣であの空を飛んでいったと聞いたときは、何を馬鹿なと思ったが、魔道士ともなるとそういうことができるのかもしれない。
魔道士。
エリーの目標だ。
だが、その次元は、一体どのような経験を積めば到達できるのであろうか。
聞けばイオリは、自分と一つしか違わないらしい。
「あの、みなさん?」
「……!」
ノックと同時に聞こえてきた声に、エリーは疲労で崩れていた姿勢を正す。
声を返すと開いたドアの先、隊員服に身を包んだサラが現れた。
どこか元気がなく、疲れが溜まっているようだ。
「町は?」
「え、あ、はい。現在被害状況も大体確認し終わって……、隊としては報告書を作るだけになっています」
「……、」
エリーは居心地悪げなサラに、一歩身を動かし、ソファーを譲る。
今も隊員たちは町をかけているのに、彼女は何故ここに姿を現したのだろう。
「……、いいから座りなさい」
「え、あ、はい」
エレナに促され、サラは緊張した面持ちでエリーの隣に腰を下ろした。
だが、やはり僅かもすると、サラの表情は少し曇る。
その横顔を、エリーは知っている気がした。
「どうかしたんですか?」
「い、いえ、」
サラは小さく、そう返してきた。
エリーは彼女が、先ほどの魔物騒動時、何をやっていたかを知っている。
声を張り上げ、戦場を駆け、隊員たちの様子を見て回っていた。
エリーが戦っているところにも数度、姿を現している。
彼女は、ひたすらに、戦場を駆けていた。
そして今も、状況確認で、駆けていたはずだ。
「……、お払い箱?」
「っ、」
エレナの無遠慮な言葉に、サラは身体を分かりやすいほど動かしてしまった。
「い、いえ……、でも、多分、そう、なんでしょうね……」
サラの脳裏に、先ほどの光景が浮かぶ。
魔術師としては古株の先輩に、『疲れただろうから休みを取ってこい』と言われた。
口調も優しく、表情も柔和に。
その先輩は、確かに自分のことを労わってくれた。
だが、その言葉を深く追っていくと、見えてしまう、裏側。
自分は、力不足だと言われたようなものだ。
イオリがリオスト平原に向かう際、自分にこの地の指揮を任せていった。
魔術師として、あまりに浅い経験しかない自分に、だ。
イオリから見れば、楽な仕事だったのだろう。
こんな小さな港町での戦闘の指揮をとり、その後の被害報告をまとめることなど。
だが、事実そうではない。
彼女にとって当たり前は、サラにとって、年季が変わらないはずの自分にとって、“そう”ではないのだ。
その古株の先輩が、あまりイオリを好意的に思っていないのをサラは知っていた。
魔術師としては幼い年齢のくせに、隊長を務めているのもそう。
いつも訳知り顔で、何の苦もなく問題をクリアするのもそう。
そのくせ、単純ないたわりの言葉程度でその場を去り、個人的な深い話などしようとしないのもそう。
完璧で、あまりにクールすぎるのだ。
そのせいで好意を持たれにくい。
対してサラは、隊員全てとよく話をしている。
言い方は悪いが、新人として、可愛がられているのだ。
隊員の個人的な事情なら、隊長のイオリ以上に知っていたりする。
だが、信頼。
その側面から見れば、隊員たちが向けるイオリへの信頼は厚い。
なんだかんだ言っても、彼女には問題を解決できる力があるのだから。
力で信頼を勝ち取っているイオリ。
対してサラは、周りと話すことで好意を持たれている。
そう考えると、自分が隊員たちと話しているのは、人の力に依存するための手段とさえ思ってしまう。
自分はそのつもりがないのに、だ。
「世の中にはそんな悩みだらけね……」
「っ、」
次にエレナから漏れた言葉に反応したのは、エリーだった。
「エレナさん、それは、」
「だってさ、私もそうだった……、そうだし」
エレナから小さく漏れた言葉に、サラも顔を上げた。
「サラ、だっけ? そんな悩み、誰でも持ってるわ。それこそ、どっかの天才ちゃんも」
「……、」
エレナが示唆しているのは、自分の妹だ。
エリーは僅かに息が止まった。
自分の妹は、そんなものとは完全に無縁だ。
そう思っている。
だが、エレナは、共に行動する彼女の何かの想いを、知っているのだろうか。
「あんたんとこの隊長も、持ってるでしょうね、それ。でも、力があるから、当面悩んでいない」
サラに言っているようなエレナの言葉。
だがそれが、エリーには自分に言っているように聞こえた。
目指す場所の遠さゆえに、何かを想う。
それが人間というものならば、エリーのこの感情も、自然なものなのだろう。
その遠さゆえに、無気力な感覚を味わう。
そんなこと、エリーは何度も経験している。
前は、マリスに。
今は、エレナに。
だけど、
「だから、力が欲しい。あんたもそのクチでしょ」
その『あんた』は、一体誰に言ったのだろう。
正面に座るエレナの視線は、サラを捉えているようで、誰も捉えていないように見えた。
あるいは、全員捉えているのだろうか。
もしかしたら、彼女はあのとき、こんな表情で海を眺めていたのかもしれない。
故郷でその力に見合う対価を払った彼女にも、今なおそれはあるのだろうか。
「ま、力があればいいのよ。私みたいに、暴力的なまでにね」
エレナがそう紡いだ粗暴な言葉は、彼女の言葉なのに、悲哀に満ちているような気がした。
「エレお姉さま、かっけー……。マジ半端ないっす―――ひぃっ!?」
「別に掴みかかりゃしないわよ……。お茶淹れるだけ」
エレナの視線の先には部屋の奥の給湯所。
勝手に使うのも、彼女らしい。
「あんたも、人ごとじゃないでしょ」
エレナが前を通りながら小さくティアに呟いた言葉は、エリーの耳には届かなかった。
―――**―――
「っ―――」
魔物に切りかかったサクに、その隙を縫って犬型の魔物が飛び込んできた。
良く、見える。
「―――!?」
身を動かす前に、その犬型の魔物、ファングラスの身体に一本のナイフが突き刺さった。
銀のフォークのような小型の投げナイフは、土曜属性特有のグレーの魔力をほとばしらせる。
ファングラスが身もだえする前に、サクはその場から緊急離脱。
直後聞こえた爆発の理由は、考えるまでもない。
蜂の巣のようだった岩山の中に入ると、後ろに立つイオリの言葉通り、確かに蟻の巣だった。
手を伸ばして飛べば指先が触るほど狭いメインルートのような道の途中には、大部屋に繋がる横道。
中の大部屋は、建物数軒は入るのではないかというほど広がっており、戦うには問題ない。
それこそ、魔物の群れが待ち構えていても、だ。
「っ―――」
サクが魔物を切り裂き身体を反転させると、入り口付近からナイフを飛ばしていたイオリに魔物が飛びかかった。
しかし一閃。
イオリがローブの中から指先から肘ほどまでの短剣を取り出し、それを切り裂く。
取り出された短剣は、柄の部分がワイヤーのような紐で結ばれた、一対のものだった。
二本で一対の短剣を両手に掴み、接近を許した魔物を倒していく。
やはり、武具強化型。
だが、それも完全な物ではなく、あくまで切りつけることで魔力を流しやすくしているにすぎない。
サクは最後の魔物を切り伏せ、爆風に背を向けてイオリに近づいて行った。
大部屋は、再び沈黙が支配する。
どうやらここには、副隊長のカリスはいないらしい。
「……、それが、基本戦術か?」
「ああ。どうも僕は魔力を飛ばすのが苦手でね……。遠距離攻撃は媒体がないと大した効果が出ない」
近距離用に、一対の短剣。
遠距離用に、投げナイフ。
そして切り札としての召喚獣。
これが魔道士というものなのか。
随分と応用が利く。
だが、サクがイオリに感じているものからすれば、そんな戦力などどうでもいい。
「それにしてもすごいね……。速度は魔道士の僕をゆうに上回っている」
「このレベルでなければ、旅はできない」
「流石に“勇者様の御一行”、か」
イオリはそう呟いて、サクに背を向けた。
やはり、ここではない。
そんなことを、思いながら。
「それだけではないだろう?」
「……?」
メインルートに戻ろうとしたイオリの背後から、冷たい声が聞こえた。
僅かな敵意のこもったその台詞に、イオリは眉を寄せて振り返り、止まる。
「……、」
「っ、」
ピタリ、と。
振り返ったイオリの首元近くに、サクの愛刀の切っ先がつけられていた。
腕ごとまっすぐ伸ばしたその愛刀の先、サクは、睨むようにイオリを見据えている。
「……、何、かな?」
「私は、信用できない相手と共にいるのは抵抗がある」
「……、」
サクはまっすぐイオリを見据えていた。
伸ばされた愛刀からは、殺気は感じない。
だが、それが口を持っているように、語りかけてきた。
真実を話せ、と。
「イオリさん……。私の名前を、言ってみてくれないか?」
「…………、」
イオリはまた、目を閉じた。
それが何を意味しているのか、サクにも分かる。
彼女は、シミュレーションしているのだ。
ここで出すべき回答を。
そしてその後に続く会話を。
やはり、駄目か。
こうやってポーズで刃を向けても、彼女は冷静そのものだ。
あるいは、こうなることを予想できていたのだろうか。
せっかく、二人だけにしたというのに。
「改めて名乗ろう。今の私は、サク。“サクラ”じゃない」
「……、」
ようやく、イオリは目を開いた。
駄目だ。
その瞳は、揺さぶりをものともしていない。
「僕は……、そう言っていたかな?」
「ああ。聞き間違いではない」
先に、逃げ道を潰す。
そうしなければ、彼女の脳内のシミュレーションを上回れない。
「……、そうだな、うん」
彼女は回答を見つけてしまったようだった。
「僕とアキラは同じ異世界から来た。それは昨日、簡単に話したね」
それは知っている。
サクは慎重に頷いた。
「僕がこの世界に来た直後、“幸運にも”こんな噂を聞いた。かつて僕たちと同じ世界から来た者の末裔が、あらゆる豪族を守護し続け、今では大層な武家を築いている、とね」
「……!」
やはり、イオリは知っている。
その、事実を。
だが、それを見つけるのは、容易ではない。
それこそ、イオリの言うように、“相当な幸運”でもなければ。
「どうも僕たちの時代とは違うみたいでね。元の世界の、大昔の人間さ。でも、せっかくだから、調べ続けた」
「魔術試験の勉強も両立しながら、か?」
「……疑り深いね。でも、“そうでなければありえない”。そうだろう?」
そう言われれば、サクは頷く他ない。
だが、イオリに向けた刃を、下ろす気にはなれなかった。
大部屋での、静かな会話は続く。
「そしたら数年前、その武家の娘が、勘当されたという事実を知った。理由は、流石に調べられなかった」
「……、」
サクは刀を下ろした。
これ以上の追及は無意味だ。
自分の容姿、自分の出で立ち。
ティアの父、グラウスにも勘づかれていた。
ヒントはいくらでもある。
その上、“予測”という論理を超える武器があれば、あとは一直線。
彼女はそれを理由に、逃げ切ってしまう。
「……、もう、いいのかな?」
「ああ。無礼なことをして、悪かった」
「そうでもないさ。僕が悪い」
イオリはそう呟いて、ルートに戻った。
サクも刀を鞘にしまい、それに続く。
「でも、信用はしてくれると嬉しい」
前を行くイオリは、どこか悲しげな声を出した。
「どうも僕は、周りの理解を得るのが下手でね……。元の世界でも、あまり“友”と言える存在がいなかったのも事実なんだ」
「それはその、“勘の良さ”が原因か?」
「ああ。…………まあ、こんなふうに言い訳が上手くてね……、でも器用さなんて、まるでない。僕は卑怯なんだよ。その上、“わがまま”だ」
彼女も、自分の説明に無理があることだけは分かっているようだ。
だが、こんな自虐的な言葉が、むしろ彼女を信頼させるものになることに、彼女は気づいているのだろうか。
もし気づいてやっているのなら、かなりのものだ。
「確かに“隠し事”はある。多くは語れない」
「……!」
サクの疑惑は、その言葉に止まった。
彼女には、何か、秘密がある。
それは間違いないらしい。
それを前提にさせられれば、身体は、止まってしまう。
「だけど、これだけは信用していい」
イオリはくるりと振り返り、サクの目をまっすぐ見据えた。
「僕は、味方だ。それだけは、信じてくれ」
「……、」
もともと自分が持っていた彼女に対する不信感など、先の名前の件だけ。
それを説明し終わったのならば、サクがこれ以上彼女に敵意を向けている意味はないのだろう。
人は、底の見えない者は信頼しても信用しない。
だけど、今のイオリの言葉には、確固たる“底”がある。
「……分かった」
サクはそう吐き出した。
イオリは仲間。
そう考えた方が、気が楽だ。
―――**―――
「らぁっ!!」
「……!」
動こうとしたマリスを制するように追い越し、アキラは魔物の群れに駆けて行った。
オレンジの閃光が微弱な装置の光を超え、広間に爆ぜる。
アキラに切り裂かれた魔物は爆発を起こすが、アキラはそれから距離をとると視線を次の敵に向け、再び駆け出した。
「……、」
マリスはアキラの背を、ぼんやりと眺めていた。
ときおり彼女に襲いかかる魔物は、彼女が全く見向きもしていないのに総て滅していく程度のレベルだが、数が多い。
そんな中、アキラは、剣のみで戦い、戦場を駆ける。
「……、」
強く、なっている。
マリスの半分の眼が、僅かに広がった。
依頼であまり組まなくなったとはいえ、例えばヘヴンズゲートで、例えば港町で、彼の戦いは何度か見ている。
そのときは自分自身戦っていた上に、戦場全てを見渡していたからあまり気づかなかったが、彼の成長は、著しい。
少なくとも、マリスの知るアキラは、あの大群の魔物に突撃していくような勇気を持ち合わせていなかった。
飛び込んで無事に戦い続けられるような実力も同様に、だ。
この辺りの魔物は、アイルークのそれよりは遥かに強い。
それなのに、彼は、戦えている。
「レイディー」
小さく呟き、マリスは、アキラの遠方から魔術を飛ばそうとしていた魔物を討つ。
アキラもその魔物は気にしていたのか、ちらりとマリスを振り返り、小さく頷いた。
久しぶりだ、こんな感覚は。いや、初めてかもしれない。
今まで、自分やアキラは、敵をほぼ一撃で屠ってきた。
何の感慨も浮かばないもの。
マリスにとって、戦闘とはそういうものだ。
そうした力を持っていたマリスだからこそ、成長という存在を、ここまで肌で感じたことはなかった。
強いて言うなれば、自分の姉が、魔術師試験を突破したときが、これに近い。
自分が時に協力し、確実な成果をエリーが残したときは、心の底から喜んだのだと思う。
だが、あまり覚えていない。
そのときは恐らく、自分がそういう感情とは無縁だと思っていたからなのだろう。
だが今、旅を通して、誰かが成長する様を見て、こんなにも、頬がほころんでいるのだ。
「レイディー」
機械的に、彼にとって邪魔な存在のみを討っていく。
そうすることで、アキラはさらに動きを上げ、順調に魔物を撃退していった。
行ける。
自分が全力を出さなくとも、アキラが具現化を用いなくとも。
この程度の魔物の群れは、倒せるのだ。
ヘルプではなく、サポート。
マリスがその位置に移動すれば、アキラは伸びていく。
思えば自分は、無縁ゆえに、そのことに気づかなかったのかもしれない。
頭の中では理解していたつもりでも、現実に目の当たりにして、そのことに気づかされた。
エリーはとっくに、それに気づいていたのだろう。
「……、」
僅かに眉を下ろすも、あの力を使わないアキラと噛み合って敵を討っているこの瞬間は、楽しい。
戦闘を楽しんだのは、初めてだ。
それはきっと、彼が成長しているからだろう。
彼が目指してくれているからだろう。
あの具現化の力のみがあったアキラは、もういない。
それでも、
「『スタートに過ぎない』。そういうもんなんすかね……、」
「はあ……、はあ……、へ?」
結局大半をマリスが倒すことになっていたが、二十、三十といた魔物の群れを総て滅し、息を切らせたアキラが戻ってきた。
「何でもないっすよ……」
マリスは小さく返し、アキラの腕に触れ、治癒魔術を流し込む。
それは、かつての肩の脱臼を治すときより、何故か多めになっていた。
「それより、ここ、便利だな……、ほら、灯り」
「そうっすね……、魔術師隊の休憩所ともなると、照明具は優秀っす」
メインルートに戻ったアキラとマリスが見上げているのは、各所に設置されたランプのような照明具だった。
大広間の天井にも、それが設置され、全ての照明具は連動しているのか個別に点けずとも煌々と灯っている。
魔力を流せば、その種類に問わず発光するマジックアイテム。
これほどの規模ともなると、アイルークではまれにしか見られなかったものだ。
松明を持たずに洞窟探索ができるという便利性に、アキラは後付け設定万歳というばかりに喜んでいたが、マリスはむしろ、入る前からそれが灯っていたことの方が気になった。
やはり確実に、奥に誰かがいる。
「でもにーさん、強くなってるっすね……」
「お、マジで?」
マリスからの純粋な評価に、アキラはからから笑った。
戦闘で吹っ切れたのだろうか。
先ほど平原で見せた影のある不自然な笑い方ではない。
もう少し精神的には強くなって欲しい所だが、彼にはその笑い方を、損なって欲しくなかった。
調子に乗ったように、大股で歩き、アキラは先陣を進む。
洞窟内は照らされているが、曲がりくねっていて先が見えない。
それなのに、彼の足取りに、迷いは薄れているように感じた。
「にーさん、やっぱり強くなりたいんすか?」
その背中に、マリスは半分の眼を向けたまま、呟いた。
「……ああ。まあ、な」
表情は見えないまでも、アキラから返ってきた確たる声に、マリスは小さく微笑んだ。
やはり自分も、彼の成長を見届けたい。
彼がどういう物語を紡ぐのか、それを、どうしても、近くで知りたいと感じる。
マリスを有するこの組は、順調に、奥を目指していく。
大広間に入る、その都度、マリスはサポートに回り、アキラに経験を積ませた。
やはり、自分でも、できるではないか。
「……!」
「……?」
大広間の魔物を倒し続け、その数が二桁に昇ろうとしたとき、アキラとマリスは足を止めた。
「なん、だ……?」
メインルートの道が妙に単調になり、歩みを進める先の角、何かの影が蠢いた。
それも、数体はいる。
「……、この道で、戦うのかよ……?」
ついに姿を現した魔物の群れに、アキラは軽く周囲を確認し、剣を抜き放った。
だが、それを、マリスが手で制す。
「マリス?」
「ちょっと待って欲しいっす……」
マリスは目つきを僅かに鋭くさせ、現れた魔物の分析を始めた。
現れた魔物の数は、四体。
どれも同種のようだ。
まるで土をねって造られた泥人形のようなその魔物たちは、道を塞ぐように横一列に並び、マリスたちに目も口もないのっぺりとした顔を向けている。
単純に人型を模したような、余計の飾りのない魔物の背丈は、アキラ程度。
そして体つきも、ほとんど一般の人間の太さと同じだ。
口がないから当然なのかもしれないが、その人形たちは言葉を発さず、ただじっと、その場で身を固めている。
「マリス、なんだよ?」
その人形たちをじっと見据え、同じように言葉を発さないマリスに、アキラは視線を外さないように呟いた。
ただ並んでいるだけなのに、こちらをじっと見てくる魔物には言い知れぬ不安がある。
敵意があるかどうかさえ分からないのが、それをさらに助長させた。
「……、なあ、マリス、ちなみに、あいつらなんて魔物だ?」
「……、強いて言うなら、ゴーレム族に似てるっすね」
「……!」
そこで、アキラは、マリスが自分を止めた理由が分かった。
マリスは、あの魔物を知らないのだ。
今までマリスは、魔物が遠距離攻撃をするタイプなのか、近距離攻撃をするタイプなのか、はたまたその両方か、それのみの情報を与えていた。
確かに、アキラの属性からしてみれば、相手の戦術さえ分かれば何の影響もない。
日輪属性は、相性とは関係なく戦えるのだから。
だが、今、マリスはアキラを止めている。
それは、完全にノーデータだからなのだろう。
ただ、マリスという存在から考えるに、彼女のデータバンクに魔物がいないなどということは考えにくい。
それを考えると、アキラの頭に、相手の正体への道が一本に開かれた。
マリスが分からないと回答した場合のケース。
それが、つい先ほどあったではないか。
「まさか……、」
「召喚獣……っぽいっすね。召喚獣は、個性が現れるっすから」
「イオリ……か?」
「イオリさんの召喚獣は、ラッキーだけのはずっすよ……、っ、」
「って、増えてるじゃねえか!?」
アキラが見据えている魔物たちの向こう、同じく四体の泥人形が横一列に並びながら現れた。
その泥人形たちは、先に現れていた魔物たちの後ろにピタリと並ぶと、そのまま直立不動を保つ。
計八体の泥人形が並ぶが、それはまだおさまらない。
またも奥の角から、影が蠢き、近づいてくる。
それも、多い。
すると、戦闘の泥人形の顔が、僅かに上向きに変わった気がした。
その無表情から、異常なまでの危機感を覚える。
「マリスさ~ん、すっげぇ嫌な予感がするんだけど……、」
「全員揃ったら襲ってくる、なんてことが起こりそうっすよね」
「……やる、か」
「っすね」
アキラはもう一度広さを確認し、泥人形たちに跳びかかっていった。
隊列を組んでいるとはいえ、単純に行と列を作っているだけだ。
この狭さでは、連携を取ろうにも高が知れている。
アキラは剣を、横なぎに振った。
「……、」
「っ―――!?」
すると、並んだ以降微動だにしなかった泥人形たちは正に一糸乱れぬ動きで同時に後方へ跳ぶ。
そして新たに現れた四体と合流。
さらに、奥からも四体。
先ほどよりも数歩離れた地点で、四×四の行列を作る。
「なんだってん―――っ!?」
またもその地点で無言を保つのかと思えば、泥人形たちは全員同時に身をかかがめた。
のっぺりとした顔つきが、まっすぐアキラに向く。
そして、
「っ、」
メインルートの幅を埋め尽くし、泥人形たちはそのまま突撃してきた。
やはり、十六体が揃うまで待っていたのか。
それがスイッチだったかのように、泥人形たちはアキラたちに攻撃を仕掛けてくる。
「―――らぁっ!!」
だが、向かってきてくれるのならば楽なもの。
どうやら近距離タイプだったらしい泥人形たちに、カウンターを放つようにアキラは剣を振るう。
横一閃。
その一撃は、前列の四体を捉えた。
が、
「―――!?」
想像していた以上に、ずっと抵抗が少ない。
まるで空を切ったような感触に、アキラは体勢を崩した。
だが確かに、前列四体はアキラの剣の切り口からもろくも崩れ去っていく。
「っ、にーさん!!」
背後からのマリスの叫び声がなくとも、前列の四匹が単純な囮だったことにはすぐに気づけた。
後列たちが、土と化した前列を踏み越え、襲いかかってくる。
だが、身体は、立て直せない。
「―――!?」
残った泥人形十二体の当て身を受ける直前、アキラの身体はぐんっ、と後ろに引かれた。
身体を覆う銀の魔力。
その使用者は、考えるまでもない。
「にーさん、とりあえず今だけは、後ろに……!!」
マリスは一言そう叫ぶと、泥人形の突進を遥かに上回る速度でアキラを自らの後方へ送る。
彼女の瞳に映るのは、無表情だが確かな殺意を持っている、泥人形軍団。
「レイリス!」
その軍団に、マリスが腕を一本突き出せば、洞窟内を滑るように走る複数の矢。
数は、敵と同じ、十二。
マリスの放った銀の矢は、目の前の泥人形のように隊列を組み、対応するように向かって行く。
「……!?」
「っ、」
だがその十二の矢は、敵の全てに届かなかった。
アキラが何度も見た、通常の敵ならばすべからく滅していくマリスの魔術。
しかし、前にいた二列、八体が襲いかかりながら身を守るように手を交差させたと思えば、そのマリスの攻撃を防御。
泥が吹き飛ぶように爆ぜた向こう、後方に残った四体がまだ向かってきていることは、アキラにも見えた。
「っ、」
「!?」
当然、マリスにもそれは見えていたのだろう。
しかし、第二波を放とうとしたマリスをアキラは追い越し、アキラは土煙に向かって行く。
スペース上、この手の相手に、攻撃の手は緩めてはいけない。
放っておけば、入り口にまで退却させられる。
「―――、」
土煙の向こうから現れた泥人形に、アキラは迷わず剣を振り抜いた。
後列の泥人形は前列以上に堅く、強度がある。
だが、アキラがインパクトの瞬間に魔力を込めれば所詮は泥人形。
他の敵と同様に泥人形は両断された。
「……!!」
たった、一体だけ。
「っ、」
一体、いつから横一列に並ぶのを止めていたのだろう。
アキラが一体を屠った瞬間、その隙に、土煙の中から残る三体が飛び出してきた。
左右と、上方から飛びかかってくる泥人形たち。
自分を取り囲むような三方からの攻撃は、アキラは流石に、身体を動かせない。
「レイリス!!」
今度は、マリスはアキラの身体を引かなかった。
ただアキラの後方から跳びかかってくる泥人形たちを銀の矢で射抜いただけ。
ただの土塊になり、地面にべチャリと落ちると、いつしかそれは、洞窟に溶けていく。
アキラが体勢を整える頃には、戦闘は、終わっていた。
「はあ……、はあ……、」
「大丈夫っすか? にーさん、」
「あ、ああ……、」
この洞窟内で、マリスが自分をサポートするように動いていることは、アキラも気づいていた。
だが、その上で、マリスが先陣を譲ってくれてなお、撃退数はアキラが五体、マリスが十一体という結果が残る。
「っ、」
アキラは頭を振って雑念を追い払った。
今は気にするな。
今考えなければならないのは、自分たちを襲ってきた、召喚獣らしき泥人形たちのことだ。
「マリス、今の、なんか、」
「そうっすね……、やっぱり“戦われてた”っす」
マリスの同意を得て、アキラも自らの予感が正確だという自信が持てた。
先ほどの十六体の泥人形たち。
一列目は、ただの囮。アキラも騙されたように、近距離攻撃を仕掛ける相手の体勢を崩すのが目的なのだろう。
二列目と三列目は、防御と目くらまし。相手の攻撃を防いだ上で、土埃を上げ、視界を遮る。
そして四列目は、本命。遮られた視界の向こう、目がない泥人形たちには関係ないのか列を解放し、相手に襲いかかる。
アキラは一列目でつまずいたが、ある程度の者でも、一列目に体勢を崩され、直後に襲う二列目と三列目に対抗できても、目くらましを受けた上で四列目に襲われる。
問題なのは、明らかに、相当な連携が取れていたということ。
つまりは、召喚の術者が近い場所におり、その上で自分たちを殺そうとしていた、ということだ。
「……!」
「また来やがった……!!」
アキラの息も整わぬ内に、奥の角の影が蠢いた。
その一糸乱れぬ影の動きで、相手はすぐに想像がつく。
「本当に、複数召喚タイプっぽいっすね……。一体一体はともかくとして、何体もいたら……、」
マリス頼りになる。
マリスの言葉は、アキラにはそう聞こえた。
あの泥人形相手に対抗できるのは、範囲攻撃が可能なマリスだけだ。
アキラでは、攻撃の手が追い付かない。
「……、マリス。さっきラッキーにかけてた、速度上昇、俺に使えるか……?」
「……!」
アキラは剣を構えながら、マリスに静かに問うた。
「ファロートは負荷が……、それに、慣れてないと、頭が追い付かないっすよ?」
「なら、認識能力も上げてくれ。できるんだろ……!?」
マリスの否定的な言葉に、アキラは更なる注文を加えた。
聞かれれば、大抵のことはできる、月輪属性の者に。
だが、それこそ負荷は尋常ならざるものになるだろう。
マリスも表情をさらに険しくしている。
確かに、そんなリスクを背負うことはない。
マリスに任せれば、自分は後ろをゆっくり歩くだけで先に進めるだろう。
泥人形たちの連携など、マリスにとっては所詮弱者の小賢しい足掻きにしか見えないのかもしれない。
だが、それでは、意味がない。
「……、」
マリスは、アキラと先の道を見比べた。
泥人形たちは、ついに角から姿を現し始めている。
今度は、すでに十六体。
すぐにでも、突撃してくるだろう。
「やらなきゃいけないんだ……!!」
「―――、」
アキラはまっすぐマリスを見据えてきた。
そんなことをされたら、マリスは断れない。
彼は、止められないのだ。
「いくっすよ、にーさん!!」
「ああ!! 頼む、マリス!!」
マリスは、手を振った。
―――**―――
「やっぱり、ここだったみたいだね……!」
イオリのよく通る声が、広間に響いた。
サクは注意深く、辺りを確認する。
「……、」
サクとイオリが到着したのは、サクがこの蟻の巣で見た中で、最も大きな広間だった。
建物は元より、もしかしたら宿舎が庭ごと入ってしまうかのような空洞。
魔物を倒しながらの道中、イオリの説明によると、ここが最も主として使っている休憩所らしい。
かつて、この巣を作った大型の魔物もここにいたそうだ。
一番奥にあるゆえに通行こそ不便だが、魔物もわざわざ奥まで行くこともなく、入り口付近に密集しているがゆえ、かえって奥の方が安全らしい。
地面には腰かけようなのかいくつも大岩が散乱しており、部屋の奥には、モルオールの魔術師団の所有地とでもいうように、巨獣の大きな瞳を模したエンブレムの団幕が掛けられている。
その、団幕の下。
大岩に腰かけ、まるで糸の切れた操り人形のようにうなだれている男がいた。
イオリの声も届いているのかいないのか。
団員服に身を包んだ男は、だたそのまま身体を動かさず、足の先の地面に視線を向けていた。
サクが昨日見た、オールバックで固めていたような髪形は乱れ、ずれた眼鏡もそのままにかけ、沈黙を保っている。
「カリス!!」
もう一度、イオリが叫んでも、変わり果てた副隊長のカリスは動かなかった。
「……!」
いや、動いていた。
サクが注意深く視線を向けたのは、カリスの乱れた前髪。
彼自身の震えに呼応し、徐々に震度を増していく。
「何故……、何故……、」
「……?」
ついに、呟きがサクの耳にも届いた。
まるで極寒の地にでもいるように、カリスの身体は震え続け、呟き声は大きくなっていく。
「何故……、何故……、こんなことに……、」
「……カリス。……カリス=ウォールマン!! 本日の勤務態度について、君に話したいことがある!!」
イオリが声を張り上げても、カリスの耳には届かない。
だがカリスは、うなだれたまま足を地につけ立ち上がった。
「何故……、お前一人じゃないんだ……、イオリ……!!」
「……!」
カリスがイオリに向けた顔が視界に入り、サクは寒気を覚えた。
人間に、どのような所業をすれば一日でそんな表情になるのか。
瞳は黒眼が異様に狭まり、頬はごっそりと削げ、顔面は蒼白。表情は、苦悶に見知恵いる。
色彩も薄くざらついた唇をプルプルと震わせ、カリスは、絶対零度の視線を向けた。
もし、彼から背筋を冷やすような殺気を感じなければ、飢餓に苦しみ、助けを求める人物に見えていただろう。
だが、やはり、彼からイオリに向けらえる殺意は、微塵にも衰えない。
「よりによって……、勇者様方を……、巻き込んで……!!」
「……?」
カリスの視線が初めてサクに向く。
その表情は、イオリに向けていたものと一変、ただ自分の不幸を嘆く、哀れな男のものだった。
「お前が……、お前一人が……、ここにくれば良かったのに……!! 港町はどうした……!? お疲れの勇者様たちを、何故連れてきた……!!」
「……、向こうの方はもう片付いているだろう。悪いが“勇者様たち”はあの程度じゃ足止めできない」
「ふざけるな……。勇者様たちを……、こんな場所までお連れして……!! お前だけが来るはずだった。お前がっ、隊の問題にっ、図々しくも巻き込みやがった……!!」
殺気一色で染まった怒気を飛ばし、カリスはイオリを睨みつける。
もう間違いはない。
カリスは、イオリを殺そうとしている。
「お前のせいで……、俺は……、俺は……、」
「……、」
サクは沈黙を守ったまま、カリスの計画を想定した。
港を襲い、町を壊す。
そうなれば、魔術師隊は、町の復旧に尽力することになるだろう。
とすれば、副隊長のカリスを探すために割ける人員は僅か。
マリスがいたお陰で襲われこそしなかったが、このリオスト平原は危険地帯。
イオリが実際に判断したように、戦力的に彼女がここにくる確率は高いのだろうが―――
「……、」
―――穴がありすぎる。
隊を束ねるのもとして、イオリが町に残ることもある。
そして、勇者様御一行は、まさしく今の通り、ここに来るかもしれないのだ。
そもそも、カリス探索が、後回しになる可能の方が高いだろう。
いずれにせよ、彼女一人がここに来るのは、正直微妙だ。
ある種“賭け”のようなつもりで立てた計画かもしれない。
だが、“しきたり”を考えれば、魔術師隊の内乱などという暴挙は、もっと高度な計画を立てなければ、あまりに危険だ。
まともな思考回路で考えたものとは考えられない。
そもそも、彼が、魔物を操れるということを前提としなければ立てることもできない計画だ。
「お陰で……、俺はっ、俺はっ、勇者様に……、手を……!!」
「……!」
「大丈夫。アキラたちなら、きっと無事だ」
ほとんど独り言のようなカリスの言葉に反応したサクに、イオリは小さく呟き返した。
「色々聞きたいこともあるが……、まともに会話はできそうにないね。一つ聞いておくよ。カリス、何が望みだ?」
努めてクールに、イオリはまっすぐカリスを見据えた。
その返答が当然分かっているサクは、すぐに愛刀に手を当てる。
未だ完全に信用できたわけではないが、自分たちの味方だとあれほどはっきり宣言した以上、イオリと立ち位置を同じにするべきだろう。
「イオリ……、お前を……、殺す……!! 仕方ない……、仕方ない……、そこの女も……、勇者様も……、知られた以上は……!!」
「……!?」
「勇者様に手を向けたなど……、そうしなければ……、俺は……、俺は……、終わりだ……、」
殺意を向ける対象に“様”付け。
どこか支離滅裂な物言いに、サクが眉をひそめた瞬間、大広間に地鳴りが響いた。
「っ、なんだ……!?」
「―――カリス、やる気か……!!」
イオリの声が地響きの向こうから聞こえたと思えば、自分たちとカリスの中間の地面が、大量の隆起を作った。
サクとイオリが一歩飛び退くように離れた直後、その隆起は人型の高さまで膨れ上がると、徐々に圧縮される。
気づけば大岩ばかりだった空間に、数十、数百体の泥人形が現れた。
いや、“隊”と表現すべきかもしれない。
奥まで判断できないが、少なくとも列は二十、三十を上回っている。
それらは規則正しく行と列を作り、岩の上に立ったカリスの演説を聞くかのように、サクとイオリに背を向けていた。
いや、それが背かどうかは分からない。
僅かに見えた端にいる泥人形の顔は、後頭部同様、今から顔を掘られる人形そのもの。
関節やつま先で判断する必要があるほど、その人形には特徴がなかった。
「召喚獣……!!」
「……ああ、カリスも召喚術士だ」
だが、数が多すぎる。
それこそ、広間一体を埋め尽くすほどに。
「ラドウス……。殺せ」
何と淡白な命令か。
ラドウスと呼ばれた泥人形たちは一糸乱れぬ動きでサクとイオリにのっぺりとした顔を向けると、身をかがめて構えをとった。
「イオリさん、離れないように」
「ああ……、分かっている」
「まずは―――、」
先手必勝とばかりに、サクは地を蹴った。
イオリも同じく、駆けてくる。
跳び込む先は、端に並ぶラドウス。
間違っても、二人で離れて戦ったり、中心で戦って囲まれるようなことになったりしてはならない。
「っ、」
ラドウスが動くよりも先、サクは愛刀を抜き放った。
鋭く光る、イエローの閃光。
その一閃が、明確に、角の四体を切り裂く。
「……!?」
が、思った以上に手ごたえがない。
「サクラ!! それは―――」
「っ、」
囮。
イオリの声が届くより先、サクは素早く判断すると、緊急離脱し体勢を立て直す。
どうやら、ラドウスたちに個性のないのも作戦の内なのか。
サクがいた場所に攻撃担当の召喚獣が襲いかかっていた。
「その名で呼ぶのは、止めて欲しいのだが、」
「ああ、すまないね」
イオリは小さく呟きながらも、投げナイフを召喚獣に投げ込む。
狙いは先ほどサクに襲いかかっていた攻撃担当のラドウスだ。
数に限りのある投げナイフ。
使う対象は、囮や防御担当の相手ではまずい。
「イオリさん、彼は、これほどに……!?」
「っ、」
極力囲まれぬように壁を意識しながら戦うサクは、隣で一対の短剣を振るうイオリに視線を移した。
この軍勢。
魔道士とは尋常ならざる力の持ち主だと聞いたことはあるが、このレベルでは彼一人で魔術師隊を名乗ることさえできそうだ。
「っ、僕の知っている限り、彼はここまでの実力じゃないよ……!!」
確かにこれほどの大群を操れるのなら、彼一人で魔術師隊が管轄する地区を守りきれるだろう。
だが、サクは一つ知っていた。
こういう戦い方ができる方法を。
魔術の対価は、魔力、時間、そして生命だ。
瞬時に出した以上、時間は対価ではない。
となれば、カリスが今、犠牲にしているのは、
「っ、早く止めないと、」
「ああっ、分かっている!」
イオリの額にも、いつしか汗が浮かんでいた。
どうやらラドウスたちは、集中してイオリを攻撃しているようだ。
サクが先ほどから必殺の居合いを放っても、残る感触はあまりに軽く、囮ばかり。
主力たちは、カリスの指示なのか、密集してイオリを襲う。
「……、」
ここまで恨まれるとは、一体イオリはカリスに何をしたというのだろう。
サクの脳裏に何か違和感が残るも、全力で刀を振るう。
もう一々鞘に収めていられない。
身体を回転させるように勢いを上げ、ラドウスたちを切り裂く。
召喚獣が戦闘不能になっても大地に溶けるだけで、爆発しないのは幸いだ。
この大軍が爆発したら、洞窟が崩れてしまうかもしれない。
「誰かが操っているのか!?」
「……、」
サクはまたも囮だったラドウスを切り裂き、視線を岩の上に乗ったままのカリスに向けた。
カリスの顔色は相も変わらず病人のようだが、目をぎらつかせ、まともな人間の表情ではない。
「っ、彼に聞いた方が早そうだ……!!」
イオリは一対の短剣を束ねて左手に持つと、右手の親指と人差し指で輪を作った。
そしてそのまま口に近づける。
「一人で大丈夫か!?」
「ああ、行ってくれ!!」
イオリの意図に気づき、サクは距離をとった。
ラドウスを切り裂きながら向かった先、振り返れば、イオリは指を口に近づけて、
「ラッキー!!」
叫んだ直後、洞窟内に澄んだ指笛が響いた。
するとラドウスの密集地帯、先ほどの隆起とは比べ物にならないほど大地が膨れ上がる。
土の塊は徐々に圧縮され、先も見た、イオリの召喚獣を形作った。
「僕はカリスに向かう!! ここは任せた!!」
「ああ、行ってくれ!!」
この程度の相手なら、しばらくは一人で大丈夫だろう。
サクが叫び返した声を聞き、イオリはラッキーに一直線に突き進んだ。
そしてそれに飛び乗ると、巨獣をカリスに向かわせる。
進行方向のラドウスたちは、その力に弾き飛ばされ、イオリの進路を遮れない。
「カリス!!」
イオリは高くなった視線の先、変わらず自分を睨みつけるカリスを捉えた。
こうなってしまえば、彼の安否など気遣っている場合ではない。
このままラッキーで突き進み、彼を、倒す。
「ラドウス!!」
「―――!?」
途端、イオリの視界は遮られる。
カリスが叫んだ直後、目の前に先のラッキーにも勝る大地の隆起が現れた。
「ぐっ―――」
その隆起にラッキーがそのまま突撃した振動に、イオリは全力でしがみつき、弾き飛ばされないように魔力を身体中に纏う。
「―――!?」
まるで交通事故のような衝撃の先、ラッキーが衝突した巨大な隆起から大木のような太腕が伸びてきた。
その二本の腕はラッキーの肩を掴むと、待ち上げようとでもしているのか、全力で力を込めてくる。
「グッ、グルルッ!!」
「ラッキー!! 押し返して!!」
イオリは叫びながら、巨大な隆起をラッキーの背から見上げる。
いつしか圧縮されていたそれは、やはり表情がない泥人形。
だがそれは、サイズは先ほどまでのラドウスを遥かに超え、体格も人型だが、重量感のある巨人のような存在。
これは、カリスの召喚術の最終形態だ。
イオリは自らの知識を呼び起こす。
召喚獣は、魔力の量で、その大きさが決まる。
特に、土から作るラドウスのような魔物は、魔力で形を整えておかなければならない。
足元のラドウスたちは、所詮小さな存在。
魔力は微弱でいいが、これほど巨大となると、必要な魔力は圧倒的に膨れ上がる。
カリスは、この粋にまだ達していない。
それどころか、足元の数の召喚獣を同時に出すこともできないはずだ。
これは明らかに、カリスが生命を削っていることの証明。
「っ、クウェイル!!」
巨大なラドウス相手に押し合いを不利と判断したイオリは、ラッキーの肩に伸びている腕に短剣を突き立てた。
共に詠唱するのは、土曜属性の上位魔術。
揺るがない、土曜属性の魔術。
ゆえに、揺さぶられるのはそれに接したものとなる。
その理に則してイオリの短剣から漏れた魔力は、ラドウスの腕を揺らし、身体を破壊していく。
「……、……、」
イオリの攻撃にすら無言な口のない巨人は、しかし確かに魔術の影響を受け、身体を構成する土を落としていく。
同じ土曜属性の召喚獣だが、短剣を媒体に直接身体に送り込まれては、流石に効果があるようだ。
身体が壊れれば、ラッキーで、いける。
「かっ―――!?」
短剣に魔力を押し流していたイオリの胸が、突如鋭い一閃で突かれた。
ラドウスに突き刺していた短剣は、繋がっている腰に刺さっていたもう一本の短剣に引かれ、イオリと共にラッキーの背中を転がる。
「っ、っ、か、はっ、」
ラッキーの背に肘を突いたイオリは、胸を突かれて詰まった喉を何とか開いた。
一点が、異常に熱く、激痛を届ける。
口に嫌な味を感じつつ、イオリが何とか立ち上がると、先ほどまでイオリがいた場所から、カリスが目をぎらつかせて飛び込んで来た。
「苦しめ……、苦しめ……、苦しめ……!!」
「っ、」
一対の短剣で、カリスの攻撃をいなす。
カリスが持っているのは、鉄製の細長い棍だ。
それが先ほど、イオリの胸を突いた、カリスの武器。
もしその棍が喉を突いていたかと思うとぞっとするが、もしかしたらカリスはわざと外したのかもしれない。
言葉通りに、イオリに苦痛を与えるために。
「っ、」
時に刺すように、時に払うように。
狂気に満ちた瞳なのに、カリスは技術的な攻撃を仕掛けてくる。
だが、その攻撃は、
「ぐ―――!?」
カリスが身をかがめたかと思えば、イオリの鳩尾が鋭く突かれた。
「がはっ、はっ、っ、」
その激痛に受け身も取れずに、イオリはラッキーの背を転がされた。
尾の近くまで転がされ、身悶えしながら必死に身体を起こす。
「イオリは……、弱い……、弱い……、そうだ……、俺の方が……、」
「っ……、は……、は……、」
カリスは未だ狂気に満ちた瞳を、イオリに向けていた。
強い。
そんなことは知っている。
魔力を含んだ総合力はイオリに分があるが、体技はカリスの方が上だ。
だが、いくらなんでも、ここまでの差はなかったはずだ。
「死ね……、死んでくれ……、」
「……!」
今になって、カリスの身体から魔力が溢れていることに気づいた。
発見が遅れるのも無理はない。
カリスは足元のラドウスや、ラッキーと未だ押し合いをしている巨大なラドウスも召喚しているのだ。
足場のラッキーの押し合いは、さきほどのイオリの攻撃のお陰か、今度は五分のようだ。
そんなラッキーの召喚に魔力を使っているイオリのように、肉弾戦に回す魔力がそこまであるとは考えられない。
この力の対価は、生命。
今すぐ止めないと、カリスは燃え尽きてしまう。
「イオリ……、お前は、隊長の器じゃない……。俺が、一番相応しい。そうだ、そうだ、そうだ、」
「……、カリス……、」
「お前さえいなければ……、こんなことには……、最悪だ……、最悪だ……、最悪だ……、」
あるいはそれは、イオリに言っているのではないのかもしれない。
自分に言い聞かせているのか、カリスは呪詛のように言葉を呟く。
「……、」
だが、例え対象がどうあれ、イオリにそれは届く。
足に力が入らない。
カリスが鳩尾を突いたときに土曜の魔力を流し込んだのか、身体の中で、まだ魔力が震え、暴れている。
だがそれ以上に、耳が痛い。
そして、胸も、だ。
カリスが向けているものは、純粋に、イオリへの殺意。
彼はこんな人間ではない。
イオリはそう、確信を持って言える。
こんな卑屈な性格ではないはずだった。
だが、彼をここまで変えてしまった理由。
それをイオリは知っていた。
その一端を、自分が担っているのだ。
「……、」
二年前、突如イオリは日常から切り離された。
だが思ったのは、この世界で生きていくこと。
それだけだった。
元の世界は、それなりに好きだったはずだ。
両親もいたし、愛犬もいたし、深い交友を結ぶ相手はいなかったが、学校生活もそれなりに充実していた。
だが、この異世界は、イオリにとってあまりに刺激的だったのだ。
魔法というものとの出会い。
神族や魔族など、架空の世界の存在も、当たり前として捉えられている。
町を出れば魔物が現れるなど、まるでゲームのようではないか。
そんな世界との邂逅は、当時十六だったイオリの目を向けさせるのには、十分だった。
もともと現実主義を地で行くような性格だったのに、ここまで未知の世界に憧れていたとは、イオリ自身驚いた記憶がある。
元の世界への愛着も、都合のいいことに記憶が飛び、日々の中でさらに埋もれていった。
そして。
自分に宿った力に、“そう”名前を付けられたのはそれからずっと後のことだった。
「カリス。“そんなことは、分かってるさ”」
イオリは震える足で、何とか立ち上がった。
「前に……、僕に“予知能力”があることは話したね……? あれは、本当だ」
遠くで戦うサクには届かないだろう。
イオリはただ、目の前の男だけに、その言葉を届ける。
絶対に、他の誰にも聞かれないように。
これは、“隠し事”。
イオリが辿り着いた、一つの可能性。
「僕は、きっと、未来を視たんだ。スタート地点で、今から何が起こるのかを」
出所は分からない。
しかし、イオリは確かに視た。
夢とは思えないリアルで、長い幻想を。
「“その予知によれば”、隊長だったのは……、君だ。僕は副隊長」
カリスの身体がピクリと動いた。
イオリが予知能力のことを話したのは、カリスだけ。
そうなのだ。
そもそもイオリが召喚術士を目指したのは、“予知で視た”カリスがそうだったから。
魔道士として、勤務に実直な彼を、尊敬したからだ。
恩師として。
カリスは、自分とは違う。
魔力こそイオリより劣るが、彼は実直で、見た目では分かりにくいが人間味があった。
実力と人望を兼ね備えた隊長だったのだ。
「“僕が尊敬する君”には、隠し事を話そう。僕は、異世界から来た」
「……」
カリスはイオリを睨みつけたまま、動きを止めている。
信じてもらえなくてもいい。
どうせ、自分も憶測の話を始めるのだ。
「どうやら異世界来訪者には、この世界は優しくてね……。色々恩恵を授かっている。魔力もそう。そして、予知能力のようなものも」
「……、」
自分がここまで先を読めるのは、先を“視た”からだ。
予知能力のようなものが働いたのは、たった一度。
この物語のスタート地点で、イオリは自分の、全ての旅路を視た。
流石にその内容総てを記憶できたわけではないが、イオリは、先を知っている。
あるいは、魔術試験の内容。
あるいは、大群の魔物が管轄区を襲う時期や戦略。
その情報全てを、イオリは“使って”、ここに在る。
「理由は分からない……。その予知夢とも言えるものを、何故視たのかも。僕は“総てを知っているわけじゃない”から。だけど、こういう仮説を立てられた―――」
イオリは、先を見てしまった目を伏せ、ゆっくりと開く。
師に対して、言い訳はなしだ。
不思議と今は、口が軽くなる。
イオリが立てた、一つの仮説。
「―――僕が視たのは、きっと、物語の“あるべき姿”。僕が自分の予知通りに動けば、こんな“バグ”は、起こらなかった」
“何が起こるのか分かる”。
そういう力を、自分はきっと授かったのだろう。
物語のあるべき姿を、識るために。
物語のあるべき姿を、守るために。
それなのに、それで、魔道士になるための手柄を荒稼ぎした。
気づけばイオリは、隊長だ。
「僕は、世界を壊してしまった。予知能力にあかせて、ね」
自虐的に、イオリは呟く。
視えていた世界。
そこにはこんな、“バグ”は存在しなかった。
総てが整然と並び、世界はキラキラと輝いていたのだ。
だが、イオリはその結末を、結末だけは、絶対に避けたかった。
途中まではキラキラと輝いていた世界は、最後、黒く、濁っていたのだから。
だから自分は動いたのだ。
予知で視ていた世界に、背を向けるために。
アキラには絶対に話せない。
彼は、世界の陰りを極度に嫌う。
予知で視た世界では、彼はそういう存在だった。
そして、今もそれは変わっていない。
本当に、自分は卑怯で、わがままだ。
やはりあの予知は、オラクルだったのかもしれない。
未来はこうあるべきだ、という。
もしこの“しきたり”に縛られた世界で生まれた者が“それ”を視たら、天命だと受け入れた者もいるだろう。
それに、異世界から訪れたイオリは、逆らった。
「色々“バグ”が多いのも……、僕が責任の一端をになっているんだろうね。そのせいで、君はそんなになってしまった。本当に僕は、図々しい」
最早カリスに対しての言葉ではないかもしれない。
イオリも、カリスも、誰に向けてのものなのか、一方通行の会話をする。
もう、イオリには、先がほとんど分からない。
この世界にできた“バグ”は、イオリが予知で視た世界を遥かに超えている。
自分が“視た”世界の筋書きから、あるべき物語の姿から、すでに遠く離れてしまった。
イオリが視た予知では、今自分に牙を向けているのは、“サラのはずだった”。
自分に対する劣等感が増大し、彼女はイオリに牙を向けていたのだ。
だから彼女を、昨日自分から離れないように手元に置いた。
知っているからこそ、それを避けるために。
それなのに、自分が世界を弄ったせいで、今度はカリス。
これは、ここでの戦いは“刻”だということを示しているのかもしれない。
だが、“視た未来”では、隊長として凛としていたカリスが、自分にここまでの劣情を向けてくるとは思いもしなかった。
「僕はやっぱり……、卑怯な上に、人望がないね……。どうあっても、人に恨まれるらしい」
イオリはぼそぼそと呟く。
胸は、痛い。
「……本当の友人が、できないはずだ」
それほどまでに、自分は卑怯なのだ。
「だけど……、」
イオリは胸の痛みを押し潰し、カリスに構えた。
「殺す……、殺す……、殺す……、」
未だ呟き続けるカリスは、言葉が届いていないのか、狂気じみた瞳を向け続ける。
「……力が欲しい。“視てしまった未来”を、絶対に変えたい。それこそ、魔道士になるほどまでに、経験を積んで……!!」
それほどまでに、イオリは力が欲しかった。
“視えてしまった未来”を、変えたい。
それが、イオリの、
「そういうのは……、言って、欲しかった」
「―――!?」
イオリが見据えたカリスとの間。
シルバーの光に包まれた男が、どこから現れたのかラッキーに飛び乗ってきた。
「ア、 アキラ……!?」
「はっ、はっ、はっ、」
息を切らせ、身体中から汗を噴き出し、それでもアキラは剣を構えた。
「い、いつから……?」
「ずっと近くにいたぞ……。ラッキーに乗ろうとしていた泥人形倒してたんだよ……!!」
「……!」
言われてイオリがラッキーの足元に視線を移せば、泥の塊が大地に溶けていっている。
よくよく考えれば、巨大ラドウスと押し合いをしているラッキーに、イオリを狙っていた小さなラドウスが乗って来なかったのも妙な話だった。
だが、足元のそれ。
その、最早、量、と表現できる数は、あまりに多い。
これを、彼一人で行ったのだろうか。
「ああ……、今、俺、スター状態……、だから……、」
アキラはさらりと口から吐き出したつもりだったのに、いつしかほとんど呂律が回らなくなっていた。
向こうでサクと戦っているマリスをちらりと見る。
彼女にかけてもらった速度上昇魔術、ファロート。
同時に認識能力も上げてもらわなかったら、アキラはその勢いのまま壁にでも激突していただろう。
まるで世界全てが自分を残してスロー再生になったような感覚。
そのくせ、視力が高くなり、人の会話や音はより高度に、正確に拾えるという反則級のマリスの魔術。
その力で、アキラは泥人形たちの戦術など意に介さず撃退し続けていた。
もしかしたら、エレナがこういう身体能力にあかせた戦いをしているのかもしれない。
だが、その対価は、先ほどからアキラの身体を襲い始めた激痛。
どうやら自分は、実力以上の力を使うことになると、やはり苦痛を強いられる運命らしい。
「……、」
だが、今は倒れられない。
イオリの言葉は、確かに耳に届いていた。
まだ完全に信じることはできないが、彼女は未来を視たらしい。
そしてその力を使い、未来を変えてしまったことに、責任を感じている。
そんなもの、口調から、いくらでも拾えた。
だが、
「イオリ。お前の視た未来。俺はそこで“具現化”を使えたか……?」
「……、」
アキラは確認の意味も込めて、小さく呟いた。
自分の胸のつかえも、今ここで、取っておきたい。
マリスの魔術が体を蝕み続けても、この確認はしたいのだ。
自分が結論付けた、歪な世界の最大の要因。
その銃の、存在の意味を。
「……いや。君はそんなこと、できなかったよ」
「……そっか」
アキラは少し、肩を落とした。
勇者の力と喜んでいたそれが、今度こそ、自分とは別個のものだと認識させられたのは、少し辛いのかもしれない。
だけど、この世界にある“バグ”の正体。
やはりそれは、アキラの持つ、あの銃だ。
この世界に、“バグ”を作っている存在は、イオリだけではない。
「だったら俺は、お前よりこの世界に“バグ”を作ってる」
イオリの言葉を聞けば、彼女の作った“バグ”など可愛いものだ。
巡り巡って何かの影響を出しているかもしれないが、それも些細なものだろう。
対してアキラは、物語のあるべき姿を壊しながらここまで来ている。
あの銃の力によって、伏線も、想いも、総てを蹂躙して。
それをバグと捉えるのなら、アキラの所業は、それこそ最悪だ。
何のことはない。
世界の“バグ”は、やはり、アキラの力のせいなのだ。
イオリの予知能力の出所は、分からない。
あの銃の送り主も、未だ分からない。
だが、それさえ使わなければ、この世界の“バグ”はなかったのだろう。
だから、自分が見つけた道は、これで合っている。
具現化に頼らないほどに、強くなればいい、と。
「ならもう、使わない……!!」
随分自分も、変わってきたものだ。
もしかしたらこれは、マリスの魔術による強化で、気が大きくなっているからだけかもしれない。
だけど、それでいい。
頼りない自分は、こういう風に気が大きくなっているときにしか、でかいことは言えないのだ。
だが言えば、自分はそれを、守ろうと思えるだろう。
「“バグ”はもう、こりごりだ……!!」
らしくもないことを考える羽目になった、“バグ”の作り手。
その“バグ”は、世界に陰りを落としている。
だったらそれは、避けたいではないか。
そうすることで、世界は優しさを取り戻す。
「折角だから、一度くらいは見たかったかな……、」
「……!」
「ラッキー!!」
イオリが小さく呟いたと思えば、短剣を仕舞い込み、ラッキーの背に手を当てた。
すると今まで均衡していた巨獣たちの押し合いが、一気に優位に傾く。
「アキラ、僕はこれから、ラッキーに全力で意識を向ける……!! 君は、」
「……、ああ、」
アキラは剣を構え、カリスと向かい合った。
未だカリスは、ぶつぶつと何かを呟いている。
「あんな彼は……、もう見ていられない……」
「……、分かった」
イオリの言葉を背に受け、アキラは一歩踏み出した。
カリスもアキラの動きに呼応するように、手にした棍を構えた。
「殺す……、殺す……、」
「……!」
最早カリスは、アキラが“勇者様”であることを失念しているのかもしれない。
狂気の色が増した瞳を、アキラに向けてくる。
人相手は初めてだ。
だが、どうみても、説得が通じる相手には見えない。
何が起こったかは知らないが、とにかく今は、彼を戦闘不能にすることだ。
多少の傷を負っても―――
「……、」
今のアキラの広い視界には、ほとんど全ての泥人形を葬り去っているマリスが見える。
土曜属性の相手に苦戦していたサクに合流し、蹂躙するように戦い始めて数分。
シルバーの閃光は、未だ衰えずそこにある。
―――彼女が何とかしてくれる。
「っ―――」
「―――!?」
アキラの突撃に、カリスの目が見開いた。
サクに並ぶのではないかというほどの、アキラの速度。
カリスにしてみれば、技術が低いその一撃は、しかしその速度ゆえに、彼を棍ごと弾き飛ばす。
「が―――!?」
うめき声を上げたのは、ラッキーから弾き落とされたカリスではなく、その一撃を繰り出したアキラ。
流石に虫が良すぎたか。
アキラの身体の中で、マリスの魔術が暴れ回る。
この反動ゆえに、マリスは使用を控えていたのだろう。
もしかしたら、この戦闘が終わったあと、アキラは廃人になるかもしれない。
それほどの、激痛。
だが、動く。
「―――っ、」
アキラは落ちて行ったカリス目がけ、ラッキーから飛び降りた。
すでに足元には泥人形たちはいない。
残党も、他の者が当たってくれている。
自分は、カリスだけを考えればいい。
「ぶ―――っ!?」
向かった先、カリスが棍を振り払った。
僅かなフェイントを入れての一撃。
アキラは空中で、それをそのまま腹部に叩き込まれた。
「っ、がっ、」
「死ね……」
「―――!?」
アキラが転げた先、いつしか詰め寄っていたカリスが棍を振り下ろした。
マリスの速度上昇がなければピクリとも動けなかったろう。
アキラはさらに転がり、その一撃を避ける。
だが、カリスはそれに鋭く反応すると、離れて立ち上がったばかりのアキラに棍の追突を見舞った。
「って、つよ―――」
剣をコンパクトに振り、それをいなしてアキラはさらに距離をとる。
だが、そのアキラの動きも想定内だったのか、カリスは微塵にも大勢を崩さず、アキラに襲いかかってきた。
「っ―――」
マリスというチートな存在の助力を得てなお、アキラはカリスに押されていた。
攻撃に移ろうにも、これだけ近接されていては防御で手いっぱいだ。
「ちょっ、待て、って……!!」
カリスは先ほどのアキラの突撃をインプットし、早くもアキラの動きを封じている。
これが、魔道士というものなのか。
大量の召喚獣を出し、疲弊はしているはずなのに、強い。
アキラの身体は軋みを上げ続ける。
さっそく先ほど使わないと宣言した力の魅力を感じる羽目になったが、アキラは雑念を振り払った。
ただ、こういうときは、普通、勇者は相手を圧倒すべきではないのだろうか。
それなのに現状、比喩ではなく、殺されそうになっている。
広い視野に映るのは、泥人形たちを倒し終わったマリスとサク。
そして、ラッキーと共に巨大な土の塊を地に還したイオリ。
気づけばこの戦闘は、完全にアキラ待ちになっていた。
「っ―――」
アキラは、全力でカリスから離れるように跳び、遠くに着地。
それを追って突撃してくる、カリス。
「もう少し―――」
アキラはカリスに向かって駆け出した。
カリスの横なぎに振る棍に合わせ、アキラは剣で防御の体勢をとる。
ここまでは、カリスも計算通り。
このあとは単調なアキラの攻撃を受け流しつつ、再び近接するだけだ。
だが、
「―――!?」
カリスが放った棍の一撃には、ほとんど何も、抵抗が残らなかった。
振り抜いてしまった棍が弾き飛ばしたのは、持ち主のいない剣。
カリスも、そうするとは思わなかったろう。
まさか、戦闘中に、武器をあっさり手放すような者がいるとは。
だがそれも、今のアキラに相当な速力があれば、成り立つ戦略。
アキラは横なぎの棍の一撃を跳んで回避すると、無防備なカリスにその勢いのまま向かって行く。
抵抗のない敵に攻撃すれば、隙ができる。
それは先ほどアキラが、カリスの召喚獣で学んだこと。
「―――かっこつけさせろ!!」
ファロートにより急加速したアキラの拳が、カリスの顔面をまっすぐ捉えた。
カリスの眼鏡が原形を完全に崩壊させて弾き飛ぶ。
それと同時に、カリスの意識も刈り取った。
「……アキラ。攻撃するときに喋ると、舌を噛むよ」
「いや、今だけはマジでかっこつけさせてくれよ……」
小さく笑いながらのイオリの酷評に、アキラは息を荒げながら拗ねた顔を向ける。
だが、気分は爽快だ。
自分は初めて、ボスのような存在を、あの銃を使わずに倒せたのだから。
そしてイオリに覚えていた違和感も、徐々に薄れていく。
「にーさん!!」
「?」
アキラがどこか満足げに剣を拾うと、マリスが全力で近づいてきた。
わざわざ飛翔魔術も使い、一瞬で詰め寄ってくる。
「なんだよ、マリ―――」
「今すぐ座ってじっとして―――」
「―――!!!?」
マリスの顔が目前に現れたと思えば、アキラの視界は完全に暗くなった。
身体から、弾き飛ぶようにシルバーの補助魔術が消え去る。
「っ、ぅっ!?」
耳の中から何かが外に噴き出し、目玉は抉りだされるように疼き、身体の骨という骨が弾き飛ぶ。
そんな感覚を同時に受け、アキラはその場に崩れ落ちた。
「っ―――」
もう声も出せないほどの激痛に、アキラの顔が歪む。
マリスは最早死体に近い有様のアキラに、全力で魔力を流し込んだ。
いくらなんでも無理がある。
あの速度上昇の魔術を、こんなに長時間使っているのは。
「マリーさん、アキラ様は!?」
「―――、」
マリスに僅かに遅れて到着したサクに、マリスは何も返さなかった。
今は、アキラの救命が第一優先。
流石にサポートに徹しすぎた。
敗れた副隊長のカリスの方が遥かに軽傷だ。
やはり、あの速度上昇魔術は、容易にかけるべきではなかった。
彼が調子に乗りやすいなどということは分かっていたはずなのに。
拒もうと思えば拒めるこの補助魔術を、アキラは文字通り身体が果てるまで使い続けてしまったのだ。
洞窟内が、カッ、と銀の色で満たされる。
マリスは加減を考えず、膨大な魔力をアキラに流し込んだ。
「……、が、が、が、」
「……、」
アキラに、身体の激痛に声が漏れる程度には、余裕が戻ってきた。
だが相変わらず表情は苦悶に満ちている。
アキラの身体のダメージは、以前の脱臼よりも遥かに酷い。
でも―――
「……、」
アキラの表情が、徐々に和らいでいく。
回復魔術はあまり得意ではないと言っても、マリスにとって、だ。
並みの術者では絶望的でも、何とかなる。
「かた、勝った……、かた、」
「……分かってるっすよ」
―――彼は、勝ってくれた。
アキラを抱え起こし、ほとんど抱き付くようにマリスは魔術を込め続ける。
求めた強さに、きっと彼は近づいた。
彼にはもう、ヘルプは必要ではない。
必要なのは、やはり、サポートなのだ。
彼は、本当に、
「……? どうかしたのか?」
「……、いや、」
二人から視線を外して洞窟の奥を睨むイオリに、サクが歩み寄ってきた。
イオリは小さく目を伏せ、今度はカリスに視線を向ける。
隣では、底なしと思えるほどの膨大な銀の魔力が、未だ放出されている。
「マリサスに……、気圧されたのか……、」
「?」
小さく呟いた言葉に、サクは怪訝な顔を向けてくる。
だがイオリは、目を瞑り、カリスの身体を抱えた。
「いや、もう……、何もないよ。さあ、帰ろう」
―――**―――
「……それじゃあ、もう分からないのかよ?」
「ああ」
アキラが小さく吐き出した疑問に、イオリはあっさりと答えた。
アキラが腰を下ろしたソファーの奥、事務机の上、イオリは手元に下ろしていた資料をさらさらと読みながら、ときおり何かを書き込んでいる。
ここは港町、ウォルファールのセーフハウス。
一昨日、アキラとイオリが話していた副隊長のカリスの仕事部屋だ。
未だ意識の戻らない彼からの許可は当然取っていないが、イオリは我が物顔で部屋の書類を物色し、神妙な顔つきで筆を走らせている。
カリスは職場にプライベートな物は持ち込まない、と断言してのイオリの行動だが、それはそのまま、彼の仕事だということに当てはまる。
港は結局、数日閉鎖らしい。
しばらくは、この町に留まることになるだろう。
「僕が視た世界から……、軌道が大きく逸れているみたいでね。……まあ、あまり役に立ちそうなことは言えないだろう」
「……、そっか」
その話題にはやはり触れられたくないのだろう。
イオリは、自分を“バグ”を作った者と考えているのだろうから。
その“バグ”を、アキラは昨日見ている。
イオリの話では、あそこで自分たちに牙を向けてきたのは、カリスではなかったそうだ。
それだけ言って口を閉ざしてしまったイオリだったが、言いたくないのであれば触れるべきではないのだろう。
アキラにとって必要な情報は、やはりこの世界には、“バグ”が確かにあるということ。
ただそれも、イオリの予知が、物語のあるべき姿だったという仮説を前提にしなければならないのだが。
「それより、アキラ。身体は大丈夫なのか?」
「…………正直言うと、座ってるのもきついんだ、俺」
「はあ……、それにしては随分早起きだね。日も昇ったばかりだよ?」
腰を下ろしたソファーから、一歩身じろぎしただけで、アキラの身体に痺れたような感触が走る。
単なる筋肉痛、と考えることもできるが、頭の中にも鈍い痛みが響いていてはそう楽観的に結論付けることはできなさそうだ。
ときおり熱に浮かされるように視界も歪むし、何よりどこか、肌寒い。
脳に後遺症が残ったら、と、恐怖に身をすくませたのも何度目か。
だがそれでも身体は、この時間に目を覚ますことを強要してきたのだけれども。
「朝の鍛錬……。参加しなくていいと言われていたのに、勤勉だね」
「お前ほどじゃないだろ……。寝てない、とかないよな?」
「……、」
イオリは無言を返してきた。
昨日の戦いでイオリも負傷しているはずなのに、彼女の目の前にはうず高く資料が積まれている。
アキラは、膝が砕けているような感覚を味わいながらも、朝早くからセーフハウス内をうろついていた。
この部屋の前を通ったときに、物音がしなければこんな時間に人がいるとは思わなかったろう。
「……、まあ、寝ろよ」
「……、」
イオリはまたも、無言。
涼しい顔で、山から次の資料を取り出した。
アキラがドアを開けたとき、崩れた資料を死にそうな顔で拾っていたことからして、とっくに限界を迎えているだろうにもかかわらず。
それでも、人がやるべき仕事をイオリは続ける。
「……お前さ、予知で視た世界と違うってだけなんだろ?」
「?」
「だからさ、そんなに責任感じなくても、」
「……、……いや、それでも、さ。カリスがあんなになってしまったのは、僕の責任。あるべき世界が壊れるのを、君は嫌うだろう?」
僅かに長く思考を走らせ、イオリは返してきた。
やはり、疲労は溜まっているようだ。
だがアキラは、そこまでイオリが気を張る必要はないと感じる。
イオリが視た未来。
それは所詮、起こらなかった未来、だ。
それこそ、パラレルワールドのようなものだったのだろう。
そこから逸れたというだけなのに、イオリは『世界を壊した』と言っている。
それともやはり、イオリにとって、尊敬するカリスの豹変は堪えるものがあったということだろうか。
いや、それ以前に。
「……、」
アキラはカリスに打たれた胸をさする。
あの男、どこまでイオリを恨んでいたというのだろう。
後で聞いた話によれば、生命は対価になるらしい。
そしてあの戦いでは、彼はそれを差し出して力を増強していたのだろう。
生命を対価にする方法は、限られた者しかできないらしいが、それでも、そうする者はごく少数だ。
命をかけてまで、倒したい相手。
その対象が、イオリだった。
だが、魔術師隊内でそんなことが起こるというのは、やはり妙だ。
イオリに話を聞いても、またも口を閉ざしてしまう。
彼女が視た未来。
そこでは、その伏線は回収できたのだろうか。
そこでは、彼女はこんなにも沈んだ表情を浮かべていたのだろうか。
「でもさ、お前より俺の方が“バグ”作りまくってる気がするし、」
「じゃあアキラ、この仕事、変わってくれるかな?」
「…………、ほう。あれかあれか、」
「……分かったアキラ。僕が悪かった」
冗談交じりにイオリがアキラに向けてきた字で埋め尽くされた一枚の紙は、見事にアキラの頭を通り過ぎていく。
たが、小さくても、苦笑でも、笑みを浮かべてくれたことに、アキラの気は少し楽になった。
やはりイオリの表情は、親しみが持てる。
「まあ……、気を遣ってもらって、ありがとう。元の世界で逢えていたら……、気が合っていたかな?」
「リアルの話は止めようぜ。今じゃこっちがリアルだ」
「ああ、やっぱり気が合いそうだ」
イオリはまた、小さく笑う。
やはり余裕がないのだろうか。
もし、こっちが素なら、取り繕うのは止めて欲しいとアキラは思う。
「本当のこと……、言うとさ、」
「?」
ついに限界が来たのか。
イオリは資料をばさりと置くと、眼精疲労を押さえるように目頭を強くつまんだ。
「僕はきっと、こういう劇的な変化を待っていたんだよ。“バグ”を作りたい、とね」
「……、」
劇的な変化。
イオリの言うそれは、昨日の“魔族との戦い”のことを指しているのだろう。
「何故か視てしまった未来。その終着点を変えたくて……、二年間、奔走したんだ。だけど、変わったのは、自分の周りの小さな環境だけ。運命っていうものの力は、そう簡単に覆すことはできないらしい」
その終着点を、イオリは決して話さない。
だが、イオリはそれを、絶対に変えたいと言う。
その終着点をアキラは当然知らないが、自分がイオリと同じ状況であったら、どうなっていただろう。
絶対に避けたい未来。
それが、目の前にある。
やはりイオリと同じように、運命に抗っただろう。
強引にでも力を求めて、力によってそれを捻じ曲げる。
この世界は、“しきたり”に縛られているのをアキラは何度も見てきた。
それがどんな色をしていても、天命というものを無条件に受け入れ、それを全うする。
だが、アキラやイオリのように、思想が自由な異世界からの来訪者は、それに抗いたいと思うだろう。
アキラのように、“バグ”を取り除いて、世界を戻したいと願う者。
イオリのように、“バグ”を作ってまで、世界を壊したいと願う者。
その根源は、同じ。
ただ、未来が恐いからだ。
自分が望んだ未来を創ることは、やはり、止められない。
そのために、力を求めることも。
「でも、“バグ”を作った以上、落とし前は付けるよ。だからカリスの仕事は、僕がやる」
「……、」
これが、魔道士、というものなのだろうか。
いや、これが、管理職に就く、というものだろうか。
彼女の責任感には、やはり、アキラは劣等感を覚える。
少なくとも、今、あの仕事を手伝えるだけの能力が欲しい、と。
「ところで、さ。アキラ」
「?」
イオリは大きく伸びをして、まっすぐアキラを見据えてきた。
「この世界には、君も感じた通り“バグ”が多い。それも、運命を捻じ曲げているような“バグ”がね」
「……、ああ」
イオリに出会ってから、アキラは特にそれを感じている。
自分の銃を筆頭に、マリスやエレナもその部類なのだろう。
彼女たちを“バグ”などと表現したくはないが、確かに物語のあるべき姿から遠ざかっている元凶は存在している。
「認めたくはないけど……、僕が視た未来の方が“世界のあるべき姿”。そんな気がする。だからそれから逸れるのは、やっぱり“バグ”なんだよ」
「……、」
やはり、“お約束”から離れているという違和感を覚えた以上、それは“バグ”と認識されるのだろう。
「そして、自己防衛なことを言うつもりはないけど……、僕以外に“バグ”の担い手はいるはずだ。それも、圧倒的な、ね」
「……、一人、心当たりがいる」
圧倒的。
そう聞かれれば、アキラは自分以外に一人、運命を捻じ曲げられるだろう存在を知っていた。
“運命というものを与えられる存在”に、アキラは遭っているのだ。
「……、ちなみに、それは?」
イオリも分かっている。
一昨日アキラが話した中に出てきた、運命の担い手の存在を。
「アイリスとかいう、“神様”だよ」
「……、」
カリ。
イオリはまた眼を閉じ、爪を噛んだ。
やはり確認だけだったのだろう。
彼女のシミュレーションは、“神”という存在の思考を超えられるだろうか。
「でも……、自分で言ってて何だけど……、おかしくないか? 神様ってどっちかって言うと、運命を守りそうな気がするんだけど」
「……、確かに、ね」
イオリはゆっくり目を開けた。
やはりイオリも、アキラの仮説に信憑性を感じていないようだ。
確かにアキラは、あのアイリスとかいう高圧的な神に違和感を覚えた。
だが、神に、世界に“バグ”を作るメリットがあるだろうか。
世界があるべき姿であることは、神にとって望ましいことのはずだ。
何故なら世界のあるべき姿とは、一様に、“正義”と定義される存在に都合良くなっているのだから。
「……、けど、それならもう一人容疑者がいる」
イオリの口調は、完全に犯人捜しだ。
だが、アキラは身体を前に乗り出した。
「“魔王”」
「……!」
イオリがさらりと口に出した言葉は、アキラにも予想ができていたものだった。
運命によってメリットを受けるのが“神王”だとするなら、当然、デメリットを受けるのはその対極に位置する“魔王”だろう。
アキラは思わず、右手を見た。
未だに出所の分からない、アキラのご都合主義の力。
今、最も身近にあり、最も影響力がある“バグ”の作り手。
もし、“バグ”を魔王が作っていると考えるのなら、その力の出所も当然同じとなる。
ならば、この力は、
「だけど、それが妙なんだよ……。“勇者”に力を与えることが、“魔王”にとって利に働くとも思えない」
イオリのシミュレートは、そこまで進んでいたようだ。
アキラの考えを読むように、イオリはまた目頭を押さえながら呟いた。
確かに魔王が“バグ”を望んだとして、敵に力を与えることは明らかにやり過ぎだ。
だが、イオリにそう言われても、アキラは背筋が寒くなるのを抑えられなかった。
神ことアイリスの言葉を思い出す。
今の魔王は、英知の化身、ジゴエイル。何を企んでいるか分からない、と。
アキラには想像もできないような謀略が存在しているのではないか、と、勘ぐってしまう。
やはりこの銃の力は、封印した方がいいのかもしれない。
「神王が作り手なら、メリットがない。魔王が作り手なら、やり過ぎ。だったら……、その両者が作り手だとしたら……、……駄目だ、流石に限界みたいだ。ヒントも少ない」
イオリは資料を山に戻し、椅子を引いて立ち上がった。
アキラが見上げたその表情は、どこか生気がない。
やはり推測通り、イオリは寝ていなかったのだろう。
「アキラ。また話そう。悪いが、僕は少し、」
「あ、ああ。お疲れ」
今のアキラも歩いたら同じような動きになるだろう。
ふらふらとした足取りのまま、イオリはアキラの後ろを通り過ぎ、部屋を出て行った。
「……“バグ”の作り手、か」
イオリを見送った景色は、天井に変わった。
ソファーに行儀悪くも足を投げ出し、意味もなく右手をかざしてみる。
「……、」
会話が消えた部屋の中には、外からエリーたちの声が入ってくる。
今のアキラに、そこに参加する精力は残っていないが、どこかもどかしい。
「……、力、かな、やっぱ」
意味もなく、しかし真意を、アキラは呟いた。
このもどかしさは、力があれば蹂躙できる。
昨日、そう考えた。
それは今も、変わらない。
だが、このまま魔王討伐を目指すべきなのだろうか。
もし自分たちの旅が本当に魔王の思惑通りなら、それこそうまい話ではない。
目に見えている、二つの“異常”。
それは、どうご都合主義を重ねても、解明できないアキラの銃とイオリが視たというパラレルワールド的な予知。
銃の方は、“バグ”を作る以上、“神王”には不都合。
また、相手に力を与え過ぎている以上、“魔王”にとっても不都合。
それは、さっきも結論付けられた。
予知の方はどうだろう。
“神王”にとって、物語のあるべき姿を守らせる役が必要だったとする。
だが、イオリはその終着点を避けたいと言っていた。
そう考えるような奴にそれを視せれば、イオリのように“バグ”を作るだろう。
当然、望むべきことではない。
ならば、“魔王”にとってはどうか。
いや、それ以前に、“お約束”の存在。
自分たちが“バグ”と表現しているということは、その“お約束”に身を委ねるべきだと思っているということだ。
先ほどイオリは、アキラはあるべき世界が壊れるのを嫌うと言っていた。
確かにその通りだ。
世界はそうやって、輝くのだから。
だが、今は、それにすら恐怖を覚える。
“お約束”の存在意義は、一体何なのだろう。
自分が覚えている、数々の違和感。
それは、“お約束”に対してのものなのか。
それとも“バグ”に対してのものなのか。
種別ができない。
そして結局、今回の事件も、釈然としないまま終わってしまった。
「……、だめだ……、」
アキラはイオリのように目頭を押さえた。
この推測は、未来予知という未知の力を前提としなければ進められない。
論理や理論以前の問題。
そんな不確かな足場では、アキラは一歩も進めないのだ。
やはり世界の裏は追うべきではないのだろうか。
こんなにも、頭と胸が痛い。
それとも、自分が変わったのだろうか。
もっと無邪気に、自分は優しい世界を謳歌しているはずだったのだから。
「……、」
アキラは自分というものを持っていなかった。
今まで物語を受け取るだけで、感想を持たなかったのだから。
そんな人間が訪れたのは異世界。
言語は通じるとはいえ、右も左も分からない“そこ”に落とされた。
そしてその世界は、陰りを見せ始めている。
複雑さを増し、どれが伏線で、どれが無意味な杞憂なのか分からない。
“バグ”が多すぎる。
迷子が迷い込んだ迷路。
そこで、迷子は、アキラは、一体何ができるのだろう。
「……、考えるの……は……、やっぱ……、慣れない……、なぁ……、」
小さく、そう呟き。
アキラはいつしか、寝息を立てていた。