『東方聖杯綺譚』~その7~
ここで、話は少しだけ時間をさかのぼる。
遠坂家と並んでこの街で古くからある家系、間桐家。その住居も、遠坂邸同様、
日本の家屋の平均を大きく上回る広さを持った洋館となっている。
もっとも、人がいないながら、それなりに清潔で居心地のよい雰囲気に保たれて
いる遠坂邸に比べると、間桐の家がどこか薄汚れ、落ち着かない空気をはらんでいる
ように感じられるのは、両家の司る魔術の質の違いから来るのかもしれない。
凛が咲夜をアーチャーとして召喚する日の前日の黄昏時。
その間桐邸の地下に築かれた先祖代々の工房で、いままさにサーヴァントの召喚が
行われようとしていた。
その場にいるのは3人。
ひとりは、間桐家の支配者であり、数百年を生きてすでに人の身体さえ捨てた魔術師、
間桐臓硯(マキリゾウケン)。
もうひとりは、間桐家の今代の長子でありながら、ほとんどの魔術回路が閉ざされて
いたため、跡取りとしての資格を半ば喪失している少年、間桐慎二。
そして……盟約によって遠坂家から間桐家に引き取られ、間桐の魔術を継承すべく
長年その心身に苦痛を刻まれ続けてきた少女、間桐桜。
今回の召喚は桜が行うが、その令呪より作られた偽神の書によって慎二がマスターと
なり、実際に戦いの場に赴く……そういう取り決めが3人の間で交わされていた。
確かに、内気で消極的かつ運動神経がお世辞ににもよいとは言えない桜よりも、
魔術回路こそ1本しか持たないものの、さまざまな魔術の知識に通じ、他人に攻撃的な
性格の慎二のほうが、戦場に立つのは適切だという考え方は可能だ。
桜もたったひとつの約束――"衛宮士郎を聖杯戦争に巻き込まないこと"――を条件に、
サーヴァントの委譲に同意した。そのはずだった。
しかし、桜はわかっていた。
仮に自分との約束を慎二が守ったとしても、士郎が聖杯戦争のことを知れば
その"正義の味方"という理想ゆえに彼のほうが見過ごさないであろうこと。
そして……自分の身体は、埋めこまれた聖杯の欠片と"虫"によって、おそらくは
聖杯の制御装置として使用されるのであろうこと。間桐が、マキリゾウケンが彼女を
望んだのは、本当は自らの家系の跡取りなどではなく、小聖杯としての役目を背負わ
させるためであろうこと。
哀しかった。
大好きな先輩のために何もしてあげられない臆病な自分の心が。
恐かった。
ヒトとしての域をはみ出て、モノへと変貌させられる自分の呪われた身体が。
そして、憎かった。
そんな境遇さえも諦めとともに受け入れようとしている人形のような自分の生き方が。
桜のそんな内心の想いをよそに、順調に召喚の儀式は進み、やがて召喚陣の内側が
七色の光で満たされる。
「やったのか!?」
「これ、落ち着かんか、慎二」
興奮する慎二を臓硯がたしなめる。
「も、申し訳ありません、お爺さま」
そんな間桐家の男たちをよそに、光はほどなく収束し実体化を始める。
光が納まったとき、召喚陣の中には、ひとりの女性……いや少女が立っていた。
年の頃はおそらく桜と同年代であろうか。
やや色の薄い金色の髪を首筋を隠すくらいの長さに伸ばし、やたらとレースやフリル
のついた青いワンピースを着ている。右手に何か古びた洋書を抱え、左肩には彼女と
良く似たエプロンドレス姿の人形がちょこんと座っていた。
その容姿からは、とても英霊――サーヴァントだとは思えないが、魔術師として
見れば信じられないほどの魔力が彼女を中心に渦巻いていることがわかる。
本来はライダーを召喚する予定だったのだが、武人タイプには見えないから、
おそらくは魔術師系の能力の持ち主なのだろう。
しかし、キャスターはすでに召喚されているはずなのだが……。
「あら、随分と陰気で生臭い場所に呼び出されたものね」
少女の声は、7分の呆れと3分の嫌悪を含んでいた。
「それはそうと……あなたが、私のマスター?」
少女の翡翠色の瞳は真っ直ぐに桜の顔を見つめていた。
「そうじゃない、僕が……」
「黙らんか、慎二!」
慎二が何かを言いかけるのを、臓硯が声だけで制する。
「そのとおりじゃ。その娘がおぬしの召喚主であり、儂の孫じゃ」
「……と、アチラさんは言ってるけど、本当かしら?」
男共には目をくれようともせず、少女の視線は桜に向けられたままだった。
「は、はい。間桐、桜と言います。よろしくお願いします」
その性格ゆえか、つい自らのサーヴァントにも敬語を使って対応してしまう。
「そう。わかったわ。私はイレギュラークラスのサーヴァント、"ドールマスター"。
よろしくね」
少女はほんの少し微笑みかけながら、桜に右手を差し出す。
一瞬何のことかわからなかったが、それが握手を求めているのだと理解して、
慌ててその掌を握る桜。
「それじゃあ、出会って早々で悪いけど……さよなら」
トス…。
握手の体勢のまま、桜の胸に何かが突き刺さる。
それが"ドールマスター"の肩にいた人形が持つ短剣だと理解する間もなく、
桜の意識はゆっくりと闇の中に滑り落ちていった。
* * *
元々、その成り立ち上、魔術や妖術の使い手に事欠かない幻想郷だが、その中でも
もっとも優れた魔術師は誰か、ということになれば、おそらく3名の人物の名前が
挙げられるだろう。
ひとりは、"本と日陰の少女"パチュリー・ノーレッジ。友人である"紅い悪魔"
レミリアの館に寄寓し、その魔法大図書館に住み着いている魔女だ。
喘息持ちでやや身体が弱いため、長い詠唱をするにはいささか不向きだという
欠点はあるものの、"動かない大図書館"と称されるその知識は、余人の追随を許さない。
豊かな知識に裏づけられた多彩な合成呪文を使いこなす能力と、どんな場面でも慌てず
に的確な対処方法を思案する性格からも、敵として伍せる人物は数少ないだろう。
ひとりは、"奇妙な魔法使い"霧雨魔理沙。"普通の人間"出身ながら、魔法の森で
マジックショップを営む(もっとも、年中開店休業状態だが)、魔術師の少女。
長寿な人外の魔女たちと異なり、あくまで見かけどおりの少女と言うにふさわしい
年齢ながら、その魔法の攻撃力には誰もが一目を置いている。他のふたりからは、
スペル構成の雑さをよく責められるが、彼女が未だ20年も生きていないほんの小娘で
あることを考えれば、その実力は驚嘆に値するだろう。実際、3魔女の他のふたりは、
真剣勝負で魔理沙に敗北したことがあるのだから。
そして、もうひとりがアリス・マーガトロイド。魔理沙と同じく魔法の森に住居を
構え、"七色の人形遣い"の異名を持つ魔術師だ。
あだ名どおり、人形の収集と研究を趣味としており、彼女の家には半ば付喪神化した
人形達が100体以上集められ、使い魔として働いている。
知識の面ではパチュリーに、最大攻撃力では魔理沙に、僅かに劣るものの、総合的に
見ればその魔術師としての力量は非常に高い。さらに、他のふたりにはない肉体的な
面での運動能力の高さもアリスは兼ね備えていた。無論、紅魔館のメイド長ほどの
俊敏性や、白玉楼の庭師のような馬鹿力を持っているわけではないが、自らの身体の
構造と限界を把握しつつ、ムダ無く敏捷に動くことができるのは強みだ。
とくに、人形操師(マリオネットハンドラー)として培われた、その精密動作性は
驚嘆に値する。アリスが人形を作る(彼女の家の人形の半数近くは手作りだ)時の
手際を見ていれば、"幻想郷一器用"という噂も、あながち嘘ではないとわかる。
加えて、彼女のそばで半ば自律的に動く人形達に至っては、下手な工業マニュピュ
レーター顔負けの、細かい作業をこなすことができるのだ。
* * *
「ぎぃやぁああああああああああああ!!!」
傍らにいた老人が魂消るような絶叫をあげながら溶けていくのを、慎二は呆然と
見るしかなかった。
すべてはうまくいっていたはずだったのだ。
そう、この"ドールマスター"と名乗るサーヴァントを召喚したその瞬間までは。
しかし、"ドールマスター"が桜と握手を交わした瞬間、彼女の使い魔と思しき
人形が桜の心臓を刺し、その直後に彼の祖父(実際には数代前の先祖らしいが)が
なぜか消えて……亡くなってしまった。
(もうダメだ……間桐家は……終わりだ)
かくして、華麗にサーヴァントを従えて聖杯戦争を勝ち抜き、聖杯を手に入れて
あの遠坂を見返してやるという慎二の―いささか甘ちゃん過ぎる―夢は絶たれた。
絶望を噛み締めている慎二の前で、なぜか"ドールマスター"は桜に優しく手を
触れ、体中をまさぐっている。
(こ、こいつ……百合なうえに屍姦趣味の変態!?)
一瞬腰が引けるが、それでも僅かに残る"兄"としての矜持――義理とはいえど
"妹"への情愛が、慎二に自暴自棄な行動を取らせた。
「うーん、どうやらうまくいったみたいね」
"ドールマスター"――アリス・マーガトロイドは、満足げにひとり頷いている。
と、そこへ……。
「さ、桜から離れろ、このレズっ娘ネクロフィリア!」
恐怖に震えながらも、妹の死体の尊厳を貶めるような行為に、慎二が抗議の声をあげた。
アリスは、その罵倒の内容に眉を潜め……そして意外そうな面持ちで、初めて慎二の
顔に目をやった。
「あら、あなたまだいたの? 今のは聞かなかったことにしてあげるから、とっとと
行きなさい」
「う、う、うるさいっ! 僕の―妹から離れろ!」
やけっぱちで声が裏返り気味ではあったが、それでも慎二は反抗を止めない。
半人前とはいえ、魔術師としての感覚が、目の前にいる少女に敵わない、と
本能的な警鐘を鳴らし続けているのにも関らず。
その言葉を聞いて、なぜかアリスはひどく驚いた表情を見せるが、すぐにそれを
押し隠し、無表情に問いかける。
「なぜ? この娘はあなたにとって、ただの邪魔者、ストレスのはけ口ではなかった
の? あなた自身、肉体的にも精神的にも、ずっと虐待してきたじゃない?」
なぜ、この少女が自分と桜の関係を知っているのか、ということを疑問にも
思わず、慎二は叫んだ。
「それでも……桜は僕の妹なんだ。守ってやるって……約束したんだ!」
そう、それは彼自身ですら忘れかけていた幼き日の想い。
『おまえ、笑っていたほうがいいよ』
間桐家の跡取りとして、魔術師になることが決まっていた、決められていた彼が、
初めて自分から主体的に魔術師になることを志した瞬間。
『しょうがないなぁ、僕が守ってやるよ。だから、もう泣くな』
それは、いずこからか連れて来られ、日々を脅えた顔で過ごす"妹"への、
他愛のない約束ではなかったか?
その約束の相手が……妹が死んで初めて、そのことを思い出すなんて、自分は
とんだ抜け作だ、と慎二は思う。
あの約束は、永久に果たすことができなくなってしまったけれど、それでも
せめてこれ以上彼女を汚させるわけにはいかない。
そう思い定めた途端、不思議と身体の震えが止まった。
精神集中とともに1本しかない魔術回路を強引に開く。
彼の師――彼の親友の亡き父のおかげで、かろうじて半開きの状態にまで
持っていけた彼の魔術回路は、悲しいほど僅かな魔力しか生み出さないが、
それでも廃車寸前のポンコツ車を酷使するがごとく、無理やり魔術を使うことは
可能だ。
彼が渾身の魔力を集めた魔力弾を放とうとした、その瞬間……。
「にい…さん……?」
桜の唇がゆっくりと動いた。
* * *
「――というわけよ」
深夜の衛宮家の居間に6人の男女(と言っても男子は士郎しかいないが)が集っての、
時ならぬお茶会の席で、アリスは長い回想話を終えた。
「えーと……つまり、桜は間桐家の養子で、間桐の魔術を継ぐためにいろいろ身体を
……その改造されてた。さらに間桐の爺さんはじつはすでに人間ではなく、"虫"の
集合体で、本体を桜の心臓部に住ませていた、と」
飽和状態の情報を何とか整理する士郎。
「付け加えると、桜の実家というのは遠坂家で、彼女が桜の実の姉にあたるわ」
ブハッ!
あえて平静を装いつつ、お茶を飲みかけていた凛が、盛大にお茶を吹きこぼす。
「凛お嬢様、はしたないですよ」
「ななな、なんでそれを?」
咲夜の注意をスルーしつつ、凛はアリスに食ってかかる。
「ラインを通して"視た"から、に決まっているでしょう?」
そう、アリスは、サーヴァントとしてこの世界に顕現した瞬間、繋がった
ライン越しに桜の過去の記憶をほぼ正確に理解したのだ。
許せなかった。
正義を気どるつもりは毛頭ないが、同じ女として、これほど悲しい暮らしを
強いられてきた少女に対して同情と憤りの念は禁じ得ない。
幸い、彼女が自分のマスターである以上、彼女に"敵対"するモノを排除する
ことに遠慮はいるまい。
瞬時にして、そう計算し、桜の胸に潜む刻印虫――ゾウケンの本体だけを
退魔の力を持つ短剣で正確に貫いたのだ。
「それにしても……あなた、案外熱い性格だったんだな」
"セイバー"が意外そうに呟く。
特別親しいというわけではないが、博麗神社の宴会や、それに伴う春の妖気騒ぎで
何度か顔を合わせたことはある。その時の印象では、"都会派を気どるクールな魔女"
という感じだったのだが……。
「あら、私は"ドールマスター(人形の主)"だもの。可哀想な"お人形"がいたら、
いつもできるだけ助けてあげることにしてるわよ?」
澄ました顔で、言ってのけるアリス。
確かに、自分は人形――"操り人形"だったと、桜は思う。
もっとも、それ故にアリスの同情と感情移入を呼び起こし、救ってもらえたと
いうのだから、世の中は皮肉なものだ。
「さて、と。こちらの事情説明は、これくらいにして、本題に移るわね」
アリスは、表情を改め居住まいを正すと、士郎たち二組の主従の顔を順に
見つめた。
「この戦いの主眼である聖杯。アレはすでに汚されているわ」
-つづく-
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<後書き>
えーと、すみません。かなり強引な力技です。
まずは、アリスをライダーかキャスターと予測して頂いた方々には
申し訳ないのですが、じつはイレギュラークラスでした、というオチ。
クラス名は、某オウガなゲームからのイメージです。これはアリスが
人形たちの"作り手"であり"所有者"であり"操り手"であり、かつ
"主人"でもあるという多面性を表現したもの。当然、宝具は8体の
人形。普段連れ歩いているのは、上海人形です。
そして、聖杯戦争のふたりの黒幕の片割れ、臓硯じっちゃんに早々に
退場願ったこと。聖杯戦争開始直前とはいえ、こんなに早く爺さんが死ぬ
のはSSでも珍しいのではないかな、と。そのぶん、言峰は最後まで
頑張ってもらうつもりですが。
ちなみに、"ドールマスター"としてのステータスはこんな感じ。
筋力D 耐久D 敏捷C 魔力A 幸運D 耐魔力C
宝具C~A+ 人形製作B 人形操作A 単独行動B
上には書きませんでしたが、完璧な人形を作るための研究の過程で、人体の
構造にも知悉してますので、外科医の真似事くらいならできます。もっとも、
実際にオペを執刀するのは上海人形達かもしれませんが……。無論、錬金術や
薬草学の心得も、魔女の嗜みとしてありますので、一家にひとりほしい逸材かも。