「「「きゃあ!」」」「うわぁ!」「くっ!」
強烈な衝撃をまともに受けて、スバルとエリオ、ノーヴェ、それからギンガとチンクが大きく吹っ飛ぶ。
人数分の水柱が時間差で上がる中、衝撃波を巻き起こした元凶──“闇の落とし子”と化したゼストと、先ほどの一撃を辛くも耐え抜いた“魔騎士”及び“狼の王”が激闘を続けている。
「つつ……チンク、かなりやられてたみたいだけど、大丈夫?」
「この“シェルコート”が守ってくれました、大事ありません姉上。しかし、我々全員を相手にしてなお圧倒するとは……」
「ううー……。あの人、一騎当千ってレベルじゃないよ、ギン姉っ!」
青い槍を支えに無言で立ち上がる赤毛の少年を見やりつつ、ギンガは何時になく冷静さを欠いた部下を気遣う。続いて発せられた妹の泣き言に姉は場違いにも苦笑した。
すでに“狩人”レライアはティアナを庇って送還されており、そのティアナも追撃で気を失って戦闘不能。彼女と、無理を通して召喚を行い、戦力を失ったキャロ、そしてジュエルシードの入ったケースの防衛に専念している“風雷神”フールーの参戦も難しい。
なお、ウェンディとディエチは上空で闇妖虫の成体と戦闘中である。召喚師であるルーテシアがそれを呼び寄せて魔力切れを起こしたらしく、戦闘不能なのが幸いと言えば幸いか。
旗色の悪い戦況──多勢に無勢でなお、劣勢に陥っている彼女らが情けないのではない。強健で才気ある魔導師と戦闘機人六名に加え、大幅に弱体化しているとはいえ、AAAランク魔導師と同等かそれ以上の戦闘能力を有する裏界魔王四柱。それを相手に、しかも単独で返り討ちにできるゼストがどこかおかしいのだ。
“混沌”に──悪しき幻想に由来するどす黒いオーラが猛威を振るう。
見ているだけで不快感が肌を泡立たせる闇を纏った尖兵を睨み、赤毛の少女拳闘士ノーヴェが拳を打ち合わせた。
「っち、あのオッサン、マジでバケモンだな!」
「ノーヴェ! 口が過ぎるぞ!」
「ええっ? いやぁ、でもさぁ……」
急に叱りつけられて、しどろもどろになるノーヴェ。個人的な私情もあり、ゼストを何としても救いたいチンクは妹の何気ない一言にも過敏に反応して、つい声を荒げてしまう。
姉妹喧嘩に、ふぅ、とギンガが嘆息する。
「チンクこそ、ちょっと言いすぎよ。焦っているのはわかるけど、今はそんな場合じゃないでしょう?」
「っ……すみません。ノーヴェもすまない」
「まぁ、私は気にしてないんだけど。……チンク姉ぇ、なんか思い詰めてない?」
ノーヴェに指摘され、チンクは無言で顔をしかめる。眼帯を巻いた右目に手をやった。
ゼストをあのような境遇に堕とした原因は自分だ、という思いが彼女の中にはある。
妹たちには知らせていないが、チンクに科された刑罰は他のナンバーズの面々の中でも特に重い部類に入る。──殺人という、とてつもない罪を犯しているから。
当時は自由意志を与えられていなかったし、造物主の命に従い戦うことが自分の使命だとも考えていた。その考えは通りすがりの“魔法使い”に敗れ、檻の外に広がる広大な世界を知ってから消え失せたが、代わりに「良心の呵責」を抱えるようになった。
もちろん、その罪を誰かに転嫁するつもりはない。
しかし、どうせ解放するのなら、もっと早く、ヒトを殺める前に解放してくれていたならよかったのに。そうしたら、誰も泣かずに、泣かせずに済んだのに──そうチンクは、攸夜をお門違いにも恨んでしまう。
その思いはきっと、愛しい娘を救いたい一心で機動六課に所属し、必死で戦っているメガーヌも同様だろう。
“どうして助けてくれなかったのか”、と。
──神は、世界はいつだって平等に残酷だ。
「ハイ、お話はここまで! みんな、気分を切り替えて? 戦闘はまだ終わってはいないんだから」
自然とリーダー格に収まっていたギンガの一声が、散漫となった空気を引き締める。はっ、と彼女以外の面々が顔を上げた。
「きゃいんっ!」
「チィ……“冥魔”の加護を受けたとはいえ、ヒトの身でこれほどか! 我が輩も、もはや決闘を所望するなどとは言っていられん!」
どうやら魔王二柱もそろそろ限界のようだ。特に、外面を捨て始めたエリィがいろいろな意味でヤバい。
「で、でも戦うって言っても、どうやって……。私たちの攻撃、ぜんぜん通用しないし──」
「それでもやるしかないだろ! 戦わなきゃ、ヤられるのはこっちだ!」
「──行きます!」
スバルとノーヴェの問答を余所に、一人駆け出すエリオ。一拍遅れてチンクが続き、「ああっ、もう! また勝手してー!」と叫ぶスバル、ギンガとノーヴェがそれぞれ両足に装着した推進機器を起動させた。
一端退いたマルコ、エリィを瞬く間に抜き去り、エリオがゼストに肉薄。タイミングが良かったのか、豪槍吹き荒れる攻撃圏の内側に飛び込んだ。
「うおおおおおっ!!」
「ぬぅ……!」
歴戦の老将と若き騎士。
信じた正義に裏切られた男と、未だ自らの正義を知らない少年が三度激突した。
溢れ出す瘴気が流水を瞬時に汚染し、迸る雷撃がそれを瞬く間に蒸発させる。
絶え間なく鳴り響く鋼の音色。繰り広げられる激闘に、出遅れた四人は割って入ることができない。
たった一人、エリオは善戦している。ゼストが多少手心を加えていることもあろうが、決定的な要因は彼本人の鬼気迫るその気迫。この壮年の騎士に何か思うところがあるのだろう、ことさら感情的に挑みかかっていた。
メンタルのコンディションで実力が大きく変わるのはフェイトと同様のようだ。
と、そのとき。
「ゼスト……!」
「旦那っ、ロストロギアはもういいから退けってヤツらが!」
戦いを見守っていたルーテシアとアギトが口々に声を上げる。どうやら何らかの要因で、状況が変わったらしい。
ちなみにリインフォースⅡは火の玉の直撃で目を回している。
「……ここらが潮時か」
「うわっ!」
言うやいなやの豪槍一閃。
ゼストが槍が横に斬ると黒い衝撃波が巻き起こり、体重の軽いエリオは煽られてサッカーボールのように弾き出された。
さらにそこから縦に振り下ろし、放たれた漆黒の大斬撃がエリオやスバルたちの間を断ち割って大量の水をブチ撒ける。
打ち上げられた水が引力に引かれ、辺り一帯に降り注ぐ。
白く染まる視界。その光景はさながらどしゃ降りのスコールだ。
川底に突き立てたストラーダを頼りに猛烈な濁流に耐えていたエリオの眼が、白いカーテンの先に揺らめく黒い闇を捉えた。
「ま、待て!」
「ゼスト!」
雨が収まると同時に、エリオとチンクが制止の声を上げる。
そこに込めた感情は正反対ではあったが、届かないとわかっていても叫ばずには居られなかったのは同じだった。
歩みを止め、ゼストが肩口からわずかに振り返る。
「この勝負、預ける。チンク、そして少年よ」
巌のようなその声を最後に、彼とその仲間たちは深淵の先に沈んでいく。退き際も見事な手際だった。
「……くそっ」
ジュエルシードを守ることこそ達成したが、各々の心にどこかやるせないしこりを残した戦いは、こうして幕を下ろした。
□■□■□■
「原罪を糧に燃焼せよ! ギルティフレイム!」
天空で、あらゆる罪咎を焼き尽くす灼熱の獄炎──“ギルティフレイム”が幾度となく炸裂し、超高熱の波動を振り撒く。
罪の重さに比例して威力を増すこの魔法の前では、冥魔”の毒を孕んだモノは格好の燃料だ。
「天を突く古いにしえの焔ほむらッ、燃え上がれ! スカーレットイグニスッ!!」
大規模な緋色の火柱──“スカーレットイグニス”に包まれ、辺り一帯が焦土と化す。
“古代神”の莫大な魔力を持って生み出された圧倒的な熱量は建物を瞬く間に焼き尽くし、灰燼へと還元する。
「く……、ああっ!」
それらをまともに受け、アリシア・テスタロッサが小さな悲鳴を上げて墜落した。
焼け焦げ火達磨の身体をビルの屋上に強く打ち据え、くすぶる炎を消すかのようにのた打つ。遅れて落下した大剣──カースドウェポン“ジブリール”が地面に突き立つ。
ふわり、とパニエによって優美に膨らむ煌びやかなドレスを翻し、魔王ルー・サイファーが静かに降り立つ。
「……ふむ、大口を叩く割にはだらしのない。もそっとまともな抵抗は出来ぬのか? これでは気の長い我も退屈で欠伸が出てしまうぞ、小娘」
「……っ!」
呆れ混じりで嘆息し、侮蔑の視線を横目で送る。
次元の違いをまざまざと見せつけられ、復讐の魔女は悔しそうに唇を噛んだ。
──ルーはこの戦いで、自らの分身たるアイン・ソフ・オウルをほとんど使っていない。それでなお、フェイトとほぼ同等の戦闘力を保有すると思われるアリシアを一蹴するその実力。不完全な状態ですら圧倒的なカリスマとパワー──それが“金色の魔王”、裏界帝国最強の大公である。
「さて、戯れもこれまでか。……そなたは今回の事件、その核心に近い場所におるようだ」
言うが早いか、アイン・ソフ・オウルが俯せたアリシアを取り囲む。純白の装甲に挟まれた紅い結晶が光を放ち、解放される“節制”に酷似した力──名付けるなら“怠惰”と言ったところか。
「うぅ……く、はあっ、わたし、の……、魔力、が……!?」
傷ついた身体から魔力が拡散されていく。
七枚の“羽根”が放つ神秘に僅かな魔力さえじわじわと略奪され、荒い息を吐くアリシアは立つこともできない。
抵抗力を完全に奪い去り、弱ってからゆっくりと拘束しようというのだろう。口元を上品に扇で隠し、ルーは苦痛に這い蹲るアリシアを見下ろした。
気品ある色合いの銀眼はひどく冷たい。
「そちにはいろいろと聞きたいこともある。さあ、我と共に来るがいい」
「だ、誰が……!」
「命ならば救ってやるぞ? 穢れた魂を救済する程度の奇跡、我らにとっては安いものだ」
「そん……、なもの! こっちから、お断りよ!」
「……ふむ。では我に降る気も話す気はない、と?」
「しつこい!」
「──そうか。ならば疾く死ね」
それっきり、足下に這い蹲った“落とし子”から興味を失ったルーの意志を受け、アイン・ソフ・オウルが出力を上昇させる。
容赦なく魔力を奪われ、アリシアがとうとう痛ましい悲鳴を上げる。元々生気の感じられない病的な白い肌から、みるみるうちに血色が失われていく。
「魂魄を“混沌”に汚染されたまま魔力を失えば、その生命を保つ事も危うかろうが。どうせ元より死していた身、さして変わらぬだろう?
……我が手ずから、穢土にて待つ母の下へと送ってやろうぞ」
左の手の中に拳大の火球を生み出し、俯せのまま沈黙した少女を見下ろす。
絶世の美貌をオレンジに染めて灼熱の炎が煌々と燃え盛る。
「……ま、ママ……ママの、ために、わたしは──」
「む?」
俯き、何事かを呟くように独語するアリシアの姿をルーが訝しむ。ようやく心が折れたのかと僅かに気を緩めた瞬間、それは起こった。
「──うウゥあああああああァアアアアアアアアアアーーーーーーッッ!!」
「うぬ……!?」
喉を張り裂けんばかりに振るわせた絶叫を引き金に黒い瘴気が爆発する。
拡散した濃密な漆黒の魔力がアイン・ソフ・オウルを四方に弾き飛ばし、ルーは咄嗟に腕で自らを庇う。
──凄まじい魔力爆発が収まった頃には、アリシアの姿はもうなかった。
「……逃した、か。──まったく詰めの甘い、これではベルのことを笑えないわね」
ぽつりと自嘲をこぼしたルーに、部下からの悲鳴のような強い思念が届いた。
『ご主人様っ!』
「どうしたのエイミー? そんなに慌てて、エレガントではなくてよ?」
やんわりと無作法を窘め、のんびりとした口調で問いかけた。
だが、その常日頃に纏った優雅な態度も、もたらされた本題の内容によって容易く崩れ去る。
『申し訳ありません。しかし、若様が──』
「っ、なんですって!?」
顔色を変えた大魔王は後始末も忘れ、瞬く間にその場から転移した。