「俺たちに待ち伏せされていたことが不思議で仕方ないって顔をしてるな、アンタら」
予期せぬ襲来に戸惑い、狼狽するウィザードたちを嘲笑う黒髪の魔王。
彼らを見やる瞳の冷たい色を変えないまま、ふと目の前の虚空を右手で掴み、握る。
「タネは簡単さ」
そこを起点として、徐々に生み出されていく一振りの“剣”。禍々しく波打った刃、魔の祝福と尽きない威光を意味するルーン文字の刻み込まれた刀身、鍔の中心にあしらわれた魔眼の意匠──そして、“飛行機械”としての内部構造を露わにしつつ、“魔王”の名を持つ“箒”が主の手の中に顕現する。
「“こちら”と“あちら”を繋げる路を、始めに創ったのはどこの誰だと思っている? そこに誰が通るかなんて、把握しているに決まってるじゃないか」
「──!」
「通行料代わりと言っちゃなんだけど、創った路の入り口がどこに開くか決めるのも制作者の特権でね。……この言葉の意味、わかるな?」
意味深に結尾を切り、少年はデモニックブルームを軽く振ると、気だるそうに肩に担ぐ。
さらに、空いた左手をズボンのポケットに突っ込み、とても柄が悪そうに見える。
「じゃあ、私たちは……いえ、エリスは──」
「飛んで火にいる夏の虫、ってね。志宝エリスは──何処か、見知らぬ土地で野垂れ死んでるのかもな」
「ッ!!」
血相を変え、珍しく激情を露わにした灯が、月衣から身の丈ほどの黒い大砲“ガンナーズブルーム改”──今では旧式となり“オールドブルーム”と呼ばれる機種の改良型で、彼女の愛用品だ──を抜き出し、その砲門をくつくつと愉快そうに笑う少年へ突きつける。
真実を知り、直接まみえてもいるルーは意地の悪すぎる煽り文句に呆れ、密かにため息を吐いた。
「あかりん、落ち着いて。まだそうと決まったわけじゃない。エリスを、仲間を信じよう」
我を忘れている灯の肩に手を置き、命は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
彼の眼差しは、緋色の瞳をまっすぐ貫いていた。
「──! そうね、命の言うとおり。ここを切り抜けたら私が作ったお弁当をあげるわ」
「うぐっ。そ、それはうれしいけど。あかりん、そのセリフはいろいろな意味で死亡フラグだから」
「……ぽっ」
「いや、今の会話のどこに顔を赤らめる要素があったの?」
軽く夫婦漫才をしたあと、お互いの手を握り──ガンナーズブルームはどうした──見つめあう。
ふたりの妙な雰囲気に触発されて、周囲には桃色の“げっこう”が形成されていた。
それはそれは強力な“げっこう”である。
(わわわっ、二人とも大胆ですっ)(ところかまかずイチャイチャと。目障りだわ〜)
翠とベルが甘ったるさに砂糖を吐いたり、
(次はどうなるのかしら? ワクワクワクワク)(いいなあ。あたしも、ベルと……)
パールとアゼルが興味津々だったり、
(なるほど……これは興味深い)(仲がよろしいですね〜)
リオンとエイミーがあらあらうふふと見ていたり、
(……)(……まったく)
スルガとルーが僅かに苦笑していたりするのは些細なこと。
(──っ、チ……)
それから、黒髪の少年がとても羨ましそうにしてたのも些細なことだ。
「あー、こほん。……お二人さん、そろそろいいかな? 質問がないなら始めたいんだけど」
再起動を果たした少年が、ゆるーくなった空気を変えるように咳払いして促す。
口調や声色が素に戻りかけているのは、命と灯ののろけにあてられたからだろう。
「はじめるって、なにをですか?」
「そりゃあ勿論……、魔王とウィザードが遭遇して、やることなんて一つしかないさ」
首を傾げつつ発せられた翠の疑問に、何となしに気安かった少年の雰囲気が霧散。代わりに漂うのは濃密な殺気。
刹那、瞬時に練り上げられた魔力を足裏で爆発させ、耳をつんざく炸裂音を響かせて突進する。
鈍く光る白刃。「ッ、あかりん!」危機を察知し、命が咄嗟に灯を突き飛ばした。
それと入れ替わるように、袈裟懸けで繰り出された斬撃。気休めに発動した防御魔装と衝突し、殺しきれなかった衝撃で命は大きく吹き飛ぶ。
「──殺し合いだよ」
十メートルはあるだろうか、わだかまる噴煙に視線を送りながら、少年が酷薄な言葉を吐き出した。
「命! ──くっ!」
自分の目の前に降り立った黒衣の少年に、半ば反射的に魔砲を突きつける灯。
引き金が引き絞られ、巨大な弾丸が吐き出される間際──もう一つの黒い影が躍り出た。
コツ、と軽快に着地し、ポンチョをはためかせる黒衣の少女。集中もなしに、左手から放たれる虚無の魔法。
灯は地面を蹴って大きく飛び上がり漆黒の矢を回避。くるりと宙返りして、三メートルほど後方に着地、ガンナーズブルームを構えなおす。
「今回は歓迎会だからね、少しだけ趣向を凝らしてみたんだ。郷に入っては、とも言うし──“こちら”の流儀とお約束に則って、一対一のサシで殺ろうじゃないか」
「あんたってほんと性悪よね」
「ほっとけ」
ベルの憎まれ口に、わずかに顔をしかめた少年の像がゆらりと歪み、そして消える。空間転移──“大いなる者”の十八番、空間操作能力の応用だ。
ややあって、命が吹き飛ばされたと思われる辺りから激しく鋭い剣戟音が鳴り響く。どうやら彼は命にターゲットを絞ったようだった。
「ま、そういうワケだから。──ダンスのパートナー、お願いできるかしら、ミス?」
おどけたセリフ。ベルが小首を傾げ、右手を灯へと差し出す。滅多には見せない優雅で気品ある所作は、身に纏った典雅なドレスと相まって言葉の通りにまるで舞踏会の一幕のよう。
「……」
返答は砲撃。
言葉の代わりに、青い魔法陣から吐き出される魔術処理が施された特殊合金製の砲弾。「あら、手荒いお返事ね」半身になって軽々と避けるベル。
着弾した大質量の塊が地面を砕き、高々と噴煙を打ち上げる。
その隙に、灯がちらりと視線の端で仲間の様子を窺うと、スルガ、翠も自分と同様に魔王と一対一に持ち込まれてしまっているようだ。
分断された、と灯は内心で歯噛みする。これでは撤退もままならない。
「やっぱり仲間が心配かしら?」
「心配だけど、信頼してる。……それに、私があなたを倒して助けにいけばいいだけよ」
余裕を隠そうともしないベルに、灯は気後れも誇張もなく、心の内をただ淡々と告げる。
“強化人間”特有の合理的な思考と、さまざまなウィザードと共に戦ってきた経験を背負う彼女だからこその発言。以前、昏睡状態だった命を守るためとはいえ、親友と仲間に砲口を向けたのは苦い記憶だ。
故に、灯は仲間を信じ、目の前の魔王を討ち倒すことで報いようと考えたのだった。
「あっそ。まあ、あんたならあの“小娘”よりは楽しませてくれるかもね」
「……?」
漆黒の炎に変じた魔力が渦をなし、巻き上がる。
好敵手の一人たる緋色の魔女を前にして、銀髪の女王がゆっくりと、悪魔のように美しく微笑んだ。
「一対一……。僕の相手はあなたですか、ルー・サイファー」
バルーンスカートを摘み、裾を軽く引き上げたルーがスルガの前に悠然と降り立った。
同時に、彼の右腕を包むように現出する巨大な盾と鉄甲が一体となったガントレット──“アイゼンブルグ”。このような形をしているが、これも立派な“箒”だ。
感情を表に出さない凍てついた銀の瞳にその様子を写したルーは、ついっと視線をいずこかへとやる。
「……まったく、あれも無駄な気を利かせよる。“シャイマール”の後継の一人とはとても思えぬな」
眼差しの先で戦闘中の、最近めっきり奔放で破天荒になってしまった“弟”にぼやくものの、その表情は穏やかで、母性のようなものすら漂わせていた。
それに気づいたルーは苦笑する。“あちら”からあまりにも離れすぎている“こちら”では、自らの性──本能が些か薄くなるらしい、と。
(まあ、あの子たちは特に気にしてないみたいだけど)
「テスラの身体を返してもらいます」
金色の魔王の内心など知る由もない鋼の守護者は、無機質な青い瞳に信念の炎を燃やす。
「この“躯”が、ただの現し身だということくらいは理解しておろう?」
「ええ。ですが、あなたの現し身を倒し、力を削ぎ続ければ、いつの日かテスラを救うことが出来るかもしれない。──いえ、必ず救い出す……!」
彼を造った錬金術師の孫であり、彼が救うと誓った少女の名を胸に刻み、仮初めの命を持つ魔法使いは静かな──だが、確かな覚悟を口にした。
ルーが侮りを露わにして鼻を鳴らす。
「ふん。随分と気の長い話よな。……我が力、易々削り切れると思うてか」
ゴッ、と威圧するかのごとく吹き出す黄金色の魔力。間欠泉のようなそれは、酔ってしまうほどに濃密な死の気配。だが、裏界最強と謳われる彼女の力の僅かひとかけらにしか過ぎない。
「……!」
魔王が垂れ流す圧倒的かつ暴力的なプレッシャーに、戦うため護るために生み出された“人造人間”であるはずのスルガの肌が、にわかに粟立つ。
「──アイン・ソフ・オウル」
ルーの足元に紅黒い七芒星の魔法陣が生まれる。そして、彼女を囲むように、内部の結晶に紅い光を明滅させた七枚の白き羽根が──“シャイマール”の象徴がずるりと抜け出した。
「その力がどれだけ強大だとしても、どれだけの時間がかかるとしても────、押し通すだけです。あなたとて、一度は討ち滅ぼされているのですから」
左腕の細胞を蠢かせ、音速の生体弾丸を発射する機構“ブラッドブレッド”が展開される。その砲口の行く先は、最強の魔王。
ピクリ。ルーの端正な眉が揺れた。
「──口が過ぎるぞ下郎。己の分を弁えろ」
自らの汚点を突かれたルーの美麗な容貌が怒りで染まり、覇気の籠もる言葉に空気がざわめく。
それを合図として、アイン・ソフ・オウルが一斉に、スルガへと撃ち出された。
「うんと……命さんがシャイマールさんで、灯さんがベルさんで──」
一人残された翠が、指折り数えて状況を整理していた。
「スルガさんとルーさん……。アゼルさんとリオンさんとエイミーさんは観戦中」
やや上空に滞空して文字通り観戦している魔王三人は、手を出すつもりはなく、お菓子を片手に歓談している。魔王の余裕という奴だ。
全員を相手にすればそれだけで詰み──ゲームオーバーだった翠たちにしてみれば僥倖だろうが。
「あれ? じゃあ、あたしの相手って──」
しゃらん。不意に、澄んだ鈴の音が背後で鳴った。
ギギギ……、と油の切れたブリキの人形のように振り向く翠。
「それはもっちろん。このパールちゃんに決まってるじゃない」
そこに居たのはそれなりな胸を尊大に張る、巫女服の魔王パール・クール。
無邪気にして残虐な彼女の恐ろしさをよく知る翠は目を泳がせ、ダラダラと滝のような汗を流して狼狽する。
そして、恐る恐る口を開いた。
「え、えーと。あたし、役割でいうと後衛なんですよね」
「うんうん」
「いわゆるひとつのキャスターというやつでして」
「うんうん」
「灯さんたちみたく、一人では戦えないというか……」
「うんうん。それでそれで?」
翠が矢継ぎ早に繰り出す言葉に、パールは楽しそうになんども頷く。
一拍、間。
「逃げても、いいですか?」
真壁翠、一世一代の懇願。
極貧生活を支えるためのアルバイトで鍛えたとびきりかわいい笑顔で、だ。
「うーん……」
人差し指を小振りな唇に当てて、パールは考えはじめる。
ゴクリ。緊張した面もちの翠がのどを鳴らす。
月匣に、痛いような沈黙が訪れた。
たっぷり時間をとって、パールは翠に負けじととびきりかわいい笑顔で口を開き、
「だーめっ☆」
無慈悲な一言を言い放つ。
「や、やっぱりーっ!?」
涙目の翠の、悲痛な叫びが木霊した。