第三十二話 「六十五刹那の間隙に舞う」
夕暮れの機動六課。
隊舎本館傍らの公園に響く甲高い音――
麗人と少年が、それぞれ木製の模擬刀と槍を振るい、打ち合っていた。
燃え立つような赤い髪の少年が、未だ未発達の小さな体格を余すことなく使った刺突を繰り出す。
雷光にも似た一条の突き。
しかしそれは、模擬刀の曲線に沿って巧みに受け流がされ、逸らされた。
鮮やかな濃い桃色の髪をポニーテールにした麗人が、攻撃を流した勢いを乗せて薙ぎ払う。
咄嗟の判断で、少年が地面を蹴る。持ち前の身軽さを遺憾なく発揮し、攻撃圏から後退。そこに、大上段から唐竹割りが襲いかかる。
空気すら断ち切るかのような真っ向からの斬撃を、少年は紙一重で躱し、得物を突き出した。
一合、二合、三合――――
攻性魔法こそ使用していないものの、実戦さながらの激闘。だがしかし、それも長くは続かない。
「疾ッ!!」
ついに斬線が、少年の影を捕らえた。
「うわっ!」
鋭い袈裟斬りをまともに受け、少年――エリオが吹き飛ぶ。宙を舞う小柄な身体が地面に叩きつけられた。
残心を意識しつつ、ゆっくりと構えを解く麗人――シグナムは地に這う少年に告げた。
「エリオ、今日の組み手はここまでにしよう」
「師匠、僕はまだ――」
顔を上げ、言い募るようにエリオが声を上げるが、シグナムは無言で頭を振る。
負けん気はあるが基本的には素直な少年は、それ以上をわがままを言うことできずうなだれた。
師弟関係にある彼らは、時折こうして六課の敷地の片隅で手合わせを繰り返している。
とはいえ、追跡任務で六課を離れていることの多いシグナムである、エリオに稽古をつけてやれる時間がなかなかない。だからこそ彼女は、スケジュールが許す限り弟子をしごいてやっているのだが――今日はいささか趣が違うようだった。
「そのように気もそぞろでは訓練になるまい。心技体、強さとはバランスだぞ」
講釈を垂れるシグナムは、金網にかけてあったハンドタオルを手に取り、投げ渡す。不承不承で受け取ったエリオが、太陽の匂いのするふかふかなタオルで汗を拭う。
彼が一息ついたのを見て、シグナムは口火を切った。
「エリオ、お前の太刀筋には迷いが見える」
「迷い……」
「心当たりがあるのだな」
こくり。静かな首肯。
この古き騎士には、未だ未熟な少年騎士の葛藤などお見通しのようだった。不具合が起きていたとはいえ、伊達に古代ベルカ時代から存在続けているわけではない。亀の甲より何とやら、である。
「大方、テスタロッサと――、宝穣のことだろう? あるいはあの男、ゼスト・グランガイツが原因かもしれんが」
「そう――、ですね」
師の指摘を受け、神妙に肯定するエリオ。シグナムはその様子に違和感を覚えた。
普段なら、黒髪の青年の名前が出れば脈絡もなく無闇に敵愾心を露わにする彼である。やはり何かあるな、とシグナムの直感は確信へと変わった。
どこか逡巡するように口ごもり、ややあって躊躇うように少年が胸中を会かす。
「僕は……、僕は、強くなりたいんです。フェイトさんに恩返しできるくらい、守れるくらいに。でも――」
彼女の傍らには完璧に見えるお似合いの恋人(パートナー)がいた。実力人格その他諸々――どれを取っても勝ち目などない。
エリオとて理解しているのだ、自分の淡い憧れが叶わぬことなど。だからせめて、強くなろうと思い、一層訓練に励んだ。
しかし、彼の前に立ちはだかる壁は高すぎた。攸夜はもちろん、二度ほど刃を交えた壮年の騎士にも脳内で勝てるイメージが湧かない始末。
幼い少年に早すぎた挫折だった。
ふむ。小さく唸り、シグナムは考える仕草をする。
「しかしな、その若さで横恋慕は止めておけ。叶わぬ恋に固執するのは不毛だぞ?」
「そそそっ、そういうことではなくて……」
「フッ、わかっているさ」
担がれたのに気がついて、エリオが拗ねる。気に入った相手をからかうシグナムの悪い癖。
茶目っ気と稚気が見え隠れする表情を取り繕い、再び口を開く。
「目標はあるが、それが高すぎて到達する手立てはおろか進む道さえも見失っている――、と言ったところか」
「……はい」
しゅんとするエリオ。まるで道ばたに捨てられた子犬のようだ。
シグナムが腕を組む。重たそうな膨らみがむにっと押し上げられる。思春期に片足を突っ込んだエリオには目に毒で、例に漏れず視線を泳がした。
「ならは、決闘を挑め。無論、宝穣にな」
「け、決闘……ですか?」明後日の方向にかっ飛んでいった結論に、エリオは戸惑いを隠せない。
「そう、決闘だ。ベルカ騎士の習わし、などと古臭いことを言うつもりはないが、正面からぶつかり合えば何かが掴めるかもしれんぞ? エリオ、奴とは戦ったことがないのだろう?」
「はい……」
突拍子もない提案。しかし、何となく彼女の言わんとすることが理解できてしまうあたり、エリオも大概である。
要は「拳を交えて語り合え」ということだ。
「師匠も、そうだったんですか?」
「さて、な」
シグナムは苦笑気味に言葉を濁し、瞼を伏せる。怜悧な美貌にニヒルな笑みがよく栄えていた。
「テスタロッサとはともかく、生憎、私と奴の戦いはあまり褒められた類のものではないからな。……今も、昔も」
エリオはその言葉を「きわめて実戦的な模擬戦」だと解釈したが、実際は違う。文字通り、彼らの“果たし合い”はお互いがお互いを殺す気で行われるのだ。
シグナムにとっては鈍りがちな実戦(殺し合い)の勘を養う数少ない機会であるし、攸夜にとっても“遠慮なく”戦える相手――とはいえ、フェイトとの模擬戦(コミュニケーション)ですらほぼ壊す気で戦っているが――、互いに利害が一致している。万が一があっても、“慈愛の宝玉”で蘇生させればいい、そういうことなのだろう。現実に起きたことはないが。
ともかく、彼の魔王に容赦という言葉は存在しない。
しかしそれはシグナムが人間でないから、というわけではない。魑魅魍魎、悪鬼羅刹の王たる攸夜にとって人間とは、犬猫家畜と変わらない下等な存在だ。“庇護しなければならないもの”“儚くも尊いもの”という枕詞がつくが、人殺しに忌避感など感じないし、プログラム体であるヴォルケンリッターの扱いも例外ではなかった。ある意味、平等であると言えるだろう。
「挑んでみろ、エリオ。決して勝てはしないだろうが、悪いようにはなるまい。――何なら一矢報いてしまえ、今の奴になら出来るかもしれんぞ?」
「……」
俯き、必死な様子で思案を始めた弟子を満足そうに見やり、騎士は再びニヒルに微笑んだ。
夜空には、幾つもの月と煌めく星々が瞬いていた。
□■□■□■
翌朝、六課隊舎前。
早朝の訓練のために集まったなのはたちフォワードチームとギンガ以下出向組の面々。
だがしかし、もはや見慣れた風景に一抹の違和感があった。
「……あれ、エリオがいないね。どうしたのかな?」
一人足りない部下を探して辺りを見回し、小首を傾げるなのは。スバルやティアナたちも互いに顔を見合わせているあたり、彼女らにも子細はわからない様子だ。
しかし、ズル休みとは考えにくい。彼はとても生真面目で勤勉な少年だった。
と、中でも小柄な少女が声を上げる。
「なのはさん、エリオくんは先に訓練場に向かったそうです」
「そうなの?」
「はい」
自主練かな?と腑に落ちない様子でつぶやく教官へ、やや複雑な眼差しを向けるキャロはそれ以上何も言わず、口を閉ざす。
「んー、ま、いっか。とりあえず向こうに行こっか」
「「「「はい!」」」」
疑問を残しつつ、皆に指示して演習場へと移動を開始するなのは。彼女の疑問は、すぐに氷解することとなる。
「――えっ、フェイトちゃん?」
「なのは……」
すでに起動して、廃ビルが建ち並んでいる施設の状態を疑問に思い、向かったビルの屋上で出会したのは空間シミュレータの操作をするフェイトだった。
振り返る彼女はどこか物憂げで、何かをひどく心配しているようになのはは感じた。長年のつき合いによる経験則だ。
「あれ、下にいるのちびっ子一号ッスね」
「お、ホントだ。何やってんだ、アイツ」
ウェンディとノーヴェが口々に言う。
二人の言うとおり、眼下の十字路に青いデバイスを携えた赤毛の騎士が佇んでいる。もちろん、服装は騎士服(バリアジャケット)だ。
「なにを――」言いかけるなのはを置き去りにして、状況が動いた。
突如、コンクリートジャングルに蒼白い光風が吹き荒れる。
魔力を伴った風は仄かに輝きながら速度を増し、局地的な嵐となって渦巻く。
そして光が弾けた中心に、人影があった。
「ゲッ」「さすが監査官殿、派手な登場だ」「ユウヤさん、カッコイイ……」
などと声が上がる。
スマートな濃紺の背広をぴしっと着こなした美丈夫。闇色の髪をなびかせた蒼眼の魔王――“裏界皇子”アル・シャイマールこと宝穣 攸夜である。
「フェイトちゃん、これ、なんなの?」
「ごめんね、なのは、朝練ジャマしちゃって……でもいまは、エリオの好きにさせてあげて」
やや不満げな声色の問いかけに、フェイトが懇願する。「答えになってないよ」、というなのはの疑問に答えたのはやはり足下の少女だった。
「結論から言うと、いまからエリオくんがししょーと決闘をするんです」
「け、決闘ぉっ!?」
予想の斜め上を越えた事態を前に、なのはの素っ頓狂な声が響き渡った。
□■□■□■
「しかし、決闘とは剣呑だな、坊や?」
「……その呼び方は、やめてください」
いつにない切り返し。ほう、と感心したように攸夜が息をこぼした。
挑む気概はそのままに、至極冷静な瞳が強大なる魔王を見返していた。
「はやく始めましょう。みなさんにご迷惑をかけてますから」
「まぁ待て。物事には順序ってものがあるんだ。――フォトンチェンジ」
何やらのたまい、攸夜をまばゆいばかりの蒼い光が包む。
魔法の光――バリアジャケットの展開かと訝しむエリオの前で起きた現象は、彼の想像の斜め上いっていた。
「!」
青年の代わりにいたのは、エリオと同い年くらいの少年。
人好きのする柔和な面差しに、稚気を感じさせる蒼い瞳が浮かび、癖の強い黒髪が朝日を照り返して艶めく。背丈はエリオの方が若干高そうだ。
身に纏う黒き戦装束はシルエットこそ普段と同じだが、デザインが所々違っていて。頭上のビルから歓声が上がったような気がしなくもない。
「まさかその姿……ハンデのつもりですか?」
「それこそまさかさ。そんなもの、血で血を洗う決闘には不粋だよ。決闘とは、気高く公正で在るべきだ」
芝居がかった言い回し、少年が微笑む。獰猛に、婉然と。
文字通りの“コロス”笑みを前に本能的な恐怖を受け、エリオの肌が粟立った。
「この姿になったのは、こっちの気分の問題だよ。仮にも大人が、子ども相手に本気を出していいわけがないだろ? だから僕自ら同じステージに降りたまで。
安心してよ、これでも僕の武力は何ら落ちてないからさ」
ま、リーチは相応に短くなってるけどね。その自信満々な発言を肯定するように、物理現象すら伴う猛烈な魔力の嵐が解き放たれる。
蒼いスパークが唸り、輝き、迸る。道ばたに転がっていた小石や粉塵が巻き上がり、ふわりと宙に浮かんでいた。
その理不尽な“質”が――そして何より眼前の存在が、エリオの心胆を寒からしめる。
「――ッ!」
だが、立ち向かわなくては。
勝っても負けてもいい。臆さず、真っ向から立ち向かわなければ自分は前に進めないのだと。
だから少年(エリオ)は、勇気と空元気を振り絞り、青き槍を手に小さな魔王と退治する。自分自身に打ち克つために。
「ふふ、僕は手加減ができないから――、覚悟してよね、お兄さん?」