<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.996の一覧
[0] 誘宵月[アービン](2005/11/23 13:06)
[1] プロローグⅠ[アービン](2006/03/25 15:59)
[2] プロローグⅡ[アービン](2006/03/25 16:00)
[3] 第一話 暗黒烙印Ⅰ[アービン](2005/11/23 15:57)
[4] 第二話 吸血姫[アービン](2005/11/23 15:58)
[5] 第三話 死猟[アービン](2005/11/23 15:59)
[6] 第四話 暗黒烙印Ⅱ 前編[アービン](2005/11/23 16:01)
[7] 第四話 暗黒烙印Ⅱ 後編[アービン](2005/11/23 16:03)
[8] 第五話 カルマ[アービン](2005/12/26 21:43)
[9] 第六話 妖の聖歌 前編[アービン](2006/03/08 01:49)
[10] 第六話 妖の聖歌 後編[アービン](2006/03/08 02:09)
[11] 第七話 割れる日々 [アービン](2006/03/25 15:44)
[12] 第八話 境界線 [アービン](2006/07/30 02:36)
[13] 最終話 在る理由 前編[アービン](2006/09/30 04:00)
[14] 最終話 在る理由 中編[アービン](2006/09/30 04:01)
[15] 最終話 在る理由 後編[アービン](2006/10/01 01:30)
[16] エピローグ 夕映えの月[アービン](2006/10/05 02:01)
[17] 後書き[アービン](2006/10/05 01:50)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[996] 第六話 妖の聖歌 前編
Name: アービン 前を表示する / 次を表示する
Date: 2006/03/08 01:49






「志貴様……起きて下さい」

翡翠の声が聞こえる。

「う……」

目を開けるとひびだらけの世界が写った。

頭痛がする。

急いで眼鏡をかけた。

「志貴様……気分がよろしくないのですか?」

「いや、大丈夫、軽い貧血だよ、もう治った」

「そうですか」

「朝食だろ、着替えてすぐ行くよ」

「かしこまりました」

そう言って、出て行く翡翠。

……何も聞こうとしない。

昨日は翡翠だって心配したに違いないのに。

翡翠がいつもと変わらず接してくれる事がありがたかった。






秋葉は少し不機嫌そうだったがもう俺を問い質そうとはしなかった。

あいかわらず朝が遅い事にはしっかり文句を言ってきたが。

穏やかな、変わらないいつも通りの朝の光景だった。










登校する途中、考える。

昨日、酷く弓塚は落ち込んでいた。

俺に何かしてやれる事はないだろうか?

何か……

そんな事を考えながら歩いていたら学校に着いたのはぎりぎりだった。

辺りにはもう人が見当たらない。

急いで校舎の中に入ろうとして、

「遅いですよ、遠野くん、待ちくたびれました」

「え……?」

声をした方を見るとシエル先輩がいた。

「話があります。すみませんがちょっと来てください」

「…………」

さっきまで先輩に気付かなかった事とか、
昨日大怪我したはずなのに全く何事もなく学校に来ている事とか、
この先輩は謎な部分が多い。

けど今はそんな事はどうでもいい。

「わかった。俺も先輩に聞きたい事がある」















俺達は体育館裏に移動した。ここなら人目につかないだろう。

「さて、私の用件ですが……」

「その前に教えてくれ、どうして昨日弓塚を襲ったんだ?」

これだけは絶対に聞かなくては気が済まない。

うやむやにならないうちに聞いておきたい。

「遠野くん、人が話している時に割り込むのはよくないですよ」

「はぐらかさないでくれ先輩」

俺は先輩を睨む。

「…………どうしても説明しなきゃだめですか?」

「当たり前だろ!!」

「はあ、やっぱりこうなりましたか。
 わかりましたよ、どっちにしろそのうちばれるでしょうし」
  
大きく溜息をついて先輩は話し始めた。

「私は教会から派遣されてきた代行者……
 まあいわゆるエクソシストと呼ばれる様な者です。
 この街に潜伏した死徒、及びその眷属となった者達の殲滅。
 それが現在の私の任務です。
 弓塚さんは私の標的の1人という事になります」

淡々と事務行為の様に先輩は語る。

それが俺には腹が立ってしかたがない。

「納得できない、弓塚は……」

「ただの被害者、と言いたいんですか?
 被害者なのは否定しません。
 しかし、彼女は吸血鬼になってしまった。
 そしておそらく既に犠牲者も出している。
 そうでなくてもこれから確実に犠牲者を出す。
 それでも同じ事が言えますか?」

「でもまだ弓塚は吸血鬼に成りきってないんだ。
 死徒さえ倒せば何とかなるかもしれない」

「有り得ません。確かに稀に吸血鬼に血を吸われても吸血鬼にならない人はいます。
 しかし吸血鬼化が始まったという事は吸血鬼の血に身体が負けたという事です。
 2、3日ならまだしも、今はもう彼女はとっくに吸血鬼になっているはず」

俺の言葉を先輩はあっさりと否定する。

「だけど弓塚は現に吸血鬼に成りきっていない!!
 俺だけじゃなくアルクェイドもそう言ってる。
 まだ手遅れじゃないんだ!!」

「貴方はアルクェイドが嘘をついているとは思わないのですか?」

「あいつは嘘は言わない。
 それにあいつだって弓塚を助けたいと思ってる」

それはきっぱりと言い切れる。

「……では仮にそうだとしましょう。
 しかし、それならば彼女は想像を絶する苦痛を味わっているでしょう。
 凄まじい吸血衝動とそれに拒む事によって起こる体中に走る激痛。
 そして……徐々に自分が自分で無くなっていく恐怖。
 そんな事が続けばどれほど強い心を持つ人でも精神が崩壊する。
 それに今まで耐えているのも信じられないですが、
 彼女は長くて今日を入れて後3日、次の満月には確実に限界が来る」

後3日、長くはもたないとは思っていたけど本当に……

「でも……まだ弓塚は耐えている。
 死徒を倒せば助かる可能性だってある」
 
俺の言葉に先輩は首を横に振った。

「彼女は危険なんです」

「どうして、弓塚は血を吸っていないのに」

「アルクェイドが言わなかったですか?
 本来、死徒に血を吸われた者は長い年月を経てようやく自我を持つようになる。
 なのに弓塚さんはほんのわずかな時間で自由に活動できる程になっている。
 私の知る限りここまで早く死徒になった者は他にいません。
 そして恐ろしい事に固有結界すら使いました」

「固有結界?」

「固有結界とは自らの心象世界で世界を塗りつぶす禁断の魔術。
 昨日彼女が固有結界を使った結果は遠野くんが見た通りです。
 本来長い時を経て得るはずのその力を彼女は使いました。
 彼女は明らかに並みの吸血鬼のレベルを超えています」

「だけどあれは先輩が弓塚を襲ったからだろ。
 そうでなければ弓塚はあんな事はしない」

そもそも弓塚はあの廃ビルからほとんど出ない。

「昨日に関してはその通りです。
 しかしあの力を含めて彼女は危険すぎます。
 彼女が暴走すれば恐ろしい事になります」

先輩は俺を見つめて訊ねた。

まるで俺の中にある不安を見透かすように。

「遠野くん、もし彼女が本当に貴方の言うような状態なら、
 あの後、彼女は言いませんでしたか? 『自分が怖い』と」

――――怖いの、またさっきみたいになるのが、志貴くんやアルクェイドさんを傷つけてしまいそうで――――

「どう…して?」

先輩はそこまでわかるのだろう?

「言ったんですね……」

先輩が少しだけ悲しそうな顔をした。

「遠野くん、もうこれ以上アルクェイドと弓塚さんに関わるのはやめてください」

「そんな事できな『遠野くん』」

即座に断ろうとした俺に先輩は少し強めの声で言う。

「弓塚さんが何を望み、そして何を望まないかよく考えてみてください」

そう言うと先輩は消えた。

今まで確かに目の前に居たはずなのに忽然と。

「先輩?」

呆然と呟いた声に答えは返って来なかった。




















さっき言われたことが頭から離れない。

ぼんやりと授業を受けながら考える。

弓塚が望む事、望まない事……

弓塚は自分が誰かを傷つけたり迷惑をかける事をひどく嫌う。

弓塚を見てるとそういう事をかなり気にしてるのはわかる。

だからこそ先輩は手を引けと言ったのかもしれない。

けど、やっぱり俺は弓塚を放って置くことなんて出来ない。

俺には俺の出来る事を弓塚にしてあげたい。

でも……それが何なのかはまだわからない。




















「あの、兄さん?」

「え?」

「さっきから全然食べていませんが、
 もしかして、まだ調子がよくないのですか?」

どうやら食事中に考え事をしていたせいで、

食べるのが止まっていたようだ。

「いや、大丈夫だよ」

変に思われるわけにもいかない。

とりあえず今は食べる事に専念しよう。

しかしもう屋敷に来て1週間以上たつけど、今だにこれだけは慣れない。

少しでも不作法をすると、秋葉の機嫌が悪くなる。

それに琥珀さんや翡翠が食べないのに目の前で自分だけ食べているのも居心地が悪い。

俺的には食事って言うのは、もっとこう――楽しく……

「!!」

そうか、そういう事なら俺でもできるかもしれない。

でもどうやれば……

「……兄さん」

あいつの所で貸してもらって、それから……

「兄さん!!」

「え?」

「本当にさっきからどうしたんですか?
 ぼうっとしてばかりいて」

「あ……」

大丈夫、と言おうとして思い直した。

「ごめん、やっぱり調子が悪いみたいだ。
 悪いけどもう今日は休んでもいいかな?」

「それは構いませんが……
 琥珀、薬を処方してあげて」

「いや、今はとにかく眠りたいんだ。
 それにそこまでするほど酷くはないよ」

そう言って、部屋に戻ろうとして、

「ああ、翡翠、部屋に着替えを持ってきて欲しい」

「……かしこまりました」










もちろん、そのまま休む気なんてなかった。

部屋に戻ると、とりあえず財布を取り出し中身を確認した。

「結構減ってるな……」

貯金を下ろして来てまだ一週間もたってないのに……

まあ随分いろいろ買わなきゃいけなかったからしょうがないが。

「まあでもこれだけあれば十分足りるだろ」

そう思いながら外に行く準備をする。

と、ドアがノックされた。

「入っていいよ」

翡翠が着替えを持って入って来た。

「ごめん翡翠、実は頼みたい事があるんだ」

「はい」

「その、悪いけどこれから出かけなきゃいけないんだ。
 だから……また口裏を合わせて欲しい」

「今から、ですか?」

「うん、今日はちょっとね……」

「……かしこまりました」

翡翠は一礼して出て行った。

「さてと、行くか」





何とか見つからずに屋敷から出れた。

「こんなところを秋葉に見られたら、怒るどころじゃすまないだろうな」

……やめよう、怖くなってきた。

「ええっと、まずは繁華街からだな……」










「ありがとうございました」

店員の声に送られながら店を出た。

手に持つのはスーパーの袋と紙袋が一つずつ。

店を出ると財布の中身をもう一度確認する。

「…………」

財布は随分と心細くなっていた。

「まさかあそこまで高いとは……」

甘く見ていた、その報いは貯金の枯渇。

「嘆いても仕方が無い……次に行こう」

無駄遣いをしたわけじゃないんだから、きっと。










インターホンを鳴らす。

今更だが先に電話でもしておけばよかったと思ったが、

幸いにもドアは開いてくれた。

「あん? 何だよ遠野か。
 こんな時間にお前が来るなんてどういう用件だよ」

「頼みがあるんだ有彦」

「何だ?」

「台所を貸して欲しい」

「はぁ?」

「料理をしたいから台所を貸して欲しい。
 食材は自分で持ってきている」

「何だってそんな事を……
 大体それならお前の家でもできるだろうが」

「頼む」

「……ふざけてるわけじゃなさそうだな。
 わーったよ。使いたきゃ勝手に使え」

「ありがとう、恩に着るよ」

「やめろよ。お前に礼なんか言われると気持ち悪くてしょうがない」

「…………」

とりあえずその発言はスルーして中に入る事にする。

台所に入ると持って来た食材を出す。

「よし、まずは野菜を洗って……」















「出来た……」

正直不安だったが、割とうまくいったと思う。

「終わったのか?」

「ああ、迷惑かけて悪かったな有彦。
 これからすぐ片付けるから」

「ったく。それは俺がやっといてやるからさっさと行けよ」

「え?」

「何だか知らんが急いでいるんだろ?
 なら料理が冷めないうちに早く行けよ」

「有彦……」

その言葉に対して感謝を込めて俺は答えた。

「お前が親切なのは気持ちが悪い」

「黙れ、俺も少しそう思ったから言うな」

手早く料理を容器に詰めて俺は有彦の家を後にした。




















廃ビルが見えてきた。

「弓塚、喜んでくれるといいんだけど……」

ビルに入ろうとした時、誰かがビルから出て来た。

「あれ……?」

「え……? し、志貴くん!?」

出て来たのは弓塚だった。

「どうしたの?」

弓塚が外に出ようとするなんて珍しい。

それに……さっき俺に気付く前、
弓塚は酷く思い詰めた顔をしていた気がする。

「あ……え、えっと……
 ちょっと気が滅入っちゃったから、
 散歩にでも行こうかなって思って」

嘘だ。

弓塚は外に出たがらなかったし、

昨日の事で弓塚の服は所々破けている。

それなのに弓塚が散歩に行くとは考えにくかった。

けど、問い質しても素直に答えてくれそうにない。

ここは話をあわせたほうがよさそうだ。

「うん、まあそれもいいんじゃないかな。
 けどその前に食事をしてからにしないか?
 今日はちょっといつもと違う物を持って来たんだ」

「あ……うん。じゃあそうするよ」

とりあえず俺と弓塚はビルの中に入った。

「それで志貴くん、いつもと違う物って?」

「うん、これなんだけど……」

袋から取り出した容器の片方を弓塚に渡す。

「え? これってもしかして?」

「うん、俺が作ってみたんだ。
 いい加減パンとかばっかりだったら飽きると思って、
 あまり手の込んだ物は出来なかったけど」

「後、ずっと独りで食べるのも味気ないだろ?
 だから今日は俺と一緒に食べよう」
 
「…………」

弓塚の身体が震えている、どうしてだろうか?

「あの、弓塚?
 ちゃんと味見はしたし、割とうまく出来たと思うから、
 とりあえず食べられない事は無いと思うけど……」

「そうじゃないよ……
 すごく……嬉しいの」

弓塚がそっと目じりを拭う。

「ありがとう。
 それじゃあ、いただきます」

その声は少しだけ震えていた。
  
「ああ……いただきます」

そう言って容器を開ける。

「わあ、五目炒飯だね。
 いい匂い……」

弓塚が一口目を食べる。

「どう?」

やはり反応は気になる。

「おいしい、志貴くん料理上手だね」 

「よかった、気に入ってくれて」

安堵したらお腹が空いてきた。

俺も自分の分を食べるとしよう。

「ん? 少し冷めてしまったかな?」

作ってから少し時間がたってしまったからな……

「ううん、あったかい。
 久し振りだな……こういうの」

しみじみと弓塚は言う。

「ほんとに、すごくあったかい……」

「弓塚……」

もっと早く気付けばよかった。

弓塚はずっとこんな当たり前の事を望んでいたんだ。




















「ごちそうさま、おいしかったよ。
 わざわざ本当にありがとう」

「いや、弓塚が喜んでくれてよかった」

「う、うん、何だか元気が出た」

ん? 弓塚の顔が少し赤くなったような?

「そう、よかった。
 じゃあ、行こうか」

「え?」

「散歩に行くんだろ? 俺も付き合うよ」

「あ……」

弓塚が目を伏せる。

「やっぱり、いいよ……
 よく考えたら服もぼろぼろだし」

「ああ、それだったら」

俺は紙袋から包装紙に包まれた箱を取り出して渡す。

「これは?」

「まあプレゼントみたいなものかな? 開けてみて」

「うん」

弓塚が箱を開ける。

「洋服と、これは髪留め?
 あれ? この洋服って……?」

洋服を手に取って見ていた弓塚は驚愕の表情を浮かべた。

「し、志貴くん、こんなの貰えないよ!!
 これってすごい高級なものじゃない!!」

どうやら弓塚はこの服のメーカーを知っているらしい。

まあ、確かにびっくりするぐらい高かったけど……

そういう事は気にして欲しくない。

「いや、それはそこまで高くなかったって。
 だから心配しないでいいよ」

弓塚が俺の眼をじっと見てくる。

「この服、私も欲しかったからよく知ってる。
 あんまり高かったから諦めたんだけど」

「う」

あっさり嘘がばれた。

「ねえ、志貴くん……」

少し目を伏せて弓塚は言った。

「さっき散歩に行くって言ったけど、
 あれはね、ほんとは」

「嘘なんだろ?」

「え?」

「弓塚、嘘つくの下手だよ。
 あれは俺でもすぐにわかった」

「そっか、だったら……『でも』」

俺は弓塚の言葉を遮って言った。

「俺も弓塚とどこか行きたいと思っていたんだ。
 それとも弓塚は俺と一緒にどこか行くのは嫌?」

「そんなわけない!!」

「じゃあ、それに着替えて一緒に行かないか?
 それに返されても正直困る」

「志貴、くん」

弓塚がうつむいて持っていた服を抱き締めた。

「ありが……とう、大切にする……」

「うん、じゃあ俺は外に出てるから」

そう言って俺はビルから出た。

「あんなに喜んでくれるとは思わなかったな」
ちょっとでも元気になってくれたら、と思ってたけど予想以上に効果はあったみたいだ。

「本当に良かった……ん?」

「あ……志貴」

ビルから出るとアルクェイドが居た。

ただ、どうも今来た感じじゃない。

俺を見るとなぜか気まずそうな顔をした。

「何してるんだアルクェイド?
 来てたなら入ってくればよかったのに」

「え……?」

アルクェイドは驚いた顔をした。

「よかったの?」

「よかったの、って……」

何でそんな事疑問に思うんだろう?

「志貴、私の事怒ってないの?」

「怒る? ああそういう事か」

どうやら昨日俺に言った事を気にしてるらしい。

「別に気にしてないよ。
 言ってた事は正しかったし」

あの時アルクェイドが止めなかったら、

俺は本当に倒れていただろう。

そう考えるとむしろ感謝しなければならない。

「そう、よかった。
 じゃあ志貴、私も一緒に行っていい?」

「さっきの話聞いてたのか……
 それは弓塚に『もちろんいいよ』」

俺が返事をする前に声が聞こえた。

弓塚がこちらに歩いてくる。

「弓塚?」

「えっと、ど、どう? 変じゃないかな?
 私こんなにいい服着たこと無くて」

恥ずかしそうにしながら笑顔を浮かべるその姿に俺は一瞬見惚れた。

黒いセーターに膝丈ほどの長さの赤いスカート。

セーターの胸の部分には小さく天使の羽の刺繍がしてある。

セーターもスカートも決して派手なデザインではない。

けれど、それが逆に弓塚自身の魅力を引き立てている。

「あの、志貴くん?」

何も言わない俺に対して弓塚が不安そうにする。

「ああ、すごく似合ってるよ」

「んー、私はそういうのよくわからないけど、
 今のさつきは綺麗だなーって思うよ」

「ありがとう」

弓塚が少し頬を赤らめる。

と、突然弓塚が身を竦ませた。

「あ、あれ?」

きょろきょろと弓塚が辺りを見回す。

「どうしたんだ?」

「えっと、誰かに見られた気がして、
 今、ぞっとするような感覚がしたの」

それを聞いて俺も周りを見回す。

だが特に人影は見つけられなかった。

「気のせいかな? もう感じないし。
 まあいいや、じゃあ行こっか?」

「ああ」「うん」





「それで、どこに行く?」

歩きながら俺は弓塚に聞く。

「志貴くんが決めていいよ」

「いや、ここは弓塚が決めるべきだろ」

弓塚は少し人に気を遣いすぎる。

目的は弓塚を元気付ける事だから、弓塚に楽しんでもらわないと意味が無い。

「こういう時って、男性が女性をエスコートするものじゃないの?」

アルクェイドが口を挟む。

「エスコートって……それじゃあまるでデートみたいじゃないか?」

「あれ? 違うの?」

「違うって!!」

大体普通、デートは二人でするものだろう。

けど何かそう言われるとそんな気もしてきた。

しかしここでそれを認めたら俺が行く場所を決める事になる。

「わ、私は志貴くんにエスコートして欲しいかな?」

弓塚は顔を真っ赤にしてとんでもない事を言った。

「ええっ!?」

「ほら、さつきもこう言ってるし、
 志貴が決めてあげなさいよ」

なぜだろう、この二人俺が微妙に困る時に限って息がぴったり合う気がする。

「わかったよ」

観念して俺は言った。

しかし、どこに連れて行けばいいんだろう?

弓塚が楽しめそうな場所って言ったら……

「あ、そうだ」

俺はポケットを探る。

「あった」

カラオケの割引券が上手い具合に三枚ある。

さっき繁華街に行った時に半ば無理やり渡された物だ。

「えっと、カラオケなんかどうかな?」

そう言って割引券を見せる。

「カラオケ? ああ歌う所ね。
 やったこと無いけどあれ楽しいの?」

アルクェイドはあまり興味なさそうだった。

「私は歌うのは好きだよ。
 いい気分転換になるし」

弓塚は乗り気みたいだ。

「ふーん、そうなんだ。
 じゃあ私もやってみようかな?」

「よし、決まりだな」















店員は客が来てよほど嬉しかったのか何と格安にしてくれた。

どうやら事件の影響で客が来なくて困っていたらしい。

財布が心もとなかった俺は密かに安堵した。

「さて、誰から歌う?
 俺は後がいいけど……」

何となく最初に歌うのは恥ずかしい、あまり自信ないし。

「最初は恥ずかしいな……」

弓塚も同じみたいだ。

と、なると。

「アルクェイド、歌うか?」

「別にいいけど、わざわざ来たのに何で歌いたがらないの?」

「いや、まあなんとなくだ」

この感覚をアルクェイドに理解させるのは難しい。

「さっぱりわからないわよ」

納得してなかったがアルクェイドはマイクを握った。

「使い方はわかるか?」

「一応ね、知識としてはあるから」

アルクェイドが機械を操作する。

曲が流れる。

そしていよいよ歌が始まった。










それは一体何に例えればよかったのだろう?

大地の怒りか、天の号泣か。

大気を伝ってくる物はもはや音では無く衝撃に近い。

止めようと声を張り上げても全く届かない。

身体は怯えた様に動かない。

何てプレッシャーだ。

俺は涙が出そうになった。

なぜこれを予測できなかったのか。

アルクェイドは歌った事が無いと言っていたのに、気付くチャンスはあったのに。

だが隣に座っている弓塚は笑顔だった。

無茶苦茶引き攣っていたがそれでもそれは笑顔と言えた。

強い、君は本当強いよ弓塚。

俺は違う意味でまた涙が出そうになった。










ようやく悪夢は終わった。

「やってみると意外と楽しいもんだねー
 うん、気に入った、もう一曲いい?」

俺達の気も知らず、アルクェイドはさらりと恐ろしい事を言った。

「馬鹿言うな!!」

俺はアルクェイドからマイクをひったくる。

「む、何よ志貴、さっきは歌いたがらなかった癖に」

「そういう問題じゃない!!
 どうやったらあんなに声を張り上げられるんだよ!?
 耳が壊れるかと思ったぞ!!」

「だってあれはああいう歌でしょ?」

確かにアルクェイドの選んだ歌はロック系で大きな声で歌う物だった。

ある意味、音程がどうとかより、勢いが重要と言えなくもない。

だが……だが……

「物には限度って言う物があるだろ!?
 もっと曲に合わせて歌えよ!!
 お前の歌い方じゃ曲がそもそも聞こえないだろ!?」

「仕方が無いじゃない、歌ったこと無かったんだから。
 じゃあ志貴がお手本を見せてよ」

「む、わかったよ、じゃあよく聞いてろよ」

さすがにアルクェイドよりは上手く歌える。

口で言うよりやってみせる方が手っ取り早いだろう。

機械を操作して、さっきと近い感じの歌を選ぶ。

「あ、間違った」

もう一回入力し直す。

「志貴くん……」

弓塚が俺を潤んだ眼で見つめてきた。

その眼には不安が見えていた。

大丈夫だよね?

そんな風に言われてる気がした。

やはり弓塚もさっきのショックは大きかったらしい。

曲が流れてくる。

俺は弓塚に無言で親指を立てた。










「ふう、どうだ?」

こういうノリのいい歌はあまり歌ったこと無い。

普通程度には歌えたと思うが……

「なるほどね、そんな感じで歌うんだ」

「よかったよ」

アルクェイドは感心して、弓塚は惜しみない拍手をくれた。

「じゃあ、次は弓塚だな」

マイクを弓塚に渡す。

「何か、恥ずかしいなあ」

そう言いながらも弓塚はマイクを握る。

「えっと、これにしようかな」

弓塚は慣れた感じの手つきで機械を操作する。

「弓塚はよくカラオケに来たりするのか?」

「まあ、結構来るほうかな」

曲が流れ始める。

ゆっくりと弓塚は歌い始めた。










弓塚が選んだ歌はテンポの遅い穏やかな感じのものだった。

こういう歌は勢いでごまかせないので上手い下手がはっきり出やすい。

弓塚の口から歌が紡がれる。

清流の様に滑らかで透明感のある歌声。

それは繊細でいて力強さを感じさせ身体の奥まで心地よく響く。

まるで彼女の歌に優しく包み込まれている様な感覚。

今、この空間は彼女の歌に魅了されていた。










弓塚が歌い終わっても俺はその余韻にひたっていた。

「あの、どうだった?」

弓塚の問いかけでようやく我にかえる。

「す、すごい……」

それだけしか言えなかった。

「さつき!!」

アルクェイドが両手で弓塚の手を握る。

「私、歌を聴いてこんな感動するなんて思わなかった!!」

「そんな、大げさだよ。
 アルクェイドさんも練習すればこれぐらい出来るようになるよ」

「ほんと? どうすればあんな風に歌える?」

「えっと、楽しんで歌う事と……」

弓塚は苦笑して続けた。

「とりあえず曲に合わせる事かな」

それは間違いない。特にアルクェイドには。















それから俺達は存分に楽しんでカラオケハウスを後にした。

ちなみにアルクェイドは最初のあれ以外はまともに歌った。

どうやらあまり歌について知らなかっただけのようで、上達は早く最後のほうになると俺よりも上手く歌っていた。

それでも弓塚のほうが上手だったが。

「それにしても弓塚があんなに歌が上手いとは思わなかった」

「子供の頃からよく歌っていたから……
 実を言うとちょっとだけ歌には自信があるんだ」

「なるほど」

「さつきが歌うとなぜか違った感じになるんだよね。
 私が同じ様に歌おうとしてもどうしても出来ない。
 うーん、一体何が違うんだろ?」

「人によって歌い方は違うから無理に私のまねをしてもしょうがないと思う。
 基本はもう出来ているから後はアルクェイドさんに合った歌い方をすればいいよ」

「そっか、あーもっと歌いたかったなー」

「何言ってんだ、俺と弓塚より相当多く歌っただろうが。
 あれだけ歌っておいてまだ歌い足りないのかよ」

「だって楽しいんだもの」

「まったく……」

呆れた口ぶりをしたが俺は笑っていた。

今日はとても楽しかった、楽しすぎた。

だから、忘れてしまってた。

「ねえ、また今度行こうよ」

アルクェイドのその何気ない問いに俺も軽い気持ちで答えてしまった。

「ああ、そのうちな」

そう言いながら弓塚の方を向いた。

「……そうだね」

悲痛な声。

「また、行けるといいね……」

その声に込められたあまりにも強い思いに俺達は言葉を失った。

「あっ!? ご、ごめん。
 変な事言っちゃって」

謝るのはむしろこっちのほうなのに、この心優しい少女は俺達を気遣う。

きっと俺が軽はずみな事を言った事なんか全く腹を立てていないのだろう。

絶望に飲まれてもおかしくない状況でそれでも彼女は気丈に振舞おうとする。

「弓塚」

だからこそ俺はそんな彼女を

「違うだろ」

「え?」

約束だからとかそういう理由ではなく、

「行けるといい、じゃない、行くんだ。
 全てが終わったら3人で行こう。必ず」

「……うん!!」

ただ純粋に、支えてやりたいと思った。






前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.024662017822266