「このおっさんは私ら機動六課の身内です」
割と衝撃的な事実が明かされ、「ええーっ!」と驚愕しきりの親友二人を鮮やかに無視して、はやてはニヤニヤするマッドサイエンティストに問い質す。
「単刀直入に聞くけど、あんたその子の正体を知ってんやろ?」
「ふむ、端から決め付けかね八神部隊長。まあ、心当たりなら確かにあるよ。私としては些か想定外なのだが」
「んなら勿体ぶらんとキリキリ吐きや。隠し立てすんならしばくで?」
詰め寄る剣幕は、今にもデバイスを取り出しかねないほど。
あんまりな言われ様に、スカリエッティは胡散臭い笑みを顔に張り付けたまま肩をすくめた。
「では単刀直入に言わせてもらおう。おそらくその少女は古代ベルカ時代の指導者、“聖王”──正確にはそのクローンだ」
「なんですって!?」
「ちょっとカリムうるさい。黙っといて」
「うぐっ」
瞠目して、悲鳴のような声を上げた友人の出鼻をぴしゃりと挫くはやて。自らが信仰する宗教の根幹に関わることなので、カリムにとって聞き捨てならないのも無理はないのだが。
「……ねぇフェイトちゃん、“聖王”ってなんだっけ?」
「うーん。私もよく知らないけど、ずっと大昔のベルカを率いてたひとで、聖王教会の祀っている神さま?らしいよ。
昔のベルカはミッドチルダと戦争をしてたんだけど、ロストロギアの暴走で文明は滅びちゃったんだって」
「へぇー。じゃあ、えらいひとなのかな?」
「……たぶん」
──などと置いてけぼりを喰らった感のある二名が、ひそひそ声を潜めて相談していたりもする。
フェイトの説明はかなり漠然として要領を得ない。
歴史に何の興味もない一般的な年頃の女性ならばさもあらんと言うべきだろうか。一応、自分が所属している国家と組織に関連する事柄でもあるのだが……。
「その根拠は?」
「あの特徴的なヘテロクロミアだよ。DNAを照合してみなければ正確な事は言えないが、まず間違いないだろう。文献によればベルカの聖王は翠緑と深紅のオッドアイであり、虹色の魔力光──“カイゼル・フェルベ”と無敵の“鎧”を持っていたとされている」
「ええ、確かにその通りです。……その子、よくよく見ると記録に残る聖王の面影があるようにも思うわ」
「私も、騎士カリムと同意見です。部外者に指摘されるまで気づかなかったとは……不覚です」
聖王教会関係者が口々に同意を示す。だが、そのクローンニングの元となった遺伝子情報の出所という、新たな謎が浮上した。
カリムがふと思い浮かんだ可能性を口にする。
「まさか、盗まれた聖遺物から……?」
「ふむ、おそらく。以前、部下に命じて聖王の遺伝子情報が残っていると思わしき聖遺物を盗ませたことがあってね。そのデータは解析した後で裏社会に流したんだが」
「原因はあんたか!」
「聖遺物の紛失の一件はあなたの仕業だったのね!」
はやてとカリムが口々に責め立てる。
「ハハハ。君たちは知らないだろうが、その件も私の罪状に付いているのだよ。一事不再理というじゃないか」
そう言われてしまえば追求できない。うまく居直られてしまい、フェイトは内心で少々残念に思った。
「だが、断じて言うが実際に製造したのは私ではないぞ? 手間を省くために、遺伝子情報を拡散させたのだからね。第一、そういった違法な生命科学を研究する機関は軒並みシャイマールに撫で斬りにされている」
「そういや攸夜君がそんなこと言うてたなぁ。……ほんとにあんたと違うん?」
「そもそもクローンニングなど時代遅れの技術、興味など感じんさ。今の私の研究課題は“ホムンクルス”の実現だ」
次のナンバーズは“ホムンクルス”として──だのと自分の研究についての話題に脱線しだしたマッドは放っておき、はやてとカリムが相談する。
「となると、いったい誰がその子を生み出したかが問題になるわね」
「“冥魔”がどっかの研究者を洗脳なりなんなりして、とか?」
「あり得るわね……。でも、なんのために?」
「うーん……せやけど、あんたなんで聖遺物なんて盗ませたん?」
再び、スカリエッティに話題が向く。
「うん? そうだね。無論、研究目的というのもあったが、一番の理由はやはり“ゆりかご”だろうか」
「“ゆりかご”というと、あの?」
カリムがスカリエッティの言葉に応える。
聞き慣れない単語にフェイトとなのはが顔を見合わせた。
「そうだ。最高評議会がその存在を秘匿し、今は聖王教会が管理・調査しているあれだよ。“ゆりかご”とは聖王の御座艦にして“鎧”──この現代に聖王の血を蘇らせる理由があるとするなら、あの兵器以外には考えられない」
「少々ベルカの歴史を学んでいればわかることとはいえ、ずいぶん詳しいですのね」
「シャイマールが来襲する以前、管理局に対して起こすつもりだったクーデターの切り札にと考えていてね。例えば、搭載されていた防衛兵器はいわゆるガジェット・ドローンの雛形にさせてもらった」
「あんたそんなこと企んでたんかい……」
「今となっては無駄な時の浪費だったと反省しているがね」
政治色の濃い会話を黙って聞いていたなのははふと、毎日の日課になっているユーノとのメールのやりとりで出た、「最近発掘された古代ベルカのフネの見取り図の捜索を、聖王教会から依頼された」という話題を思い出した。
“兵器”という仰々しい単語に少し不安になって、なのはが質問する。
「……その、“ゆりかご”っていうフネはそんなに危険なものなんですか?」
「いや、それほど大それたものではないよ。通常の魔導師相手ならいざ知らず、高濃度のAMFと防衛兵器を用いたとしても戦闘機型や戦車型の“箒”、そして“B‐K”部隊の攻勢を食い止められるものではない。よしんば月の魔力を得られる衛星軌道に辿り着けたとしても、ミッドチルダの宇宙そらには“セフィロト”がいる」
スカリエッティは嘲笑を浮かべ、蒼く晴れた空に浮かぶ双子の月──その遙か先にあるであろう白亜の巨艦を指さした。
「おそらく“ゆりかご”では迎撃用の反応魚雷はおろか、対空砲火の誘導レーザーにすら耐えられないだろうね。逆に空間歪曲障壁を抜くことも、単一素粒子の装甲を傷つけることも尋常な兵器では不可能だ。
両者には、大人と赤子というレベルでは済まない戦力差があるのさ」
“セフィロト”の非常識かつ理不尽な仕様を楽しげに解説するスカリエッティ。単艦で次元世界一つを制圧できるという売り文句は決して誇大妄想ではないのだ。
無論、その運用には厳しい制限が科せられており、基本的には管理世界共同体の国際会議による議決でのみ他の次元世界に進出することが許される。しかし、ミッドチルダ周辺の領域であればある程度裁量の自由が認められている。その点、彼の考察は正しい。
「──が、“冥魔”の王がその少女を欲していたというのなら話は変わってくる」
一転、冷酷な声が一石を投じた。
「彼らには彼女と“ゆりかご”を有効的に活用出来る、何らかの手段や思惑があるわけだ。もう一度言うが、私は速やかな処分を推奨しよう」
「まぁ、せやろなぁ……」
はやての疲れ混じりの言葉を皮切りに、その場の全員の視線がオッドアイの少女──件のクローンへと向けられた。
ぽけーっと花畑で舞う蝶々を目で追いかけていた少女は、大人たちから注目に慄いて再びなのはの足に抱きつく。
「たった一人の犠牲で、失われるかも知れない数千数億の命が救われる。簡単な引き算だと私は思うがね」
「それは──」
「そんなの、ダメだよ!」
なのはの悲痛な声が傾いた流れを断ち切った。
いささか感情的になっている彼女は、足下の少女を大人たちの視線から庇うように抱き寄せる。それを見て、密かにはやてが面白がって笑みを浮かべた。
「こんな……、こんな小さな子を犠牲にして。それで手に入れた平和なんて、そんなの間違ってる!」
「私も、なのはの意見に賛成だよ」
フェイトも賛同を示すと、なのはが安心したように微笑んだ。
「ふむ。確かに最善とは言い難いが、最も優れた次善の策ではないのかね?」
「最善を目指すなんていわない、世界がそんな単純じゃないことだってわかってる。……でも、誰かを救うためだと言い訳をして、こぼれ落ちる命を諦めるなんて私にはできない」
「何も切り捨てず、全てを救うと? それは理想だよ、妄想と言ってもいい。その空虚な幻想から産まれた恣意的ヒロイズムが、さらなる悲劇を生むとは考えないのかい?」
「私は、はじめる前からできないって諦めたくないだけ。たとえあなたの言うことがたった一つの正解だとしても、犠牲が出ることを仕方ないなんて言葉で片づけてしまうくらいなら──」
言葉を切り、フェイトは薄笑みを浮かべるスカリエッティを正面から見据えた。
「そんな正解、私はいらない」
正論にも揺らぐことのない瞳は、その鮮やかな真紅に断固たる信念と混じりっけのない覚悟を宿していた。
「お話にならないね」
「っ、あなたは!」
険悪なムードが漂う。
ここではやてが行動を起こす。
「と、いろいろ意見が出たわけやけど。カリムはどう思う? 聖王教会の幹部としての立場からご意見をどーぞ」
「嫌な言い方をしてくれるのね。……包み隠さずに言うなら、その少女をこちらで確保したいところよ。もし本当にその子が聖王のクローンなら、ね」
「おやおや」
争いの火種を嗅ぎ取り、愉快げな声で茶化すマッドが武闘派シスターに殺す気で睨まれて肩をすくめた。
「でも、今の管理局と下手に事を構えたくないのも教会の本音。だから私ははやての決定に賛同し、最大限協力することにするわ」
「そこで丸投げするカリムもええ性格してるわぁ」
「あら、当然の流れだと思うけど。責任重大ね、部隊長さん?」
そう言って、軽くウィンクする食えない友人に若干の徒労を感じつつ、はやては襟を正す。
「さて今回の件やけど、まさしく“冷たい方程式”やね。まあ原典の“カルネアデスの板”でもええけど」
読書家らしく無駄に蘊蓄を披露するはやて。頭上にクエスチョンマークを浮かべる一同──スカリエッティは何やら思い当たるらしい──に、彼女はお得意のふてぶてしい顔を見せた。
「私らの故郷、第97管理外世界の古い哲学の問題でな。
とある一隻の船が難破し、乗務員は全員海に投げ出されました。一人の男が命からがら、一枚の板にすがりつきました。
するとそこにもう一人、同じ板に捕まろうとする人が現れました。けれども二人が捕まれば、板そのものが沈んでしまうかも知れない。そう考えた男は後から来た人を突き飛ばして殺してしまいました。
そのあと救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたましたが、罪には問われませんでした。
……と、こういう筋書きのお話や」
「ふむ、なるほど。緊急避難の命題というわけだね。人間心理と社会の矛盾を突いたなかなか興味深いテーマだ」
「あんた無駄に博識やね……」
言わんとするところをすんなり理解した科学の鬼才に感心を通り越して呆れるはやて。
気を取り直す。
「まとめると、誰かを犠牲にして生き残ることは、法治社会では時に悪でなくなることもあんねや。──ひとりの命を代償にその他大多数を救済する……たしかに合理的な冴えたやり方や。たとえばそれが、幼い少女の命やっても」
「はやて……」
「はやてちゃん……」
不安げに見つめる親友たちに思わず笑ってしまう。そんなに自分は頼りないのだろうか、と。
「でもなぁ、私は物語でもなんでも、ハッピーエンドが好きなんや。完全無欠の大団円ならもっといい。
トゥルーもグッドもいらん。誰も失わず、誰も悲しまんと笑顔になれる──、私はそんな夢みたいな未来がほしい」
かつて忌まわしき“闇”に囚われ、親友たちの懸命により救われた彼女が取り得る手段など、初めから一つしかないのだから。
「──せやから私がどうするかなんて、決まってるやろ?」
現実の、辛さや厳しさも併せて飲み込んで。はやては今日も、ニッと大胆不敵に笑うのだった。