『東方聖杯綺譚』~その8~
「この戦いの主眼である聖杯。アレはすでに汚されているわ」
「なんですって!?」
アリスの爆弾発言に、その場にいる全員……ではなく、凛だけが驚く。
アリスのマスターである桜は、とうにそのことを知らされていたし、
咲夜は元より聖杯に興味はない。士郎、"セイバー"コンビに至っては、
そもそも聖杯というものの価値すら十全に理解してはいないのだろう。
反応してくれたのがひとりしかいなかったことをちょっぴり寂しく思い
ながら、アリスは説明を続ける。
「凛……と呼ばせてもらうけど、よいわね? そもそも、あなた、どうやって
聖杯が願いを叶えるんだと思う?」
「どうやって、って……」
そう改めて問われると返答に困る。
"願いを叶える"から"聖杯"なのではないか?
(いいえ、待って!)
"そういうものだから"で思考を停止してしまっては、"根源"を目指す
魔術師として失格だ。
そもそも、冬木の聖杯は人が作りしもの。超絶存在による"奇跡の恩寵"などとは
異なるはずだ。
なれば、考えろ。必ず作動原理はあるはず。
(聖杯戦争が鍵、か……)
7組のマスターとサーヴァントによる殺し合い……。
(いや、マスターを殺す必要はないんだっけ)
凛の頭脳が解答を求めてすごい速さで回転する。
「! まさか……」
「気づいたようね」
「良質で高密度な魔力の塊であるサーヴァントを生贄とし、その身を構成する
魔力を動力源とした願望機――」
「はい、よくできました」
アリスは優秀な生徒を見守る教師の顔で、満足げに頷いた。
「聖杯戦争を勝ち抜くためにサーヴァントとして英霊が呼ばれるんじゃないわ。
マスターを目印として英霊を召喚し、生贄としてふさわしいようその身の魔力を
より精練させ、聖杯作動の燃料とするためにサーヴァントシステムが存在するのよ」
「そんなのってないだろう!」
いきなり士郎が食ってかかる。
高度な話ゆえついてきてないかと思いきや、どうやらキチンと聞いてはいた
ようだ。
「そんな、召喚されるのが、最初から生贄にするためだなんて……」
その脳裏に連想されたのは、あの日――切嗣に煉獄の街から救われた日の
光景。あの日、炎にまかれて死んでいった人々の姿と、"生贄"という言葉が
生々しくシンクロする。
「――ごめん、続けてくれ」
「マスター……」 「先輩……」
"セイバー"と桜が、激昂を押さえようと努力する士郎を心配げに見やった。
「確かに、いくらコピーとはいえ、呼び出されるほうとしてはあまり気持ちの
いいものではないわね。とはいえ、等価交換がこの地の魔術師の不文律らしいし、
聖杯戦争を勝ち抜けば、勝ち残った英霊にも願いを叶えるチャンスはあるのだから、
あながち詐欺というわけでもないわよ」
と、いったん言葉を切り、思わせぶりに言葉をつなぐ。
「……聖杯がきちんと作動するなら、ね」
「なるほど、そこで最初の"聖杯が汚されている"という言葉に結びつくわけね。
でも、聖杯は聖杯戦争の最終局面にならないと具現化しないはずじゃないの?」
さすがに凛の理解は早い。
「やはり、遠坂家にも知らされていないのね。そもそも、この地の聖杯
システムは3つの聖杯から構成されているのよ。キリスト教の三位一体説に
基づいているのか、偶然かはわからないけど」
アリスの説明は、どうやら凛や他のサーヴァント2名にとっても初耳だったようだ。
「"天の聖杯"が、あなたの言う具現化した願望機としての聖杯。そして、その力を
間接的にとはいえ制御するために"人の聖杯"としての存在が不可欠になる。これは、
通常アインツベルンが用意しているわ」
チラリと、桜のほうに目をやると、彼女は小さく頷いた。
「間桐は、その"人の聖杯"としての役割を桜に聖杯の欠片を埋めこむことで
代用させようとしていたみたいだけど。そして、残る"地の聖杯"は、聖杯戦争で
死んだ英霊の魂を溜めておくプールのようなもの。さらに言えば、"天"の原型で
あり、"人"と" "をコネクトする役割も担っているから、"大聖杯"とも呼ばれる
みたいね。システムの根幹にあるのは、当然、この大聖杯。これがあるからこそ、
60年という長い周期ながら、何度も聖杯戦争がこの地で行われるわけ」
間桐家に残された文献から、そのことを突き止めたアリスは、肝心の大聖杯が
どういうものなのか、捜し、探りを入れた結果、前述のように"汚されている"と
いう結論を得たというのだ。
「――あなたの言いたいことは理解したけど、明確な証拠はないわね。咲夜、
彼女は信じられると思う?」
冷静な魔術師としての顔を取り戻して、凛が言う。
「……確かに、彼女は魔術師の例に漏れず、唯我独尊で、人嫌いで、
ヒネクレ者な面はあります」
咲夜の言葉に、うんうんと頷く"セイバー"と、苦笑するアリス。
「でも、少なくとも、知人にこういった類いの嘘をつくような真似はしませんわ。
たとえ敵対した場合でも、搦め手ではなく正々堂々正面からぶつかることを選ぶ
でしょう」
「そう……」
「なんだか散々な言われようだけど、証拠ならあるわよ。状況証拠としては、
ライダーに代って召喚されたイレギュラーである私の存在。聖杯が汚されたのは、
どうやら以前の聖杯戦争で、アインツベルンが無茶して、イレギュラークラス
"アベンジャー"を呼んだからみたい。アベンジャー"復讐者"の悪意によって、
本来無色透明であるべき大聖杯の魔力が汚染され、システムにエラーを起こした
ようね。だからこそ、私に限らず、そこのふたりも含めた、本来英霊と呼ぶには
ほど遠い存在が呼び出されているわけだし」
現界して以来、聖杯戦争について色々研究していたらしいアリスの論理に
破綻は見られない。
「それと、具体的な証拠については、大聖杯を見れば納得できると思うわ。
あんな悪意の塊が、真っ当に願いを叶えてくれるなんて信じられないもの」
ここで、アリスの目が凛と士郎を真っ直ぐに見つめる。
「この聖杯戦争に報酬なんてないの。だから、私たちはともかく、あなたたち
知り合いどうしがマスターとして殺し合うなんて無意味だわ。だから……」
アリスの言葉を桜が引き取る。
「先輩と姉さん、そして私の3人で同盟を結びたいんです」
聖杯という報酬ではなく、勝利の栄光を求めて参加した凛だが、長年離れ離れ
になってきた妹の、上目づかいの懇願には勝てない。
「う……いいわ、とりあえず、大聖杯の状況を確認するまでは停戦。確認して
裏が取れたら、同盟を結びましょ。咲夜も、それでいい?」
「はい、問題ありませんわ、凛お嬢様」
一方、士郎のほうは、妹分のお願いなら1も2もなく、頷きたいところだった
のだが……。
いまの彼には、意見を伺うべきパートナーがいた。
「? どうされました、マスター?」
きょとんとした顔で、小首を傾げる"セイバー"の様子は、たいそう愛らしく、
先程から続けられた難解で血生臭い話のあとに見ると、ホッとする。
何気に癒されながらも、士郎は彼女に尋ねた。
「俺も桜や遠坂と同盟を結びたいと思うんだけど、"セイバー"はそれでもいいか?
聖杯戦争に参加したからには、何か叶えたい願いがあるんじゃないのか?」
「!? わ、私のことを心配してくださるんですか?」
主の気づかいに、"セイバー"は感激する。何せ彼女の仕えてきた主人と言えば、
彼女を振り回すことこそを楽しんでいたフシがあるのだから。
「ああ、当然だろう。だって、"セイバー"は俺なんかの命を救ってくれたじゃないか。
命の恩人に対しては、できるだけ力になりたいし」
「あれは、サーヴァントとして当然のことをしたまでです。ですが……そうですね。
私もとくに聖杯で叶えたい願い事はありません」
「ありがとう。"セイバー"は無欲なんだな」
「あ、いえ、もっと剣術が上手くなりたいとか、もっと背丈が欲しいとか、
幽々子様の気まぐれはほどほどにしてほしい、とか、願い自体は結構あるのですが、
それは自分の力で叶えないと意味がないですし……」
誉められ慣れていないのか、慌てて言葉を繋ぐ。
「そうか、"セイバー"は偉いな」
ごく無意識に、小さい子に対するように(いや、外見だけなら決しておかしくは
ないのだが)、士郎が彼女の頭を撫でる。
「ま、マスター、それは……」
真っ赤になった少女を見て、士郎は自分のやってることを自覚する。
「あ……ご、ごめん、つい……」
撫でやすい位置に頭があったから――と言うと、先程の発言からして彼女を
傷つけそうなので、さすがの士郎も言葉を濁す。
「と、とにかく! 咲夜さんやアリスは、それなりに信頼がおける人物ですし、
マスターさえよければ、同盟を組むことに異議はありません! それから……」
コホンと咳をして、居住まいを正す。
「言いそびれていましたが、私の真名は"魂魄妖夢"といいます。冥界にある屋敷、
"白玉楼"の庭師にして、屋敷の主人である西行寺幽々子様にお仕えする剣術指南役
でもありました。以後、私のことは、"セイバー"ではなく妖夢とお呼びください」
と、そこで、キリリとした表情が僅かにほどける。
「それに、ひとりだけクラス名で呼ばれるのは、何だか気恥ずかしいですし……」
「わかった。だったら、俺のことも、これからは士郎でいいよ」
「はい、未熟者ですが、よろしくお願いします、士郎様」
「いや、こちらこそ」
お互いに正座してペコペコと米つき虫のようにお辞儀を繰り返す主従の様子を、
おもしろそうに見やりながら、アリスが声をかける。
「話はまとまった? じゃあ、大聖杯を視察に行くのは明日の昼にしましょう」
-つづく-
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<後書き>
うーむ、今回も説明編ですね。アクションシーンがないと、読んでいる方が
退屈しないか心配ですが、説明なしだと3人が同盟を組むのが納得できない
と思ったもので。
次回は、ようやく外へ。しかし、その前に、またもアリスが爆弾発言を……。
<オマケ>
"セイバー" 真名:魂魄妖夢 マスター:衛宮士郎
筋力A 耐久B 敏捷C 魔力B 幸運C 耐魔力B
宝具B、B++ 直感A 魔力放出A 単独行動C
本来のセイバーとブラックセイバーの中間的な数値です。
士郎は、一応まともに魔術が使えますし、とくに劣化はしてません。
カリスマ? ……そんなん、あの妖夢にあると思います?
主のゆゆ様でさえ、足りないと嘆いてらっしゃるのに(笑)。