幕間その6 メイド達の憂鬱
気がつけば、目の前にあるのは、ほっそりとした綺麗な女性の顔。
閉じられた目には長いまつげがあり、距離は静かな鼻息がかかるほど近く、唇には柔らかいその人の唇の感覚がある。
その事実に気がついた時"私"は、急な気恥ずかしさと、今までに感じた事の無い気持ちよさを感じ、
とっさに身を放そうとするが、それよりも早く、その人の唇が私の唇から放れ、
今までその人と繋がっていたという証拠を残すのは、唇と唇の間にある細い銀のアーチのみ。
それを見ると、私は途端にその人との口付けを名残惜しく感じたが、
その人はそれを知ってか知らずか、その細い銀のアーチをチロリと赤い舌で舐め取り、
私を見つめるブルーの瞳には優しい色が映されている。
「お前の名前は・・・、そうジリアンにしよう。
これからよろしく、ジリアン。」
そういって、その人は私に・・・、ジリアンに微笑みかける。
そして、自身の置かれている状況が頭の中に浮かびだす、私は今、エヴァンジェリンお嬢様とドール契約をするために口付けをした事。
契約前は名前も無く、ただ本当の人形としてお嬢様のお世話をしていたこと。
そして、ドール契約をして名前を頂き、1つの個体となった事。
そんな事を思い出していると、お嬢様は私に背を向け、辺りを見回す。
ここは、お嬢様の作られたダイオラマ魔法球の中、お嬢様が声をかければ、
どこにいようとメイド達は駆けつける。
そんな場所なのに、お嬢様は辺りをキョロキョロした後、独り言のように呟く。
「さて、教育係の姉を誰にするか・・・。
ィ・アリス、お前は今空いているか?」
そう、砂浜にあるパラソルの下でイスに座り、お茶を飲んでいる一人のメイド、白い髪をされたィ・アリスさんに声をかけると、
彼女は、お嬢様の方を目を細めながら見て、カチャリとソーサにカップを置き、
「空いていません。
妹のソニアが存外に使えないため、教育にはもう少々お時間を。
・・・、ソニア、お茶の温度がぬるすぎる。」
そう、ィ・アリスさんが彼女の横にいる金髪の髪をツインテールにしたメイドに言うと、
彼女はげんなりした顔で、
「お姉さま、ぬるいのは当然です。
お茶を入れてもう10分以上経ってますから。
・・・、そもそもですね、飲むから入れろって言った後、
新しい妹の誕生を見守って飲まなかったんだから、ぬるくなるのは当然です。
はぁ・・・、私も初期ロッドの2番目なのに、なんでこんな人のお守りを・・・。」
金髪の方・・・、ソニアさんはブツブツと文句を言っているようですか、
それを尻目にィ・アリスさんは、聞く耳を持たず、ぬるいといったお茶を飲みながら、
「困った事があれば私が護ってやる、それが姉と言うものだし、その妹が姉に尽くすのは当然。
・・・、それに、茶はぬるいが味は・・・、まぁ悪くない。」
そう言っているィ・アリスさんを見ながら、ソニアさんは肩を落としてため息をついています。
しかし、そのソニアさんは何処か嬉しそうなご様子・・・。
そして、そんな二人のやり取りを見ているお嬢様も、小さくため息をつき、
何処か『仕方ないなぁ』と言ったような笑みを浮かべ、
「ジリアン。ィ・アリス、ソニア、後はステラとポーランは初期ロッドと言って、
私がメイド長のロベルタを作るまでは、ロベルタの代わりに前線に出ていたメンバーで、
その時私が出来る、最高の技術と兵装を作った奴等だ。
だが、その分性格がやんちゃでな。」
そう言いながら、ィ・アリスさんとソニアさんを見た後、
私の方を向き、何処か人の悪いニヤリとした笑いを顔に浮かべ、
「初期ロッドで、まだ1人だけ妹がいないヤツがいるから、それをお前の姉にしよう。
・・・、アニエス、今から浜辺まで来てくれ、お前の妹を紹介する。」
お嬢様がアニエスさんを呼ばれて暫くすると、ザッザッザッと砂浜を歩く音共にこられた方は、
青い髪を柔らかい風になびかせ、眼光は鋭さの中に優しさと意志の強さを宿した方。
その方は、お嬢様の前に着くと服が汚れるのもいとわず片膝をついて頭をたれ、
「お嬢様の命により、アニエスただいま参りました。」
お嬢様は、その方を眼下に置きながら肩を落とし、
「アニエス、お前はお前で固すぎだ。
もう少し柔らかくなってくれ・・・、それと、ここにいるジリアンが今日からお前の妹になる。
教育方針はお前に任せるから、一人前にしてやってくれ。」
そうお嬢様が言うと、アニエスさんは頭をたれたまま、
「はっ、その命承ります。」
そう言った後、アニエスさんはすっくと立ち上がり、
私の前に手を差し出しながら、
「今この時より姉となったアニエスだ、よろしく。」
そう言って、固い口調とは裏腹に顔は穏やかな笑みを浮かべられ、
私がチラリとお嬢様の方を見ると、お嬢様は小さく頷き、私はアニエスさんの手を取りながら、
「ジリアンです、よろしくお願いします。」
そう言って彼女の手を取り、この時より私はアニエスさんの妹となりました。
そして、お嬢様はその姿に満足そうに頷き、
「さて、私はもうそろそろ行くよ。
アニエス、ジリアンはまだ生まれたてだ、そういう対処で頼む。」
そう言って、お嬢様はきびすを返し歩き出します。
そして、アニエスさんはそんなお嬢様の背に深々と頭を下げて見送り、
頭を下げていない私を、チラリと横目で見ると小声で、
「お嬢様との別れが名残惜しいのは分かるが、唇に指を這わせていないで頭を下げろ。」
そう言われて、私も慌てて頭を下げると、お嬢様は肩越しにこちらを見ながら、
やはり、何処か仕方ないと言ったように、
「いちいち頭を下げなくてもいいよ、アニエス。
それとジリアン、私はたまにしかこないが、それでも永遠に来ない訳でもない、アニエスと仲良くやってくれ。
いずれ・・・、そういずれ、お前がもし戦場に立つとき、アニエスはお前のパートナーとなる。」
そう言って、お嬢様は魔法球の外へと旅立たれていかれました。
そして、旅立たれた姿を確認したアニエスさんは頭を上げると、私の方を見ながら、
「先ずは、仕事は後回しにして魔法球の中を見て回るとしよう。
足りない姉かもしれないが、よろしく。」
そう言って、アニエスさんは再び私の方に手を差し出してきます。
しかし、先ほど握手は済ませ、その手の意味をはかりかねていると、
「まだ生まれたばかりなんだ、1人で歩くのは慣れていないでしょ?」
そう言って、私の方を見てきますが、契約したのが今であって、それまではちゃんと1人で歩けていました。
なので、一言『大丈夫です』と、そう言って歩き出そうとすると、1歩目で砂に足を取られ、
前のめりに倒れようとしたのを、
「おっと、やっぱり危ないよジリアン。」
そう言って、倒れようとした私の胴に腕を回し、倒れるのを防いで立たせてくれます。
どうやら、アニエスさんが言うように、私はまだ1人で歩くのに慣れていないようで、今まで一人で歩いていたから変な気分です。
ですが、どうしてでしょう、こうしていると酷く心細く不安になる。
多分、それは1つの個なった証で、どうしようもなく私が子供だから?
その事を立ったまま考えていると、アニエスさんが私の手を取り、
「こうすれば倒れずにすむ。
さぁ、行こうか。」
そう言って、私に微笑を投げかけた後、前を向いて手を引きながら歩き出します。
握手した時には気付かなかったですが、アニエスさんの手は柔らかく、
何処か安心するような、ぬくもりと大きさがあります。
・・・、不思議なもので、今まで他の方とも手を繋いだ事はあるけど、
こういう事を感じるのは初めて・・・。
いえ、思ってみれば、契約と名前を頂く前はこんな感覚あったかしら・・・?
そんな事を考えながら、アニエスさんの手の暖かさを私の手に感じ、
同時に、こうして誰かと2人きりで歩いて回ると言うのも初めてのような気がします。
そんな事を思いながら、アニエスさんの顔を見ていると、アニエスさんは小首をかしげながら、
「えっと、ずっと私の顔を見ているけど、どうかした?」
そう聞かれ、私の方も答えに喉を詰まらせる。
特に何も考えずに、ただアニエスさんの顔を見ていただけなのに、
私は、そんなにもアニエスさんの事を見ていたのかしら・・・?
「いえ、何でもないですアニエス姉さん。」
そう答えると、アニエスさんは『そう。』と言って、次の部屋次の場所と姉さんと手を繋いで回っていきます。
研究施設に武器庫、宝物個に資材置き場、闘技場に膨大な魔道書のある書庫。
いろいろな場所を回るとき、姉さんは丁寧に私に部屋の説明をしてくれて、
最初に出会った時の固いという印象は、話していくうちに薄れていき、むしろ意外と気さくな方だと言うのが分かります。
そして、羊以外何もいない草原に着くいた時、アニエスさんは私の手を放して『ん~っ』と背伸びをした後私の方を向き、
「一応、大まかな所を回って見たけどどうだったかな?
まぁ、全部知ってる場所だろうけどね。」
そういって、風になびく青い髪を手で押さえながら私に聞きます。
確かに、今まで回った場所を私はしっています。
それは、1人で作業したり、他の物言わぬメイド達と作業をしたりとしたから。
だけど、こうして2人で話しながら見て回るのも初めてで・・・・。
「どうかした?
手をじっと見つめて。」
そう、姉さんが私の顔を覗き込むように見てきて、一瞬その事にビクッとなり、胸が跳ね上がります。
どうも、変な感じ・・・、今までは急に近寄られたぐらいでは、こんなことなかったのに。
「いえ、放された手が手持ち無沙汰だったもので。
それと、お嬢様がいる時と話し方が違います。」
そう言うと、姉さんは『あー』と言って目を横に泳がせながら、
何処か罰の悪そうな表情を作り、困ったように、
「今までの話し方が普段の私なんだ。
でも、どうもお嬢様の前では緊張しちゃって・・・。
その点ィ・アリス姉さんは凄いと思う、お嬢様を前にしても態度を変えないんだもん。」
そう言って、長い髪を掻き揚げる。
その姉さんしぐさを見ながら、心にわきあがるこの感覚は何?
お嬢様が知らないのに、私だけが知っていると言うこの感覚はきっと・・・、優越感?
でも、私がそれを感じていいのでしょうか?
私達の母様はお嬢様になります。
それはィ・アリスさんや、まだ会っていませんがメイド長のロベルタさんも同じで・・・。
でも、その母様が知らない事を、私が知っていていいのでしょうか?
その事を考え込んでいると、姉さんは草原にテーブルとティーセットを準備し、
「お茶にでもしようか、今日の風は・・・、気持ちいい。
ジリアン、珈琲を入れてくれる?」
そう言われて、お姉さまの為に珈琲を入れます。
温度は適温、ブラックがお好きなお嬢様はそれ以外は必要ありません。
ただ、珈琲の香りが立つように、苦すぎず豆本来の甘みが引き立つように。
そして、実は猫舌のお嬢様の為に出来上がった物を多少冷やす。
そうしてできた物を姉さんのカップに注ぎ、差し出すと、
姉さんはその珈琲の入ったカップを両手で持って1口飲み、味わうように嚥下した後、
「いい出来だよ、ジリアン・・・
すまないが、ミルクと砂糖をもらえるかな?」
そう言って、姉さんはにかむ様に笑ってカップを置く。
しかし、何故でしょう?
お嬢様の好みに合わせて作って、姉さんからもいい出来だと言われたのに、何故砂糖とミルクを?
そう思って困惑しながらミルクと砂糖を差し出すと、姉さんは何処かいたずらっ子のように私の顔を見ながら、
「美味しい珈琲だけど、私はブラックが苦手なんだ。
だから、ミルクと砂糖を・・・、ね。」
そう言ってミルクを少々と、砂糖をスプーン1杯珈琲に落として、
『うん、こっちの方が私にはいい。』と言って、私の作った珈琲を飲み、
私にも座るように促し、席について自身で造った珈琲をカップに注いで飲みます。
辺りからは羊の鳴き声が聞こえ、言葉を話すものは私とお嬢様のみ。
漂う珈琲の香りを姉さんと楽しみ、静かな時は過ぎ、姉さんの、
『今日もそろそろ終わるし、帰ろうか。』の一言で、私達は手を繋いで中央に戻り今日の仕事は終了。
そして、姉さんと共にお風呂に入って、あまり汚れてないですが汚れを落とし、
このまま休むものと思っていると、
「ジリアン、こっちにおいで。」
そう言われて姉さんの近くに行くと、姉さんは目の前のイスに座るように促し、
姉さんに背中を向けて座ると、スッと何かが髪を通り抜ける感覚・・・。
何かと思って、後ろで立っている姉さんを見上げると、姉さんは微笑みながら、
「髪を梳いてあげようかとね。
・・・、綺麗な黒髪だ。
痛かったら言って。」
そう言って、スッとまた姉さんの持つ櫛が髪の中をながれる感覚・・・。
他の方たちも休むこの部屋なのに、なぜか今は私と姉さんしかおらず、
部屋の中には髪を梳く音のみがスッスッと幾度と無く木霊する。
「ん。」
「痛かった?」
「いえ、大丈夫です。」
そう言うと、また姉さんは私の髪を梳きだす。
今声がでたのは、痛いの反対側の気持ち。
姉さんの手に触れられていると思うと、なんだかとても落ち着くような気がする・・・。
「あ。」
唐突に髪から櫛を放され、自然と小さく声がでる。
それはきっと名残惜しさからでる声・・・。
もう少し、このままで居たかったのにと思い、姉さんの方を見上げると、入り口の方からは他の人がる気配。
その気配でもし櫛が私の髪から放されたのなら、それはなんだかとても寂しい気がする。
そんな事を思いながら入り口の方を見ていると、姉さんが私の顔をヒョイと覗き込み、
「なんだか恨めしそうな顔をしてるけど、何かあった?」
そう言って、私の顔に近いアニエス姉さんの顔。
思ってみれば、こういて姉さんの顔を間近で見るのも初めてで、
造詣その物は、お嬢様が丹精込めて造形されているので美しいのは当然ですが、
それでも1人1人顔のつくりは違う、だからなのか・・・、
私はその時、アニエス姉さんの顔に見とれていた・・・。
「?」
特に話す事無く、小首をかしげる姉さんのしぐさに私はドギマギしながら、
自身が感じた事を胸のうちに隠し、とっさに話を変えようと、
「ね、姉さんからはいい香りがするので、何の香水を使っているのかと・・・。」
そう言って、私は失態に気付く。
一緒にお風呂に入ったのに、もう香水の匂いなんて残っているはずが無い。
仮に残っていれば、それは遠まわしにまだ体を洗い足りないと言っているようなもの・・・。
その時ふっと、私の頭の中に姉さんに嫌われると言うフレーズが湧き上がり、それが頭の中にぐるぐると回りだす。
そんな状態の私の前で、姉さんは苦笑しながらすっと私に小さな箱を差し出し、
「香水じゃないけど、多分この匂いじゃないかな?」
そう言って、私にその箱をとるように促し、箱を受け取って開けてみると、
そこに入っていたのは、色とりどりの小さなタルト。
これは何かと、呆けた頭で考えていると、姉さんが1つタルトをつまみ、
「新しい妹の誕生祝に・・・、ね。
本当はケーキがいいかと思ったけど、私はタルトの方が得意なんだ。
だから、はい。」
そう言って、私の目の前に差し出されるタルトを、おっかなびっくり姉さんの手から口に含み、
その時、特にしようと思ってした訳ではないのに、私の舌が姉さんの指にチロリと触れる。
しかし、姉さんは指を引っ込める事無く、ただくすぐったそうな顔をして、
「あんまり美味しいからって、私の指までは食べないでね。」
そういって、私の目を見ながら、空いた方の手を口元に当てて苦笑する。
そのことで、なんだか気恥ずかしくなり、
「大丈夫です、アニエス姉さん。」
そう、ぶっきらぼうに言葉を返すと、
「ん。」
そう短く一言私に返し姉さんは、私の口方指を引き抜き、
その引き抜かれた指は、そのまま姉さんの口に含まれる。
その姿を見て、なんだかまた気恥ずかしさで今度は、顔が色付くのを感じながら、
姉さんの口に含まれている指を見ていると、姉さんはその含んでいた指を口から抜き、
「どうした?
もしかして不味かった?」
「いえ、私が舐めた指を・・・。」
そう姉さんの言葉に言葉を返すと、姉さんは何でもないかと言うように自身の指を見ながら、
「こうした方が、他の物を汚さないですむ。
まぁ、お嬢様の前ではしないけど。」
そう言って、お嬢様の知らない姉さんの知らない一面を、私が見ているという事を感じながら、
次のタルトに手を伸ばそうとしていると、
「ねぇ、それポーランにもちょうだい?」
そう言いながら、私の顔をのぞく少し背の低い金髪のメイド。
そして、その方の後ろには、濃紺の髪をしたスラッとしたメイドが、
「ポーラン姉さま、人の持ち物をねだるのは宜しくないかと。」
そう、濃紺の髪をした方が言うと金髪の方、ポーランさんは背伸びをしながら、
つま先立ちで濃紺の髪を下方の頭を手で撫でながら、
「ステラちゃん偉い!
ちゃんと悪い事を悪いと言えたね。」
そう言って、頭を撫でるポーランさんの手から濃紺の髪の方、ステラさんはタルトを取りながら、
「はい姉さま。
悪い事を悪いと言えたので、このタルトは彼女に返しますね。
えっと・・・、貴女は?」
そう言ってステラさんは私の事を見てきます、その視線に対して私が口を開くより早く、
「その子はジリアン、私の妹だステラ。」
そう言って、アニエス姉さんが一歩前に出ます。
その姿を切れ長の目で見たステラさんは一言、『そう。』とのみ言葉を返し、
ポーランさんの手を引きながら、
「行きましょう、ポーラン姉さま。」
そう言って歩き出したステラさんに、ズルズルと引っ張られる様に歩き出したポーランさんは、
ステラさんと私の持つタルトを交互に見ながら、
「ステラちゃん、私はアニエスちゃんが作ったタルトが食べたいんだけど?」
そう言われたステラさんは、チラリとアニエス姉さんの方を見ると、
一瞬敵意をその瞳に宿らせた後、
「ポーラン姉さま、それなら私が作ります。」
「だってステラちゃん料理下手じゃ・・・。」
そう、言いながらもポーランさんは、ステラさんに引きずられながら部屋から出て行く。
そんなお2人の姿を見ながら、アニエス姉さんはやれやれといった感じに、
「昔はああじゃなかったが、何時の頃かステラは私に、ああいった目を向けるようになった。
・・・、心当たりがあれば、それをどうにか取り除く事もできるんだが、あいにくとそれも無い。
はぁ、昔のようにまた仲良くしたいものだ。」
そう言いながら、アニエス姉さんはお2人を見送り、
私の方に視線を戻すと、フッと何処か疲れたように、
「私は、知らない間に君を傷付つけるかもしれないが、その時は正直に言ってほしい。
彼女との関係のように、変にギクシャクするのも嫌なんだ。」
アニエス姉さまに、『はい。』と返事を返しアニエス姉さんと共に床に就く。
胸に何処かモヤモヤしたものがありましたが、その時はそれを考えずすぐに意識を手放しました。
そして、何ヶ月・・・、いえ何年と言う単位の時をアニエス姉様共に過ごす。
魔法球の中の仕事は、実はそんなに多くは無い。
毎日の仕事と言えるものはほとんど無く、お嬢様が外にいる間にやる事といえば、
お嬢様が外から持ち帰る本の整理や、研究で使われた素材の補充。
しかし、研究そのものの補佐はロベルタメイド長が行われ、お嬢様が騎士と呼ばれるチャチャゼロさんは、
コチラに来られると、大概の時間を自己鍛錬と書庫での読書で時間を潰されます。
そして、そのどれにも私達の助力は必要なく、しかし、それでも魔獣の育成及び、
錬金術の素材として捕縛は私達がやるので、自己の戦闘鍛錬も欠かせない日課といえば日課であり、実戦と言えば実戦です。
そして、そんな日々の多くを私はアニエス姉さまと共に過ごし、こうして今でも一緒に床に付きます。
別に私達は床に付く必要は無いですし、多くの時間を仕事に費やす事ができる。
でも、それでもこうして床に就くのは"人"と同じように生きる事を望むお嬢様の意思。
ですが、私はこの何もしない時間は、体を休めるだけの時間ではなく、何かを私達が考えるための時間なんじゃないかと思う。
アニエス姉さまはいつも、床についてすぐに静かになりますが、私はこの静かな時間が好きです。
私達は人じゃないというのは百も承知・・・、ですが、私達の頭蓋の中には・・・、何があるのか?
ここには、私達以外にも多くの姉妹達が過ごしていますが、その姉妹のあり方もそれぞれ。
そして、書庫で人を学んでみようと思い本を開けば、そこにでてくるのは"心"と言う不確定なもの。
それが一体何処にあるのか・・・、アニエスお姉さまの静かな寝息を聴きながらたまに考え、
それから、1つ思いついた事と言えば、お嬢様にして頂いた口付けの事。
そこまで思い至った時、ふと横を見ればアニエスお姉さまの寝顔。
もし、私がお姉さまに口付けをしたなら、何かが分かるのか・・・?
月日が経つに連れ、私とアニエス姉さまは手を繋ぐ機会が減りました。
共に仕事をし、話す機会が一番多いのはお姉さまですが、それでも、1人で出来る事が増えれば、
その分、アニエス姉さまは私に手を貸すことが減っていく。
そう考えると、一人前になると言うのが、なんだか寂しいようなきがする。
ィ・アリスさんはソニアさんを、まだまだだと言って手元においている。
ポーランさんはステラさんを一人前だと言っているが、今度はお嬢様の方が、
ポーランさんを1人にできないといってステラさんをつけている。
じゃあ、アニエス姉さまが私の事を一人前と言い、お嬢様がそれを認められたら・・・?
「ん~。」
その声と共に、アニエス姉さまがめったに打たない寝返りを打ち、
姉さまの方を向いていた私と、ちょうど見つめあうような形になる。
・・・、相変わらず、姉さまの顔は美しい。
そう思うと、ドキドキとした気持ちが広がりそれを押さえようと、
自身の胸を押さえ音が鳴っているわけでもないのに、そのなってない音が聞こえそうで更にドキドキする。
でも、このドキドキは何のドキドキ?
「どうしたジリアン、なんでそんなに寂しそうな・・・、
今にも泣き出しそうな顔をしている・・・?」
不意に片目を開いたアニエス姉さまが、私の顔を見るなりそういう。
今の私はそんな顔をしているの?
そう思っていると、姉さまは私の手をスッと取り、
「こうしていれば寂しくない・・・、私はここにいるよ。」
そう言って握られた手は暖かく、不思議な事に今まで感じていたモノがスッと解けていくような気がする。
それで、私の考えている事に答えがでたのかは、実の所よく分からない・・・。
でも、今はこの手の中にある温もりがたまらなく・・・、きっと愛おしい。
そして、その夜はおしまい。
それから、また代わり映えのしない時が幾ばくか過ぎたある日、
お嬢様がふらりとチャチャゼロさんとメイド長、それに長く白い髭を蓄えた老人を連れてここを訪れる。
「お帰りなさいませお嬢様、あら、そちらの羊さんは新しい客人ですか?」
そう、私がお嬢様をお出迎えして言うと、
長い髭の老人は、私のことを暗鬱とした顔で一瞥し、
「自身の作る世界で王を気取るか幼き魔よ。
私は安寧の地を求め彷徨ったが、ここにもそれはないと見える。」
そう、老人はお嬢様のことを馬鹿にしたような言葉を吐き、
しかし、お嬢様はその老人の言葉を涼しげな顔で受け流しながら、
でも、その口から出る言葉は不満の念のある声で、
「彼女たちは私の家族だ。
私をお嬢様と呼ぶのは、彼女達の母も兼任しているので、彼女達の意思で私をそう呼んでいる。
流石に、私の本来の容姿を母と呼ぶには無理があるのでね。」
そう、老人に言葉を吐き本来の姿に戻られると、その方とチャチャゼロさんとメイド長を連れて魔方陣の方へ。
でも、確かあの魔方陣の行き先は、私とアニエス姉さまが初めてお茶をした場所のはず。
そう思いながらお嬢様たちを眺めていると、
「新たな住人かな?」
そう言いながら現れたアニエス姉さまは、手に持ったティーセットを浜辺のテーブルに置き、
お嬢様達の背を見送り、テキパキとお茶の準備を進め、ちょうどそのお茶の準備が終わった頃戻られたお嬢様が、
私達を見つけると、ちょうどいいといった感じに近付いてきて、
「アニエスにジリアン、お前達に新しい仕事が出来た。
ちょっと付いてきてくれ。」
そう言われお嬢様についていくと、そこは先ほどお嬢様達が行かれたであろう草原。
遠くの方には見覚えの無い、豪奢な金色の毛をした羊がいて、お嬢様はその羊を見ながら、
「彼はハスキンズと言って、先ほど連れて来たご老体だ。
今度から彼がこの地に住むわけだが、それに伴ってお前達にひとつ仕事をして欲しい。」
そう言われるお嬢様に、アニエス姉さんが背筋を伸ばし、そのハスキンズと言う金色の羊を見ながら、
「アレの監視役ですか?」
そう姉さん聞くと、答えたのはお嬢様の代わりにメイド長のロベルタさん。
「いえ、彼はここで羊の番をする事になりました。
あなた方の仕事と言うのは、彼に習ってここで羊の毛を刈る事と、
必要な時に、その毛を紡いで糸にする事です。」
そう言われて、日傘やティーセットなどを運び込んだ後、
この草原にハスキンズさんに了承を得て、小さな家を建てて移り住み、
その地で得たのはハスキンズさんを含めた、3人での静かな暮らし。
しかし、そのハスキンズさんはあまり人に戻らず、多くの時を黄金の羊として過ごし、
たまに人に戻る時は、羊達を集めて毛を刈る時ぐらい。
ただ、そのハスキンズさんの毛も、この前刈ってお嬢様の使う枕の中身にしたので、
遠巻きに見ると、他の羊とあまり変わらない様に見え、
唯一、彼が彼だと分かるのはその立派な角のみ。
「あの人は寡黙ですね。」
そう私が刈った羊の毛を洗いながら言うと、姉さんは苦笑しながらその毛を草原に干し、
先に乾していた既に乾いている毛を集めながら、
「羊の姿なら仕方ないさ。
なにせ、彼は『メ~』としか話せないんだから。」
そんな、ハスキンズさんのマネをする姉さんと笑いあっていると、
「楽しそうで何より。」
その声を聴いた瞬間、姉さんはスッと背筋を伸ばし、
顔にあった笑みを、消して深々と礼をしながら、
「よくいらっしゃいましたお嬢様、今お茶をお入れします。」
そうアニエス姉さんが言い、私がイスの準備なんかをしている間に、
アニエス姉さんが嬢様に珈琲をお出しし、お嬢様はその珈琲を一口飲んだ後、
私とアニエス姉さんをイスに座るように促し、私と姉さんの顔を見た後、
「アニエス、ジリアンの教育の方はどうだ?
もし、お前が一人前と言う太鼓判を押すなら、
他の者たちをまた、教育してもらおうかと思っているが。」
そのお嬢様の言葉に、私はドキリとしたのを尻目に、
横に座るアニエス姉さんは、スッと静かに目を閉じた後、
ゆっくりと目を開いて、お嬢様の飲む珈琲を見て口を開き、
「私のみでは、その判断は付きかねます・・・。
お嬢様がこの子の珈琲を飲まれて、お嬢様の好みのとおりなら、
私はその次点で、この子を一人前と判断します。」
そう言って、アニエス姉さんは私の顔を見て、それに習うように、お嬢様も私の顔を見る。
そして、お嬢様は今飲んでいるカップにある珈琲を飲み干すと、
そのカップを私の前に差し出し、何かを値踏みするかのように目を細め、
「ジリアン、お前の入れたい珈琲を1杯頼む。」
そう言われて、私はお嬢様の差し出すカップを受け取り、珈琲を造る準備に入る。
でも、私はどうするのが一番いいのか分からない。
・・・、いや、一番いいのはお嬢様の好みの珈琲を作り、
アニエス姉さまの為にも、一人前と認められるのが一番いい・・・、と思う。
でも、本当にそれでいいだろうか・・・?
私の入れた珈琲を、美味しくお嬢様に飲んでいただく。
それは喜ばしい事なのだろうけど、でもその喜びの先に私の安寧はあるのか・・・?
寡黙な羊さんは、寡黙だけどまったく話さない訳ではない。
そんな言葉少ない羊さんだけど、彼が話すときはいつも満ち足りたように話す。
例え、その話の内容が辛い事でも、彼の話し方は変わらない。
多分、そういうふうに彼が話せるのは、彼が今居たい場所にいる事が出来ているからだと思う。
なら、私が今入れたい珈琲はきっと・・・。
「いい腕をしているよ、ジリアン。」
そう言って、お嬢様は私の作った珈琲を私の手から受け取り、
そのまま一口飲んで、そうおっしゃいます。
そして、そのまま珈琲を飲み干し、静かにカップをソーサーに戻し、
飲んだ後の余韻を楽しむかのように、イスの背もたれに背を預け、キセルと言うパイプで煙を吸い込み、
吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出すと、私の顔と姉さんの顔を交互に見た後、
何も言わずに席を立ち、そのままきびすを返して魔法人の方へ。
その背を見ていたアニエス姉さんが、立ち去ろうとするお嬢様の背に向かい、
「ジリアンの方は、いかが致しましょうか?」
その言葉を聴いたお嬢様は、こちらを向かず手をヒラヒラとさせながら、
「久々に甘くて美味いミルク入りの珈琲を飲んだよ・・・。
気晴らしに外で飲むにはちょうどいい味だった、ジリアンとお前は当面の間ここで羊の世話を頼む。
気が向いたなら、私はまたここに今飲んだ珈琲を飲みに来る・・・、その時はジリアン、ブラックで頼むよ。」
そう言ってお嬢様が立ち去った後、アニエス姉さんは私の方を見ながら、
「ジリアン、どうして甘い珈琲を?」
そう聞く姉さんに、私は微笑みながら、
「お嬢様のオーダーですよ。
お嬢様は私に、お前の入れたいと言われましたので、
私は私の入れたい珈琲を入れました。」
そう言うと、アニエス姉さんは何処かホッとした様な笑みを浮かべ、
私の顔を見ながら、カップを差し出し、
「そうか、ならジリアンの入れたい珈琲を私も1杯飲みたいな。」
作者より一言
百合の花を見ながら書きました。