日が沈む。
命を育む陽光は地平の彼方に堕ち、闇黒の帳(とばり)が世界を包んだ。
始まる。
恐怖と絶望を孕んだ明けない夜が――――
ぽつり、ぽつり、ぽつり。
立ち込める煙と黒雲で真っ黒に染まった空から、雨粒が落ちてくる。
至るところで起きている大規模な火災で熱せられた空気が上昇気流となって遥か上空に舞い上がり、冷やされて液体に変わる。次第に勢いを増した雨が、廃墟となった機動六課の敷地をしとどに濡らしていた。
「あ……、ああ――、あああああああ!!」
崩壊した瓦礫の山の中、白い魔導師――なのはは恥も外聞もなく、枷の外れた感情に任せて叫ぶ。
目の前で起きたことが信じられなくて。
あの子が奪われたことを信じたくなくて。
両膝を突いて上体を起こし、天を仰いだ格好で、喉を張り裂けんばかりに慟哭する。
それを見下ろす漆黒の堕天使の瞳は奪った命を誇示するかのような異色であり――、口許に浮かべた笑みが明確な悪意で歪んでいた。
ヨロヨロと立ち上がったなのはは、邪悪な天使を憎悪に濡れた瞳で仰ぐ。
「ッッ――、レイジングハートォォォオオッ!!!」
金色の尖端を掲げ、パートナーの名を叫ぶ。紅い宝珠が、怒りと憎しみに答えて力強く瞬いた。
バキッ、と嫌な音が腕の中から聞こえたが、なのはは構わず魔力を込める。“彼女”自身も、それを強く望んでいたから。
天を指し示す先端、戦場に満ちた無数の魔力素が集っていく。
「うあああああああああアアアッッッ!!!!」
もはや意味をなさない叫び声を上げ、全身全霊、残りわずかな魔力を絞り出して術式を組み上げる。
虚空に描き出される巨大な魔法陣。半壊同然のレイジングハートを光の帯が取り囲む。
過去例を見ないほどの速度と密度で残留魔力が集束し、巨大な桜色の光の球体が完成した。
「スタァァァァライトォォォォーーーッ!! ブレイッ、カァァァァアアッッ!!!!」
放たれた星々の輝きが、悠然と浮かんだまま避けようともしない冥魔王を飲み込み、彼方の向こうの黒雲を突き破る。
渾身のスターライトブレイカーEX――なのは最強の魔法。
ビットを失った影響で光条の数は全力状態には届かないが、決して無視できるような破壊力ではない。
だが――
「なん、で……?」
洪水のような桜色の魔力が空の彼方に霧散した時、それは姿を現した。
“光の帯”とでも言えばいいのだろうか、くすんだ虹色の真球状のバリアらしきものが、メイオルティスの全身をすっぽりとくるんでいる。
この不可思議なバリアが、スターライトブレイカーを完全に防いだのだった。
「これがあたしの新しい権能(チカラ)……、冥き光の鎧“冥王の鎧(アミューレ・プルトーネ)”だよっ♪」
濁った虹色の幕が、無慈悲に明滅を繰り返す。
それがヴィヴィオを取り込んで得た力であることは明白で。
「――ッ」決死の必殺技があっさりと耐えられたことに少なくない衝撃を受けながら、なのははなおも止まらない。止められない。
ストライクフレームと三対の翼を展開したレイジングハートを腰だめに構え、A.C.S.ドライバーの体制に入る。
紅く発光(オーバーロード)し、暴走状態のアクセルフィンが強く羽撃いて彼女を空へと誘う。
尖端の刃と羽撃いた翼。過剰に供給されて深紅に染まる魔力は、傷ついた心が流す血の色を暗喩していた。
「ハァァァァァッ!!!」
「……あーあ、ムダなのになぁ」
降りしきる雨粒を切り裂き、一直線に突撃するなのはの冷静な部分が敵を分析していた。
いくら強固な障壁だとしても、攻撃の瞬間には解くのがセオリーだ。ビットの類いも使わずに、バリアを展開したまま攻撃などできるわけがない。
また、相手は自分を侮りきっている。先程の戦闘でも簡単に勝てていただろうに、なのはを散々にいたぶった。
そこに一筋の勝機を見出だして――、障壁(シールド)殺しとも言える魔法、エクセリオンバスターA.C.S.に勝利を託す。
「ヴィヴィオを、助ける――!!」
――絶対に!!
「と、ど、けえええええええええええ!!!」
ストライクフレームの先端が暗虹色の“鎧”に接触する。刺さり切らない魔力の刃が障壁との摩擦で激しく火花を散らし、スパークを放った。
バリアは想像以上に堅く、全くと言っていいほど歯が立たない。だが、この状態を維持していれば反撃はない――
「まったくもお……、何でそうカッカしちゃうかなぁ。みっともないよ?」
幕を挟んだ向こう側、メイオルティスは呆れたように言い、手に持った杖をどこかに格納する。
それから、すぅ、と上げられた右手の人差し指がなのはを指差す。
ポツ、ポツ、ポツ――拳大のエネルギー塊が、冥魔王の周りに七つほど発生する。
「キミさぁ、なんていうかぁー、暑苦しいしぃ……」
そんな、バカな。
なのはは半ば結果を予期しながら、あるいはそれを頑なに否定しながら、魔力の球が螺旋を描いて指先に集束していく光景を愕然として見つめていた。
「――ちょっと頭、冷やそっか」
嗜虐的な笑みと、冷ややかな声。
指先に集まった魔力塊は一種の砲撃魔法となって放たれ、強固なはずの障壁に阻まれることもなく素通りして、魔導師と魔法杖に直撃する。
悲鳴を飲み込む大規模な魔力爆発。
膨れ上がる歪んだ火の玉から、レイジングハートのパーツと思わしき残骸がまるで星屑か流れ星のように飛散していく。
「あは♪ これでゲームオーバーだね。残念無念、まった来週ぅー! あははははっ」
“冥刻王”――否、“冥刻聖王”の嘲笑が、再び墜落して意識を失うなのはの耳朶に残った。
■□■□■□
大粒の雨粒が、真黒に染まった空から落ちてくる。
“冥魔”に蹂躙され、廃墟と化した街に落ちてくる。
刻一刻と失われていく命を悼むように降り注ぐ雨の中、フェイトとアリシアと決闘は未だ続いていた。
希望の乙女と絶望の魔女が繰り広げる戦いは、音速を超えて加速していく。
金と朱、閃く刃がぶつかり合う。悲鳴にも似た甲高い不協和音を響かせ、夥しいばかりの雷鳴を轟かす。
まばゆいばかりに輝く光条が夜を切り裂いて――
魔力は同質。
速力は同等。
パワーは“落とし子”たるアリシアが明らかに優れていたが、技量に置いては圧倒的に戦闘経験が豊富なフェイトが、一歩も二歩も先を行っている。
一進一退の攻防。二人の総合的な戦力は伯仲と言っていい。
だがすでに、フェイトは切り札たる真ソニックとライオットフォームを開帳してしまっている。仮に、アリシアの何らかの手段で力を増したならば――、拮抗した戦い天秤の均衡は容易く崩れ去るだろう。
「おおああッ!!」「であああ!!」
裂帛の気合いとともに、魔刃が走る。
「わたしは――、わたしは負けられない! もう、後戻りなんてできないんだから!!」
「そんなことないよ、アリシア! 引き返せるよ! やり直せるよ!」
「うるさい! 何度も言ったでしょ! わたしには、おまえを殺して、ママの仇を討つ――、それ以外ないの!!」
「アリシア!!」
すでに語るべき言葉は尽くした、そう言わんばかりにアリシアはフェイトを猛然と攻め立てる。
後は刃と魔法で決着を――、互いが抱く願い/呪いのどちらが生き残るべきか……、それを決するのみだ、と。
激しく刃を交わす中、紅い少女は叫ぶ。
「アンリッ! わたしのすべてをあげるから! あいつに、あいつに勝てる力をちょうだい!!」
歪められた願いと魔力が爆発し、瘴気の暴風が吹き荒れる。フェイトは思わず後退し、腕で顔を庇った。
かつてないほどに高まったアリシアの魔力が爆発し、背中のマントと腕を覆うアームカバー状の袖が弾け飛ぶ。
漆黒のバトルドレスが、目にも禍々しい鮮血色(スカーレット)に染まっていく。
まるで生々しい鮮血を頭からぶち撒けられたかのような、悲惨で悲痛な姿――、両手両足の籠手(ガントレット)と脚甲(ソルレット)は、“冥魔”を象徴する不気味な無機質に覆われて肥大化していた。
また、両手に握るのは、異形の大剣が分かたれたと思わしき二降りの朱緋(あか)い魔剣。これまで以上に禍々しい形に変わり果て、生き血を求めて激しく脈動している。
ミッドチルダ由来の魔導師から主八界の魔法使いに状態をシフトし、真なる意味で“闇の落とし子”へと変貌した形態――スカーレットフォーム。
その姿はやはり、フェイトを強く意識したものだった。
「おまえを殺せるなら、ママの敵を討つためなら、わたしの命も、未来も――ぜんぶ要らない!!」
「……!!」
アリシアの覚醒――
邪神の加護(ぜつぼう)を受け入れたことで爆発的に高められた魔力は、もはや常軌を逸しているというレベルではない。
全身から攻勢の瘴気を撒き散らし、音速を遥かに越えた常識外の速度で飛翔する紅の魔女。
互角から一転、フェイトは苦境に立たされていた。――本当に、あっけないほど、簡単に。
「がああああッッ!!」
「うぐあっ!?」
技術も何もない左の袈裟斬りにデバイスを力づく弾かれ、引きつられて体勢を崩されるフェイト。なんとか建て直す間にも、もう一方の紅い双剣がその頸(くび)を刈らんと恐ろしいほどのスピードで迫る。
追撃を受けた魔力刃に皹を入れられ、避け切れなかった斬撃に身体中を斬り刻まれ。
さらには次々に繰り出される斬撃に合わせ、刀身から噴き出すドス黒い瘴気の余波――物理現象を伴った強烈な呪いが、フェイトを襲う。
ただでさえ脆弱なソニックフォームの装甲は呪詛に耐えられず腐り落ちるように損傷し、防御を貫いた魔術的攻撃が肉体と精神に致命的なダメージを与える。
ぷし、と赤い血が弾け、肉感的な太ももにまたひとつ、浅くない傷が刻まれる。飛散した血潮は紅い魔剣に吸い取られ、邪悪な力の糧とされた。
(っ、これじゃ、まともに魔法も使えない……!)
もはや牽制の役にもたたない魔力弾をバラ撒き、距離を取るフェイトは胸中で焦りを吐露する。
魔法を放とうにも隙がなく、猛攻に防戦一方。
激戦に次ぐ激戦で魔力は底が見えてきており、スタミナも限界が近い。全身の裂傷によりジワジワと流れる血液、正常な判断力をも奪われていく。
バリアジャケットが損傷して機能を失い、降りしきる雨に打たれた身体は冷えきって――
度重なる疲労が頂点に達した瞬間、それ(・・)は必然に訪れた。
「っ!?」
不意に、意識がブラックアウトする。
好機と見て、すかさず大技の体勢に入るアリシア。彼女の生命力と“プラーナ”を喰らい、変換された瘴気が紅い魔双剣へと流れ込んでいく。
煌々と燃え盛る冥き焔を纏う双剣を頭上高くに掲げてクロスさせ、渾身の一撃を放つ。
「カラミティィィィイイ――――、フラッドォォォォーーーオオッッッ!!!!」
縦一閃。殺意と瘴気を束ねた朱緋色の大斬撃がフェイトを飲み込む。
弾ける血飛沫、砕ける黒きデバイス。
そして、墜落――――
大粒の雨粒が、真っ黒に染まった空から落ちてくる。
“冥魔”に蹂躙され、廃墟と化した街に落ちてくる。
「アリ……、シア……」
瓦礫に背を預けて臥し、虫の息の“レプリカ”を無機質な表情で見下ろすアリシア。
右手の朱紅(あか)い魔剣がゆっくりと持ち上げられ、その鋒が柔らかな胸板を貫く。
「ぁ……」
小さい吐息がこぼれた。
びくんびくん、と何度も痙攣する肢体。
無造作に刃が引き抜かれる。
溢れ出した体液が雨と混じって地面を汚し、直に紅玉の瞳からは生気の光は失われた。
「……っ」
命を奪った感触の残る手のひらに目を落とし、アリシアは雨に顔をしかめる。
どこからともなく姿を現した凡百の“冥魔”が、悍しい怨嗟の唸り声を上げる。それらの両目は、この光り輝くような美しい少女を滅茶苦茶に喰い犯せるという昏い欲望で、例外なくギラギラと輝いていた。
「……。目障りだから、ソレ、消しといて」
どこか泣き出しそうな歪んだ表情で吐き捨て、朱色の魔女は去っていく。
地に堕ちた金色の乙女を、独り残して――――