「志貴様、起きて下さい、志貴様」
ゆっくりと意識が覚醒していく。
目を開くと眩しい朝日が差し込んできた。
何だか頭がくらくらする……
「おはよう翡翠」
体を起こして翡翠に挨拶する。
「おはようございます志貴様…少し顔色が悪いようですが大丈夫でしょうか?」
「え…ああ別に心配するほどの事じゃないよ、たまにある事だし」
顔色が悪い理由なんてわかりきっている、昨日の事だろう。
気付くと体がひどい寝汗をかいていた。
どうやら俺は死者の事が相当こたえているようだ。
でもやると決めたんだ、くじけるわけにはいかない。
「兄さん、今日はまたいつもよりさらに遅い……兄さん?顔色が悪いですよ」
居間に入って来た俺に小言を言おうとした秋葉が俺の顔を見て心配そうな顔をした。
そんなに俺は顔色が悪いのか?
「大丈夫だよ、たいした事無い。貧血のせいか時々こうなるんだよ」
そういってごまかす。
「それならいいのですけど……念のため琥珀に薬を処方させましょう」
「ああ、じゃあ頼むよ」
朝食を終えた後、琥珀さんに薬を渡された。
「はい、志貴さん」
「ありがとう」
「これを飲んでもよくなっても、激しい運動などは控えてくださいね、薬が効いているだけなんですから」
「わかった」
そういうわけにもいかないけど……
教室に駆け込む。
「――――ふう」
一息をついて机に向かう。
「いょぉう、さぼり魔」
背後から、聞き慣れたあまりいい気分にならない声がかけられた。
「どうしたんだよ遠野。お前が学校をさぼるなんて聞いてないぞオレ。困るじゃんか、ちゃんと今日はさぼって遊びに行くぞ報告してくれなくちゃ!」
「さぼったんじゃなくて風邪引いてたんだよ……だいたいさ、何で俺が学校を休むって事をいちいちお前に報告しなくちゃいけないんだ」
「あったりまえだろ。遠野が来ないって事は先輩もうちの教室にやってこないんだから、事前に手を打っておかないとまずいじゃねえか」
……だから、一体何がまずいんだろうか、この男は。
「しっかしさ、ホントの所はどうなんだよ。お前は中学からこっち、貧血持ちの癖に学校だけは休まなかっただろ。まあ、そりゃあ登校した瞬間に帰るっていう離れ技は何度かあったけどな」
「朝起きたら既に学校を休む連絡がいっていたんだよ。まあ熱が随分あったからだけど」
実際に昨日の場合は学校に行かなかったのはアルクェイドにあったからなのだが。
と、ホームルーム開始のチャイムが鳴り響いた。
「おっと、んじゃオレはこれで。真面目に勉学に励むんだぞ」
有彦はいそいそと教室を出て行った。
つまり、あいつは学校をさぼるという事らしい。
「何しに学校に来ているんだ、あいつは……」
午前の部、終了。
「……さて、どうしようかな」
有彦もいないし、今日はゆっくり昼飯を摂る事にしよう。
「あれ?遠野くん一人なんですか?」
「そうだけど――――先輩、もしかして昼飯食べに来たの?」
「はい、みんなで食べようと思って急いでやってきたんですけど――――」
じっ、と。
何を思ったのか、先輩はそのまま俺にぴたりと寄り添ってくる。
「ちょっ――――せ、先輩……?」
すぐ近くに先輩の体がある。
ほとんど抱き合っているような身近さ。
「――――」
先輩は何も言わない。
ただ俺の体に寄り添って――――くんくん、と匂いをかいでいたりする。
「――――はい?」
……何してるんだろ、この人は。
先輩はそのまま、ぱっと俺から離れる。
「……あの、先輩?」
「遠野くん、何かありました?」
「何かって……その、何が?」
「わかりません。わからないから聞いているんです」
先輩は上目遣いで、何だか怒っているようにも見えた。
「別に――俺はいつも通りだけど。何、何かおかしいの、今日の俺って?」
「うーん、それが私にもよくわかりません。何となく思っただけですから、気のせいなのかもしれませんね」
「…………?」
はて、と首をかしげる。
「さ、お昼ごはんにしましょうか。遠野くん、今日は学食でしょう?早く行かないと席が埋まっちゃいますよ」
「ああ、そっか。そういう先輩も、今日は学食?」
「はい、今日はおいしいものが食べたくなる日なんです」
先輩はにこやかに答えて、こっちの手を引いて歩き出した。
結局その後は他愛のない話をしただけだった。
しいて言えば先輩がおいしいものが食べたいといってカレーを頼んだ事が印象に残った。
放課後、特にする事もないので真っ直ぐ帰る。
夕焼けが景色を茜色に染めている。
坂道にさしかかる。
あたりに人通りはない。
「………………」
ほんの数日前、俺と弓塚はここを一緒に帰った。
あの時は特に何とも思わなかった。
けれど、今はあの時がいかに幸せだったかがよくわかる。
平和な日常が続く、当たり前のようにそう思っていた。
きっと弓塚だってそう思っていただろう。
それなのに…………
「……ぐっ!!」
夕焼けをみていると急に頭がクラリときた。
まずい……これは貧血の兆候だ……
立っていられず地面にしゃがみこむ。
こんな人通りの無い所で倒れたら洒落にならない。
「うう…………」
鞄を開け、琥珀さんから調子が悪くなった時の為にと渡された薬を取って飲む。
そのまましばらくじっとしていると何とか治まった。
「……ふう」
まずいな……やっぱり体が弱っている。
ここ数日睡眠時間が短くなっているからある意味当たり前なのだが……
「早く終わらせないと本当に倒れかねないな……」
そして……今日も時間がやってきた。
時刻は十時少し前。
「よし、そろそろ行こう」
そう言って部屋から出ると……翡翠がいた。
「翡翠!?」
「志貴様、今日もお出かけになるのですか?」
「わかってたんだ……」
考えてみたら屋敷の管理をしている翡翠なら俺が屋敷を抜け出しているのに気付くのも当たり前だ。
「……うん、実はこれから何日か夜に出掛ける事になるんだ。でも誓って悪い遊びをしてるわけじゃない。どうしても行かなきゃいけないんだ」
そう、この街を脅かす吸血鬼を倒す為に。
そして、弓塚を助ける為に。
俺は、行かなければならない。
「――――翡翠にも迷惑をかけるけど、しばらくは見過ごしてくれると助かる。出掛けたら勝手に帰ってくるから、屋敷の門だけ開けといてくれ」
「志貴様は私に理由は話せない、というのですね」
「……ああ、ごめんな翡翠。だらしない奴だって思ってくれていいからさ、今は何も聞かないでくれ。きっと、何を言っても嘘になる」
「いえ、志貴様は私の主人です。主人をだらしない方と蔑む使用人はおりません」
「……ありがとう」
そういって俺が行こうとすると、
「お待ちください」
翡翠に呼び止められた。
「……その、差し出がましい事なのですが」
翡翠は一度言葉をきってから、ぐっ、と両手を握り締めてこちらに視線を向けてきた。
「志貴様さえよければ、秋葉様に夜に出掛ける事をお隠しすることができます」
「え?」
「夕食後、秋葉様はお部屋からお出になる事は稀です。就寝前の見回りは私と姉さんで行っていますからその報告に虚言を混ぜてしまえば秋葉様に気付かれる事はありません」
「それは……そうしてくれるとすごく助かるけど……いいの?秋葉は翡翠の雇い主なのに」
「私の主人は志貴様といったはずですが」
「ありがとう……じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」
「では屋敷を出入りするのは裏口からなさってください」
「裏口?」
「はい、この屋敷には裏手に使用人用の扉があります、そこなら鍵があれば気付かずに出入りできます」
すっ、と翡翠が鍵を差し出した、どうやらこれが裏口の鍵のようだ。
俺は翡翠から鍵を受け取った、これで夜の出入りに心配は無くなった。
「じゃあ、行って来る」
「いってらっしゃいませ、お気をつけて」
程なくして廃ビルの前まで来た。
「少し遅れたかな……」
そう思いながら中に入ろうとすると――――
「ん?……何か話し声が聞こえるな?」
片方の声は弓塚だろう、もう片方は……
「ああそうか、アルクェイドが先に来てるのか」
二人だけだったらちょっと気まずそうだな……
「さっさと中に入るか……」
中に入って俺は正直驚いた。
「ねえねえ、さつき、他に志貴の事で何か面白いことない~?」
「えっと、中学の修学旅行に行った時にね、志貴くんが……」
何か随分打ち解けた感じになっていた。
「……それで、何か大事そうな仏像の腕を折っちゃったんだけどね、志貴くんが『この像を隠してしまえばわからない』って言って……」
「……って弓塚!?どうしてそれを知っているんだ、あれは秘密にしていたはず!?」
「……まあ、そう言うと思ってたけど………志貴くん、あの時私は志貴くんと修学旅行、同じ班だったんだよ」
俺は唖然とした、全然覚えてない。
「志貴、物覚え悪すぎるよ、三年間も一緒にいるのにろくにさつきの事覚えてないじゃない」
「この場合、物覚えが悪いのとは少し違うと思うけど……」
何だか俺が『三年間も一緒にいて、しかも修学旅行も同じ班だったクラスメイトを全く覚えていない酷い奴』となりつつある。
いや、まあ、事実なんだけどさ。
「それはまあいいけど志貴遅いよ、私待ちくたびれたよ」
「待ちくたびれたって……一体いつからいたんだよ?」
「うーん……起きてすぐに来たから……八時ぐらいかな?」
「待ち合わせの時間の二時間も前に来てたらそりゃ待ちくたびれるだろ、それでずっと弓塚と話してたのか?」
「うん、だから本当は退屈なわけじゃなかったけどね、さつきと話しているの面白かったし」
「はあ……ごめんな弓塚、アルクェイドの雑談に長々と付き合わせて」
「そんな事ないよ、むしろ楽しかった」
まあ弓塚とアルクェイドが仲良くなるのは好ましい事だ。
俺たちはその後もしばらく雑談をした。
その時気付いた事は、弓塚は話を聞くのが上手い、という事だ。
話をうまくうながして、どんな話でもしっかり聞こうとする。
だから、話す方も気分良く話すことが出来る。
話し上手は聞き上手と言う、弓塚はそんな感じだ。
こういう所もみんなに好かれる理由の一つなんだろうな、と俺は思った。
「もうそろそろ時間だ……」
そう言って俺が立ち上がろうとすると
「うっ……」
体がふらついた、またか……
「志貴くん……大丈夫?」
弓塚が心配そうに俺を見る。
「ああ、ちょっと立ち眩みがしただけだよ」
俺は弓塚に心配させないようにそう答えたのだが、
「……無理はしないでね、本当に」
弓塚はかえって心配そうにそう言った。
「大丈夫だって、そんなに心配……」
「さつき」
アルクェイドが会話に割り込んできた。
「志貴が無茶をしそうになったら私が止めるから安心して」
おい……俺はそんなに信用無いか?
さつきはそれを聞いて少し笑って、
「それなら安心ですね」
弓塚、お前もか……まあ弓塚が安心してくれるならそれでいいんだが……
「さっさと行こう、アルクェイド」
憮然とした表情で俺は言った。
ザシュ!!
切り裂かれた死者が灰になって消えていく。
「はあっ、はあっ、はあっ」
頭痛が酷い、死を視すぎているせいだ。
今日俺が倒した死者はこれで四人目。
後ろを見るとアルクェイドも死者を倒したようだ。
「志貴、もういいわ、眼鏡をかけて」
「まだ……大丈夫だ」
「あんまり死を見続けると本当に廃人になってしまうわよ、それに多分今日はこれ以上死者は出てこないわ」
「わかったよ」
俺は眼鏡をかけた、視界が正常に戻る。
「ふう……」
落ち着いた瞬間、怖くなる。
もちろん死者と戦う事も怖い、が、それ以上に死者を殺す事が段々平気になってきている自分が恐ろしい。
昨日は一人殺しただけで震えが止まらなかった。
なのに今日は四人も殺してまだ戦おうとした。
「………………」
「志貴、どうしたの?」
「え?あ、なんでもない」
「そう…………」
今ひとつ納得してなさそうだったがアルクェイドは特に追求してこなかった。
「今日で大体死者は狩り尽くしたと思う、そろそろ死徒のほうにも動きが出てくるはずよ」
「そうか……いよいよだな……」
死徒……大元の吸血鬼、そいつを倒せば全て終わる。
弓塚を助ける事が出来る。
絶対に……倒してみせる。
「……志貴」
「ん?何だ?」
「気負うのもいいけど程々にしなさい」
「ああ、わかった」
「本当にわかったの?」
「え?」
アルクェイドが何だか怒っているように見える。
「……さつきが言っていたわ、志貴は危うい所があるって、今日の志貴の戦いを見ていて私もそう思った。
志貴はね、自分から危険に飛び込んでいく。そして生きるか死ぬかギリギリの所で戦っていても恐れを抱かない。
見てるこっちの方がぞっとするぐらいよ。勇敢……といえば聞こえがいいけど、そんな事ばかりしていると……死ぬわよ」
俺はアルクェイドの言葉に対して何も言えなかった。
「さつきは本当に志貴の事を心配しているわ。私にもはっきりわかるぐらい。
志貴は私に言ったじゃない、さつきは誰かが犠牲になって助かっても喜ばないって。
だから……あんまり無茶するのはやめなさい」
そう言ってアルクェイドは帰っていった。
「………………」
屋敷に戻った後、俺はアルクェイドの言った言葉について考えた。
「自分から危険に飛び込んでいく、か」
確かに思い当たる節がある。
弓塚を一刻も早く助けてやりたい。
俺はそう思って焦りすぎなのかもしれない。
だがそれで無茶しすぎて倒れてしまっては元も子もない。
アルクェイドはそう言いたいのだろう。
「もう少し冷静にならないと」
これからもっと強い死徒と戦う事になるのだ、無茶は禁物。
気をつけなければならない。
「よし……もう寝よう」
疲れがたまっているせいかあっという間に俺は眠りに落ちた。