『東方聖杯綺譚』~その17~
「ねえ、イリヤ、どうして急に引き上げたの?」
アインツベルンの城へと帰る途上、萃香(バーサーカー)が興味深げに自らのマスター
に問いかけた。
「……だって、つまんないんだもん」
しばしの沈黙ののちに返ってきたのは、先程士郎たちに見せた気品と迫力に満ちた
それではなく、外見相応のふて腐れた子供のような声だった。
「?」
「お兄ちゃ―ううん、あのセイバーのマスターは、サーヴァントも、協力者も、みんな
殺して奪って、絶望させてから殺すつもりだったのに……」
それが、サーヴァントを庇い、自らの命を投げ棄てるとは、大誤算だ。
「ふーん……あ、でもあの少年、もしかしたら助かるかもよ?」
「え……嘘……」
「ん~、だって、あの場にアリスがいたし、他のマスターふたりの魔力量も
かなりのものだったしね。何より、私の火を受けて死んでないだけでも、十分
大したものだけど」
萃香の言葉に考え込むイリヤ。
たしかに、マスターである士郎が死ねば、サーヴァントであるセイバーも
消滅し、その魂は小聖杯たる自分の中に吸い込まれるはずだが、いまのところ
その兆候はない。それは、つまり萃香の推測が正しいことを物語っていた。
イリヤは初めて"殲滅すべき敵"として以外の興味を彼らに対して覚えた。
「そういえば、あなた、あのサーヴァント3体と知り合いなのよね。一体何者なの、
あいつら?」
「ん? 言ったでしょ、宴会での顔見知り。まぁ、以前にやりあったことはあるし、
その時は私の圧勝だったけど……」
萃香はチラチラ腰のひょうたんを見ている。
「いいわよ、ちょっとだけなら飲んでも。でも、ちゃんと3体のことを教えて」
イリヤは溜め息をついて萃香に許可を出した。
萃香はホクホク顔でひょうたんを手に取り、口をつけて一気にあおる。
「プハーーッ、こういう寒い日は、やっぱり効くわぁ」
(あなたはたとえ真夏でも、やっぱりお酒を飲むんでしょうが!)
イリヤの冷たい視線に気づいたのか、萃香も少しだけ真面目な顔つきになる。
「えーと……そうそう、まず、私に斬りかかって来たセイバーは"魂魄妖夢"。
幻想郷の白玉楼で庭師兼護衛をやってる半幽霊の剣士ね。剣先は鋭いんだけど、本人は
激鈍。クソ真面目で猪突猛進。ま、周囲の玩具ってところかしら」
「――あのアーチャーは?」
「あれは、"十六夜 咲夜"。紅魔館の主である吸血鬼に仕えるメイド長で、通称
"悪魔の犬"。調理と片付けが得意で、見てのとおり投げナイフの腕前もちょっとした
ものだわ。あ、そうそう、特殊能力として"固有時制御"の真似事ができるみたい」
「固有時制御……」
そう呟いてうつむくイリヤ。
「ん? どうかした?」
「な、なんでもないわ。それで、アリスとか言うのは?」
「"アリス・マーガトロイド"。人間みたいに見えるけど、じつは魔界生まれの人魔の
類いよ。魔術師にして人形使い。一応、魔術師としては幻想郷で3本の指に入るって
言われてるけど、私に言わせればただの器用貧乏ね。ま、知識だけはあるみたいだけど」
「剣士と魔術師、それと固有時制御可能なナイフ使いか……。それで、あなたは勝てる
の?」
「言ったでしょ、私は以前3人とも楽勝で勝ってるって。まぁ、確かに3人連携して
こられると多少厄介だけど、それでも私の勝ちは揺るがないわ」
自らのサーヴァントの自信ありげな様子に、イリヤも微笑で応える。
「そう、ならいいわ。期待してるわよ、萃香」
* * *
「ごめん、みんな。迷惑かけた」
何とか回復して、妖夢に支えられながら居間にやってきた士郎が、集まった
仲間たちに頭を下げる。
「先輩は無茶し過ぎです。本当に心配したんですから……」
半泣き顔の桜に続いて、凜が辛辣な言葉を投げかける。
「まったくね、自分の行動の結果、何がもたらされるのかを、衛宮くんはもう少し
考えてから動くべきよ」
「いや、それは……」
「そうですね。士郎さんがあそこで倒れた場合、サーヴァントの妖夢も消滅。
その結果、残された我々の戦力もガタ落ち……という結果は見えていました」
「凜はともかく、桜もその時点で動転して戦力外でしょうしね。凜も、なんだ
かんだ言って、士郎の生死に気を取られるだろうから、100パーセント全力投球
ってわけにはいかないでしょうから。当然、ふたりのサーヴァントである私たち
にも影響は出るわ」
咲夜の言葉をアリスが引き取り、意地の悪い笑顔を見せる。
「そういう結果が予測できなかったとは言わせないわよ。さて、問うわ。衛宮士郎は
有罪(ギルティ)or無罪(ナットギルティ)?」
判事アリスの質問に、この場にいた陪審員は全員が「有罪」の札を上げる――いったい
いつの間に用意したのだろう?
"弁護人"と書いたタスキをかけた紫までが、有罪の札を上げているのはご愛敬だ。
「判決、有罪!」
どこからか取り出した木槌でちゃぶ台を軽く叩くアリス。
士郎はガックリと畳に両手をついた。
「うぅ……もう、勘弁してください」
「ま、お遊びはこれくらいにして……妖夢、言いたいことがあるんじゃなくて?」
紫にうながされて、妖夢は士郎の前に正座したままにじり出た。
膝詰め談判の体勢に入られたような気がして、士郎も居住まいを正す。
「士郎様。この妖夢、召喚されて以来、士郎様の剣となり、盾となるべく、日夜
粉骨砕身の努力をしてまいりました」
「あ……うん。俺なんかのために、妖夢はよくやってくれてると思う」
この際、妖夢を召喚したのが3日前だという事実は、双方頭にないらしい。
「士郎様、どうして、あそこで飛び出て来られたのです?」
「どうしてって……その、妖夢が危ないと思ったから」
「この身は幻想郷一固い盾。その盾が庇っていただいては、示しがつきません」
「いや、だって妖夢は女の子だし……」
士郎の言葉に、妖夢の顔が真っ赤になったのは、怒りか、それとも照れか。
「関係ありません! そもそも、武人たるものに長幼や男女の別など……」
「はいはい、妖夢も興奮しない。でもね、士郎くん。今のはあなたが悪いわよ」
意外なことに、割って入ったのは紫だった。
「え? ゆ、紫さん……」
「女の子だから守るというのは、とても士郎くんらしい言い草だけど、それを言って
いいのは、士郎くんがその娘より強い場合だけね。そうでなければ、ただの傲慢に過ぎ
ないわ。それに士郎くんが命を粗末にすれば、庇われた妖夢も、見ていた桜ちゃんや凜
ちゃんも悲しむと思うわよ?」
もちろん私もね、と付け加えて紫はお説教の言葉を結ぶ。
しばし、居間に沈黙が落ちた。
「ゆ、紫様が…まともなことを……」
うめくように漏らした妖夢の言葉を咲夜が引き継ぐ。
「――明日は雨かしら?」
「あなたたちねぇ……」
さすがにこめかみに青筋マークを立てて怒る紫。
「ま、まぁ、それはさておき。士郎は今後無茶を控えなさい、あなたが死んだら桜が
泣くのだから」
アリスが強引に話題を元に戻す。
「――わかった。今後、気をつける」
ちっともわかってない表情で応える士郎の様子に、周囲は諦め顔だ。
「それにしても、あのバーサーカーは反則ね。咲夜たちは、あれが誰だか知ってる
のよね?」
凜の言葉に咲夜が頷いた。
「はい、凜お嬢様。あれは……人の天敵たる鬼の末裔です」
「名前は伊吹萃香。鬼としての基本的な能力に加えて、"密と疎を操る程度の力"を
持っているわ」
「何よ、それ?」
凛が顔をしかめる。
「こちらの科学で言うところの分子間引力……とも、ちょっと違うわね。
簡単に言えば、あの小鬼は自分を含むいろんなものを集めたり散らしたり
できるのよ」
「お掃除とかに便利そうですね」
思わずトンチンカンな感想を漏らす桜。
「実際、博麗神社ではよく境内を掃除させられてたみたいね。問題は、自分の体を
構成する"気"を散らすことで、吸血鬼みたいに霧になったり、逆に3メートルを越
える巨体とそれに見合った怪力になったりできるってこと。そうなると、こちらの
物理的攻撃は極めて効きづらくなるわ。周囲の気を集めてから、それを散じることで、
クレイモア地雷みたいに指向性を持った魔弾をばらまくことも可能。さらに言えば
魔力と耐久力は底なし。正直、2度と敵に回したくない相手のTOP3に入るわね」
「それでは、私の斬撃が効かなかったのは……」
妖夢の推測をアリスが肯定する
「おそらく、切られた部分の密度をズラして、ダメージを殺していたのでしょうね。
水を切ってもロクにダメージを与えられないのと同じ理屈よ」
逆に密度を上げて、金剛石よりも固くなることも可能だと思うけど、と肩をすくめる。
「クッ……それじゃあ、打つ手はないってわけ?」
悔しげに歯噛みする凛を見て、アリスはニヤリと笑った。
「そうでもないわよ。私たち単独じゃ無理だけど、3人集まれば一応手だては考え
られるもの」
「「「「「え!?」」」」」
アリスと紫以外の全員の驚きの声が重なった。
「もっとも、相当に難しいことも確かだけど。綿密な打ち合わせと仕込みが必要ね」
* * *
冬木市郊外の森の奥深くにある、アインツベルンの城。
聖杯獲得を悲願とするこの一族が、馬鹿げた手間暇をかけて作った、聖杯戦争時に
その砦となるべき場所である。
聖杯戦争の参加者や一族の縁戚を除いて訪れる者などいないこの場所に、その日の
夕方、小さな来訪者があった。
重厚な扉に備えつけられたノッカーを叩く音に、掃除の手を止めて表までやってきた
イリヤ付きのメイドのひとり――リーズリットは、その小さな来訪者(メッセンジャー)
からの手紙を、真面目くさった顔で受け取った。
「……わかった。イリヤに渡しておく」
礼儀正しくペコリと頭を下げた来訪者――アリスの使い魔にして宝具たる京人形は、
ツィーーッと宙を滑るようにして、暮れなずむ森の中へと消えていった。
* * *
「あなたの言ったとおりみたいね、萃香。士郎たちから、招待状が届いたわ」
「へぇ、どうするの、イリヤ?」
「もちろん、招待は受けるわ。あなたは3人がかりでも、負けない最強の
サーヴァントなんでしょ? それに切り札の狂化もまだ見せてないし」
「ん~、ま、いいけど」
招待ってことは……お酒飲めるかなぁなどと、呑気なことを考える萃香。
いずれにせよ、彼女たちの再戦の時は近付いていた。
-つづく-
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<後書き>
何というか、この章はじつに難産でした。
バーサカは2連戦、というのは当初からの予定どおり。
難敵を抱えた状態で、得体の知れない相手にさらにケンカを売りにいくのは
アリスの流儀でも、咲夜の流儀でもない、と思ったものですから。
(妖夢の流儀ではあるかも)
次回は、場所を選んでの3人vs萃香戦。はたして、アリスの秘策は鬼相手に
痛痒するのか……ということで。