「ソイツで、何メートル先まで狙える?」
ハンティングライフルを取り出したリズに聞くと、短く「50メートル」と答えた。
そりゃラッキーだ、と俺は口元を曲げて笑った。
「リズは居残りだ、ここから撃って確実に敵を仕留めろ」
俺達がいる崖上の岩陰から、下にあるレイダーの根城の廃墟は、ざっと30メートルぐらいだ。
障害物さえなければ、狙い撃ちにできる。
「師匠は?」
「降りて助けに行く。それと、さっきの地雷もらうぞ」
そう言ってから、リズの革ジャンのポケットに手を突っ込んだ。
「ひゃん」とか変な声を上げるリズを無視して黄色い円盤を引き抜く。全部でたった三つだが、使える武器があるなら使わない手はない。
「あっ、あのね? 師匠……」
なにか言いかけたリズの声を、首を振って止める。
銃声が近付いている。キャラバンがレイダーの根城に追い込まれてきているんだろう。
「何かあったら、ちゃんと逃げろよ」
それだけ言って、俺は岩陰から飛び出し、レイダーの根城を目指して崖を一気に飛び下りた。
地面の着地に足のバネが軋む。
元になった人間のものよりずいぶんと頑丈なこの肉体は、4,5メートル飛び降りるぐらいなら骨が折れることはない。一ヶ月のウェイストランドの生活で、そいつは身に染みて分かっている。
最後のは、いらんこと言ったかな、と、少しだけ思う。
頼むからちゃんと逃げてくれよ。
こんなアホな意地で年頃の娘を危険に晒すとか、今でも罪の意識で心臓が張り裂けそうだってのに。
「うをぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
わざとらしく雄叫びを上げながら全力で駆ける。
俺のうすらデカい体が完全に隠れるような障害物はないし、そもそも目立つのが目的だ。
「ナニか来やがったぞぉッ!!」
廃墟の二階で警戒に当たっていたレイダーが、俺の姿に気付く。
手にした銃をこちらに向けながら、慌てて仲間に向かって注意の声を上げる。
「スーパーミュータントだッ!! 撃ち殺せぇーーーッ!!」
レイダーが叫ぶ。
殺人狂のサイコ野郎のクセに、そんなにビビるなよ。声が震えてるぞ。
廃墟の二階から、レイダー達の10mmサブマシンガンが一斉に火を噴く。
銃弾の雨が俺に向けて降り注いだ。
007:「……ちゃんと正義の味方だっただろ?」 とっさに腕で頭を庇いながら、俺は側に立っていた薄黒い木の影に身を隠した。
核戦争で煤でも浴びたのか、真っ黒に固まった木は銃弾に抉られて乾いた破片を飛び散らす。
「……チッ」
腕に何発か銃弾が刺さった。
遠目でハンドガンだったから単発のピストルを期待してたんだが、どっちもサブマシンガンか。
「死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!死ねッ!」
レイダーは喚きながら銃弾をばら撒いてくる。
キャラバンの挟撃を防ぐという、とりあえずの目標は果たしたが、次の手はどうするか。
遠距離の撃ち合いに向いた武器じゃないのは、リズにはいいニュースだが、レイダーの方に接近しなきゃならない俺にとっては酷なニュースだ。
「……頼むぞ」
俺の呟きに答えるように、崖上から銃声が響いた。
続けざまに三発……か、四発。
ボルトアクションが必要なハンティングライフルの射撃とは思えない、アホみたいな早撃ちだ。
「げひぅ!?」
「ギャッァ!!」
悲鳴が二つ上がった。
二階から俺を釘付けにしていたレイダーのうち、一人が頭に三つ目の穴を作って後ろに倒れ、もう一人が腕を押さえてよろめくのが見える。
「隠れてやがるぞぉ!! 崖の上だぁぁ!!」
生き残ったレイダーが、銃を拾い上げながら慌てて叫ぶ。
俺は、舌打ちしながら、取り出した地雷を崖上に続く道にバラバラに放り投げた。
頼むからリズを守ってくれよ。
「お楽しみを邪魔しやがてっ!! どこだぁッ! どこにいやがるぅぅっ!!」
直後、二階のレイダーの呼び声に答えて、新たなレイダー達が建物の影から駆けつけてくる。
キャラバンに攻撃を加えに向かっていたレイダー達が引き返してきたんだろう。
それはいい。これで、レイダーの襲撃を受けているキャラバンの生存率は一気に跳ね上がっただろう。
だが、出てきたのは最悪の面子だった。
レイダーが手懐けたらしい猟犬が二匹、10mmピストルを手にしたレイダーが一人。
それに、よりによって、火炎放射器を背負ったレイダーが一人。
「……くそ」
レイダーの猟犬共は真っ直ぐに俺の方を無視して崖上の道を駆けていく。
俺には選択肢はない。
真っ直ぐに火炎放射器を手にしたレイダーに向かって、全力で距離を詰める。
「ヒャハハハハハハァァ! 燃えやがれバケモノォォォォッ!!」
炎の舌などというには鋭すぎる、炎の鎚に胸板を叩かれるような凄まじい衝撃に上体が揺らぐ。
高熱で、皮膚の感覚は即座に焼き切れている。
噴射された燃料は即座に燃え上がり、俺の肉体の前面は炎に包まれた。
口を堅く閉ざす。息を吸い込めば、即座に内臓まで綺麗に焼き焦がされるだろう。
目を薄く閉じる。目を見開いたままにしておけば、目の水分を一気に奪われ視界は一瞬で奪われるだろう。
真っ当な人間なら、藁束のごとく景気よく燃え上がることだろう。
だが俺はスーパーミュータントだ。
「燃えろ!燃えろ!! 燃えろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおっっ!!!」
半狂乱で喚き散らすレイダーの首を、俺の手が掴む。
俺の手に触れられた皮膚が焼けて、レイダーは意味不明な悲鳴を上げた。。
犬のように容易くレイダーの首の骨を砕く。同時に、俺の胸を焼いていた炎の奔流は止まった。
◆
後方で、爆発の音が上がった。
一回。
俺はとっさに振り返る。俺が撒いた地雷は二つが爆発していたが、一つはそのまま地面に転がっていた。
一匹の猟犬は、足を吹き飛ばされて地面に転がっている。
だが、生き残ったもう一匹の猟犬が、真っ直ぐに崖上への道を駆け上がっていくのが見えた。
「畜生、この……」
獣を殺すためではない、人を殺すために躾けられた猟犬だ。
リズはソイツを迎え撃てるか?
今から全力で駆け戻れば、あのイヌを止められるかもしれない。
不意に、視界が激しくぶれて、音が消える。
こめかみに激痛が走る。銃弾が頭にぶち当たったのだと気付いたときにはとっさに頭を庇っていた。
「ハッハーッ! そのまま動かないで立ってろぉぉッ!」
ひきつったような笑い声と共に、至近距離から10mmピストルの連射が襲ってきた。
くそ、さっき来てたもう一人か。
火炎放射器使いを殺したところで油断して、馬鹿みたいに突っ立っていた自分を恨む。
「犬が行ったぞぉぉぉぉっ! お前は犬だけを狙えっっ!!」
リズの耳に届くように、全力で叫ぶ。
同時に、至近距離で未だトリガーを引き続けていたレイダーを腕に捕らえた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 離せぇぇええええ! バケモ……ぎぃぃ、ひぎっっ」
叫ぶ喉を腕で押さえ、地面に押し倒す。
そのまま腕でレイダーの喉を地面に押し付け、喉ごと首を潰した。
「くそ、まだ相手はいるってのに……」
足がふらつくのをなんとか押さえながら立ち上がる。
体が上手く動かないのは、体の前面を覆っている火傷のせいだ。
火炎放射器で噴き付けられた燃料は燃え尽きたものの、火傷の痛みを防ぐために感覚が焼き切れたままなので、肉体の感覚がうまく掴めない。
「畜生! 死ねぇぇぇッ!!」
二階から、10mmサブマシンガンの銃弾が降り注いできた。
俺はとっさにレイダーの死体を持ち上げて盾にした。肉が銃弾に埋まる不快な音が連続で上がる。
「オラ!オラッ!オラッ!オラァッ!オラァッ!オラァァァ!」
銃弾に合わせてだらりと垂れたレイダーの首が跳ねて、軽い衝撃が腕を押す。
不味いのは、どれくらい銃弾を受けているかが把握できないことだ。
さっきから視界がぼやけっぱなしだ。頭にこれ以上喰らったら、間違いなく不味いことになる。
崖上で銃声が上がった。ハンティングライフルじゃない、10mmピストルの銃声が、連続して三発。
二階にいるレイダーを狙ったものじゃない。たぶん、崖上でリズが戦ってるのだ。
「……すまん」
祈るような気持ちでそう呟くと、俺は死体を抱えたまま廃墟に駆け込んだ。
レイダーが崩れた資材を積み重ねて作った階段を駆け上がり、二階のレイダーまで一気に近付く。
手足に受ける衝撃は、盾にした死体を逸れて俺に当たった銃弾だろう。
「くそがぁ! 死ねよ! なんで死なねぇぇ!! ふざけんなよチクショウッッ!!」
10mmを連射しながらレイダーが叫ぶ。
後ずさりした背中が、奴等に拷問されて鎖で吊るされた旅人の死体に当たる。
ぶらぶらと、首の無い死体が揺れる。
「ふざけてんのは手前らだろうが」
俺は、手にしたレイダーの死体を喚き散らすソイツに放り投げた。
死んだ肉の塊に弾き飛ばされて、レイダーが床板を転がり、二階から一階の瓦礫の山の上へ落ちる。
落ちた先は、運の良いことに薄汚れたマットが見えた。壁なんてとうに崩れた瓦礫のマットは変色してボロボロになっていたが、なんとか下に落ちたレイダーを生き延びさせていた。
俺は床板を蹴って地面に着地した。
頭を狙って、足を振り上げる。
だが、レイダーは一階まで転がり落ちていながらも、手の中の10mmサブマシンガンを落としていなかった。
「死ねぇ!死ねぇ!死んじまえぇぇぇーーっ!!」
仰向けに転がったまま、10mm弾を連射する。
俺は、そいつを至近距離からモロに喰らって、地面に転がった。
不味い。
顔を上げると、目の前でレイダーが10mmサブマシンガンの弾装を入れ替えていた。
感覚の無いままただただ軋む膝を折り曲げて、俺は必死に立ち上がる。
レイダーが弾装を入れ替えて、10mmサブマシンガンの銃口を俺に向ける。
乾いた銃声が遠くから響いた。
こめかみに風穴を空けたレイダーが横倒しに倒れる。
「当ったり-」
能天気な声が、崖上から降ってきた。
見上げると、岩陰からリズが手を振っているところだった。
俺がぞんざいに手を振り返すと、器用に岩に手を掛けながら、崖を真っ直ぐに降りてくる。
俺は息を吐いて、壁に手を突きながら立ち上がった。
「運がなかったな」
地面に倒れたレイダーは、開いたままの目を中空に向けたまま、俺の声に答えることはなかった。
◆
驚いたことに、銃声はまだ続いていた。
大方、援護を期待したレイダーの連中に釘付けにされているんだろう。
だが、予定を過ぎてもやってこない援護に、レイダー共はそろそろ焦り始めている頃だ。
「……助けに行ってくる。どうせ乗りかかった船だ」
俺はそう言って、銃声の方に歩き出した。
視界はまだぼやけているが、手足の感覚は大分戻ってきた。痛みがあるんだから、きっとそうだろう。
拳を握ったり閉じたりしてみてから、廃墟の瓦礫の山に転がっていた木の棒を拾い上げる。
「師匠は待ってて! 私が行ってくるからっ!!」
そんな俺の行く手を、リズの腕が塞いだ。
「アホゥ」
俺は、その頭を手の平で押されて横にどかす。
軽い身体はあっさりと横に退かすことができた。
「逆だろうが。お前は……」
言いかけて、口をつぐむ。
一匹、猟犬を向かわせちまったのは明らかに俺の判断ミスだ。
しかも、さっき助けられたのは間違いない。
リズが、無言でじっと見上げてくる。
俺を責めている目じゃない。なんとも堪えることに、縋るような目だ。
その視線に耐え切れず、俺は視線をそらして答えた。
「……お前は狙撃を頼む。俺は前だ。できるな?」
言いながら脇を駆ける。
今は戦闘中だ。どっちにしろ、言い合いしている時間は無い。
「うん!」
やっちまったな、と思いながらも、後ろから駆けて来る小さな足音に安心感を感じてるんだから救いが無い。
俺は銃声が交差している崩れた高架前へ、真っ直ぐに走った。
キャラバン相手に撃ちまくっていたのは、アサルトライフルを手にしたレイダー二人だった。
上半身にレザーを巻きつけた、裸同然のなんとも知れない衣装で、5.56mm弾を派手にばら撒いている。
狙われているキャラバンは、傭兵の男と、キャラバン用に荷物を背負った移動用の家畜・バラモン。
それに、キャラバンの主らしい若い男の三人だった。
驚くことに、傭兵が必死にライフル一丁でレイダーに応戦しているというのに、そいつは手にした銃を使わずに頭を抱えてバラモンの影に隠れている。
俺は呆れながらも、手にした棒切れを持ち上げてレイダーに向かった。
いや、向かおうとした。
すぅ、と息を数音がした後、銃声が立て続けに二度鳴る。
間に入ったボルトアクションの音だけが、やけに白々しく聞こえる。
「……ん、当たり」
こめかみに32口径の銃弾を叩き込まれたレイダー達があっさりと地面に転がる。
どう見ても二人とも死んでいた。俺が駆け寄る暇も無い。
そりゃそうか。遮蔽物もクソも無いところで、こっちに気付かず撃ち合いしてたわけだしな。
リズにとっては格好の的だったことだろう。ちょっと腑に落ちないが。
俺は、手にした棒切れを捨てて、キャラバンの方に向かった。
正直に言おう。
このとき俺は、完全に気が抜けていた。
三倍以上の数のレイダーを倒して、問題が解決したと思い込んでいた。
この気のいい娘に会ってからなにもかもが上手く行き過ぎて、世の中を甘く見ていたと言っていい。
少なくともこの娘に会う前だったら、俺はこんな大きなミスを犯したりはしなかっただろう。
傭兵は、呆然と立ち尽くしていた。
無理も無いだろう。いきなり撃ち合っていた相手が、自分の銃弾ではなく、横から飛んできた脈絡のない銃撃であっという間に葬られたのだから。
当然、傭兵は驚きながらも、銃弾が飛んできた方を向く。
俺を視界に映した傭兵は、怯むように半身を後ろに下げた。
その目に映った恐怖に気付いた瞬間、俺は自分を罵りたい気分になった。
なに馬鹿な真似をやってるんだ俺は! このウスラ馬鹿野郎!! お前はこいつらが去るまで岩陰にでも隠れて小さくなってるべきだったんだよ!! この腐れミュータント野郎!!
傭兵が手の中のアサルトライフルを構える。
当たり前だ。目の前に人喰いのバケモノがいて、手の中に武器がある。やることは一つだ。
引き金が引かれて、至近距離から5.56mmの銃弾が叩き出される。
俺にできたのは、俺の後ろから無警戒に近付いていたリズをとっさに庇うことぐらいだった。
銃弾は脇から胸まで盛大に突き刺さり、その一発が、俺の額を激しく打ち据えた。
「ウルフ! これ以上は耐えられん! 逃げるぞ!!」
傭兵が叫んで、キャラバンのリーダーと共に駆け去っていく。
急速に視界がぼやけ、その背中も見えなくなる。
足の力が抜けて、視界がガクンと傾いた。
視界の隅に、リズが見えた。
手の中のハンティングライフルを、真っ直ぐにキャラバンの逃げた方へ向けている。
どんな表情をしているのかは、ぼやけて見えなかった。
俺は最後の力で、リズの胸を押した。
銃声が上がる。
火線が空に向けて放たれるのを見ながら、俺は意識を手放した。
◆
目を覚ますと、真っ暗な空が見えた。
そして、俺を見下ろしてくるリズの心配そうな顔。
ずいぶんソフトな枕だと思ったら、どうやら膝枕だったらしい。
しばらくぼーっとリズの顔を見ていると、ふと自分の言うべき台詞が思いついた。
「……ちゃんと正義の味方だっただろ?」
精一杯ニヒルな笑いを浮かべたつもりでそう言ってみる。
「うぅぅぅぅぅぅーー!」
返事の代わりは、ポカポカと俺の頭を叩く小さな拳だった。
<つづく!!>