女子寮裏、小さな空き地。
雲の切れ間から覗いた蒼白い月光が降り注ぐ。
音もなく大地に降り立った光は、建物や木々などに遮られて影のグラデーションを創り出す。
──そんな幻想的な光景の中、手頃な木の幹を背もたれにしてティアナとスバルが訓練の合間の小休止をしていた。
数日ほど前からスバルも参加し始めたこの夜の自主練習。ティアナとは同室であるスバルが加わるのはごく自然の流れであり──、二人の様子に気がついたエリオもまた、時折付き合うようになっていた。ハードな訓練を受けているうち、いつしか仲間意識が生まれていたのだろう。
──もっともキャロだけは、僚友たちの動向を把握していてなお、終ぞ参加することはなかったが。
「とうとう明日だね、ティア」
「ええ……」
神妙な面もちで語り合う。
明日は教官であるなのはとの模擬戦、ここ数ヶ月の教導の成果を披露する晴れの舞台だ。
二人──特にティアナは、その模擬戦になおさら賭けていた。最近、負けが込んでいる自分たちはここで挽回しなければならない、と。
「明日の模擬戦……、イケるかな」
スバルが言う。
密かに──少なくとも本人たちはそう思っている──編み出した秘策は、通用するのだろうか。
自らの代名詞たる砲撃魔法を封じているにも関わらず、なのはの実力の天井は一向にして見えてこない。それがまるで、彼女との間に横たわる隔絶した“違い”を見せつけられているようで。
エースオブエースと讃えられる超一流の魔導師にはやはり、勝てないんじゃないのか──、そんな強い諦観が浮かんでは消えていく。振り解くことができない。
「……とーぜんよ、あんだけ練習したんだから。もっと自信を持ちなさいよ、自信を。アンタ、意外と緊張しいなんだし」
いっそ蛮勇に聞こえるほど勇ましい叱咤。ティアナとて、緊張していないわけではない。むしろ、明日の戦いを思うと震えがくる。──挑発的なことを言うのは不安の裏返し、ただの空元気だ。
けれど、唯一の家族を亡くしてひとりぼっちになったティアナは、強がって、突っ張るしか生き方を知らなかった。
「まあでも。成功率はいいとこ八割くらいかな、実際」
「うん、そんだけあればたぶんだいじょうぶ」
「──……」
現金にも立ち直るスバルとは対照的に、ティアナが不意に表情を陰らせる。
「スバル、アンタはほんとにいいの?」
「なにが?」
「アンタの憧れのなのはさんに、ある意味、逆らうことになるから……」
不安そうなティアナ。するとスバルは力強く言い返す。
「私は怒られるのも叱られるのもなれてるし、逆らってるっていっても強くなるための努力だもん。ちゃんと結果出せばきっとわかってくれるよ。──なのはさん、やさしいもん」
えへへ、と自分の発言に照れ笑いする脳天気な相棒に、くすりと微笑み、ティアナが立ち上がる。
んーっ、と大きく伸びをして、スバルにことさら笑顔を向けて声をかけた。
「じゃ、もう一セットやって、今夜は終わりにするとしますか」
「おー!」
□■□■□■
洋上、訓練施設。
廃棄された近未来都市を模倣した箱庭が今日の舞台だ。
観戦は定例の通り、手近なビルの屋上。本日は肉眼でよりよく観察するため、なのはたちのいる地点からそれほど離れていない適度な高さの建物が選ばれた。
そこには、緊張した面もちで模擬戦を次に控えるエリオとキャロ、戦闘の準備に余念のないオペレーターのシャーリー、どこか落ち着かない様子のお目付役兼上官(一応)であるフェイト。そして、両手をポケットに突っ込み戦域を睨む攸夜が揃っている。
エリオたちの手前、さすがのフェイトさんも今回ばかりは攸夜に張り付かず、自重していた。──ウズウズちらちら、攸夜の方ばかりに気を取られていることは無視するべき事柄であろう。
彼女の「エリート敏腕執務官」という対外的な印象を守るためにも。
さらに。
「どうやら間に合ったようだな、テスタロッサ」
物見遊山にやってきたポニーテールの麗人が、数人の部下をぞろぞろ引き連れて颯爽と見物人の輪に加わった。
「あ、シグナム」
「師匠!」
「せんせー、こんにちはー」
「ええ、こんにちは。キャロさんとエリオくんが心配で、観に来ちゃったわ」
「ヴィータもか。お前も案外暇なんだな」
「ヒマじゃねー、仕事だ、仕事。私も教導隊だからな、なのはの教導の成果が気になんだよ」
「ヴァイス陸曹、珍しいですね」
「姐さんの付き合いさ。……俺に声をかけてくれるのはシャーリーちゃんだけだよ」
「名有りモブの悲しさですね、わかります」
挨拶もそこそこに。
始まる会話の話題と言えば、教導官とのその教え子たちによる戦いについてほかにない。
「シグナムたちも、なのはたちの模擬戦を見に?」
「ああ。今回の戦いは、ここ数ヶ月の訓練の総決算なのだろう? 別小隊とは言え私も一応、上官だ。高町の教導の成果、この目で拝ませてもらおうと思ってな」
ちらりと弟子であるエリオの方を横目で見やり、シグナムは冗談めかして腕を組む。
むにっ、とボリューム満点の双丘が押し上げられる様をエリオとヴァイスが思わず凝視した。近くにいた女性陣から散々な仕打ちを受けていたのはお約束。
ちなみに。男性陣で唯一被害を受けていない攸夜だが、そもそもフェイト以外を女として認識しているかすら怪しいのでさもありなんと言わざるを得ない。
さておき。そうこうしているうちに、毎度のごとくスバルの突撃から模擬戦が開幕した。
「行きますっ、なのはさんっ!」
「いつでもいいよ、スバル!」
「はああああッ!!」
ティアナの援護射撃で頭を抑え、速度に優れたスバルが前進するセオリー通りのファイア&ムーブメント。空に伸びたウイングロードを駆け抜け、スバルがなのはに接敵する。
この程度の回避など容易いが、これはあくまでも訓練、模擬戦だ。あえてその場に留まったなのはがレイジングハートを掲げて迎撃。リボルバーナックルとレイジングハートが激突し、オレンジ色の火花が空に咲く。
「っっ──、強くなったね!」
「なのはさんに、さんざん鍛えられてますから!」
スバルの拳は、数ヶ月と比べて明らかに重さを増している。
今までの訓練でも幾度となく受け止めた確かな成長の証を肌にひしひしと感じ、なのはの口元が自然と緩む。魔法の“暴力”に強い嫌悪感と忌避感を覚えていても、やはりうれしいものはうれしかった。
激しい交錯の後、ヒットアンドアウェイよろしく急速離脱するスバルに追撃を仕掛けるなのはの動きは、先読みしたティアナのクロスファイヤーに牽制されて叶わない。
──と、ここまでは概ね想定通りの展開と言えるだろう。
及第点を与えてもいい定石に則った試合運びに満点の評価をあげつつ、なのははアクセルシューターを展開、斉射した。
ハラハラとしたり、考え込んだり──各々思い思いのリアクションで激闘を観戦している。
そんな中、一際目立つ異物感がひとつ。──真っ黒なボサボサ頭の攸夜だ。
「…………」
無言。痛いほどの沈黙。
普段の飄々とした超然さはどこへやら、ひどくむすっとした顔つきであからさまに機嫌が悪い。
文字通り「“憤怒”のシャイマール」といったところだろうか。最近、感情の沸点が低くなってきている攸夜である。
そんな攸夜の様子を横目に、シグナムがぽつりと彼に質問を投げかけた。
「ところで宝穣、どう思う」
「断言する。駄目だな」
迷いのない即答に、ほう、と整った眉を上げてみせるシグナム。攸夜はまだ険しい表情でなのはとティアナ、スバルの戦いに視線を向けたまま。らしくないほど行儀が悪い。
主語の抜け落ちた会話に付いていけず、端で聞いている人間の半数は頭上にクエスチョンマークを乱舞させている。例外は、事の概要を把握しているフェイトとヴィータ、メガーヌの実戦部隊首脳陣だけだ。
「ふむ……だが、問題は無いように見えるが?」
「根本的な欠陥を修正出来ていないんだ、絶対に何かやらかすに決まってる。どうせ最初だけは言うことを聞いておこう、とかなんとかしょうもないこと考えてるんだろうさ」
……小賢しいガキ共が。学芸会のお遊戯じゃねぇんだぞ。
差し当たっての一般論を痛烈に否定し、忌々しいと吐き捨てる攸夜。なまじ人間の本質を見抜く“眼”を持っていれば、こうした澱み、歪んだ昏い情念が嫌でも目に付く。
それは、仮にも“七徳”を背負う攸夜にとっては不幸だと言えよう。
眉間に深い皺を刻み、攸夜はヒートアップしていく。
「なのはのヤツ、結局最後まで事なかれ主義で日和見やがった」
いつになく冴え渡る毒舌から手に取るようにわかる、抑え切れない苛立ちと不満。
ティアナとスバルの独断専行に関して、常に警告する立場を貫いていた彼は予期してた──手酷い破綻の訪れを。
「何が“指導教官”だ。やり方がいちいち温いからガキにつけあがられるんじゃないか、ド阿呆が」
「まぁそう苛立つな。──仕方あるまい。年齢以上に大人びて見えるが、高町もまだまだ若いんだ。迷いもするし、時には謝るのも無理はないだろう」
「ハッ、んなこたぁアンタに言われなくてもわかってるっつの」
乱暴に言い捨てられた言葉に、シグナムが肩をすくめる。親友を思いやっているのはよくわかるが、もう少し言葉を選んだらどうだ、と。
現に。側で聞いているエリオやキャロがあわあわと動揺しているし、ヴィータなどなのはを悪し様に言われて不快感を隠そうとしない。大人なメガーヌは別として、ほか二名もまあ、似たようなものだ。
──有り体に言えば、場の空気は最悪をとうに通り越していた。
「ユーヤ……」
とても心配そうに愁眉し、フェイトは攸夜の服の裾をギュッと強く握っている。まるでどこか遠くに行ってしまわないように。
別に息の合った様子のシグナムに嫉妬しているというわけでもなく、攸夜の不安定が極まって煮詰まりすぎた精神状態を真摯に気遣っているようだった。
──フェイトは攸夜の心の動きに影響されやすい。マイナスの感情であれば、特に。
攸夜が喜べばフェイトも華やかな笑顔を咲かせ、攸夜が悲しめばフェイトも哀切の涙を流すだろう。そして逆もまた然り。
お互いがお互いを補完し合い、足りないところを補い合ってゆくのがふたりの関係だ。それはきっと、彼らが“友だち”になった頃からずっと変わらない。
攸夜を、「自分の世界のすべて。世界そのもの」と臆面もなく言えるフェイトだからこそ、こうしていとも簡単に悪影響を受けてしまう。
「まったく相変わらずだな、お前たちは」
シグナムは今日も今日とて無闇矢鱈に仲睦まじい好敵手たちを微笑ましく思い、次いで年長者としての苦言を呈しておく。
「しかし宝穣、お前がそのような態度でいるとテスタロッサも不安がる。器量が知れるぞ?」
「っ……さすが守護騎士サマは言うことがご立派だね。亀の甲より年の功ってわけか」
今日の自分は大変よろしくないとわかっているはずなのに、やはり返答はトゲトゲしい。横で聞いていたフェイトがついに険悪な空気に参ってしまい、本格的に涙目に。
妙なところで子どもっぼい──ぶっちゃけ意地っ張りな攸夜の性質が、悪い方向に働いている。仕方のない奴だな、と言葉にはせず呟いてシグナムがそれとなく話題を変えた。
「はぁ。……私は別段構わんが、シャマルの前では歳のことを言ってやるなよ? あれでかなり気にしているようだ。我々に、老いなどという概念なぞありはしないのにな」
やれやれ、とかなりオーバーに呆れを表して肩をすくめる始末。彼女なりのジョークに毒気を抜かれ、攸夜が目をぱちくりさせた。表情からは険が抜け、何とも言い難いビミョーな顔に。
ややあって。
はたと自分の変化を自覚した攸夜は、どこかばつが悪そうにそっぽを向き、癖っ毛を荒々しく掻いたのだった。
──くしゅん!
どこかの医務室で医療品の整理をしていた某黄緑色の人が盛大にくしゃみをしたのは、完全な余談である。