「…………」
誰かの話し声が聞こえる。
霞がかかった意識でそれを捉える。
「秋葉様、本気ですか?」
「当然よ、これ以上あの女と兄さんを関わらせるわけにはいかない。
あの女のせいで兄さんはこんなにぼろぼろに……
兄さんに手を引くつもりが無いならそうするしかないでしょう?」
どうやら俺の事について話している様だ。
「おそらく、志貴様はその御方の事が……」
「黙りなさい琥珀、兄さんはただ騙されているだけよ。
あの女との関わりを断てば、すぐに目を覚ますでしょう。
どちらにしろ私はあの女を許さない」
言ってる事が気になるが、意識がまた沈んでいく。
よっぽど俺は疲れているらしい。
「私は兄さんを傷つける者は誰であろうと――――」
その続きを聞く前に俺の意識は途絶えた。
「……はっ!?」
目覚めると同時に身体を起こした。
妙に寒気がして身震いをする。
「あれは――――」
現実か、それとも夢なのか。
そしてこれほど恐ろしく感じるのは……
「考えても仕方が無い、とにかく聞いてみよう」
頭を振りよぎった考えを消す。
ベッドから出て、時計を見る。
「ん?」
時計はちょうど7時を指している。
しかし外を見ると真っ暗だ。
時計が狂っているのか、それとも――――
「まさか、夜の7時だっていうのか?」
呆然としているとドアがノックされた。
「え、ああどうぞ」
「失礼します」
静かにドアが開き翡翠が入ってくる。
「志貴様、お起きになられたのですね」
翡翠はわずかに安堵した表情を見せていた。
「うん、ついさっき。
あのさ翡翠、今何時?」
「午後7時ちょうどです。
志貴様は今までずっと眠っておられて、
いくら声をかけてもお目覚めになりませんでした」
「ほんとに?」
「はい」
予想はしていたが実際に言われるとやはり驚く。
前もこんな事があった、だが今回は寝る時には何とも無かったのに。
俺の身体は弱ってきているのだろうか。
「ごめん翡翠、心配させてしまって」
「いえ、志貴様がご無事なら何よりです」
「……ありがとう」
しばらく会話が途切れて沈黙が続く。
「そういえば、秋葉と琥珀さんは?」
俺はさっきから気になっている事を訊ねる。
「秋葉様は急用が出来たらしく、姉さんを連れて先ほどお出掛けになりました」
何だろう、酷く嫌な予感がした。
秋葉と琥珀さんが出掛けている、ただそれだけなのに。
「翡翠、変な事聞くけどそういう事って今まであった?」
「秋葉様が夜にお出掛けになる事は稀にあります。
珍しい事は確かですが全く無いわけではありません。
ただ――――」
「ただ?」
「姉さんを連れて行った事は私の知る限り今までありません。
私もその事については少し不思議に思いました」
「…………」
単なる杞憂かもしれない。
でも俺はどうしても気にかかった。
昨夜、秋葉が最後に言った言葉。
秋葉と琥珀の会話。
二人が今出掛けている事、そしてそれが非常に珍しい事。
「ごめん翡翠、俺もちょっと出掛けてくる」
一瞬、翡翠は唖然として、
「お止めください!!」
信じられないという感じで翡翠が大声を出す。
そりゃまあ、当然だろう。
さっきまでずっと起きなかった俺がいきなり外に行くと言うのだから。
翡翠が心配するのは当たり前だけど――――
「姉さんから志貴様がお目覚めになっても絶対安静にさせるように言われました。
これ以上無理をすればどうなるかわからない、と。
ご無礼を承知でお願いします。どうか今はご自重ください!!」
深々と頭を下げて翡翠は懇願する。
その必死な姿に心が揺らぎそうになる。
ここまで翡翠に心配かけてまで行く必要があるのだろうか。
だが、秋葉と琥珀さんの会話が頭から離れない。
秋葉が最後に言った言葉。
聞く前に意識が無くなったのに、
――――どうして『殺す』と言ったなんて思ってしまうのか――――
それが恐ろしい。
だから、確かめないといけなかった。
「大丈夫だって翡翠、今日はすぐに帰って来るから」
「ですが――――」
「どうしても気がかりな事があるんだ」
無理を承知で翡翠に頼み込む。
「……かしこまりました。
ただちに着替えを持ってまいります」
失礼します、と言って翡翠は部屋から出て行った。
夜の闇をひたすら走る。
あたりには人影は無く、静寂の中で自分の呼吸音だけが嫌に耳障りに感じる。
「はあっ、はあっ、はあっ」
まだ数分も走ってないのにもう息切れしている。
それでいて走るペースはいらいらするほど遅い。
身体が酷く重く、力が入らない。
一歩踏み出す度に昨日やられた胸の怪我が痛む。
「はあっ、はあっ、はあっ……くっ!!」
耐え切れず、立ち止まる。
その途端強烈な眩暈がして倒れそうになった。
「く……」
かろうじて持ちこたえる。
ここで倒れるわけにはいかない。
「はあっ……」
呼吸を整える。
だがあまりのんびりしてはいられない。
急がなければ何かが手遅れになってしまう気がする。
ぼろぼろの身体に鞭を打って俺は再び走り始めた。
「何だよ、これ……?」
ようやくたどり着くと、廃ビルは赤い糸の様な物に覆いつくされていた。
それだけじゃない、辺りに灼けそうな程の熱気が立ち込めている。
ここは最早、異界だ。
「くそっ!!」
何が起こっているのかわからないがとにかく中に入らないと。
「駄目ですよ志貴さん、中に入っちゃ」
声がした方に振り向くと琥珀さんが居た。
こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
「この中で今、秋葉様が仕事中です。
入ったらお仕事の邪魔になってしまいます」
「仕事って……こんな場所で何をしているんだよ!?」
「さあ? 私にはわかりません。
ですが、秋葉様は遠野家当主ですから、
人には言えない様な事もあるのでしょう」
ぞっとした。
中で秋葉がしている『仕事』
どう考えてもそれはまともなものでは無いと思う。
その時ビルの中から悲鳴が聞こえた、この声は――――
「弓塚!?」
「あっ、志貴さん!!」
琥珀さんの制止を無視してビルに入ろうとして、
赤い糸に触れそうになった所で本能的に立ち止まった。
これは……やばい。
「志貴さん、翡翠ちゃんに言ったはずですけど、
志貴さんは安静にしてなければ危険な状態なんです。
こんな所に居てはいけません。今すぐ帰ってください」
珍しく琥珀さんが焦った声を出す。
「悪いけど、それは聞けない」
眼鏡を外して赤い糸を視る。
眼鏡越しより余計に禍々しさを感じさせるそれを一息に断ち切った。
辺りの熱気が弱まる。
「え?」
呆然としている琥珀さんを置いて、俺は中に飛び込んだ。
ビルの中は息をするのも苦しいほど熱気に支配されていた。
その中心には――――
「はあっ、はあっ、はあっ」
倒れて何かに耐えるように身体を震わせている弓塚と、
「意外と手こずらせてくれましたね。
ですが、もうこれで終わりです。
最期に何か言い遺す事はありますか?」
美しい長髪を燃えるように赤く染め、
勝ち誇った様に弓塚を見下ろしている秋葉の姿があった。
「弓塚!!」
俺は弓塚に駆け寄り抱き起こす。
「にい……さん?」
「はあっ、はぁ……志貴くん?」
秋葉は呆然と、弓塚はぼんやりと俺を見つめる。
弓塚の姿は目を背けたくなるほど酷かった。
まるで油をかけられて火をつけられた様に身体中に火傷を負っており、左足にいたっては足首から先が無かった。
俺は秋葉を睨みつける。
「秋葉、お前がやったのか?」
感情を押し殺した声で訊ねた。
「そんな、兄さんがどうしてここに……?」
秋葉が動揺している、それが答えだった。
「どうして、だって……?」
何でこの状況でそんなどうでもいい質問をするのか。
頭に血が上っていくのがわかる。
「それはこっちの台詞だ!!
お前は何でこんな所に来て、しかも何をしようとしたんだ!?」
自分でも驚くほどの大声で怒鳴る。
秋葉は俯いて何も言わない。
「答えろ、秋葉!!」
「そう、やっぱり兄さんは怒るのですね……」
ぽつりと、秋葉が呟いた。
「そんなの決まっているじゃないですか」
顔を上げた秋葉は歪んだ笑みを浮かべていた。
「兄さんを苦しめる、そこの女郎蜘蛛を殺しに来たんですよ」
その言葉に込められていたのは紛れも無く殺意。
秋葉は本気で言っている。
「ふざ……けるな、何で俺が弓塚に苦しめられているって言うんだ?」
秋葉に気圧されながらも反論する。
秋葉はそんな俺の言葉を聞いて笑った。
「何がおかしい」
「いえ……そうですか。
兄さん、自覚してないのですね。
それじゃあ仕方が無いかもしれません」
「何が言いたい」
「では訊きますけど……
最近、兄さんが毎晩出歩いているのはその御方の為じゃないのですか?」
確信のある口調で秋葉は問いかけてくる。
「それが――――」
「元々、身体の弱い兄さんが睡眠時間を削ってまで夜出歩いているのはその御方の為ですよね?」
「…………」
「その無理が祟って日中ずっと倒れていたにも関わらず、
私の制止を振り切って兄さんが夜出て行ったのはその御方の為ですね?」
弓塚が息を呑んだ。
「昨日、私に調子が悪いと嘘をついてまで屋敷を抜け出し、
プレゼントと手料理を用意して、励まそうとしたのも、
当然、その御方の為だからでしょう?
よくもまああんな臆面も無く抜け出せるものです」
その言葉を聞いて気付いた。
何で秋葉があそこまで怒っていたか。
どうして秋葉がここがわかったのか。
昨日の事をなぜそこまで詳しく知っているのか。
それは昨日、秋葉が俺を見ていたからだ。
おそらく弓塚が感じたと言った気配が秋葉だったのだろう。
「そして……」
いつのまにか秋葉の声は震えていた。
「今、ぼろぼろの身体を引き摺って兄さんがここに来たのはその女の所為です!!
ほら、これでどこが兄さんを苦しめてないというのですか!?
兄さんが傷付いているのはみんなその女の所為じゃないですか!!」
そう叫んで秋葉は弓塚を呪い殺す様に睨みつける。
「その女さえいなければ……兄さんと関わらなければ!!
兄さんがこんなに苦しむ事は無かった、違いますか!?」
「あ……」
弓塚が脅えた様に目を逸らす。
「いい加減目を覚ましてください兄さん!!
どんな理由で兄さんがここまでするのかは知りません。
でも兄さんがぼろぼろになってまでする必要なんて無いはずです!!」
涙をにじませた目で秋葉はすがる様に俺を見る。
それで、俺は今までいかに秋葉を心配させていたかわかった。
どうしようも無く自分が嫌になる。
「……お前の言いたい事はわかった」
秋葉の視線を真っ直ぐ受け止め、見つめ返す。
目を逸らす事なんて俺には許されない。
「確かにお前の言う通りかもしれない」
俺の言葉を聞いて秋葉が歓喜の表情を見せる。
「兄さん、じゃあ――――!?」
「けど、それで弓塚を傷付けるのは間違ってる」
凍りついた様に秋葉が固まる。
「別に強制されているわけじゃない。
俺は望んで弓塚の助けようとしているんだ。
例えそのせいで傷付いたとしても弓塚を恨んだりなんかしない。
だからもう……弓塚を傷つけないでくれ……」
「志貴……くん」
秋葉は俯いて押し黙った。
「どうしてですか……?」
そう呟いた後、秋葉は弾けた様に顔を上げた。
「どうしてその女ばかり見るんですか!?
それじゃあ心配してる私が馬鹿みたいじゃないですか!?
何で……何で兄さんは私を見てくれないんですか!?」
それは心の底から搾り出すような悲痛な叫びだった。
「秋葉――――」
すっと秋葉の顔から抜け落ちた様に表情が無くなった。
唯一、その目に全てを凍りつかせる様な憎悪を残して。
ドクンと心臓が激しく跳ねる。
今目の前にいるのは――――俺の知る秋葉とは違う。
「もういいです、兄さんは退いてください。
兄さんが死ぬと分かってて放っては置けません」
「……出来ない、弓塚を殺すなんて絶対に許さない」
俺は秋葉の前に立ちふさがる。
「言いましたよね兄さん。
兄さんが勝手にするのなら――――」
秋葉の赤い髪が爆発的に伸び、蜘蛛の糸のごとく俺を包み込む。
「なっ!?」
「私も勝手にさせてもらいます、と」
瞬間俺の身体は浮き上がり、壁に叩きつけられていた。
「かはっ……」
口から血が溢れ出る。
「志貴くん!!」
弓塚の悲鳴が遠く聞こえる。
持っていかれそうになる意識を必死で繋ぎ止める。
「少しそこでおとなしくしていてください。
心配しないでもすぐに済ませますから」
愉悦を含んだ声で秋葉は絶望を告げる。
このままでは弓塚が――――
「ねえ、何とも思わないの……?」
その声に俺は凍りついた。
弓塚が怒りをあらわにしている。
「……っ!! うるさい!!」
秋葉は弓塚を蹴り飛ばす。
ごろごろと弓塚が転がる。
「貴女がそれを言うの!?
貴女が……貴女さえいなければ兄さんは私を――――」
「やめろ秋葉!!」
それ以上やったら死んでしまう。
「ふざけないで」
弓塚の周りの空間が歪みかけている。
「そんな理由で志貴くんを傷つけたの?」
徐々にその歪みが大きくなっている。
だが秋葉は怒りに捉われて気付いていない。
「それじゃあ――――私と変わらないじゃない」
弓塚が秋葉を睨みつける。
その目が更に紅くなっていく。
「黙りなさい!!」
赤い髪が弓塚を包み込もうとする。
「よせ秋葉!!」
叫びながら同時にもう手遅れだと感じる。
死ぬ。
死ぬ以外のイメージが沸かない。
確信する。
間違いなく。
何の救いもなく無慈悲に、
――――弓塚が望めば秋葉は死ぬ――――
その死の宣告はあまりにも小さく些細だった。
「もういいや」
瞬間、爆発的に歪みが広がり全てが枯渇した世界が現れた。
荒廃した死の大地。
褪せた血を思わせる紅い空。
砂塵が渇いた風と共に舞う。
「何よ……何なのこれは!?」
突然変化した景色に秋葉は狼狽した。
それはしてはならないミスだった。
もし勝機が存在するとすれば、この一瞬だけなのに。
秋葉は自らそれを手放した。
「せっかく我慢してたのに……」
弓塚は何事も無かったかの様に立ち上がった。
既に先ほどまでの怪我は痕さえ残っていない。
「よっぽど貴女死にたいんだね」
「何をふざけた事を……!!」
秋葉は再び赤い髪を伸ばす。
だがもうそれが弓塚に届く事は無い。
周りから木の葉が現れ弓塚の前に集まる。
赤い髪は木の葉に遮られ弓塚に届かない。
「くっ」
「お返しだよ」
弓塚が手を振ると木の葉が横殴りの雨のごとく秋葉へ襲い掛かる。
「こ……のぉ!!」
秋葉は後ろに大きく跳びながら木の葉を消し去る。
「へえ、すごいね秋葉さん。
これなら少しは楽しめそうだよ」
あの、もう二度と見たくなかった残酷な笑みを弓塚が浮かべる。
「さあて――――」
弓塚が演奏を始める指揮者の様に右手を上げる。
「さっきまでの借り、たっぷり返してあげないとね」
秋葉は弓塚を睨みつける。
その目に今までの余裕は無い。
「貴女なんかに……私は負けない!!」
「二人共もうやめろ!!」
皮肉にもその俺の声が戦いの合図となった。
それは最早殺し合いと言う言葉さえ生ぬるい。
虚空から果てなく溢れ出る木の葉は生を枯らそうと押し寄せる。
赤い髪は全てを喰らい尽くす様に広がりそれをかき消していく。
お互い、少しでも攻撃の手を緩めれば次の瞬間この世から消されるだろう。
割って入る事など到底出来ない、したとしても気付かれる事すら無く殺される。
今でこそ危うい均衡を保っているがいつ崩れるかわからない。
いや、もう均衡は崩れ始めている。
「はあっ、はあっ……」
「どうしたの秋葉さん、もう限界?」
「だれ……が、この程度ならいくらでも続けられるわ……」
言葉とは裏腹に秋葉の息は荒く、身体は震えている。
誰がどう見てももう限界だった。
対する弓塚は息一つ切らしていない。
どちらが優勢なのかは火を見るより明らかだった。
「そう? でも私もいい加減飽きてきたから、
もうそろそろ終わらせちゃってもいい?」
自分の勝利を確信し、弓塚が告げる。
「そうですね、もう終わりにしましょう――――」
かっと秋葉が目を見開く。
「貴女を殺して!!」
そう叫ぶと秋葉が大きく前に飛んだ。
「なっ!?」
俺は驚きの声をあげた。
馬鹿な、今立っている位置でもギリギリだってのに、近づくなんて自殺行為だ。
当然、木の葉は秋葉を貫く――――
前に全てかき消された。
「え?」
呆然とする弓塚。
秋葉は今までより遥かに速く赤い髪を振るっていた。
襲い掛かる木の葉を次々とかき消してゆく。
その速さは弓塚が木の葉を出す速度を上回っている。
秋葉は更に距離を詰めていく。
ここに来て、形勢は逆転していた。
「これで……終わりです!!」
ついに弓塚の姿があらわになる。
「弓塚!!」
悲鳴をあげる身体を無理やり動かして走る。
間に合わないと分かっていてもそうせずにはいられなかった。
だが絶体絶命の窮地において弓塚は――――
「くす……」
小さく、しかし確かに笑って言った。
「渇きを知れ」
その瞬間、秋葉は地面に倒れこんだ。
「秋葉……?」
「あ、あああああ……」
両手で喉を押さえて秋葉は呻き声を上げる。
一体何が起こったというんだ?
「驚いたよ秋葉さん、まさかここまでやるなんて。
初めから距離を詰められていたら負けてたかもしれない。
けどちょっと私と長く戦いすぎたね」
「な……ぜ?」
「私が操れるのは木の葉だけじゃない。
この世界に漂う無数の砂塵。
戦っているうちにそれは少しづつ身体に付着していく。
そして今、それを一斉に発動させた。
一つ一つの威力は弱いけどそれだけあれば効いたでしょ?
どうかな? 私の渇きを知った気分は?」
秋葉はもうそれに答える気力も無い様だ。
弓塚は楽しそうに笑う。
「おもしろかったよ秋葉さん。
このまま貴女を塵になるまで吸い尽くしてもいいのだけど、
それじゃあんまりにも可哀相だから――――」
弓塚が秋葉に飛び掛る。
その意図に気付いて俺は必死に走る。
「やめろ弓塚!!」
「楽に殺してあげる」
弓塚の腕が唸りを上げる。
手の爪は秋葉の心臓を狙っている。
今の秋葉にかわす事など不可能だ。
弓塚を止めるのは間に合わない。
――――弓塚は秋葉を殺す――――
「ふざ……けるな!!」
弓塚が人を殺す事も、
秋葉が殺される事も、
どっちも俺には耐えられない。
心臓が破裂しそうなほど激しく打った。
全ての力を足に込めて跳ぶ。
「え?」
ずぶりと嫌な音がして、
弓塚の爪は俺の胸に突き刺さっていた。
俺の身体がゆっくりと後ろに倒れる。
酷く不快な、肉が裂ける音がして爪が抜ける。
「あ……」
弓塚は放心した様に自分の爪を見ている。
真っ赤に染まった爪の先からぽたぽたと血が垂れている。
「嘘でしょ……?」
ピシ、とどこかで音がした。
「嘘……だよね?」
また音がした。
気付くと空間にヒビが入っていた。
「あ……あ」
ヒビが連鎖的に広がっていく。
「あああ……」
既にヒビはそこら中に広がっていた。
「弓……塚……」
喋った拍子に血が口からこぼれる。
それが引き金になったのか、
「あ、あああああああああ――――――――!!」
発狂した様な弓塚の叫び声と共に、空間は砕け散った。
弓塚は全てを拒絶するかのごとく俺に背を向けて走り去って行った。
「弓塚!!」
追いかけないと。
立ち上がろうとして膝をつく。
「ぐっ……!!」
頭を下げると胸の傷が目に入った。
シャツは血で真っ赤に染まっている。
「こんなの全然大した事無い」
そう、この程度では死にはほど遠い。
八年前に比べたらこんなもの――――
そう思った瞬間強烈な眩暈がした。
耐え切れず、倒れる。
意識が薄れていく。
「にい……さん?」
秋葉の声が聞こえた。
何とかそっちを向くと秋葉は泣きそうな顔をしていた。
「兄さん!! しっかりしてください!!
兄さん!! 兄さん……」
秋葉の声がだんだん遠く感じる。
ぐしゃぐしゃに泣きながら俺を呼ぶ秋葉の顔を見て、
パズルの最後のピースがはまった様な感覚がした。
ああ、そうか……
――――八年前もこうだった――――
思い出して納得すると俺の意識は闇に落ちていった。