新暦75年 9月10日
空が高くなり、陽気もどこか秋めいてきた朝の玄関ホール。
お出かけ用にかわいらしくおめかししたエリオとキャロを見送った私は、もどかしい感情を持て余していた。
「だいじょうぶかな、エリオたち……ちゃんとモノレールの切符、買えるかな。降りる駅、間違えちゃったりしないかな……」
「フェイトちゃんてば心配性だねぇ。あの二人ならだいじょうぶだと思うよ? 歳の割にしっかりしてるし」
「そうならいいけど……。ああぁぁ〜っ、心配だよーっ!」
機動六課が始動して早5ヶ月とすこし。
そんな今日は、激動の5ヶ月間を乗り越えた新人のみんなに与えられた全面休暇の日。別にごほうびってわけじゃないけど、訓練とか任務とかいっぱいがんばってるしね。
エリオたちは前述のとおりで、ティアナとスバルもヴァイス陸曹から借りたらしい真っ赤なバイクで街に繰り出してたようだ。
……正直うらやましいな、と思う。
今日も私は──もちろんなのはやはやても──お仕事で、ああやって一日中出歩いたりなんてことは職務上できない。
この前のお休みはぜんぜんお休みにならなかったし。それもこれもはやての悪ふざけのせいだ。
「じゃあ、オフィスに戻ろっか?」
「……うん、そうだね」
とりあえずなのはの意見に従って、ここを離れることにした。
──んだけど、
「──あっ」
「どしたの、フェイトちゃん? ……ああ、なるほどね」
私の第六感が訴えるいつもの感覚に従って。愛しい気配のする方に視線を向ければ、そのとおりに彼がいた。
はだけたサファイアブルーのアロハシャツにクリーム色のハーフパンツ、ビーチサンダルというラフな出で立ち。アロハの下は黒いランニングシャツ、かな? ……ミッドチルダの気候は比較的穏やかで暖かいとは言っても、もう暦の上では秋だ。季節感が致命的に欠けてるよ。
あぁ、あと、釣り竿の入ったケースと中くらいのクーラーボックスを肩にひっかけ、ボサボサ頭にスポーツ選手がつけるみたいなサングラスを乗っけてて。それから、アクセサリーとして首にドッグタグらしきものを下げてた。
──うーん、なんか違和感。なんかこう……チャラい?
「む。フェイト、今なんか失礼なこと考えなかった?」
「えっ!? あ、あはは……や、やだな、私がユーヤを悪く言うわけないじゃない。……ほんとだよ? ほんとだもん!」
我ながら苦しい弁明にユーヤが微苦笑し、なのはが首を傾げている。……以心伝心っていうのも、ときには考え物だよね。
パタパタと、サンダル特有のちょっとマヌケな足音を響かせてユーヤが近寄ってくる。
おはよう、と朝の挨拶を交わしたあと、なのはが尋ねた。
「そのカッコ……攸夜くん、釣りに行くんだ?」
「ああ、趣味と実益を兼ねてね。今日の晩飯は刺身にでもしようかと思っててさ。ここって人工島だろ? だから結構いいポイントがあるんだよ」
「でも、なにもわざわざ自分で調達しなくたって……」
「魚ってのは鮮度が肝心だからね。素材の生きがよければそれだけで味は二割り増しってわけさ」
さすがユーヤだ、言うことがひと味もふた味も違う。食べ物の話題だけに、なんて。
……。
……こ、こほん。なんでも彼は昔、“あちらの地球”の中東とか南米あたりを放浪していた──突拍子もなくて、旅行好きってレベルじゃないと思う──時期があるらしく、サバイバルな知識が自然に身についたんだそうだ。
その一つとして、魚介類はもちろん鳥とか豚とかそういうたぐいの生き物の解体や処理もできるし、フグなんかの特別な免許のいる生き物だってお料理できるんだ。えっへん。
そういう物知りなところ、頼りがいがあるなぁと思う。
……ちなみに私、お魚を捌いたりするのは大の苦手だ。目にするのも遠慮したい。
やり方がわからないというのもあるけれど、ずいぶん前にお母さんの手伝いをしようとしてグロテスクな“ナカミ”を目撃してしまい、キモチワルくなったことがあったから。それから1ヶ月ぐらい、お魚が食べられなくなっちゃったくらいだし。
──遺体とか殺人現場とかはもうぜんぜん平気で、慣れちゃったのになぁ。自分がふしぎだ。
閑話休題。
「それに出来る限り美味いものを食べさせてやりたいじゃないか、フェイトにはさ」
「はいはい。どうもごちそうさまです」
ユーヤの何気ない一言を、呆れ顔のなのはにからかわれてしまった。うれしいやら恥ずかしいやらで私の顔がぽっぽと赤くなる。
……こういう恥ずかしいことを臆面もなく言えて、それがまたサマになっているところ、かっこいいなって素直に思うけど。こう何度も不意打ちされる方としてはたまったものじゃない。
すーはー、と深呼吸して動揺を抑えるのに努める。
「で、二人はちびっこカップルの見送りか?」
「うん、そうだよ。エリオたちはついさっき出発したところなんだけど……フェイトちゃんが、ね」
「う……だって心配だよ、やっぱり」
忘れかけていた懸念の素が掘り返されて、不安の虫がうずく。
いやな想像を膨らますことを止められない。いつまでたっても直らない私の悪い癖。余計な暗い感情に囚われて、しなくていい最悪を自分からイメージしてしまう──これ、思いこみが激しいとも言う。……自覚症状、いちおうあるんだ。
そうして勝手に沈みこむ私の髪を、ユーヤはいつものようにわしゃわしゃと撫でる。ちょっと乱暴だ。
「ならさ、駆けつけてやればいいだよ、所謂ピンチって奴の時にね。俺たちにはそれが出来るんだ、そうだろ?」
「……うん」
うなづくと、なのはが安心したように息を吐く。心配させちゃったみたいだ。ごめんね、なのは。
……こんなにめんどくさい私を、陰に日向に支えてくれる人たちがいる──そのことを、決して忘れてはいけないと、思った。
第二十五話 「運命の矢 ─THE ARROW OF DESTINY─」
真っ青に晴れ渡った秋の空、絶好の行楽日和。
私はユーヤと隊舎本館の目と鼻の先にある防波堤にいた。
ざざぁーん。
ざざぁーん。
潮騒の音。
カーボンファイバー製の釣り竿の先端から伸びた糸が、波打ち際にゆらゆら揺れる。
じつはいま職務時間中なんだけど、「攸夜くんと行ってきたら? 今日はそんなに書類とかないし、私ひとりでも平気だよ」となのはに勧められるがままについてきてしまった。
なのはに気を使わせてしまったのはこれで何度目だろう。それを心苦しく思いつつ、どうしてもユーヤを優先してしまう私はイヤな女なのかな?
……わからない。
ちょっとネガティブになってきた気持ちを切り替えようと、ユーヤに声をかける……餌のケースの中で、ウネウネウゴウゴしてるイキモノはできるだけ視界に入れないようにしよう、うん。
「釣れないね」
「まだ始めたばかりだぞ? 気が早い」
「そっか。うん、そうだね」
とりとめもない会話。でも、彼の声を聞いていくらか落ち着いてきたので、なんとなしに水面の浮きに目を向けてみた。
赤い浮きは、寄せては返す波にぷかぷか揺られて気持ちよさそうだ。
ユーヤとふたり、のんびりひなたぼっこする時間……しあわせ。ぽかぽかのおひさまもそうだし、ときおり吹いてくる潮風も気持ちいい。
イタズラな風のしわざで、顔にかかった髪をかき上げて耳に流す。
「見てるだけだと退屈じゃないか?」
「ううん。ユーヤといっしょだから、楽しいよ♪」
触れ合った肌から、疑うような気配が伝わってくる。
もう、うそじゃないよ。
私、あなたとならどこでだって──たとえ世界の終わりだって楽園に思えるんだから。
「……」
「…………」
ざざーん。
ざざーん。
打ち寄せる波と海鳥の鳴き声はどこか懐かしい。きっとそう感じるのは、私たちの故郷にどこか雰囲気が似ているからだろう。はやてもそれを考えて、この土地を選んだに違いない。
波の音。潮の香り。
彼の鼓動。彼の匂い。
……海は、好きだ。
ユーヤの瞳の色だから。
大好きな蒼い色だから。
どこまでも深くて、どこまでも遠くて、どこまでも広くて──蒼く澄み渡った海原はあらゆるものを許容して、あらゆるものを包容してしまう。
時に苛烈なほど激しく、時にやさしく穏やかな顔を覗かせる様はまさしくユーヤそのものだと思う。
忘れもしない十年前のクリスマス。あの夢の中の世界で、心と心で直接、直に触れ合って私は誓った。
その海を、心の海をたくさんの光で満たしてあげたい。
昏い悲しみや絶望から、ずっとずっと護っていきたい。
……私にユメがあるとするならば、きっとこれが私のユメ。“普通じゃない”私にはもったいないほどの、“普通のしあわせ”をくれたあなたを────
「──フェイト?」
呼ぶ声で、はたと我に返る。飛び込んできたのは「どうした?」と気遣わしげなユーヤの顔。
安心する。今日もユーヤはちゃんと私を見ていてくれているな、って。
──たまに「束縛されたり干渉されたりしてうっとうしくない?」とか聞かれるけど、私はそうは思わない。
私をずっと見てほしい。
私をもっと知ってほしい。
私を、私を──
……だからきっと、
彼を束縛しているのは私の方だ。
とりあえず、不毛な思考は切り上げて。自分の思う、とびっきりに最高の笑顔で見返した。
「……うん、あのね。ユーヤのこと大好きだな、って」
彼が目を丸くした。普段はしないきょとんって顔がかわいい。
すこし赤面した顔で、困ったようにボサボサの髪をかき乱す仕草……照れてるんだね。
「俺も、フェイトが大好きだよ。愛してる」
「うん」
しばし見つめ合って、どちらともなく口づける。
小鳥がついばむような、触れるだけのキス。……ちょっとくすぐったい、ふふっ。
「……あまり格好つかないな、このシチュエーションじゃ。釣り竿片手だし」
「そうかな? 私はこういうのもありだと思うけど」
「しかし、なぁ……」
「くすっ、ユーヤは気にしすぎだよ。──あれ? 引いてるよ、糸」
「なにっ? ──ぬ、コイツ、デカいぞ……!」
もの凄くしなった竿にユーヤが驚く。
海の底でお魚が釣られまいとして暴れているのだろう、糸があちらこちらに強く引っ張られている。これってひょっとしなくても大物、だよね?
「フェイトも手伝って!」
「う、うんっ!」
慌てたユーヤの要請で、援護部隊の急行ですっ!
二人で協力して釣り竿を引っ張る。って、うわ、これ重たっ!?
────それから三十分くらい全力で格闘して釣り上げたのは特大、60センチオーバーのタイっぽいお魚。種類はわからないけど、このあたりのヌシらしい?
ざざぁーん。
ざざぁーん。
地上の大騒ぎなんてお構いなしで、海は穏やかに打ち寄せては帰っていった。
□■□■□■
クラナガン中央区。
人々が行き交う繁華街から少し外れた薄暗い路地裏。
ボロ切れを、申し訳程度に身体に巻き付けた幼い少女がフラフラと引きずるように歩いている。その奥には、彼女が這い出たと思わしきずらされたマンホールが見受けられた。
一見すると五、六歳くらいだろうか、浮浪児にしてはとても見えない姿。艶やかすぎる蜂蜜色の金髪と、色合いの違う翠緑と真紅の瞳──所謂、ヘテロクロミア──がひどく象徴的だった。
彼女は覚束ない、虚ろな足取りで歩みを進める。まるで生まれたばかりの子鹿のように、さながら何か“怖いもの”から逃げ延びようと。
「……っ!?」
不意に何かに躓いて、少女は盛大に倒れ込み、その拍子に小さな何かが地面へと転がり落ちる。
宝石のように見えるソレは、カラカラカラ……と硬質な音を立ててアスファルトを滑り、ゴミの詰まったコンテナの足に当たってようやく停止した。
「……ぅぅ……」
泣いているのだろうか、少女は俯せの体勢で肩を震わせる。起き上がる気配はない。
──薄暗い路地の一角で菱形の青い宝石が、仄かに、妖しく輝いていた。