機動六課隊舎、玄関ホール。
高町なのは(十九歳)は頭を抱えていた。
(……はあ、どうしよ)
「ううー……」
おなじみ白を基調とした教導官制服姿の彼女の足下には、涙目でこちらを見上げる金髪の幼女──ヴィヴィオ(推定五歳)。色違いのまん丸な瞳がたいへんかわいらしいが、今のなのはには強大無比な敵としか思えなかった。
「ヴィヴィオ、私はこれからお仕事にいかなくちゃだめなの。それでね……」
「やだー! なのはママといっしょがいいのー!!」
「そんなこと言わないで。いい子だからお願い、ね?」
「やあー!」
努めて優しく言い含めるが、小さな暴君はぎゅうっとスカートにしがみついたまま離れてくれない。おかげで白いウサギのぬいぐるみがぺちゃんこである。
保護三日目にしてこれだ。
本日午後からの予定は、来るべき“冥魔”との激戦に備えて出向・着任した陸士108部隊の面々との初訓練。否が応でも気合いが入り、ばっちり準備したかった。
(……はあ、ほんと、どうしよ……)
朝の訓練はまだよかったのだ。
ヴィヴィオはまだ起きておらず、訓練から戻って朝食を一緒に食べたときも機嫌がよさそうに見えた。書類仕事の時間だって、同じ部屋でだがおとなしくひとり遊びしてくれていた。
が、問題はそのあと。
午後の訓練の準備のため、一足先に訓練施設に向かおうとしたなのはだったが、ヴィヴィオを預かってくれそうな人が今日に限っていないことに思い当たる。そして、何とかヴィヴィオに留守番を言い含めようと小一時間、嫌だの一点張りで言うことを聞いてくれず、完全にお手上げだった。
どうやらヴィヴィオ、独りになるの怖いらしい。普段は聞き分けがよく、手の掛からない“良い子”なのだが。
なのは自身、幼少期にいろいろあって寂しい思いをした愛情に飢えた子だったので──無論、その思いは「家族に放置された孤独な私かわいそう」という赤面モノの自己憐憫だと自覚しているが──、ヴィヴィオの気持ちはよーくわかる。痛いほどわかる。
その上、出生不明で天涯孤独の身。だから可能な限り寂しくないようにしてあげたいと思う。不本意ながら自分が面倒を見ることになってしまったが、それで冷たく当たるほどなのはは薄情ではない。
しかしなのはに年下の、それも幼児をあやすスキルなんてないのだ。
末っ子だし、わりかしかわいがられて育ったし。同じ末っ子な幼なじみが、妙に子どもの扱いに慣れていることは横に置いておくにしても。
(……誰か代わりに見ててくれる人がいたら、なぁ)
寮母のアイナやシャマル、あるいはメガーヌ辺りが候補なのだが、あいにく三人とも所用で六課を留守にしている。
次点のはやては一応部隊長ともあってやはり忙しいだろうし、何より問題はフェイトだ。
(……フェイトちゃん、今日も朝から攸夜くんとこ行っちゃったしなー……)
協力する、という舌の根も乾かぬうちに朝っぱらから遠くの病院へ直行した金色わんこの所行に、友人ながら呆れ果てる。入院中の恋人が心配なのも理解できるが、正直少し自重しろと言いたい。これだからバカップルは。
もっとも、彼女は彼女で幼少期のトラウマが軽く再発しているから致し方ないのだが。──今頃、金髪の親友は病院で黒髪の幼なじみとよろしくやっているのだろう、イチャイチャしてるのだろう。……羨ましい。むしろねたましい。
私だって、ユーノくんと会いたいのに。
そんななのはの内心に湧いた黒いものを敏感に感じ取り、ヴィヴィオが再びぐずりはじめた。
あたふた、あたふた。
めそめそぐずる幼女の前で右往左往するオトナ未満。
「どうかなさいましたか、高町教導官」
「あ、宇佐木さん。それに……」
そんなところに声をかけたのははたして、攸夜直属の部下にして機動六課にかけられた“首輪”、部隊長補佐官・宇佐木月乃であった。
そして、もう一人。
茶色のポンチョに紫のセーラー服、ゆるふわの銀髪が美しい。百人が百人がかわいいと表現するであろう可憐な面差しに、高飛車な表情を張り付けた文句なしの美少女──
「……ふん」
ご存知なのはの天敵、“蠅の女王”ベール・ゼファーである。
今日は珍しく御付きの姿が見あたらない。
「ええっと、珍しい組み合わせですね」
「そこで出会しただけです」
「あえて言うなれば、人間なんかに身を堕したかつての同朋を嘲笑ってる、ってところかしら」
「……私は今の身分に満足していますので」
「あっそ」
当たり障りのない返答に、ベルは興味なさげに吐き捨てる。期待外れだったのだろう、わずかに残念そうだ。
「見たところ、その子がだだを言っているようですのね」
「ええと、そうなんです。これから午後の訓練なんですけど、ヴィヴィオがぐずっちゃって……」
「たしかにそれはお困りでしょう。会議の予定がなければ私がお預かりしたのですが……」
足下に落とした月乃の目線に、ヴィヴィオのぬいぐるみが留まる。
このぬいぐるみ、フェイトの私物で元々は攸夜が趣味で制作したものだった。彼女らの部屋にはそういったものが山ほどあり、フェイトはそれらほぼ全てをヴィヴィオに快くプレゼントしている。代わりになのはの部屋はぬいぐるみだらけになってしまったが。
月乃は膝を屈め、なのはの足にひしと抱きついたヴィヴィオとの目線の高さを合わせる。
「あなた、兎が好きなの?」
ヴィヴィオがおずおずと首肯する。人見知りするわけではないのだが、見慣れない人間に警戒しているのだろうか。
「そう」と警戒を解きほぐすよう、にこやかに笑いかける。普段の怜悧で冷たい印象を覆す母性溢れる表情だった。
「ならこれをあげましょう」
彼女はそう言うと、何もない虚空──月衣から、ちゃんちゃんこを着たウサギのぬいぐるみを取り出す。手には杵だろうか、棒っぽいものを持っている。
ぱああっ、とヴィヴィオのオッドアイがにわかに輝く。
「わあっ、うさぎさん!」
「この子の名前は“スペースラビット”」
「すぺーす……?」
「月に住んでいるかわいい兎よ」
「おつきさまにはうさぎさんがいるの?」
「ええ。夜になると、臼と杵でぺったんぺったんお餅をついているの。仲良くしてあげてね?」
「うんー!」
ウサギのぬいぐるみをもらったヴィヴィオは、「ぺったん♪ぺったん♪」と口ずさんですっかりご機嫌を直したようだった。
……なんだかすごく手慣れている。意外な伏兵だ、となのはが軽くショックを受ける。
「趣味が裁縫なんです、私」
「は、はあ」
「主上や八神部隊長、他有志のみなさんと“手芸同好会”の活動をしています」
「そ、そうなんですか」
屈んだまま幼女の頭を撫でる怜悧な才女の意外な一面に、なのはは驚くばかりだ。
と、ここで彼女は問題が何一つ解決していないことをいまさらながらに思い出した。
「それにしても、ヴィヴィオのこと、困ったなぁ……」
「ならこのベール・ゼファーにやらせればよろしい」
「はあ? なんであたしがそんな面倒なことしなくちゃならないのよ」
脈絡もなく話の矛先を向けられ、ベルが胡乱げな目を元魔王に送る。なのはも首を傾げているが、月乃には何やら根拠があるらしかった。
「以前、生まれて間もない幼児を物心がつくまで養育したことがおありでしょう? 経験者なら打ってつけではありませんか」
黒き星の皇子参照である。
「へぇー」
「んなっ!?」
なのはが心底意外そうな顔をして、ベルが絶句する。
「ななななな、なぜそれを!? あんた月に引きこもってたじゃないのよっ!?」
「“秘密侯爵”から聞きました」
「リーオーンーっ!!」
ここにはいない、無口なくせにおしゃべりな部下に自分の黒歴史を漏らされたまおーさまは激怒した。
その声量はヴィヴィオを怯ませるには十分で。びくぅっと身を竦ませると三度目を潤ませ、瞬く間に決壊した。
「あ、あわわ……」
「おや」
「ちょ、ちょっと。ピーピー泣いてんじゃないわよ……」
三者三様。
反応はそれぞれだが、共通しているのは程度は違えど慌てていることである。
「……泣かせよったのう、ベール・ゼファーよ」
「うっ……」
ぼそっと地を出し、月乃が糾弾する。さしものベルも泣いている幼子には勝てないのか、言葉を詰まらせた。
どうしたらいいのか見当もつかず、狼狽えて取り乱すなのは。傍らで腕を組み、我関せずの態度を貫いていたベルだったが次第に苛立ちを感じ始めた。ピキピキ、と額に青筋が立つ。
「ああんもう! じれったい! ちょっと寄越しなさいっ!」
「あっ!」
とうとう我慢がならなくなったベルは、ぱっ、と強引にヴィヴィオを抱き上げた。
初めは大いに嫌がっていたヴィヴィオだが、そのうち抵抗を止めて大人しくなっていく。抱え方やあやし方が巧いのかどうなのか、ぽんぽん、と背中を叩かれている様子はどこか安心しているようにも見える。
あまりの早業、なのはは呆然とするしかない。
「……どうやら問題ないようですし、後はお任せください高町教導官。私も、時間を作って様子を見に来ますので」
「そうですね……。なんか、無性に納得できないんですけど」
「割り切ることです。あなたはまだ若く、力不足なこともあるのですから」
「はあ……」
何か敗北感というか、腑に落ちないものを感じる“新米ママ”なのだった。
第二十九話 「君の空に」
「──ということがあったらしくてだな。まあ、フェイトからの又聞きなんだが」
「…………」
薄暗く狭苦しい室内に満たされた高温に熱せられた蒸気──いわゆる蒸し風呂、あるいはスチームサウナと呼ばれるもの。
「何のつもりかは知らないが、口では嫌々言う割に何度か相手して、これが結構打ち解けているみたいでさ」
「…………」
「前々から思ってたんだが、面倒見がいいのか悪いのかよくわからんよな、ベルの奴は」
「…………」
その奥の方、段々になったベンチに腰掛けている若い男性の二人組。ボサボサの黒髪をバンダナ代わりのタオルで纏めた青年と、長い金髪を同じくターバン状に巻いたタオルで包んだ青年。どちらも趣こそ違うものの、なかなかの美男子だ。
二週間の入院から無事退院し、ふらりと親友の顔を見にやってきた攸夜と、無限書庫で引きこもっていたところを、お騒がせな親友に半ば無理矢理引っ張り出されたユーノである。
ここは時空管理局本局ステーションの一角、数千万人の職員の福利厚生を目的としたスパ施設。温水プールや本格的なスポーツジムなどを完備した立派なものだ。
二人はこの施設をよく利用しており、主に運動不足気味のユーノを攸夜が連れ出す形で友好を深めている。なお余談だがこの「男同士の裸のつきあい」、クロノやヴェロッサも時折参加していたりする。
「って、ユーノ? さっきから黙りこくってどうしたよ」
「………………僕、なのはがそんな子を預かってるだなんて、ぜんぜん聞いてない」
「ああ……」
少し不機嫌そうなユーノから呟かれた言葉に攸夜は得心した。彼にしてみれば、かなりショックな事実だったのだろう。
「んー、さすがにつき合ってる男に“ママになっちゃいましたっ!”とは言い出しづらいんじゃねえの? うら若き乙女のなのはさんとしてはさ」
「いや、僕らつきあってないし。ただの仲のいい友だちだし」
「まだ言うか、この子は」
時々ふたりだけでデートしてるくせによく言う、と友人の頑なな態度に攸夜は嘆息した。
照れ隠しの冗談なのだろうか、“強請るな、勝ち取れ”が信条の攸夜には理解しがたい。
「そうだ、機動六課に行こう」
「そんなCMみたいなこと言って。だいたい、僕には無限書庫の仕事が……」
「堅いこと言うなよ。第一、有給余りまくってんだから少しは使え。上司がワーカーホリックじゃ部下が休みづらいだろうが」
「うっ」
「それに会ってみたいだろ? ヴィヴィオに、さ」
「…………うん」
素直な奴だ、と攸夜は玉のような汗を浮かべた顔で完爾と笑うのであった。