肉体とは魂の牢獄なんだろうな第13話
ずるり・・・・ずるり・・・
ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・
ぐちゃ・・ぐちゃ・・・
相変わらず眼下には、影よりとめどなく何かが出ている。
そして、それは次第に集まり、人の形を作ろうとしては崩れて飛び散り、そしてまたあの不快な音を出しながら集まり、
人の形を取ろうとする。そして、何度も何度もそれを繰り返し、今は顔のようなものが見える。
顔といっても目も鼻も耳も無くただ、のっぺりとして、しかし、その顔であろう部分には口がある。
唇は無いが、そののっぺりとした部分に横一文字の亀裂が入ると、やたら歯並びのいい歯が並んでいる。
それを見て思うのは不快の一言。そんな何かを見ずに、俺は今の状況の打開策を探さなければならないというのに、
それでも、その何かが集まり崩れて、時折手のような部分を延ばそうとして、それの崩れる音しか聞こえない。
この何かは、叫び声一つ上げない。そのせいで、不気味さと、精神的嫌悪感が膨れ上がる。
ずるり・・・・ずるり・・・
ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・
ぐちゃ・・ぐちゃ・・・
ほかの音は聞こえない。ほかの音はまったく聞こえない。
「えぇい!エメト・メト・メメント・モリ 来たれ氷精、闇の精。闇を従え吹雪け常夜の氷雪 闇の吹雪。」
魔法を使い、その何かを攻撃するが、崩れ落ちるばかりで、一向に減ったという気がしない。
むしろ、今も闇より溢れ出て来る。このほかにも、一通り広域魔法以外の魔法を試したが、一向に何かに通じる魔法が見つからない。
ずるり・・・・ずるり・・・
ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・
ぐちゃ・・ぐちゃ・・・
「あせるな・・・。」
そう自身に言い聞かせ、キセルを口に銜える。
中に薬は入ってないが、少しは落ち着く事が出来る。そして、目をつぶって思考を再開する。
相変わらず、あたりには不快な音が響いているが、それは無理やり意識の外に追い出す。
まぁ、それでも聞こえてくるのだが、それはこの際無視だ。
「何かがあるはずだ・・・、何かが。」
そう思い、目をつぶる。目の前の何かは少なくとも、空は飛べないようだ。それは今の現状で分かる。
しかし、いずれは今闇よりあふれ出している何かとくっ付いて、俺の所まで手のような物を伸ばしてくるだろう。
そして、今俺は自身の魔法の中で精度のいいものを順番にぶつけてみたが、ダメージは無いように見える。
ただ、魔法が中っても何事も無いかのように、崩れた何かが集まり、また人の形をつくり、そして、自壊する。
次に、この場所の事だが、多分ここは俺が元々戦っていた場所ではないと思う。
理由としては、まずディルムッドが居ない事。あいつは違いなく俺の後ろでキメラと戦っていた。
それは間違いない。それに、今も魔力を持っていく感覚があるから、現在進行形で戦闘中だ。
そして、最後に、自身の考えた前提。
つまり、これが悪魔殲滅呪文であるかと言う事。少なくとも、俺はまだ悪魔殲滅用呪文をまともに発動できない。
巻物で練習した時は、型崩れした魔法が出たぐらいで、成功とは思えない。だが、これが今の問題ではない。
問題なのは、あのシーニアスの行った言葉を鵜呑みにして良いのかと言う事。あの、俺に執着する狂信者のような男の事を。
前提が違えば、結果が変わる。そして、あの男の事で間違い無いのは、俺に執着して、俺をこの場に迎えに来たと言う事。
そんな男が、片腕を奪われても、新しい腕をつけてまで俺を追ってくるような男が、果たして俺の事をそうやすやすと諦めるだろうか?
答えは、否だ。あの男はそんな生易しいものじゃない。あの男は、少なくとも欲しい物のためになら、一切の躊躇を無くす。
ならば、この呪文は悪魔殲滅用呪文とは毛色が変わってくるのではないだろうか?
ずるり・・・・ずるり・・・
ぴちゃ・・・ぴちゃ・・・
ぐちゃ・・ぐちゃ・・・
そこまで考えて、もう一度眼下の何かを見る。別に、それを見ても精神的に疲れるだけだ。
この、精神的嫌悪感はたまらない。
「いや・・・・、待てよ。」
そもそも、眼下に見える何かは、何でこんなに不快なんだ?それも、見るだけで嫌悪感を覚えるぐらいに。
それだけじゃない、下の何かは、何故俺に攻撃しない・・・・。いや、もしかすれば出来ないのか?
自身の不快なものに近付こうとする者は居ない。だから、物理的攻撃は出来ない。もし出来るとすれば、
「精神攻撃・・・・。」
そこまで考えて、眼下に見える何かの前に降り立ち対峙する。
不快感は消えない。だが、目をつぶらず、逆に睨みつける。
何かは、今まで通り、手のような何かを延ばそうとするが、俺に届く事は無い。
これは多分、鏡の中の自身に触れないのと同じ原理なのだろう。この怪物の発生源は俺の嫌悪感。
だからこそ、俺には。というより、この魔法にかかった奴全員が全員まったく違うものが現れて、そして、それと対峙する。
何せ、人の嫌悪感は千差万別だ。だからこそ、同じものは現れない。
そして、この魔法によって敗れた奴は多分、奴の腕に群がる亡霊の一人となる。
シーニアスは、あの、暗い地下室で、俺の事を人形と呼んだ。少なくとも、今の段階では、俺の精神は問題ではない。
体が残れば、あいつの場合別の魂でもおろせばいいのだから。
「そうなると、これは精神幽閉型ないし、空間幽閉型のマジックアイテムの結界攻撃か。十中八九あの腕がアイテムだろうな。」
そうなると、対処の仕方が変わる。精神型だった場合は目の前の何かから、嫌悪感を無くさなければならない。
俺の精神がこれを作っているとするのならば、少なくとも、嫌悪感が無くなれば、目の前の何かは消える。
そうすれば、同時にこの魔法そのものの前提が消えるために、俺の精神は元の体に戻るだろう。
もし、空間型だった場合はこの空間の成り立ちである目の前の怪物を殺す。
少なくとも、嫌悪感を作り出しているこの空間の主が居なくなれば、空間の維持が出来なくなる。
そして、時間が無い今の俺が取れる一番手っ取り早いやり方。それは、ラカンと同じように力技だ。
やり方としては、空間のオーバーロード。つまり、この空間に入りきらないだけの魔力ないし、物理的な何かを出す。
魔法を使う時に、少なからず精神を消費する。その事を考えるなら、ここから出せと念じながら魔法ないし、
魔力放出を一気に行い、それで破壊する。
「さぁ~て、やる事は決まった。それに、今晩は満月。私が最も力を振るえる時間だ。
あのゲスに、夜に吸血鬼の真祖に挑むと言う事が、どれほど馬鹿な事かを教育してやろう。」
そう思い、目の前の何かを見ながらニヤニヤして、口を開く。
さぁ、あの世界に帰ろうか。これで長い長い夜も終わる。
「エメト・メト・メメント・モリ」
自身の始動キーを紡ぎ、一気に空間に莫大な魔力流す。
そして、あたりがギシギシと軋みがあがる。
「さて、後どれくらいここが持つか。」
そう思いながら、さらに魔力を流しつつ、自身の杖であるキセルに魔力をためていく。
「外に出るなら、扉を開けないといけないよなぁ。そうだろう?化け物、キサマが、もし私の一部なら付いて来い。」
そう言って、自身の持つキセルを高らかに掲げて、一気に振り下ろす。
瞬間、
パキィ――――――ン
鼓膜が破れるかと思う位の音が鳴り、あたりが崩壊し、元の世界に戻る。
瞬間、聞こえて来たのは、もううんざりするあの声。だが、今の声は少なくとも胸がすっとする。
何でかって、それは。
「グッ、グギャァァァァァァァァアァ!!私のお気に入りが、私の魔力とコレクションがぁぁぁぁああぁぁぁあ・・・・!!!」
目の前でシーニアスが両膝を着いて叫んでいる。奴の体についていた黒い腕はもう無く、代わりに血を流している。
そして、俺は一気に駆け出した。自信のもてる最高速度で。風よりも、稲妻よりも、一瞬より早い刹那よりも早く。
そして、奴の胸をキセルで貫き、遅延呪文で詠唱していた亡者の腕を発動して捕縛する。
「どうだ殺される気分というものは?」
そう言って、シーにアスの顔を見る。
奴の顔はすでに正気ではなく、狂ったようになっていたが、今の俺の言葉はどうやら耳に届いたらしい。
「キィティイィィィィィィ・・・・!!!!嫌だ、嫌だ!いやだぁぁぁあぁぁぁぁあ・・・・!!!!!
死にたくない、まだ、死に無くないぃぃいぃい・・!!!!そうだ、キティ。私を使え。私をキミの従者にして、共に永遠を生きよう!」
そう言いながら、俺の腕をつかんでくる。滑稽で哀れで惨めだ。
あまりに哀れすぎて、心が凪ぐ。
「いらんよ、キサマなぞ。」
そうそっけなく返せば、また壊れたように喚き出す。
「私しをぉぉぉ・・・・!助けろぉぉぉぉ・・・!この最高の英知を持ち、永遠を生きるに相応しい私を助けろ小娘ぇえぇぇ!
今なら、まだ許してやる、今ならまだ何もしないでやる、だから助けろ!!」
もう、こいつとは口も利きたくない。
こんな奴のために、エヴァが苦しめられていたと思うだけで、悲しくなる。
「もう、喋るな。まだ、完成には程遠いが、今のキサマなら相応しいだろう。」
そう言って、呪文の詠唱には入る。これからやるのは、こいつの様に紛い物ではなく、本当の悪魔殲滅様呪文。
もう、こいつの魂が輪廻の輪に組み込まれないように。もう、こんな奴が生まれて来ないように。
「エメト・メト・メメント・モリ 光無き未来永劫暗き檻の中に在りしもの達よ 生在る者たちを妬み恨み僻み 渇望するする深淵よ・・・」
呪文を読み上げるたびに、あたりの魔力と、自身の魔力が減っていく。
しかし、これでも完全発動にはまだ遠い。
「やめろ、一体何の呪文だ、嫌だ、やめろ。やめろ吸血鬼。人を殺すのか?俺を本当に殺すのか?知識がなくなるぞ。
俺を生かしておけば人に戻れるかもしれないんだぞ!!」
シーニアスが何かを喚いている。まったく持って耳障りだ。
だが、今心をブレさせる訳には行かない。慣れてない今そんな事をすればどうなるか分からない。
「我は汝等に奉げよう 生在る者を 罪深き汝等の同胞を 全てを無に帰っせよ・・・・」
あぁ、これで終わる。後はトリガーを引くだけだ。
「じゃあ、これで最後だな。もうキサマの顔を見る事も未来永劫無いだろう。」
「いやだぁぁぁぁ、放せと言ってるだろう薄汚い吸血鬼!
この最高の頭脳を、この場で捨てるというのが、どれほど冒涜的なことか分からないのか!!!?」
そう言って、シーニアスは口から泡を吐きながらまくし立てる。
何だろう、こいつに合うのは、ゲスにも劣る、ゴミにも劣る、外道という言葉ですらもったいない。
「あぁ、そうか、キサマは何でも無いんだな。では、そろそろ逝こうか。」
そして、最後のトリガーを引く。
「贄の井戸」
そして、シーにアスの胸からキセルを抜き、そのままシーニアスから少し離れてシーニアスの方を向きどっかりと座り込む。
シーニアスの方はキョトンとしている。今はまだ、奴の体に何も起こっていないから。
「クククハハハ・・・・、あれだけ意気込んで、あれだけ意気込んでおいて不発かキティ。
やはり、キミでは俺は殺せない。 キミ程度の魔法の腕では私は殺せない。」
そういいながらのけぞるように大笑いしている。
そして、俺はそれをただ見ている。
「終わったのか?」
「あぁ、チャチャゼロ。終わりだ。」
いつの間にか横に来ていたディルムッドの問いに答えると、ディルムッドも俺の横にどっかりと座り込んだ。
シーニアスは、いまだに笑っているが、もう気付いてもいいころだろう。
何せ、奴は貫かれた自身の胸から血が流れていない事に気付いていないのだから。
そして、その傷口から、闇よりもなお黒い夜色の手がシーニアスを抱くように伸びているのだから。
「エヴァ、あれは一体何の呪文なんだ。」
俺の横で座っているディルムッドが聞いてくる。
心なし、どこか声が震えているような気がするが、あの呪文の本質は高位存在の消滅呪文。
簡単な話し、魂なんかを消し飛ばせる。コイツにとっては天敵だろう。
「あれは、私や悪魔といったものを消滅させるための魔法さ。
まぁ、あれでもかろうじて発動していると言った所だろう。本来ならば、もっと展開が早いらしい。」
ディルムッドに静かに教えてやっていると、シーニアスも自身の体の異変に気付いたらしい。
自信の胸から出る夜色の手を必死に振り払おうとするが、払った手が今度は黒く染まり、逆に取り込まれていく。
「な、何だこの魔法は!!いえ、キティ!!!」
「高位存在の消滅魔法。ただそれだけだ。」
それを言ってやると、シーニアスの顔が驚愕にゆがむ。
そして、頭を激しく振り、声にならない声を上げ喚きちらし、その後に俺を睨む。
「魔法を止めろキティ!今ならまだ許してやる!!今ならまだ許してやるさ!!!」
「ならば止めんよ。キサマを殺すのが私の殺意なら、その代価にキサマからは命をもらおう。
もっともすぐにキサマの事なぞ忘れるがな。」
そういうと、また絶叫して、喚き散らす。
醜い、その一言だろう。
「止めろ!止めろ!!止めろ!!!止・め・ろーーーーーーーっ!!!」
それに対して、言うのはひどく冷たい一言。
もういい加減こいつの事を忘れたい。シーニアスの体は殆ど闇に飲まれて、あと少ししか残っていない。
「無理だ。止め方を知らない。それに、止める気も無い。」
「ならば、私を恨め、貴様の胸に私という存在を刻み付け、未来永劫私を呪え。
このサーカスでたいていた香は私が死ねば、キサマを吸血鬼と認識させる。
どうだ、これなら私を恨めるだろう。未来永劫、私のせいで君は追われるのだからな!!!」
なるほど、この強い匂いはそう言う物だったか。まぁ、それがどうしたと言う所か。
旅立ちの期日が少し早まっただけで、後はそんなにあわてる事も無い。
「恨まんよ。どこの誰とも分からん奴は恨めんだろう?」
そういって、残酷な笑みを浮かべる。
瞬間、シーニアスの顔が崩れる。
「私を恨め!私を刻め!!私を忘れるな!!!」
シーニアスが、何かをいっているが無視する。もう、奴の体は闇に飲まれ、後は首しかない。
それに、こいつとこれ以上話す気は無い。
「チャチャゼロ、寮に行って私の鞄をとって来い。出発する。」
「了解、ほかに要る物は?」
「無い。それだけあれば問題ない。書籍にしろ、道具にしろ、必要なものは全て鞄の中だ。私はここで待つよ。」
そういうと、ディルムッドは天高く舞い上がって寮の方に向かっていった。
俺は、魔法で薬を取り出し、キセルで一服する。長かった。今晩はとても長かった。
「だが、まだやる事はある。」
最後の最後に、このテントを壊さなければならない。
少なくとも、キメラや、そのほかの死体を人目に触れさせて自身の事を貶めたくは無い。
どうせ、これから追われるなら、誇り高い悪と言うモノをやってみようじゃないか。
そう思い、天高く舞い上がる。そろそろ朝なのだろう東の空が白み始めている。
「エメト・メト・メメント・モリ 契約に従い、我に従え、氷の女王。 来たれ、とこしえのやみ、えいえんのひょうが。
全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也。」
ここまで詠唱して下を見る。そこには、巨大な氷の塔。
これを自身で作ったという実感はあまり無いが、それでも、魔力の減った感覚はある。
それと、今この塔は日の光に当たってキラキラ輝きとても綺麗で、壊すのが勿体無い。
「だが、これも仕方ない事か。
しかし、どこかを旅立つたびに何かを破壊しているような気がするが・・・・・、まぁ、気のせいだろう。
さて、祭りの後はモノ悲しさがあるが、今はそれによく似た気分だ。だが、門出としては最良か。」
そこまで一人事を言って最後の言葉を紡ぐ。
『おわるせかい』
そして、全ての氷が砕け、あたりに舞い散る。
その後、地上に降りて、自身が座っていた位置にもう一度どっかりと座り込み、薬を吸う。
静かだ・・・、とても静かだ。辺りはさっき砕け散った氷が雪のように覆いかぶさり、さながら雪原の様だ。
いくらなんでも、ここに単身で乗り込む魔法使いはいない。少なくとも、真祖に一人で挑もうとする奴はいない。
そんな中、空から声がする。昨日ぶりだが、どうやら生き延びたらしい。
まぁ、死なれても困るんだがな。
ーsideアノマー
「いっつぅ~・・・・、行かなくちゃ、早く行かなくちゃ。」
一体どれくらい気絶していたのだろう。もしかしたら、全てが終わっているのかもしれない。
でも、それでも俺があそこに、俺を生かそうとした彼女が戦った戦場に行かない理由にはならない。
幸い、俺の杖は俺が握ったままだ。これなら飛べる。これならきっと駆けつける事が出来る。
そう思い、杖にまたがり舞い上がる。行った先がどうなってるかなんて関係無い。ただ早く。
「加速!!」
魔力の残りなんて気にしない。そんなものを出し惜しみするぐらいなら、行かないほうがましだ。
俺は彼女にあの戦場で助けられた。俺の大好きなエヴァンジェリンに助けられた。
だから、俺はどんな形でも、彼女の元に行かなければならない。
俺は彼女にお礼の一つも言っていない!
「最大加速!!!」
さらに、速度をあげる。空はもう白み始めている。夜が終わる。
彼女の騎士が言っていた事が本当なら、彼女は眠りにつくかもしれない。
でも、それならば最後に一目でも良いから彼女が見たい。
今、俺があそこに行っても戦闘中なら、彼女は怒るかもしれない。
でも、それでも俺は彼女の所に行きたい。この思いだけはけして、けっして譲れない!
今、エヴァンジェリンに会わないと、彼女がどこか遠くへ行ってしまいそうだから!
全力で飛んで、もうテントが見えるか見えないかという頃、そのテントがあるべき位置から巨大な氷が生え出しているのが見えた。
「いる!エヴァンジエリンはまだあそこに居る!!」
それを見て、さらに速度を増す。
彼女がそこに居るという事だけで体に魔力がみなぎってくるような気がする。
そして、その巨大な氷が砕けて程なくして、俺はそこに着いた。
エヴァンジェリンの魔法で、彼女の居る辺りが雪原のようになったその場所に。
そして見つけた。エヴァンジェリンは、いつもと変わらないように魔法薬を吸い、空を眺めていた。
その顔は、どこか物悲しさと、清々しさが同居しているような顔だった。
「エヴァンジェリン・・・・。」
「ん?あぁ、アノマか。」
彼女はいつもと変わらない。ただ、魔力が俺なんかでは足元に及ばないぐらい膨大になっている。
でも、そんな事は俺にとって些細な事だ。別に、魔力のあるなしが人をどうこうする事は無い。
「どうしてここに来た?わざわざ真祖の吸血鬼が居るかもしれない所に来るなんぞ、正気の沙汰じゃないぞ?」
そう言って、のどを低く鳴らしエヴァンジェリンは笑った。
でも、俺はそんな事どうでもいい。いつ彼女にやられたのか。もしかしたら、最初に轢いた時からなのか、
それとも、教室で見詰め合ったときなのか。でも、はっきりしている事がある。
俺はエヴァンジェリンがどうしようもなく好きだ。
「エヴァンジェリンに血を吸われるなら本望だ。むしろ、吸ってくれ。」
そう、俺が言うと、彼女は見る見るうちに不機嫌そうな顔になっていく。
そして、吐き出される声も不機嫌だ。
「キサマ・・・、私を舐めてるのか?」
そう、俺に問いかけてくる。彼女の目も、俺を咎めるかのような眼差しだ。
「舐めてない。俺はエヴァンジェリンの事が好きだから、愛してるから!
だから、一緒に居させてくれ。どんな酷い事をされてもいい。だから、一緒にささせてくれ。」
「却下!」
彼女の俺の言葉に間髪入れず否定を下す。
「泣くな人間。何がそんなに悲しい。キサマは生きているというのに、何を泣く。」
そう、エヴァンジェリンが子供をあやすような声で話してくる。
あぁ、そうか、俺は気付かないうちに泣いていたのか・・・。
「エヴァンジェリンの事が、切なくて泣きたくなる位、好きだから。」
そう返すと、彼女は困ったような顔で答える。
その顔を見るだけで心が締め付けられる。
「やめておけ人間。化け物に恋などするな。人は人として生き、人として終わるのが一番いい。」
「でも、それじゃあエヴァンジェリンと一緒に歩めない。」
「それでもだ。朽ち果てる事の無い体なんぞ、魂の牢獄もいい所だ。まぁ、私はこれ以外の生き方を知らないがな。」
そう言って、ニヤリと笑い俺の方を見てくる。
一体俺はどうすれば彼女と一緒にいられる?何をすれば認めてもらえる?
そんな思いが頭をぐるぐる回る。何か言わないと、彼女は行ってしまう。どこか遠くへ。
「どうすれば、俺を認めてもらえる?」
そう、俺は彼女に聞くしかない。俺は馬鹿だから、女の子の気持ちなんて分からない。
だから、彼女に聞くしかない。そして、答えを探すしかない。
「人としての生涯を駆け抜ければ。」
彼女からの返答はその一言。でも、それじゃあ、それじゃあ。
「でも、それじゃあ一緒に居られない!」
「あぁ、だが、キサマの子なり、子孫なりとは一緒にいられれる。私とキサマの間にある時間という溝は深い。
私が瞬きをする間に人は年を取る。そして、私を置いて逝く。だがな、人間。それでも、私に愛を囁くと言うのなら、私を一人にするな。
人として生き、人として終わり。思いを繋げ、血をつなげ。そして、いつか私を人に落としてみろ。」
歌うように言葉を紡ぎ、彼女は苦笑しながら語った。
彼女はどうして、俺にそんな思いを託すのだろう。
出会ってまだ3年半しか一緒にいない俺に。
こんな馬鹿でどうしようもない俺に。
「エヴァンジェリンを人に落とす?」
「あぁ、私のような化け物とも暮らせる世界を作ってみろ。キサマは目指すのだろ?『マギステル・マギ』を。
キサマのような人間が、やはり最後の最後で正しい選択をするものだ。私は私で、かってにするがな。」
そう言って俺の顔を挑発でもするかのように犬歯を見せながら笑う。
その彼女の牙を見ても、彼女が人でない事が分かる。
そして、俺は彼女と同じ時を歩めないのだと。
彼女の意志は固く、そして、彼女は俺を選んでくれたのだと。
この場所でどんな戦闘があったのか俺は知らない。
それでも、彼女は俺を選んでくれた。
こんな馬鹿で、どうしようもない俺を。
これで、俺はようやく彼女の背中が見えたのかもしれない。
「・・・・、エヴァンジェリン約束しろ。いつになるか分からないけど、人に落ちるまで絶対に死なないと。」
そう俺が言うと、彼女は珍しくキョトンとした顔になり、その後笑って頷いた。
いつものニヤリとした笑いでもなく、のどを鳴らしての笑いでもなく、彼女は純粋に笑った。
「あぁ、その契約は守るとしよう。契約の証だ受け取れ。」
そういって、エヴァンジェリンは、自身のいつも付けているリング状の髪留めを髪からはずし、
唇を噛み切り、その流れた血を髪留めに塗って寄越した。
「これは?」
「それがあればキサマの居場所が分かる。
よぼよぼの爺さんになって、逝く間際にでもなったら顔でも見に行くさ。その時は、子と孫の顔でも見せろ。」
髪留めを渡して、俺にからかう様に言う。
俺はエヴァンジェリンが好きだから、その先の事なんて分からない。
でも、好きだからこそ、彼女を一人にしたくない。
「俺、結婚するかわかんねぇーよ。」
「今言ったことを覆すか?キサマは少なくとも、私と契約をしたんだ。しかも、私の行く末をどうこうするな。
ならば、歩め自身の足で。時には立ち止まる事もあるだろう。時には逃げ出して、回り道する事もあるだろう。
だがな、人間というモノは一度歩むと決めた道を歩みだしたら、どんなに打ちのめされても、どんなに叩きのめされても、
決して下がる事をしないものだ。」
そういった後、お互いの顔を見て笑う。
笑って、笑って、エヴァンジェリンの顔を俺の目に焼付けて、それでも足りずに彼女を見つめて。
でも、時間というものは流れる。それが楽しい時間なら、なおさら早く。
「さて、そろそろ行け。あんまり長居するといい事は無いぞ。」
「・・・、もう、そんな時間なのか?」
名残惜しい、本当に名残惜しい。
次にエヴァンジェリンに会えるのが、何十年後になるのか。
彼女は言った事は守る。でも、守るからこそ、その時まで会えない気がする。
どんなに探しても、どんなに追い求めても。そうして、あたりに沈黙が下りて、彼女に背を向ける。
振り返らない、いや、振り返れない。今振り返れば、俺は前に進めないような気がするから。
そんな中、後ろからエヴァンジェリンの声がする。
「世界は何処までも無慈悲で残酷だが、だが、それでも絶望するほど酷くは無い。多分お前のような奴がいるからだろう。」
その言葉は、彼女からの激励か、それとも、彼女との約束を守るための枷か。
俺には判断が付かないし、俺は彼女じゃないから、何を思って言ったのかは分からない。
でも、それなら明るく考えよう。少なくとも、彼女は絶望していない。彼女は強い人だから。
そして、俺の事を人間と呼び、思いを分けてくれた。それなら、惚れた女の分まで頑張ろう。
ーside俺ー
「ふぅ~、終わった、か。」
「ご苦労様、しかし、エヴァがあそこまでアノマを買ってるとは思わなかった。」
「帰ってたのか。」
そう声をかけると、俺の後ろにディルムッドが立つ。
いつからいたのかは聞く気も起きないし、聞いた所で終わった事に意味は無い。
ただ、この世界の魔法はずるいな。人の発言にも魔力があるなんて。
あれだけの思いが詰まった言葉なら受け止める方の身にもなって欲しい。
「おい、チャチャチャゼロ。こっち来い。」
そういって、ディルムッドをこっちにこさせて、胸を借りる。
声は上げない。体も揺らさない。ただ、涙が止まるのを待つ。
俺には男と恋愛する趣味は無い。だが、それを差し引いてもアノマの言葉には魔力が乗っていた。
だからだろう、俺が泣いているのは。それに、俺の未来の知識はアノマの思いを使い算段を立てた。
それを悔やむ事は無い。だが、それでもやるせ無い。
ーsideディルムッドー
(けっきょく、アノマとは相容れないか。)
俺の胸に、顔をうずめるでもなく、抱きつくでもなく、声を上げるでもなく、震えるでもない我が主がいる。
主は、ただ泣いている。俺の胸に額を当てて。それを見て、アノマを羨ましくも思い、同時に嫉妬もする。
エヴァは強い。だから、人をあまり頼ろうとしない。自身で背負い込んで解決していく。
でも、そんな主が、今始めて思いを人に託したように思う。そう、人に。
その事が羨ましい。そして、嫉妬する。でも、それは多分俺とアノマの領分の違いだろう。
俺はエヴァの騎士であり、エヴァの盾だから、彼女と共に永遠を歩み付き添わないといけない。
だが、アノマは人で、短い一生の中で事をなさないといけない。
だからこそ、彼女は人の可能性にかけてみたのかもしれない。
どれくらい立っただろう、彼女は俺からは離れ、
「行くぞ、旅立ちだ。」
そう言って、空に上がり、俺も続く。
「エヴァ、行き先は。」
「ヘカテスに行く。そこを拠点に遺跡の発掘と、金を集める。」
「そうか。」
そう言って、俺とエヴァは空を飛び続ける。
あたりは雲ひとつ無い快晴で、太陽が天高く昇ろうとしている。
お互い無言の空の旅。そんな中、エヴァが不意に口を開いた。
「・・・・、人は何処までいけるのだろう。」
「なんか言ったか?」
「いや、なんでもない。」
エヴァが何を思ってそれを言ったのかは分からないが、それでも、彼女にも何か思う所があるのだろう。
鞄一つで町を飛び出し、俺たちはヘカテスを目指す。