「やったわね、志貴」
こちらに向かってアルクェイドが歩いてくる。
「ん、ああ、ありがとうアルクェイド」
見られている事に気付くと急に恥ずかしくなってひとまず抱き締めるのをやめようとした。
「え?」
その試みはさつきが腕に力を入れた事によって止められる。
「もうちょっと……このままでいさせて」
それはその……ものすごく嬉しいんだけど。
さすがに思いっきり人の目の前では恥ずかしい。
アルクェイドに眼で救いを求める。
「いいんじゃないの? さつきが自分から甘える事なんて今まで無かったし」
それは……確かにそうなんだけど。
「残念ですが、こちらも仕事ですのでそう言う訳にはいきません」
機械みたいに感情の無い声がした。
「先……輩?」
いつの間にか先輩が近くに立っている。
両手に剣を握り、さつきに背筋が震える程の殺意を向けて。
「何のつもりかしら? シエル」
アルクェイドが先輩を睨み付ける。
「私の仕事は吸血鬼を殺す事。ただそれだけです」
「さつきは正確には半分人間よ。
今代のロアを倒した以上吸血衝動も弱くなる。
吸血行為の必要が無いから放っておいていいと思うけど」
「冗談にしても笑えませんね。
貴女もさっき彼女が使った固有結界を見たでしょう?
あんなものを使う死徒を放っておける訳ありません」
「それは……」
アルクェイドが口ごもる。
二人にはあれがどれほど規格外なのかわかるのだろう。
「大体、わかりませんね。
貴女は死徒を狩る事が使命なのでしょう?
何でそこまで彼女に肩入れするんです?」
びくり、とアルクェイドが身体を震わせる。
「そんなの簡単だろ」
見ていられなくなって俺は口を挟む。
「遠野君?」
「アルクェイドはさつきの友達なんだ。
友達が困ったら力を貸すのは当然じゃないか」
「友達……? 笑わせてくれますね」
先輩がアルクェイドを冷たい眼で見る。
「貴女に彼女の何がわかると言うのですか」
ぎり、とアルクェイドが歯軋りをする。
「……わからないわよ」
身を切る様な声でアルクェイドが呟く。
「ええ、その通りよ!! 私はさつきの事何もわからないわよ!!
さつきの事詳しく知らないし、気持ちも理解してやれない!!
でもね……だからこそ――――」
真っ直ぐ先輩の眼を見返すとアルクェイドは言い切る。
「これからさつきの事をわかっていきたいのよ!!
さつきに手を出すのなら私は容赦しない。
私と完全に敵対する事を覚悟しなさい」
「…………」
先輩は険しい顔でアルクェイドを見つめている。
「先輩……俺は先輩とは戦いたくない。
でもどうしても先輩が退かないんだったら……やる」
張り詰めた沈黙が場を満たす。
不意に俺の背中に回されていた腕が離れる。
「さつき?」
さつきは立ち上がると先輩と向かい合う。
「シエル先輩……私の犯した罪は決して消えないのはわかっています」
先輩は何も言わない。
さつきは続ける。
「けど、こんな私でも大切に思ってくれる人がいると気付いたんです。
だから……私は死にません。いえ、死ねません。
身勝手だと責められても、一生闇を抱えなければいけなくても、
それでも私は――――前を向いて生きて行きます」
淡々と語られたはずのその言葉は心に深く響く。
目の前にいるのは自分の罪深さに怯えていた少女ではない。
その道の困難さを理解し、彼女はそれでも生きて行くと決意した。
「はあ――――」
いきなり先輩が溜息をつく。
「何なんですかこの雰囲気は。
これじゃあまるっきり私が悪役じゃないですか。
わかりました、わかりましたよ」
降参です、と言う風に先輩は手を上げる。
「貴方達を下手に突っついたら藪蛇になりそうです。
それでしわ寄せが私に来たらたまりません」
苦笑してそう言った先輩は真面目な顔に戻ると、
「ですがこれだけは言っておきます。
弓塚さん、もし貴女が闇に堕ちたのなら。
その時は私が貴女を必ず殺します」
はっきりとさつきに告げた。
「はい……」
神妙な顔つきでさつきは頷く。
「やれやれ、余計な仕事が増えましたね」
ぶつぶつ呟きながら先輩は歩いていく。
「はあ――――」
緊張の糸が切れてさつきがその場にへたりこむ。
「こ、怖かった……」
そりゃそうだろう、関係ない俺でも先輩の殺気は怖かった。
向けられた当人のさつきは生きた心地がしなかっただろう。
「とりあえずこれで終わったの……かな?」
「ああ」
そう、これで終わり。
眼鏡をかける。
「終わったんだ。帰ろうさつき」
俺はさつきに手を差し伸べる。
「うん……あれ?」
微笑んでいたさつきが不思議そうな顔をする。
いつまでたってもさつきは俺の手を取ろうとしない。
「どうしたの?」
アルクェイドが動こうとしないさつきに怪訝な顔をする。
「え……? あれ? あれ?」
肩だけを揺らしてさつきは不自然に動く。
その腕はだらりと垂れ下がったままだ。
何か――――様子がおかしい。
「え、この感じは……」
突然、アルクェイドが顔を強張らせる。
「そんな、まさか……」
後ろから声がして振り向くと同様の顔をした先輩がいた。
嫌な予感が加速的に膨らむ。
「さつき、一体どうしたんだ!?」
「おか……しいの。感覚がちゃんとあるのに手足が動かない」
「……馬鹿なっ!?」
先輩の叫びはまるで悲鳴だった。
さつきの身体の動きが止まる。
「な……に、これ?
わ、わたしが……わたしが染まる……
あ、あああああああぁぁぁぁぁ――――」
「さつき!? しっかりしろ!!」
発狂したみたいに絶叫するさつきに必死で声をかける。
その直後、がくんと頭を垂らしさつきが黙る。
「さつ……き?」
「く、くく……」
ゆっくりと頭を上げるさつき。
その瞳が俺を捉えたのと俺が後ろに引っ張られたのは同時だった。
顔に風が吹き付けられる。
そこで初めてさつきが爪を振るっていた事に気付く。
アルクェイドが俺を引き寄せてくれなかったら頭が吹き飛んでた。
「悪趣味にも程があるわよ」
アルクェイドが憎悪の篭った視線をさつきに叩き付ける。
いや、あれは――――
「く、くははははははは!!
素晴らしい、ついに見つけた!!
私にふさわしい最高の器を!!」
――――さつきじゃない?
「なぜ、そこにいるのです」
先輩が怒りに震えながら問い詰める。
「答えなさい、ロアァ――――!!」
ロア?
ロアはシキだからもう死んだはずじゃ……
いや、そもそもシキにロアがいたのは――――
――――『転生』したからだ。
じゃあ、今さつきの中に……ロアがいる?
「なぜ、か。確かに本来私は自分が決めた身体にしか移れない。
それを可能にしたのはこの身体の特異性によるものだ」
自分の胸に手を当てるさつき……いや、ロア。
「これは例えるなら、無色の器。
注がれた中身に応じてその性質を変えるもの。
故に私の血を受けたこの身体は最も私に相応しいものとなった。
高い適性。加えてこの素晴らしいポテンシャル。
これこそ、私が求めていた理想の肉体だ」
邪悪な笑みを浮かべるロア。
あれはさつきじゃない。
あんな邪悪な笑い方をさつきはしたりしない。
憎悪が掻き立てられる。
「エレイシア、君も非常に優れていたが……
これはそれ以上だよ……実に私は幸運だ」
「黙れ」
放たれた先輩の言葉に俺は冷水を浴びせられた気分になる。
先輩が――――怒っている。
俺と同じかそれ以上に。
「もう、その声で喋るな。
その顔でそんな笑みをするな」
今まで常に平静を保とうとした先輩が、
「彼女をこれ以上穢すなあぁぁぁ――――!!」
我を忘れる程激昂していた。
先輩が構える動作も無くロアに剣を投げ付ける。
「ふん、つまらんな」
「なっ!?」
いつの間にかロアは先輩の背後に現れていた。
「くっ!?」
「――――」
振り向いた先輩の胸に手を当てロアが何か呟く。
瞬間、眩い閃光が走り雷が落ちた様な轟音がした。
声も無く先輩が崩れ落ちる。
「先輩!!」
先輩に駆け寄る。
傷をみてその酷さに息を呑む。
先輩は上半身のほとんどがぼろぼろに焼け焦げていた。
「ふむ、魔術の具合に問題は無い様だ。
それにしても情けないなエレイシア。
調整で使った魔術程度で倒れてしまうなんて。
まあ仕方無いか、それが力の差というものだ」
嘲笑いながらロアはアルクェイドを見る。
「さて、姫君。貴女にはこの程度では失礼極まりない。
そこで私のとっておきを披露させてもらうとしよう」
「……っ!!」
空間が歪む。
これは――――
「魔術の限界は肉体にある」
唐突にロアが喋りだす。
「無限の魔力を得るすべはあってもその魔力を用いるすべは無い。
脆弱な人間の肉体は膨大な魔力の負荷には耐えられない。
それは死徒になったとしても結局大して変わらない」
ロアの指に光が灯り、それが蛍みたいに辺りへ飛んでいく。
「ならばこれをいかにして解決するか?
人間の身体でも大魔術の構築自体は十分に可能だ。
問題はそれに魔力を込める場所として人間は狭すぎるという事。
私が辿り着いた解答は実にシンプルなものだよ――――」
空間の歪みが元に戻る。
一見した所何も変わっていない。
なのに同じ場所だとは思えない。
空間が息が詰まる程何かに満たされている感覚。
「もっと広い場所を用意してそこで魔力を込めればよいのだ。
具体的に言うのならば魔力を込める為の世界を創ればよい。
そうすれば――――いくらでも過負荷をかける事が可能だ」
ロアが指を軽く鳴らす。
網膜に光が焼き付けられる。
視界が真っ白に塗り潰されていた。
「ああぁ――――!!」
手で眼を覆う。
そうしてさえ光を感じる。
聴覚が幾重にも重なった放電音を捉える。
「では名残惜しいがこれで終わりだ」
轟音が響き渡る。
吹き寄せる風が焼ける様に熱い。
ひしひしと詰め寄って来る死の影。
だがそれが俺を捕らえる事は無かった。
風が弱まり音が止む。
恐る恐る手をのけて周りを見る。
廊下は半ば溶解しかかっていた。
窓は跡形も無くなり壁も形を失いかけている。
この惨劇の中でどうして俺が生き残れたのか。
答えは一つしかない。
「アルクェイド……」
目の前でアルクェイドがうつ伏せに倒れていた。
かろうじて生きてはいる様だがその気配は酷く弱々しい。
「は、ははははは!!」
ロアの笑いが木霊する。
「流石だよ姫君、あれを喰らってまだ生きていられるとは!!
しかしそこまでだろう。これ以上耐える事は出来まい」
再びロアが光を創り出そうとする。
「やめろ!!」
「今度こそ終わり――――」
その時、アルクェイドの指先がかすかに動いた。
同時に空間に波紋が広がる。
一瞬、陽炎の様に景色が揺らいだ。
「ぐっ……」
ロアが呻き声を出して膝をつく。
「ふん、最後の悪足掻きか。
魔力の集中した瞬間を狙って固有結界に干渉するとは。
残念だったな、この程度では結界をこわせな――――」
いきなりロアが言葉を切る。
「お、おのれ……逆らおうと言うのか。
愚かな、貴様は……もう……
がっ、ぐあああ――――!!」
叫び声を上げてロアは身を震わせる。
空間に満ちていたものが消えていく。
心臓を鷲掴みにされているみたいな殺気も無くなった。
「はあっ、はあっ……志貴、く……ん」
ロアじゃない、
「さつき!? 元に戻れたのか!?」
「志貴……くん。私は……これで限界」
「え?」
苦しそうにしながら、さつきは切れ切れに言葉を紡ぐ。
「私……頑張ったよ? 必死で……抑え込んで……
何とか……志貴くんと話す事が……出来た。
でも……もう……これで本当に……限界なの」
「……そうか」
さつきが言いたい事はわかった。
「じゃあ、助けないとな」
「え……?」
さつきに近づいてそっと髪を撫でる。
「言っただろ――――」
俺は絶対にさつきを助けると決めたんだ。
「――――ピンチになったら、俺がきっと助けてみせるって」
「あ……」
さつきの眼から涙が零れ落ちる。
「志貴くん……私……」
さつきの瞳に浮かんでいるのは迷い、そして不安。
その言葉を口にする事への躊躇い。
それでもさつきは嗚咽をもらしながら、涙声で、
「私を……助けて……」
小さく、だが確かに助けを求めた。
なら俺も応えなくてはならない。
「ああ、必ず助ける」
眼鏡を外す。
「さつきが死ぬしかないのなら――――
――――そんな運命、俺が殺してやる」
かつて、先生がこの眼鏡をくれた時の言葉を思い出す。
「君は個人が保有する能力の中でもひどく特異な能力を持ってしまった。
けど、それが君に有るという事は何かしらの意味が有るという事なの。
神様は何の意味も無く力を分けない。
君の未来にはその力が必要になる時があるからこそその直死の眼があるとも言える」
ああ先生、確かにそうだった。
今、きっとこの瞬間の為にこの眼は在るのだと思う。
こんな眼が無ければ、と何度思ったかわからない。
それでも……今はこの眼があった事に感謝している。
――――大切な人を救う事が出来るのだから。
さつきは見える『線』がとても少ない。
眼を凝らして『点』を見極める。
要はさつきの中にいるロアの『点』を衝けばいい。
「ぐっ……」
神経が焼き切れそうになる。
限界を超えている事なんてわかっている。
もう少し……もう少しもってくれ。
さつきの身体の『点』が視えた。
どれだ? どれがロアの『点』だ?
感じ取れ、わずかな『死』の違いまで理解しろ。
「あ、あああ――――!!」
さつきの悲鳴が上がる。
もう俺もさつきもこれ以上もたない。
くそっ、どれなんだ!?
ぎしぎしと脳が軋む。
まだ、だ――――
「愚か……者が、死ねぇ――――!!」
ロアの爪が俺に振り下ろされる。
その声を聞いた瞬間、一つの『点』が蠢いた。
「そこだあぁ――――!!」
ナイフを振るう。
だがロアの方が速い。
ロアの爪が俺を引きさ――――
「何!?」
飛んで来た剣がロアの爪を弾く。
「遠野君……の、邪魔は……させ……ませ……ん」
「おのれぇ――――!!」
その直後、俺のナイフが確かにロアの『点』を貫いた。
「キッ、キキ、キサ、マ―――――」
ロアは俺を巻き込んで倒れる。
「消絵、消江る、ワタ、、、シが、キエ、留――――」
血走った目でずるずると倒れた俺の体にのしかかってくる。
「ナにヲ、ナニヲ、シタ―――キエル、ナゼ、ドウ、ヤッ、テ、
ワタ死を、殺シ、シし死し死、たた、たたタたたタた――――」
鋭い牙の生えた口を開けて、俺の首筋に噛み付こうとする。
「消エ・ナイ、ワタしとオマエは、繋ガッて、いい、ル。
オマ、エニ、移レバ、マ、ダ、存在ノ鎖ハ、切れナイ………!」
その言葉とは裏腹に口を開けた状態でロアはそれ以上動かない。
「な、なナ菜名なゼぜぜダだダだだだ!!」
「ロア、お前は――――」
そんな事もわからないのか。
「――――俺達を甘く見過ぎたんだ」
「き、キきキきき気鬼、消江絵ル!!
あ、アああアアあ亜唖――――!!」
今、ここで、ミハイル・ロア・バルダムヨォンは消え失せた。
倒れこんで来たさつきを最後の力を振り絞って受け止める。
意識が遠くなっていく。
――――なあさつき、俺、今度こそ約束守れたよな?