──“冥魔”がホテル・アグスタ周辺に現れ出してから数分。
蒼き魔王が君臨する領域は、殺戮舞踏の一人舞台と化していた。
「……」
悠然とボトムのポケットに手を突っ込み、上空百メートルほどの位置に浮遊する攸夜。その足下には緑が広がり、無惨な死骸を晒した“冥魔”が次々に黒い砂となって消えていく。
多種多様、近年次元世界でも見られるようになった種類ばかり。それを蒼く、底冷えのする瞳で見下ろす攸夜の姿は、以前といささか異なったものになっていた。
“慈愛”、“賢明”、“剛毅”の三枚が連結し、完成した一枚の盾が左肩近くに。“信頼”、“節制”、“正義”の三枚一組が同様に左肩の空間にそれぞれ固定。そして最後に余った“希望”が長大化して、通常の半分ほどの長さの魔力翼の間に配置されている。──さながら、鳳が背後から覆い被さっているかのよう。
これが無限光の新たなカタチ、“アイン・ソフ・オウル強襲形態ライザースタイル”。
度重なるフェイトとの模擬戦で露呈したアイン・ソフ・オウルの弱点──「一度に複数の機能を発揮することが出来ない」ことを解消すべく編み出された形態である。
七枚全てを背後に配し、推進力を集めた“高機動形態ハイマットスタイル”よりも速力や空間戦能力は数段落ちるが、常に張り巡らされた魔力フィールドの防御力と、フレキシブルに稼働する二枚の盾と背中のバインダーが生み出す運動性はむしろ、近接戦闘を好む攸夜にお誂え向きと言えるだろう。
なお、ハイマットだのライザーだのの大仰な名称に意味はない。ただ単に「その方がかっこいいから」という理由で本人が呼んでいるだけだ。ネーミングの由来はお察しである。
スッと攸夜の左手が斜め前方の空に向けられた。
閃く蒼銀の魔法陣。
青いキャンバスにぽつんと零れた黒いシミ。それに向けて、蒼白い魔光が迸る。
刹那、鋭い爆光が天に轟き、膨れ上がる爆炎に巻き込まれた十数体の闇鳥があえなく消えた。
続けるようにして、攸夜は突き出した右手の中にバレーボール大の黒い球体を生み出す。“ヴォーテックス”、彼が牽制によく用いる“冥”属性の基本的な攻撃魔法である。
──が、今回はいささか趣が違うようだ。
「──“裂弾”」
パアン、と破裂して、ピンポン球サイズとなった無数の闇球が辺り一面の“冥魔”を無差別に襲った。
本来なら対象を包み込んで圧殺するヴォーテックスだが、これらは対象の躯を易々と貫通して致命傷を与えた。
“ヴォーテックス・スプレッド”──攸夜のオリジナルスペルの一つだ。
ヒトとして望まれた攸夜は、普遍であるはずの“古代神”では特例的に「成長」という概念を与えられている。故に彼は、より高みに辿り着くための努力を惜しまず、自らの魔法の改良にも余念がなかった。
とはいえ何百年もの間、第八世界の賢者たちが“世界”の陰で研鑽を重ねて今に至る“魔法”であるから、一朝一夕でどうこう出来るものではなく。せいぜい構造的にシンプルで、すでにいくつかの類型が存在したヴォーテックスの術式を改竄した程度ではあったが。
幼少のみぎり、近接戦で力を発揮した“ヴォーテックス・ランス改”や、小さな弾丸を無数に乱射する“ヴォーテックス・ガトリング”など、破壊力よりも使いやすさを重視した魔法が目立つ。
これはミッドチルダ式や近代・古代ベルカ式の応用力に、彼がインスピレーションを受けた結果だろう。誘導弾系統が見られないのは、自らの“箒”があれば事足りるから。そんな便利な魔法、主八界には最初からないという説もあるが。
補足として、フェイトとの「追いかけっこ」で見せた“ファランクスシフト”は異能で効果を拡大させたものであり、これらの範疇には入らない。
蒼い眼光が新たな獲物を捉えた。
空中を泳ぐ鮫のような化け物──ダークシャークが数体、バラバラに、しかし攸夜を挟み撃ちにしようという意志を顕わにして突進する。
腰の辺りに近づけられた徒手の両手に、投擲用のダガーが標的と同数が月衣から現出。指先で挟むように保持した。
一瞬、蒼白い魔力光が小刀を包み込む。
「──ッ」
無音の気合い。抜き放つモーションで小刀は両側面に振り抜かれた。
ひゅん、風切り音が鳴る。
指先を離れたダガーは、ただ投擲されただけとは到底思えない速度で的に命中。例外なく内蔵をぶち撒けた。
──“ディスチャージ”と呼ばれるこの魔法は、純粋な魔力だけよって物体の運動エネルギーを加速、投擲して攻撃する一風変わった魔法だ。
おもに刀剣類を媒体に用いて使用し、放つ物体の性質によってはディヴァインコロナ・ザ・ランスをも凌ぐ破壊力を発揮するとされる。さきほどはやてへのツッコミに用いたのもこれだ。
“こちら”でも同様の魔法が存在していて、たとえばなのはの“スターダストフォール”や、ヴィータの“シュワルベフリーゲン”、はやての“ブラッディダガー”などがそれに当たる。だが、純粋魔力攻撃が全盛である現状ではあまりポピュラーな系統とは言えないだろう。
なお、愛弟子であるキャロの投擲術は、彼が刀剣類の扱いとともに護身用として教え込んだものだ。血の滲むような特訓の後、「ダガー投げ準一級」の賞状──攸夜の手書き──を手渡したキャロがわんわん泣いていたのを攸夜はよく覚えている。訓練が終わったことがうれしかったという可能性について、あえて考慮に入れていない。性悪である。
「チ……、いい加減鬱陶しい」
その場から動かず、攸夜は射程圏内に存在する“冥魔”の殲滅を続ける。ぞろぞろと列を成す団体に、さしもの彼でもいささか辟易する。
この一帯に存在する数多の生命体の中で、彼ほど絶大な魔力と圧倒的な“プラーナ”を誇るものはいない。“冥魔”たちにしてみればそれは、新月の夜に焚かれた篝火のようなものだ。格好の標的と言える。
もっとも“ラグオル”喪失事件の時に比べれば物の数ではないが。脱出する住民三千万人の殿を務め、ボロボロになりながらも数百万の“冥魔”をほぼ単騎で殲滅したのだから。
「しかし妙だな」
襲い来る“冥魔”をあらゆる方法で機械的に処理しながら、ぼつりと疑問を漏らした。
瘴気が噴いていない。混沌から生まれた害毒の大気が。
次元の断層から漏れ出す漆黒の噴煙は、“冥魔”には付き物の現象だ。しかし、索敵要員であるシャマルからは瘴気を観測したとの報告は入っていなかった。
必ず発生する、というものでもないからさほど重要視する情報ではない、が──
つらつらと思惟を巡らせる間にも、破壊の洗礼は止まることを知らない。
、四角形に張り巡らされた結界内に超重力の闇が発生、捕らわれた闇の騎士などを一挙に押し潰す。巨大な振動が森の木々を揺れ、遙か遠方では鳥たちが空に逃げ去った。
その後も、攸夜は滞空したままで弓から放つ魔弾、あるいは降り注ぐ光剣など小・中規模の魔法だけで排除を続けていく。
あまり効率的な方法ではないが致し方ない。彼の“光”はまぶしすぎる。
この森の中、ディヴァインコロナやジャッジメントレイなどの巨大な熱量を生む大魔法で薙ぎ払えば、たちまち大火事になるのは自明の理だ。いくら植物とはいえ、彼らもこの世界に息づく立派な生命。破壊しか出来ないからこそ、攸夜は無意味な殺生を出来る限り回避していた。
「む……」
小さく唸る。視界の隅に、ひときわ禍々しい存在感を放つ異形──闇黒晶魔。水晶のような物質で構成された人型の中で、その意志を映すかのごとく気味の悪い光が乱反射する。
──大型種。
放置するには危険な相手だ。近くで戦っているであろう“半人前”たちがという意味で。
ここで初めて、攸夜が動いた。
やにわに二枚の盾から蒼銀の粒子が放射され、濃紺の姿が弾かれるように地上へと落下する。光のリング。物理法則を明らかに無視した急加速だった。
光が──、蒼い光が奔る。
冷たく蒼白い光は、恐ろしいほどの猛スピードで木々の間をすり抜けていく。
目にも留まらぬ光芒が通り過ぎた後には、事切れた“冥魔”の残骸が残るだけ。斬殺、圧殺、撲殺あるいは轢殺──共通するのは完膚なきまでに破壊されたという事実のみ。
背後、急速に肉薄する存在に辛くも反応した闇黒晶魔が、振り向きざまに腕を振る。腕部から飛び出した凶刃がギラギラと光った。
亜音速で接近する物体を迎え撃った反応は褒められたものだろう。
しかし、相手が悪かった。
不気味な結晶体の巨人の腕を易々と掻い潜り、蒼銀の猛禽が喉元に食らいつく。
「悪いな──、」
鋭い爪牙がおぞましく光る胸板に食い込むと、掌の中にきゅんと光が収束した。
それはまるで天で瞬く星々の輝き──
「強者と鎬を削るも愉しいが」
飄然とした表情が悦楽に歪む。攸夜は生粋の戦闘狂バトルジャンキーである。
掌から放たれる幾条もの星光が“冥魔”を貫く。
“スターライト”──貫通力の高いレーザーを発射する“天”の攻撃魔法だ。比較的火力の低いこれならば、火災の心配はない。
「──弱者を弄ぶのも嫌いじゃないんでね」
嗜虐的な文句を吐いて、すでに死に体の“冥魔”を持ち上げる。自身よりも遙かに巨大なそれを軽々と掲げた左手に、さらなる魔力が集まった。
握り込むと同時に解放された灼光が結晶の塊を無慈悲に焼き尽くし、爆炎が“羽根”の白き装甲に映り紅く燃ゆる。
異形のヒトガタは、跡形もなく砕け散った。
一流のウィザードでも苦戦は免れない闇黒晶魔も、“古代神”の力の前では呆気ないものだ。──例えそれが、なり損ないの“レプリカ”だとしても。
その“レプリカ”は、大地に足を着けて腕を組んでいた。
「……これは召喚、か?」
呟きは半信半疑。
しかし状況からみて、転送あるいは召喚魔法といった手段で“冥魔”を呼び寄せていると考えるのが自然だ。
──もっとも攸夜は、“冥魔召喚”などという芸当を終ぞお目にかかったことがなかったが。
「こういう時は元から断つのが定石だな。確かめに行くとするか」
意識的に広げた感知の網に引っかかる違和感を捉えて、攸夜は独り言ちる。敵の補給路を断つのは兵法の基本であるし、何より姑息な感じが好みだった。
「なのは、今から持ち場を離れて遊撃を開始する。少し気になることがあるので調査したい」
『──こちらCP、調査というのは?』
返答の声は努めて事務的。その主は指揮を執るなのはだ。
「“冥魔”の出方が妙だ。奴らを呼び込む協力者がいるのかもしれない」
『……了解しました。こちらでも調べてみます』
「よろしく」
軽薄な響きのする声色。通信の向こうから呆れ混じりのため息が聞こえてくるかのよう。
『ていうか』なのはの声色が素に戻る。ああ、これは怒ってるな、と攸夜は内心身構えた。
『攸夜くん、ちゃんと決めたとおりにしてくれなきゃだめじゃない。コールサインはライアーでしょう?』
「ああ、そうだったな。悪い、忘れてた」
『うそだぁ、わざとだよっ!』
おざなりな返事でぷんすか怒れる親友の追及をあしらう攸夜の背筋に、戦慄が走った。
──誰かが自分を視ている。明確な憎悪を込めて。強烈な殺意を向けて。
彼にしてみればそれは、かわいらしい子どもの癇癪のようなものであったが。
知らず、攸夜は薄く笑った。
ぞっとするほど綺麗な、アルカイックスマイル。
『──え、攸夜くん話聞いてる?』
「……なのは、今の無し。お客さんの相手をしなくちゃならなくなったみたいだ。調査は余所に任せてくれ」
『え? ちょっと待って、それってどういう──』
念話を一方的に切って、攸夜はゆっくりと背後を仰ぎ見た。
ひときわ高い樹木の頂上。蒼い瞳に映り込むのは、黒に紅い縁取りのゆったりとしたローブを纏う、正体不明の人物。目深にかぶったフードの奥、わずかに覗く双眸の色は燃えたぎるカーマイン。深紅。紅い血の色。
いつか森で出逢った“彼女”の瞳と同じ色。
「何か用かい、“お嬢さん”?」
深き森の中、魔女と獣が遭遇する。
────定められた“運命”の輪がそっと、廻り始めた。