弓塚を送った後、見回りを開始する。
だが死者は1人も見当たらない。
「志貴、もう眼鏡をつけていいわ」
溜息をつきながらアルクェイドは言った。
「まだ大丈夫だ、もう少し続けよう」
「駄目、志貴に負担がかかりすぎる。
それにこれ以上やっても無駄よ。
死者が居たなら残るはずの気配が無いし、
もう人通りもほとんど無くなっている。
今日はもう現れないと考えていいわ」
「わかった」
眼鏡をかける。視界が正常に戻りほっとする。
「全く、いい加減出て来るしかないのに、
いったいどこまで臆病者なんだか」
苛立たしそうにアルクェイドは言う。
弓塚の限界は近い。このままでは……
「アルクェイド、やっぱりもう少し続けないか?
何か少しでも手がかりが見つかるかもしれない」
「駄目よ。今の時点でもかなり志貴に負担がかかっている。
これ以上続けたら本当にまずいことになりかねない」
「だけど!!」
「気持ちはわかるけど今日はここまでにしましょう。
今日無理して明日動けないほうが困る」
「……わかった」
アルクェイドと別れ屋敷の外周まで戻ってきた。
何一つ収穫を得られず疲労も隠せない。
「ん?」
街灯の明かりの届かない暗がりにかすかに人影が見えた。
ドクン、と心臓が高鳴る。意識が研ぎ澄まされていく。
何か厭な予感がする。
人影はこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
コツコツと足音だけが静かに響く。
街灯に照らされ姿が明らかになる。
全身が包帯で覆われている。体格からみて男だろうか。
その男は異様だった。
外見だけじゃない、包帯の間から覗く眼は狂気を感じさせる一方で確かに理性を持っている。
そして何よりもただいるだけで死の気配を感じさせる。
本能が殺せと告げる。
この男は……敵だ。
そして、理解した。
「お前が、吸血鬼か」
憎しみを込めて訊ねる。
男は俺の言葉を聞いて心底楽しそうに笑った。
「あの女の血は美味かったな」
「――――!!」
それが答えだった。
全身の血が沸騰する。
この男が存在している事が許せない。
一秒でも早く殺したい。
「テメェ――――!!」
眼鏡をむしり取るように外す。
男との間合いを一瞬で詰める。
男の『線』にナイフを振るう。
男は笑いながら俺の攻撃を受けていく、その手にはいつのまにかナイフが握られていた。
刃がぶつかり合う。
耳障りな金属音が響く。
男は防ぐ事しか出来ない、俺の方が押している。
いける、このままいけば殺せる!!
防ぎきれずに男がわずかにバランスを崩した。
「とった!!」
『線』にナイフを走らせ――――
瞬間、俺は屋敷の塀まで蹴り飛ばされていた。
「かはっ……」
潰されかけた肺が酸素を吐き出す。
身体に力が入らない。
「くっ、くはははは!!」
男が狂った様に声をあげて笑う。
「まさか今、俺を殺せるとでも思ったのか?
ただの人間のお前が? あんな単純な攻撃で?」
何て……愚か。
こいつは防ぐことしか出来なかったんじゃない、防ぐことしかしなかっただけだ。
押すどころか俺は遊ばれていた。
「笑わせる、俺が『視えている』事すら気付かなかったくせに」
「なん……だって?」
ハッとする。この男は俺の攻撃をほぼ同じ角度でナイフを振るって相殺していた。
――まるで、どこを狙っているか完全にわかっていたように。
もし、こいつの言った事が事実だとしたら……
「理解したか、俺もお前と同じ力を持っている。
お前が俺より勝っている所など何一つ無い。
つまり、お前に勝ち目などあるはずが無い」
そう、それが事実。
俺が普通の人間と違うのは『線』が視えるという事だけだ。
それが通じなければ身体能力で遥かに勝る吸血鬼相手に勝てるはずが無い。
「さて、このままお前を殺すのは簡単だが……
気が変わった。それでは芸が無くてつまらない」
男は邪悪な笑みを浮かべる。
「お前もこのままでは無念だろう?
あの女の最期を看取ることも出来ないのだからな」
「貴様……!!」
男を呪い殺さんばかりに睨みつける。
だが男はそれを見てさらに笑う。
「そこでだ、今は見逃してやる。
あの女はもうほとんど限界だ。
直に血に負け、狂い、化け物と化すだろう。
それまでせいぜいあがくんだな」
「黙れ!!」
男は俺に背を向ける。
くそっ、身体さえ動けば後ろから襲い掛かってやるのに。
「じゃあな、志貴。また会う時が楽しみだ。
その時、お前はどんな顔をするんだろうなぁ?」
「なっ!? 何故お前が俺の名を知っている!?」
「さあな、自分の胸に手を当ててよく考えてみるんだな。
八年前、抉られた傷に手を当ててな」
そう言って男は笑いながら立ち去っていった。
「くそっ……」
ぎりぎりと歯が砕けそうなほど噛み締める。
やっと、見つけたのに。
今ほど自分の無力さを恨んだ事は無い。
拳を地面に叩きつける。
全力をこめたつもりだったその拳はただ弱々しく地面を打っただけだった。
ようやく動かせる様になった身体を引きずり、屋敷の中に入る。
もう既に日付が変わっているので当然、明かりは消えている。
自分の部屋に行く為に階段に向かう。
突然、明かりが点いた。
「え?」
急に現れた強い光に目が眩む。
「ようやく帰って来たんですね、兄さん」
声がした方へ視線を向ける。
「秋……葉?」
秋葉が射殺すような目つきで俺を睨んでいる。
「こんな遅くまでどこに行って何をしていたのですか?」
「秋葉、どうしてこんな時間まで……『聞こえませんでしたか?』」
背筋が凍りつくような秋葉の声に俺は黙る。
「私は、どこに行って、何をしていたのか、と訊いたんです」
違う、今までの怒り方とは比べものにならない。
怒ってる。秋葉は本気で怒ってる。
「……言えない」
今の秋葉に嘘やごまかしなど通用しないだろう。
だからといって本当の事を言うわけにもいかない。
「…………」
秋葉の眉がつり上がり目つきがさらに険しくなる。
「秋葉が俺を心配している事は痛いほどわかる。
けど、それでも話す事は出来ない」
秋葉の目を真っ直ぐ見返す。
「どうしても話す気にはなりませんか?」
「ああ」
「……わかりました、百歩譲ってその事については不問にしましょう。
その代わりもう二度とこのような事をしないと約束してください」
「それも、出来ない」
どのみち嘘をついてもばれる、もうはっきり言うしかない。
「何……ですって」
あまりの怒りのせいか秋葉の声は震えていた。
「後、数日間は続けなければいけないんだ。
守れない約束をする事は出来ない」
「何故? 兄さんがそうしなければならない理由は?」
搾り出すように秋葉が声を発する。
「……もうこれは俺だけの問題じゃないんだ。
今、やめてしまったら俺は絶対に後悔する。
必ず守らなければいけない大事な約束なんだ」
「ふざけないでください!!」
ついに秋葉が怒声をあげる。
「さっきから黙って聞いていれば、勝手過ぎます!!
どこに行ったか話せない、何をしたかも話せない。
挙句の果てにこれからも続ける、ですって!?
戯言を言うのもいい加減にしてください!!」
よほど頭に来ているのだろう。もはや俺を見る目つきには殺意すら宿っている気がする。
「……ごめん」
無茶を言っているのは解っている。
けど、引くわけにもいかない。
「わかりました、そこまで言うのなら勝手にしてください。
兄さんがそのつもりなら私も勝手にさせてもらいますから」
そう言って秋葉は俺に背を向けて歩いていく。
その姿が見えなくなる寸前、秋葉がぽつりと言った。
「そんなに……そんなにあの女の事が大切ですか?」
「え?」
聞き返した時には秋葉はもう見えなくなっていた。
「秋葉?」
しばらくの間、俺は呆然とその場に立っていた。