クラナガンに住み始めて数ヶ月ほど過ぎた、とある休日。
生憎の曇り空を望むリビング。
攸夜は、青いポロシャツにジーンズのラフな姿でソファに寝そべり、のんべんだらりと怠惰で退廃的な一日を過ごしていた。
日に日に忙しくなっていくフェイトが取れた久々の休み。まとまった休暇が取れたならば念願の旅行に出かけたのだろうが、取れたのはたったの一日だけ。さらに午後から土砂降り雨の天気になるのではデートすることもできない。
しかし、フェイトと一緒に居られる機会をみすみす逃す攸夜ではない。本当なら今日も予定で詰まっていたところを、ほとんど力業のごり押しで無理矢理に空白を作り出したのだった。
フェイトの仕事を最大限以上尊重しつつ、フェイトを最大限以上愛でるのが彼のポリシーである。
とととっ。不意な足音。
今、この家にいるのは攸夜以外にはフェイトだけ。当然この物音は彼女ものだ。
──それにしては足音の間隔が小さすぎるような気もするけど、と攸夜は不思議に思う。
「ユーヤ、ね、ちょっと見て」
どこか弾んだ声色。いつもより高いソプラノを怪訝に思いつつ、攸夜が笑顔でのそりと上体を起こす。
「なんだなんだ。何か楽しいことでもあったの、か……?」
笑顔のまま、固まる攸夜。
彼の目の前に居たのは可憐な金色の妖精。
思い出深い桜色のリボンで金髪を結い上げ、懐かしい白いワンピース風の制服を纏う、いたいけな女の子が慎ましやかに立っていた。
「ちょっ、おま……っ!? 何やってんすか、フェイトさんっ!?」
「えと、どう……かな」
スカートの裾をつまみ上げた妖精が、おずおずと問いかける。小首を傾げ、瞳は潤んで上目遣い。
ずぎゃーん。攸夜の心臓をガンナーズブルームの弾丸が撃ち抜く。破壊力抜群のロリっこにメロメロだった。
ちなみに、攸夜は年上のおねーさんが好みだったりする。
「か、かわいいけど! すごいかわいいけど! めちゃめちゃかわいいけどっ!!」
「えへへ……、ありがと」
あまりのことに興奮しすぎて妙なテンションでほめちぎる攸夜。引くどころか、気合いの入った賞賛の嵐に頬を薔薇色に染めてもじもじ恥じらうフェイト。
似た者同士、とてもアレな二人だった。
「──で、魔法使ってるのはわかるけど。急にどうしたのさ」
「うん。ちょっとクローゼットを片づけてたらこの制服が出てきて……」
「懐かしくてつい着てしまった、と」
「うん」
ひょいとソファを乗り越え、はにかむ小さな女の子に近寄る攸夜。そんな彼を見上げるフェイトは、ユーヤってこんなにおっきかったんだ、と不思議な感慨で平べったい胸の内を満たす。
他方、じゃあ中身は生か……、などと品のないことを考える攸夜は、片膝を突いてフェイトと目線を合わせる。
サラサラと艶めく金色の髪、真っ白に透き通る白雪の肌、大粒の宝石のようにつぶらな瞳。まるでビスクドールのごとく整った目鼻立ちは、遠い記憶に刻まれた鮮烈な姿のまま──いや、思い出補正が入りに入って、攸夜には神々しく光り輝くように見えた。
「しかし、クオリティ高いな。ほっぺぷにぷだし」
少し落ち着いた様子の攸夜が感心しきりに言う。指先で、みずみずしいもち肌をぷにぷにつんつん。
魔力に対して異常なまでに敏感な攸夜ですら、よく目を凝らして見ないとわからないほど緻密かつ繊細な術式構成。細やかな魔力コントロールが持ち味のフェイトらしい、非の打ち所のない完璧な変身魔法だ。
「んんっ……、うん、お母さん直伝の変身魔法だから。昔のだけど、捜査で使ってるのよりは自分のカラダの方がイメージしやすいし」
頬をぷにぷにとつつかれながらフェイトは答えた。くすぐったくて身をよじっている。
「リンディさん、そういうのやけに上手いもんな。…………前々から思ってたんだけど、二十歳の子どもが居てあの若さを保っているのはきっと──」
「ユーヤ、それ以上は言っちゃだめ。だめったらだめ」
フェイトが、まるで見てはいけないものを見たかのように目を虚ろにして、珍しく攸夜の言葉を遮る。数瞬見つめ合い──というか真意を探り、「そうだな。俺、フェイトを残して逝きたくはないし」攸夜は素直に引き下がった。
世の中、知ってはいけないことと知らない方がいいこともあるのだ。
最近、稀にだが養母リンディのことを“お母さん”と呼び始めたフェイト。今まで以上にいい親子関係を築けていたのは、無理を重ねて、肩肘張って、背伸びして──フェイトの心に纏わりついた“呪縛”が少しだけほどけて、自然体で居られるようになったからかもしれない。
こちらに移って以来、フェイトは、ほぼ毎週のように実家へ連絡を入れている。攸夜と同じく、家族をとても大事にする彼女らしいエピソードだろう。──余談だが、つい先日、結婚したばかりの兄嫁エイミィと自分のパートナーについて赤裸々に語り合っているらしい。
「それにしても……」
「……?」
ジーッと、真剣な表情でちんまりなフェイトを眺める攸夜。どこか熱を帯びた真摯な瞳に、内心ドキドキしていたフェイトが小首をちょこんと傾げると、攸夜は何を思ったか彼女の小さな身体を持ち上げた。有り体に言うと、抱っこだ。
「きゃっ、ゆ、ユーヤ!?」
「いつにも増して軽いね。子どもだからかな、何となく体温も高い気がする」
「こ、子どもじゃないよっ」
顔から火が出るくらいに恥ずかしがるフェイトの主張は、攸夜の「今は子どもじゃないか」という正論が封殺。反論に窮したフェイトは口を噤む。残念ながら、この姿では説得力の欠片もない。
「うぅー」
「こういうのは嫌?」
一拍の間。
「……ううん。ちょっと、うれしい」
消え入るような言葉通り、青いポロシャツの胸元を小さな両手でグッと掴むフェイト。どうせ自分たち以外は居ないんだから建て前を気にする必要ない、と思ったかどうかは定かではないが本格的に攸夜へと擦りつく。
「フェイト、こういうふうにしてもらったことは?」
「あんまり……」
「そっ、か」
表情をわずかに曇らせたフェイトの心中を案じて、攸夜はそれ以上何も訊かず。ただ優しく背中を撫でるだけだった。
ジュエルシードの一件のあと、ハラオウンの家に養子に入る前から、フェイトは一個人として意思を尊重されていた。
その扱い自体は、当時の彼女の事情を鑑みれば当然だが、それまでの生活はスキンシップすら夢のまた夢の荒んだもので──故に、彼女は子ども扱いされた経験がほとんどない。誰かに抱き上げてもらったことなどせいぜい数回、両手の指で足りる程度。
幼い頃から大人びているのも考え物だな、とフェイトをあやすように抱きながら攸夜は彼女ことを心から不憫に思う。そして、何気なく頭に浮かんだ言葉を口にした。
「俺たちに子どもが出来たら、ちゃんと抱っこしてやろうな」
ぴくりと小さい肩が揺れる。
「……うん。そう、だね……」
「フェイト?」
歯切れの悪い返事。気遣う声色で自分の名を呼ぶ攸夜の探るような眼差しを、曖昧な笑みで見返したフェイトは、唐突に彼の腕の中から逃れて飛び降りる。二本のしっぽとスカートの裾をふわりとなびかせて、ちょんと着地。
くるりと半回転する仕草はまるでダンスのよう。
「私、もうオトナだよっ」
「だからその格好で言っても説得力ないって」
ぷくーっとほっぺを膨らましたちいさなお姫様に、攸夜はわずかに苦笑した。
□■□■□■
晴れていれば、クラナガンの近未来的なビル群が一望できる見晴らしのいい広々とした窓。しかし今そこから見えるのは真っ黒に濁った空と、荒れ狂う風、叩きつけるように降り注ぐ雨だけだ。
切れ間のない雨音が室内に響く。
子どもの姿がよほどお気に召したのか、フェイトはそのままの格好でソファにちょこんと腰掛け、テレビをぼんやりと眺めている。テーブルの上の半分に欠けたレアチーズケーキと白い湯気を立てるティーカップがどこか寂しげで、雨の日の鬱々とした雰囲気を助長していた。
テレビの液晶画面に映るのは、とある管理世界の雄大で美しいフィヨルド。「THE次元世界遺産」という題名通り、管理世界各地の遺跡や景観、自然などをさる大企業の協力の下、高画質の映像で紹介するネイチャー番組だ。旅行好きを自他ともに認める攸夜のお気に入りで、この番組のことを知った際、「ミッドチルダにもこういう番組があったのかっ!」と興奮していたのをフェイトはよく覚えている。はしゃぐ姿がかわいいくて、しっかり脳内フォルダに保存したのはヒミツだ。
その攸夜はと言えば、後方のキッチンでいつものように夕飯の準備中。初めのうちは「私もやる!」と息巻いていたフェイトだが、最近はそんなこともなく。家事に関して全く太刀打ちできないことを悟ったから。さすがに下着の洗濯ぐらいは恥ずかしいと自分でしていたが。
「……」
ぼーっと何も考えず、フェイトはただただ座る。
普段、酷使している頭を休ませるための休息日。たまにはこういうのんびりした日があってもいいかな、と彼女は思う。お世話してくれるユーヤには悪いけど、と生真面目な一面も覗かせて。
──とはいえ、だらけるのも度が過ぎれば退屈なもので。
大好きな攸夜にかまってもらえないフェイトは、現在進行形で手持ち無沙汰。しょうがないので目の前のチーズケーキに手をつけることにした。
銀色のフォークを手に取り、おもむろにケーキをさくりと一口大にカット、小さな口にゆっくり運ぶ。
はむ。もぐもぐ。
「ん〜♪」
へにゃんと擬音が聞こえるくらい相好を崩壊させるフェイト。チーズケーキがよほどおいしかったらしい。
さらにもう一切れ食べようと、手を伸ばした刹那──
大きな稲光が轟く。
「ひっ」
フェイトの手からフォークが滑り落ち、毛の短いカーペットに迎えられた。
小さな悲鳴に反応した攸夜が料理の手をいったん止め、鷹揚な足取りでキッチンからやってきた。
「フェイト、まだ雷が苦手なのか?」
「ぅ、うん……」
青いエプロンで手の汚れを拭いつつ、攸夜が涙目で縮こまっているフェイトに近寄る。怯える仕草が子犬みたいでかわいい、と場違いなことを考えながら。
「電撃ビリビリ娘が雷なんぞを怖がるとはね。嵐とか台風とかに大はしゃぎしそうなイメージだったんだけど」
「ゆ、ユーヤっ、私をなんだと思ってるの?」
「ははっ、ごめん。でも不思議だよな、普段から雷は身近だろう? サンダーフォールとかでさ」
「それは、そうなんだけど……。なんていうかね、ゴロゴロって音を聞くと、“母さん”に叱られたときのこと、思い出しちゃって……カラダ、固まっちゃうんだ」
しゅんと力なく肩を落とし、フェイトはギュッとスカートの裾を握る。幼い相好には強い困惑の色が浮かび、まるで泣き顔のよう。
複雑な表情で黙する攸夜。フェイトの負った“傷”の深さに思いを巡らせているのかもしれない。
「自分で起こすならだいじょうぶっていうか、戦闘中なら気にならないっていうか──」
俯いたまま、訥々とフェイトが喋る。その時、濁された言葉を打ち消すようにふたたび雷鳴が轟く。
「ひゃっ!」と悲鳴を上げてフェイトは首を竦めた。ギュッと目は瞑り、両手は耳を塞ぎ。
優しげに微笑した攸夜は隣に座ると、恐怖に慄くフェイトの脇に手を入れて抱き上げる。違う意味でびっくりする彼女にはかまわず、そのまま膝の間に。
「ほら、俺が一緒にいてやるから。な? これなら恐くないだろ」
「うん……、恐くない」
攸夜の膝の上にちょんと座らされたフェイトは、背中に感じる大きな温もりに身体を委ねた。怯えて震える小さな手を、甲に血管が浮き出た男性らしい両手が包み込む。
「……ユーヤの手、大きいね」
「そうか?」
「そうだよ……ね、もっと、ギュッとして?」
「ふふっ、甘えんぼさんだなぁ、フェイトは」
「うん、私、甘えんぼさんだもん」
手をにぎにぎし合いながら、二人で子どもの格好して一緒にデートしよう、と心に決めたフェイトだった。