『東方聖杯綺譚』~その20~
「じゃあね~イリヤちゃん、よかったらウチにも遊びに来てね~!」
賑やかな晩餐ののち、食後の休憩にお茶とデザートまでしっかり食べて
ゴキゲンな虎は年不相応に陽気でカルい挨拶を残して帰っていった。
どうやら、イリヤのことがかなり気に入ったらしい
「あはは、おもしろい人だったね、イリヤ」
「まったく、騒々しい女性ね。タイガには淑女の嗜みというものが必要だわ」
「……とか言って、イリヤも満更じゃないんでしょ? 口元がニヤけてるわよ」
慌てて口元を押さえ、ハッと傍らのサーヴァントを見る白い少女。
「萃香!」
「はいはい。さて、一段落ついたところで、そろそろ今日のメインディッシュ
らしいわよ」
「え!? まだ、食べるの!?」
たしかに、士郎たちの作った料理は素晴らしく、イリヤもいつも以上に食が
進んだことは否定しないが、さすがにこれ以上は……いや、大河たちとの歓談
―じゃれ合い、とも言う―で、小腹が空いた今なら、多少は入るかもしれない。
「なーに、ボケたこと言ってるのよ、イリヤスフィール」
先程までと同じようでどこか違う萃香の声質に、ハッとイリヤは我を取り戻す。
「それじゃあ……」
「そ。今日の訪問の本題――バトルよ」
* * *
衛宮邸の庭にふたりが足を踏み入れると、そこはすでに先程までとは空気の異なる、
異界と化していた。
「これは……紫の結界?」
「そうよ」
空間にパクンと開いたスキマから、金髪の人妖が顔を出す。
「て言っても、誤解しないでちょうだい。最初に言ったとおり、私はイリヤちゃん
たちに手は出さないわ。
あくまで家が壊れるのがイヤだったから、隔離させてもらったまでよ」
「じゃあ、私たちの相手は……」
「えぇ、士郎くんや妖夢たちがお相手する、ということね」
招待主なんだから、当然でしょう? と微笑む紫の顔を、イリヤは不審げな顔で
見た。
「紫、あなたは萃香の実力を知っているんでしょう? お兄ちゃ…シロウたちの
ことが心配じゃないの?」
「あら、どうして?」
「だって、萃香(バーサーカー)と正面から戦って勝てる相手は貴女くらいだって……」
どこか憮然とした雰囲気のイリヤを見て、クスクスと人の悪い笑みを漏らす紫。
「確かに、ここが幻想郷で、いつもの萃香や妖夢たちなら、たとえ3対1でも
勝ち目は薄いわね。でも……きっと大丈夫よ。なんたって士郎くんや桜ちゃんたちも
いるんだから」
そのときは、いつもの親馬鹿発言かと思い、気にもとめなかったのだが、イリヤは
後々それを後悔することになる。
* * *
結界に包まれた庭の端と端、およそ10数メートルほど離れて、二組の陣営は
対峙した。
左から1列に、士郎、凜、桜が並び、各々のマスターを護るように、そのサーヴァント
たちが前で身構える。
そして、それと向かい合って立つ、同じくらいの背丈の小柄なイリヤと萃香。
数のうえでは、6対2と圧倒的に前者が優勢なはずなのだが、後者のほうが格段に
リラックスしている。
「それじゃあ始めましょうか、シロウ、リン、サクラ」
いったん戦場に立てば、無邪気で愛らしい少女の顔は消え、冷徹にして残酷な
アインツベルンの魔術師としての貌が表に出る。
否、彼女はあくまで無邪気ではあったし、愛らしくさえあった。
ただし、普段―と言っても、彼女の本当の"日常"については知りもしないのだが―は
表に出さない狂気と紙一重の目的意識が何者にも優先され、そしてその目的のためには
殺し合いさえも厭わないというだけのこと。そのあたりの意識の切り替えは、魔術師と
して、見事と言えた。
「でも……今回の素敵な晩餐に免じて、お兄ちゃんたちの命だけは保証してあげる。
サーヴァントが消えたあと教会に駆け込めば、それ以上手出しはしないと誓うわ」
それは本来、願ってもみない申し出。
しかし……。
「ごめん、イリヤ。俺達もひとつ提案があるんだ。俺たちマスターも、妖夢たちの
援護のために戦闘に参加する。でも、イリヤは直接手出しをしないでほしいんだ」
スッと少女の目が細くなる。
「それじゃあ、できるだけ気をつけるけど、命の保証はできないわよ?」
「構わない。その代わり、俺達はイリヤ自身を直接攻撃しないと誓う」
聖杯戦争の常識からすれば、それは馬鹿げた約束。
何しろ、サーヴァントよりマスターを狙ったほうが、勝利を得るのは
ずっとたやすいのだから。
しかし、この場にいる4人のマスターに対しては、確かな効力も意味も持つ
重要な取り決めであった。
イリヤは士郎から視線を逸らし、凜と桜の方に目をやる。
「お姉ちゃんたちもいいの?」
片方は決然と、もう片方は怖ず怖ずと、という違いこそあれ、姉妹も肯定の
意志を表す。
「――了解するわ。でも、それなら……」
僅かにイリヤの瞳の色、いや輝きが変わった。
「手加減はしない。酔(くる)いなさい、萃香(バーサーカー)!」
「へーっ、いいんだ? ま、私としては願ったり叶ったりだけど」
戦いの緊張感とは無縁トボケた口調のまま、鬼の娘は腰の瓢箪を取り、口をつけて
一気に煽る。
「「「!」」」
いきなり、萃香の雰囲気が変わる。
そのヘラヘラした笑顔も、フラフラした足取りも変わらぬまま、先程までとは
明らかに異なる、息苦しいほどの気の圧力が吹きつけてきた。
「行きなさい、咲夜!」
「妖夢、頼む!」
「お願い、アリスさん」
間髪を入れずに、凜たちもまた、サーヴァントたちに戦闘開始の指示を出していた。
* * *
それは、一瞬の出来事だった。
3人の中で前衛を務める妖夢が、恐ろしい速さで10メートルの間合いを詰め、
その手にした長刀、楼観剣で切り伏せる……その直前に、萃香の鬼気が爆発的に
脹れ上がる。
咄嗟に左に避けた妖夢のいた場所に、巨大な拳が振り下ろされ、ズグンという
激しい振動とともに地面が大きく陥没する。
先程まで11、2歳の外見相応の背丈しかなかったはずの萃香は、一瞬にしてその3倍、
4メートル近い巨人に変貌していた。
もっとも、いわゆる"鬼"の名前にふさわしい化物に変わったわけではなく、容貌
から頭身までまったくいつものままで、ただその大きさだけが変わっているのが
シュールだ。どのような仕組みなのか、服装までもまったく同じなのだ。
そして、クレイジーなことにそのスピードも、まったく変わっていない。
普通、巨体のものなら少なからず動作が鈍く、そこが弱点にもなるものだが……。
もっとも、萃香の場合、その身体を構成しているのは自身の気なのだから、それも
道理と言えよう。
『悪いけど、手加減なしだから……死んでも恨まないでね?』
さきほどまでとまったく変わらぬノンキな口調だが、頭が割れるような大声だと、
流石に迫力が段違いだ。
『あぁ、でもあんたは半分死んでるんだっけ?』
「失敬な! 半人半霊と言ってもらおう!!」
減らず口を返しながらも、さすがに妖夢に余裕はない。
無論、他の2体に――そして、その主(マスター)たちにも。
(残念だけれど、これで終わりだよ、お兄ちゃん)
イリヤはすでにそう確信していた。
* * *
戦況は、一見、初めての邂逅時の再現のようにも見えた。
最前線に立つ妖夢が斬り込み、中衛から咲夜が投げナイフで援護し、後衛に位置する
アリスが術で3人のマスターを守りつつ、時折、牽制の魔術を放つ。
もっとも、萃香が酔(くる)い、巨大化しているぶん、さら不利な戦いに思えた
だろう……素人目には。
そう、もし、あの夜の再現ならば、さらに強大になった萃香に、妖夢たちは手もなく
追い詰められているはずなのだ。それがまがりなりにも互角に近い闘いを維持できて
いるのは、無論カラクリがある。
巨体の萃香が振り回す岩塊が妖夢に直撃した……と見えた瞬間、それが残像だった
とわかって、イリヤは頷いた。
「なるほど、そのイレギュラーが魔術で"強化"してるってわけね」
普通、サーヴァント級の能力の持ち主をちょっとやそっと強化したからといって、
さほど影響があるはずもないが、強化する側もまたサーヴァントであるなら話は別だ。
凜が五大元素使い(アベレージ・ワン)の特性を持つのと同様に、"七色の魔術師"の
異名を取るアリスは非常に多才である。幻想郷での恋敵が組む7×7の呪文式には
流石に劣るが、攻撃魔法特化型の想い人とは異なり、各種魔術をそつなく使いこなせる。
当然、身体能力の強化に類する魔術も心得ている。
しかも、今回は十分準備をする時間もあったため、特殊な薬物(咲夜たちは微妙に
嫌がったが、背に腹は変えられない)を使用したこともあって、強度、持続時間ともに
限界近くまで引き上げてある。
そこまで詳しい事情はわからないものの、イリヤにもアリスが強化しているだろう
ことは推察できた。
――いや、わざとそれに気づかされ、目を逸らされたと言うべきか。
戦いに手慣れた古強者なら、あるいは気づいたかもしれない。
3人の戦いが、立ち位置こそ変わらないものの、その実、先日とはまったく逆の
役割分担をしていることに。
前衛の妖夢の役目は、背後に立つ者を庇う盾、あるいは壁である。
両手の刀と驚異的な体運びをもって、萃香の攻撃をあるいは受け止め、受け流し、
回避する。
たった一発でも致命的なダメージを被ることは、先だって証明済みだが、
いまのところ"幻想郷一固い盾"は、その役割を十分に果たしていた。
そして中衛の咲夜の攻撃こそが現時点での要であった。
もし、萃香が酒を飲んで高揚していなければ気づいていたかもしれない。
無敵にも近いはずの自身が、少しずつダメージを受けていたことに。
凜にも伝えたとおり、咲夜の宝具は彼女の異能を活かした"技"そのものだ。
いくら妖夢の背後から攻撃しているとはいえ、彼女の腕前なら味方に当てぬように
"殺人ドール"や"夜霧の幻影殺人鬼"を使うことは不可能ではない。もっと言うなら
"プライベートスクウェア"で時を止めれば、萃香を無防備にすることは可能なのだ。
それをしないのはなぜか?
(クッ……さすがに…短時間とはいえ、これだけ連続して時間を止めるのは、キツわね)
仮に"プライベートスクウェア"を使っても、時間を止められたことに気づいた瞬間、
萃香は霧化し、物理攻撃は無効化、あるいは狙いを失うされるだろう。
ある意味矛盾した表現だが、彼女たちレベルになると、たとえ動くことはできず
とも、"周囲の時間が止まったかのように極度に遅くされている"のを知覚すること
くらいは十分可能なのだから。
だから、気づかれないようなごく短時間だけ、断続的に時間を止め続けていたのだ。
咲夜自身の投げたナイフが萃香に当たる、その瞬間にだけ。
無論、一発一発のダメージは低いが、0ではない。
萃香が攻撃に対して無敵を誇っているように見えるのは、攻撃が当たる瞬間に
身体を構成する気の密度を変えて素通りさせているからだ。
そのイカサマをさせなければ、徐々にとはいえダメージは蓄積されていく。
もっとも、咲夜ひとりなら、こんな戦い方をすれば、萃香を倒す前に先に
自分の魔力のほうが切れるか、あるいは致命的な攻撃を食らっていただろう。
そのことは、かつての幻想郷での戦いで証明されている。
しかし今回は、幸い共に戦う仲間がいる。マスターから、ある程度魔力も補給される。
だからこそ、こんな無茶もできるのだ。
だが、ここで運命のダイスは非情な目を見せる。
さきほどから、萃香の吐く炎の息吹を切り払い、小さな分身たちを薙ぎ倒し、そして
妖夢自身の身の丈ほどもある岩をはじき落としていた妖夢の剣、その長い方の楼観剣が
酷使に堪えかねたのか、みしみしと嫌な音を発する。
さらに、萃香のふるう巨大な拳をかわしきれずにガードした瞬間。
パキン………
鍔元でへし折れる。勢いを殺しきれなかった妖夢の身体は宙を舞い、士郎たちが待機
している場所まで、ふっ飛ばされた。
「ふふ、なかなか頑張ったみたいだけど、まずはひとり脱落ね。短い方の剣はまだ
無事みたいだけど、それ一本じゃ……」
年齢に似合わぬ妖艶な仕草でイリヤが優雅に髪をかきあげ、降伏を勧告しようとした、
まさにその瞬間。
跳ね起きた妖夢が、これまで以上のスピードで萃香へと迫る。
その両手に剣を携えて。
「『え、嘘…!』」
異口同音に主従ふたりの言葉が重なる。
それでも反射的に萃香は妖夢の攻撃を防御しようと頭部を腕で庇った。
「いまよ! 全人形待機、解除(パペット・クリア・フリーズアウト)!!」
無敵の鬼娘に生じた刹那の隙。それを見逃さずアリスの指示が飛ぶ。
いつの間にか、萃香の足元には、アリスの宝具――8体の人形のうち、
蓬莱を除く7体が待機していた。
妖夢が盾、咲夜が削り役なら、アリスこそが止めの一撃を入れる役回りだったのだ。
(しまった、あの人形たちの全力攻撃!? ……でも、それくらいなら!)
萃香はとっさに過去の対戦を思い出し、十分に耐えられると踏んだ。
しかし、意外なことに、人形達はあの極大の光線を放たず、代わりに背中に背負って
いた何かを構える。
「全砲門連続発射(バレル・フルオープン)!」
6体の人形達が構えたものは……拳銃?
(どういうつもり? ヒトラーの黄金拳銃やキリツグのピースメーカーのような一流
の概念武装ならいざ知らず、そんな安っぽい銃なんか……)
混乱するイリヤの考えは、呆気なく裏切られる。
パンパンパンパン…………
拳銃にしては、妙に軽い発射音が連続して響く。
そう、まるで玩具の銀玉鉄砲のような――というか、そのものの音。
ただし、発射されたのは、銀玉ではない。
「いたたたたたた……こ、こうさん降参」
情けない声とともに、頭を抱えて逃げ惑う萃香。
大きさもいつもどおりイリヤ並に戻っている。
「な、なんなのよーーー!?」
想像を絶する光景に、イリヤは思わずムンクの「叫び」の如きシュールな表情を見せた。
* * *
「冗談かと思ってたけど……本当に効くんだなぁ」
「―そう、みたいね」
呆れたような士郎の声に、両方のこめかみを揉みながら、苦虫を噛みつぶしたような
顔で応える凜。
「あは、あははは……」
桜は、足元に転がってきた"流れ弾"を拾い上げて乾いた笑い声をあげる。
それは……よく炒った大豆だった。
-つづく-
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<後書き>
というわけで、本当にお久しぶりの20話です。
HDがとんで、東方関係のゲームデータが消えたり、仕事が忙しくなったりして、
なかなか続きを書けなかったので、もう皆さんお忘れかもしれませんが。
今回の戦い、最後がギャグっぽく見えるかもしれませんが、これは一種の
呪術様式、それも広く日本人みんなが知っている"鬼は豆をぶつけて追い払える"
という"信仰"に基づくものです。
さらに、素で豆を投げても、萃香に届くまえに吹き飛ばされるのがオチですから、
いろいろ手を尽くして、彼女の頭を一瞬パニック状態にし、棒立ちにしている
わけです。
さて、主の意に反して降参宣言してしまった鬼娘の処遇は次回のお話です。