『東方聖杯綺譚』~その12~
「喜べ、少年。君の願いは叶う。
……ふむ。どうやら決着がついたようだな」
「決着って、何よ、言峰」
「先程からランサーとイレギュラーのサーヴァントが表で戦っているようだ。
あのイレギュラーのマスターは、お前たちの知り合いなのであろう、凜?」
「! 桜とアリスか!?」
言峰の言葉を聞くや否や、士郎は表に飛び出していった。妖夢がそのあとを追う。
それを傍らに見ながら、凜はあえて落ち着いた風を装って、言峰に尋ねる。
「それで、どちらが勝ったの?」
「ほぅ、お前は行かないのか、凜?」
「見に行くだけなら、いつだって出来るわ。加勢するにしたって、衛宮くんたちが
いれば十分でしょ。アンタは、ここで問い詰めとかないと、のらりくらり言い抜け
そうだしね」
凜の言葉に、言峰はククッと自虐的な笑いを見せる。
「――心外だな。まぁ、いい。勝ったのはイレギュラーの方だ。ランサーは
そのまま消えてしまったようだな」
何故だか愉快そうにすら見える言峰を、凜は不審げに伺う。
「何よ。勝ち抜く気がないにしても、サーヴァントがいなくなったってのに、
アンタ、それでいいわけ?」
「うむ、確かに、これで動かせる持ち駒が私にはなくなってしまったが、先程
言ったとおり、ランサーは他のマスターの情報収集に使っていたからな。
サーヴァントとマスター6組の手の内は掴めたから、私としては問題はない」
「貴方……」
先程から口を開かなかった咲夜が、僅かに眉を寄せる。
(それでは、最初から捨て駒にするつもりだったということですか……)
ラインを通じて咲夜の思考が伝わったのだろう。凜の視線も一層キツくなる。
「フ……そう恐い顔をするな。いずれにせよ、これでランサーがお前たちの邪魔を
する可能性はなくなったのだ。本来喜んでよいことであろう? 私としても、これ
以上介入する気は当面ない」
「……そう。なら、いいわ。アンタはせいぜい大人しく監督役を続けることね。
咲夜、行くわよ」
「はい、凜お嬢様」
もはや話すことはない、とばかりに言峰に背を向ける凜。その背を守るように
咲夜がつき従う。
だが、聖堂の扉の前で、凜は顔だけを言峰に向けて振り向かせた。
「――そうそう、さっき衛宮くんに言いかけていた、アレは何なの?」
「フム、何のことだ?」
「願いが叶う、とかどうとか言ってたじゃない」
大げさに肩をすくめる言峰。
「何、大したことではない。親子2代で目指している馬鹿げた夢の実現が
近づいたことを祝福してやったまでのことだ」
「アンタ、衛宮親子の"夢"を知ってるの?」
「ああ、勿論。あの少年の父親、衛宮切嗣とは古い顔見知りだったからな。
あの男の馬鹿げた妄想については、何度か耳にしたことがある」
「妄想って……」
「あの男の夢はな、凜。"正義の味方"になることなのだ。そういう馬鹿げた
代物を体現するためには、本人にとっての明確な敵―"悪"が必要であろう?
そういう意味では、この聖杯戦争は、まさに彼にとって好機であろうよ」
「……そう。わかったわ」
謳うような口ぶりで嘲笑う言峰に再度背を向けると、凜と咲夜は、今度こそ
教会を出て行った。
* * *
表にいた桜や士郎たちと合流したのち、一行はいったん衛宮邸へ戻ることに
決めた。本来はこのまま大聖杯を見に行く予定だったのだが、戦闘を行った
アリスとそのマスターである桜が魔力を消耗していたからだ。
幸い、半日も休めば回復するだろうから、大聖杯へ行くのは夜になってからで
構わないだろう。
「妖夢、よかったら道場につきあってくれないか?」
無事、衛宮邸に帰り着いたのち、中途半端に時間が余ったため、士郎は
道場で剣の鍛錬をすることに決めたようだ。
「構いませんが……何をなさるのですか、士郎様?」
「一応、我流だけど俺も剣で戦う方法を鍛錬してるからさ。折角だから専門家
に見てもらった方が上達するかと思って」
やや気恥ずかしげに頭をかく己れのマスターを、妖夢は好ましげに見やった。
「そうですか。それは大変よい心がけです。もしよろしければ、実際の打ち合いの
お相手も致しましょう」
「本当か? それは助かる。普段は素振りとちょっとした型の稽古くらいしか
できないからなぁ……」
和気あいあいと道場に向かう主従を、どこか羨ましげに見る視線が一対。
「あら、桜、ついて行かないの?」
「ひゃん!? あ、アリスさん、脅かさないでください」
「自分のサーヴァントの気配くらい読みなさいよ……で、どうなの?」
興味津々という顔つきで桜をつつくアリス。
「わ、私は武術の心得とかありませんし、それに……」
「別にいいじゃない、そんなの。それに、だったらなおさら、そういう戦いの
雰囲気に慣れておくべきじゃないかしら? まがりなりにも、聖杯戦争に参加
している以上、場の空気に竦んで動けない……じゃ済まされないわよ」
冷静な口調で諭すようにして、アリスは桜に"口実"を与える。
「そう……そうですね。私、行ってみます」
素直にその言葉に従うマスターを、アリスは一見真面目に、内心はニヤニヤ
しながら、見送った。
(うーん、幽々子や紫たちが、私たちのことからかってた気持ち、ちょっと
理解できるかも)
幻想郷の外であれ中であれ、他人の恋愛事が端から見ていておもしろい
ことに違いはない。
アリスとしては桜について行ってもよかったのだが、凜から幻想郷における
魔術のありかたについて説明を頼まれているので、彼女に割り当てられた
部屋へと向かう。
ピンポーン、ピンポーン!
その途中で玄関のベルが鳴らされたため、応対のために入り口へと向かった。
まさか、こんな馬鹿正直に尋ねて来る敵もいないだろうが、一応念のため、
魔術で相手を確かめ……ようとして、相手が誰だか気づき、慌てて扉を開く。
「あ、あなたは……」
ニッコリ微笑む相手を前に、アリスは絶句した。
* * *
「せいっ!」
一通り、素振りの型などを見てもらい、いくつか助言をもらったのち、
士郎は妖夢と竹刀での打ち合いをすることになった。
「木刀に比べて軽過ぎるのが難ですが、稽古のためには悪くありませんね」
どうやら幻想郷の剣術修行には竹刀というものがないらしい。そう言えば、
竹刀は江戸時代以降の剣術道場で考案されたものだと、何かで読んだ記憶が
あった。
――そして、士郎は、名も知らぬ竹刀の考案者に、深く感謝した。
パシーーーン!
「う……も、もう1本!」
「その意気です。いざ!」
さきほどから士郎の竹刀は、身体どころか妖夢の手にした竹刀にさえ触れる
ことなくかわされ、逆に頭頂部や肩、胴といった部位を打ち据えられているのだ。
無論、サーヴァントにして希代の剣術家でもある妖夢としては、相当手加減
してくれてはいるのだろうが、竹刀とはいえ、さすがに30回近く打ち込まれると
痛いのを通り越して、体力をごっそり削られている感じがする。
だが、相手をしてくれる妖夢は、士郎にアドバイスすることや、士郎が根性を
見せて立ち上がる様を見るのが、うれしくて仕方がない様子なのだ。
その笑顔が見たくて、ついつい立ち上がってしまう自分を、我ながらバカだなぁ
と思わないでもない。内心密かに苦笑してしまう士郎だった。
とはいえ、やはり人間の肉体には限界がある。
最初は数秒にも満たない打ち合いだったが、やがて10秒を越えて士郎が粘り、
会心の打ち込みを繰り出す。妖夢が初めて、その一撃を竹刀で受け、はじき返した
とき……士郎は足をもつらせて転んでしまった。
「今の打ち込みは、なかなかよかったです。立てますか?」
「あぁ、もちろん……って、アレ?」
踏んばるものの、足腰に力が入らずうまく立てない士郎。
「先輩、無茶ですよ。もう50回は倒されてるんですから」
ハラハラしながら見ていた桜が、涙目になって抗議した。
途端に、妖夢も「しまった」という表情になってうなだれる。
「す、すみません、士郎様。つい稽古が楽しくて、士朗様の体力のことを
配慮することを忘れていました」
正座してペコペコ頭を下げる妖夢を見て、士郎は「ああ、いいよ」と手を振る。
「妖夢が悪いわけじゃないさ。我を忘れてたのはこっちも同じだし」
「しかし……」
「それより、自分の方が情けないな。結構鍛えてたつもりなんだけど、
まだまだってことか……」
「「そんなことありません!!」」
妖夢と桜の声がハモる。
「先輩が毎日一生懸命訓練してたこと、私は知ってます」
「そうです。そもそも、私の打撃をあれだけ受けても士郎様が立ち上がれた
のは、無意識に急所をズラして外されていたからです」
「え、そーなのか?」
「はい。元よりこの身は白玉楼の庭師にして護り手。なまなかな妖怪変化くらい
なら、一刀の元に斬り捨てる自信があります。その私とあれだけ打ち合えるのです
から、士郎様は人間としてはかなり高い素質を持っておられると思います」
手放しで誉められても、ボロボロにされた身としては、いまひとつ実感がない。
「うーん……そうは思えないんだけどなぁ」
少年の謙虚さが、ふたりの少女の目にはより好ましいものとして映る。
何しろ、片や自信とプライドだけでいまひとつ実の伴わない兄を持ち、
片や実力はともかく努力や実直さとは無縁の主に仕えてきたのだから、
なおさらだ。
「先輩、ここはひとまず休憩してください。夜のこともありますし……」
「あ、そうか。大聖杯を見に行くんだっけ」
確かに、今これ以上体力を消耗するのは得策ではないだろう。
「ごめん、妖夢。せっかくつきあってもらって悪いけど……」
何とか身を起こし、道場の床に胡坐を組んで座った士郎が言いかけたところで、
思いがけない闖入者が登場する。
「士郎く~ん、お久しぶりィ!!」
間近にいた桜や妖夢が止める間もなく、現れた闖入者――二十代前半に見える
背の高い金髪女性が床の士郎に抱きついたのだ。
「「!」」
「え! え?」
ワケがわからず、自分を抱き締める女性を引き剥がし、その顔を見て、さらなる
驚きの声をあげる士郎。
「ゆ、紫さん!? なんで!?」
「あら、母親が自分の息子に会いに来るのが、そんなにおかしいことかしら」
「「は、ははおやーーー!?」」
* * *
「――どうぞ、粗茶ですが」
「あら、ありがと」
紫色のツーピース姿の美女が、給仕した桜にニッコリ微笑む。
さきほどの道場での騒ぎから、数分後。
あまりの騒がしさに、何事かと離れから出てきた凜や咲夜、玄関で応対した
アリスも含めて、一同は居間で話をすることになった。
「で、その……八雲紫さん、だっけ? 結局のところ、あなた、一体何者なの?」
いまだ事情がまったく飲み込めてない凜が、ズバッと直球を投げつける。
「紫さんは、親父の、その……愛人だった人なんだ」
「いやーねぇ、士郎くん。私のこと恋人に"お義母さんです"って紹介しては
くれないの?」
確かに、切嗣の生前、紫に「ママって呼んでいいのよ?」と何度となくからかわれて
いたが、それを覚えていたとは……士郎は頭痛がしてきた。
「だ、だ、だ、誰が恋人よ!?」
「そうです! 姉さんは先輩の恋人なんかじゃありません!」
「大体、紫さまが、なんでこちらにいるんですか!?」
もっとも、女性陣としては、引っかかったのはそこではなかったようだが。
「私もそのあたりの事情が知りたいわね、紫」
このままではラチがあかないと見た咲夜が、冷静に質問した。
「そうね。何から話そうかしら……」
少しだけ真面目な顔つきになった紫は、事の経緯を一同に語る。
10年前――前回の聖杯戦争で、士郎の義父、切嗣にサーヴァント"アサシン"
として偶然召喚されたこと。ただし、彼女の場合、"すきま"経由で引っ張られた
ため、本人が生身で来ていること。
ふたりで戦争を勝ち抜き、あと一歩というところで聖杯が破壊されたこと。
火災現場から士郎を助けたこと。切嗣と一緒に士郎を引き取ったこと。切嗣が
亡くなるまでは彼の愛人(本人は内縁の妻と主張)として、ほとんどこちらにいた
こと(たまに幻想郷に帰ってはいたようだが)。
士郎とも家族同然に接してきたこと。子供のころの士郎は本当にかわいかったこと。
士郎が最後にオネショしたのは9歳の……。
「待て待て待てーーーい! な、何語ってるんですか、紫さん」
「あら、だって、久しぶりに会った親戚の人とか、よくこういう話するじゃない?」
「誰が親戚ですか、誰が!」
「だって、あれだけ手塩にかけて育てた士郎くんが、親戚どころか他人みたいな
接し方するんですもの。ううっ……」
下手な泣き真似までする紫を見て、士郎は白旗をあげた。
「わ、わかったって。"義母さん"って呼べばいいんだろ?」
「うーん、"ママ"も捨て難いんだけど……まぁ、そのへんで手を打ちましょう」
二人の会話は、まるで士郎と大河との掛け合いを見ているようだが、士郎の方が
手玉に取られているのが、大河との違いだろうか?
「それで……3年近く会わなかった"義理の息子"に、わざわざこの時期会いに
来たからには、それなりの理由があるんでしょう?」
脱線しかけた会話をアリスが強引に戻す。
「もちろん。聖杯戦争なんてものに大事な息子が巻き込まれた以上、母として
全力をもって手助けしてあげなくては……」
両手を胸の前で握り締め、瞳をウルウルさせながら力説する紫だが、彼女の
トラブルメーカーぶりを知っている幻想郷のメンバーは、騙されない。
「――で、本当のところは?」
「こ~んなおもしろそうなイベント、士郎くんたちだけで楽しむなんて、
ズルいじゃない? ……あ」
咲夜の冷静なツッコミに、ポロッと本音をもらす紫。
「そんなことだろうと思ったよ……」
心なしか肩を落とす士郎。どうやら彼の女難の相は、幼いころから続いていたらしい。
「紫様、士郎様は私のマスターなのですから、あまりご無体なことは……」
恐る恐る意見する妖夢だが、無論彼女とて自分が言ったくらいで紫の暴走が
止まるとは思っていない。それでも、言わずにおれないのが、彼女の真面目な
性格を物語っている。
「コホン……。まぁ、でも子供のケンカに親がシャシャリ出るのも大人げない
からね。今回はサーヴァントでもないし、私はこの家の護りに徹することに
するわ」
とりあえず、紫がそう宣言したことで、この話はひとまずお開きとなった。
-つづく-
--------------------------------
<後書き>
すいません、またも公約破り。イリヤとの遭遇まで、話を持って行くことが
できませんでした。
知人にも指摘されたのですが、そういえばイリヤって、「昼間は戦わない」
ことにポリシーを持ってたんですよね。
それゆえ、一端衛宮邸に帰ることに。折角なので、もうひとりの
幻想郷の住人である御大にご登場願いました。
ちなみに、士郎にとっての紫は、士貴にとっての青子みたいなものです。
青子同様、紫も少なからず、士郎の前では猫被ってます。「ちょっと(かなり?)
悪戯好きだけど、母性的で優しい女性」だと、士郎は思っていますから。
人妖としての残酷さや非情さは、士郎には見せていないんですよ。ちょうど、
切嗣が"魔術師殺し"としての姿を士郎に見せなかったのと同様に。
さて、次回こそ、次回こそは、イリヤとの遭遇を書きます。
……書けたらいいな。<弱気