『東方聖杯綺譚』~その6~
「これより、我が剣は貴殿と共にあり、貴殿の運命は私と共にある。
ここに契約は完了した。マスター、下知を」
突然意味不明な非日常的状態に巻き込まれた人間のとれる選択肢は、存外
多くない。
その意味で、士郎のとった行動は、決して的外れというわけではないだろう。
「えーと……君、誰?」
「――は?」
"セイバー"と名乗った少女の、年若いながらも凛々しく引き締まった顔つきが
一気に崩れて、呆然とした表情を浮かべる。
そのギャップの大きさに、さすがに鈍チンの士郎も、どうやら自分が
とんでもなく間抜けな問いを発したらしいということに気づく。
もっとも、覆水盆に返らず。今さら「タンマ、いまのなし!」と言うわけにも
いくまい。それに聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。自分が知らない――
わからない事は、人に聞くか調べるしかない。
(と、とりあえず、ひとつひとつ確認していこう、うん)
「えーっと、君のことは、"セイバー"と呼べばいいのかな?」
「はい。真名はほかにありますが、この場ではそうお呼び下さい」
「うん。で、その……君は、人間じゃないのか、もしかして」
士郎としては、相当気を使った質問のつもりだったが、相手は無造作に頷いた。
「当然です。私は、聖杯によって顕現するサーヴァントなのですから」
胸を張ってそう答えると、少女はふと、小首を傾げた。
「……どうやら、イレギュラーな召喚だった様子。マスターは、この聖杯戦争に
ついて、詳しく御存じないのですね?」
「あ、うん……何が何やらサッパリ、って感じだね」
士郎は、これ幸いと頷く。
年下の(外見上だが)少女に、自分の無知を表明するのは、あまり威張れた
ことではないだろうが、変な見栄を張ってもしかたがない。
「そうですか……では、緊急時ですのでごく簡単にだけ説明しておきます。
これは"聖杯戦争"と呼ばれる争い、殺し合いです。7人の魔術師と、それと対と
なる7体の英霊――サーヴァントがコンビを組み、自分たち以外のペアを抹殺
することで聖杯を手にし、自らの願いをかなえます。マスターはその7人のうち
のひとりに選ばれました。そして、先程マスターに襲いかかって来たのが、
サーヴァントのひとり。どうやら、ランサーのようですね」
最小限の要点だけ告げると、少女――"セイバー"は、扉の方をにらみつける。
「では、これより敵の殲滅に移ります」
「え? え?」
いざ、と言うより早く、"セイバー"は倉を飛び出していった。
「ま、待つんだ、"セイバー"!」
遅まきながら、士郎は少女の意図を理解し、自分も倉から走り出る。
(クソッ、聖杯戦争……殺し合いだって!?)
確かに、あの槍の男は士郎を1度殺したし、さっきだって"セイバー"が来て
くれなければやられていただろう。
けど、いくら"剣の担い手(セイバー)"だからって、あんな年端もいかない少女が
あの超絶的な槍の使い手に敵うはずがない。
彼女が――命の恩人である"セイバー"が殺される前に、何とか戦うのを止め
なければ……そんな思いを抱いて庭に出た士郎だが、予想から大きく外れた光景
に、己が目を疑った。
槍の男ランサーと、剣を持つ少女"セイバー"は、彼が思ったとおり戦っていた。
ただ、士郎の危惧とは異なり、"セイバー"の側がむしろランサーを押しているのだ。
それも、セイバーが巧みな剣さばきで、ランサーの豪槍を受け流しているわけでは
ない。
ガンッ!
ギィインッ!
ザリッ……。
「クッ……セイバー! そんなチビっこい身体のクセして、どこにこんな馬鹿力が
ありやがんだ!?」
ランサーの言葉どおり、真正面からの打ち合いで、文字どおり少女のほうが、
槍兵をねじ伏せようとしているのだ。
「日々の鍛錬を欠かさなければ、この程度はたやすいことっ!」
"セイバー"が反論したが、ちょっぴり語調が荒い。どうやらチビと言われたことを
内心気にしていたようだ。
しかしながら、ランサーの言い分ももっともだった。
どのような修練を積めば、身長150センチにも満たない華奢な少女が、
180センチを優に越える逞しい青年を真っ向から押し返せるというのだろう。
よほど人並み外れた……どころか、それこそ人外異端な修行をしてきたとしか
思えない。
だが、いまの問答で、ほんの一瞬だけ少女の剣先にブレが生じた。
その隙を見逃さず、青い槍兵は巧みに剣をかわし、恐るべきスピードで一気に
塀の近くまで後退する。
「よぉ、提案なんだけどよ。今夜はここでひとまずお開きってことにしないか?
ウチの腐れマスターは帰って来いってうるせぇし、お前さんのマスターも事情が
飲み込めてないみたいだしな」
「断る! 私は"セイバー"としてマスターの身を護る義務がある。ならば、拠点を
知られたお前を生かして帰す道理はないっ!」
「やれやれ……そうかよ」
瞬時にランサーの目の色が変わる。先程までの戦いを楽しむ武人の目ではない。
それは、冷静に敵を追い詰め、全力をもって屠る、熟達した狩人の目だった。
「ならば、食らいな……」
紅い槍が、いまにも音をたてそうな勢いで、周囲のマナを吸い込む。
「ゲイボルグ(刺し穿つ死棘の槍)!!」
士郎の目に奇妙な光景が映った。
ランサーの投げた槍が、一直線に"セイバー"の左胸に向かって飛んでくる。
それを少女はなんなく剣で弾いたのだが、弾き落とされるはずの槍が奇妙な
形に折れ曲がり、その穂先が止める間もなく彼女の胸に突き刺さったのだ。
「"セイバー"ーーーーっ!!」
ガクリと片膝をついた少女は、しかしまだ意識を保っていた。唇の端からひと筋の
血を垂らしながも、剣をついて立ち上がろうとする。
「まさか外した……いや、効いてねぇのか?」
「効いてはいるよ……だが、生憎私の身体も特別製なんだ」
血の混じった唾をペッと吐き捨てると、少女は再び剣を構える。
「チッ、本気で人間離れしてやがる」
必殺の一撃を交わされたことが不満なのか、ランサーは不機嫌そうだが、それでも
あえて衛宮邸から抜け出すことを選んだようだ。
一挙動で塀に飛び上がり、捨てゼリフとともに姿を消す。
「あばよ、つぎこそお互い全力でやりあおうぜ」
そのまま鮮やかに闇の中に消える……つもりだったのだろうが、塀の外から
横殴りに飛んできた魔力の塊り(ガンド)が、それを許さない。
「ぐがはわっ!!!!」
とんでもなくカッコの悪い悲鳴……というより絶叫をあげながら、ランサーは
ほうほうのていで逃げて行った。
「やれやれ。詰めが甘いですよ、白玉楼の庭師」
ランサーに代わって、塀の上に姿を見せたふたりの女性のうち、背の高いほうが
"セイバー"に向かって呆れたような声を投げかける。
「! おまえは……紅魔館のメイド長!!」
旧知の仲なのか、"セイバー"は驚きの声を上げた。
「やはり貴女が"セイバー"として召喚されたのですね。まぁ、十分予測の範囲内
ですけど」
「なぜ、あなたがここに……そうか、あなたもサーヴァントとして!?」
「えぇ、その通りよ」
瀟洒なメイド――十六夜咲夜の答えとともに、ふたりのあいだの緊張感が高まる。
が。
「あれ? 遠坂じゃないか。どうしたんだ、こんな夜遅くに」
……ひとりの物知らずのおかげで、緊迫した雰囲気はだいなしだった。
「こんばんは、衛宮くん……」
一方、そんな呑気少年に声をかけられた同級生――冬木市のセカンドオーナーに
して天才魔術師を自認する少女、遠坂凛は、異様に穏やかな声と笑顔で挨拶をする。
極上クラスの美少女が、滅多に見られぬ満面の笑みを浮かべているのにも関らず、
士郎の背中には、とめどなくイヤな予感がはい上がってくる。
(ま、マズい……なんだか知らないけど、凄く怒ってる……)
「え、えーと……と、とりあえず、こんなところで立ち話もなんだから、よかっ
たら上がっていきなよ。お茶くらい入れるから」
(ふーん、自分の"陣地"に引き込もうってワケ……)
ほんの一瞬考え込んだのち、凛は決断を下す。
「……ええ、ぜひ上がらせていただくわ」
「マスター、それは!」
「凛お嬢様、よろしいのですか?」
ふたりのサーヴァントは、違う意味で狼狽し、各々の主に再考を促す。
しかし……。
「あら、それじゃあ、私もご一緒してよろしいかしら?」
予想もできなかった新たな声に、4人は振り返る。
いつの間にか、母屋の縁側に金髪の少女が腰かけていた。
「あなたは……」
「七色の人形遣い!?」
どうやら、彼女もサーヴァントふたりの知り合いのようだ。
「すいません、先輩、夜分遅くに……」
その後ろから、今ごろ藤村邸で眠っているはずの士郎の後輩、間桐桜が
申し訳なさそうに顔を出す。
この夜を境に、事態は、聖杯戦争関係者たちの予測もつかない形で転がり
始めるのだった。
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<後書き>
事前予告に反して、今回はコメディ色が強めですね。
ついに、桜のサーヴァントまでも登場!
魔法の森のあの人です。
正直、最後まで、紫とどちらにするか悩んだのですが……物語の
都合と整合性から、彼女に決まりました。
彼女と桜の逸話は次回のお楽しみということで。
よろしければ、ご期待ください。